MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』23日目~24日目のまとめ。

 

【23日目】 2018年10月18日(木)放送 

 

旅の内容:●三重県松阪市[山岳修行]★むかえら史上最恐の山岳修行!?

 

スタートは三重県松阪市・『うきさとむら前』バス停。目標地点は三重県松阪市・飯福田寺。約3キロ(+山岳修行4キロ)のコース。

 

午前8:30、三重県松阪市柚原町にある、ネコバスが来そうな『うきさとむら前』バス停からオープニング。「トットロ、トット~ロ。」と、ジブリ大好きなくっすん登場。さらに、「今日から河田さんのこと、サツキちゃんと呼んでいいですか?」とメイちゃん役のくっすん。

 

 柚原町はJR/近鉄『松阪駅』からバスで40分、人口約70人の山に囲まれた小さな町。今回は、このバス停から3キロの飯福田寺を目指す。目標地点までは短いが、そこから山岳修行で山をぐるりと一周するので、長丁場になる。岩登りの難所があると聞いたくっすんは、「一番僕が不得意な分野ですね。」とコメント。河田アナに「まあ、あなた逆に何が得意なんでしったけ?」とお約束のツッコミを受ける。

 

 まずは、バス停から50メートルの飲食店に立ち寄る。1992年に開店した『うきさとむら』で、柚原村唯一の飲食店。道中に食べるお店はないので、予約していたお弁当を受け取る。

 朝から作っていたお弁当の中身は、松阪市のグルメ盛りだくさん、中でも味噌ダレの鶏焼き肉は人気の一品。2人はお店の代表から、綺麗に風呂敷で包まれたお弁当を手渡してもらい、お昼が待ち遠しい。

 

 ロケ日の天気予報は、曇り時々雨。雨が降らないことを祈りつつ、飯福田寺を目指し北へ歩く。色づきはじめたモミジや実った柿に、季節の移ろいを感じる。柿を見て、「柿食う、柿客・・・なんかありましたよね・・・。」とくっすん。河田アナが「隣の客は、よく柿食う客だ。」と早口言葉を即答。

 

 くっすんは「今日は人に会わなさそうですね。」と感じる。案の定、誰と出会うことなく歩くこと20分、

スタートから1.5キロ、側溝に久しぶりに蛇を発見し、都会っ子の2人は道の端から飛びのいてビックリと声を出す。蛇を見てかわいいとくっすんは言うが、見るからに毒をもってそうなフォルム。

 

さらに歩くこと20分、山の上に修行場の難所が見える。ポッコリと外に突き出た巨岩の上に登る行場とスタッフさんに知らされ、危険や恐怖のハンパなさに目を見張る2人。

 

スタートから3キロ、午前9:40、目標地点の飯福田寺(いぶたじ)に到着。ここまで、出会ったのは蛇1匹と寂しい。平安時代に創建された真言宗のお寺で、その修行場・伊勢山上は701年に役行者が開き、100日間修行したとされる。

 

 今回修行に同行してくれる修験者の福森さんに、伊勢山上の修行についてうかがう。

 行場は全長約4キロで、これ以上厳しい行場は全国でもあまりないとのこと。普通の人以下の体力のくっすんが耐えられるのか聞いてみると、「厳しいですね。」ときっぱりおっしゃる。くっすんは深刻な顔になるが、「修行の道を与えられたということは、非常に幸せなことです・・・。」と諭され、進むほかない。

 弱気なくっすんは御守に、福森さんから修験者の装備品・袈裟と引敷を借りる。

 

 いよいよ、伊勢山上での山岳修行開始。

 スタートは標高210メートルで、前半2つの難所があり、標高380メートルの山頂を経由し、山を下りてくる途中に、後半さらに2つの難所が待ち構える。

 

 始めに、伊勢山上の麓にある薬師堂で、修行の無事達成を祈願する。

 

午前10:30、薬師堂の横にある入口から入山する。歩きながら、伊勢山上での修行の目的をうかがう。それは深山幽谷に分け入って、自分の煩悩を克服し身体を鍛えて、他人を助ける修験者になること。

 

山に入ってから400メートル、小さな祠・女人堂に着く。その昔、伊勢山上は女人禁制で、女性はここまでしか登れなかった。

 お堂の真横にあるのが最初の難所・『油こぼし』。高さ30メートル・傾斜60度の、油をこぼしたように滑る岸壁を、鎖を握って登る行場。これを登りきれば、真の行場の入口を認められたことになる。

 

 思った以上に角度がきつく、凹凸の少ないすべすべの岩壁は登りにくい。昔は鎖を使わず修験者が登っていたが、明治時代に女性にも行場が解放され、鎖がとり付けられた。

 鎖を登りはじめて5分、河田アナが崖の上に到着。さらに3分、くっすんも到着。崖の上は、突端に役行者の像が建ち、周囲の山々が見える。

 

山に入ってから500メートル、突き出た巨岩・鐘掛岩の下にある『岩屋本堂』に着く。江戸時代に建てられたお堂で、役行者を祀る。この場所で、役行者が100日間の修行をしたと伝わり、2人が飯福田寺到着手前で仰ぎ見たハンパない行場。お堂におわす役行者像に、格子越しに修行の達成を祈願し、まずは右手にある登り口を登る。

 

 高さ8メートルの岩壁を、ボルダリングの要領で岩の突起を手がかり・足がかりに登っていく。2人は普通の運動靴を履いているが、硬い登山靴よりかえって登りやすいそう。

 命の危険もある行場なので、2人は命綱をつけて登る。まずは河田アナから。登りはじめて3分、身体能力がやや高く高所も苦にしない河田アナは、詰まることなく岩壁を登る。しかし、くっすんが登れるかと心配になる。

 続いてくっすんの番。足の置き場が分からず、なかなか登れない。河田アナと福森さんにアドバイスをもらいながら、ちょっとずつ登ること5分、恐怖心に打ち克ち岩壁をクリアする。

 

 安堵するのもつかの間、続いて雨も降りだすなか、鐘掛岩の12メートルある垂直近い岩壁を、鎖を握って登る。しかも、下を見れば高さ50メートルの絶壁で、落ちたらひとたまりもない。やはり河田アナから。鎖に掴まって最初の一歩は、バランスがとれず進めない。昔の修験者は、鎖も使わず登っていたというから驚嘆するほかない。進み方のアドバイスを受けながらなんとか登りきり、安堵のため息をつく。

 そして、心配なくっすんの番。河田アナと福森さんに激励されながら、またも恐怖心に打ち克ち岩壁をクリアする。鐘掛岩のてっぺんで「よっしゃー。」と叫び、恐怖感や達成感などで、涙と鼻水が溢れ大号泣のくっすん。

 

 命を懸けた修行を乗りきった2人は、鐘掛岩のてっぺんからご褒美の絶景を眺め、この修行を振り返る。今後の人生において、困難に直面したときに、この修行のことを思い出せば道が開けるであろう・・・とエンディングっぽいトークをする3人だったが、まだ伊勢山上の4分の1の地点であるというのが現実。笑っている福森さんと河田アナに、「笑いごとちゃいますよ。」とマジでツッコむくっすん。

 

午後0:25、山に入ってから600メートル、山頂を目指し、険しい山道を歩く。

 

午後0:35、山に入って初めて、平らな場所に出る。

 

午後0:50、山に入ってから1.5キロ、山岳修行定番の『六根清浄』の掛念仏を、福森さんの後に続いて唱える。

 

掛念仏を唱え初めて10分、疲れが溜まってきたくっすんの声が続かない。

 

山に入ってから2キロ、伊勢山上の山頂『大天井』に到達。標高380メートル。

 

午後1:05分、区切りのよい中間地点で、昼食。朝一で受け取った『仕出し弁当』を食べる。2段のお重で、ボリューム満点。人気ご当地メニューの鶏焼き肉をさっそくいただき、下鼓をうつ。ヨモギ・オオバコ・アザミ・ドクダミ・たんぽぽ・フキの薬草てんぷらは、さくさくで香り豊か。死ぬかもと覚悟した修行の後のご飯に、格別感謝するくっすんであった。

 

午後1:45、昼食を終え、山道を20分下る。足が滑りやすいので、カニの横歩きで移動する。

 

 左側は断崖絶壁で、足場が不安定な岩場を慎重に歩く。急な下り道が続く。

 

山に入ってから2.7キロ、後半1つ目の行場・『鞍掛岩蟻の戸渡り』に着く。足を滑らせないよう、小股で歩くことが大切。馬の背に鞍をかけたように見えることからこの名がつき、狭い岩場の上を歩いて渡る。鞍掛岩は、一番狭いところで幅1メートルしかなく、左右両側は滑落すれば大惨事の崖となっている。崖の下まで見えるので視覚的に怖く、恐怖心に打ち克って進む。

 

 鞍掛岩から、『蟻の戸渡り』へ続く。蟻が1列になって歩くような狭い岩場を歩き、やはり左右両側は滑落すればジ・エンドの崖。ここまで恐怖に打ち克ってきた2人は、だいぶ『良い修行』を積んできたので、割と平気に進む。だが、雨で岩場が濡れているので、慎重に歩く。

