MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』41宿目のまとめ。

【41宿目・前編】 2021年01月08日(金)放送 

 

旅の内容:●鳴海宿 → 宮宿 ▲昔懐かしイカ駄菓子■地蔵様はキューピッド?!★世界に羽ばたく


スタートは愛知県名古屋市・鳴海宿。目標地点は名古屋市・『宮の渡し公園』。約10キロのコース(前編)。

 

午前7:00、愛知県名古屋市にある、鳴海宿の本陣跡からオープニング。「本年もヨロシクお願いします。」と、くっすんがひょっこり登場。「がんばるモォ~。」と付け加え、新年初すべり。「まあ、あの・・・、牛のように一歩一歩着実に前に進めるように、今年もがんばりましょう。」と、うまくまとめる河田アナ。

 

スタートから2キロ、駄菓子の“紋次郎いか“を作っている、『一十珍海堂』を取材する。昭和23年に海産物小売業として創業し、昭和47年に2代目が紋次郎いかを発売した。

 

 プラスチックの透明ケース1箱に、80本入りの紋次郎いか。紋次郎いかシリーズの箱がずらりと並んでいるのを見て、こどもの頃よく食べたと懐かしがる2人。くすんは、昔はつねづね箱ごとほしいと思っていた。

 シリーズで13種類ほどあり、『とんがりいか』は、いかの三角部分(△)・いかの耳を紋次郎いかのタレで味付けしている。

 

 現在紋次郎いか1本=30円で、2人がこどもの頃は10円だった。「我々がこどもの頃って、もう30年以上前の話しですから・・・。」と言うくっすん、「もっと前。あんた46でしょ。」と河田アナにツッコまれる。

 

 紋次郎いかは、昭和40年代に包装された時代劇・『木枯らし紋次郎』の主人公が、長い楊枝をくわえていた姿に着想を得て、命名された。発売当時は立ち飲み屋・駄菓子屋などで食べられ、年間1億本の売り上げを誇った。

 せっかくだから、紋次郎いかを試食させてもらう。いかの固い部分が口の奥の方へ突き刺さり、苦しむくっすん。昔食べた味がよみがえり、顔をほころばせる河田アナ。

 

 名古屋は、駄菓子の製造メーカー事業者数が日本一とのこと。尾張徳川家のお膝元なので、江戸時代に茶をたしなむ文化が広く庶民まで広がっていった。お茶を飲みながらお菓子を楽しむ習慣が根付いたといわれる。

 

午前8:40、紋次郎いかの余韻にひたりながら歩き、

笠寺一里塚』の前で足を止める。一里塚は、江戸時代に一里(約4キロ)ごとに築いた道しるべ。塚の上には、エノキの大樹が鎮座している。

 エノキの木の下で、可憐に咲いている水仙の花を見つけて、心ときめく河田アナ。「木を見て、花を見て、キレイやなって、立ち止まることなんて今まで、なかったもんな。」と思い返す。「河田さんもう、ずーっと前お酒の話しばっかりしてましたもんね。」と、補足するくっすん。

 

スタートから3.5キロ、『笠寺観音笠覆寺』に到着。笠覆寺(りゅうふくじ)は、733年に創建され、地元で笠寺観音の愛称で親しまれている。

 

 ご住職の吉川さんに、境内にあるお堂・『玉照堂』の中で、お寺の由緒をうかがう。

 お堂の中には、玉照姫藤原兼平ご夫妻の像が祀られている。

 平安時代のお話し、玉照姫は元々村の長者の家に仕えていた、貧しい娘だった。ある雨の日に、雨風にさらされている観音様を見かけて気の毒に思い、自分のかけていた笠を外してかぶせてあげた。

 その様子を、京都から訪れていた貴族の藤原業平がたまたま目撃して、キュンとなった。

 

 位が違う2人は結ばれた。2人を結んでくれた観音様に感謝して、笠をかぶった観音像を祀ったのが、笠覆寺の由来とされている。

 

 そんな恋バナを聞いて、「僕も、そういう経験あります。」と、妻と出会ったときの話しを語ろうとする、くっすん。「ちょっと待って。それ、聞かなアカン?」と嫌がる河田アナ。どうしても話したいというので、ご住職の了承も得て、語ってもらう。

 妻がくっすんと初めてデートしたとき、階段で荷物を運ぶお年寄りに手を貸していた。それを見たくっすんは、「ああ、僕はこの子と結婚したい。」と思った。

 

