MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』44~46宿目のまとめ。

【44~46宿目】 2021年02月05日(金)放送 

 

旅の内容:●四日市宿石薬師宿 → 庄野宿亀山宿おまけたまには役に立つ?!くっすん■名物は江戸時代のインスタント食品?!★めっちゃアホな取り壊し?!


スタートは三重県四日市市・『日永の追分』。目標地点は三重県亀山市・『亀山城跡』。約20キロのコース。

 

午前8:00、三重県四日市市にある、『日永の追分』からオープニング。ロケ日の天気予報は、晴れ時々くもりだが、のっけから雪のちらつく寒い朝。昔偉のジンクスで、吉本カメラマンがロケに参加したら、必ず天気は荒れるとか・・・。7~8割の確率で荒れる、と河田アナ。

 前回ゴール時に暗くて様子がよく見えなかった、『日永の追分』。東海道と伊勢街道の分岐点である。

 

 今回は怒涛の進撃、一気に3宿を進む。マイペースなくっすんは、多すぎるとモノ申す。吉本カメラマンの活躍?で、雪がどんどん振ってくる。

 

スタートから3キロ、キレイに舗装された、杖衝坂(全長約200メートル)を上る。古事記や日本書紀にでてくる、日本武尊が戦の後にこの坂を上り、疲れていたので剣を杖の代わりにした、と伝わる。

 急な坂道とみれば、『一瞬で行った方が楽』と思うくっすん、今回も例によって、わめきながらの坂道ダッシュを発動する。

 

 坂の途中にあった、松尾芭蕉の石碑をスルーしてしまったので、ちょっと戻って説明する河田アナ。その句は、『歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな』by 芭蕉。句の意味は、杖をついて歩いて越えようとすれば、きっと上りきれただろうけど、馬に乗ってやってきてしまったので、坂が急すぎて落馬してしまった。

 

 坂の上で、寝転がって待っていたくっすん、「遅い、みんな。ホントに遅い。」とブーたれる。

 

くっすんと合流し、歩くこと2キロ、

午前9:10、三重県四日市から鈴鹿市に入る。

 

スタートから7キロ、44番目の宿場・石薬師宿 [本陣跡]に到着。江戸時代に、約15軒の旅籠が立ち並んだ、小規模な宿場町。

 

 宿場の名前の由来になっている、また歌川広重の東海道五十三次・石薬師宿に浮世絵の描かれた場所である、『石薬師寺』に到着。726年に、僧侶・泰澄によって創建されたお寺。796年、弘法大師が訪れた際に彫ったとされる、御本尊[薬師如来]がお寺の名前の由来。

 

 本堂の内陣にて、副住職の福田さんにお話しをうかがう。

 御本尊は秘仏なので、お厨子の中におわす。お大師さまが、自然の石に自らの指の爪で、薬師如来を彫ったと伝わる。江戸時代は60年に1度、現在は毎年12月20日に御開帳されるとのこと。

 

 ところが・・・、くっすんが「僕も是非とも拝めさせていただきたいです。」と言い出す。さらに、「説得力がないんです。」などと副住職にゴリ押しする。すると、ご住職に確認をとってくれると、意外な展開に・・・。

 しばらくして戻ってきた副住職に、少しだけならオーケーと伝えられ、ビックリするくっすんと河田アナ。

 

 特別に、お厨子の扉を開けてもらい、秘仏を拝観する。お大師さまが、一晩で彫ったといわれる。参勤交代で通る諸大名も必ず立ち寄り、旅の安全を祈願していた。2人も手を合わせ、薬師如来像に祈願する。

 

 副住職の福田さんに44番目の宿場・石薬師宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 

 石薬師寺を後にして、「いい仕事したでしょ。」とくっすん。向こう見ずなくっすんの手柄に、視聴者の分も合わせて、ありがとうございましたと感謝する河田アナ。「たまには役に立つんです。」と、自ら語るくっすんであった。

 

午前10:40、のどかな東海道を3キロほど歩き、

スタートから10キロ、45番目の宿場・庄野宿に到着。江戸時代に、約15軒の旅籠が立ち並んだ。

 