 

山に入ってから3キロ、後半2つ目の行場『小尻返し』に着く。行場であるとともに眺望が良く、日本屈指の絶景ポイントでもある。

 

 岩場の突端に立った2人は、数々の修行を乗り越えた者にしか味わえない、山々の織りなす絶景に大感動。河田アナは、「どんな4輪駆動の車でも、バイクでも、ココまでは来られないもん。人の脚じゃないと来れないよ。」とコメント。

 そして、とても苦労して登った鐘掛岩や岩屋本堂が小さく見える。よくあんな険しい場所を登ったなあと、しみじみ思う

 

 絶景を堪能した後は、後半最大の難所が待ちうける。高さ15メートルの断崖絶壁を鎖を握って下りる。昔の修験者が恐怖心で下りれず、小尻を返して来た道をもどったことから、小尻返しの名がついた。くっすんも引き返したいと言うが、3キロの道を戻るより1キロ進んだ方が楽な計算

 

 まずは河田アナから。下りることに全神経を集中し、バランスを崩さないよう慎重に下りる。崖は2段階になっていて、下にいる福森さんに指示を受けながら、7分かけて下へたどり着く。

 

 続いてくっすん。怖気づき、遺言のメッセージ?を伝えようと、スマホで妻に電話する。しかし繋がらず、「圏外や。」とうなだれる。10分かかってようやく覚悟を決め、鎖を持って下り始める。

 恐怖心と闘いながら半べそで下りていくが、背中のリュックからペットボトルを落とし、下で待っている河田アナの方へ飛んでいく。幸い中身は空で、当たらなかったけど、「わざとやろ。」と叫ぶ河田アナ。

 

 5分かけて1段目をクリア。2段目も、慎重にゆっくりゆっくり下りていく。そして、崖の下に着くと、「下りれた~。やった~。」と力いっぱい叫ぶ。福森さんが祝福のホラ貝を吹く。

 

午後3:50、全ての行場をクリアし、麓を目指す。

 

午後4:10、山に入ってから3.6キロ、元居ヶ原に着く。昔、山の神が住んでいた場所で、木々の隙間から岩屋本堂が見える。2人は修行の達成を感謝し、ホラ貝の音とともに、お堂に向かって手を合わせる。

 

午後4:25、伊勢山上から下界へ帰還。福森さんに満行を祝福していただく。

 2人は伊勢山上での修行を振り返る。ホントにドキドキするような危険な場所がけっこうあって、くっすんは人生で一番雑念が消えていた時間が長かったと思う。河田アナも同感で、ちょっとでも油断したり集中してなかったりしたら、足を踏み外して危険な目にあう。また、そんな危険な場所に追い込まれたからこそ、得るものがあるのかもしれないと感じる。

 

最後に23か所目の御朱印、飯福田寺の御朱印をいただき、23日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:三重県松阪市・『うきさとむら前』バス停 → 『うきさとむら』 → 目標地点:飯福田寺 (3km)  →【伊勢山上修行スタート】→ 薬師堂 → 女人堂 →『油こぼし』→『岩屋本堂』→ 鐘掛岩 →『大天井』(山頂) →『鞍掛岩蟻の戸渡り』→『小尻返し』→ 元居ヶ原 → 下界へ

 

 

 

【24日目】 2018年10月25日(木)放送 

 

旅の内容:●京都市山科区[写仏]▲閻魔大王に仕える敏腕弁護士?!■楊貴妃ゆかりのお寺で美人祈願★想いを込めて思い思いの小野小町を描く

 

スタートは京都府京都市中京区・菊野大明神。目標地点は京都市山科区・隨心院。約11キロのコース。

 

午前8:30、京都府京都市中京区の、法雲寺境内にある菊野大明神からオープニング。朝のお天気は快晴で、気温は22℃と快適。

 今回の修行は、写仏。ただし、仏様ではなく、『平安時代の絶世の美女』・小野小町を描く。くっすんはそれを聞いて、「小野小町ってめっちゃ意識高い系の方ですよね?」とイメージ像をもっている(そうかもしれない)。

 

 菊野大明神は室町時代に創建されたお寺で、小野小町にゆかりがある。本堂の中で、河田アナが小野小町を一途に愛した男の悲しい物語を語る。

 

小野小町を愛した男の無念

 深草少将という男が、小野小町に愛の告白をした。すると、「私の元へ百夜通い続けたら、愛を受け入れましょう。」と返答した。

 深草少将は雨にもマケズ、風にもマケズ、99日間連続で小町の元へ通い続けた。しかし、いよいよ100日達成かと思われた最後の日、大雪に見舞われ、寒さと疲労で行き倒れになり、亡くなった。

 

 深草少将が99日間通い続けたときに、腰をかけて休んだとされる石を、菊野大明神では御神体として祀っている。かつては深草少将の無念が宿る『縁切り石』として恐れられたが、御神体として祀ることで、病気や悪い人間関係など悪縁を断ち、良縁を結ぶ神様へ生まれ変わった。

 

 河田アナとくっすんは、御神体に手を合わせ、出発。

 

午前9:30、ジャージでも汗ばむロケ日和、鴨川沿いの遊歩道を歩く。そこで、自転車でおでかけしようとしている、18人連れのにぎやかな外国人集団に出会う。イギリスからの観光で、日本中を回っているとのこと。これから金閣寺にいく予定。

 話しをうかがった男性は、秋葉原のメイドカフェにも初めて行ったそうで、とても面白かったらしい。

 

午前10:25、スタートから2.5キロ、六道珍皇寺に到着。平安時代初期に創建されたお寺で、”六道の辻”に建てられたことから名付けられた。六道とは天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つの世界を表し、その辻は6つの世界の分岐点に当たる。

 

 六道珍皇寺には、小野篁が祀られている。篁は、小野小町の祖父とも叔父ともいわれ、嵯峨天皇を始め4代の天皇に仕えたエリート官僚。

 それは表向きの顔で、実は閻魔大王に仕える役人でもあったとされる。昼に朝廷で働き、夜は地獄で仕事をしていた。篁は六道珍皇寺の境内にある井戸から、地獄へ通勤した。地獄行きは『冥土通いの井戸』、帰りは『黄泉がえりの井戸』で現世に帰ってきた。

 

 ご住職の坂井田さんに案内され、室内で『極彩食篁卿六道遊行絵図屏風』を拝観する。CGをつかったデジタルな屏風絵で、京都在住の若手アーティストコンビである、だるま商店さんの作品。小野篁の生涯を、カラフルに描いている。

 篁は閻魔大王の横に描かれ、忙しそうにしている。篁は地獄で、死者の罪が軽くなるよう、弁護士を務めていた。

 

 歴史あるものを最新の技術で表現することで、視覚的に分かりやすく、若い人にも関心を持ってもらえるとご住職。

 

午前11:45、スタートから5キロ、小野小町とともに世界三大美女に数えられる、楊貴妃ゆかりの泉涌寺に到着。平安時代末期に、藤原緒嗣神修上人に山荘を与えた。その山荘がお寺の起源とされる。

 皇室からの信頼が厚く、四条天皇後水尾天皇の菩提寺である。皇室との関わりの深さから『御寺』とも称される。

 

 泉涌寺の舎利殿には、中国から伝わったお釈迦様の歯を祀っている。

 同じく中国から伝わったとされる、仏様が祀られている。執事の渡邊さんに案内してもらい、楊貴妃観音堂にて楊貴妃観音像を拝観する。

 

 楊貴妃は唐の玄宗皇帝の妃で、『安禄山の変』で殺された傾国の美女。楊貴妃の死を悲しんだ玄宗は、その姿を観音像に彫らせたと伝わる。楊貴妃観音像は、男女を問わず美人になるご利益があり、河田アナとくっすんもお堂から出たら、別人になっているとのこと。

 2人は観音様に美人祈願をして、泉涌寺を後にする。

 

午後1:00、くっすんの腹時計がペコペコと示す。とりあえず歩きながら、お昼ごはんを食べる店を探す。

 

午後1:05、だがしかし、一行は稲荷山(標高230メートル)の中へ分け入る。「こんなところにお店はなさそうやね。」と河田アナ、くっすんも「ラーメン食いてぇ。」とぼやき始める。2キロにわたって山道を進む。

 

午後2:00、山道を抜け、京都市山科区へ入る。

 

スタートから7.5キロ、地元の方にオススメのお店を聞くと、近くにある『うどん村』を紹介してもらう。

 

 自販機で飲み物を買って取り出し口から出せないおかあさんから、取り出してほしいと頼まれる。くっすんがフラップドアの隙間から取り出そうとするが、引っかかっているのはホットの飲み物で、熱くて苦戦する。少々てこずったが、隙間を手で押し広げて、無事おかあさんに渡し、ハグし合うくっすん。

 

 おかあさんから感謝のお言葉をもらい、歩くこと5分、

午後2:30、『うどん村』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『スタミナうどん』を食べる。具はすじ肉・天かす・ネギ・ワカメ・キンピラ・生卵。

