MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』51宿目のまとめ。

【51宿目】 2021年02月26日(金)放送 

 

旅の内容:● 水口宿石部宿耐え忍んだ美味しい野菜たち■御開帳はご住職次第?!★浮世絵を再現したお店でホッと一息
スタートは滋賀県甲賀市・『水口城跡』。目標地点は滋賀県湖南市・石部宿。約18キロのコース。

 

午前9:15、滋賀県甲賀市にある、『水口城跡』からオープニング。城の入り口にある雪の積もった橋の上を、ダッシュした後こけて、くっすん登場。中途半端な転び方だと、駄目だしする河田アナ。

 雪は積もっているけど、日差しがあったかいロケ日和。

 

 シャリシャリとシャーベット状の雪を踏みつつ歩く。がんばってと、甲賀市の皆さんからエールをいただく。

 

スタートから1キロ、甲賀市の農家さんたちの作る・野菜ブランド・『忍(しのび)シリーズ』を紹介してもらうため、田中さんの畑で取材する。畑は、昨晩の雪で真っ白。

 

 忍シリーズは、甲賀忍者にちなんで”忍”とネーミングされた野菜たち。甲賀市のブランド野菜は9種類あり、それぞれ大きさや色合いなどに厳しい基準が設けられている。

 その中でとても立派な『忍葱(しのぶねぎ)』を、目の前で掘り起こして収穫してもらう。甲賀の寒さに耐え忍んで、甘みを蓄えた逸品。

 

 ネギの見た目が素晴らしいので、「もう、かじりた~い。」とくっすん。生でもいけるとのことで、かぶりつく。めっちゃうまくて、辛味も感じない・・・、と思ったら、後から辛味が出てくる。「でも・・・、美味しい辛味。」と満足げ。

 せっかくだから、忍葱本来のうま味が味わえる、焼きネギでいただく。網の上で焼いて、焦げた外側だけむいてかじれば、本来の甘みが口にひろがる。

 

 さらに、田中さんが作っている特製ジュースもいただく。ラベルを見て、「僕あんまり、ニンジンか・・・。」とつぶやく、正直なくっすん。原材料は、甲賀市の甘いニンジンと、少量のレモン果汁のみ。ニンジンが苦手な人でも飲みやすい。

 ニンジンが苦手なくっすんも、一口飲んで「甘。」と難なく飲める。あまりの甘さに、「これニンジンですか?」と聞いてみる。間違いなくニンジン

 

午前11:00、道に積もっていた雪も溶け、順調に東海道を西へ歩く。

 

スタートから4キロ、高さ約10メートルの常夜燈を備えた、『横田の渡し』に到着。室町時代にこの場所には、伊勢参りや東西の行き来のための、横田橋があった。昔の旅人は、この常夜燈を目指して歩いた。

 だがしかし、江戸時代に入って東海道の整備が始まると、橋を架ける規制が厳しくなった。もともと多くの人が利用していた、この場所にも規制がかかり、橋の代わりに船による川渡しが行われるようになった。

 

 橋や船がないところでは、人力で渡っていた。そういえば、河田アナとくっすんも東海道の旅で、ふんどし一丁で川を渡っていた。

 ちょっと前の、竹竿を使った船頭体験では、竹竿を川の底に突き刺したまま、船から転落して全身ずぶ濡れになった、くっすん。常夜燈の前でそれを振り返ると、「わざと落ちたんちゃうかっていう説がね、スタッフたちの間で・・・。」と河田アナが明かす。ホントだったら、前のめりに頭から水面に落ちるところなのに、くっすんは足の方から自ら飛び込むように落ちたように見えたから。「そんな細かいことはいいんですよ。」と、はぐらかすくっすん。

 

午前0:20、くっすんの疑惑は晴れないまま、甲賀市を歩くこと5キロ、

滋賀県甲賀市から湖南市へ入る。

 

地元の皆さんから温かい声援をもらいつつ、昼食場所を探していると、

スタートから5.5キロ、ラーメン屋を発見、撮影許可をもらい、『拉麺 八ッパ』にて昼食。河田アナ・くっすんともに看板メニューの『ハッパラーメン(大)』を食べる。鶏ガラベースのしょう油スープに、ニンニク豚バラモヤシなどを自家製ラー油で炒めてトッピングした、スタミナ満点のラーメン。

