MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『湯治場めぐり』番外編[京都府松網野町・木津温泉]のまとめ。

 

2017年11月23日(木)放送
旅の内容:●京都府最古の木津温泉を目指す▲くっすんいきなり決死のギリギリジャンプ?!■くっすんサーフィンに挑戦?!★松本清張ゆかりの温泉

 

スタートは京都府京丹後市網野町・琴引浜。ゴールは京都府京丹後市網野町・木津温泉。約17キロの道のり。

 

午前7:30、京都府京丹後市網野町の琴引浜からオープニング。雨が降っていたが、撮影前になんとか止んだ。まだ、雨雲が多くお空に残っているけど、ロケ日の天気予報は晴れ。

 

午前7:50、琴引浜で、波の打ち寄せる際を歩く。琴引浜は、全長1.8キロに及ぶビーチで、夏は多くの海水浴客で賑わう。この砂浜の特徴として、鳴き砂が挙げられる。歩くと『きゅっきゅっきゅ』と爽快な音がする。ファンシーな音で、お子さんやカップルが楽しめること請け合い。
 

鳴き砂が音を奏でるには、3つの条件を満たす必要がある、と河田アナが解説する。1つめは、砂が乾いていること。2つめは、砂がキレイであること。3つめは、砂浜の成分に、石英が60%以上含まれていること。残念ながら、雨あがりなので、2人は鳴き砂の音を聞けない。

古くは、明智光秀の娘・細川ガラシャが、琴引浜の鳴き砂を歌に詠んだ。

『名に高き 太古の浜に 鳴神の  遠くも渡る 秋の夕さめ』

 

ロケ前日からの雨の影響か、川から海岸に向かって支流ができて、小川を形成している。迂回するのも面倒なので、小川をジャンプして渡るハメになる。

まずはお手本とばかり、河田アナが波打ち際ぎりぎりから助走をつけて、危なげなく跳び越え、砂浜に華麗に着地。

死亡フラグをぷんぷん匂わせているくっすんも、決死のジャンプで、倒れ込むように対岸に着地、アウトかと思いきや、着水をぎりぎりで免れる。その後、スタッフさん方も、無事小川を跳び越えた。

 

午前8:00、お天気は回復、網野町を西に歩く。

スタートから1.5キロ、昔ながらの塩作りにこだわる『善助』を取材する。平成12年に、代表の池田さんが、日本海の海水をつかった塩を作りたいと始めた。

 

池田さんに、塩を製造している『塩炊き工房』を、見学させてもらう。およそ10日間かけて、海水から塩を取り出す。まずは、海水を釜で炊いていく。炊くと、海水から石膏や不純物が浮いてくるので、取り除く。

海水から取り出した塩の結晶は、2層のバケツで、にがり成分を分離する。さらに自然乾燥させること3日間、ようやく塩の完成。

 

原料となる海水は、琴引浜から西へ10キロほど離れた、夕日ヶ浦の海岸から採取しているとのこと。川から離れているので、不純物が少なくて、上質の塩ができる。

池田さんが時間と手間をかけて作った、出来立ての『夕日ヶ浦の塩』を、2人は味見させてもらう。その味を言葉で表現するのは難しいが、とにかく普通に大量生産している塩とは、まろやかで段違いに美味しいらしい。くっすんは、「塩だけに、手塩にかけて育てているみたいな・・・。」と、したり顔でコメントする。

 

最後に、池田さんにインタビューし、昔ながらの塩作りにこだわる理由をうかがう。塩を健康に対する悪者扱いしている昨今にあって、体に良くて、かつ美味しい塩を作るためという。摂取し過ぎは良くないが、無かったら無かったで困る、と河田アナがまとめる。

 

スタートから4.5キロ、琴引浜の西に位置する、八丁浜を歩く。八丁浜は、関西のサーフィンスポットとして人気であり、ウエットスーツ姿でボードをもったサーファーさんに出会う。非日常を体験できることが、サーフィンの楽しさとのこと。

