2018年11月29日(木)放送、読売テレビの『秘密のケンミンSHOW!全国秘密のワンハンドグルメ祭り!秋田&兵庫&広島』にて、ヤマサ蒲鉾さんの作る姫路のソウルフード・『ちぃかまどっぐ(orチーかまドッグ)』が紹介された。なお、正式名称はさっちゃんのちぃかまどっぐ。

 

 

 以下放送内容まとめ

 

 見た目はまんまホットドッグ。ケチャップやマスタードソースはかかっていない。

 

 だがしかし、中を切ってみるとソーセージの姿はなく、代わりに謎の白い物体が入っている。中身の正体は、チーズ蒲鉾。

 

【ナレーション】兵庫県姫路市・ちぃかまどっぐ。そのまま食べても美味しいチーズ蒲鉾を、なぜかアメリカンドッグにしてしまった、このちぃかまどっぐ。県民たちはそんなちぃかまどっぐを買って、すぐ店頭でかぶりつき、世界遺産に見守られながら、皆美味しそうにほお張っている。

 

★ちぃかまどっぐの味への意見

[とあるカップル]・ウインナーより絶対こっち/ちぃかまと姫路城が良いレベル・これ(ちぃかまどっぐ)も世界遺産

 

[とあるサラリーマン2人連れ]・(ケチャップやマスタードをつけたら)そんなんつけるともう味がちょっと死んでしまうって感じで、これ本来の美味しさを損う/チーズ蒲鉾と生地の境目がなくて、口の中で分離しない・融合しててとろける感じ

 

[とある女性]・(普通のアメリカンドッグと比べて)生地が甘い・生地のふわふわ感が違うと思う/中のちょっとだけ溶けている塩辛いチーズと蒲鉾が、甘い生地にマッチする

 

[とあるカップル2]・ボリュームたっぷりで昼ご飯でもいける

 

 

ヤマサ蒲鉾本社にてちぃかまどっくの作り方を拝見

蒲鉾にはスケソウダラなど3種類の専用のすり身を使い、ちぃかまどっぐ専用のすり身を練り上げる。そこへ、まろやかさが増すホイップクリーム、さらにチェダーチーズプロセスチーズを大量投下し、混ぜあげる。

 成形するとチーズ蒲鉾が出来上がり、串に刺さす。

店舗で生地作り

ヤマサ蒲鉾大手前店

 

生地の粉はちぃかまどっぐ専用で、甘みが強い/ふんわりもっちり仕上がるように配合した特注品(by大手前店店長)

 

その粉を溶き卵とドッキングすれば、生地のスタンバイ完了。続いて、チーズ蒲鉾を甘い生地でフルコーティングすると、専用のフライヤーへ入れる。

 揚げあがりを待つこと5分、こんがりキレイなキツネ色に揚がったら完成!

 

 

★[姫路市のとある住宅] テイクアウトちぃかまどっぐを、日曜日のティータイムに、ご家族で食す。コーヒーが相性抜群とのこと

 

 

★ちぃかまどっぐ誕生の歴史とまとめ

・2007年に誕生

若者の蒲鉾離れを危惧し、試行錯誤を重ね考案

・オリジナルのチーズ蒲鉾は、とろける味わいとやわらかな食感

・甘めの生地につけアメリカンドッグ風にワンハンド化

・その手軽さが地元の女性を中心に広がり根付いた

 

 

 

放送翌日・・・

2018年11月30日(金)お昼過ぎ、ちぃかまどっぐ目当てに大行列。5個10個と大量外買いのお客様もいて、店員さん大忙しだった。「粉が足りない。」と嬉しい悲鳴?をあげていた。拙者も2本購入。撮影用に1本は家に持ち帰った。

 

 

ちぃかまどっぐ串入れ箱

ヤマサ蒲鉾イメージキャラのさっちゃんがちぃかまどっぐを手に晴れ着姿

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』27日目~28日目のまとめ。

 

【27日目】 2018年11月15日(木)放送 

 

旅の内容:●広島県呉市[滝行]海軍の街を歩く■呉のご当地メニューで町ぶら気分覚悟を決める修行

 

スタートは広島県呉市・大和波止場公園。目標地点は広島県呉市・『白糸の滝』。約11キロのコース。

 

午前7:00、広島県呉市にある大和波止場公園からオープニング。「あれ?くれくれ(クラクラ)してきた・・・。」とくっすんのあいさつ。

 

本日は修行場めくりで3回目となる滝行。前回までの滝行は・・・

1回目・2018年06月21日放送 栃木県『マックラ滝』落差20メートル

2回目・2018年09月13日放送 神奈川県『夕日の滝』落差23メートル

そして3回目は『白糸の滝』は落差38メートル。修行場とされている滝としては、日本トップクラスの落差。

 

 呉は呉鎮守府が置かれ、東洋一の軍港と称された。また、呉で戦艦大和が造られた。それを聞いて、「アニメ見てました。」とくっすん。河田アナが「えーと、それ。宇宙戦艦の方ですね。・・・あれはイスカンダルに向かってとんでいくから。」とツッコむ。

 

 大和は1941年に造られた史上最大の戦艦で、全長263メートル。大和波止場公園は、大和の甲板全部左半分を実寸大で再現して作った公園。公園のそばにある大和ミュージアムには、戦艦大和の1/10サイズの模型が展示されている。

