MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の1日目(初日)~2日目のまとめ。
【1日目】 2017年10月05日(木)放送
旅の内容:●花山温泉からきのくに温泉へ▲発掘屋くっすん命名!?くすのき貝塚■暴れん坊将軍の眺めた和歌山城下!?★自分の限界を超えろ!?くっすん
スタートは和歌山県和歌山市・花山温泉。ゴールは和歌山県海南市・きのくに温泉。約15キロの道のり。
午前7:00、和歌山県和歌山市にある、温泉宿泊施設・『花山温泉 薬師の湯』の露天風呂から朝風呂オープニング。気持ちを新たに、和歌山編開幕。
ホテルの社長さんからお話しをうかがう。茶褐色の湯船は、温泉含有の鉄分が酸化した色。花山温泉の泉質は炭酸水素塩泉で、血行促進・疲労回復などに効く。花山温泉の起源を解説中に、くっすんがくしゃみを連発する。どうやら、温泉から発生する炭酸ガスに、鼻を刺激されたようだ。
花山温泉は和歌山最北端の湯治場で、歴代天皇が熊野詣の際に立ち寄ったとされる。温泉裏手にある花山には、守護神として薬師如来が祀られている。
花山温泉から目と鼻の先にある広々とした空き地・鳴神貝塚に立ち寄る。一見して何処にでもある普通の空き地だが、1895年に近畿地方で初めて発見された貝塚。貝の残骸だけでなく、動物(猪・猿・鹿)の骨や人骨まで見つかった。
2人は、何か落ちていないか、地べたを目を皿のようにして探す。河田アナが何か見つけて、つかみあげると、手の中からバッタ出現で、くっすんビックリ。視力の良いくっすんは、白い貝らしきモノを発見して、縄文時代のだと推測し、「もうココ、くすのき貝塚って、付けていいぐらいだと思います。」と勢いづく。さらに、貝らしき白い欠片を拾い集めるくっすん。
後に貝塚を管理する、和歌山市教育委員会に問い合わせたところ、巻き貝以外は縄文時代の貝で間違いないとのこと。くっすんは収集したモノを持って帰りたかったが、河田アナにダメだと、口を酸っぱくして言われたので、大きめの石の上に陳列して、何故か「ありがと。」と言いながら手を合わせる。縄文時代のモノと信じて疑わないくっすんと、疑念をもつ河田アナであった。
スタートから1キロ、朝練で走りこみに精を出す卓球部員の皆さんが、2人を通り過ぎてゆく。
スタートから3キロ、和歌山駅にだいぶ近づき、踏切を通ろうとしたところ、
遮断機が上がって下りてくるまでの時間がすごく短いので、大慌てで渡る一行。
だいぶ都会なJR『和歌山駅』前を通り過ぎ、
前向きなメッセージフラッグがずらりと並べられた、和歌山駅前通商店街を通る。2016年10月から始めた取り組みで、一般から公募した前向きメッセージを載せている。
商店街近くの保険会社に勤める、社会人1年生のおねえさんに出会う。2017年から和歌山で新生活を初めて、不安だったが、前向きメッセージのおかげでずいぶん励まされたという。将来の目標は、「自分らしく元気で、笑顔で生きられたらいいな、と思います。」と前向き。
まだ、良い男性に巡り合えず、結婚は考えていないという、話しの流れになり、「この2人なら、どっちがタイプ?」と果敢にも質問するくっすん(やっぱりね・・・)。いつものごとく、河田アナをイラつかせる。意外にも、くっすんさんがタイプとの返答に、有頂天になるくっすん。「なんで?なんで?教えて、なんで?」と、河田さんと答えるだろうと本人も予想していたようだ。
晴れ渡る空のもと、爽やかな出会いで足取りも軽く、
和歌山のシンボル・和歌山城に乗り込む。1585年に豊臣秀吉の弟・秀長によって築城された。江戸時代には、徳川御三家の紀州徳川家によって治められた。歴代城主で最も有名なのが、時代劇・『暴れん坊将軍』でおなじみの8第将軍・徳川吉宗である。
和歌山城天守は、惜しくも太平洋戦争の空襲で焼失したものの、昭和33年に再建された。城内には、吉宗ゆかりの品々が展示されている。
天守に登った2人は、和歌山市の街並みや大海原を見渡す。江戸時代に吉宗が眺めたであろう景色は、高いビルもなく、もっと見晴らしが良かったとくっすん。