 くっすんの恋バナを聞いて、「困っているだろうなっていう人に、手が自然に伸びることは、素晴らしい心持ちだと思われます。」と妻を褒め、素晴らしいお話しだと称えるご住職。さらに、ご住職の話しの拾い方がすごいと、感激する河田アナであった。

 

午前10:20、名古屋の中心地に向かって、どんどん歩く。

新大阪からお仕事でやってきている、関西人から声をかけてもらい、喜ぶ2人。

 

スタートから7キロ、ブラザー工業株式会社の本社の近くにある、『ブラザーミュージアム』を見学する。

 最初に、ミシンの歴史を展示しているコーナーを見学する。ブラザーのミシンをはじめとして、いろいろなミシンが展示されている。

 1790年に、イギリスのトーマス・セントが世界初のミシンを発明した。英語でミシンは『Sewing Machine(ソーイング・マシーン)』といい、昔の日本人がマーシンと部分を、ミシンと聞き間違えて定着したといわれる。なので、ミシンは日本独特の呼び方。

 

 ブラザーでは、1928年に、社名の由来でもある安井兄弟が、麦わら帽子専用のミシンを開発した。1932年には、家庭用ミシンの製造販売をはじめた。

 1961年に、ミシンの製造技術を生かした、タイプライターを発売した。その後も、扇風機・掃除機・洗濯機などの家電、プリンター・FAX・複合機など、様々な分野の製品を作り続けている。

 それらの展示も、見学する。

 

 展示品の中に、石原裕次郎さんの等身大フィギュアがある。元々は、石原裕次郎記念館に展示されていたモノ。

 裕次郎さんが所属していたレコード会社・『テイチクエンタテインメント』は、ブラザーのグループ会社になっている。

 ブラザーはカラオケも手掛けており、1992年に通信カラオケ『JOYSOUND』を発売した。レコード会社と通信カラオケを手掛けている縁で、裕次郎さんフィギュアがミュージアムにやってきたとのこと。

 

 河田アナが、案内してくれた西さんに、ブラザーの社員数をうかがうと、全部ひっくるめて4万人くらいだそう。さらに、「基本、新卒ですよね。」と聞いてみると、新卒の他に、中途採用もあるそう。そんな質問に、河田アナに転職希望があるのではないかと、疑うくっすん。

 

 最後は、ブラザーの最新技術を使った製品を見せてもらう。

 データを取り込めば、全自動で縫ってくれるミシンの、デモンストレーションを拝見。ミシンのお値段は、なんと200万円。

 データとして、昔偉のオリジナルタオルにも使われていた、寝転がっているくっすんを河田アナが立ったまま眺めている(2人はジャージ姿)、というイラストを用いた。完成品の刺繍を見て、はやさと出来ばえに驚かされる。

 

 さらに、最新業務用プリンターは、データを取り込めば、簡単に布に印刷できる。

 データとして、裕次郎さん等身大フィギュアを間に挟んで、左右でくっすんと河田アナがポーズをとった写真を、その場で撮って使う。

印刷されたトップスを見て、またまた、はやさと出来ばえに驚かされる。ポケット部分も、ちゃんと印刷できている。

 

 裕次郎さんフィギュアの隣りで、くっすんがJOYSOUNDで『嵐を呼ぶ男』を熱唱しながら、次回予告。

 来週の昔偉は、宮宿の象徴・熱田神宮へ・・・。名古屋名物・ひつまぶし発祥のお店へ・・・。

 

 

 

【41宿目・後編】 2021年01月15日(金)放送 

 

旅の内容:●鳴海宿 → 宮宿 ▲秘伝のタレを守れ■熱田神宮の熱血お祭り長すぎる刀?!


スタートは愛知県名古屋市・鳴海宿。目標地点は名古屋市・『宮の渡し公園』。約10キロのコース(後編)。

 

午後0:40、雲一つない青空の下、愛知県名古屋市を意気揚々と歩く。

 

スタートから8キロ、ひつまぶし発祥のお店・『あつた蓬莱軒 本店』にて昼食。明治6年創業で、現在名古屋市内に3店舗あり、本店でひつまぶしが誕生した。

 

 河田アナ・くっすんともに『ひつまぶし』を食べる。若女将の鈴木さんに、ひつまぶしについてお話しをうかがいながら。おひつのフタをパカっと開ければ、ぎっしり敷き詰められたウナギに歓声をあげる2人。ひつまぶしは、しゃもじで十字に4等分すると、お茶碗によそいやすくなって食べやすい。