 

午前7:15、公園を出るとすぐに『てつのくじら館』に到着。1986年から2004年まで海上自衛隊で実際に使用された潜水艦『あきしお』が乗っかった資料館。

 

 潜水艦の中を無料で見学でき、開館時間前に特別見せてもらう。海上自衛隊呉地方総監部の土肥さんに案内してもらい、潜水艦内部を見て回る。

 士官は3人1部屋で、3段ベッドで寝る。狭くて閉塞感のあるベッドなので、「なかなか疲れがとれないですね。」とくっすん。「慣れます。」と答える土肥さん。ちなみに、潜水艦で個室が与えられるのは、艦長だけ。

 

 潜水艦では、すぐ潜望鏡を覗いても外の様子を確認できるように、日没から日の出まで照明を赤色にする。人間は明るいところから急に暗いところを見ても、目が追いつかないから見えない。

 河田アナが、潜望鏡で天気のよい外を覗く。海上に浮かぶ船、飛ぶ鳥のすがたがくっきり見える。子供のようにはしゃぎながら潜望鏡を回し、海から街へ景色が変わる。すると、人の家を覗くとプライバシーの侵害になるので、ストップの声がかかる。

 

 潜望鏡のある部屋の奥まったところに操縦席がある。河田アナは操縦席に座って、操縦桿を握る。操縦桿を引くと艦体は上昇し、押すと下降する。操縦席の前の壁には、様々な計器・レーダー・スイッチが並んでいる。普通の乗り物は景色が見えているのに、窓が全くないところで操縦するのはどんな気分だろうと河田アナ。

 

 潜水艦搭乗中のクルーは、機密保持のため家族に連絡を取れない。だから、家族はどこで何をしているか分からない。潜水艦に乗る苦労のあれやこれや知って、感心する2人であった。

 

午前8:45、小春橋を渡り、

スタートから2キロ、田舎洋食が食べられる、『いせ屋』を営業前に取材する。海軍の軍艦の元コック長が大正10年に創めた洋食店で、海軍発祥とされる日本の定番料理をいただく。

 

 『海軍さんの肉じゃが』で、海軍大将東郷平八郎がロンドン留学中にビーフシチューを食べて気に入り、日本風にアレンジして海軍で作られたのが、肉じゃがの起源の一つとされる。100年も前の日本では、フォン・ド・ヴォーやワインなど材料が調達できなかったので、代わりに砂糖やしょうゆで味付けした。

 お店の壁に張ってある当時のレシピには、『甘煮』という料理名が使われている。

 

 肉じゃがの味は、言うまでもなく最高。船ではお水が貴重なので、野菜の水分だけで煮たため、汁気がほとんどない。

 

 ところで、肉じゃがの発祥は、京都の舞鶴という説もあると河田アナ。東郷平八郎が1901年に舞鶴鎮守府の初代司令官を務めたときに、肉じゃがを創らせたという。

 でも、平八郎は1890年に参謀長として呉鎮守府に赴任していたので、呉でも肉じゃがを出しとったんじゃないんかなと3代目店主さん。というわけで、呉が肉じゃがの元祖だと、皆さんの判断にお任せしているとのこと。

 

午前10:00、”ウクレレを弾く少年”の銅像を発見する。作者の名前・作品名・解説がいっさい書いてない。くっすんは「肉じゃが作った人かな?」などと適当なことを言い、2人であれこれ考える。自転車で通りかかった金髪のおかあさんに、銅像について聞いてみるが、知らないけどずっと前からあるとのこと。

 後から呉市に確認すると、呉出身の彫刻家・水船六洲の作品だそう。

 

 金髪のおかあさんに大阪から来たと告げると、呉にきたらメロンパンと教えてもらう。メロンパンでも今のメロンパンと違い、新しいメロンパンはメロンパンという名前でメロンパンとして出しているけど、そうじゃなくて、昔はメロンパンという・・・話しを聞き、「メロンパンがいっぱい出すぎて、分からんようになってきた。」と混乱するくっすん。

 

 メロンパン屋さんに向かっていると、別のおかあさんから声をかけてもらう。メロンパンについてうかがうと、呉で知らぬ者はいないくらい有名で、広島のフェアに出したらもの凄い人気っぷり。あんこがたっぷり入っていて美味しいとのこと。

 

スタートから3.5キロ、メロンパン屋さんの『メロンパン』に到着。くっすんが取材交渉すると、即オーケー。店内に入り、ウワサのメロンパンとご対面。円形ではなく、ラグビーボールのような形をしている。

 

 昭和11年に創業し、当時から看板商品だったメロンパンをそのまま店名にした。副社長にメロンパンについて詳しくうかがう。昭和の初め、庶民が口にするメロンはマクワウリという長細いメロンで、初代がそれをモチーフにして考案した。お店は3代目が引き継ぎ、現在創業84年目。

 

 会話の途中、愛媛県からメロンパンを買いにきたご夫婦が来店。おとうさんの友達からの情報で初メロンパン、10コを大人買いしてお帰りになる。

 

