MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』51宿目のまとめ。
【51宿目】 2021年02月26日(金)放送
旅の内容:● 水口宿 → 石部宿 ▲耐え忍んだ美味しい野菜たち■御開帳はご住職次第?!★浮世絵を再現したお店でホッと一息
スタートは滋賀県甲賀市・『水口城跡』。目標地点は滋賀県湖南市・石部宿。約18キロのコース。
午前9:15、滋賀県甲賀市にある、『水口城跡』からオープニング。城の入り口にある雪の積もった橋の上を、ダッシュした後こけて、くっすん登場。中途半端な転び方だと、駄目だしする河田アナ。
雪は積もっているけど、日差しがあったかいロケ日和。
シャリシャリとシャーベット状の雪を踏みつつ歩く。がんばってと、甲賀市の皆さんからエールをいただく。
スタートから1キロ、甲賀市の農家さんたちの作る・野菜ブランド・『忍(しのび)シリーズ』を紹介してもらうため、田中さんの畑で取材する。畑は、昨晩の雪で真っ白。
忍シリーズは、甲賀忍者にちなんで”忍”とネーミングされた野菜たち。甲賀市のブランド野菜は9種類あり、それぞれ大きさや色合いなどに厳しい基準が設けられている。
その中でとても立派な『忍葱(しのぶねぎ)』を、目の前で掘り起こして収穫してもらう。甲賀の寒さに耐え忍んで、甘みを蓄えた逸品。
ネギの見た目が素晴らしいので、「もう、かじりた~い。」とくっすん。生でもいけるとのことで、かぶりつく。めっちゃうまくて、辛味も感じない・・・、と思ったら、後から辛味が出てくる。「でも・・・、美味しい辛味。」と満足げ。
せっかくだから、忍葱本来のうま味が味わえる、焼きネギでいただく。網の上で焼いて、焦げた外側だけむいてかじれば、本来の甘みが口にひろがる。
さらに、田中さんが作っている特製ジュースもいただく。ラベルを見て、「僕あんまり、ニンジンか・・・。」とつぶやく、正直なくっすん。原材料は、甲賀市の甘いニンジンと、少量のレモン果汁のみ。ニンジンが苦手な人でも飲みやすい。
ニンジンが苦手なくっすんも、一口飲んで「甘。」と難なく飲める。あまりの甘さに、「これニンジンですか?」と聞いてみる。間違いなくニンジン。
午前11:00、道に積もっていた雪も溶け、順調に東海道を西へ歩く。
スタートから4キロ、高さ約10メートルの常夜燈を備えた、『横田の渡し』に到着。室町時代にこの場所には、伊勢参りや東西の行き来のための、横田橋があった。昔の旅人は、この常夜燈を目指して歩いた。
だがしかし、江戸時代に入って東海道の整備が始まると、橋を架ける規制が厳しくなった。もともと多くの人が利用していた、この場所にも規制がかかり、橋の代わりに船による川渡しが行われるようになった。
橋や船がないところでは、人力で渡っていた。そういえば、河田アナとくっすんも東海道の旅で、ふんどし一丁で川を渡っていた。
ちょっと前の、竹竿を使った船頭体験では、竹竿を川の底に突き刺したまま、船から転落して全身ずぶ濡れになった、くっすん。常夜燈の前でそれを振り返ると、「わざと落ちたんちゃうかっていう説がね、スタッフたちの間で・・・。」と河田アナが明かす。ホントだったら、前のめりに頭から水面に落ちるところなのに、くっすんは足の方から自ら飛び込むように落ちたように見えたから。「そんな細かいことはいいんですよ。」と、はぐらかすくっすん。
午前0:20、くっすんの疑惑は晴れないまま、甲賀市を歩くこと5キロ、
滋賀県甲賀市から湖南市へ入る。
地元の皆さんから温かい声援をもらいつつ、昼食場所を探していると、
スタートから5.5キロ、ラーメン屋を発見、撮影許可をもらい、『拉麺 八ッパ』にて昼食。河田アナ・くっすんともに看板メニューの『ハッパラーメン(大)』を食べる。鶏ガラベースのしょう油スープに、ニンニク豚バラモヤシなどを自家製ラー油で炒めてトッピングした、スタミナ満点のラーメン。
「抜群に美味しい。麺にすごいコシのあるけど、表面ツルツルしてて、やっぱりニンニクの出汁がすごいしっかり効いてる・・・。」などと河田アナが食レポをしていると、スマホでその様子を写真にこっそり撮っている店主さん。
ラーメン屋は創業12年で、店主の橋本さんの前職がダイナマイトを使う仕事だったので、ハッパ(発破)と命名されたとのこと。『ダイナマイト』という物騒な響きに、思わず「ダイナマイト?」と聞き返す2人。鉱山で岩を採掘する仕事だと、補足する店主さん。
