MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の9日目~10日目のまとめ。

 

【9日目】 2017年12月14日(木)放送
旅の内容:●日本最古といわれる白浜温泉へ▲戦争の愚かさを未来に伝える平和公園■近大が世界に誇る水産研究所を見学★貝さまさま?!紀州藩お墨付きのお寺☀露天風呂から今日こそ見えるのか?夕日に染まる絶景

 

スタートは和歌山県田辺市・利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ]。ゴールは和歌山県白浜町・白浜温泉[崎の湯]。約16キロの道のり。

 

午前7:30、和歌山県田辺市の『ガーデンホテル ハナヨ』の前からオープニング。「おハナヨございます・・・。」と、くっすんのあいさつ。前回のロケを振り返り、お天気が悪く、ゴールの利三郎温泉のお風呂から、夕日が見れなかったことを心残りに思う2人。

 ロケ日の天気予報は、晴れ時々くもりであるが、今回はゴールの白浜温泉から太平洋に沈む夕日を、視聴者にお届けできるだろうと意気込む2人。「今日は絶対(夕日を)見せてあげるからな。」と視聴者に約束するくっすん。 

 

午前7:40、気温は5度と、平年並みの気温。河田アナは、「なんとか夕日が見たい。」と切なる思いを語る。何故なら、「今日は残念ながら雲がかかってますけど、まあ、これはこれでキレイですよね。」と毎週言ってるから。編集で、お天気の良い別の日に、スタッフさんがわざわざ行って撮ってきた映像を盛りこむが、河田アナは「ごまかしやからな、アレ。」と本音を語る。

 

午前8:00、自転車に乗って颯爽と通学する学生さんを見て、元気を分けてもらう。

 

スタートから2.5キロ、むかえらファンの高校3年生男子に、声をかけてもらう。くっすんが自分の印象を聞いてみると、「たまに馬鹿やってるかんじが・・・。」と言われる。笑っているくっすんに代わって、河田アナがしょっちゅう(馬鹿やってるん)ですと答える。その後、「いつも、何十キロ歩いて、すごいなと思ってる。」と褒められ、大人顔負けの構成を考えたコメントに、感心する2人。

 河田アナが志望校をうかがうと、和歌山大学で、小学校のときに素晴らしい先生に出会って、教育学部を目指しているとのこと。受験生は、思いもよらぬ出会いで非常にビックリしていたが、大変喜んでくれた。

 

 海岸線を南に快調に歩き、

スタートから6.5キロ、県道から脇道にそれ、

午前9:40、『鳥の巣 平和公園』に到着。入り江の反対側の山に、7つの洞窟がある。洞窟内に復元されたボートがある。

 

 この公園は、もともと第二次世界大戦のとき、軍事基地としてつかわれた場所である。田辺湾に侵入してくる敵艦を想定して、本土を守るため、ボートと爆薬を洞窟に隠した。爆薬を積んだボートで敵艦につっこみ、乗員もろとも爆発させる作戦を予定していた。

 この公園は、戦後70年にあたる2015年に、地元の保存会によって開園した。

 

 保存会の理事長である白井さんに、ボートの前でお話しをうかがう。ボートの名前は、太平洋で敵を震いあがらせるという意味から、震洋(しんよう)と付けられた。戦争末期で鉄資材の不足のため、船体はべニア板が用いられた。

 ボートの後部を見ると、人一人がやっと乗ることができる、狭いスペースが設けられている。

 

 田辺では、結局震洋の出番はなかったが、隣町では少年兵が10人ほど待機していたという記録が残る。第二次世界大戦の終盤に、6,000隻以上作られたという震洋は、アジア各地で使用され、多くの少年兵が命を散らした。

 

 戦時中、小学3年生だった白井さんは、アメリカの小型戦闘機『グラマン』に遭遇して、危なく命を落とすところだった。必死に妹をかばいつつ、さつまいも畑に隠れた。 

 震洋という非人間的兵器のため、多くの少年の未来が絶たれたというような、戦争下における恐ろしい空気を、いまの若者や子供たちはあまり知らない。それは、幸せなことかもしれないが、体験した戦争の愚かさ・悲惨さを、未来に残し、伝えて、日本で戦争で悲しい思いをする者が2度とでないように、という白井さんの思いを、重く受け止める2人であった。

 

午前10:30、スタートから8キロ、和歌山県田辺市から白浜町へ入る。

 

スタートから9キロ、午前10:50、西日本最大級の海鮮マーケット・『とれとれ市場 白浜店』に、早めの昼食がてらに立ち寄る。平日なのに、かなりお客さんが入っている。

 建物の中に入ると、お土産屋さんのパンダの顔のついた、キャップがかわいくて、真っ先に手にとりかぶる、くっすん。キャップがかわいいことに、河田アナも共感する。お店では、和歌山県の様々な特産品や、全国から仕入れた旬な魚介類を販売している。

 マグロコーナーで、マグロの解体ショーを見学し、迫力に圧倒される(くっすんは、マグロのかしらとしっぽを購入して家に持ち帰り、嫁を困惑させた)。

 

 イートインスペースのある、とれとれ横丁にて昼食。河田アナは『堅田丼』プラス『あら汁』を、くっすんは『煮魚定食(カレイ)』プラス『鯛の身とヒラメの肝和え』を食べる。ご当地グルメの堅田丼は、はまちと鯛の刺身に、ヤマイモと卵を加えたどんぶり。くっすんは、長らく食べてなかったカレイの煮付けの、美味しさを思い出す。新鮮なお魚を安くたくさん食べられて、大満足。

 

午後0:40、スタートから11キロ、大阪から旅行にきた、おばちゃん3人組に出会う。観光バスで来て、お昼ご飯を食べるところで、コンビニに向かう途中とのこと(バスにもう2人、連れがいる)。今日の目的地をうかがうと、「白浜温泉・・・。」やら「ただ、しゃべるだけ・・・。」とか同時にしゃべるので、河田アナはたじたじになる。

 昔のパート仲間?繋がりで、相手を思いやる気持ちで、40年近く友達関係が続いているらしい。

 

スタートから11.5キロ、『近畿大学 水産研究所第一養魚場』の看板を、道端に発見する。養殖のパイオニア『近畿大学 水産研究所』を取材する。近畿大学は、全国7か所に水産研究所をもち、和歌山県に5つの研究所が集中している。

 

 研究所の方に、育てたお魚ちゃんを見せてもらいながら、詳しいお話しをうかがう。

 白浜では、マダイ・シマアジ・ブリなど、約10種類の魚が養殖されている。卵から人工飼育して、大きくなるまで育てる。近畿大学では、ヒラメをはじめ、18種類の魚を、世界で最初に、人工ふ化から稚魚生産にこぎつけた。

 

 近畿大学が水産分野で世界初を連発する、ワケをうかがう。近畿大学初代総長・世耕弘一が終戦間もないころ、捕る漁業ばかりでは食料不足がおこるのでは、と懸念して、魚の養殖を研究したのがきっかけという。以後、地道な研究が70年も白浜で続けられ、続々と研究の成果が実ってきた。

 

 いけすで泳ぐ、クエを拝見する。平成20年に、養殖クエの量産化に成功した。

 

 さらに今注目されてる技術が、交雑。異なる種類の魚で、卵と精子をかけあわせる。近畿大学では、クエとタマカイを交雑させ、クエタマなるハイブリッド魚を作りだした。「ぐでたまやったら知ってますけど・・・。」と初耳なくっすん。

 いけすで泳ぐ、クエタマを拝見する。さきほど拝見したクエと同じ5歳なのに、一回り・二回り大きい。クエタマの魅力は、味は高級魚クエと遜色ないのに、タマカイの成長速度が早いという性質を持っていること。

 

