ちいさな、おはなし。 -50ページ目

大地讃頌(だいちさんしょう)

それは、地方都市、前橋に初めてレンタルレコード屋ができて、受験勉強そっちのけで友達と毎日足しげく通ってた頃のことだ。

中学の野球部を引退し、自由になったのが嬉しくて、髪を伸ばしてちょっと色気づいてた頃でもある。

東京に引っ越すことが決まり、急きょ受験先を東京の高校に変えることになった。
大都会・東京に僕はあっという間に心が華やいだが、よくよく冷静になってみると複雑な心境でもあった。


奄美大島生まれの父も、長崎・島原生まれの母も、奄美大島育ちの兄と二人の姉も、みんなこのまち、前橋が大好きだった。となれば、自分の場合は尚更である。
我が家系において、僕ひとりが前橋生まれなのであるからして、当然だ。


群馬県の県庁所在地だなんていったって、高いビルなんてないから空はめっぽう広い。
市街地をちょっと過ぎれば随所に田んぼがあり、麦畑があり、郊外に足を伸ばせば桑畑も多く見られた。

北に目をやればうつくしい赤城山があり、視線をちょっと左にやれば榛名という名のこれまたうつくしい山があった。いずれも何だか控えめなゆったりした稜線ではあるが、全体として眺めれば堂々たる存在感を投げかける、不思議な山々だった。

これらのものが全て僕の原風景である。

どこに行くにも、自転車だ。
南に住む友達の家に遊びに行くときは、風に押されるようにして颯爽と走る。

北に住む友達の家に遊びに行くときは、風と闘いながら歯を食いしばってペダルを踏む。

雷が多く、空気は乾いていて、川が流れ、道はどこまでも続いている。
人はやさしく、そして水が最高に美味しい。
夏は内陸特有の蒸し暑さで、冬は凍えそうに寒い。

全国に名を轟かすような名物には乏しく、おそらく大した娯楽もなかっただろう。

そんな素朴なまちが大好きだった。


高校にはとりあえず合格した。神宮球場の真ん前に位置する学校だ。
球場のとなりには秩父宮ラグビー場があり、ちょっと足を伸ばせば国立競技場があり、原宿があり、表参道も渋谷も近かった。
合格発表を見た帰り、こんな都会の真ん中の学校に自分は通うのか、と思って気が重くなった。

卒業式の日が来るまで、この曲を何度となく歌った。
合唱が盛んだった我が母校では、この曲が「第二の校歌」みたいなものだったのだ。

卒業式が終わり、教室に戻ると、人知れず涙がこぼれてきた。
友だちと別れることに。そして、前橋から出て行くことに。

いつも口げんかをしていた子が、これを使ってくれと言って万年筆をくれた。
おまえそういうことするなら普段もっとしおらしくしてろよな、と思ったけど、遅かった。

どうして今日、この曲や我がふるさとのことを思い出したのか、さっぱり分からない。

‪大地讃頌‬(だいちさんしょう)
http://www.youtube.com/watch?v=121pCTmPSq4&feature=related