この人生を前を向いて生き抜いて 自律神経失調、社会復帰からの根治へ -6ページ目

この人生を前を向いて生き抜いて 自律神経失調、社会復帰からの根治へ

いじめから自律神経失調になり引きこもり期間を経て、今は社会人八年目です。日々考えていることなどを発散したり、似たような境遇の方と交流ができれば。

月曜日、なんとなくやる気が出ないでいる。
週末夫婦ケンカが多かったのが一因だろう。昨晩深夜三時にやっと仲直りした。
子育てで疲れ切ってるように見える。

奥さんも自分の時間なく疲れ切ってるのだろうけど、それを受け止めてなだめるのも
また精神的な余裕が必要で。それが最近あるから何とかなるんだけど。それでも
やっぱりなんか気分が落ちる。彼女も全く自分の時間ないのだろうが、俺もないし。。

明らかなのが、全く手を抜くことを知らず、それがどんどん悪い方向にいってる。
子供が元気である以上、多少手を抜いてもいいと思うのだが。。
子供のことをもっと考える、子供のためという言葉はあまり好きじゃない。

うちの親がそうだったが、結局自分を大事にできないから、全く自分の人生楽しめてなかった。
それを子供のためというのはなんか自分に酔っているだけのような気がして違和感があった。
母親がストレスでどうにもならなくなって神経を病んでいく中、
子供のためと言っているのを聞くのは、子供心にすごく嫌だった。

大人になって、何が嫌だったか、他の家庭を見て分かった。
親の仕事は、自分の人生を活き活きと過ごし、その姿を子供に見せることだ。
子供のために人生を犠牲にするなんてただの自己満足。まあ程度次第だけども。
その後色々な本を読んでわかった。うちの母親が子供に精神的に
依存していただけだったということ。

そう考えると、うちの妻も同じなのかもしれない。
少しづつ話をして考え方を変えていかないと。







今読んでる本。

ヘトヘトに疲れる嫌な気持ちがなくなる本 (中経の文庫) [Kindle版]
石原 加受子 (著)

要点を簡潔に言うならば、
他人中心の考えで、他人の願望を満足させることが価値観の中心になっている人間は、
自分自身の感情を感じられず、満足させられない。
結果として、理由のない不満、不安、自尊心の低さ、自信のなさなどに結びつく。
だから、まず自分の感情を感じて、それをそのまま受け入れること。
そしてそれを少しづつ出していくことが解決につながる。
こんな感じだろうか。


本で価値観が変わることというのを何度か経験したことがある。
ガツンと殴られたような感覚になることもあれば、また少し考え方のヒントをもらって、
実際の生活の中で実感、というパターンもあった。
この本は穏やかに自分の中の価値観の間違いを指摘してくれる、そんな本だった。

自分が何がやりたいのか、好きなのか、ほしいのかまったくわからない、
というのはいつからか気づいてたけども、それをどうしたらいいのかわからなかった。
旨の中にある漠然とした不満、不安、怒り、こういう感情の根本がここにあるようなことも
なんとなくわかってた。似たようなテーマは他の本でも読んだことがあったので。

他の本は五感が鈍っていると表現してあった。五感が鈍り、人間的な能力が落ちていると。
ネイティブアメリカンが行っている精神の治療で、足を土に埋めるというのがあるらしい。
土の感じが気持ちいいとか、日光が顔にあたってとてもすがすがしいとか。夏の暑さのなか感じるかき氷の冷たさとか。こういうのは精神的な安定に非常に大事だと思うし。

飲みに行ったり、バラエティで大笑いもいいけども、
こういう生物的な喜びの方がもっと根源的で。こういうものを多く感じられる人が
精神的に健康な人だと思う。運動何かもその例だと思う。

歩くときもただ歩くのではなく。
音とか、においとか、四季の移り変わりを感じて。
食事をする時も、ただ腹を満たすだけではなく、
においとか、味とか、雰囲気とか、そういうものを含めて
楽しむのが食事。

すぐにはできないけど、
できてくれば多分人生のなにかが変る。
気づかせてくれたこの本に感謝。

上海でもこんなたくさん本に出会えるKINDLEってすごい。


地下鉄サリン事件20年の日、ニュースで麻原死刑囚の三女が顔を出して
テレビのインタビューに答えていた。アーチャリーと呼ばれていた子で、
事件が起きた当時、やたらテレビで出ていたのを覚えていた。