 いけすから網ですくい上げた、5年物のクエとクエタマを見比べると、大きさの違いは一目瞭然。近畿大学では、これまで18種の交雑魚を誕生させた。

 河田アナがくっすんに「こんな魚作ってもらったら、嬉しいなとか、あるんじゃないですか?」と聞くと、ウナギイヌに会ってみたいとのこと。さすがに、犬の繁殖は専門外の近大。

 

 クエタマは、生産がまだまだ不安定で、改良の余地が多々あるため、これからもっと研究して、安定的な供給を目指している。

 

午後3:00、スタートから13.5キロ、海岸の道路から、白良浜の北にある観光名所・高嶋(通称・円月島)を望む。日本の夕日100選に選ばれるほどの風景で、見る角度によって、真ん中の穴に夕日が収まる。

 

午後3:10、スタートから14キロ、本覚寺(通称・貝寺)に到着。本堂の前にて、河田アナが、貝寺と呼ばれる所以を説明する。

 江戸時代、地元の漁師たちが、魚と一緒にとれた珍しい貝を、本覚寺に奉納していた。1650年に、紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣がお寺を訪問した際、貝を見て感激したとされる。それ以来、歴代藩主が白良浜の別荘地を訪れたときに、お寺を参拝し、貝を見る風習が続いた。

 

 本堂の隣にある貝類展示室を、ご住職に案内されて拝観する。展示室は、約1,000種類・30,000点の貝殻が展示されている。拝観無料で、午前7:00~午後4:30まで。

 白良浜あたりで多種多様な貝が捕れるワケは、黒潮の影響で、奄美大島周辺の貝が流れ着くため。

 

 数ある貝の中で一番の注目は、お寺の名前を冠した『ホンカクジヒガイ』である。江戸時代に採れたモノだが、昭和4年に京都帝国大学(現:京都大学)博士・黒田徳米が本覚寺を訪れた際、未分類のこの貝に気づき、命名した。

 昔はいたるところで採れていたというホンカクジカイ、現在はほとんど見つからない幻の貝となっている。

 

 貝に続いて、最近修復された、江戸時代の絵巻物を拝見する。絵巻物には、本覚寺の住職が、紀州藩の8代藩主・徳川重倫の元へおもむき、珍しい貝を献上する様子が描かれている。1661年以降、年に1度、和歌山城にて貝を献上する行事が行われたという。

 重倫は、献上された貝に満足し、「なんなりと申せ。」と住職に言った。それならばと、住職は大きなお寺にしてほしいと願い出て、お寺をゴージャスにしてもらい、紀州徳川家の家紋をつかうことまで許された。まさに、貝さまさまで、「貝をあげたカイ(甲斐)、ありましたね。」と、くっすんがダジャレを言って、満足する。ご住職に、「素晴らしいです。」とダジャレのお墨付きをいただく。

 

 午後3:50、ゴールで夕日が見られるか、空模様をうかがいながら歩く。河田アナが、水平線の上に広がる、雲と空の具合を見て、夕焼けの見られる公算が大きいことを、丁寧に説明する。くっすんの方へ振り返ると、一人で先にずんずん歩いていたので、「おい、聞いてないやんか。」とキレイにツッコむ。

 

 白良浜のビーチの前に立ち、空と太陽が織りなす絶景を満喫する。夏は海水浴でごった返す海も、冬は静かである。白浜は、大正時代から観光地として整備され始め、昭和20~30年代に、新婚旅行のメッカとして人気を集めた。

 現在、白浜で、50か所に源泉が湧き、約140軒の宿泊施設が建ち並ぶ。

 

スタートから約9時間、源泉の横を通り、

午後4:20、スタートから16キロ、ゴールの白浜温泉[崎の湯]に到着。『崎の湯』は、雄大な太平洋が真近に迫る露天風呂。

 脱衣所から屋外に出ると、波音高い太平洋に、度肝を抜かれる2人。海からちょっと離れた場所に、日本最古といわれる、波の浸食によってできた岩風呂がある。さらに海に近い場所に、岩風呂があり、2004年に造られた。

 

 せっかくだから、より海に近い新しい岩風呂に、感情の高ぶったまま浸かる。冷たい外気温に、ほどよい温度の温泉で、超絶気持ちい~い

 そして、ついに、太平洋に浮かぶ夕日を、岩風呂から眺める。今日は、河田アナの十八番・「これはこれでキレイですよね。」を言わずに済む、文句のつけようのない夕日である。そして、まるで太平洋に浸かっているがごとく、自然と一体化する2人。

 

 『崎の湯』には、658年に斉明天皇と皇太子(天智天皇)、江戸時代に徳川吉宗、が訪れた記録が残る。泉質はナトリウム塩化物泉で、神経痛・関節痛・婦人病などに効く。

 感動すら覚える『崎の湯』を体験し、多くの貴人から庶民によって、この温泉が昔から愛され続けたことに納得する。「キレイな夕景(U.K.?)が見られて良かったですねぇ~。」と輝く夕日を背に、河田アナが締める。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県田辺市・利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ] → 『鳥の巣 平和公園』 (6.5km) → 昼食:『とれとれ市場 白浜店』 (9km) → 『近畿大学 水産研究所』  (11.5km) →  高嶋[円月島] (13.5km) → 本覚寺 (14km) → ゴール:白浜温泉[崎の湯] (16km)

 

 

 

【10日目】 2017年12月21日(木)放送
旅の内容:●椿温泉を目指し 白浜町を南へ▲熊野水軍が隠れた自然の要塞?!■中年のオッサンでもはしゃぐ?!あの人気者★鳴かずの池のカエルが鳴いた?!

 

スタートは和歌山県田辺市・白浜温泉[崎の湯]。ゴールは和歌山県白浜町・観福寺。約18キロの道のり。

 

午前7:00、和歌山県白浜町の白浜温泉[崎の湯]の前から、太平洋を背にオープニング。日本を襲う寒波で、気温7℃ながら、強風のため体感温度は低い(くっすんは-2℃)。次に目指す温泉は、約30キロ先にある椿温泉。

 

 寒い寒いとオープニングから確認しつつ歩き、

スタートから2キロ、『三段壁』の道路標識を見つける。

 

 三段壁のすぐ前には、飲食店が建ち並ぶ。

午前7:30、朝早くから営業している『漁火 三段点』で、店先の網で焼いている魚介類を食べる。まずは店員さんおすすめの『焼きホタテ』を購入する。香り良し、歯ごたえ良しで、くっすん曰く、「ホタテ界の王様」。続いて『焼きイカ』も購入し、美味しいとコメントを連発し、グルメ番組と化す

 

午前7:45、三段壁に到着。高さ50~60メートル・長さ2キロに及ぶ断崖絶壁で、毎年50万人の観光客が訪れる。

 2016年4月、プロポーズにふさわしいロマンチックなスポットとして、『恋人の聖地』に認定された。2016年10月には、究極の落下競技といわれるクリフダイビングの世界大会が、日本で初めて開催された場所でもある。

 

 三段壁の下の海面は、洞窟の入口になっている。三段壁洞窟の社長さんに案内され、改装工事中だった洞窟を案内しもらう。屋内にあり、洞窟に繋がっているエレベーターで、36メートル下降すると、三段壁洞窟の中に到着。

 この洞窟は、平安時代に活躍した、熊野水軍の船隠し場としてつかわれた。くっすんはすっかり忘れていたが、湯治場巡り・和歌山編8日目でお勉強した、熊野水軍とその長・湛増のエピソードなど、河田アナがさらっとおさらいする。

 

 洞窟内には、熊野水軍が番所としてつかっていた小屋も、再現してある。約200メートルある洞窟を歩き、一番奥まで進む。足場から手すりの下を覗くと、けっこう激しく波が押し寄せている。

 紀伊半島では、豊富にとれる木材を利用して、船を作る技術が発展した。そのため、水軍も発達して、荒れた海でも、洞窟に船を隠すことができた。

 

