MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の5日目~6日目のまとめ。
【5日目】 2017年11月09日(木)放送
旅の内容:●2つの峠を越えて みなべ温泉を目指せ▲お地蔵に 背中押されて 峠越え■黒竹の加工場を見学★追いかけられて?!道成寺
スタートは和歌山県有田郡広川町・延命山地蔵寺。ゴールは和歌山県御坊市・宝の湯。約17キロの道のり。
午前7:30、和歌山県広川町の延命山地蔵寺の、本堂前からオープニング。朝から気温10度と寒く、手袋を忘れてきたことを後悔するくっすん。4日目の最後で、お参りした『汗かき地蔵』を河田アナがさらっと説明すると、「初耳です。」と忘れっぽいくっすん。念のため、地蔵様のおわすお堂に向かって、峠越えの安全を願う。
午前7:50、緑色だったミカン畑は、黄色く色づき、寒さに季節の移ろいを感じつつ歩く。
スタートから0.5キロ、鹿ヶ瀬峠の入口を通過する。鹿ヶ瀬峠は通称大峠と呼ばれ、小峠と続く2段構え。熊野古道の難所だけあって、序盤から、急な坂道に苦しむ2人。
峠に入って30分、雲一つない快晴のもと、遠くの山々まで見えるビュースポットで、登ってきた方角を望む。
横になりながら景気を楽しむというくっすん、「まるで・・・、空の上で寝ているような気分です。」と、早くもお疲れ。傍らで座って休憩する河田アナは、先行きの不安を隠せない。
午前8:40、10月の台風のせいか、所々、道の通行が困難になっている。
こまめに休憩をとっていたくっすんだったが、急に精気を取り戻し、すたすた進む。背中をすごい押されている感じして、汗かき地蔵の不思議な力のおかげと、本人は思いこんでいるが、河田アナに「休憩ばっかりしてるからちゃう?」とツッコまれる。
ともあれ、順調に歩き、『熊野古道 鹿ヶ瀬峠まで152m →』の道しるべを通過する。
峠に入って1時間30分、
午前9:10、ようやく鹿ヶ瀬峠頂上(標高350メートル)にたどり着く。頂上は、だだっ広い更地になっているが、江戸時代には10軒ほど茶店・旅籠が、軒を連ねていた。昭和に入り、熊野詣の衰退で、最後の1軒までなくなった。
大峠頂上より、標高の低い小峠まで下ってゆく。ぐちゅぐちゅにぬかるんでいる地面に注意しながら、500メートル道を下り、小峠頂上に至る。
午前9:30、小峠にて、和歌山県有田郡県広川町から日高郡日高町に入る。
熊野古道で現存する石畳で最長(503メートル)の、小峠の石畳道を歩く。長々続く下り道に、くっすんはダンシング膝になる(くっすん用語で、膝が笑うと同義語)。
午前10:00、小峠を下りきり、下界に戻ってくる。
スタートから5.5キロ、大きな倉庫の前で、うたぐり深いおとうさんに出合う。「ホンマに歩いてんの?」と2人にとって耳たこのセリフを言われて、河田アナが歩いてますと、根気よく丁寧に諭す。「信じられへんなぁ。」と残念ながら、まだ半信半疑の様子。
毎週、何度も言うよ・・・、ほんとに歩いてます。
さらに、カフェを経営している大阪出身のご夫婦に、道端で出会い、あいさつを交わす。おかあさんから、「よかったら入ってください。」と誘われ、『カフェ れん』にて一服。お飲み物に加え、コストパフォーマンスの高い『チーズケーキ』を注文すると、地元産の柿が添えられて、嬉しい。
おかあさんは、親の介護を機に仕事を辞めて、田舎暮らしたいと移住したとのことで、おとうさんも、自分で作ったモノを自分で口に入れる、という夢が昔からあったので、それをかなえた。また、田舎の空気の良さは、何事にも代えられない。
午前11:00、日高町の原谷地区に入る。
