やまちゃんの続き | フィリピン・アラバンのななつことば

そういえば私は手紙を書くことも大好きだった。

 

 

 

 

誰にも見せない日記は全然続かなかったけど、

特定の誰かに何かを伝える手紙は大好きだった。

 

 

 

交換日記も少しやったけど、それもあまり続かなかった。

 

 

 

特定のグループでやる感じがあまり好きではなかったのだと思う。

 

そもそもそんなに続くものじゃないと思うし。

 

 

 

 

 

 

 

封筒に入れて、切手を貼って、だれか一人に送る手紙の方が断然すきだった。

 

 

 

内にあるものを削るかのように、事柄を文字にしていく瞬間。

 

 

 

その時間は

 

わたしの世界に乱入してくるものが多い生活の中で、

 

 

 

誰にも邪魔されることのない自分だけの尊い時間だった。

 

 

 

お返事のお手紙が郵便受けに入ってるのを見たときのうれしい気持ち。

 

 

 

期日なんてないから

いつお返事がくるかなんてわからないし、

 

そもそも自分も返信が遅れたりするから間隔が開くこともあった。

 

 

でも思い出したようにお手紙がきたり、

自分もふと書きたくなって送ったりしていた。

 

 

 

 

書いてくれたお手紙を読むのは楽しかった。

紙いっぱいに描いたイラストやシールなんかが入れられてたりして。

 

こんなことがあってこんな風に感じたとお互いに書きあって。

 

 

 

秘密を共有している気がした。

 

 

 

 

小学3年の春からわたしは別の小学校に転校した。

 

やまちゃんとの文通はそのタイミングで始まった。

 

(  参照  → やまちゃんのこと  )

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは

お互いそう遠くない距離に住みながらも、

文通を5、6年は続けたと思う。

 

 

 

 

 

彼女は電話が好きと言っていたけれど

ウチは電話にはあまりいい顔をされない家だったので、

 

わたしはお手紙を書いた。

 

 

 

 

 

わたしは書くのも読むのも好きだった。

 

ずっと前から。

 

 

 

 

 

すっかり忘れてたけど。

 

 

 

 

ちょっとべつの話になるのだけど、

 

 

その頃わたしは工作も大好きで、

白い紙とハサミとセロハンテープがあれば

何でもできると思ってた。

 

 

 

何でも作ろうとしてた。

 

 

 

いっぱいいっぱい作っていた。

 

 

 

完璧なモノなんて一度もできたことないし、

一回作ったものを再現できたことなんてなかったけど。

 

 

 

でも

 

ただただ楽しくて。

 

 

 

「器用やねえ」と

大人たちに褒められて、

うれしくて、

調子に乗って。

 

 

 

 

そうだったのに、

私は元々そうだったのに。

 

 

 

 

気がついたら

 

「枠組みがなければできません」

 

なんて言うようになってしまっていたなんて。

 

なんということだろう。

 

 

 

 

 

すっかり忘れてたけど。

 

 

 

 

 

 

どういう訳だか

過去の記憶が洪水のようにどっと押し寄せて来たので、

 

忘れないうちに書いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと昔の

 

小さなわたしのお話。