MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の9日目~10日目のまとめ。
【9日目】 2017年12月14日(木)放送
旅の内容:●日本最古といわれる白浜温泉へ▲戦争の愚かさを未来に伝える平和公園■近大が世界に誇る水産研究所を見学★貝さまさま?!紀州藩お墨付きのお寺☀露天風呂から今日こそ見えるのか?夕日に染まる絶景
スタートは和歌山県田辺市・利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ]。ゴールは和歌山県白浜町・白浜温泉[崎の湯]。約16キロの道のり。
午前7:30、和歌山県田辺市の『ガーデンホテル ハナヨ』の前からオープニング。「おハナヨございます・・・。」と、くっすんのあいさつ。前回のロケを振り返り、お天気が悪く、ゴールの利三郎温泉のお風呂から、夕日が見れなかったことを心残りに思う2人。
ロケ日の天気予報は、晴れ時々くもりであるが、今回はゴールの白浜温泉から太平洋に沈む夕日を、視聴者にお届けできるだろうと意気込む2人。「今日は絶対(夕日を)見せてあげるからな。」と視聴者に約束するくっすん。
午前7:40、気温は5度と、平年並みの気温。河田アナは、「なんとか夕日が見たい。」と切なる思いを語る。何故なら、「今日は残念ながら雲がかかってますけど、まあ、これはこれでキレイですよね。」と毎週言ってるから。編集で、お天気の良い別の日に、スタッフさんがわざわざ行って撮ってきた映像を盛りこむが、河田アナは「ごまかしやからな、アレ。」と本音を語る。
午前8:00、自転車に乗って颯爽と通学する学生さんを見て、元気を分けてもらう。
スタートから2.5キロ、むかえらファンの高校3年生男子に、声をかけてもらう。くっすんが自分の印象を聞いてみると、「たまに馬鹿やってるかんじが・・・。」と言われる。笑っているくっすんに代わって、河田アナがしょっちゅう(馬鹿やってるん)ですと答える。その後、「いつも、何十キロ歩いて、すごいなと思ってる。」と褒められ、大人顔負けの構成を考えたコメントに、感心する2人。
河田アナが志望校をうかがうと、和歌山大学で、小学校のときに素晴らしい先生に出会って、教育学部を目指しているとのこと。受験生は、思いもよらぬ出会いで非常にビックリしていたが、大変喜んでくれた。
海岸線を南に快調に歩き、
スタートから6.5キロ、県道から脇道にそれ、
午前9:40、『鳥の巣 平和公園』に到着。入り江の反対側の山に、7つの洞窟がある。洞窟内に復元されたボートがある。
この公園は、もともと第二次世界大戦のとき、軍事基地としてつかわれた場所である。田辺湾に侵入してくる敵艦を想定して、本土を守るため、ボートと爆薬を洞窟に隠した。爆薬を積んだボートで敵艦につっこみ、乗員もろとも爆発させる作戦を予定していた。
この公園は、戦後70年にあたる2015年に、地元の保存会によって開園した。
保存会の理事長である白井さんに、ボートの前でお話しをうかがう。ボートの名前は、太平洋で敵を震いあがらせるという意味から、震洋(しんよう)と付けられた。戦争末期で鉄資材の不足のため、船体はべニア板が用いられた。
ボートの後部を見ると、人一人がやっと乗ることができる、狭いスペースが設けられている。
田辺では、結局震洋の出番はなかったが、隣町では少年兵が10人ほど待機していたという記録が残る。第二次世界大戦の終盤に、6,000隻以上作られたという震洋は、アジア各地で使用され、多くの少年兵が命を散らした。
戦時中、小学3年生だった白井さんは、アメリカの小型戦闘機『グラマン』に遭遇して、危なく命を落とすところだった。必死に妹をかばいつつ、さつまいも畑に隠れた。
震洋という非人間的兵器のため、多くの少年の未来が絶たれたというような、戦争下における恐ろしい空気を、いまの若者や子供たちはあまり知らない。それは、幸せなことかもしれないが、体験した戦争の愚かさ・悲惨さを、未来に残し、伝えて、日本で戦争で悲しい思いをする者が2度とでないように、という白井さんの思いを、重く受け止める2人であった。
