ちいさな、おはなし。 -36ページ目

ふたりの男

眉間にシワをよせて、必死で怒りをこらえている男がいた。

30代半ばくらいだろうか。色白の、実に端正な顔立ちをしているのだけれど、会社で何かがあったのか、その端正な顔を歪めてひたすら怒りをこらえている。

そんな彼の前に、いかにも文学青年といった風情の学生が立っていた。
古本屋で買ったと思われる、表紙のない黄ばんだ文庫本を夢中になって読んでいる。

この文学青年、「何もそこまで正対しなくてもいいだろう」というくらい、色白男の真ん前に立っている。

その様を客観的にこちらで見ていると、この二人、夜にしてはかなり空いていてスペースたっぷりの車輌内にあって、滑稽なほどに近接して立っている。

それほど近接していても、互いにはまったく目もくれず、それぞれが自分の時間を過ごしていたわけだ。一人は闘い、一人は作品の中に入り込みながら。

色白男の顔がますます険しくなる。
頭の中で闘っている敵のことが、いよいよ我慢ならなくなったのか。

彼の顔が極限まで凶暴になったと思ったそのとき、文学青年の読む文庫本から、妙に情熱的な色合いをしたしおりが、ひらひらと床に落ちた。

青年に気づく気配はない。

では自分が、と思ったそのとき、僕よりも何倍も素早い動作で、あの男が床にしゃがんだ。

しゃがんだ色白男は、信じがたいほど優しく美しい表情を見せながら顔を上げ、真っ赤な色をしたしおりを青年に渡した。

かたやそれを受け取った文学青年、ボサボサ頭を深々と下げて、それは丁寧にお礼を述べたのだ。

色白男は、あのあとも、その心を突き刺すような怒りや悔しさと闘いながら帰路についたのだろう。

文学青年は、大切なしおりをはさみながら、もう一度作品の中に入り込んでいったのだろう。

互いの存在に気づいてすらいなかった二人が見せたこの一瞬の仕草が、僕にはとても眩しく見えた。

心の美しさというのは、隠そうにもにじみ出てしまうものなのではないだろうか。