 河田アナとくっすんもメロンパンをお買い上げ、1コずつ店先で食べる。パンの中には、白いクリームがぎっちり入ってゴージャス。クリームは甘さ控えめなのが、会社のこだわり。先ほど出会った方は、白あんだと言っていた旨を伝えると、白あんと勘違いする人も多いけれど、よく練りこまれたカスタードクリームが入っているとのこと。

 

 この先、道中にお昼ごはんを食べる店がなさそうなので、昼食用のパンをお買い上げ。お惣菜パンを見繕う。

 

午前11:00、長い坂道を登り、とても幅の狭い道を通る。

 

午後0:15、迷路のような道を抜け、呉市内を流れる黒瀬川沿いを歩く。

 

スタートから9キロ、呉市広地区にある、真光寺に到着。戦国時代後期に建てられたお寺で、黒瀬川のそばにある。約170年前に、川の対岸から参拝者に来てもらうため、黒瀬川に真光寺橋が架けられた。

 

 本堂の前で、ご住職に真光寺橋についてうかがう。170年の間に何度となく橋は流されたが、何度も再建された。直近では、2016年に架け直された。

 京都の渡月橋を手がけた大工の下で、技術を学んだ大工によって真光寺橋は造られた。橋脚以外は総ヒノキ造りで、広地区の人たちに愛された。

 

 せっかくだから、ご住職といっしょに真光橋の近くまで歩く。だがしかし、真光寺橋は、無残な残骸を残して無くなっている。なんと、平成30年7月の豪雨で黒瀬川が氾濫して、7月7日午前8:00頃に真光寺橋はまるっと濁流に流された。

 ご住職は橋が流されたときは、心が折れて言葉がなかったほどショックだった。地元の方々からも、橋を失った悲しみの声が届けられた。いつか必ず橋が再建されることを信じて願っているとのこと。

 

 真光寺のご住職と別れ、穏やかな黒瀬川を上流に向かって進む。

 

午後1:30、晴天の空の下、黒瀬川の土手にて昼食。先ほど『メロンパン』で買ったお惣菜パンを、ピクニック気分でいただく。河田アナは極厚のお肉を挟んだ『牛カツサンド』を、くっすんは『チキン南蛮サンド』を食べる。

 

スタートから10.5キロ、滝修行を指導していただく方々と合流する。呉市にある真言宗のお寺・知足庵のご住職・柚原さんと、お弟子さん2人。

 

 ご住職に滝行の意義をうかがうと、覚悟の気持ちを自分自身に植えつけることである。くっすんが「覚悟っていつもないんです。」と率直に伝えると、覚悟のない人が滝行をして覚悟の気持ちを身につけるのだと諭される。そして、感謝の気持ちもうまれるのが滝行。

 

 ご住職のお弟子さん・久岡さんに、滝行の指導をしていただく。黒瀬川に架かる橋から先は、修行のための聖域。急角度の山道を500メートル登る。途中の地蔵堂で、般若心経を唱え、修行達成を祈願する。

 

スタートから約7時間

スタートから11キロ、午後2:15、目標地点の修行場、『白糸の滝』に到着。修行場の滝としては、日本トップクラスの落差38メートルで、10階建てのビルの高さに相当する。気を引き締めていかないと、何らかの問題が出る可能性もある滝行。

 

いざ、滝行開始。水に入る前に、座禅を組んで腹式呼吸を行う。全身の血液に酸素をたっぷり行き渡らせることで、体を活性化させる。

 続いて、般若心経を唱えながら、塩で滝と修行者を清める。

 

 滝に入るときは、両手で不動明王の印を結ぶ。そして『南無不動明王』の真言をひたすら唱え、久岡さんにしっかりと気が出ていると判断してもらえれば、杖で体を叩かれ、それが終了の合図となる。

 ご住職に叱咤激励されたくっすん、気合いを入れて滝行に臨む。

 

 滝に入る直前は、岩壁の不動明王に祈願し、久岡さんに九字を切ってもらい、魔を祓う。

 

 まずは河田アナが先陣を切って、滝の下へ入る。滝の真下に入り、一心不乱に『南無不動明王』を唱える。白糸の滝は、その水の冷たさから昔の人が病気や傷を冷やして治していたと伝わる。気合い充分な河田アナは、水の冷たさをものともせず?、終了の合図が出るまで耐えきった。

 

 続いてくっすん。滝の下へ入る前に、怖気づいたのか引き返し、水の外へ出る。気合いを入れ直し、再度挑戦。滝の水が当る場所の端っこに入り、一心不乱に『南無不動明王』を唱える。終了の合図が早く出ないかという感じのくっすんだが、「まだまだ(気が出てない)。」と判断され続行。

 「体が痺れる。」と寒さで真言が止まると、久岡さんに気合いを入れ直してもらい、心折れそうになりながらも再び真言を唱える。くっすんは自分の限界まで、滝に打たれ、終了の合図をうけると、全身震えながら陸にあがって、ひん死の状態

 

 1回目の滝行を終えて、想像のはるか上いく水の冷たさだったと河田アナ。頭が割れるぐらい痛いほど、冷たい。

 

 そして、冷えた体で2回目の滝行。くっすんは、次やったら死ぬとだいぶまいっている。2回目は導師さんの案内なしで一人で滝に入り、自分の目標と真言を唱える。自分の意思で滝に入り、自分で修行を終える。