午後1:30、華麗なる転職に驚きつつ歩く。
歴史ある有名なお寺に立ち寄るため、東海道を外れて、山に向かって歩いていく。
真っ暗な山道に入り、登ること20分、
スタートから10キロ、山の中腹にある、善水寺に到着。奈良時代に創建された、天台宗のお寺。
国宝の本堂について、本堂の中でご住職の梅中さんに詳しくうかがう。
本堂は1360年に一度焼失したが、6年かけて再建された。織田信長の比叡山焼き討ちの3日後、善水寺も焼き討ち受けた。そのときは、本堂といくつかの建物が難を逃れた。
本堂には、御本尊として重文指定の薬師如来像が安置されている。秘仏であり、御開帳はまったくの不定期。次の御開帳も、いつか決まっていない。御開帳は、お寺の慶事に合わせて行われる。前回は、お寺の開創1300年を記念して、御開帳された。そして、御開帳は基本的にご住職が決めるシステム。
「じゃあもうご住職、いつでもいけるじゃないですか。ねぇ。」と軽いノリの河田アナ。「今日ぷいぷいの取材は、イベント事には入らないですか?」とダメもとでくっすんが聞いてみるが、「ちょっと残念ですが・・・。」と丁重に断られる。
本堂の中心に祀られている、御本尊の入った厨子を拝観する。厨子を囲むように、平安~室町時代に作られた、18体の仏像が並んでいる。大きい方から、梵天・帝釈天、四天王、十二神将で、御本尊を護っている。
並んでいる仏像を鑑賞し、「すごいですね、これ、躍動感っていうか・・・。まるでプロレスラーの方々がこう並んでいるかのような・・・。」とくっすん。ご住職曰く、守護している仏像たちが武装しているのは、我々の煩悩を敵として内なる世界で戦うため。
午後4:00、東海道に戻り、宿場を目指す。
歩いていると、130年続く呉服店を雑貨屋さんにリニューアルオープンした、『雑貨 tsugu』の前で、店主さんとお義母さんにかけてもらう。
可愛らしい雑貨あふれるお店の中で、お店のことのついてお話しをうかがう。
広島から嫁がれた奥様が、趣味のハンドメイドの雑貨屋さんへと、大きくスタイルを変えたことに、お義父さんははじめはあんまりいい顔はしなかったけど、時代の流れとともに受け入れたみたい。
オープンして3~4か月、なんとかうまくやっている。地元の方だけでなく、彦根市や四日市市から来られるお客さんもいるとのこと。歴史あるお店も、時代の流れに合わせて、変えていくことも必要かな。
午後5:30、ちょっと薄暗くなってきた。
スタートから18キロ、51番目の宿場・目標地点の石部宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・旅籠32軒が建ち並んだ。
歌川広重の描いた、東海道五十三次・石部宿の浮世絵では、お店屋さんに旅人が集まってにぎわっている。そのお店は、この辺りで有名だった田楽屋さん。お店の暖簾には、『やせい・やせい・やせい・・・』じゃなくて、『いせや・いせや・いせや・・・』と書かれている。現在も、いせやを再現したお店が残っている。
本陣跡から歩くこと100メートル、
広重の浮世絵の”いせや”をもとに建てた、外観そっくり『石部宿 田楽茶屋』に到着。名物の田楽・『豆腐とこんにゃくの田楽』を食べる。柚子を練り込んだ、八丁味噌がかかっている。味噌の濃厚さと柚子の爽やかさがちょうどいい、と河田アナ。
さらに『芋つぶし(2個)』もいただく。お米が貴重だった時代に、石部宿で作られた家庭料理。少量のお米といっしょに、里芋を炊いてつぶし、形を整えて焼き上げる。表面はカリカリ、中はモッチモチ。食感として、ご飯のツブツブがまだ残っている。
最後に店員の渡辺さんに、51番目の宿場・石部宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。
こうして、東海道五十三次・51宿目の石部宿までの旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート:滋賀県甲賀市・『水口城跡』 → 田中さんの畑 (1km) → 『横田の渡し』(4km) → 昼食:『拉麺 八ッパ』(5.5km) → 善水寺 (10km) →『雑貨 tsugu』→ 目標地点:石部宿 [本陣跡] (18km) →『石部宿 田楽茶屋』