2021年05月26日(水)、兵庫県姫路市の姫路文学館にて、[特別展]猫のダヤン35周年『ダヤンと不思議な劇場 / 池田あきこ原画展』を鑑賞した。

 

 動物が好きです。特にイヌとネコとフクロウが好きです。あとカピバラとか・・・。兵庫県の緊急事態宣言発令により、一時期休館していたが、再開されたので、今しかないと突撃。やはり、人が少なそうな平日に行った。おかげで、じっくり鑑賞できた。あまり原画展終了間近だと、人多そうだし・・・。

 

 

 姫路文学館専用の無料駐車場が50台あります。ただし、東側(姫路市立美術館側)から車で行くと、途中まで車1台しか通れない狭い道なので、注意が必要なのです。

 

 

午前11:00ちょっと前、姫路文学館到着

特別展会場の姫路文学館北館

開館が10:00~なので出遅れた。幸いギャラリーも少なく、ソーシャルディスタンスを気にする必要もなかった。

 

 エントランスで、検温され、氏名・連絡先の記入をする。検温を済ますと、証明シールを渡され、胸の辺りに貼ってくださいとのこと。観覧料700円を支払い、いざ観覧。ダヤンの物販コーナーが目につくが、帰りに楽しみはとっておく。

証明シール (ダヤンもマスク着用)

記念品になります

 

 特別展の会場は、中2階の『第1会場』と、2階の『第2会場』に分かれている。とりあえず第1会場で観覧。この原画展は、ただ原画を観るだけでなく、猫のダヤンの世界を3Dで再現した、作品が多数楽しめる。

 

 

 第1会場では、ダヤンの絵本の世界の1ページを、全て革で作った立体ジオラマが数点展示されていて、面白い。まさに、飛び出す絵本。登場動物はおろか、郵便局・塔・門といった建物まで、革で再現されております。

 

 池田あきこさんの作品は、随所に子ども心をくすぐる、ユーモアが散りばめられており、この特別展も、小さなお子さんが退屈せず楽しめる、飽きのこない構成。お子さんあっての絵本。

 また、大人になった皆様も、子どもの頃のようなキラキラな心に戻って、楽しめます(わたくしは見た目はおっさんですが、中身はまだ子供のままなので、戻ったという表現はどうかな・・・)。昔ドラクエというRPGゲームにどっぷりハマっていたことがありまして、そんな方なら特に楽しめます。保証します・・・たぶん。いやー懐かしい。

 絵本の内容を知らない人でも、原画だけ見て想像を膨らますだけで、充分楽しい。その後、絵本買ってね・・・。まあ、ストーリーの粗筋が添えてあるので、チラッと

読みつつ・・・鑑賞をば。

 

 

 第1会場を楽しんだ後は、会場脇で、特別展のコンセプトと舞台裏を、池田あきこさん本人と、ギニョールのダヤンとウサギのマーシーが語る、ショートムービーを拝見。10分ほどの映像で、これを観れば、より特別展が楽しめる。横浜でのライフビューイング(早送り)の様子も、入ってます。

 

シアターの横の撮影スポット

『椅子に座るダヤン』

 

肉球を触りたくなるが、お触り禁止!

 

 

そしてメインの第2会場へ・・・

その前に立体アートの撮影スポット

森のゲート

何層ものアートを重ねて、奥行きがある

 

 

 第2会場では、小さくなったベビーダヤンの不思議な原画、おかしなお菓子なダヤンの原画、不思議な森のダヤンの原画など(適当に命名)楽しめる。4コマ・1ページマンガも展示されている。

 

 わたくしのお気に入り作品は、ショートムービーにも登場した、ダヤンとマーシーの、『ギニョール劇場』です。人形のサイズも50センチを超える大作で、見ごたえ充分。横のモニターで、ダヤンとマーシーギニョールの掛け合い漫才の映像が、延々と流れてます(ちょっとうるさい)。

 後は、不思議な森を再現した立体アート。たくさんのLED麦球を散りばめ、薄暗い森の愉快な仲間たちを照らす様は、ファンタスティック。細部までやたらこだわって造形されているので、世界観に引き込まれる。

 そして、ダヤンが『日本に行く』の絵も面白い。

 

 

第2会場の撮影スポット

赤い部屋のマカロン

原画を忠実に3Dで再現。会場で見比べてみよう・・・。

 

タシルのお祭り広場

後ろのスクリーンで花火や四季の風景が映しだされる

 

 

鑑賞後は、南館の喫茶店『水屋珈琲』にて

期間限定コラボメニュー『ダヤンのパンケーキセット』を食す。パンケーキの中身は、ホイップクリーム&フルーツ(ブルーベリーソース・キウイ&みかん)。

 地元の方々にも人気、なかなか繁盛してました。

 

南館にも撮影スポットあり

 

 

