MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の5日目~6日目のまとめ。

 

【5日目】 2017年11月09日(木)放送
旅の内容:●2つの峠を越えて みなべ温泉を目指せ▲お地蔵に 背中押されて 峠越え■黒竹の加工場を見学★追いかけられて?!道成寺

 

スタートは和歌山県有田郡広川町・延命山地蔵寺。ゴールは和歌山県御坊市・宝の湯。約17キロの道のり。

 

午前7:30、和歌山県広川町の延命山地蔵寺の、本堂前からオープニング。朝から気温10度と寒く、手袋を忘れてきたことを後悔するくっすん。4日目の最後で、お参りした『汗かき地蔵』を河田アナがさらっと説明すると、「初耳です。」と忘れっぽいくっすん。念のため、地蔵様のおわすお堂に向かって、峠越えの安全を願う。

 

午前7:50、緑色だったミカン畑は、黄色く色づき、寒さに季節の移ろいを感じつつ歩く。

 

スタートから0.5キロ、鹿ヶ瀬峠の入口を通過する。鹿ヶ瀬峠は通称大峠と呼ばれ、小峠と続く2段構え。熊野古道の難所だけあって、序盤から、急な坂道に苦しむ2人。

 

峠に入って30分、雲一つない快晴のもと、遠くの山々まで見えるビュースポットで、登ってきた方角を望む。

横になりながら景気を楽しむというくっすん、「まるで・・・、空の上で寝ているような気分です。」と、早くもお疲れ。傍らで座って休憩する河田アナは、先行きの不安を隠せない。

 

午前8:40、10月の台風のせいか、所々、道の通行が困難になっている。

こまめに休憩をとっていたくっすんだったが、急に精気を取り戻し、すたすた進む。背中をすごい押されている感じして、汗かき地蔵の不思議な力のおかげと、本人は思いこんでいるが、河田アナに「休憩ばっかりしてるからちゃう?」とツッコまれる。

ともあれ、順調に歩き、『熊野古道 鹿ヶ瀬峠まで152m →』の道しるべを通過する。

 

峠に入って1時間30分、

午前9:10、ようやく鹿ヶ瀬峠頂上(標高350メートル)にたどり着く。頂上は、だだっ広い更地になっているが、江戸時代には10軒ほど茶店・旅籠が、軒を連ねていた。昭和に入り、熊野詣の衰退で、最後の1軒までなくなった。

 

大峠頂上より、標高の低い小峠まで下ってゆく。ぐちゅぐちゅにぬかるんでいる地面に注意しながら、500メートル道を下り、小峠頂上に至る。

 

午前9:30、小峠にて、和歌山県有田郡県広川町から日高郡日高町に入る。

熊野古道で現存する石畳で最長(503メートル)の、小峠の石畳道を歩く。長々続く下り道に、くっすんはダンシング膝になる(くっすん用語で、膝が笑うと同義語)。

 

午前10:00、小峠を下りきり、下界に戻ってくる。

 

スタートから5.5キロ、大きな倉庫の前で、うたぐり深いおとうさんに出合う。「ホンマに歩いてんの?」と2人にとって耳たこのセリフを言われて、河田アナが歩いてますと、根気よく丁寧に諭す。「信じられへんなぁ。」と残念ながら、まだ半信半疑の様子。

毎週、何度も言うよ・・・、ほんとに歩いてます

 

さらに、カフェを経営している大阪出身のご夫婦に、道端で出会い、あいさつを交わす。おかあさんから、「よかったら入ってください。」と誘われ、『カフェ れん』にて一服。お飲み物に加え、コストパフォーマンスの高い『チーズケーキ』を注文すると、地元産の柿が添えられて、嬉しい。

 

おかあさんは、親の介護を機に仕事を辞めて、田舎暮らしたいと移住したとのことで、おとうさんも、自分で作ったモノを自分で口に入れる、という夢が昔からあったので、それをかなえた。また、田舎の空気の良さは、何事にも代えられない。

 

午前11:00、日高町の原谷地区に入る。

 

黒竹を扱っている、創業約100年の『金崎竹材店』を取材する。3代目社長さんに、お店の裏手に生える黒竹を見せてもらう。生えたての黒竹は、普通の竹と変わらないが、半年ごろから徐々に黒く変色する。黒竹の寿命は3年程度。

 

室内・家具の装飾材や庭の竹垣に、昔から用いられた黒竹。希少性が高く、高級な竹である。明治時代から続く植林のおかげで、日高町の黒竹生産量は日本一を誇る。

 

黒竹の加工作業を見学する。下準備として黒竹を伐採した後、余分な枝を切り落とし、2か月ほど乾燥させる。

職人の熟練した技を要するのが、火入れ作業。黒竹を火であぶって出てきた竹の油分で、表面にツヤをつける。火入れ前後の黒竹を比べると、一目瞭然で光沢の違いがでる。竹1本1本厚みが違うので、あぶり加減が難しいとのこと。

さらに、熱して柔らかくなっている黒竹を、万力という道具で挟んでしならせて、真っすぐにする。

 

かつて6~7つあった黒竹を扱っている事業所も、現在、日本で金崎竹材店さんだけになった。

4代目を継ぐ社長の息子さんは、4年前まで飲食店をやっていた。伝統工芸を守る30歳の若きホープとして、お父さんに信頼されて、勉強中。しっかりとした息子さんを見て、「ちゃんと育てはったんやなと。」言うくっすんに、「(育てたのは)お母さんです。」と率直なお言葉のお父さん。