午前8:30、スタートから2.5キロ、アドベンチャーワールドの、親子パンダの愛くるしい看板を見かける。そこで、河田アナが、ロケ日にアドベンチャーワールドはお休みであることを告げると、しょんぼりするくっすん。続けて、「ところが・・・、今回特別に、何かを見学させてもらえることになりました。」という朗報に、「やった~。」とくっすん渾身のガッツポーズ。

 

スタートから4.5キロ、南紀白浜空港の滑走路を眺めつつ、歩く。

 

スタートから6.5キロ、閉園日のアドベンチャーワールドを、取材する。昭和53年に開業し、関西で初めてパンダの飼育を始めた。動物園+水族館+遊園地が一体となった複合アミューズメントパーク。

 

 さっそくスタッフさんに、パンダのいるエリアへ案内してもらう。河田アナは初めての来園で、くっすんは自称『アドベンチャーワールドの顔』と豪語する。なんでも、7年前娘さんといっしょに、ファミリーウォーカーの取材で来園したとか・・・。そのときの記憶がよみがえり、「ここは夢の国ですよ。」とおっしゃる。

 

午前9:45、お食事中のパンダ(桃浜と桜浜)とご対面する。屋外でガラスもオリもなく、低い柵越しに間近でパンダを見ることができる。有無を言わせない圧倒的なかわいさに、40代のオッサンたちもパンダに釘づけ。

 

 さらに、希少動物繁殖センター『パンダラブ』の屋内運動場にて、2016年に生まれ話題になっているアイドルパンダ・結浜とご対面する。結浜のチャームポイントは頭の上にピンと立っている毛(アホ毛?)。

 河田アナ・くっすんへのサービスか、細い木に登って、上手にバランスをとりながら遊ぶ結浜。ときどきパンダも木から落ちるけど、プニプニボディで衝撃を吸収し、ケロッとしているという。あまりにも、キュンとさせられ、「これって着ぐるみじゃないですよね?」とくっすんが疑いをもつほど。

 

 現在アドベンチャーワールドでは、結浜・お父さん(永明)・お母さん(良浜)・双子のお姉さん(桃浜と桜浜)の5頭が飼育されている。パンダの飼育スタッフさんに、お話しをうかがう。

 

 大人のパンダは、一日20キロの竹を食べる。パンダの燃費は悪く、食べた竹の2割しか消化できず排泄してしまうので、起きているほとんどの時間を、食事に充てている。

 アドベンチャーワールドでは、いままで15頭のパンダが生まれ、中国を除けば、繁殖実績の高さは1番を誇る。平成6年に繁殖研究のため、メスの蓉浜・オスの永明が中国から迎え入れられた。

 

 パンダの繁殖に成功した理由をうかがう。パンダの発情シーズンは、春に3日間ほどしかない。毎日観察を行い、パンダの体調や行動を記録して、データを蓄積し、発情時のピークにしっかり繁殖できるよう努めている。

 

 アドベンチャーワールドを出た後も、パンダのかわいさが頭に焼きついている2人。寒い・痛い・しんどいなどと、うだうだ言いながら歩いている映像に代わって、結浜の映像を流した方が、視聴者に喜んでいただけるのでは、と思う河田アナ。

 

午前10:45、スタートから7キロ、大きな住宅展示場を通りかかり、夢の一軒家に憧れ、アポなし取材を申しこむ。

 KRGホームの営業部長さんに、白浜の丘陵地を利用した『Kパンダの住宅展示場』を、案内してもらう。現在、265棟の物件があり、ほぼ完売しているとのこと。全ての住宅に温泉をひいていて、自宅温泉目当てに購入するお客さんが多い。

 

 一風変わった吊り橋付きの貸別荘を拝見する。吊り橋を渡って、2階からお宅に入ると、27帖のひろびろとしたリビングダイニングキッチンで、大きな窓から白浜の海・山を一望できる。

 テンションがあげあげで、バルコニーから田辺湾を見下ろす。おもわず「ヤッホー。」と叫んだくっすん、「それ、山に向かって言うやつやから・・・。」と河田アナにツッコまれる。

 この後も、別荘を見て回る2人に、湯治場巡りからお宅拝見のコーナーへ様相を呈する。8.8帖ある浴室は、巨大な信楽焼性の円形の浴槽が2つあり、ボタン一つで白浜温泉に入れる。

 

 別荘を一通り見た後、別荘のお値段をうかがうと、土地+家具・家電を含めて5,380万円とのこと。「買おうかな?」と腕組みしながら、くっすんが一言。身の程を知らないくっすんに、「あんた週休3日やで。」と河田アナが現実を突きつける。「週休4日です。」と臆面なく訂正する。

 

 スタートから9.5キロ、JR『白浜駅』の前に出る。駅舎にパンダがあしらわれ、親子パンダの銅像も設置されている。

 

 駅から徒歩30秒のところに、お食事処を発見する。お店の前で、パンダラーメン・パンダうどんと、パンダメニューを発見し、すっかりパンダの虜となった2人はここでお昼をとることに決める。

午後0:10、『ふれ愛名産館 まつや』にて昼食。河田アナは『パンダうどん さんま寿司セット』を、くっすんは『パンダラーメン さんま寿司セット』を食べる。パンダの顔型のさつまあげは、食べるのがもったいない。寒い日には、あったかいモノが嬉しいと河田アナ。

 

 スタートから14キロ、馬小屋の窓から、急にお馬さんが顔を出し、2人を歓迎してくれる。『きのくに乗馬倶楽部』で、装蹄師のお仕事を取材する。平成17年にオープンし、16頭の馬を所有する乗馬体験施設。


 乗馬倶楽部のオーナーで、装蹄師の仕事をされている岡本さんに、お話しをうかがう。装蹄師は、馬の蹄が減ってしまわないように、馬の脚に蹄鉄をつけるお仕事である。 

 江戸時代には、馬の蹄をわらじで保護していた。明治に入ると、陸軍の軍馬の装蹄をおこなうため、フランスから蹄鉄を作る技術が伝わった。装蹄の方法は、現代とほとんど変わらない。

 

 装蹄の作業を見学させてもらう。まずは、古い蹄鉄を外す、剥鉄の作業。次に、蹄を削って整える、削蹄の作業。装蹄で、一番大事で難しい作業とのことで、馬一頭一頭に合わせて、蹄を切り、ヤスリで削っていく。「なんか、ネールサロンみたい。」と、河田アナがコメントする。

 

 いよいよ、蹄鉄を取りつける。その前に、蹄鉄を小さな炉で熱する。赤く柔らかいうちに、金づちで形を整え、蹄にくっつける、焼き付けの作業。ひづめからモクモクと煙があがるが、馬にとって熱く感じることはないし、慣れている。最後に、蹄鉄に釘を打ちこんで固定する、釘付けの作業。蹄に痛覚はないので、もちろん痛くない。

 一連の作業が終わり、前足で、装蹄前と装蹄後の蹄を見比べると、形が全くちがう。ちなみに競走馬の蹄鉄は、鉄製ではなく、軽くて丈夫なアルミ製のものが多く使われている。

 

 現在、装蹄師は全国で500人ほどいて、岡本さんは装蹄師の専門学校を15年前に卒業した。岡本さんに装蹄師の道を選んだ理由をうかがうと、馬に乗る人が主役なら、縁の下の力持ちとして支えたいという憧れがあったからとのこと。「ちゃんとした仕事をしてあげないと、馬もがんばって仕事できないわけですもんねぇ。」という河田アナに、岡本さんの後ろで、その通りだと?、すごい勢いで頷くお馬さんであった。

 

 乗馬倶楽部を出て、すぐに出会ったのが、小学4年生の岡本さんの息子さん。将来なりたい仕事を聞くと、消防隊員とのこと。その動機は、お母さんから消防隊はモテると聞いたからで、次に給料が高いこと、そしていろんな人も助けられることを挙げる。感心する2人に、「消防隊になったら、いっぱい女の子が集まってくるけど、自分勝手な女の子は駄目。」とお母さんに言われていて、「お母さんみたいなお金の管理ができる彼女を見つけな。」とも言われていると明かす。