くっすんが、「ちょっと(サーフィン)やってみたいな。」と言いだす。その魂胆は、写真を撮って妻に送りたいがためで、さっそく服を脱ぎだし、本人はやる気まんまん。心配する河田アナをよそに、サーファーさんから借りたボードをもって、果敢に極寒の海に入る。

 

だがしかし、運動神経のそれほど良くないくっすんは、荒波にもまれ、おぼれかけ、寒さに震え、「逃げろ、逃げろ、逃げろ。」と言いつつ、海から退散する。

さすがに、一朝一夕では、ボードに立つことすらできない。諦めて、砂浜で、さもサーフィンしている風な写真を撮ることで妥協する。なかなかくっすんの顔が決まっていて、SNS映え?する写真が撮れた。波には乗れなかったが、雰囲気だけ味わえただけで満足する。

 

午前11:50、スタートから5.5キロ、八丁浜の端にある嶋児(しまこ)神社に到着。嶋児神社は、昔話『浦島太郎』のモデルとされる”浦嶋子(うら しまこ)を祀っている。嶋子について、古くは奈良時代の書物・『丹後国風土記』に記されている。

 

社の前で、河田アナが浦嶋子のお話しを、紙芝居でくっすんと視聴者にお届けする。

「むかーしむかし 浦嶋子という若者が 舟に乗って 魚釣りに出かけました

そこで一匹の亀を釣りました その釣った亀を 船に乗せますと

なんと亀は 亀比売(かめひめ)という女性に 姿を変えたのです」

 

そして嶋子は、亀比売に海の彼方にある、常世の国に連れていってもらった。異世界で3年の楽しいときを過ごした嶋子は、ふと故郷のことが気になり、亀比売に相談した。嶋子はひとりで帰ることになり、決して開けてはならないと、釘をさされた玉手箱を渡された。

 

故郷に戻った嶋子の、期待と裏腹に、故郷にかつての面影はなく、村も人も何もかも消えてしまった。なんと、村を離れてから300年の月日が流れていたであった。

途方に暮れた嶋子は、ヤケになったのか、玉手箱を開けてしまい、中から出てきた煙を浴びて、あっという間におじいさんの姿になってしまった。

 

神社のある浅茂川区の、区長さんに、2つの物語についてうかがう。浦島太郎の成立は、室町時代に作られたお伽草子に掲載されたのが、ルーツとされている。

神社から見える小島の福島は、嶋子と亀比売が出会った場所、神社のそばにある”釣溜”(つんだめ)は、嶋子が釣った魚を放し、いけすとした場所と今に伝わる。またこの地区では、浦嶋子の物語を再現する神無月祭が、毎年7月に行われている。

 

区長さんのお話しを聞いて、現在まで、この地に浦島にまつわる言い伝えが数多く残っているのは、それだけ浦島伝説が地元の方々に愛されているからと、河田アナの感想。くっすんは、浦嶋子の物語で、女性は恐いと印象が残った。区長さんは、人間の

昔から今に続く、長寿の願いをテーマにしているとのことで、興味深い説である。

 

午後0:50、たまたま通りかかったピザ専門店『uRashima』にて昼食。2017年のオープンで、店長の藤原さんはピザの本場・イタリアのナポリで修行し、ナポリで開催されたピザ職人世界大会で2位を獲得した実力の持ち主。

 

カウンター席に座る2人。ピザを手でクルクル回す技を見せてほしいと、くっすんがお願いして、普段はしないピザ回しの妙技を披露してもらった。河田アナは店長さんにお任せした『チーマディラッパ』を、くっすんは『シチリアーナ』を食べる。『チーマディラッパ』は、網野町で捕れたタコをメインの具にたっぷりつかい、パンチの効いた塩味が絶妙。くっすんは大好物のピザを食べて、「生地が300点です・・・。これぞ、ナポリピッツァです(行ったことないけど)。」と大絶賛する。

 

午後2:00、7.5キロ、日本海に面した海岸沿いを、西へ進む。

 