 

午後0:10、スタートから7.5キロ、なた豆の畑を手入れをしているおとうさん方が、休憩しているところに出会う。なた豆茶をふるまわれ飲むと、香りが良くて美味。

原料のなた豆を見せてもらい、長さ30センチほどある、さやの大きさにビックリする。なた豆を丸ごとスライスして、乾燥して焙煎すると、なた豆茶の元ができる。

 

なた豆は成長が早く、ツルが6メートルの長さまで成長することから、童話『ジャックと豆の木』のモデルになった豆といわれている。江戸時代の初めに中国から伝わったなた豆は、日高町でも作られるようになった。ちなみに、さやの部分は、福神漬けの原料としてつかわれている。

なた豆栽培歴2年のおかあさんは、育てるのは成長の早いので、難しいというより楽しいとのこと。

 

なた豆のツルは巻きつくところがないと、戻る習性があるので、昔の旅人は無事戻ってこられるように、なた豆をお守りにしていた。くっすんは、豆をお守りとしてもらう。

 

午後2:00、気温は21℃で、朝から10℃以上上昇。ギラつく太陽が眩しい。いつもの昼ご飯の時間を過ぎているが、辺りはのどかな田舎で、食べるお店が見当たらない。

 

午後2:20、スタートから12キロ、和歌山県日高郡日高町から御坊市に入る。

 

スタートから14キロ、相変わらずハラペコな2人は、出会った地元のおかあさんを頼みに、お昼ご飯を食べられるお店を聞く。これから訪れる予定の歴史ポイント・道成の近くに、『雲水』さんと『あんちん』さんの2軒があり、お店の近くまで案内していただく。

 

午後3:10、スタートから15キロ、『お食事処 あんちん』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『九絵鍋ちょこっと膳』を食べる(※要予約)。和歌山の冬の味覚・高級魚クエをメインに、いつもよりちょこっと贅沢なランチ。空腹も相まって、美味しさ倍増。

 

午後3:50、ご満悦の2人は、お店を後にして、日高町にある道成寺にすぐに到着。701年に創建され、和歌山県最古のお寺とされている。境内の宝仏殿には、千手観世音菩薩と脇侍の月光菩薩・日光菩薩が安置され、国宝に指定されている。

 

境内にある縁起堂の中で、安珍と清姫の悲恋物語について、ご住職に絵巻物を見せてもらいつつ、お話しをうかがう。

 

イケメン安珍と一途な清姫

今から1000年の昔、たいそう美男だった僧侶・安珍は、熊野の手前で宿をとり、そこで清姫という娘に一目ぼれされた。清姫の猛アピールにタジタジになった安珍、熊野詣を終えた帰りに、再び会いまみえると、その場を取り繕った。

しかし、安珍は参拝の帰り、約束を反故にし、清姫をスルーした。それを知った清姫、思いを踏みにじられたと鬼のごとく猛追した。追いかける清姫の姿は、徐々に大蛇へと変化していった。

これはかなわんと安珍は必死に逃げて、道成寺にたどり着き、境内にある鐘の中に逃げこんだ。道成寺まで追いかけてきた清姫は、すでに完全体の大蛇へ変化し、鐘に巻きついて、口から吐く炎で、外から鐘を熱した。

安珍を成敗し思いを果たしたと、清姫は日高川に身を投げた。

その後、お坊さんたちによって、あわれ無残な安珍の焼死体が、釣り鐘の中から発見された。

 

現代に生きる者にとって、深く共感できる男女の物語であり、自分にとって大事な人との関係を思い起こすきっかけにしてほしいと、ご住職が提起する。

ちなみに、くっすんは追いかけられた心当たりはなく、むしろ執念深く追いかける清姫タイプだと、自ら認める(ですよね・・・)。

 

午後4:50、日没が迫るなか、日高町から、再び御坊市に入る。

 

スタートから約10時間、

午後5:10、スタートから17キロ、ゴールの銭湯、『宝の湯』に到着。2000年にオープンした、御坊市唯一の銭湯。温泉も銭湯もなかった御坊市に、憩いの場として作られた。

 

銭湯は、平日なのに、多くのお客さんで賑わっている。早速、2人は湯船につかり、長旅の疲れを癒す。朝っぱらから峠を越えて、長い距離を歩くハードな一日であったが、幸い天気に恵まれ良かったと、河田アナが今回の総括する。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県有田郡広川町・延命山地蔵寺 鹿ヶ瀬峠 小峠の石畳道 カフェ れん』 → 金崎竹材店 → 昼食:『お食事処 あんちん』 (15km) → 道成寺 ゴール:『宝の湯』 (17km)

 

 

 

【6日目】 2017年11月16日(木)放送
旅の内容:●みなべ温泉を目指し 御坊市を南へ東京オリンピック開催の功労者■新鮮なお魚ちゃんランチゴール後のお楽しみ?!

 

スタートは和歌山県御坊市・宝の湯。ゴールは和歌山県日高郡印南町・かえる橋。約14キロの道のり。

 

午前8:00、和歌山県御坊市にある銭湯『宝の湯』の前の、駐車場からオープニング。最近雨降りのオープニングが多い気がする2人であるが、今回もビニール傘を差してのスタート。ロケ日の天気予報は、雨のち曇り。ロケ日を火曜日から変更して、雨の呪縛から逃れられると思った河田アナの期待もむなしく、容赦なく雨。2人かスタッフさんの誰かが、やはり雨男?

