MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』53宿目のまとめ。
【53宿目】《最終回・前編》 2021年03月11日(木)放送
旅の内容:● 草津宿 → 大津宿 → 京都・三条大橋▲苦しいときも楽しいときも泣きます■素敵な仏像の前で感動の再会◆残すは三条大橋 全宿制覇★木の下で感動の再会
スタートは滋賀県大津市・東海道立場跡。大津宿を経由して、目標地点は京都市・三条大橋。約25キロのロングコース。
午前6:30、滋賀県大津市にある、東海道立場跡からオープニング。初っ端からグスグス泣きながら、くっすん登場。泣きながら挨拶し、河田アナに「これオープニングやで。エンディングちゃうで。」とツッコまれる。「あんたまだ、これから丸一日のに、今からこれ、もたへんやろ。」と、本気で心配される。「嫌なんです、終わるのが・・・。」と崩れ落ち、「朝一から重たいねん。」と現実を突きつけられる。
泣きながら、河田アナの後ろを歩くくっすん。10年間ナレーションを務めてきた、桂さんがワイプで登場し、挨拶する。そして、「はじめから泣いてはりますねぇ、どないなるんでしょうね。・・・あの人も久々にご覧になってます。最後まで前向いて、頑張ってやぁ。」と2人の尻を叩く。
歩きながら、堀ちえみさんがスタジオで昔偉最終回・前編のVTRを見てくれていることを、くっすんに告げる河田アナ。「ちえみさんですよね?・・・マジで?」と鳩が豆鉄砲を食ったような、くっすん。ちえみさんから温かい言葉をもらって励まされた思い出がよみがえり、「わざわざ来てくれんや、嬉しいな。」と泣く。ちえみさんのためにも、頑張ることを決意する2人。
午前7:20、近江八景のひとつ、『瀬田の唐橋』を渡る。渡ったところで、まっすぐ進めば東海道だけど、左に曲がって、石山寺に立ち寄る。石山寺は、西国三十三所の札所。
瀬田川のほとりを歩きながら、昔の思い出話しに花を咲かす。
昔偉『第4章 西国三十三所巡礼編』の間に、毎日放送60周年記念の特別企画で、『60日間 世界一周の旅』に行くことになった河田アナ。河田アナの留守はシリーズを中断して、くっすんは西アナと夫婦岩への旅へ。
10年前、河田アナが世界一周に旅立つ直前の旅でも、くっすんは涙をこらえることができなかった。「一回りも二回りも大きくなった河田さんの、笑顔に会えるときを、楽しみに頑張ります。」と泣きながら約束して、「60日頑張ってくるわ。」と河田さんと固く握手を交わした。
そのVTRが流れたスタジオでも、河田さんに何かあったらどうしようと、泣くくっすん。河田アナの腕には、60日の旅の安全を祈願した、くっすんお手製のお守りブレスレットが巻かれていた。
「あの、ブレスレットどうしてるんですか?今は。」と聞いてみるくっすん。「あれはちゃんと、大切に保管してますんで・・・大丈夫です。・・・大切に大切に保管してるんでね、ちょっとやそっとじゃ、出てこないようなところにちゃんと、大切に保管してますから。」と河田家のどこかに眠っているらしい。
三条大橋まで残り20キロ、初めて公開された仏様の特別展をやっている、石山寺に到着。747年に創建されたお寺で、西国三十三所第13番札所。2人は西国巡礼と百人一首の旅で、過去2回訪れている。2016年には、33年に1度御開帳の御本尊・『二臂如意輪観世音菩薩』を拝観した。
以前もお世話になった石山寺の鷲尾さんに案内してもらい、特別公開されている『十一面観音菩薩』を、正面から座って拝観する。
平安時代の作で、第一の御利益が、病を遠ざけること。
「我々のために公開しているって言っても過言ではないですね。」というくっすんに、「それは、多分過言だと思う。」と訂正する河田アナ。
「きょうでこのロケ最後なんです。」とくっすんがお伝えすると、有難い”縁”のお話しを頂戴する。