 広重の庄野宿の浮世絵が描かれた、看板が資料館の前に立っている。

 看板の前で、鈴鹿市の学芸員・代田さんに、庄野宿の浮世絵についてうかがう。

 浮世絵の題名は『庄野の白雨』で、にわか雨に慌てる旅人を躍動的に描いた名作。駕籠に乗っている御方が濡れないように、棒の担ぎ手は自分の服をかけてあげている。

 

 浮世絵の描かれた場所は、いまだ分かっていない。宿場辺りには、それらしき坂が見当たらない。

 旅人がさしている傘に、”竹のうち”と書かれている。浮世絵の版元で、いわば宣伝。広重は他の浮世絵にも、ちょこちょこ宣伝を入れているとのこと。

 

 続いて、代田さんに『庄野宿資料館』の中を案内してもらう。

 庄野の名物で江戸時代から界隈で売られている、”焼米俵(やきこめだわら)”が展示されている。米をモミのまま煎ってついて、殻を取り去ったモノ。俵に入れて販売していた。長期保存可能で、非常食にもお土産にもなる。

 

 食べ方は、ちょっと固いけどそのままポリポリつまむもよし、お湯でふやかしてインスタント食品みたいに食べるもよし。

 せっかくだから、くっすんが試食していいか聞いてみると、展示品の焼米俵は10年ぐらい前作ったモノなので、ちょっと?古い。

 

 最近作ったモノがあるから、そちらを特別に試食させてらもう。10年前のと比べると、見た目が全然違う。「そろそろこれ、差し替えた方がよろしいのでは?」と提案する河田アナ。ポリポリと普通の香ばしい、煎餅みたいな感じ。 

 

 学芸員の代田さんに45番目の宿場・庄野宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 

午後0:20、道中のコンビニにて昼食。くっすんは焼き鳥とおにぎりを、河田アナは麺類を食べる。

 

 引き続き、本日の目標地点、亀山城跡を目指す一行。亀山宿に着くと、東海道の旅で累計約500キロ歩いたことになる、と河田アナ。東海道の全長が約500キロなので、普通に歩いていれば今頃もう踏破しているはず・・・。100キロ分の寄り道で、600キロくらい歩くことになるのかなあ?

 

 なんやかんやしゃべりながら歩いていると、スタッフさんから、「市境です。」とお知らせ。三重県鈴鹿市から亀山市へ入っていた。特に看板も目印もないので、スマホのグーグルマップの位置情報だけが頼り。スマホを見ながら、市境の上、一歩行ったら亀山市と、止まって確認する。

 

 この後、くっすんが、いつの間にか代田さんから貰っていた、焼米で休憩時に栄養補給する。

 

スタートから17キロ、午後3:10、46番目の宿場・亀山宿に突入。

 

スタートから18キロ、亀山宿の江戸口門跡に到着。亀山宿は城下町で、東西約2.5キロに及ぶ大規模な宿場であった。

 『伊勢 亀山城』は、1265年に関実忠によって築城された。1590年に岡本宗憲によって本丸や天守が建てられた。

 

スタートから19キロ、目標地点の『亀山城跡』に到着。現在は天守はなくなって天守台が残り、その上に多門櫓が建っている。多門櫓は江戸時代に建てられ、平成の大修理を経てピカピカ。

 

 何故天守が多門櫓になったのか、多門櫓の前で河田アナの解説コーナー。

 江戸時代の初期に、幕府から”亀山城”の天守を取り壊す命令があった。天守を取り壊したものの、取り壊す命令があった天守は、京都府亀岡市にある『丹波 亀山城』の天守だった。後の祭りで、しばらくそのままであったが、1632年ごろに多門櫓が設置された。

 くっすんは、「めっちゃアホじゃないですか。」と率直に述べ、河田アナも、「アホだよね。」と同意する。

 

 2人は、広重の亀山宿の浮世絵の描かれた場所へ向かう。浮世絵には、雪の中、坂を上る大名行列とお城が描かれている。お城は、亀山城の西の入り口・”京口門”にあった見張り台・番所である。

