5月6日(土)、ACL決勝、浦和レッズ×アル・ヒラルを埼玉スタジアムで観戦してきた。
試合が近づくにつれて、天気予報が雨から晴れに変わったので、気候もいいし、のんびり自転車で行くことにした。家から埼玉スタジアムまで走行距離で約8キロ、あいにく当日は強い南からの向かい風となり、のんびりとはいかなかったが、40分ほどで到着。それからは手荷物検査にも、アッパー席に向かうエスカレーターにも長い列が出来ており、ようやく席に着くことができたのは17:20頃、周辺席はもう9割ほど埋まっていた。
埼玉スタジアムでACLの決勝戦を観戦するのは今回が2度目、2007年初優勝した時が最初で、その時は息子と娘の2人の子供たちと一緒に観戦したが、今回はチケットを取ってくれた娘と一緒に観戦。レッズメンバーシップの有料会員である娘でさえPCと格闘しながらやっと手に入れた貴重なチケットだった。場所は矢印(黄色)で示したあたり。2007年の時は矢印(白)あたりだったので、発売開始時間の瞬間にそのあたりをねらったが、サイトに繋がらず、やっと繋がってクリックしても、瞬間的に誰かに持っていかれ、そうやってだんだん後退していき、黄色の矢印あたりでやっと確保できた。そう考えると、私たちの周囲は同じような思いをしてチケットを手に入れた方々だったのだろう。
レッズサポーターの決勝戦でのコレオ(サポーターが作りあげる芸術作品「コレオグラフィー」)にはいつも感心させられるが、今回は巨大ジェット機まで動かした。ただ、同じ側のバックアッパーにいた私たちには全く見えなかった。後で確認したがそのジェット機が鯉のぼりのようにうねっている、それだけ南からの風が強かったのだ。こうなると南北に縦長の埼玉スタジアムのピッチでは試合の前後半では風の受ける影響は全く逆になる。このような条件の元、アル・ヒラルが風上を取り18時試合開始。
試合は1-0で浦和レッズが勝利し3度目のACL制覇。試合の内容に関しては、あちこちのネットで詳細にでているので,ここでは省略し。会場で感じたことを述べてみたい。
今回、浦和レッズはこのメンバーでよく優勝できたなというのが、実際の試合を観ての率直な感想。第1戦はゴールポストからの微妙な跳ね返りがあり、この試合は枠内シュート0だ。2007年の初優勝の時はワシントン、ポンテの超優良外国人選手がいたし、その他の日本人選手もほぼ代表クラスだった。(生で見ていたが本当に強かった)2017年の時はFWのラファエル・シルバは頼りになったし、力強い日本人選手もそろっていた。(準決勝まで見たが決勝はチケット取れず断念)今回は、そんなに突出した選手はいない。ただ、全員の守備意識の統一感は感じられた、とくに自陣ゴール近くでは慎重で粘り強い守備を最後まで継続し、反則に取られそうなあぶないプレーはほとんどなかったし、GKも安心して見ていられた。まじめで堅実な選手たちで勝ち取った優勝といえる。
そのような中で一番頼りになったのはMVPを取った酒井だろう。プレーだけではなく、選手同士のもめごと、主審と選手のもめごとが起こる度に割って入り、敵、味方、主審に言葉をかけたり、いろいろなジェスチャーでなだめたりしている、会場でそんな姿を見ていると強豪マルセイユのレギュラー選手であったことを思い出させる、さすがだなーと。このような行動がチーム全体を落ち着かせるのだろう。
次はコレオについて、決勝戦のコレオだが、そのなかのパーツの一人としては、自分たち側の図柄は全くわからない、オーロラビジョンに時々映るのでその時にわかる程度。席の前のボトルケースに赤い紙、白い旗が入っており、各通路に配置されているハンドマイクを持つお兄さんの指示に従い、それらを上に掲げたり降ろしたりする。私たち観客はパーツの1点としてそれを繰り返しているだけで、液晶画面の1ドットになった感じだ。
その模様だが、南側のゴール裏は世界地図とわかったが、北側は何を表しているのが会場ではわからなかった。(さいたま区浦和市の地図だったらしいが、これには?)
上の写真は試合前のセレモニーの様子。私の席からの眺め。
コレオを実行するには、デザインを決め、それを見せるタイミングを決め、そしてそれを観客に指示することが必要。6万人以上の席の一つ一つに色違いのビニールや旗を置いたり、指示係の人員を決まった場所に配置という準備もある。そのためには大勢の人員と大変な作業が必要で、また、屋外なので自然条件にも影響を受ける。そんな中で大がかりな瞬間芸をやるようなもので、関係者の皆さんにはご苦労様と言いたい。当日は南からの風が激しく南側のゴール裏の12が描かれた巨大な旗が風で大きく膨らみ北側のピッチの方に吹き飛ばされそうなシーンもあったが、すべてがうまくいったようだ。使用済みのビニールや旗は降りる階段のわきに置いて帰るようなシステムになっており、閉会セレモニーが終了して帰る頃には山と積まれていた、さすが日本人。
セレモニーが終わるまで会場にいたので、帰りの自転車に乗ったのは夜の9時を過ぎていた。スタジアムから少し離れると、宅地化をまぬがれている田んぼからゲコゲコゲコとカエルの大合唱が聞こえてきた、帰りは追い風になり、また優勝気分なのでカエルの大合唱はここちよく聞こえた。2002年の日韓W杯のため埼玉スタジアムはここに造られたが、以前の住所は中野田といって田んぼが一面に広がっている場所で、夜はほとんど真っ暗だった。ふりかえると煌々と夜空を照らす不夜城のようなスタジアムが眺められた。サッカーという熱狂は風景まで一変させてしまった。