 

 息子さんと別れて、さらに歩いていると、小学2年生の岡本さん家の弟くんと、お友達に出会う。弟くんは、真冬に半袖半ズボンの涼し気な恰好で、小学2年生にして身長147センチ・体重51キロの、貫禄あるボディーの持ち主。おっきくて得したことを聞いてみると、あえて言うならば「このお腹のおかげで寒くない。」とのことで、納得する2人。

 将来はお父さんの仕事を継いでくれそうで、お兄ちゃんが公務員になって、牧場を弟くんが継いだら、両親は万々歳だろう。

 

スタートから約9時間、

午後4:10、スタートから18キロ、ゴールの観福寺に到着。鎌倉時代に創建され、お寺の前にある『鳴かずの池』には、江戸時代の住職・龍賀法印の伝説が残る。

 池の前で、ご住職にお話しをうかがう。

 

鳴かずの池

 龍賀法印が勉強しているとき、池のカエルの声がやかましいので、黙らせようと、小僧に紙を渡して、池に投げに行かせた。ただし、紙に書いてある内容を見ないように、釘を刺した。

 しかし、小僧は中身がどうしても気になって、紙を覗いてしまった。その後、池に紙を投げ込んだが、カエルの鳴き止む気配はなかった。小僧は、紙を見たことを隠して、事の次第を龍賀法印に報告して、言いつけを守らなかったことがバレた。

 同じミッションを与えられた小僧が、中を見ずに池に紙を投げ込むと、ついにカエルは鳴き止んだ。

 

 それからというもの、観福寺では一切、カエルは鳴かないとのこと。だがしかし、近年、カエルの鳴き声が復活した。20年ほど前に、池の底を洗いだしてみると、ウシガエルが潜んでいた。ウシガエルは外国から日本へ入ってきた種なので、龍賀法印の日本語が通じなかった・・・というオチである。落語のようなオチに、河田アナはホンマですかと笑い、くっすんは納得した。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県田辺市・白浜温泉[崎の湯] → 『漁火 三段点』→『三段壁 (2km) → 三段壁洞窟 → アドベンチャーワールド (6.5km) → Kパンダの住宅展示場』 (7km) → JR『白浜駅』前 → 昼食:『ふれ愛名産館 まつや』 (9.5km) → 『きのくに乗馬倶楽部』  (14km) → ゴール:観福寺 (18km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の7日目~8日目のまとめ。

 

【7日目】 2017年11月30日(木)放送
旅の内容:●熊野古道を歩き みなべ温泉へ▲引きこもごも?!小栗判官の数奇な運命■手軽な梅干し作りに挑戦★鹿島に届け?!手筒花火

 

スタートは和歌山県印南町・かえる橋。ゴールは和歌山県みなべ町・みなべ温泉[朝日楼]。約18キロの道のり。

 

午前6:40、和歌山県印南町のかえる橋の、横にある空き地からオープニング。ゴールのみなべ温泉で、太平洋に夕日が沈む絶景を拝むため、早めにゴールしなければならない。くっすんは、「最近2時3時でねぇ、夕暮れどきになってますよね、だいぶ・・・。」と言って、「そんな早くない。」と河田アナにツッコまれる。くっすんの言動を不審に思ったので、「何してるんですか、毎日あなた・・・。」と追及する。週休4日なので、家でゴロゴロしていると聞き、”週休4日”に耳を疑う河田アナであった・・・。

 

ゴールで夕日を眺めるため、歩くペースと天候を気にしつつ、南へ進む。

 

スタートから1キロ、東光寺に到着。鎌倉時代に創建され、歌舞伎や浄瑠璃の題材になっている小栗判官・照手姫の伝説が残る。

 

薬師堂の前で、河田アナが伝説の幕あけを解説する。常陸国(茨城)のお殿様・小栗満重が小栗判官のモデルとされる。判官は室町時代に戦に敗れ、常陸国から相模国(神奈川)へ逃れた。相模国で判官は照手姫に出会い、恋に落ちた・・・。

 

ご住職に薬師堂の中へ案内され、伝説の続きをお話ししていただく。薬師堂に掲げられているのは『小栗判官・照手姫 東光寺参詣図』で、照手姫が木製の台車に、歩けない判官を乗せて、ヒモで牽引している絵である。そこに至る過程は・・・

 

判官は知人の横山大膳を頼りに相模国に逃れた。しかし、判官の首と引き換えにもらえる褒美目当てに、大膳に裏切られ毒殺された。むごい仕打ちに、「じゃあ、一度ゾンビになったということですか?」と質問するくっすんに、「そうですね。」と即答するご住職。

地獄で閻魔大王の情けにより、判官は復活する。魂は肉体へ戻ったが、残念ながら肉体は半分腐っていた。腐った体では満足に動くこともできないので、照手姫は元の姿に戻すため、台車に乗せた判官を引っぱって、相模国から蘇りの地・熊野三山を目指した。こうして参詣図に、お話しはつながる。

 

薬師堂には、照手姫と台車に乗った宦官の人形がある。人形の宦官が持った木の板に、「此の者を一引き引いたは、千僧供養 二引き引いたは万僧供養」と書いてある。要するに、本当に困っている人を助けてあげることは、とても功徳のあることだという意味で、道行く人々に引っぱってもらいつつ、熊野三山へ向かった。その途中、東光寺で21日間の休憩をとった。

 

東光寺にて、薬師如来が2人の夢枕に立ち、お寺から50キロ離れた、湯の峰温泉で湯治するようにお告げした。お告げ通り、湯の峰温泉で湯治した判官は、元の姿へ戻ったのでした。めでたし、めでたし。

 

午前7:40、スタートから3キロ、絹さやを収穫しているおかあさんに出会う。白く美しい花の咲く絹さやは、和歌山県で全国一の生産量を誇る。2017年10月末に和歌山県を襲った台風のため、絹さや枝を全てねかせて、被害を免れたとのこと。

絹さやの収穫はほとんど女性が行い、手摘みで午前7:30~午後5:00まで行う。

 

おかあさんに「火ぃ通すやろ、普通。」とツッコまれるが、摘みたての絹さやをそのまま試食するくっすん。「ああ、美味しい。土の味がします。」と、いつものくっすんどおりのコメントをする。おかあさんに、「表現力が乏しいね。」とブスリと痛いところを突かれ、河田アナとともに「悪気はないんです。」と平謝り。

 

午前8:10、JRきのくに線の線路を超えて、熊野古道紀伊路に入る。

スタートから5キロ、榎峠(標高145m 全長約2km)を登ってゆく。くっすんは、「僕たちはこどってるんですね。」と何気なく新語をつかう。こどる=熊野古道を歩くことで、「こどろうか。」「こっどてるね。」とつかうらしい・・・。

苦しい登りが続くが、時間の都合で、休憩なしのノンストップで、山道を2キロ歩く。

 

スタートから7キロ、海の見える、線路沿いの道を歩く。

 

午前10:10、和歌山県印南町から、みなべ町に入る。

 

スタートから8.5キロ、梅の木を剪定しているおとうさんに出合う。梅の実の収穫は、例年5月末~6月にかけて行う。

みなべ町では、日本での梅の生産の、25パーセントを占める。江戸時代初期に、紀州田辺領主・安藤直次が、稲の栽培が困難な土地や斜面に、生命力のある梅を植えて栽培することを奨励したのがきっかけとされる。

 

梅農家の大変なことをうかがうと、木からネットに自然に落下した完熟梅を、拾い集める作業に、時間がかって大変とのこと。くっすんが「じ~っと待たなきゃいけないのが、嫌ですね。」とコメントするが、梅の木の前で、実が落ちる瞬間を待っているワケではない。

 

スタートから9キロ、東京からやってきて、友達に会いに来がてらに、電車の撮影をしているおにいさんに出会う。今しがた撮ったばかりの、JRの特急『くろしお』の迫力ある写真を、デジカメのモニターで見せてもらう。

