MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』41宿目のまとめ。
【41宿目・前編】 2021年01月08日(金)放送
旅の内容:●鳴海宿 → 宮宿 ▲昔懐かしイカ駄菓子■地蔵様はキューピッド?!★世界に羽ばたく兄弟
スタートは愛知県名古屋市・鳴海宿。目標地点は名古屋市・『宮の渡し公園』。約10キロのコース(前編)。
午前7:00、愛知県名古屋市にある、鳴海宿の本陣跡からオープニング。「本年もヨロシクお願いします。」と、くっすんがひょっこり登場。「がんばるモォ~。」と付け加え、新年初すべり。「まあ、あの・・・、牛のように一歩一歩着実に前に進めるように、今年もがんばりましょう。」と、うまくまとめる河田アナ。
スタートから2キロ、駄菓子の“紋次郎いか“を作っている、『一十珍海堂』を取材する。昭和23年に海産物小売業として創業し、昭和47年に2代目が紋次郎いかを発売した。
プラスチックの透明ケース1箱に、80本入りの紋次郎いか。紋次郎いかシリーズの箱がずらりと並んでいるのを見て、こどもの頃よく食べたと懐かしがる2人。くすんは、昔はつねづね箱ごとほしいと思っていた。
シリーズで13種類ほどあり、『とんがりいか』は、いかの三角部分(△)・いかの耳を紋次郎いかのタレで味付けしている。
現在紋次郎いか1本=30円で、2人がこどもの頃は10円だった。「我々がこどもの頃って、もう30年以上前の話しですから・・・。」と言うくっすん、「もっと前。あんた46でしょ。」と河田アナにツッコまれる。
紋次郎いかは、昭和40年代に包装された時代劇・『木枯らし紋次郎』の主人公が、長い楊枝をくわえていた姿に着想を得て、命名された。発売当時は立ち飲み屋・駄菓子屋などで食べられ、年間1億本の売り上げを誇った。
せっかくだから、紋次郎いかを試食させてもらう。いかの固い部分が口の奥の方へ突き刺さり、苦しむくっすん。昔食べた味がよみがえり、顔をほころばせる河田アナ。
名古屋は、駄菓子の製造メーカー事業者数が日本一とのこと。尾張徳川家のお膝元なので、江戸時代に茶をたしなむ文化が広く庶民まで広がっていった。お茶を飲みながらお菓子を楽しむ習慣が根付いたといわれる。
午前8:40、紋次郎いかの余韻にひたりながら歩き、
『笠寺一里塚』の前で足を止める。一里塚は、江戸時代に一里(約4キロ)ごとに築いた道しるべ。塚の上には、エノキの大樹が鎮座している。
エノキの木の下で、可憐に咲いている水仙の花を見つけて、心ときめく河田アナ。「木を見て、花を見て、キレイやなって、立ち止まることなんて今まで、なかったもんな。」と思い返す。「河田さんもう、ずーっと前お酒の話しばっかりしてましたもんね。」と、補足するくっすん。
スタートから3.5キロ、『笠寺観音笠覆寺』に到着。笠覆寺(りゅうふくじ)は、733年に創建され、地元で笠寺観音の愛称で親しまれている。
ご住職の吉川さんに、境内にあるお堂・『玉照堂』の中で、お寺の由緒をうかがう。
お堂の中には、玉照姫・藤原兼平ご夫妻の像が祀られている。
平安時代のお話し、玉照姫は元々村の長者の家に仕えていた、貧しい娘だった。ある雨の日に、雨風にさらされている観音様を見かけて気の毒に思い、自分のかけていた笠を外してかぶせてあげた。
その様子を、京都から訪れていた貴族の藤原業平がたまたま目撃して、キュンとなった。
位が違う2人は結ばれた。2人を結んでくれた観音様に感謝して、笠をかぶった観音像を祀ったのが、笠覆寺の由来とされている。
そんな恋バナを聞いて、「僕も、そういう経験あります。」と、妻と出会ったときの話しを語ろうとする、くっすん。「ちょっと待って。それ、聞かなアカン?」と嫌がる河田アナ。どうしても話したいというので、ご住職の了承も得て、語ってもらう。