 

 1回目の滝行から、体の震えが止まらない2人。しかし、ここでやめるわけにはいかない。河田アナから滝に入り、「皆さまが末永く、健康でありますように。」と目標を言って、渾身の『南無不動明王』を繰り返す。全てを出しきり、見事修行をやり遂げる。

 

 そして、くっすんの番。水に入る前にためらいをみせるが、意を決して滝に入る。「いつまでも健康に、歩き続けれますように。」と目標を言って、必死の『南無不動明王』を繰り返す。くっすんも、途中で脱落することなく、修行をやりきる。

 

 最後は滝に向かって、お礼の言葉を三唱する。

 

 滝行を終えての感想。河田アナは、想像以上に厳しくて、高さによる水圧と冷たさで、普段感じることのできない厳しい環境だった。

 くっすんは、2回目の滝行を自分の意思で出来たことは、すごい自信になった気がした。覚悟を決めて入れてよかった。いつまでもこのコーナーが続くように思いを込めて、それが叶う気がした。

 最後に導師さんからのお言葉。気を入れるということを滝行で体感できたと思うので、それを日常に生かせれば何より。

 

こうして覚悟の滝行をやりとげ、27日目の旅を無事終えた(今回も御朱印なし)。

 

■簡易チャート

スタート:広島県呉市・大和波止場公園 → 『てつのくじら館』 → 『いせ屋』 (2km) → 『メロンパン』 (3.5km) → 真光寺 (9km) → 真光寺橋(跡) → 目標地点:『白糸の滝』 (11km) 

 

 

 

【28日目】 2018年11月22日(木)放送 

 

旅の内容:●京都市東山区[座禅]ヒョウタンをお守りにするお寺■関ケ原の戦いの影の功労者とことん妄想する修行?!

 

スタートは京都府京都市上京区・北野天満宮。目標地点は京都府京都市東山区・東福寺。約10キロのコース。

 

午前8:30、京都府京都市上京区にある、北野天満宮をバックにオープニング。ヒンヤリした秋らしい天気で、天気予報は曇り。

 

 今回は昔偉で何度も訪れている紅葉の名所・東福寺での座禅修行。座禅を行う場所は東福寺の禅堂で、日本最大級の座禅道場。

 今まで3度の座禅修行を経験してきたくっすんは、「もう、得意中の得意です、僕は。」と豪語する。そして、今日こそ完全に無になって、警策棒のお世話にならないにがんばりたい。

 

 旅の始まりは紅葉の名所・北野天満宮。全国に約12,000ある天満宮の総本社。北野天満宮の『史跡御土居のもみじ苑』を歩くと、ところどころ紅葉が始まっている。夜のライトアップも行っていて、放送日あたりに見頃になっているであろう。

 

 参道を歩いていると、修行場めぐり1回目でお会いしたおかあさんとばったり出会う。今回はワンちゃんの散歩中で、くっすんやスタッフさんにじゃれつく。

 

 おかあさんと別れた後、参道でハトの大群が河田アナの後方から飛んできてビビる。くっすんもハトにビビっていると、「ウッチャン・ナンチャン?」と参拝客のおかあさんにウッチャンに間違われる。

 

 北野天満宮を後にして、南東へ向かう。『ねこの病院』の前を通りかかり、珍しがる2人。

 

午前9:35、スタートから1.5キロ、珍しいお守りがある、福勝寺に到着。平安時代に弘法大師が創建したお寺。ご住職の亀谷さんに案内してもらい、本堂にてお守りを拝観する。

 

 ヒョウタンをお守りにした『宝珠尊融通御守(ほうじゅそんゆうずうおまもり)』である。本堂に祀られている『如意宝珠』は、弘法大師が唐から伝えたとされる、あらゆる願いを叶える珠。その珠を2つ重ねた形がヒョウタンに似ていることから、ヒョウタンをお守りにするようになった。

 お守りは、明治時代までは朝廷と幕府のためだけに特別に作られた。

 

 毎年節分の日のみ、ひょうたんのお守りは授与され、その日は2,000人の参拝客が詰めかける。

 お守りはあらゆることに利益があることから、通称”融通さん”と呼ばれる。融通さんのご利益で、ある有名なお寿司屋さんは、当時大統領だったオバマさんが安倍首相と来店されて、勲章も授けられたとのこと。

 

 くっすんもご利益にあやかろうと、融通さんのお値段を聞くと、御祈祷料1万円なり。内心高いなと思っただろうが、営業が増えたら安いもんだと買う気になる。

 しかし、お守りの有効期間は節分から翌年の節分までの1年間なので、今買っても3ヶ月しか効果がないという。3ヶ月で1万円は、高いのか安いのか計算して、「元、とれますね。」とくっすんの結論。

 

 ヒョウタンのお守りを特別に持ってきてもらう。ヒョウタンのお守りは壊れやすいので、同等のご利益のある、コンパクトな携帯用のお守りもある。両方のお守りを紙袋に入れてもらい、くっすんがマイ財布からお会計する。ところが、2体分で2万円の御祈祷料となり、驚愕するくっすん。なんと携帯用は別料金なのだ。想定外で、懐はとても寒くなるが、清水の舞台から飛び降りる思いで、財布から2万円を取り出し、お渡しする。