黒竹を扱っている、創業約100年の『金崎竹材店』を取材する。3代目社長さんに、お店の裏手に生える黒竹を見せてもらう。生えたての黒竹は、普通の竹と変わらないが、半年ごろから徐々に黒く変色する。黒竹の寿命は3年程度。
室内・家具の装飾材や庭の竹垣に、昔から用いられた黒竹。希少性が高く、高級な竹である。明治時代から続く植林のおかげで、日高町の黒竹生産量は日本一を誇る。
黒竹の加工作業を見学する。下準備として黒竹を伐採した後、余分な枝を切り落とし、2か月ほど乾燥させる。
職人の熟練した技を要するのが、火入れ作業。黒竹を火であぶって出てきた竹の油分で、表面にツヤをつける。火入れ前後の黒竹を比べると、一目瞭然で光沢の違いがでる。竹1本1本厚みが違うので、あぶり加減が難しいとのこと。
さらに、熱して柔らかくなっている黒竹を、万力という道具で挟んでしならせて、真っすぐにする。
かつて6~7つあった黒竹を扱っている事業所も、現在、日本で金崎竹材店さんだけになった。
4代目を継ぐ社長の息子さんは、4年前まで飲食店をやっていた。伝統工芸を守る30歳の若きホープとして、お父さんに信頼されて、勉強中。しっかりとした息子さんを見て、「ちゃんと育てはったんやなと。」言うくっすんに、「(育てたのは)お母さんです。」と率直なお言葉のお父さん。
午後0:10、スタートから7.5キロ、なた豆の畑を手入れをしているおとうさん方が、休憩しているところに出会う。なた豆茶をふるまわれ飲むと、香りが良くて美味。
原料のなた豆を見せてもらい、長さ30センチほどある、さやの大きさにビックリする。なた豆を丸ごとスライスして、乾燥して焙煎すると、なた豆茶の元ができる。
なた豆は成長が早く、ツルが6メートルの長さまで成長することから、童話『ジャックと豆の木』のモデルになった豆といわれている。江戸時代の初めに中国から伝わったなた豆は、日高町でも作られるようになった。ちなみに、さやの部分は、福神漬けの原料としてつかわれている。
なた豆栽培歴2年のおかあさんは、育てるのは成長の早いので、難しいというより楽しいとのこと。
なた豆のツルは巻きつくところがないと、戻る習性があるので、昔の旅人は無事戻ってこられるように、なた豆をお守りにしていた。くっすんは、豆をお守りとしてもらう。
午後2:00、気温は21℃で、朝から10℃以上上昇。ギラつく太陽が眩しい。いつもの昼ご飯の時間を過ぎているが、辺りはのどかな田舎で、食べるお店が見当たらない。
午後2:20、スタートから12キロ、和歌山県日高郡日高町から御坊市に入る。
スタートから14キロ、相変わらずハラペコな2人は、出会った地元のおかあさんを頼みに、お昼ご飯を食べられるお店を聞く。これから訪れる予定の歴史ポイント・道成の近くに、『雲水』さんと『あんちん』さんの2軒があり、お店の近くまで案内していただく。
午後3:10、スタートから15キロ、『お食事処 あんちん』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『九絵鍋ちょこっと膳』を食べる(※要予約)。和歌山の冬の味覚・高級魚クエをメインに、いつもよりちょこっと贅沢なランチ。空腹も相まって、美味しさ倍増。
午後3:50、ご満悦の2人は、お店を後にして、日高町にある道成寺にすぐに到着。701年に創建され、和歌山県最古のお寺とされている。境内の宝仏殿には、千手観世音菩薩と脇侍の月光菩薩・日光菩薩が安置され、国宝に指定されている。
境内にある縁起堂の中で、安珍と清姫の悲恋物語について、ご住職に絵巻物を見せてもらいつつ、お話しをうかがう。
イケメン安珍と一途な清姫
今から1000年の昔、たいそう美男だった僧侶・安珍は、熊野の手前で宿をとり、そこで清姫という娘に一目ぼれされた。清姫の猛アピールにタジタジになった安珍、熊野詣を終えた帰りに、再び会いまみえると、その場を取り繕った。