 2人がうどんに口をつけようとした矢先、撮影が目新しいのか、オーナーさんの息子さん登場。お腹が空いてないか、食べていいかと確認してから、うどんを勢いよくすすり、空腹を満たす。

 

スタートから歩くこと約7時間、 

午後3:45、スタートから11キロ、目標地点の修行場・隨心院に到着。991年に創建されたお寺で、宮仕えを終えた小野小町が余生を過ごしたといわれる。境内には、小町が化粧に使った井戸や、生涯にわたって送られた1,000通もの恋文を祀った文塚が残っている。

 百人一首にも選ばれた小町の和歌 (花の色は 移りにけりないたづらに  わが身世にふる ながめせし間に) は、隨心院で詠まれたといわれ、境内には歌碑が建つ。

 

 室内にて、今日すでに似た絵を見た覚えがある、カラフルな襖絵を拝観する。CGをつかったデジタルな襖絵で、件のだるま商店さんの作品・『極彩食梅匂小町絵図』。小野小町の一生を、4枚の襖に分けてカラフルに描いている。

 

 襖絵の前で、金尾さんに写仏についてうかがい、別室で手ほどきを受ける。一般的な写仏では、仏様のお姿を写すが、菅原道真のように人々から信仰を集める偉人も、写仏の対象になる。今回は小町さんに思いを馳せながら描くことで、彼女の功徳をいただく。

 

 畳の部屋で机を前に座り、写仏の修行を開始。

 筆を使う前に、身口意(体・口・心)を清める。まずは墨を磨り、心を落ち着けることで精神を集中させる。続いて、掌の上で花びら型の容器を指で叩き、お香を出して手に塗り、身を清める。さらに、般若心経を唱えて口を清める。

 

 ここから、手本になる小野小町の下絵に紙をかぶせて、トレースしていく。仏画用の細い筆ペン1本のみで描くので、線の太さが定まらず難しい。美しい線を引くには、雑念を捨てて集中しなければならない。慎重な河田アナは、描き直しできないので失敗しないよう、ゆっくりと筆を進める。

 

 一方、ダイナミックなくっすんは、筆に迷いがなく、驚異的なスピードで描き進める。くっすんの描き方を、河田アナはテキトーと表現し、金尾さんは自信ハツラツと表現する。本人は「一心不乱に描いてるだけです。」とおっしゃる。

 髪の毛の一本一本まで丁寧に描く河田アナに対し、くっすんは豪快に黒髪をベタ塗りする。

 

修行開始から30分、見本絵の小野小町のお顔は輪郭・眉・目・鼻・口が細いので、力加減を調整して筆先のみを使い、特に注意を払いながら描く河田アナ。一方のくっすんは、顔の部分であろうとなかろうと全く筆に迷いなく、線を入れる。自分が描いた小町のお姿を見て、「美しい。」とつぶやく。

 

修行開始から1時間、くっすんの絵が完成。まだまだ全仕上がってない河田アナは、「はやぁ。」と驚嘆する。動揺した河田アナは描くペースを上げつつ、より集中力を高め、目を血走せながら悔いの残らないように仕上げる。

 

修行開始から1時間30分、

午後6:00、河田アナの絵が完成。

 

 くっすんは自分の想いをしっかりと込めて、しっかりとした線の作品となった。一心不乱さが、驚異的なスピードを生んだという。ちちんぷいぷい司会就任という願いを込めて・・・。そろそろヤマヒロさんからくっすんに世代交代のときだと、くっすん。河田アナが「ヤマヒロさんへの挑戦状ですな。」と解釈すると、どこまで本気か分からないけど、「まあ、そうとも捉えていただいても結構です。」と応える。

 

 河田アナは家族の健康を願って、なるたけ繊細な細い線で描いた。本物の墨と筆で描くのは、線が思った通り引けず、苦労した。

 

 おしまいに、金尾さんの総括。

同じお手本でも描かれる方によって、どういった小野小町さんになるかっていうのは、その人の心持ちっていうものが、そのまま表れるものなのかもしれません。

 

最後に24か所目の御朱印、隨心院の御朱印をいただき、24日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市中京区・菊野大明神 [法雲寺境内] → 六道珍皇寺 (2.5km) → 泉涌寺 (5km) → 稲荷山 → 昼食:『うどん村』→ 目標地点:隨心院 (11km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』21日目~22日目のまとめ。

 

【21日目】 2018年10月04日(木)放送 

 

旅の内容:●東京都大田区[土仏]うら若き乙女の観音様■世界中で人気?!47RONIN★仏様を作る修行で慈悲が広がる

 

スタートは東京都港区・芝公園の増上寺。目標地点は東京都大田区・本寿院。約11キロのコース。

 

午前8:00、東京都港区・芝公園にある、増上寺大殿前からオープニング。「お江戸でござる、くっすんです。」と大阪から走ってきたていであいさつ。大殿の後ろには東京タワーがそびえる。「なんか東京タワー見ると、東京って感じがしますねぇ。」とくっすん。ロケ日の天気予報は雨時々曇りで、最高気温21℃。

 

 今回の修行は『土仏』作り。粘土をこねて、仏像を作る。くっすんは粘土細工が得意だそうで、今まで粘土で皿を作ったこともあり、期待が持てる。

 

 とりあえず、増上寺でお参りする。1393年に創建され、徳川家康によって現在の場所へ(千代田区→港区)移された。

 

 また、増上寺は徳川家の菩提寺で、徳川将軍家墓所を拝観する。立派な墓石が並ぶ墓所には、徳川将軍、2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂のお墓がある。

 家康が増上寺を移転させた理由は、江戸城から見て南西の方角へ増上寺を配し、裏鬼門を封じるためとされる。歴代の将軍たちが江戸を護っていた。

 

 重文の三解脱門から出て、いざ出発。

 

 スタートと同時に小雨が降り、先行き不安。幸い、30分もたたずに雨は止む。

 

午前9:45、スタートから2.6キロ、魚籃坂を下り、魚籃寺(ぎょらんじ)に到着。1652年に創建されたお寺で、江戸三十三所観音霊場第二十五番札所。魚籃とは、魚を入れるカゴのこと。

 中国が唐だった時代、観世音菩薩が姿を魚売りの乙女を変えて、魚を入れた魚籃を片手に仏教を広めた。くっすんは河田アナのそんな解説を聞いて、魚売りの乙女をマーメイドと間違える。

 

 ご住職に案内してもらい、珍しいお姿の魚籃観音(お前立ち)を拝観する。魚籃寺の御本尊は秘仏のため、平素は身代わりの『お前立ち』を公開している。数々の仏像を拝観してきた2人にとっても、見たことのないような出で立ちである。

 

 魚籃観音はの時代の女性の、服装や髪形をしている。

 左手は、着物の裾を持ち上げていて、下に着ている袈裟がのぞいている。袈裟を見せることで、自分は仏だと示している。

 乙女の姿のため、女性の信仰を集め、江戸時代は大奥からの参拝者もあったといわれる。観世音菩薩は変幻自在、人々がそれぞれに望む姿に変化するので、若き乙女の姿を望む人々を魚籃観音が導いてきた。

 

 右手は、1匹の魚をのせた魚籃を持っている。くっすんには、その魚がイワシに見える。ご住職は、「イワシでもいいし、メダカでもいいし、クジラでもいいし・・・。」とおっしゃる。魚籃の上の魚も、見る人の望む姿に変わるし、観世音菩薩の変化には、質量や大きさにはとらわれないようだ。

 

 ご住職とともに魚籃観音に手を合わせてから、2人は魚籃寺を後にする。

 

午前10:30、スタートから3.3キロ、住宅街の真ん中にある、泉岳寺(せんがくじ)に到着。境内には武士の銅像があり、河田アナがくっすんに誰か分かるか聞くと、「松平健さん?」と答える。正解は大石内蔵助(ちなみに赤穂義士祭で、マツケンさんが内蔵助に扮したことがある)。

 

 泉岳寺は、1612年に徳川家康の命によって創建されたが、寛永の大火によって消失した。その後、3代将軍・家光が5人の大名に命じて再建させた。

 5大名の一人に、赤穂藩の浅野家がいて、泉岳寺は江戸での菩提寺になった。『松の廊下の刃傷沙汰』の責を負い、切腹した浅野内匠頭も、泉岳寺に葬られた。

 

 忠臣蔵の赤穂義士たちが眠る泉岳寺の境内を、お寺の方に案内してもらう。

 まずは、物騒な名前がついた『首洗い井戸』を拝見する。赤穂義士たちが吉良上野介邸に討ち入り、吉良の首をとった後、泉岳寺にある浅野内匠頭のお墓に、報告のために首をもっていった。首を墓前に供えるにあたり、首から出る血をこの井戸の水で洗ったとされる。

 そんな壮絶な歴史を知ったくっすん、「ここで頭をゴシゴシ洗ったんですか?」と怖がり、河田アナに「シャンプーみたいな言い方するなよ。」と怒られる。

 