喫茶店でリフレッシュし、最後に物販でダヤングッズを購入し、帰った。ダヤングッズはよろず取り揃えていて目移りした。おすすめは、箸置きですかね。安くて、観賞用にもってこい。姫路文学館限定『ダヤンとしろまるひめコラボ』キーホルダーもゲット。あと、3000円以上お買い上げでもらえる、ダヤンとしろまるひめコラボクリアファイルもゲット。

 

 

ちなみに、姫路文学館スタンプラリーがあります

すでに先着プレゼントは終了していた。でも、せっかくだから、スタンプを4つ集めた。

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』53宿目のまとめ。

【53宿目】《最終回・前編》 2021年03月11日(木)放送 

 

旅の内容:● 草津宿  大津宿 → 京都・三条大橋▲苦しいときも楽しいときも泣きます■素敵な仏像の前で感動の再会◆残すは三条大橋 全宿制覇木の下で感動の再会


スタートは滋賀県大津市・東海道立場跡。大津宿を経由して、目標地点は京都市・三条大橋。約25キロのロングコース。

 

午前6:30、滋賀県大津市にある、東海道立場跡からオープニング。初っ端からグスグス泣きながら、くっすん登場。泣きながら挨拶し、河田アナに「これオープニングやで。エンディングちゃうで。」とツッコまれる。「あんたまだ、これから丸一日のに、今からこれ、もたへんやろ。」と、本気で心配される。「嫌なんです、終わるのが・・・。」と崩れ落ち、「朝一から重たいねん。」と現実を突きつけられる。

 

 泣きながら、河田アナの後ろを歩くくっすん。10年間ナレーションを務めてきた、桂さんがワイプで登場し、挨拶する。そして、「はじめから泣いてはりますねぇ、どないなるんでしょうね。・・・あの人も久々にご覧になってます。最後まで前向いて、頑張ってやぁ。」と2人の尻を叩く。

 

 歩きながら、堀ちえみさんがスタジオで昔偉最終回・前編のVTRを見てくれていることを、くっすんに告げる河田アナ。「ちえみさんですよね?・・・マジで?」と鳩が豆鉄砲を食ったような、くっすん。ちえみさんから温かい言葉をもらって励まされた思い出がよみがえり、「わざわざ来てくれんや、嬉しいな。」と泣く。ちえみさんのためにも、頑張ることを決意する2人。

 

午前7:20、近江八景のひとつ、『瀬田の唐橋』を渡る。渡ったところで、まっすぐ進めば東海道だけど、左に曲がって、石山寺に立ち寄る。石山寺は、西国三十三所の札所。

 

 瀬田川のほとりを歩きながら、昔の思い出話しに花を咲かす。

 昔偉『第4章 西国三十三所巡礼編』の間に、毎日放送60周年記念の特別企画で、『60日間 世界一周の旅』に行くことになった河田アナ。河田アナの留守はシリーズを中断して、くっすんは西アナと夫婦岩への旅へ。

 

 10年前、河田アナが世界一周に旅立つ直前の旅でも、くっすんは涙をこらえることができなかった。「一回りも二回りも大きくなった河田さんの、笑顔に会えるときを、楽しみに頑張ります。」と泣きながら約束して、「60日頑張ってくるわ。」と河田さんと固く握手を交わした。

 そのVTRが流れたスタジオでも、河田さんに何かあったらどうしようと、泣くくっすん。河田アナの腕には、60日の旅の安全を祈願した、くっすんお手製のお守りブレスレットが巻かれていた。

 

 「あの、ブレスレットどうしてるんですか?今は。」と聞いてみるくっすん。「あれはちゃんと、大切に保管してますんで・・・大丈夫です。・・・大切に大切に保管してるんでね、ちょっとやそっとじゃ、出てこないようなところにちゃんと、大切に保管してますから。」と河田家のどこかに眠っているらしい。

 

三条大橋まで残り20キロ、初めて公開された仏様の特別展をやっている、石山寺に到着。747年に創建されたお寺で、西国三十三所第13番札所。2人は西国巡礼と百人一首の旅で、過去2回訪れている。2016年には、33年に1度御開帳の御本尊・『二臂如意輪観世音菩薩』を拝観した。

 

 以前もお世話になった石山寺の鷲尾さんに案内してもらい、特別公開されている『十一面観音菩薩』を、正面から座って拝観する。

 平安時代の作で、第一の御利益が、病を遠ざけること。

 「我々のために公開しているって言っても過言ではないですね。」というくっすんに、「それは、多分過言だと思う。」と訂正する河田アナ。

 

 「きょうでこのロケ最後なんです。」とくっすんがお伝えすると、有難い”縁”のお話しを頂戴する。

 石山寺の観音様には安産・福徳・縁結びなどにご利益があるとされる。いろんな物事は縁でできていて、『ちちんぷいぷい』の番組とか『昔の人は偉かった』のコーナーとか河田アナとくっすんの2人とか、全ていろんな縁が重なってできたもの。これまでの縁があったからこそ、新たなもっといい縁できてくるので、縁が切れることは決して悲しいことではない