しかし、安珍は参拝の帰り、約束を反故にし、清姫をスルーした。それを知った清姫、思いを踏みにじられたと鬼のごとく猛追した。追いかける清姫の姿は、徐々に大蛇へと変化していった。
これはかなわんと安珍は必死に逃げて、道成寺にたどり着き、境内にある鐘の中に逃げこんだ。道成寺まで追いかけてきた清姫は、すでに完全体の大蛇へ変化し、鐘に巻きついて、口から吐く炎で、外から鐘を熱した。
安珍を成敗し思いを果たしたと、清姫は日高川に身を投げた。
その後、お坊さんたちによって、あわれ無残な安珍の焼死体が、釣り鐘の中から発見された。
現代に生きる者にとって、深く共感できる男女の物語であり、自分にとって大事な人との関係を思い起こすきっかけにしてほしいと、ご住職が提起する。
ちなみに、くっすんは追いかけられた心当たりはなく、むしろ執念深く追いかける清姫タイプだと、自ら認める(ですよね・・・)。
午後4:50、日没が迫るなか、日高町から、再び御坊市に入る。
スタートから約10時間、
午後5:10、スタートから17キロ、ゴールの銭湯、『宝の湯』に到着。2000年にオープンした、御坊市唯一の銭湯。温泉も銭湯もなかった御坊市に、憩いの場として作られた。
銭湯は、平日なのに、多くのお客さんで賑わっている。早速、2人は湯船につかり、長旅の疲れを癒す。朝っぱらから峠を越えて、長い距離を歩くハードな一日であったが、幸い天気に恵まれ良かったと、河田アナが今回の総括する。
■簡易チャート
スタート: 和歌山県有田郡広川町・延命山地蔵寺 → 鹿ヶ瀬峠 → 小峠の石畳道 → 『カフェ れん』 → 金崎竹材店 → 昼食:『お食事処 あんちん』 (15km) → 道成寺 → ゴール:『宝の湯』 (17km)
【6日目】 2017年11月16日(木)放送
旅の内容:●みなべ温泉を目指し 御坊市を南へ▲東京オリンピック開催の功労者■新鮮なお魚ちゃんランチ★ゴール後のお楽しみ?!
スタートは和歌山県御坊市・宝の湯。ゴールは和歌山県日高郡印南町・かえる橋。約14キロの道のり。
午前8:00、和歌山県御坊市にある銭湯『宝の湯』の前の、駐車場からオープニング。最近雨降りのオープニングが多い気がする2人であるが、今回もビニール傘を差してのスタート。ロケ日の天気予報は、雨のち曇り。ロケ日を火曜日から変更して、雨の呪縛から逃れられると思った河田アナの期待もむなしく、容赦なく雨。2人かスタッフさんの誰かが、やはり雨男?
午前8:10、歩きながら、話題はお天気。今週のうち、ロケ日だけピンポイントで雨だと、不思議がる河田アナ。早くも、靴の中に浸水したくっすんは、「靴の中濡れると、苦痛やわー。」とテンションが下がる。河田アナのツッコミ待ちだったが、ツッコんでくれないので、何度もギャグを繰り返す。
スタートから0.5キロ、電線にとまっている、鳥の団体さんに出会う。くっすんが、「雨宿りしてるんじゃないですか?」と言って、河田アナに「いや、雨かかってるけどね。」とツッコまれる。
スタートから1.5キロ、いにしえの面影を残す、御坊寺内町界隈を歩く。本願寺日高別院を中心に栄えた東西400メートル・南北400メートルの区域で、2人は別院前を通る。別院は、日高御坊とも呼ばれ、御坊市の由来になった。
午前9:10、御坊寺内町内会館内の一角にある、和田勇資料館を取材する。和田勇は、1964年の東京オリンピック開催に尽力したお方で、御坊市にゆかりがある。勇の父は、御坊の生まれで、仕事を求めてアメリカに渡った。アメリカで生まれた勇は、日本人の心を育んでほしいとの父の思いから、御坊市にある実家に預けられた。
日本で4~9歳まで過ごし、アメリカにもどって青果店を営み、実業家として成功した。