午前10:30、スタートから8キロ、和歌山県田辺市から白浜町へ入る。
スタートから9キロ、午前10:50、西日本最大級の海鮮マーケット・『とれとれ市場 白浜店』に、早めの昼食がてらに立ち寄る。平日なのに、かなりお客さんが入っている。
建物の中に入ると、お土産屋さんのパンダの顔のついた、キャップがかわいくて、真っ先に手にとりかぶる、くっすん。キャップがかわいいことに、河田アナも共感する。お店では、和歌山県の様々な特産品や、全国から仕入れた旬な魚介類を販売している。
マグロコーナーで、マグロの解体ショーを見学し、迫力に圧倒される(くっすんは、マグロのかしらとしっぽを購入して家に持ち帰り、嫁を困惑させた)。
イートインスペースのある、とれとれ横丁にて昼食。河田アナは『堅田丼』プラス『あら汁』を、くっすんは『煮魚定食(カレイ)』プラス『鯛の身とヒラメの肝和え』を食べる。ご当地グルメの堅田丼は、はまちと鯛の刺身に、ヤマイモと卵を加えたどんぶり。くっすんは、長らく食べてなかったカレイの煮付けの、美味しさを思い出す。新鮮なお魚を安くたくさん食べられて、大満足。
午後0:40、スタートから11キロ、大阪から旅行にきた、おばちゃん3人組に出会う。観光バスで来て、お昼ご飯を食べるところで、コンビニに向かう途中とのこと(バスにもう2人、連れがいる)。今日の目的地をうかがうと、「白浜温泉・・・。」やら「ただ、しゃべるだけ・・・。」とか同時にしゃべるので、河田アナはたじたじになる。
昔のパート仲間?繋がりで、相手を思いやる気持ちで、40年近く友達関係が続いているらしい。
スタートから11.5キロ、『近畿大学 水産研究所第一養魚場』の看板を、道端に発見する。養殖のパイオニア『近畿大学 水産研究所』を取材する。近畿大学は、全国7か所に水産研究所をもち、和歌山県に5つの研究所が集中している。
研究所の方に、育てたお魚ちゃんを見せてもらいながら、詳しいお話しをうかがう。
白浜では、マダイ・シマアジ・ブリなど、約10種類の魚が養殖されている。卵から人工飼育して、大きくなるまで育てる。近畿大学では、ヒラメをはじめ、18種類の魚を、世界で最初に、人工ふ化から稚魚生産にこぎつけた。
近畿大学が水産分野で世界初を連発する、ワケをうかがう。近畿大学初代総長・世耕弘一が終戦間もないころ、捕る漁業ばかりでは食料不足がおこるのでは、と懸念して、魚の養殖を研究したのがきっかけという。以後、地道な研究が70年も白浜で続けられ、続々と研究の成果が実ってきた。
いけすで泳ぐ、クエを拝見する。平成20年に、養殖クエの量産化に成功した。
さらに今注目されてる技術が、交雑。異なる種類の魚で、卵と精子をかけあわせる。近畿大学では、クエとタマカイを交雑させ、クエタマなるハイブリッド魚を作りだした。「ぐでたまやったら知ってますけど・・・。」と初耳なくっすん。
いけすで泳ぐ、クエタマを拝見する。さきほど拝見したクエと同じ5歳なのに、一回り・二回り大きい。クエタマの魅力は、味は高級魚クエと遜色ないのに、タマカイの成長速度が早いという性質を持っていること。
いけすから網ですくい上げた、5年物のクエとクエタマを見比べると、大きさの違いは一目瞭然。近畿大学では、これまで18種の交雑魚を誕生させた。
河田アナがくっすんに「こんな魚作ってもらったら、嬉しいなとか、あるんじゃないですか?」と聞くと、ウナギイヌに会ってみたいとのこと。さすがに、犬の繁殖は専門外の近大。
クエタマは、生産がまだまだ不安定で、改良の余地が多々あるため、これからもっと研究して、安定的な供給を目指している。
午後3:00、スタートから13.5キロ、海岸の道路から、白良浜の北にある観光名所・高嶋(通称・円月島)を望む。日本の夕日100選に選ばれるほどの風景で、見る角度によって、真ん中の穴に夕日が収まる。
午後3:10、スタートから14キロ、本覚寺(通称・貝寺)に到着。本堂の前にて、河田アナが、貝寺と呼ばれる所以を説明する。