 

 福勝寺を出たところで、上を飛んでいったカラスにフンを落とされ、くっすんのダウンが汚れる。「2万円で買ったばかりやのに~。」と泣きそうになるが、河田アナに「鳥がフンを落としたら、運がつく。」と慰められる。

 

烏丸通を南へ歩き、

午前11:35、京都市上京区から中京区へ入る。

 

スタートから5キロ、『世界で一番濃い抹茶ジェラート』の垂れ幕のかかった、『創業1907年(静岡で)』のお店を発見する。店長さんがお店から出てきてくれたので、看板商品の抹茶ジェラートについて聞いてみる。

 抹茶ジェラートはNo.1~No.7までの7種類があり、数字が大きくなるにつれて抹茶の量が増える。一番濃いNo.7が、世界で一番濃い抹茶ジェラートといわれている。

 

 興味津々の2人は、2018年2月にオープンした、抹茶スイーツのお店・『ななや』に入店。店頭の冷凍ショーケースに、7段階の濃さの抹茶ジェラートが緑鮮やかに入っている。

 No.1と、一番人気のNo.7のジェラートを食べ比べ。2つ並べると、緑の濃さが全然違う。一番薄いNo.1を食べても、抹茶がしっかり主張したお味。続いてNo.7を食べたら、濃厚な抹茶でくっすんの目が覚める。苦みはそれなりに強いが、後に甘みがきてすっきりとした味わいを残す。

 

 No.7で使用する抹茶の量は、No.1の7倍。抹茶を大量に入れる分、抹茶の品質が良くないと、苦みが強くなってしまう。そのため、No.7には農林水産大臣賞を受賞した茶園の宇治抹茶を使用している。一般的なお茶屋さんでも、No.5ぐらいの濃さのジェラートまでしか作れない。

 世界中から多くの観光客が訪れる京都で、宇治の抹茶の味を知ってもらいたいという。

 

 口の中に抹茶の余韻を残しつつ歩き、

午後0:25、お昼ご飯のお店を探す。

 

スタートから5.5キロ、看板の、お手頃な値段の『ぜいたく丼』のメニューが気になる。お店から出てきたおしゃれな2人連れの男の人に、ぜいたく丼を食べたか聞いてみると、ランチの寿司セットを食べたとのこと。

 

 お二人はご近所のポール・スミスのお店で働いているそうで、せっかくだから、今秋・冬の流行りをうかがう。大きめなシルエットの服が人気で、ファッションにうといくっすんは「XLを買えばいいってことですか?」と解釈する。そうではなくて、元々大きめに作ってある。

 

午後0:40、道路から奥まったところにある、『すしと酒 手水や』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『ぜいたく丼』を食べる。新鮮な海産物を数種類と玉子焼きをのせた丼をメインに、赤だしと付け合わせが付く。ぜいたく丼は、魚介スープを入れてダシ茶漬けにすれば、2度美味しい。味の変化を楽しむ2人であった。

 

午後2:30、五条大橋を渡る。

 

スタートから8キロ、三十三間堂の隣りにある、養源院に到着。1594年に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政を弔うために創建した。一度消失した後、1621年に淀殿の妹・お江が再建した。

 

 養源院を再建した際、武士の血痕の残る建材を用いたことから、その天井は血天井と呼ばれる。ご住職の吉水さんに案内してもらい、血天井を拝見する。天井に黒っぽく、手の形や足の裏の形が浮かんでいる。

 

 1600年に徳川家康の家臣・鳥居元忠が、家康の会津征伐の間に伏見城の守護を務めた。家康の留守を狙い、石田三成の軍によって伏見城は囲まれた。元忠はわずか2,000人の兵で、40,000人の石田軍から伏見城を12日間死守し、最後は多くの武士とともに自決した。

 元忠が三成を足止めしていたおかげで、家康は関ケ原での戦いに勝利することができたとされる。

 

 徳川幕府は、元忠をはじめ亡くなった武士たちを弔うため、血痕が残る伏見城の床板を養源院の天井に用いた。

 血天井には、元忠が自害したとされる跡が残っている。ご住職が長~い棒でその場所を指し示し、片足を踏ん張りながら堂々と自害したと解説し、「昔の人は偉かったぴったりの・・・。」と付け加える。

 

 養源院には、絵師の俵屋宗達が武士を弔うために描いた、2枚の絵が飾られている。普賢菩薩の乗り物・白象と、文珠菩薩の乗り物・唐獅子の絵で、メイン廊下の端と端に飾られ、武士たちを見守っている。

 

 スクールバスでお帰りの園児たちに手を振りつつ、

スタートから約7時間

スタートから10キロ、午後2:40、参拝客で賑わう東福寺に到着。1225年に創建された臨済宗のお寺で、かつて400人もの修行僧がこちらで修行を行っていた。

 東福寺は、京都随一の紅葉の名所として知られている。境内には約2,000本のモミジがあり、2人は通天橋から眼下に紅葉を見下ろす。紅く色づいたモミジの他にオレンジ・黄色・緑のモミジがあり、色のコントラストが逆にいい、とくっすん。

 紅葉が見頃を迎えると、紅色がさらに濃くなり、『錦の雲海』とも呼ばれる。

 