石山寺の観音様には安産・福徳・縁結びなどにご利益があるとされる。いろんな物事は縁でできていて、『ちちんぷいぷい』の番組とか『昔の人は偉かった』のコーナーとか河田アナとくっすんの2人とか、全ていろんな縁が重なってできたもの。これまでの縁があったからこそ、新たなもっといい縁できてくるので、縁が切れることは決して悲しいことではない。
そんなお話しを聞いて、自らを金魚(河田アナ)のフン(くっすん)に例えるくっすん。河田さんよりいい金魚がいつかあらわれることを、期待する。例えがちょっと変わっているけど、「安心しました。」と鷲尾さん。度々落ち込んだりもするけど、くっすんはくっすん。
ここで、十一面観音菩薩初公開の情報をもたらした人物と、テレビ電話がつながる。誰であろう、仏像芸人・みほとけさんである。久しぶりの再会に2人ともびっくり。昔偉では、3回共演している。
実は東海道沿いのオススメのお寺の情報を、いっつもいっつもスタッフさんに送りつけていたとのこと。
もう一度くらいぐらい、いっしょに歩きたかったとくっすん。昔偉終了に、「どうやって生きていこうかって、ずっと考えてる、今も。」とみほとけさんに聞いてみたら、「ご飯が食べられなくなったら、大変ですから。」と笑顔で返される。
通話終了後、「いっしょに、3人で歩けるかなっていう、楽しみもあったので・・・、今日で終わるかと思うと残念です。」と残念至極なくっすんを見て、「今生の別れのように・・・。」と例える河田アナ。
午前、8:50、ご縁の繋がりを感じつつ歩き、偶然出会ったぷいぷいスタッフさんをはじめ、地元の方々に温かい声援をもらいながら歩く。「うれしいなぁ~。もう来週もまた歩きにこようかな、一人で。こんな幸せなことない。」と何気ない出会いが愛しく感じられる。
午前11:30、三条大橋まで残り11キロ、53番目の宿場・大津宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・脇本陣1軒・旅籠が71軒建ち並んだ。琵琶湖の物資が集まる港町でもあり、東海道で最大規模を誇る宿場だった。
午前11:40、本陣から200メートルほど歩き、立派な欅の木の前にある、『犬塚』に到着。室町時代に、蓮如上人は京都で命を狙われ、大津へ逃げた。そこで毒殺されようとしたとき、忠犬が身代わりとなった。蓮如上人は欅を植えたこの場所に、犬を弔ったとされる。
犬塚の前で、犬の思い出話しに花を咲かす。
10年前紀三井寺を目指し、熊野古道を歩いている道中、いつものごとくくっすんが峠を遅れて登っていると、前方から首輪を付けた1匹の子犬が突如現れた。人影もない山の中で、困った困った。抱き上げ、「飼い主の人いませんか~。黒いワンちゃんがいます。」と叫んだ。
辺りはすっかり暗くなり、離れたコンビは携帯電話でやりとりした。「すごい困っている様子やったですよ。」と語るくっすんに、「犬が困っているかどうかは、分からんやろ、人間に。」とツッコんだ河田アナ。
その日は、駐在所で迷子犬を預かってもらった。三日後、無事子飼い主さんが見つかり、翌週のロケで会いにいった。子犬の名前はろくちゃんで、お庭の柵から逃げ出したという。飼い主の福井さんの元に戻った、ろくちゃんと感動の再会を果たした、くっすん。
『懐かしいな。ろくちゃん元気にしてるかな?』と思っていたら、またもサプライズテレビ電話。福井さん夫婦と大きくなったろくちゃんと、10年ぶりに再会する。 出会ったときは1歳で、今は11歳。その後は迷子になることはなかった、とのこと。
最後にろくちゃんがしゃべる。「河ちゃん、くーちゃんお久しぶりです。11年前に迷子の僕を助けてくれて、ありがとうございました。おかげで、今でも僕は元気です。」と感謝を述べる(ご主人の吹き替え)。
またまた泣いているくっすん。座っていた、犬塚の脇のベンチから、「行きますか。」と立ち上がり、前編終了。