江戸時代、地元の漁師たちが、魚と一緒にとれた珍しい貝を、本覚寺に奉納していた。1650年に、紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣がお寺を訪問した際、貝を見て感激したとされる。それ以来、歴代藩主が白良浜の別荘地を訪れたときに、お寺を参拝し、貝を見る風習が続いた。
本堂の隣にある貝類展示室を、ご住職に案内されて拝観する。展示室は、約1,000種類・30,000点の貝殻が展示されている。拝観無料で、午前7:00~午後4:30まで。
白良浜あたりで多種多様な貝が捕れるワケは、黒潮の影響で、奄美大島周辺の貝が流れ着くため。
数ある貝の中で一番の注目は、お寺の名前を冠した『ホンカクジヒガイ』である。江戸時代に採れたモノだが、昭和4年に京都帝国大学(現:京都大学)博士・黒田徳米が本覚寺を訪れた際、未分類のこの貝に気づき、命名した。
昔はいたるところで採れていたというホンカクジカイ、現在はほとんど見つからない幻の貝となっている。
貝に続いて、最近修復された、江戸時代の絵巻物を拝見する。絵巻物には、本覚寺の住職が、紀州藩の8代藩主・徳川重倫の元へおもむき、珍しい貝を献上する様子が描かれている。1661年以降、年に1度、和歌山城にて貝を献上する行事が行われたという。
重倫は、献上された貝に満足し、「なんなりと申せ。」と住職に言った。それならばと、住職は大きなお寺にしてほしいと願い出て、お寺をゴージャスにしてもらい、紀州徳川家の家紋をつかうことまで許された。まさに、貝さまさまで、「貝をあげたカイ(甲斐)、ありましたね。」と、くっすんがダジャレを言って、満足する。ご住職に、「素晴らしいです。」とダジャレのお墨付きをいただく。
午後3:50、ゴールで夕日が見られるか、空模様をうかがいながら歩く。河田アナが、水平線の上に広がる、雲と空の具合を見て、夕焼けの見られる公算が大きいことを、丁寧に説明する。くっすんの方へ振り返ると、一人で先にずんずん歩いていたので、「おい、聞いてないやんか。」とキレイにツッコむ。
白良浜のビーチの前に立ち、空と太陽が織りなす絶景を満喫する。夏は海水浴でごった返す海も、冬は静かである。白浜は、大正時代から観光地として整備され始め、昭和20~30年代に、新婚旅行のメッカとして人気を集めた。
現在、白浜で、50か所に源泉が湧き、約140軒の宿泊施設が建ち並ぶ。
スタートから約9時間、源泉の横を通り、
午後4:20、スタートから16キロ、ゴールの白浜温泉[崎の湯]に到着。『崎の湯』は、雄大な太平洋が真近に迫る露天風呂。
脱衣所から屋外に出ると、波音高い太平洋に、度肝を抜かれる2人。海からちょっと離れた場所に、日本最古といわれる、波の浸食によってできた岩風呂がある。さらに海に近い場所に、岩風呂があり、2004年に造られた。
せっかくだから、より海に近い新しい岩風呂に、感情の高ぶったまま浸かる。冷たい外気温に、ほどよい温度の温泉で、超絶気持ちい~い。
そして、ついに、太平洋に浮かぶ夕日を、岩風呂から眺める。今日は、河田アナの十八番・「これはこれでキレイですよね。」を言わずに済む、文句のつけようのない夕日である。そして、まるで太平洋に浸かっているがごとく、自然と一体化する2人。
『崎の湯』には、658年に斉明天皇と皇太子(天智天皇)、江戸時代に徳川吉宗、が訪れた記録が残る。泉質はナトリウム塩化物泉で、神経痛・関節痛・婦人病などに効く。
感動すら覚える『崎の湯』を体験し、多くの貴人から庶民によって、この温泉が昔から愛され続けたことに納得する。「キレイな夕景(U.K.?)が見られて良かったですねぇ~。」と輝く夕日を背に、河田アナが締める。
■簡易チャート
スタート: 和歌山県田辺市・利三郎温泉[ガーデンホテル ハナヨ] → 『鳥の巣 平和公園』 (6.5km) → 昼食:『とれとれ市場 白浜店』 (9km) → 『近畿大学 水産研究所』 (11.5km) → 高嶋[円月島] (13.5km) → 本覚寺 (14km) → ゴール:白浜温泉[崎の湯] (16km)
【10日目】 2017年12月21日(木)放送
旅の内容:●椿温泉を目指し 白浜町を南へ▲熊野水軍が隠れた自然の要塞?!■中年のオッサンでもはしゃぐ?!あの人気者★鳴かずの池のカエルが鳴いた?!