 

午前8:10、歩きながら、話題はお天気。今週のうち、ロケ日だけピンポイントで雨だと、不思議がる河田アナ。早くも、靴の中に浸水したくっすんは、「靴の中濡れると、苦痛やわー。」とテンションが下がる。河田アナのツッコミ待ちだったが、ツッコんでくれないので、何度もギャグを繰り返す。
 

スタートから0.5キロ、電線にとまっている、鳥の団体さんに出会う。くっすんが、「雨宿りしてるんじゃないですか?」と言って、河田アナに「いや、雨かかってるけどね。」とツッコまれる。

 

スタートから1.5キロ、いにしえの面影を残す、御坊寺内町界隈を歩く。本願寺日高別院を中心に栄えた東西400メートル・南北400メートルの区域で、2人は別院前を通る。別院は、日高御坊とも呼ばれ、御坊市の由来になった。

 

午前9:10、御坊寺内町内会館内の一角にある、和田勇資料館を取材する。和田勇は、1964年の東京オリンピック開催に尽力したお方で、御坊市にゆかりがある。勇の父は、御坊の生まれで、仕事を求めてアメリカに渡った。アメリカで生まれた勇は、日本人の心を育んでほしいとの父の思いから、御坊市にある実家に預けられた。

日本で4~9歳まで過ごし、アメリカにもどって青果店を営み、実業家として成功した。

 

館長さんから、和田氏が東京オリンピックに関わる経緯をうかがう。太平洋戦争が終わり間もない頃、全米水泳選手権大会が催された。アメリカでは、敵国だった日本人を泊めてくれるホテルはなかったので、和田氏は日本人選手に宿泊・食事・会場への送迎などを提供した。その後、アメリカにやってきた様々な競技の日本選手を、奥さんとともにサポートした。

 

その実績を買われ、昭和39年の東京オリンピック招致に向け、カギを握る中南米諸国の票を集めてほしいと依頼された。和田夫妻は、南米諸国を歴訪して、日本への支持を集めた。

活動にかかった旅費など経費は全て実費で払ったし、移動で乗った飛行中のプロペラ機が故障して危険な目にあった。しかし、戦後日本の復興の旗印として、なんとしても日本でオリンピック開催をするという思いが強かった。その甲斐あって、前評判の低かった東京が、中南米の票を集め、日本開催へ漕ぎつけた。

 

2020年のオリンピック開催が東京に決まったとき、和田氏はすでに2001年に亡くなっていたけれど、奥さんはご存命で見届けていた。その後すぐに奥さんは亡くなられたが、天国で和田氏に、2度目の東京開催を報告しているのでは、と館長さんは考える。

 

河田アナが、「今回の東京オリンピックも、いろんな人の・・・、努力が実った結果やと、我々分かとかな駄目ですね。」とまとめる。くっすんは、「あと100日ですもんね、オリンピック開催まで。」と0を一つ付け忘れて、河田アナに訂正される。

 

これで和田勇資料館での取材終了と思いきや、地元の紀州新聞社のライターさんが、河田アナ・くっすんが資料館にいると聞きつけ、逆取材に訪れる。ロケ日の夕刊に2人の記事を載せる、という寝耳に水な知らせで、館内で新聞につかう写真を撮ってもらう。

 

新聞記事を楽しみにしつつ、日高川を渡り、御坊市内を南へ歩く。

 

午前11:20、スタートから4キロ、幼稚園の前で、2歳の女の子とお母さんに出会う。河田アナが女の子にインタビューし、好きな食べ物はゴハンで、好きな遊びは人形遊びとのこと。くっすんが、別れ際に「最後に、『くっすん』って言ってみて。」とお願いすると、不穏な気配を感じたのか、無言のうちに断られた

 

スタートから5キロ、再び熊野古道紀伊路に入る。

午後0:00、お昼を知らせるチャイムの音が聞こえてくる。イギリスのウェストミンスター宮殿の鐘の音が、発祥のこのメロディー。河田アナが、日本全国の学校のチャイムのメロディーが、なぜイギリスの鐘の音で統一されているのか、ふと疑問に思う。

 

学校のチャイムの発祥

昭和30年ごろまで、学校の時報は、手持ちの鐘や、空襲のサイレンが主であった。しかし、太平洋戦争後は、サイレンは空襲を思い出させると嫌がるこどもいた。

そんな折、中学校教師がラジオで聞いた、ウェストミンスターの鐘の音を気に入り、学校のチャイムに採用され、全国に広まっていった。

 

海が見える高台を歩く。海を見て、お腹が減ってくるとくっすん。その仕組みはというと、海にいるお魚を想像し、「『えんがわ』が泳いでるじゃないですか。」と答える。それを言うなら「ヒラメが泳いでいる。」と言った方がよいと、アドバイスする河田アナ。

 

午後0:20、最近苦労している、お昼ご飯を食べるお店探し。

午後0:30、スタートから7キロ、建物に『いせえび』と書いてあるのを、遠くから、腹ペコな人が見つける。

 

建物を覗いてみると、新鮮なお魚さんたちが、ショーケースに陳列されている。江戸時代末期から操業しているお魚屋さん『はし長』で、レストランも併設されている。

大がかりないけすには、生きた魚たちが泳ぎ、2人は好きな魚を網ですくう。すくった魚は、お昼ご飯のメインディッシュとして、店長さんに刺身にさばいてもらう。

予算1,000ぐらいでと店長さんに伝え、オススメの魚を教えてもらい、イサキ・チダイを確保し、名物であるアジの干物を購入し、焼いてもらう。

 