 

 そんなお話しを聞いて、自らを金魚(河田アナ)のフン(くっすん)に例えるくっすん。河田さんよりいい金魚がいつかあらわれることを、期待する。例えがちょっと変わっているけど、「安心しました。」と鷲尾さん。度々落ち込んだりもするけど、くっすんはくっすん。

 

 ここで、十一面観音菩薩初公開の情報をもたらした人物と、テレビ電話がつながる。誰であろう、仏像芸人・みほとけさんである。久しぶりの再会に2人ともびっくり。昔偉では、3回共演している。

 実は東海道沿いのオススメのお寺の情報を、いっつもいっつもスタッフさんに送りつけていたとのこと。

 もう一度くらいぐらい、いっしょに歩きたかったとくっすん。昔偉終了に、「どうやって生きていこうかって、ずっと考えてる、今も。」とみほとけさんに聞いてみたら、「ご飯が食べられなくなったら、大変ですから。」と笑顔で返される。

 

 通話終了後、「いっしょに、3人で歩けるかなっていう、楽しみもあったので・・・、今日で終わるかと思うと残念です。」と残念至極なくっすんを見て、「今生の別れのように・・・。」と例える河田アナ。

 

午前、8:50、ご縁の繋がりを感じつつ歩き、偶然出会ったぷいぷいスタッフさんをはじめ、地元の方々に温かい声援をもらいながら歩く。「うれしいなぁ~。もう来週もまた歩きにこようかな、一人で。こんな幸せなことない。」と何気ない出会いが愛しく感じられる。

 

午前11:30、三条大橋まで残り11キロ、53番目の宿場・大津宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・脇本陣1軒・旅籠が71軒建ち並んだ。琵琶湖の物資が集まる港町でもあり、東海道で最大規模を誇る宿場だった。

 

午前11:40、本陣から200メートルほど歩き、立派な欅の木の前にある、『犬塚』に到着。室町時代に、蓮如上人は京都で命を狙われ、大津へ逃げた。そこで毒殺されようとしたとき、忠犬が身代わりとなった。蓮如上人は欅を植えたこの場所に、犬を弔ったとされる。

 

 犬塚の前で、犬の思い出話しに花を咲かす。

 10年前紀三井寺を目指し、熊野古道を歩いている道中、いつものごとくくっすんが峠を遅れて登っていると、前方から首輪を付けた1匹の子犬が突如現れた。人影もない山の中で、困った困った。抱き上げ、「飼い主の人いませんか~。黒いワンちゃんがいます。」と叫んだ。

 辺りはすっかり暗くなり、離れたコンビは携帯電話でやりとりした。「すごい困っている様子やったですよ。」と語るくっすんに、「犬が困っているかどうかは、分からんやろ、人間に。」とツッコんだ河田アナ。

 

 その日は、駐在所で迷子犬を預かってもらった。三日後、無事子飼い主さんが見つかり、翌週のロケで会いにいった。子犬の名前はろくちゃんで、お庭の柵から逃げ出したという。飼い主の福井さんの元に戻った、ろくちゃんと感動の再会を果たした、くっすん。

 

 『懐かしいな。ろくちゃん元気にしてるかな?』と思っていたら、またもサプライズテレビ電話。福井さん夫婦と大きくなったろくちゃんと、10年ぶりに再会する。  出会ったときは1歳で、今は11歳。その後は迷子になることはなかった、とのこと。

 最後にろくちゃんがしゃべる。「河ちゃん、くーちゃんお久しぶりです。11年前に迷子の僕を助けてくれて、ありがとうございました。おかげで、今でも僕は元気です。」と感謝を述べる(ご主人の吹き替え)。

 またまた泣いているくっすん。座っていた、犬塚の脇のベンチから、「行きますか。」と立ち上がり、前編終了。

 

 

 

【京都・三条大橋】《最終回・後編》 2021年03月12日(金)放送 

 

旅の内容:● 草津宿 → 大津宿  京都・三条大橋感謝のフィナーレ忘れられない思い出いっぱい旅の終わり そしてそれぞれの人生へ


スタートは滋賀県大津市・東海道立場跡。大津宿を経由して、目標地点は京都市・三条大橋。約25キロのロングコース。

 

午後0:10、滋賀県大津市で、傾斜はそれほどきつくないけど、長い坂道をずっと上っている。すでに14キロ以上歩いているので、付け根が痛くなり始めた。

 