館長さんから、和田氏が東京オリンピックに関わる経緯をうかがう。太平洋戦争が終わり間もない頃、全米水泳選手権大会が催された。アメリカでは、敵国だった日本人を泊めてくれるホテルはなかったので、和田氏は日本人選手に宿泊・食事・会場への送迎などを提供した。その後、アメリカにやってきた様々な競技の日本選手を、奥さんとともにサポートした。
その実績を買われ、昭和39年の東京オリンピック招致に向け、カギを握る中南米諸国の票を集めてほしいと依頼された。和田夫妻は、南米諸国を歴訪して、日本への支持を集めた。
活動にかかった旅費など経費は全て実費で払ったし、移動で乗った飛行中のプロペラ機が故障して危険な目にあった。しかし、戦後日本の復興の旗印として、なんとしても日本でオリンピック開催をするという思いが強かった。その甲斐あって、前評判の低かった東京が、中南米の票を集め、日本開催へ漕ぎつけた。
2020年のオリンピック開催が東京に決まったとき、和田氏はすでに2001年に亡くなっていたけれど、奥さんはご存命で見届けていた。その後すぐに奥さんは亡くなられたが、天国で和田氏に、2度目の東京開催を報告しているのでは、と館長さんは考える。
河田アナが、「今回の東京オリンピックも、いろんな人の・・・、努力が実った結果やと、我々分かとかな駄目ですね。」とまとめる。くっすんは、「あと100日ですもんね、オリンピック開催まで。」と0を一つ付け忘れて、河田アナに訂正される。
これで和田勇資料館での取材終了と思いきや、地元の紀州新聞社のライターさんが、河田アナ・くっすんが資料館にいると聞きつけ、逆取材に訪れる。ロケ日の夕刊に2人の記事を載せる、という寝耳に水な知らせで、館内で新聞につかう写真を撮ってもらう。
新聞記事を楽しみにしつつ、日高川を渡り、御坊市内を南へ歩く。
午前11:20、スタートから4キロ、幼稚園の前で、2歳の女の子とお母さんに出会う。河田アナが女の子にインタビューし、好きな食べ物はゴハンで、好きな遊びは人形遊びとのこと。くっすんが、別れ際に「最後に、『くっすん』って言ってみて。」とお願いすると、不穏な気配を感じたのか、無言のうちに断られた。
スタートから5キロ、再び熊野古道紀伊路に入る。
午後0:00、お昼を知らせるチャイムの音が聞こえてくる。イギリスのウェストミンスター宮殿の鐘の音が、発祥のこのメロディー。河田アナが、日本全国の学校のチャイムのメロディーが、なぜイギリスの鐘の音で統一されているのか、ふと疑問に思う。
学校のチャイムの発祥
昭和30年ごろまで、学校の時報は、手持ちの鐘や、空襲のサイレンが主であった。しかし、太平洋戦争後は、サイレンは空襲を思い出させると嫌がるこどもいた。
そんな折、中学校教師がラジオで聞いた、ウェストミンスターの鐘の音を気に入り、学校のチャイムに採用され、全国に広まっていった。
海が見える高台を歩く。海を見て、お腹が減ってくるとくっすん。その仕組みはというと、海にいるお魚を想像し、「『えんがわ』が泳いでるじゃないですか。」と答える。それを言うなら「ヒラメが泳いでいる。」と言った方がよいと、アドバイスする河田アナ。
午後0:20、最近苦労している、お昼ご飯を食べるお店探し。
午後0:30、スタートから7キロ、建物に『いせえび』と書いてあるのを、遠くから、腹ペコな人が見つける。
建物を覗いてみると、新鮮なお魚さんたちが、ショーケースに陳列されている。江戸時代末期から操業しているお魚屋さん『はし長』で、レストランも併設されている。
大がかりないけすには、生きた魚たちが泳ぎ、2人は好きな魚を網ですくう。すくった魚は、お昼ご飯のメインディッシュとして、店長さんに刺身にさばいてもらう。
予算1,000ぐらいでと店長さんに伝え、オススメの魚を教えてもらい、イサキ・チダイを確保し、名物であるアジの干物を購入し、焼いてもらう。