 ふっくらとしたウナギと絶妙なタレの味に、大満足。今まで食べたことのないウマさに、「超うまい。」とまとめることしかできない、くっすん。

 ひつまぶしの食べ方:1膳目は、そのまま。2膳目は、薬味を入れて食べる。3膳目はお出汁をかけて食べる。4膳目はお好みの食べ方で・・・。

 

 明治時代に出前をしていたとき、器を割って持って帰ることが多く、木製のおひつに変更したのが、ひつまぶしのはじまりとのこと。理由を聞いて、意外だなと河田アナ。

 また、ウナギから先に食べる客が多く、ご飯の食べ残しに悩んでいた店主が、ウナギを細かく切ってご飯に混ぜて提供したところ、好評を博した。こうして、おひつでウナギとご飯を混ぜるスタイルが完成した。

 

 令和の時代、コロナ禍でお店にある問題が発生した。2020年4月に発令された緊急事態宣言で、約1か月休業した。その間、ウナギの命とも言えるタレをどうするか、という問題であった。

 創業当時から約150年間継ぎ足してきたタレは、焼いたウナギをくぐらせることで、命を保ってきた。そこで、タレを駄目にしないように、鰻ちまきを考案した。当初は、お世話になった方々に配るだけだったが、商品化してほしいという声もあがり、今のところお取り寄せ限定で販売している。

 せっかくだから、2人は鰻ちまきも食べる。「最高です。」としかウマさを表現できない、くっすん。冷凍商品で、レンジで温めれば自宅で手軽に食べられるので、ぜひ食べてみてね。

 

午後3:10、贅沢な昼ご飯の余韻に浸りながら歩き、

スタートから9キロ、宮宿内にある、熱田神宮に到着。熱田神宮は約1900年前に、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀ったことに始まる。宮宿は、熱田神宮の門前町として栄えた。境内の広さは、約60,000坪=甲子園球場3個分。コロナ対策の手水(柄杓を使わない)で手と心を清め、まずは本宮をお参りする。

 

 歌川広重が描いた宮宿の浮世絵には、熱田神宮の鳥居が描かれている。本宮の前で、フリップで浮世絵を確認する。絵の右側に紅い鳥居が大きく描かれている。この鳥居が、本宮から北へ2キロの場所にあった、旧・一の鳥居だといわれている。今は鳥居はなくなっていて、石碑が残っている。

 

 浮世絵の中心に描かれている馬を連れた男衆は、毎年5月5日に行われていた、『馬の塔』と呼ばれる行事の参加者である。熱田神宮の他にも尾張地方周辺で行われ、雨ごいや五穀豊穣の祈願のお礼に馬を奉納したと伝わる。

 ハッピを着た10人ほどの男たちが、みんなで1頭の馬を綱でひいている。手前と奥とで、男衆の来ているハッピの柄が違うので、町ごとに分かれて競いあっていたのかもしれない、と河田アナ。

 

 せっかくだから、熱田神宮文化殿(宝物館)で刀を拝観する。人間の背丈より長い、その名も『末之青江(真柄太刀)』。

 

 熱田神宮の岡地さんに解説していただく。

 刀身約2.2メートル、柄の部分約1メートル=全長3.2メートルのロングロングサイズ。重さも、約10キロとヘビー級。

 「ホントに戦に使ったりできませんよね?」と河田アナが聞いてみると、1570年の姉川の合戦にて、戦国武将の真柄十郎左衛門が実際に戦場で使ったと伝わる。にわかには信じがたいので、「ホントっすか?」と河田アナが聞いてみると、「本当のようです。」と小声で答える岡地さん。

 

 真柄十郎左衛門は身の丈2.1メートルとチェ・ホンマン級なので、あるいはもしかしたら・・・。くっすんは、鬼滅の刃に出てきそうで、刀剣女子がいっぱい来るかんじだとコメント。

 

 おしまいに、岡地さんに宮宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。

 

午後4:10、沈みゆく太陽を見て、一日の早さを実感しながら歩き、

スタートから10キロ、目標地点の『宮の渡し公園』に到着。江戸時代は、東海道を歩く旅人たちが利用した、船着場があった。宮宿~桑名宿までは船で移動する、東海道唯一の海路なのだ。距離にして7里(約28キロ)の海路を、江戸時代は4~6時間かけて進んだ。