三条大橋まで残り10キロ、坂道の途中で休憩している、インドネシアと中国からの留学生コンビに出会う。立命館大学の留学生で、立命館大学卒業の河田アナの後輩にあたる。河田アナが身振り手振りで先輩・後輩だと告げると、笑顔になって距離がグッと縮まる。くっすんに「勉強している後輩と、遊んでいた先輩。」と付け加えられ、「ううん、誰が遊んでるんや、ちょっとくらいは勉強しましたよ。」と反論する(大学時代のロン毛河田さんの写真がここぞとばかりカットイン)。

 留学生コンビは、カレーを食べるために山科に向かっているとのこと。

 

 まだまだ滋賀県から京都府へ抜ける逢坂山(標高約325m)を上る。かつては逢坂関があったこの場所は、多くの旅人が行き交い、多くの出会いと別れがあった。

 

午後0:30、逢坂山の以前お世話になったお店で、名物料理をいただく。お店の外まで香ばしく甘い匂いが漂ってくる。ウナギの看板を見て、盛り上がるくっすん。  『逢坂山 かねよ』にて、昼食。百人一首の旅(2015年5月放送)では、蝉丸ゆかりの豪華弁当をいただいた。本日は、河田アナ・くっすんともに『きんし丼』をいただく。創業から継ぎ足されてきた秘伝のタレで焼く、ウナギは絶品。その上に、何重にも薄く焼き上げた卵焼きをのせたのが、名物のきんし丼。卵のフワッフワ感と分厚いウナギが絶妙にマッチ。

 

 ねじり鉢巻きが似合う、社長の村田さんがご挨拶に登場。前回はつるっぱげだったが、髪の毛が伸びてイメージが違う。「ちょっとイメチェンでかわいくしようと思って。」とのこと。

 

 社長の村田さんに、53番目の宿場・大津宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。さらに、従業員の皆さんで盛大にお見送りしてもらって、有難い。

 

500メートル西へ進み、

午後2:10、歌川広重の東海道五十三次・大津宿の浮世絵が描かれた場所・月心寺に到着。逢坂山の関所にあった茶屋の跡を、大正5年に画家の橋本関雪が別邸として購入し、現在の月心寺となった。

 境内には浮世絵に描かれた、『走井(はしりい)』が残っている。別の場所にある元井戸から引いた、水が出ている。

 

午後2:30、西へ快調に進む。

 

三条大橋まで残り6.5キロ、東京日本橋を出発して46日目の旅でついに、『京都市』境の案内板がお目見え。普通に京都市へ入ろうとする河田アナを、くっすんが『待って、待って』と力づくで止める。「だって最後の市やのに、なんかあっさり行こうとしたからビックリして、僕。」という。

 是が非でも2人同時に京都市に入りたいくっすんに、河田アナも付き合い、お互いの肘先を合わせて、『せーの』の掛け声とともにジャンプして、

午後3:00、京都市へ入る。

 

三条大橋まで残り5.5キロ、JR『山科駅』前を通る。

 

三条大橋まで残り4キロ、最後の峠・『日ノ岡峠』を登る。江戸から京都を目指す旅人にとって、最後の難所。

 

スタートから21キロ、くっすんの付け根がオーバーヒートしてくる。足を軽く左右に開き、腰を左右に振る、付け根のストレッチでケアする。河田アナに、「はよ行こうよ。」と急かされる。

 

 「僕、峠ずっと嫌いやったんですけど、これが最後の峠かと思うと、もうちょっと峠歩きたかったです。」と、難所だろうと愛おしいくっすん。すると、「趣味でハイキングはやってるからさ、そういうのやったらどう?」と河田アナに提案される。「河田さん、いっしょに来てくれます?」と誘ったら、「ちょっとたぶん、忙しいと思う。」とあっさり断られる。「こんなもんや・・・。愛もなんもない。」とぼやくくっすんであった。

 

三条大橋まで残り3.5キロ、三条通りに合流する。通りをまっすぐ歩けば、いよいよ三条大橋。

 上りと下り、2キロほどアップダウンが続く。

 

三条大橋まで残り3キロ、だいぶ年季の入ったベンチが2つあり、河田アナは座って、くっすんは寝転んで休憩する。

 

 最後の力を振り絞りゴールへ。「まあでも、このロケってこうやってしんどくなってしまうこともあるんだけど、でもその道中に出会う人がさ、みんな頑張れってほら応援してくれるでしょ。はよ歩きやぁって。それでねぇ、なんか頑張って歩ききってたところありますよね。」と振り返る河田アナ。

 

 ここで今までの数々の出会いを、ダイジェストで視聴者の皆さんと振り返る。数々の温かい声援・・・。「くっすんってどない仕事ですの?」「歩き遅いおっさん。」「坂なんかでへたりおったら、パチンしばいて。」「性根がないぞ、俺83歳でも、歩けるねんから。」「河田だけ別行動とらせて。」「スターやんけ。」「あなたもだいぶマシになったわ。」等々。