南東の方向を望むと、和歌山編最終目的地の龍神温泉が、山々の向こうに隠れている。スタートの花山温泉から、紀伊半島をグルリと大いなる遠回りをする旅は、現時点での推定移動距離は350キロと見込まれる。果たして、どんな出会い・面白ハプニング・感動が2人を待ち受けるのか・・・誰も知る由もない。
午後11:50、スタートから7キロ、お昼ご飯を食べる店を探す。
サラリーマンが次々と吸いこまれていく人気店を発見。『土風家(とふや)』にて昼食。河田アナは『やわらかステーキ定食』を、くっすんは『石焼きビビンバ』を食べる。ビビンバは、本場韓国で食べたことのないくっすんが、「本場の味がする。」とコメント。
スタートから9キロ、のどかな郊外にある、和歌山ニットを取材する。和歌山のニット産業は、明治42年にヨーロッパ製の丸編み機を導入した頃から盛んになった。昭和30年代に、化学繊維のジャージ生地が開発され、婦人服・スポーツ衣料のブームとなり、和歌山はニットの一大産地に成長した。
その技術は、世界レベルで、シャネル・プラダなど名だたるブランドメーカーから受注が入る。
ニット生地を扱うデザイナーである、尾崎さんにお話しをうかがう。ピーク時には、200社あったニット工場も、現在60社まで減っている。
和歌山といえば、みかんとしか思い浮かばないくっすん、ニットのメッカとは知らなかった。
机の上に置いてある生地は、フランスで催された、生地の見本市・『プルミエール・ヴィジョン』で見事グランプリ(世界で一番)に輝いた。見本市には、世界57か国・1,500社以上が参加し、その中で、ロケ日の1週間前にグランプリを獲った。「世界でいちばんということは・・・世界で一番。」と、当たり前のことを言う河田アナ。
この生地は、太い糸で編んだ茶色の表面と、細い糸で編んだ紫色の裏地を、同時に編み上げる技術が用いられ、世界を驚かせた。河田アナが生地を触って、表裏の触り心地の違いを確かめ、見て、色のグラデーションを感じる。
尾崎さんは、生地のドレープ(落ち感)をアピールする。ドレープという語感の新鮮さに、「これからつかおう。」というくっすんに、「どこでつかうねん。」と河田アナがツッコむ。誤用がないことを祈る。
スタートから10キロ、紀三井寺に到着。770年[奈良時代]に、為光上人によって創建された。楼門から上に230段(231段?)の急な石階段があり、結縁坂と呼ばれている。
ご住職(副)に、結縁坂の由来について、坂の下で解説していただく。
結縁坂と文左衛門
江戸時代に紀伊國屋文左衛門という若者がいた。ある日、母親を背負って、紀三井寺の石段を上っていた。石段の途中で、草履の鼻緒が切れ、たまたま通りかかった”おかよ”という女性
に直してもらった。
やがて2人は、その縁で結婚した。おかよは玉津島神社の宮司の娘で、宮司から出資してもらった文左衛門は、類まれなる商才を発揮し、豪商として名を馳せた。
そんな縁起の良い坂は、スポーツ選手にとって、最高の練習場所である。駅伝選手の高校生が、放課後にやってきて、何十回も結縁坂を往復して、鍛えることもある。ご住職は、お年を召されたので、こそっと裏の方からお寺に出入りしているとのこと。
坂の手すりにある看板には、”登段最速記録は二一・九秒”と書かれている。陸上100メートルの元日本記録保持者・青戸慎司さんが打ちたてた記録で、無謀にもくっすんが、「破りたい。」と大きく出る。
実は、放送日の前日(2017年10月04日)に43歳の誕生日を迎えるくっすん。「43からは、とにかく自分の限界を超える。」とセリフはカッコいいが、河田アナに、「たぶんそれは容易いと思いますよ。あなたの限界すごい(底が)しれてます。」とバッサリ切られる。
甘く見られたくっすん、3人での話し合いの結果、230段を1分で登るミッションに挑戦する。失敗すれば、ご住職のように頭を丸めるリスクを負う。