 次に、赤穂義士墓地を拝見する。内蔵助のお墓に手を合わせ、どうして泉岳寺が義士たちの菩提寺になったのか、お話しをうかがう。内蔵助は自分が切腹か処刑された後、できれば主君の眠る泉岳寺の敷地に埋葬してほしいと言っていた。それを耳にした泉岳寺が、林だった場所を急きょ切り開いて、義士たちの墓地とした。

 

 現在では、お墓参りのために世界中から参拝客が訪れる。英語の得意な河田アナが、お墓参りに来た外国人にインタビューする。

 イタリアからきたカップルは、忠義に厚く勇敢な『47RONIN』の物語が大好きとのこと。「アリガトウゴザイマス。」と日本語であいさつしてくれた。

 ドイツからきた男性2人組も、ドイツと日本の文化の違いから、『47RONIN』にとても興味を魅かれている。忠臣蔵で特に興味深いところは、一人の男が死んだために、その後47人の男たちもハラキリで死ななくてはならなくなったというところ。

 

午前11:50、スタートから4.5キロ、昼どきで人の多い『JR五反田』駅前を通る。すると、関西出身の女性2人組に声をかけられ、大喜びするくっすん。朝からここに来るまで、誰も声をかけてくれなかったのだ。女性2人を立命館大学出身と知って、先輩の河田アナもテンションが上がり握手する。

 大学卒業後、東京の会社に就職したお二人、東京のテレビでは『ちちんぷいぷい』や吉本新喜劇を放送してないので、寂しいとのこと。

 

午後0:40、スタートから7.2キロ、直線距離にして全長1.3キロ、関東一長い商店街、『戸越銀座』を通る。歩きながら、地名の名前の由来を説明する河田アナ。江戸を出てこの地を越えると相模国に入るので、『江戸越えの村』と呼ばれ、略されて『戸越』となった。

 

 1923年の関東大震災の際、銀座で大量のレンガが瓦礫となった。そのレンガの瓦礫をもらい受けて、商店街の道路を舗装した。ついでに、当時の最先端をゆく銀座にあやかろうと、『戸越銀座』と名付けられた。これが全国300以上ある『あやかり銀座』の元祖とされる。

 

 せっかくだから、戸越銀座で昼食を食べる店を探す。修行場めぐり5日目 (2018年06月07日(木)放送)で、くっすんは東京の方々に昼ご飯を食べる店を聞きこもうとして、まったく相手にされず苦汁を飲まされた。数々の修行をこなし腕をあげたと言い張るくっすんは、そのリベンジとばかり、聞き込みを買って出る。

 

 返り討ちにあうのが目にみえているけど、案の定なかなか相手にしてくれない。小さなお子さん連れのおかあさんは、話しを聞いてくれたが、オススメの店は分からないとのこと。お子さんに「くっすんだよ。」と呼びかけたが、麦わら帽子を目深にかぶられスルーされる。

 

 敗色濃厚なくっすん、とあるお店から出てきた直後の女性たちに、オススメの店を聞いてみる。すると、流れでその店を勧められる。

午後1:00、くっすんがキラースマイル?を用いて取材O.K.をもらった、『戸越 やまなみ』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『まくろづけ丼(そば付)』を食べる。

 

午後1:45、昼食を終え、修行場まで残り3キロ。

 

スタートから約6時間30分

スタートから11キロ、午後2:45、目標地点の本寿院に到着。もとは滋賀県にある三井寺の塔頭寺院だったが、20年前に現在のご住職によって東京に分院し、独立した寺院となる。

 

 室内で、ご住職の三浦さんに『土仏』作りについてうかがう。粘土をひねって仏様を作る。笑顔が愛らしい仏様や不動明王のように怒った顔の仏様など、自分の心と向かい合って思い思いの仏様を作る。

 心を集中して仏様と向き合うことで、自分の悪いモノがどんどん外へ出ていって、自分の内の清らかな部分に気づく。

 

 ご住職は本寿院以外でも、全国10か所で土仏作りを指導している。実際に一般の人が作った土仏を拝見すると、細部まで作りこまれた本格的な作品が目立つ。

 

 ご住職に見守られながら、土仏作りの修行開始。粘土をこねる前に準備。最初に、お香の粉を口・額・体につけ身を清める、塗香(ずこう)を行う。続いて、左手に念珠をつけて、合掌し黙とうすることで心を静める。

 次は、用紙に祈願したいことを決めて記し、般若心経から一文字選んで書く。河田アナは心身健全を願い『無』の文字を選び、くっすんは子供の成長を願い『』の文字を選ぶ。

 

 河田アナは全然構想がまとらないまま粘土を手にとるが、くっすんはすでに自分の理想の仏様が心に浮かんでいると豪語する。河田アナは、出来れば背の高いキレイな仏様を作りたい。

 

 2人は粘土をこねくり回すが、表面がボコボコになって、なかなか滑らかに整わない。

 くっすんは、頭頂部のあたりを竹串でつついて無数の穴を空ける。そして、ご住職に何の仏様か聞かれて、お釈迦さまと答える。無数の穴は螺髪だと言い張るが、河田アナには全くそうは見えない。

 

 河田アナは指先で繊細に頭部パーツをこねていくが、自分の思い通りの形にならず、納得がいかない。土仏は手と竹串のみで形成していく。くっすんは竹串で大胆に頭部パーツの目や歯を彫りこむ。厳しい表情?で、子どものためなら鬼にも、仏にも神様にもなれるというイメージだそう。ご住職曰く、お不動様のように怒った顔の仏様は、がんばれよと言ってくれる応援団長。

 

 河田アナも徐々に心に描く仏様のイメージが固まってくる。お地蔵様のような繊細で美しい仏像をぼんやりと目指す。

 

ご住職の教えを受けながら、修行開始から1時間。

くっすんの土仏が完成。父親であるくっすんはお釈迦さまの姿で、右手に息子の入ったカゴを手にしている。そして、息子の大好きな鮭が、くっすんの足元に落ちているという構図。独創的な作品だが、「今日魚籃寺さん行ったからやろ。」と河田アナにパクリを指摘される。

 ご住職にくっすんの土仏を見ての感想をいただく。我が子を守ろうとするすごい心が入っていて、20年30年後、息子さんに「オヤジが俺のためにこうやって作ってくれたんだ。」と思いが伝わるだろう。

 

修行開始から1時間30分。

河田アナの土仏も完成。お地蔵様をイメージした土仏をご住職に見ていただく。すると、思わず手を合わせてくれた。

 河田アナの感想。わずかなへこまし方や線の入れ方の違いで、仏様の表情がガラッと変わる。何度も何度も顔を作り直すうち、少しずつ自分のイメージする表情に近づけていった。もっといろいろ作りたいと土仏作りにハマりそう。

 

 最後に、土仏を修行としての意味を、ご住職に語ってもらう。仏様を作り、その仏様にたくさんの人が手を合わす。誰かが嫌なことがあったときには、河田アナの仏様に「そうか、そうか。」と話しを聞いてもらう。誰かが落ち込んだときには、くっすんの仏様に「もっとがんばれよ。」と応援団長のように励ましてもらう。

 土仏を作る修行から出会いが生まれ仏様の慈悲がどんどん広がっていけば素晴らしいことになる。

 

 出来上がった土仏の背中に、一文字写経で選んだ文字と製作年月日・名前を刻む。仕上げは、お経を唱えて土仏に魂を入れる。

 その後、乾燥させてから窯で焼き上げ、約3ヶ月で完成する。

 

おしまいに21か所目の御朱印、本寿院の御朱印をいただき、21日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:東京都港区芝公園・増上寺 [徳川将軍家墓所] → 魚籃寺 (2.6km) → 泉岳寺 [赤穂義士墓地] (3.3km) → 『JR五反田』駅前 (4.5km) →『戸越銀座』(7.2km) → 昼食:商店街内『戸越 やまなみ』→ 目標地点:本寿院 (11km) 

 

 

 

【22日目】 2018年10月11日(木)放送 

 

旅の内容:●石川・白山比咩神社[禊]日本最大の磨崖仏を拝観■ラーメンが人気のうどん屋?!★100年前の地下水で身を清める

 

スタートは石川県白山市・守郷白山神社。目標地点は石川県白山市・白山比咩神社。約11キロのコース。

 

午前8:00、石川県白山市にある、守郷白山神社(もりごうはくさんじんじゃ)からオープニング。狛犬の台座のかげから「くっすんだよ。」と、ひょっこり登場。晴天の秋晴れで、気温18℃とロケ日和。

 

 今回の修行は禊(みそぎ)。神聖な水に浸かり、日ごろの罪・穢れを洗い清める。冷たい水に浸かるには、ちょっと寒い季節かもしれないが、2人は風邪をひかないよう、万全な体調で臨みたい。

 

 まずは、守郷白山神社で安全を祈願する。全国に3,000社ある城山神社のひとつ。

 

午前8:20、遠くを見れば山々が連なり、近くでは稲刈りシーズンの田んぼで、季節の移ろい感じる。

 今回目指す修行場は白山神社の総本宮で、歩いている方向に、神社の御神体である白山の稜線が、くっきり見える。

 

