ムスコが小学校6年生のときに不登校になりました。自宅警備及び家事手伝いに勤しんだ日々を振り返ってブログを書いています。不登校はダメじゃない!学校だけがすべてではない!と、言いきれなかった日々は、今は親子ともに宝ものとなっています。
ワタシは好きな仕事をしている。そして、別の仕事もしている。wワークならぬ、トリプルワークの状態。好きな仕事以外は、最近始めたことだ。好きな仕事の待遇が1年経過すると変更があるため、変更があっても金銭的に困らないように始めた。しかし、この中途半端さ故に、真逆の悩みが増えた。1つ目は、好きな仕事で、業務以上の責任を負う場面が増えたこと。2つ目は、別の仕事で、プロ意識の低さを指摘されたこと。セリフにすれば1つ目→薄給のワタシが、高給取りの人間しか決定権のない仕事の決定を迫られなければならんのだ?2つ目→仕事を始めてまだ2週間ですべての仕事を把握しろと?無理だ!と、いう感じ。それもこれも、ワタシ自身が中途半端であるため起こった悩みだ。1つ目は上司が配慮をしてくれたので、責任を負う必要はなくなったが、そもそも出過ぎて仕事をしてしまっていたのかもしれない。出る杭にならないように、周りをみなければならない。2つ目はただの言い訳だ。相手を黙らせるくらい、勉強したらいい。好きな仕事を充実させるために始めたことだから、中途半端を卒業しなければならないんだけど。悩む…。
ウン10年前に行った、小学校の修学旅行先は京都・奈良でした。自閉傾向強めの子どもだったので、いつもと違う行動をせざるを得ない事ばかりの、運動会や文化祭などの行事ごとは、とても苦手でした。当然、修学旅行も苦痛で苦痛で。でも、子どもだったから、何が苦痛か自分でも言い表せなくて「なーんか、嫌だ」と、モヤモヤしながら旅行バックを片手に観光バスに乗り込んだことを覚えています。周りの友だちは「○○くんと同じ班なんだー」とか「お布団は隣同士で寝ようね」とか、終始、嬉し気なのですが、ワタシはちぃーっとも嬉しくない。結局、モヤモヤした気持ちのまま、東大寺の鹿に噛まれまくり、心も体も痛いまま、家路につきました。ムスコも修学旅行や運動会を嫌がるので「気持ちはわかるよー」と、言えることが、小学校の修学旅行に行った、唯一の良い事かもしれません。
我が家には黒柴ワンコ(♂)がおります。家族に迎えて分かったのですが、柴犬という犬は、なかなかに気難しい犬種です。以前、同居していたマルチーズは、お尻をガブリンチョしても怒らずに困った顔をするくらいだったのですが(それもどうかと思う!と、ムスコに怒られました)我が家の黒柴は、後ろ足に触れただけで、ガウガウ怒ります。ネットや動画を見ると、うちのワンコと同様に、触る場所によって、お怒りMaxになられる柴犬ちゃんが多いので、柴犬とはそんな気質なのであろうと、普段は納得しているのですが、換毛期に関してはそうも言っていられなくなります。大量に毛が抜けるから。下手こくと、犬1頭分くらい抜ける。だから、ブラシでとかないと、毛玉をくっつけて歩いているような状態になります。そして、我が家の黒柴はそれを口に入れては、痰が絡んだ時のように「ぐはー!ぐはっ!」と、咳き込むので(アホの子なので)ブラッシングが必須になります。今のところは大丈夫だけど、犬アレルギーに誰かがなるのも嫌だし。なので、今日、久しぶりにブラッシングに挑みました。サツマイモをムスコに持たせ、犬がイモに気をとられているうちに、ワタシがブラシをかけ、小一時間。ワンコはなんだか、少し、細くなりました。そりゃー、こんだけ毛が抜ければ、細くなるよね、と、掃除をしながらムスメが言っていました。その後、疲れたのか、ずっと、ワンコはハウスで寝ていました。わたしたちも、疲れましたけど…。柴犬を家族に迎えた方々、きっと同じ思いをされておられる方がいらっしゃるかと思います。本当に、お疲れ様です、お互い、がんばりましょう( ´艸`)
「お母さんとはこうであれ」と、いうものにとらわれていなかった?と、先日、とある賢人に問われました。ムスコが不登校であったとき、とらわれまくっていました。ワタシ。「学校にいかなければならない」「勉強をしなければならない」「みんなと同じ体験をしなければならない」などなど。お母さんは「素敵な我が子」を思い描いてしまうものだと思います。その思いに罪はないと思います。あだこだ言ってしまうのも仕方ないと思います。ワタシだってそうだったしー。「不登校になるってことは、子どもをほったらかしにしていた、お母さんが悪い」と、思われたくなくて、ジタバタしましたが。(誰もそんなこと言ってないのに、自分でそう思い込んでいました)自分で決めた「おかあさん像」を壊したら、とても楽になったことを、賢人の一言で思い出しました。お母さんも、人の子だ。お母さんが偉大である必要はない。ただ、子どもに「ありのままのあなたが大好きよ」と、伝える事ができたら花丸💮だ、と、思います。賢人に感謝。