 あくまで『東海道五十三次の旅』なので、次回は船に乗りますと河田アナ。一応、エンジンはついているらしい・・・。

 こうして、東海道五十三次・41宿目の宮宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート
スタート:愛知県名古屋市・鳴海宿 [本陣跡] →『一十珍海堂』(2km) →『笠寺一里塚』→『笠寺観音笠覆寺』(3.5km) →『ブラザーミュージアム』(7km) →昼食:『あつた蓬莱軒 本店』(8km) → 宮宿 → 熱田神宮 (9km) → 熱田神宮文化殿 (宝物館) → 目標地点:『宮の渡し公園』(10km) 

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の特別編『大阪』のまとめ。
 

 2020年12月25日(金)放送 

 

旅の内容:●東海道五十七次?!▲自力で舟旅はツライよ■をもってを制す


スタートは大阪府大阪市中央区・八軒家浜。目標点は中央区道修町・少彦名神社。約6キロ(舟2キロ+歩き4キロ)のコース。

午前9:00、大阪府大阪市中央区、八軒家浜からオープニング。寒さで心臓が痛いと、くっすん。河田アナの手元の気温計は、5℃を示す。

 

八軒家浜は、大阪市を流れる、大川の船着場。江戸時代に、京都と大阪を結んでいた、旧淀川を往来していた船の終着点だった。また、歌川広重が浮世絵で描いた場所でもある。

 河田アナが、東海道五十三次のその後を解説する。

 東海道は全部で五十三次といわれているが、実は五十七次だった。2人の最終目的地点・京都『三条大橋』から、大阪『高麗橋』まで東海道が続いている。

 

 東海道が整備された頃(1601年)、徳川幕府は大阪で健在だった豊臣家を恐れて、大阪まで道を伸ばせなかった。

 しかし、『大阪夏の陣』での大阪城落城(1615年)をきっかけに、東海道を大阪まで延長することになった。新たに4つの宿場・(伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿)を設け、(53宿+4宿=)東海道57次といわれている。

 

 青空の下、大川沿いを歩く。せっかく大阪を歩くので、舟を使ってみることに・・・。川岸にかっこいいカヤックが用意されている。関西各地でカヤックツアーを企画し、道具のレンタルも扱っている、『カヤックコウノトリ』さんにご協力いただき、昔の人と同じように人力の舟の旅に挑戦。ただ風が、正直ちょっと強い

 

 陸上でこぎ方を教わり練習してから、いざ出航。出発したカヤックが向かう先は、2キロ先の船着場。

 気持ちいい舟の旅を、満喫する河田アナ。天神橋の裏側はかんな感じになっているのかと感心しながら、スイスイと進んでいく。

 一方、要領の悪いくっすんは思うように進めず、はるか遠くに河田アナの背中を眺める。

 

 中之島中央公会堂にぐんぐん近づき、川から見上げるアングルを楽しむ河田アナ。そんな河田アナに、オール操作のコツを掴んできた、くっすんが追いつく。

 昔は30人ぐらいの旅人の乗った船を、4・5人の船頭が人力で操船していたと河田アナの解説。

 

 舟に乗って15分、くっすんは歌う余裕がでてくる。風にもてあそばれ、2人のカヤックが接近、あやうくぶつかりそうになる。

 

 人力で舟を動かす大変さを実感し、ようやく船着場に到着。陸に上がるや否や、「付け根、痛い。」と、くっすんの一声。着けていたカッパのズボンは、付け根辺りが派手に破れている。河田アナは、両腕が乳酸地獄。

 

午前10:10、舟より歩く方が楽だと、つくづく思いながら歩く2人。

 

船着場から歩くこと500メートル、スタートから2.5キロ、大きな大きな1つの米粒のオブジェのある、『堂島米市場の跡』に到着。堂島米市場とは、大阪に運ばれた年貢米の相場を決める、取引が行われた市場のこと。大阪では堂島付近で市場が開かれ、そのどんちゃん騒ぎが広重の浮世絵(堂じま米あきない)にも描かれている。

 

 堂島米市場の浮世絵について、大阪浮世絵美術館の山本さんにお話しをうかがう。

 たくさんの人物が、生き生きと描かれている。広重は細かい描写が得意で、人々の顔をじっくり見ると、怒っている人とかのんびりとしている人とか、細かく描き分けられているのが分かる。

 その昔、大阪の三大市と呼ばれる市場があった。『天満の青物市』・『雑喉場の魚市』そして『堂島の米市』で、大阪の風景の代表として堂島を描いた。

 

 米の取引は、みな熱気を帯びて行い、市場が終わってもいつまでも、わちゃわちゃしている人もいる。そんな人に取引終了を知らせるために、桶を持った人がひしゃくで水をかけて熱気を冷ませ、帰るように促した。そんな水かけ部隊も描かれている。「関西っぽいな。」と河田アナ。