 紅葉を堪能した2人は禅堂の入口で落ち合い、東福寺の広報主事を務める明石さんから、今回の座禅についてお話しをうかがう。

 1347年に再建された大禅堂は、通常は内部非公開だが、今回特別に入れてもらう。入口の扉を開けると、中の広さにビックリ。禅堂の広さは幅約36メートル・奥行き約16メートル・高さ約13メートル。一度に220人が座禅できるスペースを、今回2人で貸し切りと贅沢。

 

 東福寺の座禅を一言で表すならば、『己事究明』である。自分の存在が何であるか突き詰めて知る。

 くっすんは今現在、自分自身をアホだと自覚している。明石さんが、「アホだという認識も、今までの経験がアホだと思わせているワケです。」と真面目に解説する。

 

 座禅で無になろうと考えれば考えるほど、無になりたいという欲求が膨らみ、いつまで経っても無になれない。だから、今日半日歩いてきた2人に、座禅中にお腹空いたなあ・あれ食べようかなと思いうかんだ場合、浮かんだことを徹底的に妄想してくださいと明石さん。普通の座禅なら邪念と扱われそうだが、妄想ならめちゃめちゃ得ですとくっすん。

 

 お話しを聞いた後、座禅開始。座禅スペースは1人に畳1畳の『』と呼ばれるスペース。昔の修行僧は、畳1畳が寝泊まりし座禅を行っていた。荷物・私物も1畳に納めた。

 

 座禅の前に、堂内を掃除。河田アナはほうきで床を掃き、くっすんは『単』の隅っこを雑巾がけする。「やっぱりルンバって便利ですよ。」とイマドキのくっすん。

 

掃除開始から15分、「腰痛いな。」と河田アナの独り言。そして、ちょくちょくくっすんの様子をうかがっていて、「さっきからザボッてない?」と追及する。さらに、「カメラが映らへんとこ映らへんとこ、行ってるんちゃうのん?自分で。」と追及し、「なんでわかるんですか?」とくっすんに自白させる。

 

さらに10分かけて、お堂のお掃除終了。

 

 いよいよ、『単』の座布団に座り、座禅開始。東福寺では、25分の座禅を2回行う。

 

開始から15分、今日は警策を受けないと言っていたくっすんが、自ら警策を志願する。力強い警策で、声が漏れそうになるが必死に我慢する。東福寺では、三黙堂[禅堂・浴室・東司(トイレ)]では私語をしてはならない。

 

1回目の座禅が終了。河田アナとくっすんは、休憩がてらに雑談する。くっすんは座禅中、焼き肉を食べる順番を追っていた。ネギ塩タン→ミスジ→カルビ→と食べた後に、ご飯食べるか迷いが生じ、警策を願い出た。すると、警策があまりに痛くて、焼き肉のことが頭から吹っ飛んでしまった。

 

2回目の座禅開始。

 昔、修行僧たちはこの禅堂を生活の中心の場とし、必要以上のことはしゃべらず、常に自分と向き合ってきた。そして、自分を知り、己の中にある仏の心に気づき、悟りを開いた。

 座禅に集中できないくっすんは、全部で4回もの警策をいただく。

 

 東福寺の座禅体験は、毎週日曜日の朝から禅堂で行っている。

 

2回目の座禅が終了。くっすんは、警策で叩かれたときに泣きそうになった気持ちと向き合おうと思った。1回目の警策で泣きそうになったけど、泣きそうになってないと思いこもうとした。しかし、やっぱり泣きそうになったので、もう1回警策してもらった。でも、泣きそうになった。詰まる所、自分の弱虫を克服したいという気持ちだったと自己分析する。

 

 そういう考え方もありで、「なしということはありません。」と明石さん。くっすんのそんな気持ち?が伝わって、手を抜かずに叩こうと思った。

 

 一方河田アナは、座禅中にマイケル・ムーア監督のことを考えていた。現在マイケルの映画が上映中で見たいと思った。なぜ見たいかと考えたら、すごい発信力のある人がだと思ったから。なぜ発信力のある人の映画を見たいかと考えたら、自分も発信する仕事をやっているから。なぜ発信したいのか考えたら、皆さんに喜んでもらいたいから。なぜ喜んでもらいたいのか考えたら、人に嫌われたくないから。なぜ人に嫌われたくないのか考えたら、人と争うのが好きじゃないから。なぜ人と争いたくないのかと考えたら、心が穏やかでいたいから・・・。河田アナの心は、そんな風に推移していた。

 

 河田アナの話しを聞いて、「ただ1つ思ったのは、僕に別に嫌われてもいいと思ってますよね?」と確認するくっすん。「それ、思ってる。」と即答する河田アナ。くっすんだけ例外らしい・・・。

 

 

最後に28か所目の御朱印、東福寺の御朱印[紅葉の時期限定ver.]をいただき、28日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市上京区・北野天満宮 → 福勝寺 (1.5km) → 『ななや』 (5km)  → 昼食:『すしと酒 手水や』(5.5km)→ 五条大橋 → 養源院 (8

km) → 目標地点:東福寺 (10km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』25日目~26日目のまとめ。

 

【25日目】 2018年11月01日(木)放送 

 