 白山は標高2,702メートル、石川・福井・岐阜・富山の4県にまたがる山。富士・立山とならび、『日本三名山』のひとつに数えられる。717年に、初めて白山に登ったのは泰澄大師で、頂上に奥宮を祀った。

 白山から流れてくる豊富な水は、地域の文化・産業を発展させ、麓に暮らす人々の生活を潤し、信仰を集めた。そんな河田アナの解説を聞いて、ウイスキーに白山というブランドがあるとくっすん。河田アナが白州(はくしゅう)と訂正する。

 

午前9:20、ご自宅前で、柴犬のユリさんとその飼い主さん夫婦に出会う。お家の前のプランターで、栽培しているさつまいもを収穫中。他のプランターでは、ダイコン・ホウレンソウも作っている。

 お父さんは77歳とのことで、「ラッキーセブンだ。・・・めでたいですね、おとうさん。」とくっすん、「いやあ、そんなめでたいことない。」と返される。

 

 河田アナが「でも、共通のそういう趣味(家庭菜園)があって、いいですね。」と聞くと、お母さんは収穫するだけで、もっぱらお父さんが育てているみたい。

 

 感じのいいご夫婦と別れた後、くっすんもツマと共通の趣味がほしいとおっしゃる。現在、基本はイチャイチャすることが共通の趣味?なので、それ以外の何かを見つけたい。

 

午前9:50、大自然をバックにはしる北陸鉄道の電車を、のどかに眺めつつ歩き、

スタートから4.5キロ、線路沿いにある畑を、運動がてらに世話しているおとうさんに声をかけてもらう。おとうさんの麦わら帽のヒモが顔面にかかっていたので、河田アナが気にならないかうかがうと、「歳いったら、なんでもいい。」と一応つけ直すが、そんな瑣末なことは気にしてない様子。

 

 お年をうかがうと、無言で、指を全て立てたまま、左手をひょいと挙げる。75歳?と聞くと、無言で、左手をすばやく挙げたので、85歳?とさらに聞いてみると、うなずく。85歳には見えない元気さに驚く2人。

 今度は趣味をうかがうと、無言で、両手を何かをもった状態で素早く上げ下げするジェスチャ―をする。くっすんが「剣道?」と聞くと、声に出して「釣り。」と答える。おとうさんのジェスチャ―クイズであった。

 

 そばにとめてある車から、いつも積みこんでいる釣り道具を見せてもらう。さらに車から、お友達が今朝持ってきたという”あけび”をもってきて、「これ、誰か食べろ。」とくれる。せっかくだから、その場でくっすんが美味しくいただく。あけびは初めてというくっすん、邪魔くさいと、種もいっしょに口に入れる。そして、おとうさんから種を噛んだら苦いと警告を受けるも、なぜか種子を噛んでしまい、とても苦い顔になる。

 

 最後に、くっすんがズボンのチャックが開いていることをおとうさんに教えてあげると、「年寄りの証や。」と照れながら閉めた。

 

午前10:30、スタートから7キロ、一閑寺(いっかんじ)に到着。1631年に創建された。

 ご住職の娘さんに、本堂の中にある磨崖仏を案内してもらう。建物に入るや否や、高さ8メートルもある磨崖仏の不動明王に圧倒される2人。自然の一枚岩に彫られた磨崖仏としては、日本最大とされる。磨崖仏は後ろが岩山と繋がっていて、磨崖仏の形に合わせて、後から本堂を建てた。

 

眼病封じの御不動様

 奈良時代に、泰澄大師は眼病に苦しむ村人のために磨崖仏を彫った。しかし、江戸時代後期にお寺が火災に見舞われ、磨崖仏も損傷した。

 そこで当時の住職が、石工の兄弟とともに磨崖仏の切り出そうとした。すると、兄弟はツルハシが折れたり、熱病にかかったりと良くないことが起こった。

 住職は霊石に魔除けの祈祷をおこない、改めて別の岩に磨崖仏を彫った。その完成には、3年3ヶ月を要した。

 

 今では、日本各地から参拝客が訪れ、その迫力に圧倒されている。2人もお不動様に手を合わせ、一閑寺を後にする。

 

午前11:20、白山比咩神社の最寄り駅・北陸鉄道『鶴来駅』の前に立つ。だが、お昼ご飯が食べられそうな、お店が全く見当たらない。

 地元のタクシーが1台待機していたので、オススメのお店を聞いてみると、駅の反対側にあるうどん屋さん・『こいしや』の情報を得る。人気メニューをうかがうと、ラーメンとのこと。

 

午前11:50、取材許可を得て、昼どきで満員の『こいしや』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『チャーシューメン』を食べる。河田アナがお店の方に、うどん屋であるか念を押して聞くと、よくそう聞かれるとのこと。

 さっぱりとしたスープで、うどん屋の人気ナンバーワンメニューがラーメンでも納得できる美味しさ。

 

午後1:20、遠足帰りの子供たちとすれ違う。そして、カラッと晴れた晴天の空を、気持良さげに飛びまわるトンボの群れと遭遇する。河田アナが、カメラマンさんに「上手に撮れる?」と聞くと、自信ないとのこと。秋らしいトンボの映像を視聴者の皆さんにお届けしたいところ。飛んでいる姿をカメラで捕えるのは難しいので、枝に止まっているところを、なんとかアップで撮影できた。

 

午後1:50、スタートから9.5キロ、伝統的な獅子を作っている、『知田工房』を取材する。40年近く加賀獅子を彫り続けている、2代目の知田さんに案内してもらう。 

 入口を入ってすぐ、玄関脇の畳に加賀獅子がズラリと並んでいる。知田工房では、飾り用やお祭り用の獅子頭の製作・修理を行っている。秋祭りのシーズンは、特に忙しい。

 

 加賀獅子は、1583年に初代加賀藩主・前田利家が入城した際に、演じた獅子舞で使ったのが初めとされる。

 

 だいぶ昔の、金沢の百万石まつりのお写真を拝見すると、なぎなたや太刀を持った長髪のカツラをかぶった人たちが、獅子と対峙している。五穀豊穣を願う獅子舞で、武器を手にした棒振りが、獅子を討ち取るストーリー。

 外様の大名である加賀藩は、表立って武芸をしては御上に睨まれるので、獅子舞という形で武術鍛錬を目立たずに行っていたともいわれる。

 

 獅子頭の製作風景を拝見。獅子頭の材料は軽くて丈夫な桐の木を用い、何十本ものノミを使い分けながら、完成には7ヶ月~1年近く要する。獅子頭は1本の丸太から切り出し、口の中心辺りに木の芯がある。

 だいたいは、元にする獅子があって、それを復元する仕事が多い。長ければ100年も使われてきた獅子頭を新調するにあたって、顔を変えるわけにはいかないのである。

 

 彫るのが最も難しいところは”目の睨み”で、子供が泣くような恐い目の獅子を作ることが親父さん(初代)からテーマとしている。

 

 加賀獅子作りは後継者不足で、現在石川県では、この工房だけしか残ってない。2代目の息子さんは、ただいま大阪の仏師さんの元で修行中で、幸いなことに、本人の意思で知田工房の3代目を継ぎたいとのこと。

 嬉しそうな2代目の跡継ぎの話しを聞いて、河田アナがくっすんに「息子が『DJ風タレントになりたい。』って言うたらどうよ?」と尋ねる。もし言われたら、何が何でも止めといてと言いたい。

 

 親父(2代目)から息子(3代目)へは、厚い信頼を寄せている。息子さんが自分で、道を選んで先生を探し、いろんなことを決めてきたので、期待できて良い仕事をするだろうと。

 理想すぎる親子関係に、河田アナとくっすんは心から拍手を送る。ベタ褒めしたので、息子さんがこのメッセージを聞いたらと、とても照れる親父さんであった。

 

午後2:30、工房を後にして、目標地点を目指す。気温19℃で、ジャージでは肌寒く感じる。

 

 250メートルの参道を登り、山の中腹にある修行場を目指す。参道脇に湧き水が流れているので、水の冷たさを確かめるために手を浸けるくっすん。思わず「氷や。」と言ってしまうほどの冷たさ。山に踏み入れたときに感じる寒さと相まって、なんだか修行がヤバそう。

 

スタートから約7時間

スタートから11キロ、午後3:10、目標地点の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)に到着。白山をご神体とした神社で、白山神社の総本宮。

 参拝客も多く、大阪からミステリーツアーのバスで連れてこられた、おかあさんたちに、声をかけてもらう。

 

 本殿で参拝した後、権禰宜の田中さんに、について詳しくうかがう。禊は、知らず知らずのうちに体についた、罪や穢れを水で洗い清める。体を漬ける白山のお水は伏流水で、普通の水道水より冷たいとのこと。

 

 2人は白いフンドシ・ハチマキに着替え、いざ修行開始。田中さんに指導していただく。

 水に浸かる前に、数多くの作法を行う。

作法1[振魂] 手を組み、御祓いの神様・『祓戸大神(はらえどのおおかみ)』と唱える。

 