スタートは和歌山県田辺市・白浜温泉[崎の湯]。ゴールは和歌山県白浜町・観福寺。約18キロの道のり。
午前7:00、和歌山県白浜町の白浜温泉[崎の湯]の前から、太平洋を背にオープニング。日本を襲う寒波で、気温7℃ながら、強風のため体感温度は低い(くっすんは-2℃)。次に目指す温泉は、約30キロ先にある椿温泉。
寒い寒いとオープニングから確認しつつ歩き、
スタートから2キロ、『三段壁』の道路標識を見つける。
三段壁のすぐ前には、飲食店が建ち並ぶ。
午前7:30、朝早くから営業している『漁火 三段点』で、店先の網で焼いている魚介類を食べる。まずは店員さんおすすめの『焼きホタテ』を購入する。香り良し、歯ごたえ良しで、くっすん曰く、「ホタテ界の王様」。続いて『焼きイカ』も購入し、美味しいとコメントを連発し、グルメ番組と化す。
午前7:45、三段壁に到着。高さ50~60メートル・長さ2キロに及ぶ断崖絶壁で、毎年50万人の観光客が訪れる。
2016年4月、プロポーズにふさわしいロマンチックなスポットとして、『恋人の聖地』に認定された。2016年10月には、究極の落下競技といわれるクリフダイビングの世界大会が、日本で初めて開催された場所でもある。
三段壁の下の海面は、洞窟の入口になっている。三段壁洞窟の社長さんに案内され、改装工事中だった洞窟を案内しもらう。屋内にあり、洞窟に繋がっているエレベーターで、36メートル下降すると、三段壁洞窟の中に到着。
この洞窟は、平安時代に活躍した、熊野水軍の船隠し場としてつかわれた。くっすんはすっかり忘れていたが、湯治場巡り・和歌山編8日目でお勉強した、熊野水軍とその長・湛増のエピソードなど、河田アナがさらっとおさらいする。
洞窟内には、熊野水軍が番所としてつかっていた小屋も、再現してある。約200メートルある洞窟を歩き、一番奥まで進む。足場から手すりの下を覗くと、けっこう激しく波が押し寄せている。
紀伊半島では、豊富にとれる木材を利用して、船を作る技術が発展した。そのため、水軍も発達して、荒れた海でも、洞窟に船を隠すことができた。
午前8:30、スタートから2.5キロ、アドベンチャーワールドの、親子パンダの愛くるしい看板を見かける。そこで、河田アナが、ロケ日にアドベンチャーワールドはお休みであることを告げると、しょんぼりするくっすん。続けて、「ところが・・・、今回特別に、何かを見学させてもらえることになりました。」という朗報に、「やった~。」とくっすん渾身のガッツポーズ。
スタートから4.5キロ、南紀白浜空港の滑走路を眺めつつ、歩く。
スタートから6.5キロ、閉園日のアドベンチャーワールドを、取材する。昭和53年に開業し、関西で初めてパンダの飼育を始めた。動物園+水族館+遊園地が一体となった複合アミューズメントパーク。
さっそくスタッフさんに、パンダのいるエリアへ案内してもらう。河田アナは初めての来園で、くっすんは自称『アドベンチャーワールドの顔』と豪語する。なんでも、7年前娘さんといっしょに、ファミリーウォーカーの取材で来園したとか・・・。そのときの記憶がよみがえり、「ここは夢の国ですよ。」とおっしゃる。
午前9:45、お食事中のパンダ(桃浜と桜浜)とご対面する。屋外でガラスもオリもなく、低い柵越しに間近でパンダを見ることができる。有無を言わせない圧倒的なかわいさに、40代のオッサンたちもパンダに釘づけ。
さらに、希少動物繁殖センター『パンダラブ』の屋内運動場にて、2016年に生まれ話題になっているアイドルパンダ・結浜とご対面する。結浜のチャームポイントは頭の上にピンと立っている毛(アホ毛?)。
河田アナ・くっすんへのサービスか、細い木に登って、上手にバランスをとりながら遊ぶ結浜。ときどきパンダも木から落ちるけど、プニプニボディで衝撃を吸収し、ケロッとしているという。あまりにも、キュンとさせられ、「これって着ぐるみじゃないですよね?」とくっすんが疑いをもつほど。