というわけで、『はし長』のレストランにて、楽しいランチ。河田アナは『イサキ定食』を、くっすんは『チダイ定食』を、いっしょに『アジの干物』を食べる。
やはり新鮮度マックスの刺身は格別美味しく、熟成され旨み成分を増した『アジの干物』も絶品。「アジだけに、味がいいですね。」とくっすん。
午後2:30、スタートから10.5キロ、おしゃれな小学校から、学校を終えた小学生たちが集まってくる。なかでも、とにかく目立つ体の大きな男の子は、小学6年生で、身長165センチで体重100キロで、相撲をしているとのこと。
和歌山県少年相撲大会で優勝するほどの実力に、相撲が得意と言いはるくっすんが、相手の土俵で相撲勝負を挑む。力の差は歴然で、くっすんの力ではびくとも動かない。ケガしないようやさしく投げてもらい、予想通り完敗であった。
相撲は楽しく、将来プロのお相撲さんになりたいという未来の横綱に、2人はエールを送る。
午後2:50、スタートから12キロ、辺りはビニールハウスがいっぱい並んでいる。ハウスの中では花を育てている。2人が歩いている御坊市名田町は、花の栽培が盛ん。
ビニールハウスの中で、父親の代から花を栽培している、斎藤さんにお話しをうかがう。
大きなビニールハウスのなかでは、スターチスを栽培している。昔から仏花としてつかわれてきたが、最近では結婚式やドライフラワーと活躍の場が増えている。
冬場、御坊市で栽培されるスターチスは、国内生産の90%を占める。御坊市では他に、ガーベラやカスミソウ・スイートピーなど栽培されている。
この辺りは、もともと豆の生産地であったが、同じ場所で豆ばかり作っていたので、良質な豆ができなくなり、昭和60年ごろから花作りにシフトしていった。
くっすんが斎藤さんに、単刀直入に「儲かるんですか?」と尋ねると、「厳しいですね。」とのこと。花はデリケートで、湿度の管理や、病気にならないよう、日々気をつかっている。
4色のスターチスを見せてもらい、色の鮮やかさと種類の多さに驚かされる。
今後は、もっと、スターチスを広く知ってもらいたいという。10年ほど前に、御坊の若い花き栽培者でフラワーボーイズを結成し、母の日にはお墓参りをして、お花(スターチス)を墓前に供えてほしいと呼びかけている。
午後3:50、地元を盛り上げる若者に感心しつつ歩き、地味にそこそこの坂道を登り、そして下る・・・の繰り返し。
スタートから12キロ、和歌山県印南町に入る。
スタートから9時間、
午後5:10、スタートから14キロ、ゴールのかえる橋に到着。橋を渡る方向から見てもカエルには見えないが、橋の側面部分を横から離れて見ると、橋げたが大きなカエルの顔をしていて、その上に小さなカエルの顔がのっている。
インパクト抜群のかえる橋は、町の発展を願い、平成7年に建てられた。橋のコンセプトは、かんガエル(考える)・人をカエル・町をカエル・古里へカエル・さカエル(栄える)の5つ。
この日も無事旅を終えた2人に、ご褒美として、紀州新聞の夕刊が届く。ワクワクして紙聞を開くと、『河田アナ・くっすんがリポート』の見出しが躍り、くっすんもガッツポーズで大喜び。紙面を大きく割いて、2人が地元の偉人・和田勇をリポートする様子を、克明にリポートしている。
紀州新聞に感謝しつつ、くっすんは、「このコーナーもますます栄え・・・。」と締めの言葉を噛んでしまう。グダグダのまま、河田アナはテイク2を許さず、「もう、帰る。」と、さっさと撮影を撤収させた。
■簡易チャート
スタート: 和歌山県御坊市・宝の湯 → 本願寺日高別院(1.5km) → 和田勇資料館 [御坊寺内町内会館内] → 昼食:『はし長』 (7km) → ゴール:かえる橋 (14km)














