明るい北朝鮮ことシンガポールという国
シンガポールなどは建国以来、一貫ずっと人民行動党が議席の大多数を占めており、朝日新聞から「明るい北朝鮮」と評されるほど、開発独裁国家として認識されています。
シンガポールは1800年代初頭は人口たった150人の何もない島でした。
そこにイギリスの東インド会社で働いていたトーマス・ラッフルズという人がやってきて、シンガポールの地理的重要性に気付きました。(世界最大の花ラフレシアはラッフルズさんの名前から付けられています)
そしてシンガポールは無関税の自由港湾都市としてたった5年で人口が1万人にまで発展していきました。その時、同じイギリスの植民地であるインドや中国(清)から労働者を多く受け入れていました。
そして1900年代中ごろまで発展を続け、イギリスの東南アジアの経済的兼軍事的要所として15万人近いイギリス軍が駐在するような国になっていました。
その後、第二次世界大戦が勃発し、一時的に日本軍に占領されますが終戦するとシンガポールという国に戻るのではなくマレーシア連邦の1州として数えられることになります。
しかし、働き者の華僑(中国系)とのらりくらりなマレー系ではその差は歴然でどんどん格差が広がっていきました。
それに端を発してマレーシア連邦が取った政策がブミプトラ政策です。これは簡単にいうとマレー系は優遇しますよ~って政策で現在も続いています。
マレー系は入試がも楽だし学費もタダとか露骨な政策ですね。
そんな政策もあって華僑とマレー系では対立が進み、マレーシア連邦はシンガポールを州から外してしまいます。
すると、シンガポールは困ってしまいます。
土地もねえ!、金もねえ!、飯もとれねえし水もとれねえ!
おらこんな国嫌だあって言いながらか................
発展の父、リ・クアンユーさんがとった行動は海外資本を集めることでした。
税金を下げたりいろんな手段で海外から企業の誘致をし、国力を高めたり。
元々港湾都市として発展していたため金融業や保険業(保険や株は航海などから発展した概念です)も発展していたためそれを駆使して東南アジアの一大金融センターとして発展し無事に明るくなれたのです。
明るい北朝鮮や独裁という表現をしていたため何もしてないのに拘留されたり逮捕されたりするんじゃないかと心配されるかもしれませんが、
日本人レベルのモラルさえ守れば逮捕されたり罰金されることはないでしょう。
モラルに反したことをしなければ法外なお金を徴収されたりむち打ちの刑に処されることなく治安もよく綺麗で英語の通じる国際都市を楽しむことができます!
東南アジアという概念が打ち崩される素晴らしい国です!
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