「エッサー。」と掛け声を発しながら、禊場への階段を駆け上がる。禊場には白山の清らかな水が絶え間なく注がれ、透き通った水が溜められている。禊場の前に敷かれた石の上に立つと、思った以上に寒い。

 

作法2[鳥船] 掛け声と禊歌に合わせて、船のオールを漕ぐ動作をする。心身を浄化し、団体で禊を行う場合、団結力を高める。また、冷水に浸かるための準備運動を兼ねる。

 異なる3種類の鳥船を計10分行う。

 

作法3[雄健(おたけび)] 3つの言霊『生魂(いくたま)・足魂(たるたま)・玉留魂(たまたまるたま)』を、声を張って唱える。言霊の響きから、大先輩の田丸アナの顔が浮かんだ河田アナ。

 

作法4[雄詰(おころび)]手の指を刀に見立て、切る動作を行うことで、罪や穢れを切り祓う。

作法5[息吹(いぶき)]自然の空気をとりこむことで、体内を浄化する。

 

修行開始から30分、いよいよ水の中に入る。水に足を浸けると、想像以上に冷たい。水の中へ入ると、必要以上のことをしゃべってはいけない。

 体をこわばらせながら、顔をこわばらせながら、一歩ずつ禊場の真ん中へ進む河田アナ。続いてくっすんは、禊場への階段を2歩進み、水の冷たさで2歩戻る。再度気合を入れて、階段を下りるが、冷たさに声が漏れ、必死の形相で真ん中へ進む。待っている河田アナも、必死の形相で冷たさに堪えている。

 

 膝の少し上まで水に浸かった状態から、底に膝がつくまで体を沈める。ここが一番の試練で、河田アナは全身に力をこめ気合で乗りきる。一方くっすんは、冷たさで体が震え、呻き声をあげ、ついには咳きこむ始末。

 

作法5[身滌(みそぎ)] 紙に書いてある、神道の祭礼などに用いられる祝詞の一つ、大祓詞(おおはらえのことば)を読み上るまで浸かる(よみがな付)。白山の水で、罪や穢れを洗い清める。

 5分かけて詠唱し、膝から立ち上がり、禊場を出る。

 

この後、鳥船・雄健・雄詰・息吹の作法を、再度行い、一本締めをして、約1時間の禊が終了。

 

 修行を終えての感想。くっすんは水に浸かって途中途中意識がとんだが、田中さんや河田アナが大祓詞を一生懸命読んでいるのに、とにかく着いていこうと思った。

 河田アナは、最初は水の冷たさにビックリしたが、山の水の力で、身に覚えがある・ない日頃の過ちや失敗を、少しでも洗い流してくれるのではないかと思いながら、寒さを肌で感じた。

 

 禊の水は、約100メートルの地下からくみ上げていて、1年間で1メートル上に上がってくる。計算上、約100年前の水の恩恵を受けているワケで、自然の恩恵に感謝して、新たな世代へ水の大切さを伝える場としても、禊が大事と田中さん。

 

最後に22か所目の御朱印、白山比咩神社の御朱印をいただき、22日目の旅を無事終えた。

 

 

■簡易チャート

スタート:石川県白山市・守郷白山神社 → 一閑寺 (7km) → 北陸鉄道『鶴来駅』前 → 昼食:『こいしや』→ 『知田工房』(9.5km) → 目標地点:白山比咩神社 (11km) 

 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』19日目~20日目のまとめ。

 

【19日目】 2018年09月20日(木)放送 

 

旅の内容:●京都・両足院[ヨガ×座禅]▲1泊100万円の宿坊の秘密に迫る?!■ラーメンが君の人生をうまくする?!★座禅の苦手なくっすんが五感を解放?!

 

スタートは京都府京都市右京区・平岡八幡宮。目標地点は京都市東山区・建仁寺[両足院]。約11キロのコース。

 

午前8:00、京都府京都市右京区にある、平岡八幡宮の境内からオープニング。のっけから雨降りで、ロケ日の天気予報も雨。

 

 今回の修行はヨガ×座禅のコンビネーション。まずはヨガで体をじっくりほぐし、その後座禅をおこなう。斬新な修行に、2倍成長できてお得ですね、とくっすん。

 

 今回の修行場となる両足院には、最近行ったことがあるのだが、くっすんはすっかり忘れている。修行場めぐり9日目で、半夏生(はんげしょう)の特別拝観をしたのは記憶に新しいはずなのに・・・。半夏生と聞いて、『月化粧。』と反応するくっすんに、「それ、ミルク饅頭・月化粧・大阪土産やんか。違うわ。」とツッコむ河田アナ。

 

 とりあえず、平岡八幡宮にお参りする2人。809年に弘法大師によって創建されたお寺で、通常入ることのできない特別公開中の本殿の中を拝観する。

 本殿の天井を見上げると、44面の四角に区切られていて、四季の美しい花々や果実などが、各四角ごとに色とりどりに描かれている。足利義満が平岡八幡宮を再建した際に描かせたとされる。

 

 河田アナが、44面の四角に何がどの位置に描いてあるのかの一覧表を見て、南天の実があると指差す。河田アナがくっすんに『桂南天さんの南天』と言うと、桂南天さんの『なんてん』という漢字を初めて知った。ずっとむかえらのナレーションをやっている南天さんは、「私八年いっしょにやってきたんですが・・・。」と絶句。

 

午前8:30、気温19℃と快適。小雨が降ったり止んだりするなか、京都市内を南東に歩く。

 

スタートから3キロ、1泊100万円の宿坊がちょっと前に話題になった、仁和寺に到着。888年に宇多天皇によって、創建された世界遺産のお寺。

 

 お参りしてから、境内にある宿坊・『松林庵』を、総務部長の鴨井さんに案内してもらい、今回特別に拝観する。松林庵は、お寺のホームページにも載ってない。

 1泊素泊まり100万円の宿坊は、パッと外見を見た感じ、普通のお家に見える。「100万円の仕掛けは、後で・・・。」とテレビ構成を知っている鴨井さん。くっすんが「金の茶室ですか?」とさぐりを入れるが、はぐらかされる。

 

 玄関を入ると、瀟洒なお部屋のシンプルな和モダンスタイル。間取りは2階建ての6DKで、江戸時代に仁和寺の寺侍として活躍した、久富遠近守の住宅。彼の子孫によって、昭和12年に仁和寺に寄贈された。一時期は仁和寺の茶室などに使われていたが、この度1泊100万円の宿坊としてリニューアル。

 

 2階のくつろぎの間の障子窓を開けると、目隠しの木の間から築山の庭が見える。宿坊を内覧した後、鴨井さんに「だんだん100万円に近づいてきた感じしますか?」と聞かれ、2人は全然及ばないと納得できない。

 

 宿泊者には特典として、一般拝観の終わった夕方以降に、御殿が貸し切りになる。御殿の庭園には、2棟の重要文化財を含む、計7棟が建ち並ぶ。御殿の軒下から北庭の方向を見ると、庭木の隙間からチラリと五重塔が見え『インスタ映え』する。

 

 北庭の前で、いよいよ100万円の仕掛けなどをうかがう。

 この前宿泊したヨーロッパからのお客様は、とある有名なアパレルメーカーの、創業者の一族だったとのこと。2人は、シャネル・ルイヴィトン・エルメス・プラダ・イヴサンローランと名立たるブランドを挙げるが、教えてくれない。

 御殿では雅楽・お茶・お料理など、仁和寺に関する文化体験ができる(別途オプション料金追加)。

 

 仁和寺は日本財団の『いろはにほんプロジェクト』に賛同している。1泊100万円の宿泊料金のうちのいくらかを、仁和寺の維持費や全国にあるお寺の修復費に充てる。宿泊代というよりお寺への寄付という意味合いで、高額な値段に設定されている。

 

午前10:20、スタート5キロ、カリフォルニアのロサンゼルスからやってきた、日本へ2週間の旅行中のカップルに出会う。東京・箱根・伊勢志摩・京都・広島・金沢と巡り、日本文化を学び、美しい景色を見て、美味しいごはんを食べたい。

 くっすんが男性を見たときにリチャード・ギアと思ったと英語で伝えると、「そうだよ、いっしょに写真を撮ろうか?」と気さくに応じてくれる。

 

 道中、出会った地元の方々から、温かい声援をもらいつつ、修行場を目指す。

 

午前11:20、くっすんがインスタグラムを使って前もって調べしたところによると、火がぼおっと出ているラーメン屋が、今歩いている辺りにあるという。

 

スタートから6.5キロ、二条城近辺まで歩いて、ラーメン鉢から火がブアァーってなっている写真の看板を発見。お店の入口ドアには、炎を背景にして腕組みしている店主さんのポスターを貼っていて、『ラーメンが君の人生をうまくする』とキャッチフレーズが添えられている。

 

 1984年創業の濃い~ラーメン屋・『めん馬鹿一代』にて昼食。客の前で披露する迫力のラーメン作りが有名で、特に外国人観光客に絶大な人気を誇る。ラーメンパフォーマンスを撮影するための、スマホを固定するアームが3本、厨房の天井に取りつけられていて、店主さんは手慣れた手つきでくっすんのスマホをセットする。