先日、ダンナと、10年近く前から続く、義理の実家にワタシが足を向けない点について、じっくり話し合う機会があった。ダンナは「自分の家に親を招くことができない」ことが苦痛らしい。「じゃあ。招けばいいじゃん。ワタシがいないときに」と、言うと、明らかに不満そうな顔をするダンナ。「どうしてワタシがそこにいる必要がある?どう考えても、ワタシとあなたの両親は、お互いにヒドく気を使い合う関係ではないか?お互いギシギシした関係なのに、一緒にいて何の良い事があるの?」と、言ってみたが、納得できないらしいので、しゃーなし、ワタシは言った。「その人間関係を調整するのに一番気疲れするのはアナタではない?そんな状態で家に招いたらしんどくない?」そしたら、ダンナは「そうか。それはしんどいな。」と、納得した。人間は不利益な状況が自分に降りかかると思うと、ソッコー逃げるよな( ´∀` )しかし、10年近く前から始まったワタシの「義理実家訪問拒否運動」を、なぜ今更蒸し返すのか??そう思ったので、ダンナに聞くと「なんでいきなりウチの両親に会うのを嫌がり始めたのかが分からなかった。騒動の最中に聞いても、自分のキャパを超えて喧嘩になると思った。もう時間が経っているし、冷静に聞けると思ったから、今、聞こうと思った。」とのこと。さよか。まあ、10年越しにお互いが納得できる話し合いができて、ワタシは良かったけれど、やっぱり、思ってしまう。今更??…。
ダンナの調子が悪い以前の鬱っぽい感じ。ムスコもムスメもワンコもダンナに気を遣う日々。今日、ダンナにあまり「ワンコのお世話を自分だけがしている」と思わせないように、子どもたちにもワンコのお世話に参加するようお願いをした。その話のなかで、ワタシが「ママもがんばるからさ。協力してね。」と、お願いをすると、ムスコが「おかあさんは、がんばらなくていいよ。いつも頑張ってるから。病気になったら大変。家事なら僕ができるからさ。」と、言ってくれました。泣けちゃうでしょうよワタシのムスコに生まれてきてくれてありがとう。心の底から思いました。で、今夜はムスコが肉そばを作ってくれました。おいしかった!ちなみに、ムスメは「ママ!応援しているよ」と、エールをくれ、ワンコはいつも以上にお利口さんで散歩に行ってくれました。
昨日、友人とお茶をしていたとき、ムスコの話になりました。そして、ムスコが不登校であったときの話になり、友人が不登校の原因と、また再登校できるようになった要因について、一緒に考察してくれました。二人であーだこーだと話した結果①友だちや先生に恵まれたこと②人と自分の考えや価値観は違うことに気が付けたことではないかという結論に至りました。2点とも、誰にでもあてはまるセオリーではないので、あくまで、ムスコの場合なのですが、私はムスコは②が最大の良かったことなのではないかと思います。ムスコの場合、小さいころからヨイコで来てしまい「正しい自分の言うことに賛同しない悪者」が許せなかったようです。けれど、不登校期を経て、彼は「100%の悪者なんていない」「価値観が違う人はたくさんいる」「正しいことは時に正しくない」「自分の正しさは人にとっての正しさではない」など、それまでにはなかった考えを受け入れることができるようになったようです。彼の言葉を借りれば「へらへらしてやり過ごす」ことは、不登校期の彼にはできなかったのだろうと思います。彼が、自分を客観的に見て、どうすれば楽しく過ごせるかに気が付けて本当に良かった。
今日は、ムスコとムスメの学校の始業式です。例年、始業式の前日になると「明日の持ち物確認した?」と、子どもたちに声掛けをしていたのですが今年はなんと「何言ってんの?3月中に準備はしておいたから大丈夫」と、返事が返ってきました。どおりで、今日は雨な訳だ。元気に「行ってきます」と、学校に行きました。クラス替えで、大好きな友だちと同じクラスになれますように!と、母も祈っています。そして、どうかどうか、ムスコとムスメが今年も学校で楽しく過ごせますように。