 

 現在は立て看板だけが残る、『京口門跡』で、ガイドの豊田さんにお話しをうかがう。

 看板に掲載されている、明治時代の京口門の写真と浮世絵を比べると、面影が残っている。現在は、緩やかな坂の道になっているが、江戸時代の亀山城は、京口門の急坂が象徴的で、絵を描くにはうってつけだった。

 

 河田アナが豊田さんに、『手違いで天守が取り壊されてなかったら、今も残っていた可能性はあるわけですよね』と聞いてみると、「そうですね、非常に残念です。」とのこと。

 

 ガイドの豊田さんに46番目の宿場・亀山宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 

 目標地点まで20キロぐらい歩いてきたけれど、「まだ歩けますか?」とスタッフさん。近くに亀山名物の食べられるお店があるのだ。

 豊田さんに亀山名物を聞いてみると、亀乃尾というお菓子をまず挙げる。これから向かうお店ではないので、さらにうかがうと、「松坂肉の・・・。」と言ったところで、スタッフさんに遮られる。亀山は名物が多いということで、第3候補で、みそ焼きうどんと正解がでた。

 

 京口門跡から南へ歩くこと500メートル、亀山みそ焼きうどん発祥のお店・『亀とん食堂』でご褒美メニュー。

 みそ焼きうどんは、お客さんが自分で鉄板鍋で作るスタイル。3代目の村主さんに、教えてもらいながら焼いていく。作り始めの3分が大事とのこと。その3分でみそを焦がすと、にがくなる。河田アナが作っている方は、ええ感じと褒められ、くっすんの方は、イマイチ下手と辛らつな3代目。

 途中の蒸し焼きする間は、ハシで具を触らずじっと待つ。「うどんを最後に焼くんですけど、それがみそ焼きうどんっていう・・・。」と3代目がうんちくを言っているときに、くっすんが不用意に触ってしまい、怒られる。

 

 キャベツの水分と特製みそ、さらにお肉のうま味でしっかり味付けし、最後に短時間で味が馴染む特製うどんを投入して、名物・亀山みそ焼きうどんの完成。そのお味は、くっすんはマジウマい、河田アナは「これはウマい。」とシンプル。この後、スタッフさんとともに、亀山みそ焼きうどんを堪能するのであった。

 

■簡易チャート
スタート:三重県四日市市・『日永の追分』→ 杖衝坂 (3km) → 石薬師宿 [本陣跡](7km) →『石薬師寺』→ 庄野宿 (10km) →『庄野宿資料館』→昼食: とあるコンビニ → 亀山宿 (17km) → 目標地点:『亀山城跡』(19km) →『京口門跡』(20km) →『亀とん食堂

 

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』42・43宿目のまとめ。

【42・43宿目・前編】 2021年01月22日(金)放送 

 

旅の内容:●宮宿  桑名宿 → 四日市▲エンジン付いてても船旅はツライよ?!■桑名宿のシンボル★船旅の疲れをご飯で吹っ飛ばす


スタートは愛知県名古屋市・堀川。目標地点は三重県四日市・『日永の追分』。約20キロ(プラス船旅28キロ)のコース(前編)。

 

午前7:30、愛知県名古屋市にある、堀川からオープニング。いきなり、小型の船で出航する。寒さにそなえ、カイロを10枚以上貼っていると、くっすん。

 昔偉では、乗り物禁止という暗黙のルールがあるが、「昔と同じように、我々も船で移動しております。」とセーフだと河田アナ。船にエンジン付いてるのは、大目にみてね・・・。

 

 昔の人は船に乗って、宮宿から桑名宿まで、だいたい4~6時間かかった。昔偉では、船頭の平井さんに案内してもらいお話しをうかがいながら、エンジン付きの船で1時間半~2時間を予定して進む。

 ロケ日の天気予報は、雨か雪だったけど、本格的に降ってない。朝の気温は3℃で、テレビに映るか映らいないかの、細かい雪が降り始めている。

 