妻がくっすんと初めてデートしたとき、階段で荷物を運ぶお年寄りに手を貸していた。それを見たくっすんは、「ああ、僕はこの子と結婚したい。」と思った。
くっすんの恋バナを聞いて、「困っているだろうなっていう人に、手が自然に伸びることは、素晴らしい心持ちだと思われます。」と妻を褒め、素晴らしいお話しだと称えるご住職。さらに、ご住職の話しの拾い方がすごいと、感激する河田アナであった。
午前10:20、名古屋の中心地に向かって、どんどん歩く。
新大阪からお仕事でやってきている、関西人から声をかけてもらい、喜ぶ2人。
スタートから7キロ、ブラザー工業株式会社の本社の近くにある、『ブラザーミュージアム』を見学する。
最初に、ミシンの歴史を展示しているコーナーを見学する。ブラザーのミシンをはじめとして、いろいろなミシンが展示されている。
1790年に、イギリスのトーマス・セントが世界初のミシンを発明した。英語でミシンは『Sewing Machine(ソーイング・マシーン)』といい、昔の日本人がマーシンと部分を、ミシンと聞き間違えて定着したといわれる。なので、ミシンは日本独特の呼び方。
ブラザーでは、1928年に、社名の由来でもある安井兄弟が、麦わら帽子専用のミシンを開発した。1932年には、家庭用ミシンの製造販売をはじめた。
1961年に、ミシンの製造技術を生かした、タイプライターを発売した。その後も、扇風機・掃除機・洗濯機などの家電、プリンター・FAX・複合機など、様々な分野の製品を作り続けている。
それらの展示も、見学する。
展示品の中に、石原裕次郎さんの等身大フィギュアがある。元々は、石原裕次郎記念館に展示されていたモノ。
裕次郎さんが所属していたレコード会社・『テイチクエンタテインメント』は、ブラザーのグループ会社になっている。
ブラザーはカラオケも手掛けており、1992年に通信カラオケ『JOYSOUND』を発売した。レコード会社と通信カラオケを手掛けている縁で、裕次郎さんフィギュアがミュージアムにやってきたとのこと。
河田アナが、案内してくれた西さんに、ブラザーの社員数をうかがうと、全部ひっくるめて4万人くらいだそう。さらに、「基本、新卒ですよね。」と聞いてみると、新卒の他に、中途採用もあるそう。そんな質問に、河田アナに転職希望があるのではないかと、疑うくっすん。
最後は、ブラザーの最新技術を使った製品を見せてもらう。
データを取り込めば、全自動で縫ってくれるミシンの、デモンストレーションを拝見。ミシンのお値段は、なんと200万円。
データとして、昔偉のオリジナルタオルにも使われていた、寝転がっているくっすんを河田アナが立ったまま眺めている(2人はジャージ姿)、というイラストを用いた。完成品の刺繍を見て、はやさと出来ばえに驚かされる。
さらに、最新業務用プリンターは、データを取り込めば、簡単に布に印刷できる。
データとして、裕次郎さん等身大フィギュアを間に挟んで、左右でくっすんと河田アナがポーズをとった写真を、その場で撮って使う。
印刷されたトップスを見て、またまた、はやさと出来ばえに驚かされる。ポケット部分も、ちゃんと印刷できている。
裕次郎さんフィギュアの隣りで、くっすんがJOYSOUNDで『嵐を呼ぶ男』を熱唱しながら、次回予告。
来週の昔偉は、宮宿の象徴・熱田神宮へ・・・。名古屋名物・ひつまぶし発祥のお店へ・・・。
【41宿目・後編】 2021年01月15日(金)放送
旅の内容:●鳴海宿 → 宮宿 ▲秘伝のタレを守れ■熱田神宮の熱血お祭り★長すぎる刀?!