ゴールで待つ河田アナとご住職のもとへ、いざスタート。出だしは好調な滑り出しだったが、後半にばてて、手すりにつかまりながら何とか登りきる。直後、あまりのしんどさに寝っ転がる。
やればできる子・くっすんは、河田アナ・ご住職の想定外、54秒46の好タイムでミッション達成。くっすんの頑張りを褒めたたえる2人だったが、当の本人は無理がたたって「脚が・・・スフィンクスに・・・。脚がね・・・子鹿です。」と言動がおかしい。
本堂に手を合わせた2人は、ご住職に案内され、国の重要文化財が並ぶ『大光明殿』を、特別に拝観させてもらう。すべて1200年前に作られた仏像たちで、正面の厨子の中に、ご本尊の十一面観世音菩薩・千手観世音菩薩像が祀られている。
2020年に紀三井寺創建1250年を迎え、50年に1度の御開帳の式典が行われる。これを逃したらもうチャンスはないと、河田アナが3年後の御開帳に戻ってくることを約束する。
スタートから12キロ、和歌山県和歌山市から海南市へ入る。「海南市に来た甲斐あったなん。」と、くっすんの地名ギャグ。
赤く染まるモクモクとした雲を眺めつつ、完全な夏の終わりを感じる2人。ロケ日は、夏の最後の抵抗で、最高気温29℃となった。
午後6:00、スタートから15キロ、ゴールのきのくに温泉[高齢者向けマンション・ウェルネス・コート海南の2F]に到着。入居者は温泉の入浴無料で、一般の方でも、入浴料を払えば利用可能。
2人は内風呂に入って、旅の疲れを癒す。きのくに温泉の泉質は含鉄ナトリウム塩化物強塩温泉で、神経痛・筋肉痛・慢性皮膚病などに効く。
入居者で御年101歳(大正5年生まれ)になる岩橋さんと、お風呂でご一緒になる(無理すれば、河田アナ2回御開帳見られるね・・・)。人生での一番の思い出をうかがうと、会社に勤めていたときのことだそう。
岩橋さんのご長寿にあやかり、和歌山大長編を健康に歩きたい2人であった。
■簡易チャート
スタート: 和歌山県和歌山市・花山温泉[花山温泉 薬師の湯] → 鳴神貝塚 → JR『和歌山駅』前 → 和歌山駅前通商店街 → 和歌山城 → 昼食:『土風家』 (7km) → 和歌山ニット (9km) → 紀三井寺[大光明殿] (10km) → ゴール:きのくに温泉[高齢者向けマンション・ウェルネス・コート海南の2F] (15km)
【2日目】 2017年10月12日(木)放送
旅の内容:●熊野古道を歩き 栖原温泉を目指せ!▲鈴木さん いらっしゃい?!■皇太子様も召し上がった鯉!?★法隆寺と並ぶ名刹
スタートは和歌山県海南市・きのくに温泉。ゴールは和歌山県海南市・長保寺。約15キロの道のり。
午前7:30、和歌山県海南市にある、高齢者向けマンション『ウェルネス・コート海南』(きのくに温泉)の前からオープニング。およそ30キロ離れた栖原温泉までの、半分の距離を歩く。
今回は、むかえらで度々くっすんを苦しめてきた熊野古道をゆくということで、のっけからメランコリーなくっすん。
スタートから2キロ、藤白神社に到着。平安時代に、上皇・法皇や貴族といったやんごとなき方々が、熊野詣の際に立ち寄り、宿泊所として利用し、旅の安全祈願を行った。
藤白神社は、元々藤白王子であり、『王子』とは宿泊・休憩できる平安時代の『道の駅』であった。道のり険しい熊野古道に、数多くの王子が設けられた。
また、藤白神社は”鈴木姓”発祥の地で、全国の鈴木さんの聖地である。河田アナが「周りにも鈴木さん、いらっしゃるでしょ。」と聞くと、、鈴木保奈美さんの名前を挙げるくっすん。「だいぶ遠いところじゃないですか。」とツッコむ。
詳しいお話しを、権禰宜さんにうかがう。藤白神社にあった屋敷に住んでいた鈴木氏は、天皇に稲穂を献上して、姓を賜った。熊野では、稲穂を乾燥させるために積み上げたモノを、”すすき”と呼び、転じて『鈴木』の姓が誕生したと伝わる。
その後、鈴木氏が熊野信仰を広げるため、藤白神社を拠点に全国を飛びまわり、鈴木姓も全国に広まった。