 宮宿と桑名宿を結ぶ”東海道唯一の海路”=『七里の渡し』は、東海道が整備される前の鎌倉時代から室町時代に、すでに利用されていたといわれる(諸説あり)。

 

 寒さに凍える、河田アナとくっすん。堀川を出航し名古屋港に至り、ぐんぐんスピードアップしたので、風がびしばし直撃。くっすんが「日本じゃないくらい寒いです。」と訴えると、「そうですね。」と、さらりと受け流す船頭さん。

 

 名古屋港で船が停止し、『南極観測船 ふじ』を遠目に観賞する。昭和40年から18年間活躍した船で、その役目を終え、現在は名古屋港水族館に展示されている。

 船内もそのまま保管されていて、見学ができる。

 

 観賞もそこそこに、船が再始動。船の上が寒いとはいえ、昔偉16章『日本修行場めぐり』の中で体験した、『滝行』や『寒中禊』と寒い修行をやってきました、と河田アナ。「1時間半というという長さは、ないですから。」とくっすんにツッコまれ、「そうやな。」と納得する。

 

 船に寝転がり、風の抵抗を少なくして、寒さをしのぐくっすん。それを見た河田アナも、前に突っ伏して抵抗を減らす。

 

 真冬に風に向かって進む船の上は、やはり寒く、「ゴザ用意してるので、ゴザ巻きつけていきますか?」と船頭さんのお心遣い。

 さっそく、2人はゴザを体に巻きつけ、防寒力アップ。ただ、見た目が可愛らしくなり、ひな人形、もしくは天むすみたいだと自分たちの姿を例える、くっすん。

 

ゴザを身にまといながら、進むこと10分、

午前8:10、名古屋港の入り口 or 出口が見えてくる。昔偉スタッフさんの乗る別の船が先行していて、そのたてる波が船を大きく揺らしたので、怒るくっすん。

 

 名古屋港を抜け、伊勢湾へ入る。

 お次は、前方に『ナガシマスパーランド』が見えてくる。だいぶ関西に近づいてきたと感じる2人。

 

 2そうびきで白魚の漁をしている船に出会う。白魚を獲っている漁師さんは、船頭の平井さんのお知り合いとのこと。せっかくだから、漁師さんの船で、穫れたての白魚を拝見する。大きなザルに白魚がひしめいている。

 この地域に生息している白魚は、2~4月に旬を迎える小魚。刺身やにぎり寿司で食べるのがオススメ。

 

 そして穫れたての白魚を、2人は味見させてもらう。ツルンツルンでコリコリして、プチっとはじけるような食感。

 漁で一番大変なことは、とにかく寒いこと。さんざん体感しているので、納得する河田アナ。

 

午前9:00、もうちょっとで着くからと船頭さんに励まされながら、船は進む。ゴザを盾にして、風に耐える2人。

 船は伊勢湾から揖斐川へ入り、船着場は目前。

 

 船上から、桑名城を観賞する。江戸時代に築城され、現在は平成15年に復元された、櫓だけ残る。歌川広重の桑名宿の浮世絵に、宿場のシンボル・桑名城が描かれている。浮世絵が描かれた場所で、船を止めてもらった。

 桑名宿の浮世絵には、右奥に桑名城が描かれている。その下に、帆をたたみ船着場に到着寸前の、船が描かれている。船から城を眺める、旅人がいる。

 

 徳川家康はこの大河に橋を架けることができなかったから、東海道で唯一の海路だと船頭さんの解説。宮宿と桑名宿の間には、揖斐川・長良川・木曽川の3つの川が合流して、川幅が広く、当時の技術では無理だった。

 

午前9:30、船着場に到着。約2時間の船旅で、ふらふらでほろ酔い。そして、42番目の宿場・『桑名宿』に到着。桑名宿では、悪天候で船の往来ができないとき、数多くの旅人が滞在した。本陣は2軒あり、旅籠120軒が建ち並んだ。