 自転車に乗ったおとうさんに、「ヘタレのくっすん。腰はどないや。」と声をかけてもらい、自転車に乗っけられて整骨院へ連れていってもらったこともあった。

 

 10年間の出会いに思いをはせる2人に、スタッフさんから粋な計らいが・・・。自転車を押したおとうさんに、「河田くんと、ヘタレのくっすん。」声をかけてもらう。

 以前に会ったことがあるような気がする、とくっすん。「この間テレビで見とったぞー俺。」と言われ、知っている人と勘違いしたと思う。が、河田アナが「あれ、前、自転車乗せてもらった人違う?・・・。」と思い出し、くっすんもそうだと完全に思い出す。

 

 9年前、付け根を痛めたくっすんを助けてくれた塩崎さんが、快く協力してくれて、大阪羽曳野市からわざわざ来てくれたのだ。懐かしの再開を果たし、グータッチと大きな声援で活を入れてもらう。

 

午後4:40、ついについに三条大橋が見えてくる。

 三条大橋の手前で「もうこれ以上もう、やっぱ近づくの嫌ですわ。」と、地面にうずくまるくっすん。「ここ越えたら、終わっちゃうじゃないですか。」としり込みする。

 「偶然にもこの辺りの待ち合わせスポットの、土下座像と同じ形になってますね。」と、土下座像を見上げてからくっすんを見下ろす河田アナ。「ちょっと、周りの人に迷惑や。もうほら、行きましょう。」と促す。

 

 東海道の旅・最終目標地点の京都・三条大橋に到着。パチパチパチ・・・。「長かったな~。」と河田アナ。「終わってしまった。」と涙のくっすん。

 2019年4月に東京・日本橋を出発。新型コロナの影響で約3か月間旅を中断したけれど、ちちんぷいぷい最終回にゴールすることが運よくできたと河田アナ。「世界がこんな状況なり、いろんなことがあって本当に最終回になったことは、なにか運命的なものがあるんだろうなって思いながら、今日こうやってゴールできたことを、ホンマに皆さんのおかげやと思います。ありがとうございました。」と頭を下げるくっすん。

 

 広重が描いた東海道とはじまりと終わりの地、京都・三条大橋。昔の人々が出会い別れたこの場所で、河田アナとくっすんは胸に万感迫る。

 ここで10年の2人の思い出を、ダイジェストで視聴者の皆さんと振り返る。

 2010年、手探りで始まった昔の人は偉かった。

 日本の自然に感動した旅。

 昔の人の偉さを感じた旅。

 戦争や自然災害など、忘れてはならない歴史を心に刻んだ旅。

 迷子犬を助けた旅。 

 方向性を間違った旅(河田アナ:茶々 くっすん:江のコスプレをした)。

 失敗を経験した旅(こけたり こけたり)。

 裏切られた旅(裏切ったり 裏切られたり)。

 猿の群れに足止めされた旅。

 助け合った旅(坂道で後ろから押したり お手製の担架で担がれたり)。

 河田アナが本気でくっすんを叱った旅。

 泣いてばかりの旅。

 裸の付き合いの湯治場旅。

 過酷だった修行の旅。

 東海道の旅、およそ600キロ。

 10年半の旅、総距離およそ7260キロ。

 

 そして、これまで旅の節目節目には、くっすんから河田アナへ手紙が送られてきた。三条大橋の川べりで、今回は河田からくっすんへ手紙を送る。「え、絶対そんなことないと思ってた。」と今日イチのサプライズ。心を込めて、くっすんへの感謝のメッセージを読みあげる。(こんんとこ泣かせますので、全文掲載)。

 

『約10年の長旅お疲れ様でした。本当によく歩いたね。

振り返ると今でもとても印象に残っているのは初回のロケです。伊勢神宮から歩き始めた僕たち。

普段あまり運動をしていなかったくっすんは、

ロケの中盤にさしかかると足を引きずって歩きかなりつらそうでした。

ロケ終盤は撮影を続けるのが困難な状態に。

見るに見かねたディレクターはストップをかけ、くっすんはロケ車で休憩することに。

要するに君はリタイアしてが一人で歩くことになりました。

あの時くっすんはロケ車の中で号泣し、その泣き声は車の外まで聞こえてくるほどでした。その泣き声を聞きながら僕は

「これは相当やっかいなヤツとコンビを組むことになったぞ…」と

思ったことを今でも鮮明に覚えてます。

でも、それ以来くっすんは一度もリタイアすることはありませんでした。

どんなにしんどくて苦しい撮影でも絶対にあきらめることはありませんでした。

くっすんの人となりを表す言葉として多くの人がドジ・ヘタレと言いますよね。

僕も本当にそうだと思います。

しかし、もう一つ加えなければらならいのは

君は底抜けに「優しい男」だということです。

どんな時もロケで出会う人たちに目一杯の優しさでふれ合い、

どんな時もスタッフを気遣う優しい男だというのが

君の最大の魅力なのです。

今まではずっと一緒に同じ道を歩いてきました。

でもこれからはそれぞれの人生という別々の道を歩くことになります。

どんな時もその優しさを忘れないで下さい。

 この先お互いの道がまたどこかで重なり合流することになったら、その時はよろしく。今まで本当にありがとう。』

君の相方、河田直也より

 