というわけで、『はし長』のレストランにて、楽しいランチ。河田アナは『イサキ定食』を、くっすんは『チダイ定食』を、いっしょに『アジの干物』を食べる。

やはり新鮮度マックスの刺身は格別美味しく、熟成され旨み成分を増した『アジの干物』も絶品。「アジだけに、味がいいですね。」とくっすん。

 

午後2:30、スタートから10.5キロ、おしゃれな小学校から、学校を終えた小学生たちが集まってくる。なかでも、とにかく目立つ体の大きな男の子は、小学6年生で、身長165センチで体重100キロで、相撲をしているとのこと。

 

和歌山県少年相撲大会で優勝するほどの実力に、相撲が得意と言いはるくっすんが、相手の土俵で相撲勝負を挑む。力の差は歴然で、くっすんの力ではびくとも動かない。ケガしないようやさしく投げてもらい、予想通り完敗であった。

相撲は楽しく、将来プロのお相撲さんになりたいという未来の横綱に、2人はエールを送る。

 

午後2:50、スタートから12キロ、辺りはビニールハウスがいっぱい並んでいる。ハウスの中では花を育てている。2人が歩いている御坊市名田町は、花の栽培が盛ん。

 

ビニールハウスの中で、父親の代から花を栽培している、斎藤さんにお話しをうかがう。

大きなビニールハウスのなかでは、スターチスを栽培している。昔から仏花としてつかわれてきたが、最近では結婚式やドライフラワーと活躍の場が増えている。

 

冬場、御坊市で栽培されるスターチスは、国内生産の90%を占める。御坊市では他に、ガーベラやカスミソウ・スイートピーなど栽培されている。

この辺りは、もともと豆の生産地であったが、同じ場所で豆ばかり作っていたので、良質な豆ができなくなり、昭和60年ごろから花作りにシフトしていった。

 

くっすんが斎藤さんに、単刀直入に「儲かるんですか?」と尋ねると、「厳しいですね。」とのこと。花はデリケートで、湿度の管理や、病気にならないよう、日々気をつかっている。

4色のスターチスを見せてもらい、色の鮮やかさと種類の多さに驚かされる。

 

今後は、もっと、スターチスを広く知ってもらいたいという。10年ほど前に、御坊の若い花き栽培者でフラワーボーイズを結成し、母の日にはお墓参りをして、お花(スターチス)を墓前に供えてほしいと呼びかけている。

 

午後3:50、地元を盛り上げる若者に感心しつつ歩き、地味にそこそこの坂道を登り、そして下る・・・の繰り返し。

 

スタートから12キロ、和歌山県印南町に入る。

 

スタートから9時間

午後5:10、スタートから14キロ、ゴールのかえる橋に到着。橋を渡る方向から見てもカエルには見えないが、橋の側面部分を横から離れて見ると、橋げたが大きなカエルの顔をしていて、その上に小さなカエルの顔がのっている。

インパクト抜群のかえる橋は、町の発展を願い、平成7年に建てられた。橋のコンセプトは、かんガエル(考える)・人をカエル・町をカエル・古里へカエル・さカエル(栄える)の5つ。

 

この日も無事旅を終えた2人に、ご褒美として、紀州新聞の夕刊が届く。ワクワクして紙聞を開くと、『河田アナ・くっすんがリポート』の見出しが躍り、くっすんもガッツポーズで大喜び。紙面を大きく割いて、2人が地元の偉人・和田勇をリポートする様子を、克明にリポートしている。

紀州新聞に感謝しつつ、くっすんは、「このコーナーもますます栄え・・・。」と締めの言葉を噛んでしまう。グダグダのまま、河田アナはテイク2を許さず、「もう、帰る。」と、さっさと撮影を撤収させた。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県御坊市・宝の湯 本願寺日高別院(1.5km) → 和田勇資料館 [御坊寺内町内会館内] → 昼食:『はし長』 (7km)  → ゴール:かえる橋 (14km)

2017年11月18日(土)、兵庫県姫路市JR姫路駅構内にて、『湯どころ・見どころ 冬の山陰!』のイベントが行われた。

 

山陰デスティネーションキャンペーンアンバサダー』のお2人が司会進行を務め、PRに島根・鳥取のゆるキャラと、『山陰デスティネーションキャンペーンアンバサダー』『鳥取しゃんしゃん鈴の音大使』・『まつえ若武者隊』の皆さんが、ゲスト出演した。JRの冬季限定列車『かにかに日帰りエクスプレス』が運行されはじめて10日ほど。この頃、山陰を盛り上げようと、毎年PRイベントが姫路駅で開催されている。

 

鳥取しゃんしゃん鈴の音大使

山根かえでさん・中山紗希さん・安道渉子さん

鈴の音大使の方々は姫路お城祭りでも、よくお見かけします

 

しゃんしゃん傘踊り

 

 

 

 

まつえ若武者隊

忍者月照さん・本間亀二郎さん・堀川茶々丸さん

お三方、しゃべり慣れていて、アドリブがとてもお上手でした。新喜劇ばりのかけあいで、ギャグも楽しかったです

 

演武

 

 

 

また、観客の中から3名の勇士を募り、剣術の指南(チャンバラ劇)をした。参加した3名には、免許皆伝の書?が贈られた。

 

 