 江戸時代に本陣だった建物は、昔の風情を保ちつつ結婚式場に生まれ変わっている。

 せっかくだから、船頭の平井さんに桑名宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。プラス、船で東海道を渡った証として、名前と日付の入った記念書・『七里の渡し往来の証』を各々いただく。

 

午前10:00、2時間の船旅の疲れをぶっ飛ばすため、スタッフさんが目をつけていた桑名名物の店に向かう。

 

船着場から200メートル、明治10年創業の『歌行燈 本店』にて、早めの昼食。河田アナ・くっすんともに『蛤うどん』を食べる。大きいハマグリにテンションを上げる2人。五臓六腑に染みますと、味わうくっすん。

 桑名の蛤は、江戸時代からの名物で、色つやがよく大きな身が特徴。海の水と川の水が混ざった、汽水域で育ったので、ミネラルを含んだ美味しい蛤になっていると、5代目店主の横井さん。

 

 蛤うどんの後に出てきた鍋を開ければ、大きな大きなハマグリが5つ入った『焼蛤』登場で、2人のテンションは最高潮。味付けは、お酒を数滴加えただけの、ほぼそのまま。プリプリ肉厚のハマグリを、噛んで噛んで味わう。

 

 旅の前半はここまで。来週の昔偉は、鯨漁を再現した『四日市のお祭り』とは!?商店街で見つけた『首の伸びる人形』の正体とは!?

 

 

 

【42・43宿目・後編】 2021年01月29日(金)放送 

 

旅の内容:● 宮宿 → 桑名宿 四日市宿 プラスα鯨の暴れ回る祭り?!■風の強い四日市宿★首の長~い入道?!

 

スタートは愛知県名古屋市・堀川。目標地点は三重県四日市・『日永の追分』。約20キロ(プラス船旅28キロ)のコース(後編)。

 

午後1:50、朝明川に架かる、朝明橋の真ん中を越え、三重県四日市市へ入る。

 

スタートから10キロ、毎年8月に鯨船行事という江戸時代から続くお祭りが行われる、鳥出神社に到着。西暦905年には、存在したと伝わる神社。

 

 境内で、鯨船保存会の加藤さんに、お祭りについてお話しをうかがう。

 この地域で特に捕鯨漁をしていたワケではなく、模擬捕鯨。富や豊穣の象徴とされた鯨を神様に奉納して、大漁や繁栄を祈願したお祭り。

 

 タブレットで、過去の鯨船行事の映像を拝見する。

 ハリボテの鯨を若者たちが担いで、勢いよく動き回っている。鯨を捕まえるのは、町の10~12歳の子どもたちで、山車の船に乗りこむ。漁で激しく揺れる船を模して、大人たちが山車を激しく揺らす。子供たちが一人前の漁師になるための通過儀礼を表現している。

 山車の船には、2000万円ほどかかっている。四日市辺りは、伊勢湾でも1・2を争う漁場だったので、豪華な山車を作る財があったとのこと。

 

 河田アナが、近年いろんなところでお祭りの参加者が減っていると耳にするが、こちらではどうですかと質問する。鯨船行事も例外ではなく減っていて、四日市大学の学生さんに多くを手助けしてもらっている。

 

 神社のすぐ近くにある山車蔵に案内してもらい、祭りで使う、鯨と未装飾の船を拝見する。せっかくだから、蔵の前にある空き地で、鯨を特別に担がせてもらう。

 そのとき空き地に居合わせた小学生の女の子たちが、鯨船行事を毎年楽しみにしていて、2020年はコロナでできなかったから、残念とのこと。

 

 重さ80キロの鯨の、前に河田アナ・後ろにくっすんが入って、しゃがんだ状態から持ち上げに挑戦する。河田アナは立ち上がって持ち上げるが、後ろのくっすんは重くて立ち上がれない。結局くっすんは最後まで立ち上がれず、小さな観客に良いところを見せることが出来なかった。

 実際の祭りでは、交代交代で動かしながら、鯨は90分ほど暴れ回る。

 

午後3:20、皆が楽しみにしている祭りが、2021年は開催されたらと願いながら歩く。

 