写真の撮りやすいスポットだという謙虚なおにいさんに、「ホンマに、一回一時停止して撮ってるようなくらい綺麗に・・・。」と、くっすんが褒める?しかし、勢いよく走ってくる列車の臨場感をっ切り抜くのが、鉄道写真の醍醐味であるので、河田アナは褒め言葉になってないと、くっすんの褒め方を正す。

 

おにいさんのカメラストラップに『戦車道同盟』と書いてあるので、くっすんは、電車以外にも撮影しているのではと思ったが、やはり電車の撮影をメインにしているとのこと。戦車と聞いた河田アナは、むかえら撮影班の一人が元陸上自衛官で、戦車を操縦できると、プチ情報を教えた。

 

午前、10:20、熊野古道を南へ、3キロほどアップダウンの激しい道が続く。

くっすんが「ジャングゥ~。」とたとえる、草木の生い茂る道を通る。草木でできたトンネルを抜け、1キロほど下ると、海が見えてテンションがあがる。

 

スタートから12キロ、まるでJRの青春18きっぷの広告ポスターでつかわれそうな、小さなトンネルの向こうに、四角く切りとられたビューティフゥーな海の見える、心躍る風景に出くわす。

トンネルを抜ければすぐ砂浜。くっすんは風景に見とれるがあまり、足元をおろそかにして、トンネルを抜けた瞬間、50センチほど低くなっていた地面に転落して倒れる。後ろから撮影していたカメラマンさんも、くっすんがカメラから消える衝撃の瞬間?をとらえた。幸いケガはなかったので、もうちょっと注意するようにと、河田アナがたしなめる。

 

気をとりなおして、熊野古道で唯一の砂浜を歩く。全長約1.3キロの”千里の浜”で、枕草子伊勢物語など、多くの古典文学にも登場する景勝地。熊野詣をしていた先人たちの、気分転換になったであろう・・・。

 

午後0:10、登り道の多さに、辟易するくっすん。そろそろお腹も減ったので、お昼ご飯を食べるお店を探すモードに入る。熊野古道沿いでは望み薄なので、一旦ルートを外れて、お店を探す。

 

スターからト13キロ、国道に出ると、おあつらえ向けにレストランを発見する。のぼりに書かれている『うつぼのたたき』の”うつぼ”を、『つ』が若干小さかったので、くっすんは、”うっぽ”と読み間違える。

 

午後0:30、うつぼをつかった郷土料理が食べられる、『和風レストラン くーる』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『日替わりおまかせ定食』を食べる。地元の新鮮なお魚ちゃんをふんだんにつかっていて、お鍋とからあげで件のうつぼをいただく。

河田アナは、弾力があって白身魚の味だと、うつぼの食レポする。くっすんは、「スッポンのような、てっちりのような・・・(味がする)。」と伝わりにくい感想を述べ、河田アナに「全然違うんですけど・・・。」と否定される。

 

午後1:50、スタートから15キロ、紀州梅干館を取材する。平成5年にオープンした梅商品の直売所で、梅干し作りの工場見学もできる。

 

梅干館の体験教室では、梅干し・梅酒・梅ジュース作りのコースがある。2人は、梅干し作りに挑戦する。すっぱさ・甘さの違う5種類の調味液をお好みにブレンドして、容器につめた南高梅を漬け込む。調味液の香りやテイスティングをしつつ、河田アナは甘さとすっぱさの中間の味に、くっすんは梅干しらしくすっぱめに調合する。梅干しを容器に密封し、名前と製造日を書けば、世界に1つだけのマイ梅干しの完成。河田アナが「とっても簡単で、やってて楽しいですね。」とコメントする。家に持ち帰ったら、毎日封を開けずに梅干しを混ぜて、2週間後に美味しくいただける。

 

体験教室の先生に、南高梅の名前の由来を知っているか、聞かれる。くっすんは桂南光さんしか思い当たらず、「南光さんたしか、梅干しみたいな顔・・・。」と失礼なことをさらりとおっしゃる。

 

南高梅

昭和25年に、南部高校の竹中勝太郎先生が、高校の授業で、114種類ある梅の中から、最も品質の良い品種・高田梅を選んだ。調査に貢献した南部高校から『南』、高田梅から『高』の文字をとって、合わせて『南高梅』と呼ばれるようになった。

以降、みなべ町では農家さんがこぞって南高梅を植えて、現在町内で栽培される梅の80パーセントを占める。

 

2週間後に食べる梅の味を楽しみに思いつつ歩き、

午後2:40、堤防の脇から、海に浮かぶ鹿島を望む。鹿島は周囲1.5キロほどの無人島で、小さな山が3つ横に並んだように見える。昔の人が、3つの山を3つの鍋に見立てて三鍋と呼び、やがて南部に変化した。それを聞いたくっすん、「じゃあ、あのポコポコポコていうのが、3つじゃなくて、4つだったら四鍋になってたでしょうね。」と特に意味のないことを考える。「8つやったら・・・(以下編集によりカット)。」。

 

午後3:20、スタートから17キロ、鹿島をご神体に祀る、鹿島神社に到着。明治42年に、鹿島に祀られていた祠を、現在の場所に移したのが始まり。

 

まずは本殿を参拝し、宮司さんに鹿島についてお話しをうかがう。

時は1707年、宝永地震が起こり、津波が湾に迫ってきた。すると、鹿島から巨大な火の玉が出現し、鹿島にぶつかった津波を2つに分けて、町への直撃を避けた。

 

鹿島への畏敬や感謝の気持ちから、毎年8月に、『鹿島神社奉納花火祭』を開催している。地震のあった翌年から続いている。

江戸時代に使ったと思われる、手筒花火を見せていただく。屋内の壁に横向きに掛けてある、長さ2メートルを超す手筒花火は、昔の男衆が縦に抱えて持ったまま、ぶっ放したらしい・・・。

 

昔の花火の記録が残ってないので、よく分からないけど、宮司さんのお願いで、河田アナとくっすんで、手筒を持ち上げようとする。見た目通り重かったので、少し浮かせただけで、「ちょっと待って、ちょっと待って・・・。」と河田アナの声で諦める。

実は、宮司さんでさえ1度も手筒を立てたところを見たことがないので、是が非でもこの機会に手筒を立てたい。そこで、もう少し人数を増やせば持てるだろうと、照明を当てていた、元自衛官のスタッフさん以下2名に白羽の矢が立った。

さすがに4人ともなると、手筒は簡単に持ち運べ、外に出して、腰をいわさないように慎重に、地面に垂直に立てる。

 

手筒を立てたら、コアラが木に手を回すように、筒に手を回して、くっすん1人で支える。宮司さんも「すごいええ記念になりました。」と感激される。江戸時代は、鹿島への信仰心を世に示そうと、各地区で競うように花火を上げた。

感無量の宮司さんに、「宮司さん言い出しっぺなんで、これ(手筒花火)、(元の場所に)直してくださいね。」と、くっすんが無茶なことを言う(4人で戻した)。

 

スタートから9時間30分、

午後4:20、スタートから18キロ、ゴールのみなべ温泉[朝日楼]に到着。朝日楼は明治6年から料亭として営業してきたが、平成7年に宿泊施設を加え、旅館としてリニューアルオープンした。温泉を楽しめるだけでなく、様々な海の幸を堪能できる。冬のオススメは、伊勢海老食べつくしのプラン。

 

2人は朝日楼8階にある浴場で、旅の疲れを癒す。湯船に浸かりながら、大きな窓から外を眺めると、夕暮れどきではあるが、雲が多く厚くて、残念ながら茜色の夕日は見ることができない。晴れた日には、どこまでも続く太平洋に、浮かぶ鹿島の後ろに夕日が沈む光景が見れる。期待通りの風景が、思い通りに見れないのも、旅の醍醐味である。

 