 

 火傷しては大変なので、注意事項の説明がくどくどと続く。そして、2人の目の前にネギどっさりのラーメンが運ばれると、鍋で熱っしたネギ油をラーメンにぶっかける店主さん。天井付近まで火柱が昇り、ものの数秒で消える。心の準備はしていたが、目の前で見る炎は迫力が大違いで、2人とも度肝を抜かれた。

 

 肝心のお味は、ネギの香りが香ばしく、ネギを満喫できるラーメン。店主さん曰く、「ホント、みんなエンターテイメント言うんやけど、ネギを焼いて香りを立てたいと考えて、作りはじめたのがこのラーメンやったんやけど・・・。」。

 

午後1:50、京都市中京区をゆく。

スタートから8キロ、河田アナが大好きな新選組、のゆかりの壬生寺の向かいにある、京都清宗根付館を取材する。『根付』と聞いて、「付け根?」とつぶやくくっすん、カメラさんもくっすんが押さえ示す付け根にズームイン。

 

 学芸員の伊達さんに館内を案内してもらう。大きなガラスケースの中に、細かく彫刻された根付が整然と並べられている。根付とは、江戸時代にブームになった印籠やタバコを腰帯に吊るす留め具のことで、様々なデザインのものが作られた。

 こちらの博物館では、現代作家の作品を中心に約5,000点の根付を所蔵し、そのうちの400点を展示している。

 

 伊達さんもベルトに根付を装備して、小さな巾着をぶらさげている。くっすんはそれを見て、「付け根がホントかわいくて・・・。」と、ついつい言い慣れた言葉に変えてしまう。

 根付は実用性はもちろん、男性のおしゃれな装飾品として、凝ったデザインになっていった。

 

 江戸時代後期の武家屋敷を改装した館内には、貴重な江戸時代の作品も展示されている。階上にある江戸・明治時代の作品ブースを拝見、今見ても細部までこだわったデザインで美術的価値も高い。

 根付の素材は象牙が多いが、鹿の角・ツゲの木など硬いものなら何でも用いられる。草鞋にカエルが乗った作品は、旅の無事を願う意味が込められている。傾けると舌を出す、カラクリ仕掛けの作品もある。『蛸を頭に乗せた漁師』という作品を見て、「なんか、番組後半(むかえら?)で眠気を我慢する南光さんにも見えてくる。」と河田アナ。

 

 根付は第二次世界大戦後に、外国人の土産物として人気になり、江戸時代などの古い作品は海外へ流失してしまった。日本国内では、古い日本製根付の1~2割しか残ってないとのこと。日本人の間でも忘れられかけている、根付文化の保存・伝承を、目指している。

 

午後2:40、回復していた天気の雲行きが怪しくなり、早足で歩く。下校中の小学生たちとすれ違いながら・同じ方向に進みながら、

スタートから11キロ、建仁寺の境内に入る。

 

午後3:20、建仁寺に14ある塔頭寺院の1つ、両足院に到着。両足院は1357年に創建され、特別公開中や修行体験時のみ拝観することができる。

 

 前回もお世話になった副住職に、10年ほど前から実施している『ヨガ×座禅』についてお話しをうかがう。座禅では、体の力を抜いたり呼吸を感じたりすることを意識し過ぎて、逆に体が硬くなってうまくいかないことが多々ある。座禅の準備としてヨガをすることで、リラックスした状態で集中できると、副住職もやってみて実感している。

 もともとインドの修行の中で生まれたヨガは、座禅とルーツも近しく親和性がある。

 

 早速、ヨガ×座禅の修行開始。普段は京都市内のヨガ教室で教えている小上さんに、まずはヨガを指導してもらう。

 

 最初は呼吸法を学び、精神をリラックスさせる。ヨガマットにあおむけに寝転がり、意識的呼吸の練習。完全呼吸を意識しながら徐々に体を動かし、股関節の柔軟も行う。あおむけで、ひざを曲げたまま脚を開き、さらにひざを胸の方へ引き寄せ足先を手で掴むと、ハッピー・ベイビーのポーズの完成。2人は左右に揺れて、赤ちゃんに成りきる。

 

 深い呼吸を行いながら様々なポーズをとり、普段使っていない筋肉をほぐし、体のバランスを整える。およそ1時間ヨガをすることで、この後の座禅の姿勢が自然とよくなる。

 

 ここから、説明を含めて1時間の座禅。ヨガで解放されたくっすんとリラックスした河田アナが、副住職に指導してもらう。

 

 両足院では、五感を意識する座禅を行う。コツは体をピタッと静止させるよりも、左右に少し揺すること。意識をコントロールさせないよう、感じるままに身を任す。

 1回目の座禅では、音と香りを感じる。目の前には線香が1本たかれ、嗅覚を刺激する。カラスやハトの鳴き声に、耳を澄ませば虫の音や木々のざわめきなど、いたるところから音が聞こえてくるのが感じられる。くっすんはなぜかカレーの香りを感じた。

 

 2回目の座禅では、身体感覚を研ぎ澄ます。心臓や脈拍など自分の内なる動きを感じる。

 

 3回目の座禅では、目から入る情報が強くなり過ぎないよう、半眼で行う。河田アナは、普段の生活で目から得られる情報量の多さを感じた。

 くっすんが半眼のコツをうかがうと、露天風呂に入っているときをイメージすると良いという。即座に実践してみるくっすん、副住職から半眼が見事にできていると言わしめる。

 

 目を完全に閉じると、想像が視覚を補うので、知らないうちに意識をコントロールしてしまう。

 どうしても意識をコントロールしてしまうという場合は、座禅に欠かせない警策棒の出番。外部からの刺激でリフレッシュさせる。

 両足院では、警策を受けたい人は自分で手を合わせて所望する。これは、警策に意識をもってかれないようにするため。

 

 副住職が警策棒を携え、いよいよラスト座禅。いろいろと教わった座禅のコツを総動員しつつ、実践を思い出しつつ、集中。すると、警策の苦手なくっすんが、自ら手を合わせ、棒に打たれる。続いて、河田アナも打たれる。さらに、警策の苦手なくっすんが、警策のおかわり。そして座禅終了。

 

 4回目の座禅は10分は続いたが、河田アナとくっすんには3分に感じられるほど、リラックス&集中していた。座禅をするにあたって、どうしても肩肘張ってしまうが、緊張を緩めてリラックスするのにヨガが機能するんじゃないかと副住職。

 

 毎月1回不定期開催のヨガ×座禅体験(約2時間)は大盛況で、キャンセル待ちなほど。河田アナは、最初ヨガと座禅は全然ちゃうと思っていたが、今回の体験で繋がっていると実感した。座禅だけのときよりヨガ×座禅の回の方が、参加者の姿勢が無理なく伸ばせている人が多いとのこと。

 

 最後に19か所目の御朱印、両足院の御朱印をいただき、19日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市右京区・平岡八幡宮 → 仁和寺[松林庵] (3km) → 昼食:『めん馬鹿一代』 (6.5km) → 京都清宗根付館 (8km) → 目標地点:建仁寺[両足院] (11km) 

 

 

 

【20日目】 2018年09月27日(木)放送 

 

旅の内容:●愛媛県久万高原町[逼割禅定]四国の軽井沢をゆく■クイズ・昔の人は偉かった?!★のぼってのぼってのぼって高みを目指せ?!

 

スタートは愛媛県上浮穴郡久万高原町・大寶寺。目標地点は愛媛県上浮穴郡久万高原町・岩屋寺。約11キロのコース。

 

午前7:30、愛媛県上浮穴郡久万高原町にある、大寶寺(だいほうじ)の本堂前からオープニング。「吾輩はくっすんである・・・。」と学識のあるところをひけらかそうとする、くっすんのあいさつ。『吾輩は猫である』の著者・夏目漱石は愛媛県に住んでいた。

 

 午前7:30の気温は19℃で、ジャージでは寒い朝。久万高原町は平均標高約800メートル・年間平均気温約13℃。夏の過ごしやすさから、『四国の軽井沢』と称される。

 

 大寶寺は四国八十八ヶ所巡礼44番札所で、701年に創建された。四国八十八ヶ所巡礼は、弘法大師にゆかりのある88のお寺を巡り、その移動距離約1,400キロ。元々は修験者たちが弘法大師の足跡をたどる修行として行っていたが、弘法大師への信仰心のから、いつしか一般庶民も行うようになった。

 

 今回の修行は逼割禅定(せりわりぜんじょう)。岩と岩のとても狭い隙間を登って進み、恐怖に打ち克つ山岳修行。

 

 境内の階段を下りていく途中、大阪からお遍路にやってきたご夫婦に出会う。奥さんの母の死をきっかけにお遍路を始め、今は6周目を車で巡っている最中。お遍路を続ける理由は、出会いがあり、同じお寺でも違う季節に訪れると印象が変わったり、新たな発見をしたりするから。

 