河:ホントにありがとう・・・。くっすんでよかったよ

く:ホンマですか。僕いっぱい迷惑かけてきたから。たぶんホント足手まといで・・・。

河:どうしてもテレビの演出上、くっすんのちょっとドジしてるところが面白く映るので、テレビではそういう部分を中心に放送するんですけど、でも放送されてない部分ではくっすんはホントに素晴らしい人格者だなと、僕は思ってます。・・・人に優しいし、なんか愛情をもっていろんな人と触れ合える、素晴らしい人だなと思います。あの、そういう部分が放送でちゃんと出せてなかったのなら、申し訳なかったなあと思います。コーナーを代表して謝ります、すいません(そういう部分は、ちゃんとにじみ出ておりました、大丈夫です)。

 

河:10年半、ホントにありがとうございました。

く:ありがとうございました。

 

く:ちなみになんですが、僕も河田さんに手紙を書いています。

河:えぇっ・・・。読む?

く:読む。

河:今この感じで、いい感じでまとまったと思ったけど、読む?

く:読む。

 どうしても、河田アナに感謝の手紙を読みたいくっすん。スタッフさんも想定外でざわつく。「カットされてもいいから読む。」と決意は固い。ホントにカットされてしまった。これもくっすんらしいのかな?

 

第17章『東海道五十三次の旅』

 

 

■簡易チャート
スタート:滋賀県大津市・東海道立場跡  →『瀬田の唐橋』→ 石山寺 (5km) → 大津宿 [本陣跡] (14km) →『犬塚』→ 昼食:『逢坂山 かねよ』(11km) → 月心寺 → JR『山科駅』前 (19.5km) →『日ノ岡峠』(21km) → 最終目標地点:『京都・三条大橋』(25km)

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の人は偉かった

 

完?

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』52宿目のまとめ。

【51宿目】 2021年03月05日(金)放送 

 

旅の内容:● 石部宿 → 草津宿 ▲第二の馬生?!■新選組の忘れ物を拝見★盛り上がってまいりました・・・東海道


スタートは滋賀県湖南市・石部宿。目標地点は滋賀県湖南市・石部宿。約14キロ?のコース。

 

午前9:00、滋賀県湖南市にある、石部宿からオープニング。天気は良いけど、風が強くて寒い朝。昨日暖かかった分、余計に寒く感じる、いわゆる三寒四温で春を待ち望む。

 

 歩いていると、「なんかその、一歩一歩河田さんの足取りが、冷たい気がします。」と、ぼやくくっすん。「しっかりと一歩一歩噛みしめていただきたいんですよ、僕は・・・。」と最終回まで残りわずかな道のりを、じっとりねっとり歩く。

 

スタートから2キロ、午前9:30、滋賀県湖南市から栗東市へ入る。『馬の町』栗東には、競走馬のトレーニングセンターがある。

 

スタートから3キロ、2019年にオープンした会員制の、『TCCセラピーパーク』を取材する。主に、引退した競走馬の居場所を作る福祉活動を行っている。

 

 代表取締役の山本さんに案内してもらい、サラブレッドのお馬さんがいっぱい入っている、馬房を拝見する。

 くっすんも知っているディープインパクトを父に持つ、『クリアザトラック』がいる。競走馬として、そこそこ活躍した。オスの馬の場合、引退後に牧場に帰って種馬になれるのは一握りで、多くは処分されてしまうのが現状とのこと。

 

 そんなお話しを河田アナがうかがっているときに、後ろでお馬さんと戯れている、くっすん。そのお馬さんは、現役のときに獲得賞金2億を超える『メイショウナルト』で、武豊さんが騎乗して優勝したこともある。

 

 競走馬の平均寿命は、およそ30年。しかし、早ければ3歳で引退してしまう。そこで、引退した競走馬の一時的避難場所・ホースシェルターを担っている。

 全国約30か所の牧場や乗馬クラブと提携し、人との触れ合いや乗馬など、ここから新たな活躍の場に送り出す。

 

 また、ホースセラピーとして障がいをかかえた子どもたちへ、乗馬や飼育などを体験してもらっている。そんなお話しを屋外で聞いていると、つぶらな瞳のポニーさんが見てくるので、2人も心が癒されるのであった。

 

午前10:30、もうすぐ”昔偉”卒業のくっすんは、「あ~僕は誰も、引き取ってくれへんな。」と嘆き、「それはもう、自分でなんとかしてよ。」と河田アナに返される。

 