スタートは愛知県名古屋市・鳴海宿。目標地点は名古屋市・『宮の渡し公園』。約10キロのコース(後編)。
午後0:40、雲一つない青空の下、愛知県名古屋市を意気揚々と歩く。
スタートから8キロ、ひつまぶし発祥のお店・『あつた蓬莱軒 本店』にて昼食。明治6年創業で、現在名古屋市内に3店舗あり、本店でひつまぶしが誕生した。
河田アナ・くっすんともに『ひつまぶし』を食べる。若女将の鈴木さんに、ひつまぶしについてお話しをうかがいながら。おひつのフタをパカっと開ければ、ぎっしり敷き詰められたウナギに歓声をあげる2人。ひつまぶしは、しゃもじで十字に4等分すると、お茶碗によそいやすくなって食べやすい。
ふっくらとしたウナギと絶妙なタレの味に、大満足。今まで食べたことのないウマさに、「超うまい。」とまとめることしかできない、くっすん。
ひつまぶしの食べ方:1膳目は、そのまま。2膳目は、薬味を入れて食べる。3膳目はお出汁をかけて食べる。4膳目はお好みの食べ方で・・・。
明治時代に出前をしていたとき、器を割って持って帰ることが多く、木製のおひつに変更したのが、ひつまぶしのはじまりとのこと。理由を聞いて、意外だなと河田アナ。
また、ウナギから先に食べる客が多く、ご飯の食べ残しに悩んでいた店主が、ウナギを細かく切ってご飯に混ぜて提供したところ、好評を博した。こうして、おひつでウナギとご飯を混ぜるスタイルが完成した。
令和の時代、コロナ禍でお店にある問題が発生した。2020年4月に発令された緊急事態宣言で、約1か月休業した。その間、ウナギの命とも言えるタレをどうするか、という問題であった。
創業当時から約150年間継ぎ足してきたタレは、焼いたウナギをくぐらせることで、命を保ってきた。そこで、タレを駄目にしないように、鰻ちまきを考案した。当初は、お世話になった方々に配るだけだったが、商品化してほしいという声もあがり、今のところお取り寄せ限定で販売している。
せっかくだから、2人は鰻ちまきも食べる。「最高です。」としかウマさを表現できない、くっすん。冷凍商品で、レンジで温めれば自宅で手軽に食べられるので、ぜひ食べてみてね。
午後3:10、贅沢な昼ご飯の余韻に浸りながら歩き、
スタートから9キロ、宮宿内にある、熱田神宮に到着。熱田神宮は約1900年前に、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀ったことに始まる。宮宿は、熱田神宮の門前町として栄えた。境内の広さは、約60,000坪=甲子園球場3個分。コロナ対策の手水(柄杓を使わない)で手と心を清め、まずは本宮をお参りする。
歌川広重が描いた宮宿の浮世絵には、熱田神宮の鳥居が描かれている。本宮の前で、フリップで浮世絵を確認する。絵の右側に紅い鳥居が大きく描かれている。この鳥居が、本宮から北へ2キロの場所にあった、旧・一の鳥居だといわれている。今は鳥居はなくなっていて、石碑が残っている。
浮世絵の中心に描かれている馬を連れた男衆は、毎年5月5日に行われていた、『馬の塔』と呼ばれる行事の参加者である。熱田神宮の他にも尾張地方周辺で行われ、雨ごいや五穀豊穣の祈願のお礼に馬を奉納したと伝わる。
ハッピを着た10人ほどの男たちが、みんなで1頭の馬を綱でひいている。手前と奥とで、男衆の来ているハッピの柄が違うので、町ごとに分かれて競いあっていたのかもしれない、と河田アナ。
せっかくだから、熱田神宮文化殿(宝物館)で刀を拝観する。人間の背丈より長い、その名も『末之青江(真柄太刀)』。
熱田神宮の岡地さんに解説していただく。
刀身約2.2メートル、柄の部分約1メートル=全長3.2メートルのロングロングサイズ。重さも、約10キロとヘビー級。
「ホントに戦に使ったりできませんよね?」と河田アナが聞いてみると、1570年の姉川の合戦にて、戦国武将の真柄十郎左衛門が実際に戦場で使ったと伝わる。にわかには信じがたいので、「ホントっすか?」と河田アナが聞いてみると、「本当のようです。」と小声で答える岡地さん。
真柄十郎左衛門は身の丈2.1メートルとチェ・ホンマン級なので、あるいはもしかしたら・・・。くっすんは、鬼滅の刃に出てきそうで、刀剣女子がいっぱい来るかんじだとコメント。
おしまいに、岡地さんに宮宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。
午後4:10、沈みゆく太陽を見て、一日の早さを実感しながら歩き、
スタートから10キロ、目標地点の『宮の渡し公園』に到着。江戸時代は、東海道を歩く旅人たちが利用した、船着場があった。宮宿~桑名宿までは船で移動する、東海道唯一の海路なのだ。距離にして7里(約28キロ)の海路を、江戸時代は4~6時間かけて進んだ。
あくまで『東海道五十三次の旅』なので、次回は船に乗りますと河田アナ。一応、エンジンはついているらしい・・・。
こうして、東海道五十三次・41宿目の宮宿への旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート:愛知県名古屋市・鳴海宿 [本陣跡] →『一十珍海堂』(2km) →『笠寺一里塚』→『笠寺観音笠覆寺』(3.5km) →『ブラザーミュージアム』(7km) →昼食:『あつた蓬莱軒 本店』(8km) → 宮宿 → 熱田神宮 (9km) → 熱田神宮文化殿 (宝物館) → 目標地点:『宮の渡し公園』(10km)