加害者家族と被害者家族の交流をテーマにしたドラマを以前見て、
加害者家族のことについてネットで調べたことがあったが、ひどいものだった。
日本中から責められ続けて、どこにも居場所などない。
ましてや、戦後最悪と言われたあの事件の加害者家族となれば、
どんな人生を送ったのだろうと思ってそのインタビューを見ていた。

誠実に真摯に答えていたように見えたけども、謝罪がない、ということで
批判を受けていた。当時子供だった、何もできなかったであろう人に
謝罪を要求することが果たして社会正義なのだろうかという疑問とともに、
謝罪をしなければ、批判されて当然の中、さらに顔まで出している。
今後大変なことになるのは覚悟の上のはずで、なぜだろうと思って
掲題の著書を買って読んで見た。

サリン事件の被害者の方が読めば腹が立つ部分もある内容だったと思う。
事件の加害者達の人間的な部分がたくさん書かれていた。彼らは絶対悪であり、
生きる価値すらないと思いたい人が読めば、不愉快だと思う。
でも、加害者たちは元々犯罪を起こす要素がないような、むしろ生真面目な
人たちであり、その人達が犯罪を起こすに至った、ここを知ることができる
貴重な資料だと思う。

凶悪犯はただ死刑にしてしまえというのは感情的には理解できるにしても、
深い研究を重ねなければ、今後また起こりうる類似の事件を未然に防ぐ動きに
繋げることはできない。

また、著者たちが受けた人権侵害というのはどれほどのものだろう。
日本社会は自分達の身を守りたいというの面から彼女たちを迫害するのか、
それとも犯罪者家族への制裁という社会正義の感覚のもとに迫害するのか。
ネットなど見てると後者が大きいような気がする。

以前にテコンドーを習ったことがあり、在日の方々と話す機会が多くあった。
みんな素晴らしい方たちだった。色々な差別というのは現在でもあるらしい。
在日の背景を持つ方が犯罪を起こせば、在日という言葉がクローズアップされる。
そして在日の人たちはまた肩身が狭くなる。過去には在日の方々への差別は
もっとひどかったと聞いた。そういう日本社会が、マイノリティの方々の居場所を
無くして、場合によっては犯罪行為に追いやるという面があるのだと思う。
虐げられる人たちの犯罪率が高いのはデータでも実証できるはず。
当然だ、幸せな人は犯罪に走りにくい。

自分が加害者家族なり、出生なりの原因で、社会から迫害され続けたら、
何らかの形でゆがむだろう。自分に怒りを向けて自分を殺しにかかるか、
社会へ恨みを向けて、犯罪的な行為に走るか。
程度はともかく、人間の心理としてこういう傾向は誰にでもあるはずだ。

加害者家族支援、死刑廃止論などを説く人は叩かれやすい。
日本社会は感情で動くし、人と違う意見を持つことが認められづらいから。
でも、こういう人たちこそが憎しみという感情を超えて、次に起きる可能性のある
悲しい出来事を下げる努力をしているのだと思う。
戦争ならば、憎しみの連鎖を断つ、という言葉でそういう論調もあるが、
こういう犯罪単位ではそれがない気がする。

話しが大部それたのだが、本を読んで感じたことは、
著者にとっては日本社会中からの批判から避けるため、
謝罪や後悔、父親への批判などをつづることが一番楽な道だったはず。
でも彼女はそれをしなかった。そこから著者の誠実さと、
誰より真摯に本件へ向き合っている感情が十分に伝わってきた。

年端もいかぬ彼女たちに日本社会が加えてきた迫害は、
自身で犯罪を行っていない彼女よりもよっぽど罪深い。
そういう社会がまた犯罪者を生み出すのに。
そういう論調を作っている人は罪悪感もなく、
社会正義に名を借りて支持される。

以前に人権、環境活動をしている人に会う機会があり、
その人からいろんな話を聞いたことを、今回本を読んで思い出した。あの人のやっていること、
言っていたことは正しいのだと、改めて思った。憎しみを超えてよい社会を作ろうと、それを実行しているのだろう。

著者が生きる社会が少しでもいいものであるように、
そして著者と似た環境の人たちが少しでも
いい未来を過ごせるようにと願わずにはいられない。

何だろう、社会に対して少しでも何かをしたいという気持ちがすごくある。
でもどうしたらいいのかよくはわからないのだけども。すごくもやもやした感情がある。
子供が生まれたからだろうか。この子の生きる社会が少しでもいいものであるように何かするべきじゃないかと、悲しいニュースなどを見ながら感じることが多い。
自分にできることなど僅かだろうけども、それでも何かできるのじゃないか。
よくわからないけど、もやもやする。行動したら何か変わるのかな。