【京都・三条大橋】《最終回・後編》 2021年03月12日(金)放送
旅の内容:● 草津宿 → 大津宿 → 京都・三条大橋▲感謝のフィナーレ■忘れられない思い出いっぱい★旅の終わり そしてそれぞれの人生へ
スタートは滋賀県大津市・東海道立場跡。大津宿を経由して、目標地点は京都市・三条大橋。約25キロのロングコース。
午後0:10、滋賀県大津市で、傾斜はそれほどきつくないけど、長い坂道をずっと上っている。すでに14キロ以上歩いているので、付け根が痛くなり始めた。
三条大橋まで残り10キロ、坂道の途中で休憩している、インドネシアと中国からの留学生コンビに出会う。立命館大学の留学生で、立命館大学卒業の河田アナの後輩にあたる。河田アナが身振り手振りで先輩・後輩だと告げると、笑顔になって距離がグッと縮まる。くっすんに「勉強している後輩と、遊んでいた先輩。」と付け加えられ、「ううん、誰が遊んでるんや、ちょっとくらいは勉強しましたよ。」と反論する(大学時代のロン毛河田さんの写真がここぞとばかりカットイン)。
留学生コンビは、カレーを食べるために山科に向かっているとのこと。
まだまだ滋賀県から京都府へ抜ける逢坂山(標高約325m)を上る。かつては逢坂関があったこの場所は、多くの旅人が行き交い、多くの出会いと別れがあった。
午後0:30、逢坂山の以前お世話になったお店で、名物料理をいただく。お店の外まで香ばしく甘い匂いが漂ってくる。ウナギの看板を見て、盛り上がるくっすん。 『逢坂山 かねよ』にて、昼食。百人一首の旅(2015年5月放送)では、蝉丸ゆかりの豪華弁当をいただいた。本日は、河田アナ・くっすんともに『きんし丼』をいただく。創業から継ぎ足されてきた秘伝のタレで焼く、ウナギは絶品。その上に、何重にも薄く焼き上げた卵焼きをのせたのが、名物のきんし丼。卵のフワッフワ感と分厚いウナギが絶妙にマッチ。
ねじり鉢巻きが似合う、社長の村田さんがご挨拶に登場。前回はつるっぱげだったが、髪の毛が伸びてイメージが違う。「ちょっとイメチェンでかわいくしようと思って。」とのこと。
社長の村田さんに、53番目の宿場・大津宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。さらに、従業員の皆さんで盛大にお見送りしてもらって、有難い。
500メートル西へ進み、
午後2:10、歌川広重の東海道五十三次・大津宿の浮世絵が描かれた場所・月心寺に到着。逢坂山の関所にあった茶屋の跡を、大正5年に画家の橋本関雪が別邸として購入し、現在の月心寺となった。
境内には浮世絵に描かれた、『走井(はしりい)』が残っている。別の場所にある元井戸から引いた、水が出ている。
午後2:30、西へ快調に進む。
三条大橋まで残り6.5キロ、東京日本橋を出発して46日目の旅でついに、『京都市』境の案内板がお目見え。普通に京都市へ入ろうとする河田アナを、くっすんが『待って、待って』と力づくで止める。「だって最後の市やのに、なんかあっさり行こうとしたからビックリして、僕。」という。
是が非でも2人同時に京都市に入りたいくっすんに、河田アナも付き合い、お互いの肘先を合わせて、『せーの』の掛け声とともにジャンプして、
午後3:00、京都市へ入る。
三条大橋まで残り5.5キロ、JR『山科駅』前を通る。
三条大橋まで残り4キロ、最後の峠・『日ノ岡峠』を登る。江戸から京都を目指す旅人にとって、最後の難所。
スタートから21キロ、くっすんの付け根がオーバーヒートしてくる。足を軽く左右に開き、腰を左右に振る、付け根のストレッチでケアする。河田アナに、「はよ行こうよ。」と急かされる。
「僕、峠ずっと嫌いやったんですけど、これが最後の峠かと思うと、もうちょっと峠歩きたかったです。」と、難所だろうと愛おしいくっすん。すると、「趣味でハイキングはやってるからさ、そういうのやったらどう?」と河田アナに提案される。「河田さん、いっしょに来てくれます?」と誘ったら、「ちょっとたぶん、忙しいと思う。」とあっさり断られる。「こんなもんや・・・。愛もなんもない。」とぼやくくっすんであった。