 久しぶりのロングコースで疲労に耐えながら歩き、

スタートから14.5キロ、三滝川に架かる三滝橋を渡る。四日市宿の浮世絵が描かれた場所が、この橋の辺りだといわれている。浮世絵には三滝川に土堤があって、その先に簡易的な橋が架かっている。大阪・東京それぞれの方面に向かう、旅人が描かれている。

 

 河田アナがくっすんに、浮世絵を見て気づくことはないか聞いてみると、旅人がちょっとハゲていると関係ないことを答える。

 正解は、浮世絵のそこかしこに、風が表現されていること。中央の柳の葉が揺れていたり、の旅人の菅笠が飛んでいったり、の旅人のマント?がなびいていたりしている。海に近いので、風が強かった。

 

 三滝川を越えて、43番目の宿場・『四日市宿』に到着。4のつく日に市場が開かれたことが、名前の由来といわれる。

 

 『四日市商店街』を歩く。”東海道 ここは四日市”と書かれたノボリが、商店街のところどころに掲げられている。ノボリには、『こにゅうどうくん』というキャラクターが描かれている。

 

 商店街内で、ハンパなく首の伸び縮みする、巨大な人型オブジェに出会う。顔はこにゅうどうくんっぽく、首の伸び縮みする仕組みも分からない

 

 オブジェの置いてある向かいの、お店の御主人にお話しをうかがう。

 人型オブジェの正体は、四日市のシンボル・『大入道』のレプリカで、その名も『中入道』とのこと。

 大入道は、地元の諏訪神社で江戸時代から行われるお祭りで、首が伸びる妖怪・入道をモデルにした山車。大入道は前高9メートルで、電線に届くほど。中入道は、前高4.4メートルで、2階建ての家の屋根に届かんばかり。

 

 50年ばかりずっと立っている中入道は、御主人が管理している。

 謎が解けたところで、お店で売っている商品が気になる2人。名物の『時雨蛤』で、せっかくだから購入し、そしてお店の前で食べてみる。濃厚な味で、白ご飯を欲する2人であった。

 御主人に四日市宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。四日市宿を通って「よろすー。」。

 

午後5:30、久々の長旅で、だいぶ暗くなってきた。

 

それから、あたりはすっかり真っ暗、疲れた体に鞭を入れながら歩き、

スタートから20キロ、大きな鳥居が目印・目標地点の『日永の追分』に到着。日永は、四日市宿と次の宿場・『石薬師宿』の間にある、相の宿であった。ここが街道の分岐点で、東海道と伊勢街道に道が分かれている。

 真っ暗な中、日永の追分を説明した河田アナは、暗くて周りの様子が分からないじゃないかと心配する。

 

 暗闇の中で、河田アナとくっすん、背後の鳥居が浮かび上がり、「来週は、石薬師を目指してがんばりましょう。」と締めくくる。

 こうして、東海道五十三次・43宿目の四日一宿プラスαの長旅を無事終えた。

 

■簡易チャート
スタート:愛知県名古屋市・堀川 →『七里の渡し』 →『桑名宿』→昼食:『歌行燈 本店』→ 鳥出神社 (10km) → 三滝橋 (14.5km) →『四日市宿』→『四日市商店街』→ 目標地点:『日永の追分』(20km) 

 

2020年12月30日(木)、兵庫県加西市にある法華山一条寺を参拝した。もうだいぶ前のことで、特にブログに載せるつもりはなかったけど、読売テレビさんの番組・関西情報ネット『ten.』[2021年01月20日(水)放送]の若一調査隊のコーナーで特集されていたので、触発されて載せま~す。あと、兵庫県・緊急事態宣言のため、1月下旬の資格試験が延期になったのでヒマができ、更新の滞っていたブログを、ちっとばかしは更新したい・・・(希望的観測)。

 

●法華山一乗寺までのアクセスは、やはり車が便利。

 公共機関を使うなら、神姫バスで『姫路駅北口』から『法華山一乗寺』まで、2時間おきにバスが出ている(乗車時間約37分・運賃660円)。もしくは、北条鉄道『法華口』駅のバス停『法華口駅前』から神姫バスで1日5本だけバスがでている(乗車時間約12分・運賃250円)。いずれも本数が少ないので、乗り遅れなきよう、時間厳守

