【Myストーリー①】貧しさゆえの猛勉強と大学合格,そして悲しみの底へ | MYウェルビーイングな暮らしを

MYウェルビーイングな暮らしを

私らしく,健やかで豊かな暮らしを応援する保健師です!

こんにちは,Mariaです。

 

 

ご訪問頂きありがとうございます。

 

 

初投稿は

私の人生の中で

自分らしさを象徴する出来事

(特に失敗や苦しい経験)から

私が感じたこと,思ったことを書きます。

 

 

この出来事への解釈が

私の価値観(思い込み)をつくり

幸せなことも

そして不安や悩み

(事実に対する自分の反応)

も作り出しています。

 

 

よかったら

Myストーリー編を読んで頂けると

嬉しいです♡

 

 

*******************

 

 

1970年代,第二次ベビーブーム

「巨人軍は永久に不滅です-」が流行る時代

 

 

 

山口県のコンビナート照明が美しい町で

自営業の父,専業主婦の母の元に生まれた。

3年後に弟も生まれ,4人家族となる。

 

 

父は町の通りに小さな宝石店を構えていた。

家計は常に厳しかったが,

憧れのマイホーム

(9世帯が入る分譲マンション)

は手に入れた。

 

 

父は幼い頃に遊具で背骨を痛め

それ以来身長が伸びなくなった。

私が思春期の頃,父の身長を超える。

 


母は経済的に苦しい家庭環境で育ち

働きながら夜間の定時制高校で学び

二十歳すぎで父と結婚

 

 

母は大学進学の夢をもっていた。

しかし,それが叶わなかった。

貧しさから抜け出すためには

勉強しかないと

子どもの教育費は惜しまなかった。

 

 

幼稚園では室内遊びが好きな子

公立小学校に入学し,夢は漫画家

4年生からトランペットを始め

高校卒業まで吹奏楽部

地域のボランティア活動部にも所属

 

 

母は弟が小学校入学後から

働き始めた。

手に職がなく,薄給が恥ずかしいと

言っていた。

体はクタクタでも家事は

手を抜かなかった。

 

 

母が勤めに出始めるようになって,

お金の問題

夫婦喧嘩が起こるように

 

 

お金さえあれば

もっと幸せになれるのに

 

 

お金を稼ぐために

勉強しなければ

 

 

私が猛勉強をする理由は

そこにあった。

 

 

公立中学校に入学し

学区トップの公立普通高校へ進学

生物と日本史が大好き

 

 

無医村地域で働く方の姿に感動し

恵まれない子どものために働きたい

と看護職を目指し,大学進学

 

 

本音を言うと,父が

看護師は稼げる!

公務員が一番いい!

との助言があったから。

 

 

人の役に立ちたいというのは

二の次であった。

 

 

世帯の経済状況は厳しかったため

奨学金と授業料免除を得て通学

バイトも家庭教師など様々経験

 

 

念願の看護学が学べる

(高給取りになれる)

大学に入学し,

楽しい大学生活を送っていた2年次秋

 

 

突然,私はこれまで経験したことがない

深い悲しみに包まれる。

 

 

*******************

 

 

 【Myストーリー②】父の死,そして本気で看護職になっていくまで

に続きます。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

Maria