三条大橋まで残り3.5キロ、三条通りに合流する。通りをまっすぐ歩けば、いよいよ三条大橋。
上りと下り、2キロほどアップダウンが続く。
三条大橋まで残り3キロ、だいぶ年季の入ったベンチが2つあり、河田アナは座って、くっすんは寝転んで休憩する。
最後の力を振り絞りゴールへ。「まあでも、このロケってこうやってしんどくなってしまうこともあるんだけど、でもその道中に出会う人がさ、みんな頑張れってほら応援してくれるでしょ。はよ歩きやぁって。それでねぇ、なんか頑張って歩ききってたところありますよね。」と振り返る河田アナ。
ここで今までの数々の出会いを、ダイジェストで視聴者の皆さんと振り返る。数々の温かい声援・・・。「くっすんってどない仕事ですの?」「歩き遅いおっさん。」「坂なんかでへたりおったら、パチンしばいて。」「性根がないぞ、俺83歳でも、歩けるねんから。」「河田だけ別行動とらせて。」「スターやんけ。」「あなたもだいぶマシになったわ。」等々。
自転車に乗ったおとうさんに、「ヘタレのくっすん。腰はどないや。」と声をかけてもらい、自転車に乗っけられて整骨院へ連れていってもらったこともあった。
10年間の出会いに思いをはせる2人に、スタッフさんから粋な計らいが・・・。自転車を押したおとうさんに、「河田くんと、ヘタレのくっすん。」声をかけてもらう。
以前に会ったことがあるような気がする、とくっすん。「この間テレビで見とったぞー俺。」と言われ、知っている人と勘違いしたと思う。が、河田アナが「あれ、前、自転車乗せてもらった人違う?・・・。」と思い出し、くっすんもそうだと完全に思い出す。
9年前、付け根を痛めたくっすんを助けてくれた塩崎さんが、快く協力してくれて、大阪羽曳野市からわざわざ来てくれたのだ。懐かしの再開を果たし、グータッチと大きな声援で活を入れてもらう。
午後4:40、ついについに三条大橋が見えてくる。
三条大橋の手前で「もうこれ以上もう、やっぱ近づくの嫌ですわ。」と、地面にうずくまるくっすん。「ここ越えたら、終わっちゃうじゃないですか。」としり込みする。
「偶然にもこの辺りの待ち合わせスポットの、土下座像と同じ形になってますね。」と、土下座像を見上げてからくっすんを見下ろす河田アナ。「ちょっと、周りの人に迷惑や。もうほら、行きましょう。」と促す。
東海道の旅・最終目標地点の京都・三条大橋に到着。パチパチパチ・・・。「長かったな~。」と河田アナ。「終わってしまった。」と涙のくっすん。
2019年4月に東京・日本橋を出発。新型コロナの影響で約3か月間旅を中断したけれど、ちちんぷいぷい最終回にゴールすることが運よくできたと河田アナ。「世界がこんな状況なり、いろんなことがあって本当に最終回になったことは、なにか運命的なものがあるんだろうなって思いながら、今日こうやってゴールできたことを、ホンマに皆さんのおかげやと思います。ありがとうございました。」と頭を下げるくっすん。
広重が描いた東海道とはじまりと終わりの地、京都・三条大橋。昔の人々が出会い別れたこの場所で、河田アナとくっすんは胸に万感迫る。
ここで10年の2人の思い出を、ダイジェストで視聴者の皆さんと振り返る。
2010年、手探りで始まった昔の人は偉かった。
日本の自然に感動した旅。
昔の人の偉さを感じた旅。
戦争や自然災害など、忘れてはならない歴史を心に刻んだ旅。
迷子犬を助けた旅。
方向性を間違った旅(河田アナ:茶々 くっすん:江のコスプレをした)。
失敗を経験した旅(こけたり こけたり)。
裏切られた旅(裏切ったり 裏切られたり)。
猿の群れに足止めされた旅。
助け合った旅(坂道で後ろから押したり お手製の担架で担がれたり)。