 広重は他にも、『雑喉場の魚市』・今宮の十日戎・天王寺の安井神社・道頓堀など、大阪のにぎわいを描いている。

 

午後0:15、お昼ご飯を食べる店を探す。すると、スタッフさんが自身のオススメする、ラーメン屋の情報をくれる。ラーメンの出汁が鯛とのことなのだが、進行方向から真逆に1キロほど外れる。

 

 せっかくだから、オススメのラーメン屋へ、GO。お昼真っただ中なので、大行列。

行列に並ぶこと30分、『鯛坦麺専門店 抱きしめ鯛』にて昼食。

 くっすんは冬季限定の『フォアグ・ラ・メン』を食べる。フォアグラと鯛からとれた出汁スープが特徴で、丁寧に焼き上げたフォアグラもトッピングされた、豪華なラ・メン。どんな味してるか忘れてるフォアグラは、レバーをめちゃくちゃ美味しくした感じだとくっすん。またスープはカルボナーラの中に、鯛がいっぱい泳いでる感じ。

 河田アナはお店の定番メニュー・『鯛坦麺 ランチセット』を食べる。鯛坦麺と鯛めしのセットで、愛媛県宇和島産の真鯛を使用している。

 

午後2:00、道修町をゆく。昔から薬問屋が多い。この町で新薬の効果・効力を検査して、全国に送られた。

 

スタートから6キロ(カヤック2キロ+歩き4キロ)、目標地点の『少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)』に到着。1780年に創建されたお寺で、医学の神を祀る疫病退散の神社。

 

 昔の人が見舞われた流行り病について、宮司の別所さんにお話しをうかがう。

 文政5(1820)年にコレラが大流行した。トラとオオカミが同時に襲ってくるほどの脅威から、虎狼痢(ころり)の当て字がある。

 多くの人を苦しめた伝染病に、特効薬として『虎頭殺鬼雄圓(ことうさっきおうえん)』という丸薬が用いられた。虎の頭の骨をつぶして、他の薬と混ぜて丸めたお薬。

 

 病名と丸薬ともに虎の文字が入っていることから、虎で虎を倒すという意味をこめて、丸薬といっしょに張り子の虎のお守りを配った。そこから、少彦名神社では虎を家内安全・無病息災の象徴として祀っている。

 「コロナ自体がよく分からないものだから、神様に救いをもとめちゃうってのはありますよね。」と河田アナ。

 「気持ちだけでもシャンとしてたら、免疫力が上がるような気もしますので・・・。」とくっすん。

 「お守り持ったから、治るとかうつらないじゃなくてですね、持つことによってですね、3密を避けて手洗いうがいをよくして、できるだけかからないようにしましょう、という意味合いで、きっと持たれてると思いますね。」と宮司さん。

 

 最後に、コロナ撃退とくっすん・河田アナ・みんなの健康を願った、ご祈祷をしていただいた。

 

■簡易チャート
スタート:大阪府大阪市中央区・八軒家浜 → カヤック → 船着場(2km) →『堂島米市場の跡』(2.5km) → 昼食:『鯛坦麺専門店 抱きしめ鯛』→ 目標地点:『少彦名神社』(6km) 

 

MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』40宿目のまとめ。

【40宿目・前編】 2020年12月04日(金)放送 

 

旅の内容:●池鯉鮒宿 → 鳴海宿 ▲仲の悪いお墓?!■歯応えのあるご当地うどん★今も続く?!桶狭間の戦い


スタートは愛知県知立市・藤田屋。目標地点は名古屋市・鳴海宿。約14.5キロのコース(前編)。

 

午前8:00、愛知県知立市にある、藤田屋本店の前からオープニング。本日も晴天なり。ここ最近は、お天気に恵まれている。今回のロケは、知立市~刈谷市~豊明市~名古屋市へと入る。名古屋と聞いてテンションのあがるくっすん。

 

寒さにぼやきながら歩くこと、1.5キロ、愛知県知立市から刈谷市に入る。

 

スタートから3キロ、珍しいお墓がある、洞隣寺に到着。1580(天正8)年に創建されたお寺。さっそく、境内の墓地にある不思議なお墓の元へ、ご住職の野場さんに案内してもらう。

 

 『中津藩士の墓』で、江戸時代中期に建てられた2つの墓石。中津藩士が中津藩士を斬りつける事件が起こったという。それを聞いたくっすんは、中津藩士らが飲みに行って「お前、ココがあかんやろ。」って駄目出し会になった挙句に事件が起こったのでは?と見当をつける。