神社では、鈴木さん専用・『鈴木家御守』を授与している。「ちなみに、くすのきさんはないんですか?」と聞くと、「書き換えておきましょうか。」と禰宜さんに配慮していただく。
2人は、熊野古道の安全祈願をして、神社を後にする。
午前8:30、熊野古道に入るとすぐに、出荷するために『ゆら早生みかん』を軽トラに積んでいる、ミカン栽培40年のおとうさんに出合う。2人は、1個ずつミカンをもらって食べる。今季のデキは、雨が少なかったので、小粒とのこと。
すぐ近くにある、ミカンのサイズを選別する作業場の中を、見せてもらう。ミカンのサイズ規格(SS/S/M/L)に合わせた穴が無数に開いた、コンベアの上をミカンが移動していく間に、穴に落ちて、サイズごとのカゴに分けられる。
美味しいミカンを作るコツは、甘やかして育てるのではなく、逆に木を痛めつけるスパルタ式の方がよい。くっすんが「僕もずーと、こう苦労というか、痛めつけられてますけど、全然変わらないです・・・。」と首を傾げる。
スタートから2.5キロ、本格的に熊野古道へ入る。最初の関門は、藤白峠(標高290m)。峠には、進んだ距離の目安となる丁石が、1丁(約109m)ごとに18個置かれている。舗装されてない山道を、足元に注意しながら歩く。
藤白峠の7丁目にて、藤白峠を麓から登って、頂上から下りる途中のおとうさんに出合う。御年75歳で、藤白峠に年10回は来るとのことで、健脚ぶりに驚かされる。これから2人が越える2つ目の峠は、大変厳しいという有力な情報を得て、へこむくっすん。「大丈夫ですよ、まだお若いんだから。」と励ましてもらう。
「やばい・・・。いつオバケがでてきてもおかしくないシチュエーションですね。」と薄暗い森を歩く。
藤白峠の17丁目、頂上まであと少しと、気合いを入れる。分かれ道を、スタッフさんの指示により右に進む。
藤白峠の18丁目、地蔵峰寺に到着。かつては『藤白塔下王子』であった。お堂の中に安置されている『石造地蔵菩薩坐像』が、18丁目の丁石を兼ねている。
午前10:45、昔の人と同様に、王子(お堂の前)で一息いれる。
スタートから5.5キロ、鳥除けの施されているため池を擁する、集落に出る。立て看板を見ると、ため池に住んでいる鯉のことが書かれている。
病気を治す ため池の鯉
江戸時代より、肺炎や結核などの病にかかったとき、池の鯉を1匹持ち帰り、生で食べると治った。お礼に2匹の鯉を放流する風習ができ、ため池の鯉は増えていった。
池周辺の8軒のお家で、鯉を飼育していて、エサ代の募金箱を設置している。
池の前に住まわれている池田さんの家を訪ねて、鯉についてお話しをうかがう。昭和天皇が皇太子だった時代に、和歌山へ来られた。体調を崩されたので、お地蔵様のご利益のある池の鯉を、皇太子殿下へ献上したところ、感謝状を頂いた。
エサ代の募金箱に1,000円入ってることもあると聞いたくっすん、「負けてられないですね。」と一言。河田アナは、くっすんがあれやこれや余興で稼いでいるので、募金を奮発できるだろうとあおる。
河田アナは、大阪公園周辺を歩く『毎日ハイキングララリー』に、くっすんがゲストとして呼ばれることを、ネットで知った。その告知のくっすんの紹介で、『毎日放送ちちんぷいぷい・昔の人は偉かったでおなじみの』と断りもなく使っているので、河田アナも少々、気に障ったのだ。
というわけで、結局くっすんが身銭を切って、震える手で3,000円を募金箱に入れた。募金のお礼に、鯉のエサやりをさせてもらった。
午前11:00、熊野古道がミカン畑を縫うように続くため、迷わないよう地元のガイドさんに道案内してもらう。手前にミカン畑、奥に山々の絶景を望む。海南市下津地区は、有田と並ぶ和歌山を代表するミカン産地。
ガイドさんにミカンについてお話しをうかがいつつ、進む。通常ミカンの出荷は10月~翌1月にかけてである。下津地区では、12月に収穫して、倉庫に1~3か月ねかせ熟成させて、甘みを際立たせる。『蔵出し』と銘打って、2月~3月に出荷する。「ワインとかウイスキーみたいですね。」とくっすんの感想。