みなべ温泉は、昭和44年に土地開発の際に発見された。現在4軒の宿泊施設で入浴できる。泉質はナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉で、筋肉痛・関節痛・疲労回復などに効く。温泉の手触りはヌルッとしたかんじで、『美肌の湯』で知られている。

今回のロケは、先週の反省もあってか、スケジュール通りにゴールに着いて、明るいうちに絶景を見れて、満足する2人であった。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県印南町・かえる橋 → 東光寺 (1km) → 榎峠 (5km) → 千里の浜 (12km) →  昼食:『和風レストラン くーる』(13km) → 紀州梅干館 (15km) → 鹿島神社 (17km) → ゴール:みなべ温泉[朝日楼] (18km)

 

 

 

【8日目】 2017年12月07日(木)放送
旅の内容:●田辺市を歩いて 利三郎温泉を目指せ紀州備長炭の工房を見学■世界でブーム?!日本発祥の武術★赤か白か?!鶏が決める歴史

 

スタートは和歌山県みなべ町・みなべ温泉[朝日楼]。ゴールは和歌山県田辺市・利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ]。約14キロの道のり。

 

午前8:00、和歌山県みなべ町の、みなべ温泉・朝日楼の前からオープニング。ロケ前日に降っていた雨が止んで、喜ぶ2人。天気予報は曇りで、朝の気温13度と小春日和。晩秋の暖かさの要因を、「エルニーニョ現象ですか、これは?」と言ってみるくっすん。河田アナに否定され、温暖化・フロンガスと知っている限り、暖かさと関係のありそうなワードを並べて、満足する。

 

午前8:10、雲一つない快晴にポカポカ陽気で、足取りも軽く、2人は上着を脱いで、海岸沿いを東へ歩く。

 

午前8:45、スタートから2キロ、和歌山県・みなべ町から田辺市へ入る。

河田アナが、海と山と眩しい太陽の景色を見て、「きっと昔の旅人も、この美しい景色を見ながら、旅したんやろなぁ。」と、くっすんに語りかける。その返事が、「海鮮丼食べたいなぁ。」で、あきれる河田アナ。

 

スタートから4キロ、紀南みかんの直売所で、椅子に座っている、店主のおとうさんと日向ぼっこしているお客さんに、出会う。大粒のみかんが、袋にぎっしり入って1,000円と、産直なのでお買い得。

お客さんは85歳とのことで、「まだ死なんつもりや。」と活力に満ちている。河田アナが、むかえらの趣旨を説明して、くっすんのすぐヘタレることに意見をうかがうと、「そりゃーそうや。そいだけ歩いたら・・・。」と、ヘタレに理解を示してもらう。歩いたちてヘタレるなら「バスに乗ったりよしよ。」と助言をもらい、「歩くことに意味があると思ってやってるんですから・・・。」と河田アナが説明する。

 

続いて、お孫さんをだっこしている、おばあちゃんに出会う。河田アナがお孫さんをだっこすると、嫌がって、ばあばの方を向く。しかし、スタッフさんの持っているガンマイクには興味津々の様子。

 

午前10:20、熊野古道を少し外れ、北東へ4キロ進み、

スタートから8.5キロ、昔ながらの製法で備長炭を作っている、山本製炭所を取材する。炭を作り続けて11年の山本さんが、平成25年に山奥に工房を立ち上げ、一人で切り盛りしている。

 

山本さんが作った、紀州備長炭を見せてもらう。ウリは、火力と火持ちの良さが優れているところ。良い備長炭は、硬さで見極める。

備長炭同士で叩くと、まるで金属を叩いたような、澄んだ音を奏でる。河田アナとくっすんも、自分で叩いて、手応えや音を確かめる。くっすんの場合、叩き方が下手でキレイな音が出ない。

 

続いて、炭の製造方法を学ぶ。備長炭の原料には、ウバメカシなど、カシ類の木を使う。じっくりと1~2週間かけて、窯の中で原木を蒸し焼きにして、炭にする。この際、窯の中を見ることはできないので、煙の匂い・量・勢い・色などで、炭の出来具合を判断するとのこと。素人には、ただの煙にしか見えず、職人として長年の経験が求められる。

 

炭作りで一番重要な作業が精錬で、炭の出来を左右する。窯に空気を送り込んで、原木の芯まで炭化させて、硬度を高める。窯の中の温度は1,200℃に達するため、夏は汗だく必至で、熱中症に気をつけないといけない。

そんな高温になる大きな窯で、「ピザとか焼いたことあるんですか?」との、くっすんの質問に、焼き芋だったらあるとのこと。

最後に、窯から炭を出して、土をかけて消火すれば、紀州備長炭の完成。

 

午後0:10、スタートから11キロ、高山寺(こうざんじ)に到着。高台に位置し、約1300年前の飛鳥時代に創建されたとされる。

 

境内にある、合気道の創始者・植芝盛平のお墓に向かう。お墓の前で、河田アナが植芝氏について、紹介する。

盛平は明治6年、和歌山県田辺市の、農家の家に生まれた。幼いころは体が弱く、武道に励んで体を鍛えた。19歳のとき、柔道や古武術など武術の修行に出た。修行で学んだ経験をもとに、大正9年に『植芝塾』を創設し、勝負の勝ち負けにこだわらず、相手を尊重することを重んじる武道を目指し、『合気武術』を編み出した。昭和17年には、合気道と名前を変えた。

 

植芝氏の弟子で合気道の先生をしている、五味田さんに、高山寺の地下にある合気道の道場で、お話しをうかがう。

田辺市の5校の中学校で、合気道が授業に取り入れられていて、高山寺では、合気道教室が週3日開かれる。

 

植芝氏は小柄でありながら、かかってくるお弟子さんを、バッタバッタと打ち倒し寄せつけなかったという。また、5・6人で松の木を倒そうとしていたら、植芝氏が自分一人で動かして引き抜いたという伝説も残り、河田アナ・くっすんを驚かす。

 

小柄な五味田さんが、ガタイのいい息子さん相手に、合気道の技をかますことろを、デモンストレーションしてもらう。かかってくる息子さんの力を利用し、3度、腕を掴んで?畳へ投げて転がす。

河田アナが「力は、いらないんですか?」と聞いてみると、無警戒の河田アナの手に技をかけて、体に教えてくれる

 

さらに、息子さんの相手を、お願いされるくっすん。空手と少林寺拳法のずっとやってきていると豪語するくっすんが、「ケガしますよ。」と、本気で息子さんに向かっていく。結果は言うまでもなく・・・くっすん秒殺。おまけに、「これぐらいにしといたるわ。」と捨て台詞を吐く。

 

合気道は、現在130カ国以上で親しまれ、田辺市まで学びにくる、外国人の方も多い。田辺市では、過去2回世界大会が開催された。河田アナが、「体も心も鍛える格闘技ですから・・・。だからこそ日本に広がり、しかも世界の人にもこうやって認めてもらっているということですよね。」とまとめる。

 

午後0:50、お昼ご飯を食べるお店を探し、熊野古道が通る商店街へ入る。

スタートから12キロ、熊野古道の合流地点の道しるべに到着。これまで2人が歩きてきた紀伊路の終着点であり、中辺路と大辺路の分岐点になる。運命の分かれ道、ほぼ海岸沿いを進む、大辺路ルートをいざ行かん。

 

午後1:30、『あがら丼』ののぼりが気になる、『宝来寿司』にて昼食。店主さんに”あがら”の意味をうかがうと、地元の方言で、”自分たちの”という意味とのこと。しかるに、あがら丼は田辺市の飲食店11店が、地元食材を使ったという条件で、それぞれのお店で、独自に考えだしたご当地料理である。宝来寿司さんでさえ、3つのあがら丼が存在する。

河田アナはあがら丼『かつおと釜揚げしらすのづけ丼ずし』を、くっすんはあがら丼『ふっくら太刀魚丼』を食べ、田辺の海の幸を堪能する。

 

