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この人生を前を向いて生き抜いて 自律神経失調、社会復帰からの根治へ

いじめから自律神経失調になり引きこもり期間を経て、今は社会人八年目です。日々考えていることなどを発散したり、似たような境遇の方と交流ができれば。


自分の何が不満なのかを考えてみた。
結局一番は、寂しいということ。これしかない。
突き詰めると、誰かとつながっていたい。
でも誰かとつながるのが怖い。そういうことなんだろう。

友達ほしい。でも人付き合い苦手。人といると疲れる。
気軽に付き合える友達が欲しい。そういうチャンスはたくさんある。
そういう人も周りにいる。ただ、自分が近づけないんだ。殻を作って。

弱い自分をさらけ出して、仲良くなりたいなら、仲良くなりたいと伝えて。
そういう中で友達はできていくのだろう。

一歩づつ変えてみよう。
まめにメールしてみよう。
フェイスブックで頻繁にコメント書いてみよう。
友達に自分から連絡してみよう。
自分から話しかけてみよう。
奥さんと子供にありがとうと伝えてみよう。

何かがきっと変わるはず。
なんかこんな言い方を勝手に自分でしてるのだけど。
今の状態は心が決まらない。仕事で問題あり、踏ん張り時なのに、
何か心が浮ついてふらふらしている。

最近少し上向いてきたものの、まだ調子がいまいち、こんな時は大体そうだ。
小さな事が気になって、心配だらけになって、迷いが生じて。
心理学の本で読んだ。スキーは怖さで腰が引けたとたんに転ぶのだそうだ。良い例えだと思う。

スポーツなんかしている人は、話していても感じるように、
精神状態が安定していて、何をするにも腰が引けない。
結果として、やったことから失敗しようと成功しようと、
多くのものを得て、成長していく。
腰が引けている人は、得るものが必然的に少ない。

自分は明らかに精神的に弱い方だけど。
そんな自分でも心が決まった状態になることはある。

本当に追い詰められて後がないとき。
スポーツジムで思いっきり汗を書いたとき。
人に勧められて座禅をくんで、一時間目的を強くイメージした時。
信頼できる友人に悩みを聞いてもらったとき。

こういうことで心が決まって、腹を据えてことに臨んで、
いい方向に行ったことが何度もある。

思うのだけど、いわゆる健康的な人は、こういうことを日常的にやってる。
それは心を決めるためとかではなくて、習慣として。

たとえばスポーツマンだったり。悩みをためないうちに友人と飲みに行く人だったり。
うちの親戚は某宗教団体に属していて、毎朝、毎晩読経してる。

だから多分。弱い心は育った環境や、生まれつきのものもあるのだけども。
筋肉のように日常的に鍛えているかどうか。心の浄化やメンタルトレーニングを
することがどんな形であれ日常的に当たり前かどうか。

かなり語弊もあるけども、大雑把に言えば
日常的に朝早起きして散歩する人が、そうでない人より精神的に健全なのは当たり前。
スポーツしている人が、スポーツしていない人より健全なのは当たり前。
悩みをためない人が、ためる人より健全なのは当たり前。

ならば、これらの一つもしていない自分は、望んでこの不健全な精神状態を
保持しているのかもしれない。問題から逃げる生活を続けてきたから、心が弱くなっている。
そうなのだ、という自分なりの確信がある。先日、アドラー心理学の本を読んだら
全く同じようなことが書いてあった。

戦っているようで、戦ってこなかった、問題から目を背けてきた。
心が鍛えられるわけがない。わかっているけども、ここからなかなか自分を
変えられない。一時的に決意して、何かをして上向いても、気が付けばまた戻っている。
ただ、ここからさらに下がることは、ここ4,5年をみても、無くなった。
これが今の自分のベースなのだと思う。

精神科に通い始めて、薬を処方されて、もうかれこれ20年になる。
以前より比べ物にならないぐらい状態はよく、曲がりなりにも働けている。
覚えているのは、昔は社会を敵視して、人を恨んで、周りを責めて。
自分に非があったことも認められなかった。

でも今は違う。状態がよくなったから、考え方が変わったのか。
考え方がよくなったから、状態がよくなったのか。
後者の方が大きいと思う。尊敬できる人たちに会って、
影響を受けて、考え方が変わってきた。

自分の中の可能性も、まだ感じてる。もっとできるし、それを活かしてみたい。
世の中に生まれた以上、自分にできることを精一杯やってみたい。
人に認められるとか、そういうことではなくて、自分なりの精一杯を
生きてみたいのだと思う。尻込みして、うじうじしてそれを
していない自分が嫌なんだ。

心の状態を水に例えると何かで読んだ。
今の状態は、どろどろに濁った水か。澄み切った水か。
澄み切った水の状態で日々を送れるように、
そんな生活を送れるような心構えと生活習慣を作って、
毎日を過ごしていけばいいんだ。

