シェイクスピアの生家:ストラトフォード・アボン・エイヴォン② | それでも旅に行きますか?

それでも旅に行きますか?

旅行での失敗談、体験談そして、感じたことを綴ってます。海外でも、日本でも「暮らすように旅をしたい」と願ってます。その土地の人とのふれあい、感じた思いを共有できたらなっと思っています。

ストラドフォードの街は、どこもかしこも「シェイクスピア」の名前が付いている。それで道に迷った。「スマホ使っているのか?」っと言われそうだが、適当に回っていれば、目的地に着くだろうっと思うのが先なのだ。

 

道行く人に聞きながら、歩くのも楽しい。が、人影のない交差点に入ってきたので、いい加減なんとかせねば・・・っとスマホを取り出した。

 

便利だわ・・スマホ。

 

スマホに連れられて、シェイクスピアの生家のあるヘンリー通りに出た。町の中心だ。

人もいっぱいだし。道の両脇は、おみやげ物屋などが並んで賑やかだ。

 

こんな場所があったのね。

スーパーの通りしか知らなかったから、びっくりだ。

 

そして、生家のあるシェイクスピアセンターに到着。

ここから入場し、展示物と生家の中が観れる。噂では、いつも行列ができて、入場するのが困難だと言われたいたが、この日は行列はできていなかった。でも、連れと私は入らなかった。「どうする?」「演劇が見れるわけでもないんだよね・・・。外観見れるからいいか・・・」という会話がなされた。

 

「シェイクスピアの原点を見るのではなかったのか!」っと自分に問いただしたいが、実は、この日の午前中に、ヒドコートマナーガーデンに行っていたので、「No more お庭」って感じだったのだ。

 

ですので、せめてシェイクスピアのご堪能くだされ。

さらに、前面からの写真。

1564年にシェイクスピアが生まれた家の外観である。年代を感じるハーフディンバーのしっかりした建物は、シェイクスピアの父が自宅と仕事場として購入したらしい。

 

1564年代の日本は、戦国時代も終わりの頃に差し掛かる。織田信長が、1571年に比叡山焼き討ちを実行。そろそろ安土桃山時代になる。

 

この建物はその前からのもだろう。建物も価値があるし、それにシェイクスピアの名前もつくので、確かに世界中から観光客が来るはずだ。

 

この建物のその少し先におみやげ物屋がある。実は、そこからシェイクスピアの家のお庭が見れます。その写真がこれ。

素敵だなぁ。イギリスっぽい、自然な感じだけど、手入れの整った庭だ。おみやげ物を買うのも忘れて、その窓から庭を眺めていた。

 

では。