現在アドベンチャーワールドでは、結浜・お父さん(永明)・お母さん(良浜)・双子のお姉さん(桃浜と桜浜)の5頭が飼育されている。パンダの飼育スタッフさんに、お話しをうかがう。
大人のパンダは、一日20キロの竹を食べる。パンダの燃費は悪く、食べた竹の2割しか消化できず排泄してしまうので、起きているほとんどの時間を、食事に充てている。
アドベンチャーワールドでは、いままで15頭のパンダが生まれ、中国を除けば、繁殖実績の高さは1番を誇る。平成6年に繁殖研究のため、メスの蓉浜・オスの永明が中国から迎え入れられた。
パンダの繁殖に成功した理由をうかがう。パンダの発情シーズンは、春に3日間ほどしかない。毎日観察を行い、パンダの体調や行動を記録して、データを蓄積し、発情時のピークにしっかり繁殖できるよう努めている。
アドベンチャーワールドを出た後も、パンダのかわいさが頭に焼きついている2人。寒い・痛い・しんどいなどと、うだうだ言いながら歩いている映像に代わって、結浜の映像を流した方が、視聴者に喜んでいただけるのでは、と思う河田アナ。
午前10:45、スタートから7キロ、大きな住宅展示場を通りかかり、夢の一軒家に憧れ、アポなし取材を申しこむ。
KRGホームの営業部長さんに、白浜の丘陵地を利用した『Kパンダの住宅展示場』を、案内してもらう。現在、265棟の物件があり、ほぼ完売しているとのこと。全ての住宅に温泉をひいていて、自宅温泉目当てに購入するお客さんが多い。
一風変わった吊り橋付きの貸別荘を拝見する。吊り橋を渡って、2階からお宅に入ると、27帖のひろびろとしたリビングダイニングキッチンで、大きな窓から白浜の海・山を一望できる。
テンションがあげあげで、バルコニーから田辺湾を見下ろす。おもわず「ヤッホー。」と叫んだくっすん、「それ、山に向かって言うやつやから・・・。」と河田アナにツッコまれる。
この後も、別荘を見て回る2人に、湯治場巡りからお宅拝見のコーナーへ様相を呈する。8.8帖ある浴室は、巨大な信楽焼性の円形の浴槽が2つあり、ボタン一つで白浜温泉に入れる。
別荘を一通り見た後、別荘のお値段をうかがうと、土地+家具・家電を含めて5,380万円とのこと。「買おうかな?」と腕組みしながら、くっすんが一言。身の程を知らないくっすんに、「あんた週休3日やで。」と河田アナが現実を突きつける。「週休4日です。」と臆面なく訂正する。
スタートから9.5キロ、JR『白浜駅』の前に出る。駅舎にパンダがあしらわれ、親子パンダの銅像も設置されている。
駅から徒歩30秒のところに、お食事処を発見する。お店の前で、パンダラーメン・パンダうどんと、パンダメニューを発見し、すっかりパンダの虜となった2人はここでお昼をとることに決める。
午後0:10、『ふれ愛名産館 まつや』にて昼食。河田アナは『パンダうどん さんま寿司セット』を、くっすんは『パンダラーメン さんま寿司セット』を食べる。パンダの顔型のさつまあげは、食べるのがもったいない。寒い日には、あったかいモノが嬉しいと河田アナ。
スタートから14キロ、馬小屋の窓から、急にお馬さんが顔を出し、2人を歓迎してくれる。『きのくに乗馬倶楽部』で、装蹄師のお仕事を取材する。平成17年にオープンし、16頭の馬を所有する乗馬体験施設。
乗馬倶楽部のオーナーで、装蹄師の仕事をされている岡本さんに、お話しをうかがう。装蹄師は、馬の蹄が減ってしまわないように、馬の脚に蹄鉄をつけるお仕事である。
江戸時代には、馬の蹄をわらじで保護していた。明治に入ると、陸軍の軍馬の装蹄をおこなうため、フランスから蹄鉄を作る技術が伝わった。装蹄の方法は、現代とほとんど変わらない。