スタートから5.5キロ、江戸時代に『和中散(わちゅうさん)』という薬を販売していた、『旧和中散本舗』を見学する。

 

 25代目当主の大角さんに案内してもらい、製薬所の中へ。江戸時代のとても大きな木製の製薬機械があって、ビックリ。直径4メートルもの動輪の中に、大人が2人入って回す。連動した歯車も回り、最終的に石臼で薬草が粉砕され薬になる仕組み。

 ハムスターがグルグル回るような仕組み、だと例える河田アナ。今でも動くはずだが、心棒がだいぶすり減っているので、回さないようにお願いしている。

 

 和中散は、痛みを緩和するという意味。徳川家康が腹痛を訴えたとき、こちらの薬を献上して効いたので、『和中散』という名前をいただいた。今は、作っていないとのこと。

 

午前11:50、

ご自宅の窓を開けて、声をかけてもらう。「もっときれいにしてたらよかった。」と言いつつ、窓をバタンと閉める。

 

100メートルほど進むと、病院帰りのヘルメットをかぶった、ファンの方に声をかけてもらう。ちょっと話していたら、どんどんファンの方が集まってくる。先ほど勢いよく窓を閉めた奥様も、追っかけてきた。

 昔偉のコーナーも東海道の旅終了とともに、終わる旨をお伝えする。「僕、春からどうしていったらいいですかね?」と相談すると、「観光ガイドでも、してください。」とアドバイスされる。

 

午後0:20、お昼ご飯を食べる店を探す。午前中の診療を終えた、とある病院で、オススメの場所をうかがおうとしたら、食べ物は関係ないけど、院長が趣味で作っている、能面を見せてくれる。

 病院の待合室に、本格的な能面が飾られている。もともと日曜大工が好きで、その延長で能面作りにハマってしまったとのこと。白衣脱いだら、能面に全部を注ぎこむほど・・・。

 

 せっかくだから、先生お手製の能面を、それぞれかぶらせてもらう。よく分からないが、たぶん似合っている。能面を付けたまま歩く・・・のは、視界ほぼゼロなので無理。

 島流しにあって、他の人は赦免されて帰ったのに、赦免されずに島に取り残された残念さ・悔しさを表したお面。「これ、いただいていい?」と気に入っている、くっすんであった。

 

 結局歩いていてもお店は見つからず、

午後午後1:00、滋賀県栗東市から草津市へ入る。

 

スタートから11キロ、草津市の大通りに入り、お店は選り取り見取り。ちょっと高級そうな『近江スエヒロ 本店』を覗く。ランチにしてはちょっと贅沢だと見送ろうとしたが、ビジネスチャンスを逃したくないという店長さんが追っかけてきて、どうですか?とお店へいざなわれる。

 

午後1:30、近江スエヒロ本店にて昼食。河田アナ・くっすんともに『シェフの気まぐれランチ』を食べる。メインデッシュのタンドリーチキンに舌鼓を打つ。

 

午後2:30、近江スエヒロ本店から道を渡ってすぐ、『うばがもちや 本店』を取材する。約450年愛され続けたという名物・”うばがもち”の名前の由来を、店内で河田アナが説明する。

 

うばがもち

 戦国時代の話し、近江国を六角義賢が治めていた。ところが、織田信長に攻め滅ぼされた。義賢には、3歳になるひ孫がいて、なんとかひ孫だけでも逃がしてやりたいと、乳母に預けて逃げるように言った。

 乳母は草津に身を潜めながら暮らした。そこでお餅を作り、旅人に売ってそのお金でひ孫を大切に育てた。

 

 その話しが後に広まり、乳母が作ったお餅を、うばがもちと呼ぶようになった。河田アナの後ろで、うばがもちを食べていたくっすんが、「これひょっとして、乳母の・・・ですか?」と言葉を濁す。「なんやねん。」と理解できない河田アナ。おっぱい大好き?のくっすんには、乳母のおっぱいに見えるそう。「マジで嫌われんで。

」と河田さん。しかし店長さん曰く、「乳母の母乳がじんわり染み出してきている様子っていうのを想像していただけると、実際に近いのではないか。」。

 くっすんのおっぱい発言が、正解だった。

 

 餡に包まれたお餅は、滋賀県草津市で有機栽培されたもち米を使って、求肥餅に仕上げる。

 

午後3:10、52番目の宿場・草津宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・脇本陣2軒・旅籠が72軒建ち並んだ。

 2019年に、本陣跡で新選組の忘れ物が発見された。草津宿の本陣は、全国に残る本陣の中でも最大規模を誇る。

 