午後2:15、宝来寿司を後にして、再び熊野古道[大辺路]をゆく。

JR『紀伊田辺駅』の近くで、オシャレなお店・『熊野トラベル』を発見し、アポなし取材させてもらう。お店には、熊野古道をモチーフにしたTシャツや、熊野古道を歩くために役立つグッズを、販売している。

モノを売るだけでなく、お店のメインの仕事は、熊野古道を歩く外国人観光客の、宿泊施設などの予約を代行とのこと。行き当たりばったりでやってきた外国人も、懇切丁寧にサポートする。

 

お店に、熊野古道と同じく世界遺産に登録されている、スペインの『サンティアゴ・デ・コンポステーラ』のパンフレットが置いてある。それを見た河田アナは、「過酷な旅でした。懐かしい。」と『60日間ほぼ世界一周の旅』で、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩いた日々を振り返る。

世界遺産に道で登録されているのは、世界でたったこの2つの道だけで、その縁で、田辺市とサンティアゴ・デ・コンポステーラは観光交流協定を結んでいる。

 

午後2:35、JR『紀伊田辺駅』の真ん前を通ると、駅舎っぽくないカラフルな外観に目がいく。駅のすぐそばに、なぎなたを勇ましくかまえた、武蔵坊弁慶の銅像がある。平安時代の僧兵・弁慶は、田辺の生まれで、源義経に仕えた。

 

午後2:50、スタートから13キロ、弁慶ゆかりの闘鶏神社に到着。419年に創建され、2016年10月、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に追加登録された。

 

境内にある、武蔵坊弁慶と父・湛増(たんぞう)の銅像のもとで、神社の名前の由来を、河田アナが解説する。

湛増は、熊野別当という熊野三山を統括する要職につき、熊野水軍の長でもあった。源平合戦の際、源氏と平氏、どちらに味方するか・・・。湛増は、白と赤の鶏を闘わせて、白が勝てば源氏につき、赤が勝てば平氏につく、という方法で決めた。白の鶏が勝ったので、源氏につき、結果的に最終決戦の壇ノ浦の戦いを制するに至った。

 

宮司さんに、さらに詳しいお話しをうかがう。文献によると、鶏を紅白7羽ずつ用意して闘わせたという。湛増が鶏を用いた理由は、神の信託を得るという形で、味方うちでも、いろいろな考えや立場の人が混在するなかで、体制をひとつにまとめるという思惑があったから。

 

闘鶏神社では、毎年10月に弁慶まつりを開催し、演劇を行っている。劇の中に、実際に紅白の鶏を闘わせるシーンが盛り込まれている。

河田アナが「それ、赤がぶあって勝っちゃたら、どうなるんですか?」と素朴な疑問を聞くと、紅白の鶏の戦闘中に2羽を引き離し、「白が勝った。」ことにして、史実通りにするとのこと(出来レース)。

 

再び海岸沿いを歩きつつ、今回はジャージだけで済んだ『むかえらロケ日和』を喜ぶ2人。

 

午後3:50、スタートから14キロ、ゴールの利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ]へ到着。昭和62年に創業の『ガーデンホテル ハナヨ』は、利三郎温泉の湯を引く唯一のホテル。宿泊はもちろん、披露宴会場も完備している。

 

2人はさっそく、温泉で疲れを癒す。湯船に浸かりながら、耳を澄ますと、かすかに波の音が聞こえる・・・気がする、海の近さ。

利三郎温泉の名前は、昭和37年に、発掘業を営む中嶋利三郎さんが掘り当てたことに由来する。利三郎温泉の泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩で、筋肉痛・神経痛・冷え性などに効く。

温泉は、基本的には宿泊者のみの利用となる。地元の方は、田辺温泉とも呼んでいる。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県みなべ町・みなべ温泉[朝日楼] → 山本製炭所 (8.5km) → 高山寺 (11km) → 熊野古道分岐点の道しるべ  (12km) →  昼食:『宝来寿司』 → 熊野トラベル → 武蔵坊弁慶の銅像  闘鶏神社 (13km) → ゴール:利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ] (14km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『湯治場めぐり』番外編[京都府松網野町・木津温泉]のまとめ。

 

2017年11月23日(木)放送
旅の内容:●京都府最古の木津温泉を目指す▲くっすんいきなり決死のギリギリジャンプ?!■くっすんサーフィンに挑戦?!★松本清張ゆかりの温泉

 

スタートは京都府京丹後市網野町・琴引浜。ゴールは京都府京丹後市網野町・木津温泉。約17キロの道のり。

 

午前7:30、京都府京丹後市網野町の琴引浜からオープニング。雨が降っていたが、撮影前になんとか止んだ。まだ、雨雲が多くお空に残っているけど、ロケ日の天気予報は晴れ。

 

午前7:50、琴引浜で、波の打ち寄せる際を歩く。琴引浜は、全長1.8キロに及ぶビーチで、夏は多くの海水浴客で賑わう。この砂浜の特徴として、鳴き砂が挙げられる。歩くと『きゅっきゅっきゅ』と爽快な音がする。ファンシーな音で、お子さんやカップルが楽しめること請け合い。
 

鳴き砂が音を奏でるには、3つの条件を満たす必要がある、と河田アナが解説する。1つめは、砂が乾いていること。2つめは、砂がキレイであること。3つめは、砂浜の成分に、石英が60%以上含まれていること。残念ながら、雨あがりなので、2人は鳴き砂の音を聞けない。

古くは、明智光秀の娘・細川ガラシャが、琴引浜の鳴き砂を歌に詠んだ。

『名に高き 太古の浜に 鳴神の  遠くも渡る 秋の夕さめ』

 

ロケ前日からの雨の影響か、川から海岸に向かって支流ができて、小川を形成している。迂回するのも面倒なので、小川をジャンプして渡るハメになる。

まずはお手本とばかり、河田アナが波打ち際ぎりぎりから助走をつけて、危なげなく跳び越え、砂浜に華麗に着地。

死亡フラグをぷんぷん匂わせているくっすんも、決死のジャンプで、倒れ込むように対岸に着地、アウトかと思いきや、着水をぎりぎりで免れる。その後、スタッフさん方も、無事小川を跳び越えた。

 

午前8:00、お天気は回復、網野町を西に歩く。

スタートから1.5キロ、昔ながらの塩作りにこだわる『善助』を取材する。平成12年に、代表の池田さんが、日本海の海水をつかった塩を作りたいと始めた。

 

池田さんに、塩を製造している『塩炊き工房』を、見学させてもらう。およそ10日間かけて、海水から塩を取り出す。まずは、海水を釜で炊いていく。炊くと、海水から石膏や不純物が浮いてくるので、取り除く。

海水から取り出した塩の結晶は、2層のバケツで、にがり成分を分離する。さらに自然乾燥させること3日間、ようやく塩の完成。

 

原料となる海水は、琴引浜から西へ10キロほど離れた、夕日ヶ浦の海岸から採取しているとのこと。川から離れているので、不純物が少なくて、上質の塩ができる。

池田さんが時間と手間をかけて作った、出来立ての『夕日ヶ浦の塩』を、2人は味見させてもらう。その味を言葉で表現するのは難しいが、とにかく普通に大量生産している塩とは、まろやかで段違いに美味しいらしい。くっすんは、「塩だけに、手塩にかけて育てているみたいな・・・。」と、したり顔でコメントする。

 

最後に、池田さんにインタビューし、昔ながらの塩作りにこだわる理由をうかがう。塩を健康に対する悪者扱いしている昨今にあって、体に良くて、かつ美味しい塩を作るためという。摂取し過ぎは良くないが、無かったら無かったで困る、と河田アナがまとめる。

 

スタートから4.5キロ、琴引浜の西に位置する、八丁浜を歩く。八丁浜は、関西のサーフィンスポットとして人気であり、ウエットスーツ姿でボードをもったサーファーさんに出会う。非日常を体験できることが、サーフィンの楽しさとのこと。