ゆるキャラ

すーぱーはくとくん

智頭急行のマスコットキャラ。名前の由来は、もちろん特急スーパーはくと。ちなみに、わたくしが好きな推理作家・有栖川有栖氏の小説・『白い兎が逃げる』にも、スパーはくとが出てきます

 

しまねっこ・トリピー

島根県のゆるキャラ『しまねっこ』・鳥取県のゆるキャラにして、ゆるキャラの祖『トリピー

 

 

カメラに近寄って、サービスしてくれた

 

 

山陰デスティネーションキャンペーンアンバサダー

木村美咲さん・田中加奈さん

 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の3日目~4日目のまとめ。

 

【3日目】 2017年10月19日(木)放送
旅の内容:●長保寺から栖原温泉へ怪奇現象?!刀が勝手に飛びまわる■里人を見守る2Dの仏様★井戸水が温泉?!紀州の隠れ湯

 

スタートは和歌山県海南市・長保寺。ゴールは和歌山県有田郡湯浅町・栖原温泉。約16キロの道のり。

 

午前8:00、和歌山県海南市の長保寺の、大門前からオープニング。暑くも寒くもないちょうど良い天気の朝。今回の旅も、前半戦は熊野古道をゆく。

 

スタート直後、くっすんが最近初体験したことを語る。人生で初めて、家族で人生ゲームをしたとのこと。人生ゲームのキモは、各プレイヤーがよき伴侶を見つけて、子供をもうけて、家族をつくることである。嫉妬深いくっすんは、くっすん・嫁・息子でプレイして、嫁が現実と違う家族をつくることに我慢ならなくて、「これはもう浮気やと・・・。」と人生ゲームを途中で断念した。

聞きに手回っていた河田アナは、「時間とみんなの労力を返してくれる?」とこんなもん放送できるかぁ?と思ったが、放送されちゃった。

 

スタートから続く坂道は、ミカン畑だらけ。下津港まで見える、見晴らしの良い場所で、景色を眺めていると、下にある集落の民家2階のベランダから、子供を抱きかかえたお母さんに、「おはようございます。頑張ってください。」と大きな声援をいただく。

 

スタートから1キロ、熊野古道に入る。

熊野古道に入ってから10分後、和歌山県海南市から有田市に入る。「有田市でおいしいものにたくさん出会いた~い。」と、くっすんの地名ギャグ不発

 

道中、蕪坂王子社の前を通る。王子社は、熊野古道にあり、参拝者の安全を祈願する神社。その昔、参拝者が休憩所として利用した。

神社の前に、電話ボックス風の箱に、誰でも自由に書けるノートが置かれている。せっかくだから、2人もノートに記帳し、足跡を残す。

 

有田市に入ると、急な下り坂が続き、ほどなく太刀宮に到着。元は、無名の社だったが、ある伝説からこの名がついた。

 

定直と不思議な太刀

有田の剣豪・宮崎定直は、真田幸村に乞われ、大阪冬の陣の際、豊臣方についた。冬の陣で奮戦するも、活躍は認められず、豊臣方敗北で命からがらこの社に逃げてきた。

安心したのか、つい眠ってしまったところ、夢の中で敵勢に襲われた。すると、帯刀していた刀が勝手に鞘からスルリと抜けて、次々に敵たちを倒していった。

定直が夢から覚めたとき、無数の死体と、2つに折れた太刀が転がっていた。

 

定直は、折れた刀をこの社に奉納し、以後”太刀宮”と呼ばれるようになった。

太刀宮には、厄除け・病気平癒の参拝者が訪れ、数々の刀が奉納されている。2人も、霊験あらたかな社で、静かに手を合わす。

 

熊野古道をさらに下り、

スタートから6キロ、爪書地蔵に到着。直径4メートルの岩をとりこむように、お堂が建てられている。

平安時代、弘法大師がこの地を訪れた際、岩に阿弥陀如来と地蔵菩薩の姿を、自らの爪で描いた(書いた)とされる。それを聞いたくっすんは、「めっちゃ爪んなか、真っ黒になりますねぇ。」とコメントする。

 

『有田市 語り部の会』の夏見さんにガイドしてもらい、特別にお堂の中で、実物の仏様を拝観する。大きな岩の表面に、うっすらと阿弥陀如来・地蔵菩薩の姿を確認する。

大師様の、里人の安全・幸せを願って描いた仏様に対して、「この線がね、だんだん消えていったら困るなぁと思うんですけど・・・。」というガイドさんの思いに、頷く河田アナ。長くこの地で大切にされてきた仏様に、2人は旅の安全を祈願する。

 

ガイドさんに、次の歴史ポイントまで同行してもらい、道中あれこれうかがう。お年をうかがうと74歳で、健康の秘訣は歩くこと。この頃、和歌山城に中国からの観光客が増えたので、熊野古道にもやってくることを見込んで、最近中国語を習い始めたとのこと。

チャレンジ好きな夏見さんは、「あなた(くっすん)と正反対ですね。」と河田アナが一言。くっすんは、できることなら、家でずっとテレビを見て過ごしたい。

 

熊野古道をどんどん下り、宮原町を見下ろすビュースポットにさしかかる。宮原町は、周辺をミカン畑の山々で囲まれているので、もう少し時季が遅ければ、ミカンの実で黄色に彩られたであろう。

 