 「抜群に美味しい。麺にすごいコシのあるけど、表面ツルツルしてて、やっぱりニンニクの出汁がすごいしっかり効いてる・・・。」などと河田アナが食レポをしていると、スマホでその様子を写真にこっそり撮っている店主さん。

 

 ラーメン屋は創業12年で、店主の橋本さんの前職がダイナマイトを使う仕事だったので、ハッパ(発破)と命名されたとのこと。『ダイナマイト』という物騒な響きに、思わず「ダイナマイト?」と聞き返す2人。鉱山で岩を採掘する仕事だと、補足する店主さん。

 

午後1:30、華麗なる転職に驚きつつ歩く。

 

 歴史ある有名なお寺に立ち寄るため、東海道を外れて、山に向かって歩いていく。

真っ暗な山道に入り、登ること20分、

スタートから10キロ、山の中腹にある、善水寺に到着。奈良時代に創建された、天台宗のお寺。

 

 国宝の本堂について、本堂の中でご住職の梅中さんに詳しくうかがう。

 本堂は1360年に一度焼失したが、6年かけて再建された。織田信長の比叡山焼き討ちの3日後、善水寺も焼き討ち受けた。そのときは、本堂といくつかの建物が難を逃れた。

 

 本堂には、御本尊として重文指定の薬師如来像が安置されている。秘仏であり、御開帳はまったくの不定期。次の御開帳も、いつか決まっていない。御開帳は、お寺の慶事に合わせて行われる。前回は、お寺の開創1300年を記念して、御開帳された。そして、御開帳は基本的にご住職が決めるシステム

 「じゃあもうご住職、いつでもいけるじゃないですか。ねぇ。」と軽いノリの河田アナ。「今日ぷいぷいの取材は、イベント事には入らないですか?」とダメもとでくっすんが聞いてみるが、「ちょっと残念ですが・・・。」と丁重に断られる。

 

 本堂の中心に祀られている、御本尊の入った厨子を拝観する。厨子を囲むように、平安~室町時代に作られた、18体の仏像が並んでいる。大きい方から、梵天・帝釈天、四天王、十二神将で、御本尊を護っている。

 並んでいる仏像を鑑賞し、「すごいですね、これ、躍動感っていうか・・・。まるでプロレスラーの方々がこう並んでいるかのような・・・。」とくっすん。ご住職曰く、守護している仏像たちが武装しているのは、我々の煩悩を敵として内なる世界で戦うため。

 

午後4:00、東海道に戻り、宿場を目指す。

 

 歩いていると、130年続く呉服店を雑貨屋さんにリニューアルオープンした、『雑貨 tsugu』の前で、店主さんとお義母さんにかけてもらう。

 

 可愛らしい雑貨あふれるお店の中で、お店のことのついてお話しをうかがう。

 広島から嫁がれた奥様が、趣味のハンドメイドの雑貨屋さんへと、大きくスタイルを変えたことに、お義父さんははじめはあんまりいい顔はしなかったけど、時代の流れとともに受け入れたみたい。

 

 オープンして3~4か月、なんとかうまくやっている。地元の方だけでなく、彦根市や四日市市から来られるお客さんもいるとのこと。歴史あるお店も、時代の流れに合わせて、変えていくことも必要かな。

 

午後5:30、ちょっと薄暗くなってきた。

スタートから18キロ、51番目の宿場・目標地点の石部宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・旅籠32軒が建ち並んだ。

 歌川広重の描いた、東海道五十三次・石部宿の浮世絵では、お店屋さんに旅人が集まってにぎわっている。そのお店は、この辺りで有名だった田楽屋さん。お店の暖簾には、『やせい・やせい・やせい・・・』じゃなくて、『いせや・いせや・いせや・・・』と書かれている。現在も、いせやを再現したお店が残っている。

 

本陣跡から歩くこと100メートル、

広重の浮世絵の”いせや”をもとに建てた、外観そっくり『石部宿 田楽茶屋』に到着。名物の田楽・『豆腐とこんにゃくの田楽』を食べる。柚子を練り込んだ、八丁味噌がかかっている。味噌の濃厚さと柚子の爽やかさがちょうどいい、と河田アナ。

 さらに『芋つぶし(2個)』もいただく。お米が貴重だった時代に、石部宿で作られた家庭料理。少量のお米といっしょに、里芋を炊いてつぶし、形を整えて焼き上げる。表面はカリカリ、中はモッチモチ。食感として、ご飯のツブツブがまだ残っている。