くっすんが、「ちょっと(サーフィン)やってみたいな。」と言いだす。その魂胆は、写真を撮って妻に送りたいがためで、さっそく服を脱ぎだし、本人はやる気まんまん。心配する河田アナをよそに、サーファーさんから借りたボードをもって、果敢に極寒の海に入る。

 

だがしかし、運動神経のそれほど良くないくっすんは、荒波にもまれ、おぼれかけ、寒さに震え、「逃げろ、逃げろ、逃げろ。」と言いつつ、海から退散する。

さすがに、一朝一夕では、ボードに立つことすらできない。諦めて、砂浜で、さもサーフィンしている風な写真を撮ることで妥協する。なかなかくっすんの顔が決まっていて、SNS映え?する写真が撮れた。波には乗れなかったが、雰囲気だけ味わえただけで満足する。

 

午前11:50、スタートから5.5キロ、八丁浜の端にある嶋児(しまこ)神社に到着。嶋児神社は、昔話『浦島太郎』のモデルとされる”浦嶋子(うら しまこ)を祀っている。嶋子について、古くは奈良時代の書物・『丹後国風土記』に記されている。

 

社の前で、河田アナが浦嶋子のお話しを、紙芝居でくっすんと視聴者にお届けする。

「むかーしむかし 浦嶋子という若者が 舟に乗って 魚釣りに出かけました

そこで一匹の亀を釣りました その釣った亀を 船に乗せますと

なんと亀は 亀比売(かめひめ)という女性に 姿を変えたのです」

 

そして嶋子は、亀比売に海の彼方にある、常世の国に連れていってもらった。異世界で3年の楽しいときを過ごした嶋子は、ふと故郷のことが気になり、亀比売に相談した。嶋子はひとりで帰ることになり、決して開けてはならないと、釘をさされた玉手箱を渡された。

 

故郷に戻った嶋子の、期待と裏腹に、故郷にかつての面影はなく、村も人も何もかも消えてしまった。なんと、村を離れてから300年の月日が流れていたであった。

途方に暮れた嶋子は、ヤケになったのか、玉手箱を開けてしまい、中から出てきた煙を浴びて、あっという間におじいさんの姿になってしまった。

 

神社のある浅茂川区の、区長さんに、2つの物語についてうかがう。浦島太郎の成立は、室町時代に作られたお伽草子に掲載されたのが、ルーツとされている。

神社から見える小島の福島は、嶋子と亀比売が出会った場所、神社のそばにある”釣溜”(つんだめ)は、嶋子が釣った魚を放し、いけすとした場所と今に伝わる。またこの地区では、浦嶋子の物語を再現する神無月祭が、毎年7月に行われている。

 

区長さんのお話しを聞いて、現在まで、この地に浦島にまつわる言い伝えが数多く残っているのは、それだけ浦島伝説が地元の方々に愛されているからと、河田アナの感想。くっすんは、浦嶋子の物語で、女性は恐いと印象が残った。区長さんは、人間の

昔から今に続く、長寿の願いをテーマにしているとのことで、興味深い説である。

 

午後0:50、たまたま通りかかったピザ専門店『uRashima』にて昼食。2017年のオープンで、店長の藤原さんはピザの本場・イタリアのナポリで修行し、ナポリで開催されたピザ職人世界大会で2位を獲得した実力の持ち主。

 

カウンター席に座る2人。ピザを手でクルクル回す技を見せてほしいと、くっすんがお願いして、普段はしないピザ回しの妙技を披露してもらった。河田アナは店長さんにお任せした『チーマディラッパ』を、くっすんは『シチリアーナ』を食べる。『チーマディラッパ』は、網野町で捕れたタコをメインの具にたっぷりつかい、パンチの効いた塩味が絶妙。くっすんは大好物のピザを食べて、「生地が300点です・・・。これぞ、ナポリピッツァです(行ったことないけど)。」と大絶賛する。

 

午後2:00、7.5キロ、日本海に面した海岸沿いを、西へ進む。

 

午後2:50、網野町の磯地区に入る。磯地区は、明治・大正時代から続く漁師町で、現在30軒ほどの民家が集まる。

歴史を大幅に遡ると、かの有名人、平安時代に静御前が生まれた場所であり、彼女を祀った静神社に到着。

 

静御前は磯で生まれ、幼いころ父親を亡くし、母親とともに京都に移り住んだ。そこで舞いの踊り手である白拍子として活躍、さらに美しい容姿から、源義経に見初められて、側室に入った。

静御前が亡くなった場所は諸説あり、よく分からないので、生誕の地に神社を建て、祀っている。

 

静御前について、宮司さんに詳しいお話しをうかがう。諸説ある静御前の没した

とされている場所のなかに、生誕の地も挙げられている。もしかしたら、京都から故郷の網野の地へ帰ってきて、亡くなったかもしれない・・・。

白拍子が舞いや歌を披露する際、烏帽子・水干・太刀などで男装した。宮司さんが思うに、今でいうところの歌手やタレントでなく、宝塚歌劇団の男役的な存在であったとのこと。

 

磯では、静御前にあやかり、10年前に神社の近くに踊り舞台を設置した。2017年に、静御前を題材にした舞いを、地元の劇団が披露した。

踊り舞台を、今後様々なことに使いたいという宮司さん。そこで、美人妻コンテストはどうかと提案するくっすん。河田アナが”ミス静御前コンテスト”を挙げると、くっすんは断固として、ミセスじゃないと駄目、とこだわる。

 

スタートから10キロ、長~い坂道が続く、七竜峠を登る。頂上までは2.5キロ、遅れているスケジュールをできるだけ戻すため、竜がごとくうねる道を巻きで進む。

 

ペースアップして歩き、スタートから12キロ、差し迫る日没、蓄積する疲労と終わりの見えない坂道に、2人の顔から余裕も消える。

 

午後4:40、黄金色に染まる夕日の中、七竜峠頂上にようやく到達。これから向かう”夕日ヶ浦”で、夕日を見たかったと惜しがる2人。

下りは冷たく吹き付ける風のなか、なるたけ急いで足を進める。

 

午後5:50、スタートから15キロ、真っ暗になっちゃったけど、夕日ヶ浦にたどり着く。砂浜は暗くて全く見えず、夕日を拝むには遅すぎた。時間のロスの最たる原因は、くっすんがサーフィンすると言いだしたことじゃないかと、河田アナが軽く非難する。予定になかったサーフィンのため、実は1時間の遅れが発生したので、「すいません。」と自分の非を素直に認め、謝るくっすん。

 

スタートから約11時間

午後6:20、スタートから17キロ、ゴールの木津温泉[ゑびすや]に到着。現在、網野町で木津温泉に入れる旅館は3軒ある。その中の1つ・ゑびすやは、昭和7年開業で、温泉はもちろん、冬場は豪勢なカニ料理を目当てに、多くのお客さんが訪れる。

昭和40年ごろには、小説家・松本清張がゑびすやの『明月の間』に泊まり、小説・『Dの複合』を執筆した。

 

2人も、京都府最古の木津温泉の、露天風呂へ入浴する。「うわぁ~、気持ちいい(なぁ)。」と声をそろえ、最高の温泉を楽しむ。木津温泉の泉質は、弱アルカリ性単純温泉で、筋肉痛・神経痛・皮膚病などに効く。限界まで疲れた2人には効果てきめんである。

 

木津温泉は、奈良時代に行基がしらさぎが傷を癒しているのを見て、発見したといわれる。松本清張氏も、執筆の合間に、この温泉に浸かって、疲れた脳や体をリフレッシュさせた、或いは、小説の構想を練っていたかもしれない・・・。

 

■簡易チャート

スタート: 京都府京丹後市網野町・琴引浜 → 『善助』(1.5km) → 八丁浜 (4.5km) →嶋児神社 (5.5km) →  昼食:『uRashima』 → 静神社 七竜峠夕日ヶ浦 (15km) → ゴール:木津温泉[ゑびすや] (17km)