スタートから9キロ、趣ある木造の橋を渡る。『橘本土橋跡』で、昔は土でできた橋を、熊野詣する人々が行き来した。
橋の上で、役目を果たしたガイドさんと分かれる。
スタートから11キロ、山路王子神社に到着。平安時代には盛んだった熊野詣は、戦国時代から衰退し、”王子”も休憩所として不必要となった。明治時代から、氏神を祀る神社として、”王子”は新たな役割を務めている。
境内には、立派な土俵が設けられている。宮司さんに土俵で行われる例祭について
、お話しをうかがう。毎年10月に行われる泣き相撲は、生後4か月~3歳半ごろのこどもどうしで相撲をとる。江戸時代から続き、赤いまわしを締めた男の子が、氏子さんに支えられて相撲をとる。対決は1勝1敗で終わらせ、背中に土をつけることで、無病息災を願う。
ロケ日はお祭り5日前で、予行演習の日だった。泣き相撲の行司は、今年は小学2年生の男の子が務める。行司として難しいセリフまわしがあるので、土俵にて練習の成果を披露してもらう。「東西。東西。本日は。 当社。~奉納 花相撲を 興業つかまつりそうろう。」とよどみないしゃべりに、2人は惜しみない拍手を送る。くっすんは「絶対、おっちゃんできないよ。」と絶賛する。
後日2017年10月8日(日)、泣き相撲本番では、大人顔負けの堂々とした姿で、行司の大役を果たした。
神社をお参りした後、社務所を借りて昼食。河田アナ・くっすんともに『地域弁当』を食べる。デザートのミカンが嬉しい。
最後に待ち構える2つめの峠にむけて「がんばって・・・登りましょう。」と河田アナが言うと、「食べる気力なくなってきたな。」と意気消沈するくっすん。「なら、やめとく?」と確認すると、「いや、食べます。いただきます。」と即答する。
午後2:30、スタートから12キロ、拝ノ峠(標高320m)にアタック。序盤から急角度で、体への負担が大きい。
スタートから13キロ、斜面で収穫したミカンを運搬するリフトを発見する。昔は、運搬時間や運ぶ労力を減らすため重宝されたが、昭和中頃からモノレール型の運搬機器が普及して、とってかわった。
河田アナがくっすんに乗ってみるかと聞くと、「まだ子供ちいちゃいんで・・・。」と遠慮する。
急な上り坂を、ひん死になりながら上る2人は、坂の上の家に住んでいる、おとうさんと出合う。今は、車や単車で坂を上り下りしているが、若いころはミカンを肩に担いで、坂を下って出荷したそう。
おとうさんに負けてはいられないと、延々と続く坂道をがむしゃらに上る。頂上を目前にして、足元がヌルヌルして滑る危険地帯に、いつのまにか入っていた。くっすんは危うくこけそうになったが、腕立て伏せの状態で踏みとどまる。河田アナも、滑るコケでコケそうになる。
午後4:00、拝ノ峠の頂上に到達する。そこからは、ひたすら坂を下るのみ。空と海に映える淡路島、海南市の街並みを見下ろしつつ歩き、
午後5:00、スタートから15キロ、国宝の大門をくぐり、石段を登って、ゴールの長保寺に到着。1000年に創建された。三方を山に囲まれ、敵に攻められにくいことから、江戸時代に紀州徳川家の菩提寺として選ばれた。
秋の夕暮れ映える境内で、長保寺の建造物について、ご住職にお話しをうかがう。本堂・多宝塔・大門の3つがセットで国宝に指定されている。3つそろって国宝なのは、奈良法隆寺とココ長保寺だけである。全ての建造物が、創建当時のまま残っているところが、非常に珍しい。
1311年創建の本堂には、外観は和様、内部は中国の折衷様式が用いられている。1357年創建の多宝塔は、準和様式で、2層の屋根のバランスが美しい。1388年創建の大門は、両脇の仁王像の作者が、運慶の息子・ 湛慶 (たんけい)とされている。
■簡易チャート
スタート: 和歌山県海南市・きのくに温泉[高齢者向けマンション・ウェルネス・コート海南] → 藤白神社 (2km) → 藤白峠 → 地蔵峰寺 → 鯉のため池 (5.5km) → 山路王子神社 (11km) (社務所で昼食)→ 拝ノ峠 (12km) → ゴール:長保寺 (15km)