わかってるけど、難しい、簡単じゃない。
ただ、それに向かってやっていくだけ。
もう少しでまた何かが変わる気がする。










仕事の都合で上海にいます。そろそろ5年が経過。

想像と逆かもしれないけども、とにかく何もかもが高い。
当然中国の一般の消費レベルに合わせて暮らせば安く暮らせるのだけど、
やはり慣れた生活レベルから落として生活というのは難しい面があって。
特に子供が生まれてからは食べるものの安全とか、衛生とか日本以上に気を遣う。
日本以上に気を付けた生活をすれば、そのコストは日本よりはるかに高いと。

日本人の幼稚園なんかだと、一か月10万円以上かかる。
どうやって通わせろというんだ。
というわけで娘は中国の幼稚園、公立は無理なので私立にいれているけども、
これも6万円/月かかってる。義務教育ではないとかいう理由で自腹だし。。
普通の日本食を外で食べれば1000円は当たり前。吉野家の牛丼並が400円ぐらい。

環境という意味で言えば、PM2.5も高いし、食べ物は脂っこいものがおおいし、
日本より体に悪いものが使われてるのは間違いないので、最近はここにいることが
特だとは全く思わなくなってきた。

頑張って海外で金ためてマイホームの頭金に、

なんて考えてたのだけど、為替のせいでどんどん給料も下がる。

なんて不満たらたらだけども、そこそこ恵まれた面もあるのは事実。
何より、ここで働いていることは経験になる。

ただ、最近日本の生活が無性に恋しくなってきた。
出かけるところも多いし、車で自由に動けるし。
あと2年ぐらいで変えれるかなあ。

不満も多いけど、ここでの今の生活を楽しむこと!
それが一番大事!
昨日、今日と娘が風邪気味なのでずっと家にいる。
時間つぶしに色々なブログを見て回ってる。

あまりいままで見たことなかったのだけど、
同じような環境の人って結構いるのだなと思う。
どんなこと考えて日々を過ごしてるのかとか、
どんな時に幸せを感じて毎日を過ごしているのかとか、
読んでてほっとする。

前向きな考え方に影響を受けて、少しモノの見方が変わる。
人生、やりたいことができる。そう思っていれば、全てではなくても、
そういう風に人生が動いていく。
人生なんてこんなもんだと思ってしまえば、どんどん自分の可能性を狭めていく。
わかってるんだけど、これを維持するのはまた難しい。

でも毎日願えば、思えば、その一日がその力になっていく。
一歩づつ一歩づつ。

楽しまないで何が人生だ!ってすっごい力強い。
こういう心情で毎日過ごしたいな。

なぜこんなにネガティブ思考にいつもとらわれているのか。
実際問題自分は決して客観的に不幸ではない。
この間読んだアドラー心理学の本によれば、それを望んでいるかららしい。

なんとなくわかる、自分を悲劇のヒーローみたいにしたいようなところがある。
だからいつも自分の生活の中の不幸な点だけを重点に考えて、自分は不幸だ、不幸だ
と考える思い込んでいるような気がする。心の底で、悲劇のヒーローになりたくて、
そう考えていく傾向がある。

好きな漫画、ドラマなんかだと、ワンピースとか、半沢直樹とか、プロジェクトXとか、
そういうものすごい不幸な状況の中で戦っている姿をみて感動するし、
自分もそういう生き方をしたいとおもう。
半面、普通の平凡な生活の中にやりがいとか、生きている実感とかを感じない。

実際に今は平凡な生活といえるのだけども。仕事も忙しすぎず、そこそこ順調。
それじゃ満足できないから、どんどん自分の仕事を増やしているし、人がトライしない分野も
トライして、それがある程度実績になってきている。ただ、これって、精神面からみて正しいのか。
正しくないんだろうな。

今までそこそこ不幸と呼ばれる目にもあってきたけども、
これももしかして自分がそうのぞんだからそうなったのかもしれない。
不幸に酔っているんだな、要するに。

最近平凡な毎日に生き甲斐がなく、夜眠れなくてプロジェクトXのキンドル版
ダウンロードして読んで泣いてる。そりゃその人たちのやったことは感動的なのだろうけど、自分の人生がそうでないからといって、それに生き甲斐を感じないとかなれば、これは不健康。

わかってるんだ。気付いてるんだ。
具体的にどう変えたらいいかわからない。
でも自覚するのはまず第一歩なのはわかってる。

悲劇のヒーローなんてくそくらえ。
この安定した日々こそに意味がある。
友人がそばにいてくれる、家族がそばにいてくれる、
みんなで健康に過ごしてる。これだけで100点満点。
本気で心の底からこう思えたら。自分は変われるのかもしれないな。