装蹄の作業を見学させてもらう。まずは、古い蹄鉄を外す、剥鉄の作業。次に、蹄を削って整える、削蹄の作業。装蹄で、一番大事で難しい作業とのことで、馬一頭一頭に合わせて、蹄を切り、ヤスリで削っていく。「なんか、ネールサロンみたい。」と、河田アナがコメントする。
いよいよ、蹄鉄を取りつける。その前に、蹄鉄を小さな炉で熱する。赤く柔らかいうちに、金づちで形を整え、蹄にくっつける、焼き付けの作業。ひづめからモクモクと煙があがるが、馬にとって熱く感じることはないし、慣れている。最後に、蹄鉄に釘を打ちこんで固定する、釘付けの作業。蹄に痛覚はないので、もちろん痛くない。
一連の作業が終わり、前足で、装蹄前と装蹄後の蹄を見比べると、形が全くちがう。ちなみに競走馬の蹄鉄は、鉄製ではなく、軽くて丈夫なアルミ製のものが多く使われている。
現在、装蹄師は全国で500人ほどいて、岡本さんは装蹄師の専門学校を15年前に卒業した。岡本さんに装蹄師の道を選んだ理由をうかがうと、馬に乗る人が主役なら、縁の下の力持ちとして支えたいという憧れがあったからとのこと。「ちゃんとした仕事をしてあげないと、馬もがんばって仕事できないわけですもんねぇ。」という河田アナに、岡本さんの後ろで、その通りだと?、すごい勢いで頷くお馬さんであった。
乗馬倶楽部を出て、すぐに出会ったのが、小学4年生の岡本さんの息子さん。将来なりたい仕事を聞くと、消防隊員とのこと。その動機は、お母さんから消防隊はモテると聞いたからで、次に給料が高いこと、そしていろんな人も助けられることを挙げる。感心する2人に、「消防隊になったら、いっぱい女の子が集まってくるけど、自分勝手な女の子は駄目。」とお母さんに言われていて、「お母さんみたいなお金の管理ができる彼女を見つけな。」とも言われていると明かす。
息子さんと別れて、さらに歩いていると、小学2年生の岡本さん家の弟くんと、お友達に出会う。弟くんは、真冬に半袖半ズボンの涼し気な恰好で、小学2年生にして身長147センチ・体重51キロの、貫禄あるボディーの持ち主。おっきくて得したことを聞いてみると、あえて言うならば「このお腹のおかげで寒くない。」とのことで、納得する2人。
将来はお父さんの仕事を継いでくれそうで、お兄ちゃんが公務員になって、牧場を弟くんが継いだら、両親は万々歳だろう。
スタートから約9時間、
午後4:10、スタートから18キロ、ゴールの観福寺に到着。鎌倉時代に創建され、お寺の前にある『鳴かずの池』には、江戸時代の住職・龍賀法印の伝説が残る。
池の前で、ご住職にお話しをうかがう。
鳴かずの池
龍賀法印が勉強しているとき、池のカエルの声がやかましいので、黙らせようと、小僧に紙を渡して、池に投げに行かせた。ただし、紙に書いてある内容を見ないように、釘を刺した。
しかし、小僧は中身がどうしても気になって、紙を覗いてしまった。その後、池に紙を投げ込んだが、カエルの鳴き止む気配はなかった。小僧は、紙を見たことを隠して、事の次第を龍賀法印に報告して、言いつけを守らなかったことがバレた。
同じミッションを与えられた小僧が、中を見ずに池に紙を投げ込むと、ついにカエルは鳴き止んだ。
それからというもの、観福寺では一切、カエルは鳴かないとのこと。だがしかし、近年、カエルの鳴き声が復活した。20年ほど前に、池の底を洗いだしてみると、ウシガエルが潜んでいた。ウシガエルは外国から日本へ入ってきた種なので、龍賀法印の日本語が通じなかった・・・というオチである。落語のようなオチに、河田アナはホンマですかと笑い、くっすんは納得した。
■簡易チャート
スタート: 和歌山県田辺市・白浜温泉[崎の湯] → 『漁火 三段点』→『三段壁 (2km) → 三段壁洞窟 → アドベンチャーワールド (6.5km) → 『Kパンダの住宅展示場』 (7km) → JR『白浜駅』前 → 昼食:『ふれ愛名産館 まつや』 (9.5km) → 『きのくに乗馬倶楽部』 (14km) → ゴール:観福寺 (18km)