河田アナが本気でくっすんを叱った旅。
泣いてばかりの旅。
裸の付き合いの湯治場旅。
過酷だった修行の旅。
東海道の旅、およそ600キロ。
10年半の旅、総距離およそ7260キロ。
そして、これまで旅の節目節目には、くっすんから河田アナへ手紙が送られてきた。三条大橋の川べりで、今回は河田からくっすんへ手紙を送る。「え、絶対そんなことないと思ってた。」と今日イチのサプライズ。心を込めて、くっすんへの感謝のメッセージを読みあげる。(こんんとこ泣かせますので、全文掲載)。
『約10年の長旅お疲れ様でした。本当によく歩いたね。
振り返ると今でもとても印象に残っているのは初回のロケです。伊勢神宮から歩き始めた僕たち。
普段あまり運動をしていなかったくっすんは、
ロケの中盤にさしかかると足を引きずって歩きかなりつらそうでした。
ロケ終盤は撮影を続けるのが困難な状態に。
見るに見かねたディレクターはストップをかけ、くっすんはロケ車で休憩することに。
要するに君はリタイアしてが一人で歩くことになりました。
あの時くっすんはロケ車の中で号泣し、その泣き声は車の外まで聞こえてくるほどでした。その泣き声を聞きながら僕は
「これは相当やっかいなヤツとコンビを組むことになったぞ…」と
思ったことを今でも鮮明に覚えてます。
でも、それ以来くっすんは一度もリタイアすることはありませんでした。
どんなにしんどくて苦しい撮影でも絶対にあきらめることはありませんでした。
くっすんの人となりを表す言葉として多くの人がドジ・ヘタレと言いますよね。
僕も本当にそうだと思います。
しかし、もう一つ加えなければらならいのは
君は底抜けに「優しい男」だということです。
どんな時もロケで出会う人たちに目一杯の優しさでふれ合い、
どんな時もスタッフを気遣う優しい男だというのが
君の最大の魅力なのです。
今まではずっと一緒に同じ道を歩いてきました。
でもこれからはそれぞれの人生という別々の道を歩くことになります。
どんな時もその優しさを忘れないで下さい。
この先お互いの道がまたどこかで重なり合流することになったら、その時はよろしく。今まで本当にありがとう。』
君の相方、河田直也より
河:ホントにありがとう・・・。くっすんでよかったよ。
く:ホンマですか。僕いっぱい迷惑かけてきたから。たぶんホント足手まといで・・・。
河:どうしてもテレビの演出上、くっすんのちょっとドジしてるところが面白く映るので、テレビではそういう部分を中心に放送するんですけど、でも放送されてない部分ではくっすんはホントに素晴らしい人格者だなと、僕は思ってます。・・・人に優しいし、なんか愛情をもっていろんな人と触れ合える、素晴らしい人だなと思います。あの、そういう部分が放送でちゃんと出せてなかったのなら、申し訳なかったなあと思います。コーナーを代表して謝ります、すいません(そういう部分は、ちゃんとにじみ出ておりました、大丈夫です)。
河:10年半、ホントにありがとうございました。
く:ありがとうございました。
く:ちなみになんですが、僕も河田さんに手紙を書いています。
河:えぇっ・・・。読む?
く:読む。
河:今この感じで、いい感じでまとまったと思ったけど、読む?
く:読む。
どうしても、河田アナに感謝の手紙を読みたいくっすん。スタッフさんも想定外でざわつく。「カットされてもいいから読む。」と決意は固い。ホントにカットされてしまった。これもくっすんらしいのかな?
第17章『東海道五十三次の旅』
完
■簡易チャート
スタート:滋賀県大津市・東海道立場跡 →『瀬田の唐橋』→ 石山寺 (5km) → 大津宿 [本陣跡] (14km) →『犬塚』→ 昼食:『逢坂山 かねよ』(11km) → 月心寺 → JR『山科駅』前 (19.5km) →『日ノ岡峠』(21km) → 最終目標地点:『京都・三条大橋』(25km)
昔の人は偉かった
完?