坂道を下りきり、しばらく歩くと、『伏原の墓』に到着。熊野詣でで行き倒れた旅人を供養するために、建てられたお墓が集められた墓地。昔の人は、死を覚悟してお参りした。

最も古い墓石は、形から推測して鎌倉時代のものとされる。2人も、先人を見習って、気を引き締める。お墓の前で、ガイドさんにお礼を言って、お別れする。

 

午後0:20、スタートから8キロ、JR『紀伊宮原』駅前にあるお食事処『まるみや食堂』にて昼食。河田アナは『焼肉定食』を、くっすんは『オムライス』を食べる。くっすんが、お母さんの作ってくれたオムライスの味を思い出し、懐かしむ。

食べるところをずっと探していて、やっとお店を見つけたので、ホッとした2人であった。

 

有田川の河川敷を軽快に歩く。2017年最後の残暑に、汗をかきかき。

 

続いて2人が訪れたのは、和歌山県の特産物を原料にした加工食品を製造・販売する『ふみこ農園』。南高梅の梅肉を練りこんだ梅うどんを皮切りに、これまで開発したアイデア商品は、200種類以上。従業員はほとんど女性で、主婦目線を生かした郷土色豊かな商品を開発している。

 

店内で河田アナが手にとったのは、皮を取り除いた和歌山産のミカン6つを、ジュレとともに縦に瓶詰めにした『まるごと温州みかん』。その隣の商品は同シリーズで、河田アナが梅の実と間違えた緑色の若桃を、十数個つかった『まるごと あら川の若桃』。

 

社長のふみこさんに、お話しをうかがう。インパクトのある個性的な商品に、「とにかくこれ、インスタ映えしますね。」と絶賛する。開発のきっかけは、味はまったく問題ないけれど、見てくれが悪くなって売り物にならない有田ミカンを、捨てるのはもったいないという思いから。

河田アナは『まるごと温州みかん』を、くっすんは『まるごと あら川の若桃』を試食させてもらう。両方とも、果物そのままの姿・味を生かして、ジュレで上品に仕上げている。くっすんは、『ダシが出てますね、桃の。』と独特な表現をつかう。

 

スタートから13キロ、河田アナが歩きながらくっすんに問う。むかえらで今まで歩いた総距離5,500キロって、どのくらいの長さか・・・。例えば、大阪から南に5,500キロ行けば、オーストラリア大陸の一番北側辺りに着く。西だと、インドの首都・ニューデリー辺りに着く。千里の道も一歩から、コツコツ毎週歩いてきた距離が積もり積もって、途轍もない距離になるんだなあとしみじみ思う河田アナ(BGM:ガンダーラ)。

 

間もなく、栖原温泉のある湯浅町に突入する。

湯浅湾で獲れるシラスを加工している『しらす屋前福』を取材する。創業明治36年で、昔ながらの製法を守る5代目から、お話しをうかがう。紀伊山地から流れる植物性プランクトンを含む水が、おいしいシラスを育むとのこと。

 

出来立てのちりめん山椒を、試食させてもらう。ご飯を何杯でもいけると河田アナ。

続いて、出来立ての釜揚げしらすもいただく。「口の中で溶けた・・・。綿菓子みたいな、こうフワーっと・・・。」とくっすん。この時季のシラスは、一年のうちで品質が優れている秋シラスなのだ。

 

スタートから15キロ、日暮れの早さを実感しつつ、黄昏どきを歩く。

 

スタートから16キロ、ゴールの栖原温泉に到着。明治25年創業で、温泉旅館として開業し、『紀州の隠れ湯』として親しまれてきた。冬の季節は、紀州の高級魚として名高いクエをつかった料理が、シーズンを迎える。

さっそく、2人は内風呂に入って、疲れた体をほぐす。栖原温泉の泉質は、弱アルカリ性低張性冷泉泉で、源泉である19℃の井戸水を、加熱してお湯にする。

 

栖原温泉起源

明治時代、各家庭にお風呂がなく、近所同士でもらい風呂が行われていた。「ココの家の井戸水で沸かすお風呂は、不思議と体の調子が良くなる。」と巷で話題になり、役人が井戸水の成分を調査すると、温泉だと判明した。

 

今回の旅で、くっすんが湯治場巡りの神髄を話して締めくくる。

「毎回すごいしんどいじゃないですか。最後のゴールで、湯治があると思うだけでがんばれる・・・。」と。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県海南市・長保寺 蕪坂王子社太刀宮 爪書地蔵 (6km) → 『伏原の墓 → 昼食:『まるみや食堂』 (8km) → ふみこ農園しらす屋前福 ゴール:栖原温泉[旅館 栖原温泉] (16km)

 

 

 

【4日目】 2017年11月02日(木)放送
旅の内容:●湯浅温泉を経由し広川町へ▲醸すぞ?!蔵つき酵母■湯浅城?!いえ、温泉です津波から村を救った英雄

 

スタートは和歌山県湯浅町・栖原温泉。ゴールは和歌山県広川町・延命山地蔵寺。約13キロの道のり。

 

午前8:00、和歌山湯浅町にある『旅館 栖原温泉』の前からオープニング。残念ながら、雨降りスタートで、ロケ日の天気予報は、雨のち曇り。今回立ち寄る湯浅温泉は、今まで紹介してきた温泉にはない珍妙な温泉だと、河田アナが視聴者の期待を膨らませる。

 

すっかり季節も移ろい、出だしは気温14℃と肌寒い。

スタートから0.5キロ、海沿いを歩くが、雨でどんよりとした風景。「でも、この海底には、美味しいお魚ちゃんがいっぱいいるんですね。」と、食欲旺盛なくっすん。

 