 

 最後に店員の渡辺さんに、51番目の宿場・石部宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・51宿目の石部宿までの旅を無事終えた。

 

■簡易チャート
スタート:滋賀県甲賀市・『水口城跡』 → 田中さんの畑 (1km) → 『横田の渡し』(4km) → 昼食:『拉麺 八ッパ』(5.5km) → 善水寺 (10km) →『雑貨 tsugu』→ 目標地点:石部宿 [本陣跡] (18km) →『石部宿 田楽茶屋

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』48.5~50宿目のまとめ。

【48.5~50宿目】 2021年02月19日(金)放送 

 

旅の内容:● 土山宿  水口宿 ▲町ぐるみで熱烈歓迎?!■恵方巻はかんぴょう巻きで?!★もったいないお城?!
スタートは滋賀県甲賀市・田村神社。目標地点は甲賀市・『水口城跡』。約18キロのコース。

 

午前8:00、滋賀県甲賀市にある、田村神社の本殿前からオープニング。ロケ前日からさっきまで雨が降っていたものの、止んだ。

 残す宿場もわずか、水口宿・石部宿・草津宿・大津宿・最終目的地の三条大橋と、片手の指を折って数える。「逆走したいです。」と、終わりたくない未練タラタラくっすん。ならばと、2手に分かれて、くっすんは江戸の方へリターンすればと提案する河田アナ。「みんなと歩くから楽しいんじゃないですか。」と寂しがり屋のくっすんであった。

 

 田村神社で皆様と旅の安全を祈願して、いざ出発。田村神社を出ると、東海道沿いに古い町並みが続く。

 

スタートから2キロ、49番目の宿場・土山宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・旅籠が44軒建ち並んだ。昔の雰囲気を大切にしていて、風情ある街並み。

 

午前9:00、土山宿を抜け、次の宿場を目指す。

 

 「いつも見てます。」と赤キャップの気さくなおとうさんに声をかけてもらい、グータッチであいさつする。

 ママ友さんから昔偉ロケ情報を聞いて駆けつけた、子連れのママさんたちにも声をかけてもらう。

 さらに、続々と声をかけてもらう。

 

 河田アナ・くっすんの到来を待ちわびていた、電気屋さんの奥様に出会う。あいさつを交わすや否や、ご自宅の窓際に置いてある、『ジオラマハウスを見てください』、と進行する。お友達が作ったもので、屋根を開けて家の中を見せてくれる。

 家の中を見れば、様々な駄菓子やペコちゃん人形のある、駄菓子屋さんだとよく分かる。

 

 奥さんとしゃべっていると、足の長いご主人が登場。「娘も(足)長いんですよ、私は短いけど・・・。」と笑いを誘う奥様。ご主人は、電気屋さんの他に、新聞屋さんもやっている。2021年で結婚40年を迎える、とっても仲睦まじいご夫婦。5人もお子さんがおられるとのこと。

 

午前10:10、

幸せなご夫婦を羨ましがりながら歩き、

スタートから7.5キロ、河田アナ・くっすんの到来を待ちわびていた、道沿いの酒蔵さんの5代目に出会う。安井酒造場さんで、まるで打ち合わせしていたかの如く、流れるように酒蔵の中へ案内してくれる。

 ご自慢の井戸を見せてもらう。懐中電灯で井戸の中を照らすと、透き通った水が見える。鈴鹿山系の伏流水で、美味しいお酒を造るのにもってこい。井戸水を試飲させてもらったら、水道水とは全然ちがうらしい。

 

 『初桜』というブランドで、製法や飲み口の違う様々なお酒を、世に送り出している。2年前修行から帰ってきた、息子の太郎さんが作った、『きもと太郎』をいただく。ちょっと甘めで飲みやすい。

 太郎さんは、お酒が好きだったので、酒蔵の息子でちょうどよかったとのこと。なお、お父さんの悪い飲み方ばっかり見てたそう。

 

 コロナ禍で思ったふうに商品が動かないので、つらいところではあるけど、帰ってきた息子さんとともに、長いこと酒造りを続けていけたらいいなと5代目。

 お別れの際には、まだまだ元気83歳で晩酌をいただいている4代目も登場し、3代揃ってお見送りしてくれた。

 

午後0:10、

スタートから10キロ、予約していた『古民家カフェ 一里塚』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『ランチプレート』を食べる。カレーやナポリタンなら予約なしでオッケーと店主さん。