中学1年生になり、時々息切れを起こして休みはするものの、学校に通いだしたムスコ。学校の様子を聞くと、たまにムカつくことはあれど、そこそこ楽しくやっているそうです。四角四面で頑固な性格のムスコがムカつく事に対し、どんな態度をとっているのかが心配になり、恐る恐る聞いてみると「大丈夫。基本、ヘラヘラしていたら喧嘩にはならないから」と、言っていました。成長したようです。ムスコ。小さいころは上級生にも「正しいこと」を言って殴られていたのに。担任の先生からも「いつも笑顔で周りの人の話を聞いてくれる」と、お褒めの言葉をいただいたのですが。先生、ごめんなさい。ムスコは「ヘラヘラしている」だけのようです。それでも母は嬉しい。君が笑顔を見せてくれるから。
中学にあがっても、ムスコは学校を休むことが度々ありました。まあ、焦っても良い事はないと静観していました。ある日、ムスコのクラスで、ムスコが休んだ日に配布されたプリントを提出するように、教科担当の先生から指示があったそうです。ムスコは学校から帰ってくるなり「休んでいたからもらっていないのに、酷い!」と、怒っていました。それを聞いて、一瞬、それを言うことが正解なのか躊躇しましたが、思い切ってムスコに言ってみました。「それは、世の中的には、休んだやつが悪いと言われてしまうのだよ」と。「え?それが病気であっても??」と、ムスコが少し怪訝な表情で言うので、喧嘩になるのを覚悟で言葉を重ねました。担当の先生は、ムスコ君に「休んでくれ」とは言ってないでしょ?それから、休んだ次の日に、提出物の確認をしなければいけないのは誰だろう?そして、配布されていないことに気がついた後に、ムスコ君は先生に頂いていないことを伝えているかな?未提出だと、評価は0点になってしまうけれど、先生に、友だちにコピーをさせてもらって、後日、提出をしても良いか、確認はとったのかな?そこまで言うと、ムスコは「うーん」と、うなり、少し考えた後で自室に入って行きました。あくまで、真面目で褒めてもらうことが何よりうれしい性格の我が息子の話なのですが、この一件は、休むことのリスク回避について、考えるきっかけになったと思います。仕事の関係で、中学生のお子さんの課題に対する姿勢や、苦手意識がある物事に対する取り組み方を拝見する機会が多いのですが「課題を提出期限までに終わらせる」「できない事は人に聞く」等、社会に出た後に必要なスキルが足りないお子さんが、ワタシの子ども時代に比べると多いように感じます。(あくまで、私見)また、病気などの理由から仕事を休む場合に、自分がどうすれば周りに迷惑をかけずに済むのかを考えられない後輩が増えているとダンナが言っておりました。仕事に穴が空いても「それを調整できない職場や上司が悪い」と言うとも言っていました。様々な事情や理由から学校に行けなくても、困難を乗り越える力をつけること、人のせいにしないことは、必要だと感じました。ただし、学校に行っていてもできない人はできないので、あんまり不登校は関係ないかもしれませんね。後日、ムスコが「担当の先生に話して、できたら提出することでOKをもらったよ」と、報告してくれました。
この前、何気なくテレビをつけると、映画「かがみの孤城」が放送されていました。いじめられて傷ついて、不登校になっている主人公を見ると、かつてのムスコの暗い表情を思い出しました。(あと、登校させようと焦る主人公のお母さんを見ると「アカンでー!オカン!!」と、つい口に出てしまった)いじめって、本当に残酷。何が残酷かと言えば、いじめている方は自分がやっていることが、いじめられた子の心を酷くえぐっていることに気が付いていないこと。誰かをいじめている子どもに、この物語を見てほしい。自分がどれだけ残酷なことをしているのか、ほんの少しだけでも気が付いてほしい。客観視できるのであれば、自分には関係ないと思わずに、ほんの少しだけでも考えてくれるのであれば、と、願う。法改正をして、いじめた側を出席停止にするとか、出席停止の間は奉仕活動をするとか、高校の内申点を大きく減らすとか、二度といじめなんかするもんかと思えるペナルティを実施してくんねーかな。かがみの孤城 上 (ポプラ文庫 日本文学 421) [ 辻村 深月 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}かがみの孤城 下 (ポプラ文庫 日本文学 422) [ 辻村 深月 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【送料無料】映画『かがみの孤城』【通常版】/アニメーション[DVD]【返品種別A】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