旅の内容:●京都市東山区[座禅×茶礼]ネコの恩返し?!■身代わりで血を流したお釈迦さま★1パイのお茶でビフォーアフター

 

スタートは京都府京都市北区・総見院。目標地点は京都市東山区・勝林寺。約11キロのコース。

 

午前8:00、京都府京都市北区大徳寺にある、総見院からオープニング。気持ちいい秋晴れのスタート。

 今回の修行は座禅×茶礼。お茶を飲むことがなぜ修行となるのかも、教えていただく。ちなみに、くっすんは抹茶大好きで、最近流行りの抹茶のチョコ・アイスなどを食べる。

 

 総見院は大徳寺塔頭寺院の一つで、1583年に創建された。豊臣秀吉織田信長の菩提寺として建立した。普段は非公開のお寺だが、2018年12月9日まで特別公開していて、本堂に入ることができる。

 

 2人は本堂にて、超有名人の坐像を拝観する。河田アナが誰か分かるか、くっすんに聞いてみると、「ーーー舘ひろしさんにすっごい似てる。」と答える。

 木造織田信長坐像で、本能寺の変で亡くなった信長を弔うために造られた。秀吉は信長の亡骸を探して供養しようとしたが、どうしても見つからなかったので、2体の像を造らせ、1体は火葬し(燃やし)、もう1体を総見院に安置した。

 

 総見院を後にし、颯爽と歩く2人。今年(2018年)も残り2か月で、年々、月日の流れるのが早くなっているとくっすん。河田アナは、今まで生きた分の長さが長いほど、1年の割合がちっさくなっていくから、人間はそういう風に感じるみたいだと解説する。

 

午前8:35、京都市北区から上京区へ入る。

 

スタートから1.5キロ、通称はネコ寺称念寺に到着。1606年に創建されたお寺で、昔は貧しかったが1匹のネコによって栄えた。

 本堂の前で、ご住職の森さんに詳しいお話しをうかがう。

 

ネコの恩返し

 3代目住職の頃、貧しい称念寺では托鉢よるお布施に頼っていた。貧しいながらも、住職はネコを可愛がり手放すことはしなかった。

 ある日、住職が托鉢からお寺に帰ってくると、美しい姫が舞いを踊っていた。しかし、本堂に映る姫の影がネコのシルエットだったので、自分のネコだと気づいた。怒った住職は、「寺が大変なときに、踊っているんじゃない。」とネコを追い出してしまった。

 

 数日後、愛ネコが住職の夢枕に立ち、「明日寺を訪れる武士をもてなせば、寺は栄えるニャン。」とお告げした。

 翌日、その通りに武士が現れ、「亡くなった姫から、『こちらのお寺に葬ってほしい。」と遺言があった。』と伝えた。大名と縁ができた称念寺は栄えたとさ。めでたし、めでたし。

 

 そんなことがあって、称念寺では昔から動物供養を行っている。ちなみに、ご住職もネコ大好きで、飼っている。

 

 称念寺を後にし、歩いていると、スタッフさんから犬派か猫派か質問される。犬を飼っていたくっすんは犬派、熱帯魚を飼っていた河田アナは熱帯魚派

 

午前9:35、今出川通を東に進む。愛犬と愛娘と散歩している、ご夫婦に出会う。家族そろっての散歩は日常で、来年から幼稚園に入る娘さんと、今のうちに家族の時間を過ごそうとしている。「でもお嬢様、あっという間に大きくなりますよ。だって、こうやって手をつないで歩くことなんて、もうないですから。」と、思春期の娘をもつ、くっすんからアドバイス。

 

午前10:25、堀川通を南に進み、

スタートから4キロ、『京都府庁旧本館』に到着。1904年に建てられ、1971年まで本館として使用された。現在は無料で一般公開されていて、かつて式典が行われてきた正庁や、旧議場を、結婚式の会場として利用できる。

 

 普段は立ち入り禁止の、旧本館の2階にあるバルコニーに、特別入らせてもらう。このバルコニーにかつて、宇宙飛行士ガガーリンが立ったことがある。くっすんは、レディー・ガガさんやユリ・ゲラーさんなら知っているが、ガガーリンはよく知らない。

 ガガーリンはソ連の宇宙飛行士で、1961年に世界初の有人宇宙飛行に成功した。地球に生還した後、言ったセリフ・「地球は青かった。」が有名。

 1962年には親善大使として来日し、旧本館を訪問した。そして、バルコニーから2,000人の歓迎に手を振った。

 

 ここで、突然ながら『クイズ昔の人は偉かった(第2回)』。河田アナからスタジオの皆さんに、3択クイズの出題。「ガガーリンが宇宙飛行士に選ばれた理由は?」という問題で、A.新調が低かった、B.手が大きかった、C.顔がカッコ良かったの選択肢から選ぶ。

 河田アナはVTRの中で、スタジオの皆さんに答えを聞き、反応を予想してリアクションする。宇都宮まきさんはBと答えて、他の皆さんは全員Aと答える。正解はA。ガガーリンが登場した宇宙船・ボストーク1号は、パイロットのいる空間が非常に狭い。宇宙飛行士に選ばれた理由の1つが、彼の身長が低かったことといわれる。

 

午前11:45、京都市上京区から中京区へ入る。

 