 正解は、2人の中津藩士同士が、1人の女性を取り合ったのが原因と言われている。参勤交代の帰り道で、激しく斬りつけあった結果、相打ちになって双方命を落とした。

 

 哀れに思った当時の住職が、2人を供養した。2つのお墓が仲良く?並んで建てられた・・・が、生前のお互いの恨みからか、2つのお墓が遠ざかるようにだんだんと傾いていった。河田アナとくっすんが実際のお墓を見てみると、確かに離れようとしているようにみえる。

 さらに、何度お墓の傾きを戻しても、また傾くという。何度直しても離れていく2つのお墓を、町の人に”中津藩士の祟り”と恐れられた。最近のお寺の整備でも直したけど、やっぱり傾いてしまった。「あの、いっそのこと、(2つのお墓を)離したらどうですか?」と河田アナが提案する。あの世でも2人の争いは続いているのかもしれない・・・。

 

午前9:20、江戸時代の名物・『いもかわうどん』を復活させたお店へ向かう。イモが入っているうどん・・・ではなく、この辺りの地名・”芋川”に由来する。

 

スタートから4キロ、『きさん』にて早めの昼食。店主の都築さんが、さっそく冷たい”いもかわうどん”をもってくる。

 麺は真っ白ではなく、薄茶色をしている。江戸時代は今みたいに製粉技術が発達してないので、小麦の皮が混ざった茶色の麺だった。

 町の名物がほしいと刈谷市の方から依頼を受けて、1年間様々な試行錯誤を重ね、完成させた。麺の特徴は、モチモチした食感と、小麦本来の味がダイレクトに感じられること。

 

 とーっても噛み応えがあり、普通のうどんではのどごしが重視されるが、いもかわのうどんはよく噛んで食べるべし。くっすんがピザの生地っぽいと言い、店主さんも否定しない。河田アナは「違うなら違うって、言うてくださっていいですよ。」と、ピザ感を全否定する。

 

 いもかわうどんを堪能した後、同じ麺を使ったメニューをいただく。くっすんは『味噌煮込みうどん』を、河田アナは『平成版 キジメン』を食べる。

 味噌煮込みは、八丁味噌をベースに、天然のカツオだしとムロだしを合わせた看板メニュー。煮込んでいるので、歯応えがモチモチ感になった、とくっすん。「うみゃぁーです。」と名古屋弁が思わず出る。

 キジメンは、発売当初は雉肉を使っていたが、現在は入手困難なため鶏肉を代用している。キジメンがなまって”きしめん”になった、という説もある。河田アナも、モチモチ感がアップしたと、くっすんと同意見。

 

午前11:40、雲一つない空の下、快調に歩き、

スタートから6キロ、愛知県刈谷市から豊明市に入る。

 

スタートから10.5キロ、『史蹟桶狭間古戦場』に到着。戦国時代におけるかなり重要な戦いなので、河田アナがくっすんに説明を求めると、「たぶん徳川と・・・、え~秀吉?」と当てずっぽうで答えられ、「全然違います。」とツッコむ。

 

桶狭間の戦い

1560年5月19日に起こった、織田信長 VS 今川義元の戦い。25,000の今川軍に対し、10分の1の兵力の織田軍が、悪天候を利用した奇襲作戦で、みごと勝利した。

 

 桶狭間は現在の地理では、豊明市と名古屋市のちょうど市境に位置している。それで、歴史の出来事として、豊明市で起こったのか、名古屋市で起こったのか、両者の言い分が分かれている。自分のところで起こったとそれぞれ主張し、もめているらしい。

 

 豊明市の『史蹟桶狭間古戦場』では、今川義元が本陣を構えたといわれる。一方名古屋市にある『桶狭間古戦場公園』は、今川義元が戦死した場所とされ、信長と義元の銅像が建てられた。お互い一歩も譲らない状況とのこと。

 

 桶狭間の研究をしている、豊明市の太田さんにお話しをうかがう。

 2回あった桶狭間の戦いのうち、本戦が豊明市の方であったという。歴史の教科書には、2回戦ったと書いてなかった気がする河田アナ。くっすんは、教科書を読んでないので分からない。

 

 桶狭間の戦いについて、古文書からまとめた屋外展示パネルの方へ移動し、太田さんに解説してもらう。

 1回目のバトルは、信長が今川軍の進路を塞ぐように、名古屋市の方へ兵を送りこみ、そこで戦った。兵力で圧倒していた今川軍は、本陣から次々に名古屋市方面へ兵を送りこみ、数に物を言わせた。