 

 節分を意識した巻き寿司には、水口の名物・かんぴょうが入っている。かんぴょうはウリ科の植物・ユウガオの実を機械で細くむいて、天日干しして作る。歌川広重の東海道五十三次・水口宿の浮世絵に、夏の風物詩・かんぴょう作りの様子が描かれている。

 「南南東ってどっちでしたっけ?」と恵方巻方式で食べようとするくっすん、家に帰ってからやってよ、と河田アナに阻止される。

 

午後1:20、お腹いっぱいで、意気揚々と歩く。

 

スタートから12.5キロ、50番目の宿場・水口宿 [東見附跡]に到着。

 戦国時代に、山の上に『水口岡山城』が築かれ、山のふもとに城下町が形成された。江戸時代には、山のふもとに水口城が築城され、ついでに城下町が拡張された。

 

 東海道を少し外れ、地元で有名な山あいのお寺に向かう。

スタートから16キロ、大池寺(だいちじ)に到着。奈良時代に、行基が日照りに苦しむ農民のため、灌漑用水として4つの池を作り、中央にお堂を建てたのが始まりとされる。

 

 住職の清水さんに本堂へ案内してもらい、『釈迦如来坐像』を拝観する。像高240センチで、十楽寺の『阿弥陀如来坐像』・櫟野寺(らくやじ)の『薬師如来坐像』とともに、甲賀三大佛のひとつに数えられる。行基は、一彫りごとに3回礼拝する『一刀三礼』で、如来様を彫ったと伝わる。

 

 そして、歴史あるお庭・『蓬莱庭園』へ案内してもらい、お部屋で座って鑑賞する。サツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園。お庭の真ん中にある、刈り込まれたサツキを見て、波のように見えるし、毛虫のようにも見える、とくっすん。河田アナには、空に浮かぶ雲のように見える。

 

 ご住職曰く、最終的には見る者の自由にご鑑賞いただければいいとのこと。一応の答えは、敷き詰められた白砂が海を表し、毛虫にもくも雲にも見える刈り込みは、宝船を表している。宝船の中の小さな植え込みは、七福神を表している。宝船のバックにある2段の刈り込みは、大波と小波を表している。

 

 5~6月にかけては、サツキの花が咲き、ピンクなお庭に変身、秋には紅葉をバックに鑑賞できる。

 江戸時代初期に、小堀遠州が水口城の築城を祝って、めでたいお庭に仕上げたと伝わる。

 お庭の端っこにある小さな刈り込みを何かと聞かれて、島だと答える河田アナ。島は島でも、カメを模したカメ島だという。そう言われれば、カメに見えてくる2人。

 「やっぱりあの毎日コロナのこととかで、みんなやっぱり気持ちがしんどくなったり、窮屈だったりしてると思うんですけども、テレビを通してということにはなってしまうんですけど、視聴者の皆さんにも(お庭を見て)心穏やかになって頂けたら嬉しいなあ。」と願う河田アナ。

 

 日が沈みゆくなか歩き、

スタートから18キロ、目標地点の『水口城跡』に到着。お城の中にあるのが、角櫓を模した『水口城資料館』。

 

 資料館の中で、甲賀市歴史文化財課の佐野さんに水口城についてうかがう。

 江戸時代に水口城が築城された、当初の姿を復元した模型を拝見する。水口城は1634年に、戦のためではなく、3代将軍・徳川家光が上洛する際の宿泊施設として、築城された。

 しかしながら、実際のところ、家光が一度だけ泊まっただけで、あとは使われなかった。将軍のための宿泊場所なので、他の人がおいそれと泊まることはできなかったという。

 

 また歴代の水口城藩主も本丸御殿には住まず、本丸から少し離れたところにあった、二の丸で生活していた。本丸は、放置しておいてはボロボロになるので、江戸時代初期の約50年間維持管理していた。

 

 最後に、市役所の佐野さんに50番目の宿場・水口宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 

午後4:20、せっかくだから、旅の終わりにすぐ近くで名物を食べにいく。

水口城跡から200メートル、谷野製麵所さんが営む、『谷屋食堂』にて某テレビ番組で紹介された、”スヤキ"を食べる。

 ラードをひいたフライパンで、自家製麺をカリカリに焼いて、ネギとモヤシを加えて炒めるだけ。味付けは、自分で好みの量のソースとコショウを加える。

 スヤキはこのお店発祥で、昭和29年に近所の高校生のために、安くて腹持ちのいいモノをと、先代が考案したとのこと。

 