ムスコが不登校になって、ワタシが一番気になったことは、ムスコと周囲の子どもたちの間で「いじめ」が起きていて、ムスコがその当事者になっているのではないかということでした。実際、ムスコの仲良くしていた友だちが、いじめに遭い、不登校になっているとムスコから聞いていたからです。恐る恐る、ムスコに聞いてみると「それは違う」とのことでしたが、ワタシは心底それを信じていたわけではありません。ワタシも子どものころいじめられたとき、親にはなぜか自分がいじめられていることは言えなかったので。いじめられている自分を、親に伝えることは勇気がいります。自分の尊厳も傷つくし、親を悲しませてしまうし。今思うと、ワタシはここでも失敗したなーと後悔しています。いじめられているかどうかなんて、ワタシがムスコに聞き出すことではなかったな、と。ワタシはワタシが安心するために聞きたかった。その欲を満たすためにムスコの心をえぐってしまった可能性があったなと。あの頃は認めることができなかったのですが、ワタシは母としてやってはいけなかったことをしてました。
ムスコが不登校のときのことを振り返って言っていた、印象に残る言葉。「あの日々があってよかったよ。必要な日々だった。」「あの時は、何も考えることができなかった。考えることすらしんどかった。ただ寝ているだけでもね。」彼の中では、すっかり整理されて、ふりかえることができる過去になったようです。「家にいたおかげで、家事の腕も随分上がったしね。」とも言っています。ムスコ、すっかり料理上手になり、パンもウドンも小麦粉から作れます。家庭科の裁縫では、学年で一人だけ満点だったそうです。玄関の壁紙も張りなおしてくれました。もともと手先が器用なので、すっかり家事は特技になりました。でも、学校については「今も、辛いと思うこともあるよ」と、言っていました。でも、それでも、ムスコがワタシにそれを言ってくれるようになったことが嬉しいです。ワタシも、あの日々に今は感謝ができます。辛かったけどね。
ムスコが不登校になってから、しばらくのこと。ワタシがムスコに話しかけると、ムスコは無言でワタシを睨みつけることが多くなりました「話しかけるな」「うっとおしい」「あっちへ行け」全身でワタシを拒絶している様子は、ずっと昔に読んだ「積木くずし」の主人公のようでした。主人公:由香里は、芸能人の娘であることから人間関係のもつれが生じて非行に走ります。ムスコも、ひとつ間違えば、非行に走っていたかもしれません。主人公:由香里が、両親に「自分の方を向いてほしい」「愛がほしい」と、思っていたように、ワタシを睨みつけることで自分を受け入れてほしかったのではないかと、今は思います。昨日、ムスコが「ムスメ(妹)を贔屓している」と、怒ることがありました。小さいころから、妹ばかりがワタシに愛されていると思っていたことも、不登校の時に話してくれました。そんなムスコの気持ちを聞いて、気が付けなかった自分が酷く情けなく、ごめんなさいと謝ったことを思い出しました。だから、「ねえ、ワタシがどれだけムスコの事を大好きか知らんやろ?」と、言ってみました。「何言ってんの??」と、照れくささでアウアウ言ってましたが、ちょっと嬉しそうなムスコ。どれだけ大きくなっても、子どもに対して愛情はストレートに伝えなければならないな、と、改めて思いました。積木は決して、崩してはいけない。【中古】 積木くずし 親と子の二百日戦争 完全復刻版 / 穂積 隆信 / ケイツー [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【中古】 積木くずし 続 / 穂積 隆信 / KADOKAWA [文庫]【ネコポス発送】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
