この前のはるラボミーティングでのテーマの一つ、
「怖い」を体感の悪さにカウントしないということ。
先日とあるメッセージを見て、
顔が思い浮かんだ友人に「どう?」って提案をしたら、
すごくドキドキするとのこと。
その時、思ったんです。
怖い気持ちはギフトがあるから
だと。
おんなじメッセージを見た私は、なーーんにも感じずただスルーする。
でも、そこに「やってみたい」を感じる人はドキドキと怖さを感じている。
ドキドキできることがある友人が
なんだかとっても羨ましかった。
(私は興味のある分野少なめの人)
ハナから無理だと決めつけることで、
怖さを感じなくなっているというケースもあるけれど、
「怖い」という感覚の裏にはその人にとってのギフト、つまり才能があって、
体感覚の良さと同じく「本当の願い」を知らせてくれるもので。
「良い」「悪い」を超えて体感覚があるということそのものに、
とてもあたたかい気持ちを感じました。