午前8:50、スタートから2キロ、湯浅(文化庁選定)重要伝統的建造物群保存地区を歩く。平成18年に選定された、東西約400メートル、南北約280メートルのエリア。レトロな街並みに、「映画村みたい。」と、くっすんの感想。

 

湯浅町は、古来、熊野古道の宿場町として栄え、江戸時代以降は醤油醸造で栄えた。醤油生成で作られた建造物が、今も残っている。

醤油と並び、有名な特産物が金山寺味噌。鎌倉時代の僧侶・覚心が、中国の金山寺で味噌の製造技術を学び、湯浅地方で広めたのが始まりとされる。そもそも、金山寺味噌の発酵の際に副産物として生じる上澄み液を改良して、湯浅の醤油は誕生した。

 

午前9:20、お魚屋さん・『楠山鮮魚店』の店頭で売られている、串にささった焼タイ(湯浅産)・焼さば(青森県八戸産)の香りに釣られる2人。焼き魚の上では、扇風機がごとく、モーターで回る『ハエ追い機』が設置され、ブツ撮り中のカメラマンさんをはたく。

 

地産地消がモットーのくっすんは、「焼タイ、食べタイ。」と直訴する。贅沢な朝ごはんとして、焼タイをお買い上げ。お店の軒下で、椅子・お皿・お箸を用意してもらって食す。2人とスタッフさんたちで、骨だけ残してまるごと一匹完食。

 

午前9:50、スタートから2.5キロ、老舗の醤油醸造元・角長(かどちょう)を取材する。敷地に入る前から漂ってくる、香ばしい醤油の匂いに、「この香りに、砂糖入れて、お餅食べたいですね。」と、独特な表現をするくっすん。

 

角長は創業1841年で、今も創業当時から手作りの醤油にこだわっている。お店の隣にある、創業当時から使っている蔵の中を、職人の岡部さんに特別に見せてもらう。、醤油の元となるもろみは、深さ2メートルほどの樽の中で醸造中。

 

冬場の時季は熟成期間で、あまり樽の中は混ぜない。夏場は発酵最盛期で、2~3日置きに混ぜる。櫂棒(かいぼう)という棒状の道具を、樽の底まで突っ込み、引っこ抜いてを繰り返し、内部へ空気を送り込み、発酵を促す。1回につき、5~10分程度行う。

その作業をデモンストレーションしてもらい、せっかくなので河田アナも体験する。やってみると、思った以上に力がいるし、腰や膝に負担がかかる大変さが分かる。真夏の作業は、空調もないので、汗だくで地獄・・・。

 

熟成と発酵を繰り返したもろみを、こして醤油ができる。角長さんでは完成まで、最短でも1年半、長いものでは3年以上かけて作る。

長年醤油を作り続けた蔵の中には、目には見えないけれど、蔵つき酵母という菌が住み着いていて、もろみに降りそそいでいる。同じ原材料で醤油を作っても、作る場所が違えば味が変わるとのこと。

江戸時代の最盛期には、湯浅に100軒もの醸造蔵があったが、現在で昔ながらの製法・建物を使っているところは、4~5軒しか残ってない。

 

午前10:40、気温15度で相変わらず雨降りの中を歩き、風もでてきて体感温度が下がる。

 

スタートから5キロ、お城の天守っぽい建物見えてくるが、実は湯浅温泉の施設だと河田アナが説明する。

お城の前までくると、かなり本格的な造りで、大きい天守だと分かる。『湯浅温泉 湯浅城』は、昭和57年に国民宿舎として建てられ、現在民間企業が営業している。日帰り入浴が楽しめ、30室・5階建ての天守に宿泊もできる。オーシャンビューの客室が人気。

 

担当者の方に案内されて、天守5階まで上がり、湯浅の街並み・海と山を見渡す。本物のお城と勘違いして訪れる方もいるとのこと。

実は、お宿のすぐ隣にある山には、本当に湯浅城があった。1143年に、湯浅宗重によって築城された。その山城だった湯浅城へのオマージュで、町のシンボルとなる天守は生まれ、お城好きやお子さんの人気を得ている。

 

湯浅の眺望を満喫し、歴史を学んだところで、天守1階にある大浴場に入る。湯気がもうもうと立ちのぼり、カメラマンさんが見えないとくっすん。

湯浅温泉は昭和37年に発見され、泉質はアルカリ性単純硫黄冷鉱泉で、筋肉痛・関節痛・冷え性などに効く。冷えた2人の体を、芯から温め、城主気分。

 

湯浅温泉から次の温泉までは、約55キロの距離を歩く。みなべ町にある、みなべ温泉で、太平洋を望む露天風呂が売り。

 

午後1:30、JR湯浅駅前で、お昼ご飯を食べるお店を探す。

スタートから7.5キロ、『カフェレストラン ドンキー』にて昼食。河田アナは『湯浅名物しらす丼』を、くっすんは『自家製カツカレー』を食べる。

 

しらす丼は湯浅湾で捕れたシラスを、角長さんの醤油でいただく。くっすんは「(角長さんは)知り合いです。」と、お店の方にアピールする。河田アナの食レポでは、シラスと梅干しの黄金タッグに、醤油が味を引き立たせることを的確に表現する。グルメ番組ばりの巧みな食レポに、舌を巻くくっすん。

対して、くっすんの食レポは、「カレーの辛いバージョンです。」とそのまま。

 