 

西国第26番札所 法華山一乗寺

 650年に法道仙人によって開山された天台宗のお寺。一乗寺の境内は山頂に向かって広がり、162段の石段がある。

 拝観時間 8:00~17:00

 拝観料 500円

 

 

とりあえず、料金所のあたりで看板猫ちゃんがお出迎え

 若一調査隊にも、出演してましたぞ。めちゃくちゃ人懐っこい。しばし、戯れる。2匹おりまして、もう1匹はちょっとシャイ。

 

 

■常行堂

 天台宗のお寺によくみられる。『常行三味(じょうぎょうざんまい)』=阿弥陀仏の名を唱えながら、仏さんのまわりを歩き続ける修行、が行われた(若一さんの解説より)。

 

 

■三重塔[国宝]

 平安時代後期に建立された。上の階層にいくにつれて、徐々に屋根が小さくなっているため、安定感のある美しさを生み出している。

 塔が建てられたのは1171年。てっぺんの相輪の下、伏鉢に承安元年(1171年)と銘がある。石段を1段1段上がりながら、高さを徐々に変えながら、いろんな味わい方ができるのが大きな特徴(若一さん談)。

 

★開祖法道仙人とは・・・インドから紫雲に乗って、この地にやってきて、法華山と名付けた。

 

法道仙人ゆかりのお寺は播磨一帯にある

 三木市の伽耶院・教海寺

 加西市の普光院・奥山寺

 加東市の禅瀧寺・清水寺ほか

 

 

■本堂[重要文化財]

 650年に建てられたが、その後焼失。現在の本堂は、1628年に姫路藩主本多忠政により建立された。

 

 本堂の天井には、江戸時代の西国33所納め札が貼り巡らされている。

 一乗寺の御本尊は、開祖・法道仙人がインドから持ち帰ったと伝わる、『聖観世音菩薩像(秘仏)』。参拝の際は、一願成就を願いましょう。

 

 

本堂の舞台からは、三重塔越しの絶景が広がる

 

 

★奥の院にある賽の河原

 本堂から森の中を歩くこと5分、開山堂(写真撮り忘れた)がある。1667年に建立され、法道仙人を祀る。

 

この奥に賽の河原が・・・

 

 

賽の河原

 無数の石の塔が並ぶ。賽の河原は、東北や北海道などでみられる地蔵信仰の一つで、幼くして亡くなった子供たちが、三途の川で供養のため、石で塔を作る場所。石の塔を鬼が崩しにくる。それを地蔵菩薩が現れて救ってくれるといわれる。

 写真では分かりにくいですが、かなりたくさんのストーン・タワーがあります。あちらこちらに・・・。現地で見れば、鳥肌モンです。

 

 せっかくだから、拙者も石を積みました。パワースポット感が横溢しておりました。

 

 

こちらもどうぞ

★宝物館(要予約/入館料500円)

法道仙人像/鎌倉時代 (重要文化財)

僧形坐像/平安時代 (重要文化財)

毘沙門天像/平安時代

梵天像/鎌倉時代

 

若一さんオススメ

天台宗の高僧+聖徳太子を加えた、高僧像十幅。

聖徳太子及び天台高僧像』[国宝]

 

 もともとは、法華山一乗寺で代々引き継がれてきたもの。原本は分けて、博物館や美術館で寄託・保管されている。

 2020年から、全ての汚れや傷に至るまで高精細に複製した絵画を、宝物館で公開している。十幅全て拝観できるのは、一乗寺だけ

 

高僧の内訳は、慧思(えし) [中国]・慧文(えもん)禅師 [中国]・善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう) [インド]・龍樹(りゅうじゅ) [インド]・聖徳太子 [日本]・円仁(えんにん) [日本]・最澄 [日本]・湛然(たんねん) [ちゅうごく]・灌頂(かんじょう) [中国]・智顗(ちぎ) [中国]。