もう1年前になるのですが、卒業式の事。6年生の3学期から、ムスコは休み休みですが学校に行き始めました。たまに息切れをしたら、休み、チャージができたら学校に行き、と、綱渡りチックではありましたが、なんとか卒業の日を迎えることができました。正直、卒業式に行くことは難しいのではないかと思っていました。だから、夫婦でスーツを着て、ムスコが卒業証書を受け取る瞬間を見た時には涙が止まりませんでした。「よく頑張ったね、うれしいよ、本当にありがとう」を、一日中ずっと、繰り返し繰り返し、ムスコに言っていました。ムスコの心を支えてくれたA君と、A君のお母さんに会った時には、泣きすぎていたらしく「恥ずかしいわ」と、ムスコに怒られました。でも、お二人にワタシから、どうしても「ありがとうございました」が、言いたかったので、お会いできて本当に良かった。全てに「ありがとう」しかない、佳き思い出となりました。
1年経ち、ムスコはこの春、中学2年生になります。学校には何事もなかったかのように行くことができています。たまに思い出したように「行きたくねー」と、言うことがありますが、以前のような悲愴な表情ではありません。時折、仕事で不登校の子どもと話すことがあるのですが、あの時のムスコの様子によく似た表情を浮かべる子どもがいるたび、胸が締め付けられそうな気持になります。どうすればいいかなんて、子ども自身には分からないこともあるのです。「学校なんて行かなくていいんだよ」って、大人は言いますが「行きたいと思っているに行けない」子どもには酷な言葉だろうなと思います。子どもの気持ちも様々で、魔法のように子どもの心を救う言葉なんぞはないものだと思います。そうとは理解しつつ、それぞれの気持ちに寄り添う言葉を探してはいますが、盛大に空振りする日々です。ワタシがほんの少しだけ、不登校について分かったことは、我が息子の心情の一部のみであって、他の子どものことはサッパリ分からないです。ただ、ほんの少しだけでも、ムスコや学校に行きにくい子どもの笑顔を引き出せたらと思いながら、言葉を選ぶ日々です。
昔、雪が降る場所に住んでいたころ、給湯器の排水箇所が凍ったことがありました。幸い、破裂はせず、ホッとしたのですが。今日、我が家の給湯器に雪マーク☃️が付いていました。ぎょもう、滅多に雪が降ることはない土地にいるのに、未だに凍らないかビクビクします。寒波が来ても、氷はいらぬ。
ムスコ、今日も学校に行けました。朝、なかなか起きて来なくて、「今日はもうアカンかな?」と、思っていたのですが、あえて声はかけず、行くか行かないかは、本人に任せようと思いました。どんな結果でもヨシ!(そう思いつつも、内心「行ってほしい」と、思っていますが。)そのままワタシは、「行ってきまーす」と、言って、仕事に行きました。仕事が終わって家に帰ると、笑顔のムスコとムスメが家におりました。「おかえりー!学校で使っている上履きがサイズが小さくて、履けないから買って!」と、ムスコ。買うたるがな!靴の1足や2足や3足!!ムスコ、今日も頑張りました。笑顔だけで100点満点です。
ムスコは「ええかっこしい」です。昨日、ムスコが「学校に行く」と、言ったときに、エネルギー切れが心配になり「あんまり頑張らなくていいよ。1時間、いや30分で帰ってきてもいいよ。」と、言うと「明日、5,6時間目は大掃除やねん。久しぶりに学校に来たくせに、給食食べて帰ったら、感じわるい人になるやん。」と、言っていました。病院で社会福祉士していたときに、もう体起こすのも一苦労なのに、認定調査のときに調査員さんに「歩けますか?」と聞かれて「歩けます!」って言う、ご年配の方を思い出しました心がしんどくて、お休みしていたんだから、ええかっこしなくていいのに。無理せずマイペースで行けばいいいのに、と、思っていましたが。有言実行して学校に行ってきましたよ。ムスコ。頑張りました。
ムスコは友だちA君とオンラインゲームで連絡先を交換して、電話をするようになりました。そして、LINEで話をするようになり、学校の事を教えてもらっていました。子どもを取り巻く状況において、ゲームや携帯は悪しきものの象徴のように語られがちですが、イヤイヤそんなことはないと、実感しました。ムスコと外の世界をつなぐものは、一時期、ゲームと携帯だけでした。でも、それがあったから、ムスコは一人ではなかったのではないかと思います。でも、何より、ムスコが戻ることを待ち続けてくれたA君に感謝今日、ムスコに変わらぬ笑顔を向けてくれた、学校の皆様に感謝A君には、今度、家に来てもらって美味しいものを振舞いたいと思います。