 実はこれは信長の作戦で、義元の本陣を空にするためだった。

 また、義元は信長を討ち取ったと勘違いして、宴を開くほど油断していた。

 

 2回目のバトルは、信長がチャンスを見逃さず、今川軍の本陣へ一気に攻めこみ、奇襲作戦で義元を討ち取った。

 

 太田さんの解説を聞いて、最初に戦ったのは名古屋だから、桶狭間の戦いが名古屋で行われたという意見もわからんでもない、と河田アナ。名古屋サイドと豊明サイドで、今まで話し合いはあったのか聞いてみると、ありませんとのこと。話し合いする前から、双方折れないだろうと思われるので、しない・・・。

 中立な河田アナが、桶狭間前半・桶狭間後半と分けるのはどうかと提案する。だがしかし、「向こうは向こうの言い分があるでしょう。」と、太田さんは聞く耳を持たない。

 

 スタッフさんが、事前に名古屋市の方にお話しを聞いていて、「これから新たな資料が出てくるかもわからないですし・・・。」と言っていた。だから、今も桶狭間の戦いは続いている、ということでまとめてはいかがかと提案する。

 そんな提案に対して、「我々は古文書にしたがってモノを言っております。資料も見つけております。」と、やっぱり一歩も引かない太田さん。現在も続く『桶狭間の戦い』を目の当たりにする河田アナとくっすんと、戦いに身を投じる太田さんであった。

 

 

 

【40宿目・後編】 2020年12月12日(金)放送 

 

旅の内容:●池鯉鮒宿 → 鳴海宿 ▲世界一の技法をもつ有松絞り■町家のカフェでまったりほっこり有松あるある言いたい


スタートは愛知県知立市・藤田屋。目標地点は名古屋市・鳴海宿。約14.5キロのコース後編)。

 

午後2:00、スタートから10.5キロ、愛知県豊明市から名古屋市へ入る。

 

昔ながらの街並みが残る、有松エリアを歩く。有松は、池鯉鮒宿と鳴海宿の間に設けられた、『間の宿(あいのやど)』。間の宿は、宿場間の距離が長いときに、旅人が休憩するために発展した町のこと。

 河田アナが早口言葉の如く、「(有松は、)重要伝統的建造物群保存地区。」と唱える。くっすんは、長くてオウム返しできない。

 

 有松の名物といえば、400年以上の歴史ある染め物、『有松絞り』。いろいろな形をした柄が特徴で、国の伝統的工芸品に指定されている。

 有松絞りの商品を常時販売している、『有松・鳴海絞会館』を取材する。お店の中で、きらびやかな有松絞りの浴衣を拝見する。

 

 有松絞りの特徴を、有松絞商工協同組合の理事長・成田さんにうかがう。

 模様を作る方法は、布を糸でしばったり折り畳んだりすることで、部分的に染色させず柄として浮かびあがらせる。技法の数だけ、柄の数があり、現在製造されている柄の数は、約70種類。これだけ技法が多いは、世界でも有松だけとのこと。

 基本的には、1人の職人で1種類の技法だけ用いる。職人たちは作業の質や効率を重視し、1つの技法を極め続ける。

 

 販売商品は浴衣だけにとどまらず、Tシャツなど現代風にアレンジされている。最近では、革を使った有松絞りの財布・サンダル・スマホケースなど販売されている。

 成田さんがつけている有松絞りのマスクは、今年の大ヒット商品。コロナを逆手にとって売り上げ倍増と笑顔を見せる。

 ならばと河田アナとくっすんは、たくさんの柄のあるマスクを物色する。ピンク色のマスクを手に取っていたくっすんは、『女性向けでしょうね』と言われて、「じゃ、ぼくつけちゃダメ?」と聞いちゃう。それぞれ悩みに悩んで、お気に入りのマスクを購入する。

 

 せっかくだからお店を出ると、プラスチックのマスクから買ったばかりのマスクにチェンジ。見た目はおしゃれで、フィット感もよくステキ。

 

 有松の町を歩いていると、ビックリするモノを見つける。とある建物の中をのぞいたら、赤い服を着て赤い顔をした、等身大のフィギュアが2体、どんと鎮座して目が合う。地元の守り神様で、猩々(しょうじょう)と天狗のコンビである。悪いことしとらんかとか言って、子どもには良い子にしろよとナデナデするとのこと。それを聞いて、「なまはげみたいですね。」とくっすん。ちょっと見た目が怖いので、そういう風に言われるみたい。