 駄菓子屋さんで食べる焼きそばに近い感じがするとくっすん。麺のおこげがアクセントになっていいと河田アナ。

 「京都まであとちょっとやけども、引き続きがんばりましょう。」と締めにかかる河田アナ。しかし、「来週は、ゴールしたくないです。」と東海道の旅を終わらせたくないくっすんであった。

 

■簡易チャート
スタート:滋賀県甲賀市・田村神社 → 土山宿 [本陣跡] (2km) → 安井酒造場 (7.5km) → 昼食:『古民家カフェ 一里塚』(10km)→ 水口宿 [東見附跡] (12.5km) → 大池寺 (16km) → 目標地点:『水口城跡』[水口城資料館] (18km) →『谷屋食堂

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』47~48.5宿目のまとめ。

【47~48.5宿目】 2021年02月12日(金)放送 

 

旅の内容:●亀山宿 → 関宿 → 坂下宿 → 土山宿手前▲和菓子屋は忍びの隠れ蓑?!■竈体験で昔の人はえらかった★峠を越えてお帰りなさいませ


スタートは三重県亀山市・『亀山城跡』。目標地点は滋賀県甲賀市・田村神社。約22キロのロングコース。

 

午前7:00、三重県亀山市にある、『亀山城跡』[京口門]からオープニング。毎度おなじみ、ひょっこりとくっすん登場。今回は、宿場を3つ(2.5)進み、難所の鈴鹿峠を越える地獄?旅。

 

スタートから6キロ、今も昔の街並みを残す、47番目の宿場・関宿に到着。江戸時代には、全長約1.8キロの宿場に、本陣2軒・旅籠42軒が建ち並んだ。江戸時代後期から明治期の町屋が200軒現存し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。しかも、その町屋に今もお住まいの方が多い。

 

 歌川広重の描いた東海道五十三次・関宿の浮世絵には、かつての本陣が描かれている。江戸時代本陣だった場所は、現在風情を保ったまま電気店になっている。

 他にも、風情を保った銀行・みそ焼きうどん屋さんなどがある。みそ焼きうどんを食べてみたいと、先週食べたことを忘れている、くっすん。

 

風情を保った、約370年ずっと名物のお菓子を続けている老舗・『深川屋』を取材する。

 

 14代目の服部吉右衛門亜樹さんに、お話しをうかがう。

 ”吉右衛門”は代々襲名していて、お店の跡を取ると必ず名乗る。実は”伊賀”の服部で、忍びの隠れ蓑としての商いが、和菓子屋だったとのこと。

 なんとあの有名な、服部半蔵の親戚筋だって。河田アナもくっすんもそれを聞いてビックリ。くっすんが忍びの術のポーズをお願いしてみると、やってくれた。

 

 伊賀忍者の一族に受け継がれる、銘菓・『関の戸』。こし餡を求肥(ぎゅうひ)で包み和三盆をまぶした、江戸時代から同じ製法で作られている、一口大の餅菓子。

 店内で14代目の前で、いただく。くちどけが良くて、甘さ控えめの上品な味だとくっすん。

 

 使われているあんこには、忍びの保存食の技術が入っていて、昔は1~2年経っても腐らないといわれた。村の間では、忍法で作られているとウワサが・・・。

 

 関の戸には、”味変えるべからず”という掟があった(過去形)。長年にわたり守られてきた掟を破ったのが、14代目。オリジナルと違う味の関の戸を作ってしまい、先代の父と、三か月くらい口をきかなかったそう。

 

 亀山の名産品・お茶と黒糖、2種類の関の戸を作った。オリジナルの関の戸には三重県のモノがひとつも入っていないことが、14代目には引っ掛かりがずっとあって、何か地元のものを使って作りたいというのが発想。

 せっかくだから、14代目オススメのお茶味の関の戸もいただく。お茶味を大絶賛する河田アナ。「これ、お父さん納得されたでしょう?」と聞いてみると、「今はもう、父も賛成してますけど・・・。これ厚生労働大臣賞いただいたんですよ。」と14代目。何はともあれ良かった良かった。

 

 深川屋14代目の服部吉右衛門亜樹さんに47番目の宿場・関宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 