 ロケ日和の快晴・涼しい気温で、快調に進む一行。

午前8:50、スタートから4キロ、地元産トマトの加工場・『赤の元気』を取材する。2011年開業で、久万高原町唯一のトマト加工場。責任者でトマト農家も営む露口さんに、詳しいお話しをうかがう。

 

 カゴに入っているのは、甘みの強い桃太郎トマトの大玉。昼夜の寒暖差が大きく栽培に適しているので、久万高原町では1971年からトマト栽培を始めた。現在90軒ほどの農家さんで栽培している。

 

 『赤の元気』では、熟れすぎてしまったり傷が付いたり形が悪かったりして、出荷できないトマトを農協から購入して、加工している。味は普通のトマトと変わらないし、廃棄されるトマトを活用して生産者の売り上げに貢献かつエコ。

 加工品の主力商品はトマトジュース。とまとジュース(夏獲れ)の飲み切りサイズを試飲する2人。さっぱりした味、すっきりのノドごしで、くっすんは一気に飲み干す。普通のトマトジュースが苦手な方にも好評。

 

 トマトジュースの他にもケチャップやトマト果汁入りクラッカーなどを生産し、愛媛県内の道の駅・スーパーで販売している。

 

『赤の元気』から歩くこと10分、

午前9:45、スタートから4.5キロ、『いやしの宿 八丁坂』にて郷土料理をいただく。2012年オープンの、お宿兼お食事処。大寶寺と岩屋寺の真ん中にあり、お遍路さん歓迎。

 

 久万高原町の郷土料理は蜂の子ご飯で、醤油と砂糖だけで味付けしたご飯の上に、丸のままの蜂と白い蜂の幼虫がのっている。食い意地の張っているくっすんも、今回ばかりは食が進まず罰ゲームだとぼやく。そして、くっすんの方は頑張っていただくため大盛り。

 しぶしぶ口に放り込んだが、海老のような食感で意外とイケる。見た目がグロテスクで嫌厭されがちだが、蜂からのうま味が出ている。

 

 久万高原町では、蜂の子を貴重なタンパク源として昔から食べてきて、現在でも高齢者を中心に人気。くすんは罰ゲームと言ったことを謝り、ご褒美だと訂正する。

 なお、蜂の子ごはんは事前予約が必要。

 

 トマトと蜂の子で元気ハツラツ、

午前11:10、スタートから5.5キロ、山中の遍路道へ踏み入る。15分ほど歩くと、アップダウンのある険しき道で息が切れる。

 

さらに歩き続けること30分、スタートから7キロ、山道に入ってから誰とも出会うことなく、ただ歩くだけ。視聴者の皆さんが退屈してしまうので、「突然ですけども、『クイズ 昔の人は偉かった』。」と河田アナのアナウンス。スタジオの皆さんに3択クイズを出題する。

 

 問題は、「四国八十八ヶ所巡礼のお遍路さんの間で、お寺88ヵ所を巡ることを別の言い方をします。それは一体どういう言い方でしょうか?」。選択肢は、A.叩く、B.打つ、C.投げる(河田アナが選択肢を読み上げる間、後ろでくっすんが3つの動詞のジェスチャ―をする)。

 スタジオの桂南光さんは、B.と即答。10秒のシンキングタイムをとり、スタジオの皆さんに順番に答えてもらう。南光さんはB、堀ちえみさんはC、舞羽美海さんはA、ヒロTさんもAと回答する。正解は、もちろんB.の打つ。

 

 四国八十八ヶ所巡礼では今も各寺を参詣した際、祈願するために紙の札『納札(おさめふだ)』を納める。昔は木製の納札を壁や柱に打ちつけたことから、巡礼することを『打つ』と呼ぶようになった。それが今日でも、使われ続けている。

 

 正解者には『赤の元気 とまとジュース』をプレゼント。しかし、スタジオの他のメンバーさんにも南光さんのおすそわけ?でふるまわれた。

 

引き続き歩くこと10分、午後0:15、山道を抜ける。

 

スタートから9キロ、高さ60メートル以上の岩峰が連なる景勝地・古岩屋(国指定名勝)を見上げる。秋には、鮮やかに色づく紅葉を目当てに観光客が訪れる。

 

午後0:30、古岩屋の目の前にある、『国民宿舎 古岩屋荘』のレストランにて昼食。河田アナは『キジうどん定食』を、くっすんは地鶏を使った『媛っこ親子丼』を食べる。

 キジうどんはキジの出汁が効いている濃厚なスープで、具のキジ肉は柔らかくてジューシー。

 

午後1:40、遍路道を東へ歩き、岩屋寺を目指す。

スタートから10キロ、岩屋寺入口↑300メートルの標識がある。

 

 井戸端会議中のおかあさん2人に出会う。これから逼割禅定をしにいく旨を河田アナが伝えると、スリルが満点な修行場の情報をくれる。悪いことをした人は、岩に挟まって落ちるとのこと。

 お二人も若いときに逼割禅定したことがあり、麦わら帽子のおかあさんは100年前ぐらい。

 

午後2:10、岩屋寺入口に着く。岩屋寺の本堂は山の中腹にあり、標高約650メートル。入口から本堂まで600メートルの急な坂を、ヒ―ヒー言いながら登る。くっすんなどは、食後すぐの過激な運動で腹が痛くなり、顔をゆがめる。

 

スタートから約7時間

スタートから11キロ、午後2:30、目標地点の岩屋寺に到着。815年に弘法大師によって創建された真言宗のお寺で、四国八十八ヶ所巡礼第45番札所。

 

 岩屋寺の創建前、法華仙人という女性の仙人がいて、ここの山の岩窟に籠って修行を行い、空中を自在に飛びまわれるほどに神通力を見につけた。その後、法華仙人はこの辺りで弘法大師に出会い、尊敬崇拝するようになって、岩窟のある山を献上した。それからというもの山は修行場となり、修験者たちが岩窟に籠って修行に励んだ。

 

 本堂のそばで、逼割禅定について副住職にうかがう。

 まず初めに、岩の極めて狭い間を、自分の身一つで登っていく。次に、垂れさがった鎖に掴まりながら、崖を登っていく。最後は、梯子を登っていくと狭い岩の頂上に出て、社に祀ってある仏様をお参りする。危機的な状況に置かれても、惑わされない心をはぐくむ修行である。今回、修行の最後まで副住職についてきていただく。

 

 本堂から逼割禅定の修行場まで、15分ほど山を登る。すると、大きな岩と岩に隙間が開いていて、その入口に鍵のかかった小さな木の門がある。逼割禅定体験には、入山料を払ってお寺の方からを借りる必要がある。今回は、副住職に鍵を開けてもらう。門を開くと、細~い隙間がお目見え。

 

 高さ約30メートルある岩壁の間を進み、頂上にある社を目指す。

 後ろからくっすんが見守るなか、まずは河田アナが挑戦。傾斜は45度、一番細い道の幅は30センチ。左右の岸壁に手をついて体を支えながら、転がったりケガしたりしないよう注意する。そして、無事に通り抜ける。

 続いてくっすんの番。『恐い』を連呼し足元がおぼつかないが、無事に突破。

 逼割禅定は、狭い所高い所が苦手な人にはツライ。

 

 お次は、高さ約15メートル・傾斜60度の岩壁を、鎖に掴まりながら登る。昔の修験者は鎖がない中、この急傾斜を登って上がったので、命懸け。この日、11キロ歩いてきた体には厳しいが、なんとか無事登る河田アナ。

 続いてくっすんの番。鎖自体が重くて、保持できるパワーがない。しかし、己が身で登るしかない。途中、足を葉っぱの上にのせてしまい、バランスを崩して肘を岩に強打する。肘の痛みを我慢し、5分かけて登りきる。

 

 最後に、傾斜70度のハシゴを順番に登りきり、ドキドキワクワクしながら標高約700メートルの狭い面積の山頂へ到達。辺りを見回して、高さを実感するくっすん。

 

山頂の社の前で、副住職と修行の総括

河田アナは、自分を信じて取り組むしかないと実感した。

副住職は、危険な場所で、指先から足先まで神経を研ぎ澄ませて、我にとらわれている部分がなくなってくる、無我の状態に近づくことがこの修行の意味とおっしゃる。

くっすんは、自分が×××してしまったらどうしょう、と思い過ぎるがあまり、逆に×××してしまうということを、改めて思い知った(今回、怪我したらどうしようと思うあまり、滑って肘を強打)。それは修行中だけでなく、日常生活においても言えると副住職。誰しも思い当たるだろう。

 

 3人で社に手を合わせ、来た道を戻り、30分かけて山を下る。

 おしまいに20か所目の御朱印、岩屋寺の御朱印をいただき、20日目の旅を終えた。

 

■簡易チャート

スタート:愛媛県上浮穴郡久万高原町・大寶寺 → 『赤の元気』 (4km) → 『いやしの宿 八丁坂』(4.5km) → 古岩屋 (9km) → 昼食:『国民宿舎 古岩屋荘』 → 目標地点:岩屋寺 (11km) → 山頂の社