 猩々のヘアスタイルを見て、「昔の河田さんの髪型に、そっくりですね。」と指摘するくっすん。嫌がる河田アナ・・・と、参考までに20年以上前のロン毛の河田さんの写真を、編集でぶっこむスタッフさん。

 

 有松では、猩々と天狗が先導役をつとめて、大きな山車で東海道を練り歩く、『有松山車祭り』が、毎年10月第一日曜日に行われている(2020年は山車曳きは中止)。

 

 さらに有松の町を歩いていると、抜け目ないくっすんが、とあるカフェに目をつける。町家にあるカフェは絶対美味しいなどと主張し、素晴らしさを力説する・・・も、単に小腹が減ったから。

 

 てなわけで、『カフェ庄九郎』にておやつ&ティータイム。江戸時代後期に建てられた建物を、リノベーションしたカフェで、『藍抹茶セット』をいただく。

 江戸時代からあった『利休まんじゅう』、抹茶のセット。染め物の原料として有名な藍だが、実は漢方薬で、アクセントとしてお饅頭にちょこっと添えられている。お饅頭自体は、あんこを黒糖のようかんでコーティングした、黒光りする球体。

 

 河田アナが店主さんに、『庄九郎』の由来をうかがう。

 有松の町と絞りの伝統産業の開祖が竹田庄九郎で、店主さんの先祖にあたる。このカフェとして使われている建物が、庄九郎の本家のものだったとのこと。

 せっかく有松に来てもらっても、建物を外から見るだけでなかなか中には入れないので、本家の茶室を改装したカフェで、家の中も楽しんでもらおうとオープンさせた。

 

 お饅頭を平らげ、お抹茶を飲み干したくっすんが、抹茶のお替りを所望する。抹茶の量が少ないからという理由だが、「ちょっとずついただくものでしょ・・・。そんなもん、ジョッキで出てきたら困るで。」と作法を解く河田アナ。ともあれ、まったりとした時間と、心落ち着く空間を堪能した、河田アナとくっすんであった。

 

 再び歩き始め、

午後4:00、鳴海宿まであと1キロくらいの地点で、保育士さん2人と、カートに乗って散歩中のこどもたちに出会う。例によって河田アナとくっすんが、こどもたちにあいさつすると、全員泣き出して大パニックを引き起こす。なんとか泣き止んでもらおうと手を尽くすも、ダメだった。河田アナは、たいへん申し訳なく思う

 

 気を取り直して、広重の鳴海宿の浮世絵が描かれた場所まで移動し、待っていた『有松あないびとの会』の六鹿さんに、お話しをうかがう。

 鳴海宿の浮世絵の風景と今の風景を見比べると、大きく描かれている有松絞りのお店屋さん2件の構図が、よく似ている。なんで鳴海宿の風景を描かずに、有松の風景を描いたのかというと、その頃から有松絞りが有名だったからとのこと。よく見ると、浮世絵に”名物 有松絞”とちっちゃく書いてある。

 

 また、鳴海宿の浮世絵には女性が多く描かれている。カゴに乗っている女性、馬に乗っている女性、女性の旅人等々。当時の有松絞りは着物なので、女性に人気だった。有松絞りは、東海道を歩く女性の目当ての1つだったとされる。

 

 おしまいに、六鹿さんに鳴海宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。手形の裏には、『つまり有松』と意味深なメッセージが書いてある。意味が分からず、「逆から読んでみてください。」と言われ、読んでみれば、上から読んでも下から読んでも『つまりありまつ』だと気づく2人。

 

 有松を越え、

スタートから14.5キロ、目標地点の鳴海宿 [本陣跡]に到着。日本橋から数えて40番目の宿場で、宿場の全長が約1.5キロあり、本陣1軒と旅籠68軒が建ち並んだ。

 東海道五十三次-40=あと残り13宿。残りわずかですけど、まだまだ遠そうとくっすん。京都目指して、来週以降も頑張りましょうと河田アナ。まだまだたくさんの発見・出会いが待ってるよ。

 こうして、東海道五十三次・キリのよい40宿目の鳴海宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート
スタート:愛知県知立市・藤田屋 [本店] → 洞隣寺 (3km) → 昼食:『きさん』(4km) →『史蹟桶狭間古戦場』(10.5km) →『有松・鳴海絞会館』→『カフェ庄九郎』→ 鳴海宿の浮世絵が描かれた場所 → 目標地点:鳴海宿 [本陣跡] (14.5km)