午後2:50、網野町の磯地区に入る。磯地区は、明治・大正時代から続く漁師町で、現在30軒ほどの民家が集まる。

歴史を大幅に遡ると、かの有名人、平安時代に静御前が生まれた場所であり、彼女を祀った静神社に到着。

 

静御前は磯で生まれ、幼いころ父親を亡くし、母親とともに京都に移り住んだ。そこで舞いの踊り手である白拍子として活躍、さらに美しい容姿から、源義経に見初められて、側室に入った。

静御前が亡くなった場所は諸説あり、よく分からないので、生誕の地に神社を建て、祀っている。

 

静御前について、宮司さんに詳しいお話しをうかがう。諸説ある静御前の没した

とされている場所のなかに、生誕の地も挙げられている。もしかしたら、京都から故郷の網野の地へ帰ってきて、亡くなったかもしれない・・・。

白拍子が舞いや歌を披露する際、烏帽子・水干・太刀などで男装した。宮司さんが思うに、今でいうところの歌手やタレントでなく、宝塚歌劇団の男役的な存在であったとのこと。

 

磯では、静御前にあやかり、10年前に神社の近くに踊り舞台を設置した。2017年に、静御前を題材にした舞いを、地元の劇団が披露した。

踊り舞台を、今後様々なことに使いたいという宮司さん。そこで、美人妻コンテストはどうかと提案するくっすん。河田アナが”ミス静御前コンテスト”を挙げると、くっすんは断固として、ミセスじゃないと駄目、とこだわる。

 

スタートから10キロ、長~い坂道が続く、七竜峠を登る。頂上までは2.5キロ、遅れているスケジュールをできるだけ戻すため、竜がごとくうねる道を巻きで進む。

 

ペースアップして歩き、スタートから12キロ、差し迫る日没、蓄積する疲労と終わりの見えない坂道に、2人の顔から余裕も消える。

 

午後4:40、黄金色に染まる夕日の中、七竜峠頂上にようやく到達。これから向かう”夕日ヶ浦”で、夕日を見たかったと惜しがる2人。

下りは冷たく吹き付ける風のなか、なるたけ急いで足を進める。

 

午後5:50、スタートから15キロ、真っ暗になっちゃったけど、夕日ヶ浦にたどり着く。砂浜は暗くて全く見えず、夕日を拝むには遅すぎた。時間のロスの最たる原因は、くっすんがサーフィンすると言いだしたことじゃないかと、河田アナが軽く非難する。予定になかったサーフィンのため、実は1時間の遅れが発生したので、「すいません。」と自分の非を素直に認め、謝るくっすん。

 

スタートから約11時間

午後6:20、スタートから17キロ、ゴールの木津温泉[ゑびすや]に到着。現在、網野町で木津温泉に入れる旅館は3軒ある。その中の1つ・ゑびすやは、昭和7年開業で、温泉はもちろん、冬場は豪勢なカニ料理を目当てに、多くのお客さんが訪れる。

昭和40年ごろには、小説家・松本清張がゑびすやの『明月の間』に泊まり、小説・『Dの複合』を執筆した。

 

2人も、京都府最古の木津温泉の、露天風呂へ入浴する。「うわぁ~、気持ちいい(なぁ)。」と声をそろえ、最高の温泉を楽しむ。木津温泉の泉質は、弱アルカリ性単純温泉で、筋肉痛・神経痛・皮膚病などに効く。限界まで疲れた2人には効果てきめんである。

 

木津温泉は、奈良時代に行基がしらさぎが傷を癒しているのを見て、発見したといわれる。松本清張氏も、執筆の合間に、この温泉に浸かって、疲れた脳や体をリフレッシュさせた、或いは、小説の構想を練っていたかもしれない・・・。

 

■簡易チャート

スタート: 京都府京丹後市網野町・琴引浜 → 『善助』(1.5km) → 八丁浜 (4.5km) →嶋児神社 (5.5km) →  昼食:『uRashima』 → 静神社 七竜峠夕日ヶ浦 (15km) → ゴール:木津温泉[ゑびすや] (17km)