 館長の八杉さんに案内してもらい、展示されている宿帳を拝見する。

 そこには、『新選組 土方歳三 斎藤一 伊東甲子太郎 藤堂平助』と、そうそうたるメンバーが連なっている。4人の他、32人が1865年5月9日に宿泊した。

 新選組がここに泊まったと思いをはせて、盛り上がる河田アナ。小説などで知る歴史の世界が、実際にここに実在したという証しを、心に刻む。

 

 普段は非公開の新選組の忘れ物を、特別に拝見させてもらう。ぱっと見なにか分からないが、煙管(キセル)入れとのこと。煙管を収納し、今はないがフタがあったと思われる。『新選組 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物』とタグが付いている。

 現在でいうところの『フロントでお預かりしてます』で、結局取りに来なかった。誰の煙管入れかは分からないが、身分の高い人物が宿泊した”壱番間”の忘れ物なので、代表4名のいずれかと考えられる。

 

午後3:50、本陣跡を後にしようとしたとき、「忘れてはりませんか?」と館長さんに声をかけられる。くっすんが菅笠を、下駄箱の脇に置いたままだった。

 

スタートから14キロ、目標地点で歌川広重の草津宿に描かれた場所・『瓢泉堂』(ひょうせんどう)に到着。江戸時代には、この場所にうばがもちを販売する茶店があった。浮世絵に描かれている道しるべが、今も残っている。

 

 現在は茶店の代わりに、創業約200年のヒョウタン屋さんになっている。いろんな種類のヒョウタンを、取り揃えている。

 

 お店の御主人・瀬川さんにお話しをうかがう。

 昔は旅人が水筒代わりに使っていたので、たくさんあったヒョウタン屋さん。今は、実用品から装飾品になっている。

 

 スタッフさんから「覚えてないですか?」と問われる2人。なんと店内にくっすん&河田アナのサイン色紙が飾られている。ちょうど10年前に昔偉ロケで取材していたのだ。すっかり忘れていた。これも運命。

 そのときは、ヒョウタンの作り方を聞かせてもらった。

 

 最後に10年ぶりの再会となった瀬川さんに、52番目の宿場・草津宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。通行手形の代わりに、2人の新しいサイン色紙を進呈する。さっそく、10年前のサイン色紙の横に飾られた。

 こうして、東海道五十三次・52宿目の草津宿への旅を無事終えた。

 

 ここでロケ終了・・・かと思われたが、53宿目の大津宿、そこからゴールの京都・三条大橋まで距離にして28キロと、残り1回のロケで歩くには、ハードな距離なので、ちょっとでも進んでおきたい。

 最後にゴールしないまま終わるのだけは御免だと、くっすんも前へ前へ。

 

午後5:00、日没までとにかく歩く。

 すると、河田アナも2度見する人物が、背後から迫ってくる。ひらがなの”け”と大きく書かれた、菅笠を鞄にぶら下げた男性である。

 

 和歌山県にお住まいで、自営業をされている原山さんで、”け”の菅笠について語り出す。

 昔偉が東海道を歩く前から、一人で東京から東海道を歩いている。あるときテレビを見て、河田アナとくっすんが歩いているのを知って、一人で歩いている寂しさをどうにかする何か欲しいと思っていたところ、コレやと思って作った菅笠。ニックネームがけびんなので、『け』。

 

 もともと和歌山から東京へ自転車(ママチャリ)の旅に出かけ、復路は東海道を歩くことにしたそう。京都に着いたら、今度は熊野古道に行こうかと、とにかくアクティブ。

 「僕ね4月から、することなくなるんですよ。一緒に歩こかな・・・。」と身の振り方を考えるくっすん。試しに、くっすんとけびんが並んで歩いてみる。その後ろ姿を見て、しっくりきていると河田アナ。

 

 すごい出会いに、浸っている場合でもない。けびんとお別れして、なお前進。

 

 地元の方々から温かい声援をもらいつつ、

スタートから16.5キロ、滋賀県草津市から大津市へ入る。

 

 河田アナ・くっすん・スタッフさん、全員クタクタだけど、感動のフィナーレへ向けて歩き、

スタートから17キロ、『東海道立場跡』の石碑の前に到着。分かりやすい目印なので、次回はここからスタートということで。

 「けっこうがんばってくっすん歩いたんじゃないですか?」と労う河田アナ。「いよいよ次回が最後かと思うと、なんというか・・・。いやもう終わりたくないという気持ちが強いですけど・・・。」と、十年の日常が唐突に終わりを告げる、気持ちを言葉にできない。

 

 次回の最後の旅路に、盛り上がってまいりました・・・東海道。

 

■簡易チャート
スタート:滋賀県湖南市・石部宿 → 『TCCセラピーパーク』(3km) → 『旧和中散本舗』(5.5km) →『任医院』→ 昼食:『近江スエヒロ 本店』(11km) →『うばがもちや 本店』→ 草津宿 [本陣跡]  → 目標地点:『瓢泉堂』(14km) →『東海道立場跡』(17km)