午前10:00、深川屋を後にする。そしてすぐちかくにある、風情を保った、『會津屋(あいづや)』にて昼食。1998年にオープン、江戸時代に旅籠だった建物を利用している。

 

 昼食に前に・・・、2代目店主の松田さんに教わりながら、竈(かまど)体験で自分たちで食べるご飯を炊く。

 松田さんはコロナをきっかけに、大正時代の竈を使った火起こしと、地元の食材を使った料理を同時に楽しめる体験を始めた。料理のメニューは、季節によって様々。

 

 今回は、麦ごはんに自然薯をかけた『とろろ飯』。お釜には、麦ごはんの準備が仕込んであり、竈体験スタート。まずは、河田アナが丸めた新聞紙・薪を入れて、チャッカマンで竈に点火。

 火吹き竹で、竈に空気を送り込む。上にある薪に、下から空気をあてるのがミソ。

 くっすんが挑戦。上から下に吹いてしまう。必死に竹を吹いていると、すぐにくらくらしてきて、すぐに河田アナと交代。後ろから茶々を入れるくっすんに、「全然手伝ってくれへんやん。」と文句を言いつつ、がんばる河田さん。そのかいあって、いい感じに火が燃え上がる。

 

 水分が蒸発し、チリチリと乾いた音が鳴りだしたら、出来上がりの合図。カパッと釜のフタを開ければ、上手に炊き上がったご飯の登場で、歓声をあげる2人。さらに、しゃもじでご飯をひっくり返せば、ほどよいおこげが出てきて、美味しそう。

 

 いよいよ、河田アナくっすんともに、自分で炊いたご飯をつかった、『とろろ飯』を食べる。亀山さんの自然薯を出汁で割った、とろろをかけて、さあ召し上がれ。一口食べて、一秒とせず「おいしい~。」とくっすん。自分たちで炊いたご飯となれば、一層おいしい。

 「自然薯食べたら、興奮してきました。」というくっすんに、「なんでやねん。」とツッコむ河田アナ。

 シメに、麦ごはんにカツオだしをかけて、お茶漬けでいただく。味変に満足。

 

午前11:45、お店を後にして、再び関宿界隈を歩く。

 

関宿を出た2人は、地元の方々から声援をもらいつつ歩き、

スタートから8.5キロ、広重の坂下宿の浮世絵が描かれた場所付近に着き、地域の自治会長・川北さんにお話しをうかがう。

 坂下宿の浮世絵には、大きな山が描かれていて、その名も筆捨山。室町時代の一人の画家がこの山を描こうとした際、美しさを表現できずに筆を投げ捨てたという伝説が名の由来。

 関宿と坂下宿の中間点にあたり、宿場間にある立場茶屋が、この辺りに4軒あったといわれる。その1軒?が浮世絵に描かれている。

 

 少し歩いて、浮世絵の風景に近い場所へ移動する。浮世絵のように山が見え、茶屋のある場所にはちょうど家屋が建っている。鈴鹿峠を越えてきた旅人は一息ついて、逆に越えようとする旅人は支度していたかもしれない。

 

 自治会長の川北さんに48番目の宿場・坂下宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。「通っていいよ。」と、とっても元気に送り出された。

 

 引き続き、坂下宿・鈴鹿峠を目指し、西へゆく。

京都方面から鈴鹿峠を越えてきた、おとうさんに出会う。峠はほとんど下りだったというので、逆に東からの場合は、けっこう厳しいみたい。

 おとうさんも、東海道をぶつ切りに分けて歩いていて、土山宿から桑名宿まで歩けてないそう。河田アナは、桑名宿から宮宿までオススメの船頭さんとして、お世話になった、桑名のパー子さんこと平井さんを紹介する。

 

 休憩をとりつつ、さらに西へ歩いていると、東海道五十三次の宿場名が記された木柱が、日本橋から順々に出現する。今まで越えてきた、宿場名を読みあげてゆく。池鯉鮒宿の読み方をやっぱり忘れている、くっすん。

 そして、今日の旅と、それ以降の旅を木柱でおさらいする。今日の旅は、亀山宿~関宿~、これから向かう坂下宿~そして土山宿の手前まで進む。来週以降は、土山宿~水口宿~石部宿~大津宿・・・そしてゴールの三条大橋。いよいよ東海道五十三次の旅も、佳境に入ってきた実感が湧く。

 河田アナが、木柱が1本ないことに気づく。草津宿の木柱が欠落していた。なんでだろ~?と思いつつ、先へ進む。

 