午後2:40、『JR湯浅駅』の前を通り、南へ向かうと、アメリカからの旅行客カップルに出会う。湯浅の醤油のことを聞きつけて、京都から田辺へ向かう途中に下車して、醤油を買ってお持ち帰りするとのこと。2週間半の休暇を利用して、東京・高山・中山道をすでに訪れ、これから熊野古道・紀伊田辺・大阪を訪れる。

旅行先に日本を選んだ理由を聞いてみると、美しい風景・美味しい食べ物・素晴らしい文化など、色々と理由はあるけど、とにかく日本が好き。

 

別れ際に、くっすんが「Remember my name is Kussun.(僕の名前・くっすんを覚えてね。)」と言って、河田アナに『忘れてね。』と言わしめる。別れて5秒後、去りゆくカップルに、くっすんが自分の名前を聞いてみると、振り返って「くさい。」との女性の返答。「くさいじゃない。」と訂正する。

 

午後3:10、和歌山県湯浅町から広川町に入る。雨が小降りになっている。

 

スタートから8.5キロ、広川町役場の前を通る。役場の前には、広村(現広川町)出身の商人・濱口梧陵の銅像が建てられている。梧陵は、1854年に発生した安政の大地震の際、故郷の広村を救い、被害の復興に尽力したヒーローである。

 

スタートから9キロ、『稲むらの火の館』を訪れる。同施設は、津波防災教育センターと濱口梧陵記念館からなる。記念館で、梧陵の生い立ちを河田アナが語る。

広村で生まれた梧陵は、濱口家の分家で、千葉で『ヤマサ醤油』を営む本家に、12歳のとき養子になった。34歳で、ヤマサ醤油の7代目を継いだ。その翌年、広村の方へ帰郷していたところ・・・。1854年11月05日、安政の大地震が発生し、広村一帯に津波による大被害がでた。

 

展示室で、館長さんにお話しをうかがい、地震の資料を見る。震源地は紀伊半島沖、マグニチュード8.4の地震で、最大高さ5メートルの津波が広村を襲った。

当時340軒ほどあった家屋は、10軒が倒壊し、残りは津波で流された。村は壊滅的被害を受け、死者36人をだした。

 

役場前の梧陵像が手にしていたのは、たいまつ。地震が夕方に発生したため、梧陵はたいまつ片手に、必死に村人を高台へ誘導した。そして、田んぼの稲むら(積み上げられた稲の束)に火をつけて、暗闇で逃げ遅れた人が避難できる目印を作った。

 

震災後も、梧陵は仮設住宅を建て、津波を防ぐため、海岸線に高さ5メートル・長さ600メートルの広村堤防を築いた。堤防の建設で、仕事を失った村人を雇った。現在の貨幣価値で、堤防の建設費に5億円、復興全般で20億円の私財投じた、器のデカ過ぎる梧陵さんであった。

1946年に発生した昭和南海地震では、広村堤防が津波の被害をおさえ、今でも、町を守り続けている。梧陵の防災スピリットを称え、国連総会で11月5日が『世界津波の日』に制定された。

 

館を出て、梧陵さんの偉大さに感心しつつ歩き、再び熊野古道(紀伊路)に入る。

 

午後4:10、雨がやっとこさ止んで、曇り空の下歩く。

スタートから11.5キロ、自宅の前で、阪神キャップを被ったおとうさんと、奥さんに出会う。今期入札して競り落とした松茸山の、手入れをして帰ってきたばかりとのこと。39年間、毎年山で松茸を採る権利を買って、自身で経営する飲食店を1か月休んで、松茸のお世話をしている。

初めの年は、300キロの松茸が採れて、売って大儲けだった。近年は10キロ採れたら良いところ。

 

2人は、松茸たっぷりのおにぎりをいただく。香り芳醇な松茸と有り難いお心づかいで、元気もりもり。食べ慣れないくっすんは、「これから、好物の欄に松茸って書きます。」とコメントする。

 

スタートから歩くこと約9時間

午後4:50、スタートから13キロ、ゴールの延命山地蔵寺に到着。鎌倉時代に創建され、次週に登る鹿々瀬峠ゆかりの、お地蔵様が祀られている。普段お堂の扉は閉ざされているが、事前に連絡すれば拝観できる。

 

ご住職に案内され、お堂の中へ入ると、お地蔵様がお出迎え。鎌倉時代作の寄木作りで、お顔の辺りは濡れているようにみえる。その汗をかいている様子から、大昔から『汗かき地蔵』の愛称で親しまれてきた。

熊野古道の難所・鹿々瀬峠で苦しむ旅人の背中を押して、汗をかくほど必死に助けたと解釈されている。くっすんが、「ホンマの汗ですか?何なんですか?」と聞いてみると、「汗か・・・なんかね・・・。」と言葉を濁すご住職。「何なんですか?」とさらに追及するので、「汗です。」と断定するご住職。

次週の厳しい峠を無事越えるため、お地蔵様にしっかり手を合わせる2人であった。

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県湯浅町・栖原温泉 湯浅重要伝統的建造物群保存地区 (2km) → 楠山鮮魚店 角長 (2.5km) →湯浅温泉湯浅温泉 湯浅城 → 昼食:『カフェレストラン ドンキー』 (7.5km) → 広川町役場前[濱口梧陵像] (8.5km )→ 『稲むらの火の館 (9km) → ゴール:延命山地蔵寺 (13km)