スタートから11.5キロ、48番目の宿場・坂下宿に到着。江戸時代には、本陣3軒・旅籠が48軒建ち並び、鈴鹿峠に登る準備を整える宿場だった。

 

 坂下宿を抜けると、傾斜のキツイ本格的な山道に突入。くっすんは「これ、つま先で立ってる感じですよ。・・・ムーンウォークみたいな、こう斜めにやるじゃないですか。そんな感じです。」と例える。「全然分かりませんよ。」とピンとこない河田アナ。ムーンウォークではなく、映画『ムーンウォーカー』内で使われた、ゼロ・グラヴィティと呼ばれるマイケルジャクソンの代表的なパフォーマンス・斜め立ちみたいだと言いたかったらしいが、言葉足らず。

 「いちいち言うこと納得できひんわ。」という河田アナに、「それもう10年間ずっとじゃないですか。」と返すくっすん。ごもっとも。

 

だらだらとしゃべりながら歩くこと数分、片山神社へと続く石段の前にある、大きな鳥居を横目に、鈴鹿峠の入り口に到着。さっきまではオープニングみたいなもん、と河田アナ。

 鈴鹿峠[標高378m]は、三重県と滋賀県にまたがり、全長1キロ前後の山道にもかかわらず、東海道の難所として古くから恐れられていた。

 

 難所のと呼ばれる所以を、河田アナが歩きながら解説する。言うまでもなく、非常に厳しい坂道。さらに、この辺りは気象条件がコロコロ変わって、急に大雨になることがある。

 まだある、”悪い鬼”と書いて悪鬼(あっき)が出没する。本当の鬼じゃなくて、山賊のこと。

 

 現在は峠を安全に歩けるように整備されている。舗装された階段を、2人とも『しんど』とぼやきつつ歩き、

午後2:40、開けた場所にでたので、峠の頂上に着いた・・・かにみえたが、まだ続く。河田アナがそこにあった案内板で状況を確認すると、頂上まではあとちょっと。

 

 しゃべる余裕もなく黙々と歩き続ける。今度こそ頂上っぽい場所にきた。「もう、ちゅうじょう(頂上)・・。」と噛むくっすん、「もう、頂上・・・。」と言い直す。

 というわけで、鈴鹿峠の登場に到達。そのちょっと先に、『左 三重県 伊勢の国       右 滋賀県 近江の国』の道しるべがあり、ちちんぷいぷい放送県内へ戻ってきたことを喜ぶ。「またあの、歩いてますんで、良かったら手振ったり『おーい』って言ってください。」と、改めて視聴者の皆さんに訴えかける河田アナ。

 

午後3:00、三重県亀山市から滋賀県甲賀市へ入る。

 

 広重の土山宿の浮世絵が描かれた場所、海道橋に到着。浮世絵では、雨の中大名行列が橋を渡ろうとしている。江戸時代、土山宿は雨が多い地域といわれていた。

 当時の雰囲気のままの、橋を渡る。

 

午後4:20、スタートから22キロ、土山宿の手前、目標地点の田村神社に到着。812年に創建された、坂上田村麻呂を祀る神社。

 田村麻呂は鈴鹿峠の山賊を退治したといわれる。その昔、作物の不作や謎の疫病に人々が苦しみ、田村麻呂の力にあやかったご祈祷によって、災いを治めた。

 

 田村神社の御祈願方法は、福豆・本来は節分のときの豆を、自分の年の数だけ持ってきて、橋の上から落とす。そうすることで、その年の災いを落とす。

 今は、袋に入った福豆を、神社から授かるスタイル。

 

 宮司の田村さんに案内され、御手洗(みたらい)川に架かる橋の上へ。橋の下には、袋に入った福豆がいっぱい落ちている。河田アナとくっすんも、せーので落として、コロナ撃退や家族の幸せを願い、手を合わす。

 

 最後に、宮司の田村さんに49番目の宿場・土山宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・49宿目の土山宿手前までの旅を無事終えた。

 

■簡易チャート
スタート:三重県亀山市・『亀山城跡』[京口門] → 関宿 (6km) →『深川屋』→ 昼食:『會津屋』 → 坂下宿の浮世絵が描かれた場所 → 東海道木柱 → 坂下宿 (11.5km) → 鈴鹿峠 → 海道橋 → 目標地点:田村神社 (22km)