スタートから6.5キロ、河原町でお昼を食べるお店を探す。

 その最中、京都出身のおしゃれなおとうさんに出会い、この辺のオススメの店を聞いてみる。すると、おとうさんが若い頃に行っていた京都らしいお店・『志る幸』を紹介してもらう。

 

 だがしかし、2人が期待して向かえば、定休日だったので「おい~。」と声を揃えてガッカリ。後日、スタッフさんが取材した映像で、お料理(利休辨當)を紹介する。

 

 お店探しで悩んでいると、くっすんが妙案を提示する。河田アナにMBSのグルメ番組『魔法のレストラン』に出演していることを思い出させる。そこで紹介した店なら間違いないだろうと、河田アナが先導する。

 

午後0:15、四条大橋を渡る。

八坂神社と目の鼻の先にある、創業100年以上、いなり寿司がとってもおいしい、『いづ重』に行ってみると・・・、シャッターが閉まっており、またしてもお休みで惨敗。河田アナに落ち度はないが、期待していたくっすんは食ってかかる。後日、スタッフさんが取材した映像で、お料理(いなり寿司)を紹介する。

 

 2連敗を喫っし、閉まったお店の前で途方に暮れていると、隣りのお店から店員さんが出てきて、いづ重さんは毎週水曜日が定休日だと教えてくれる。お隣のお店はちょうど空いているので、せっかくだから、こちらもまほレスで紹介した『志津屋 祇園店』にて昼食。

 河田アナは『特製ビーフカツサンド』を、くっすんは名物『カルネ』を食べる。初めて食べたカルネの味は、シンプルで懐かしくも新しい味。昭和と平成を行ったり来たりしているような?、とにかく一言で言うなら「うまカルネ。」らしい・・・。

 

午後1:30、ポカポカ陽気に、ジャージの袖を巻くる河田アナ。

 

スタートから10.5キロ、泉涌寺塔頭寺院の一つ、戒光寺に到着。1228年に創建されたお寺で、前回、修行場めぐり24日目のロケで会ったばかりの渡邊さんが、平素ご住職を務めている。

 

 ご住職に案内され、本堂で御本尊・『丈六釈迦如来像』を拝観する。『丈六さん』の愛称で親しまれる鎌倉時代の作は、高さ1丈8尺(約5.4メートル)と圧倒的スケール。丈六は1丈6尺で、釈迦如来は身長1丈6尺あったとされる。「チェ・ホンマンより大きいですね。」とくっすん。

 

 丈六さんの首の辺りに付いている液体が垂れたような跡は、釈迦の血の跡といわれる。江戸時代に後水尾天皇が幼少の頃、即位争いに巻き込まれて暗殺者に襲われたとき、この釈迦如来像が身代わりになったといわれる。そこから、身代わりのお釈迦さまと呼ばれるようになった。

 

 病気や怪我、首から上の病気を身代わりをしてもらおうと参拝者が訪れる。

 頭の中がよろしくないくっすんにも、ご利益があるかも?くっすんは頭が良くまわるようになって、スタジオのコメンテーターとして座らせていただきたいとのこと。「鋭い社会を・・・、鋭く社会を斬っていきたいな。」というくっすんの発言に、河田アナは頭の回転がほとんど止まっているようだと見守る。

 

 2人は丈六さんに手を合わせ、戒光寺を後にする。

 

スタートから約6時間30分

午後2:40、スタートから11キロ、修行場の勝林寺に到着。東福寺の塔頭寺院の1つで、1550年に創建された。

 御本尊の『毘沙門天王像』は平安時代の作で、厄除け・勝ち運にご利益がある。秘仏であるが、2018年は秋の特別拝観で、11月17日~12月2日に御開帳される。

 また、東福寺は季節ごとに限定の御朱印を授与していて、『御朱印の聖地』とも呼ばれている。

 

 今回行う修行の茶礼について、本堂の前でご住職の宇野さんにうかがう。

 茶礼とは、お茶を飲むことを心と体を整える修行とする。京都にある禅寺・建仁寺の初代住職・栄西禅師は、宇治茶の祖とされ、お茶の効能・栽培方法を詳細に書いた『喫茶養生記』を著した。なので、禅とお茶は関わりがとても深い。

 

 体験では、座禅を15分行い、茶礼をはさんで、再度座禅を15分行う。座禅は、日常生活で溜まった心の曇りを晴らしてくれる。

 

座禅1回目(15分)開始。勝林寺では座禅に集中できないとき、自ら合掌すると、ご住職に警策を打ってもらう。くっすんは、なんと開始15秒で警策。

 臨済宗では向かい合って座禅を行うので、河田アナとくっすんも向かい合って座る。向かい合わせになることで、修行に切磋琢磨する。

 眼は完全に開いている場合 or 閉じている場合は雑念が生じやすいので、半眼にする。また、半眼は外の世界と心の中を平等に観ていることを現す。

 

開始から6分、くっすん2回目の警策。

開始から12分まで、さらに3回目・4回目の警策を重ねるくっすん。勝林寺では警策を打たれることを、文殊菩薩からの励ましととらえる。河田アナは終了間際、1回目の警策。

 

座禅1回目終了。くっすんは集中しようと思えば思うほど、逆に集中力を欠くので、半眼をやめて目を閉じたら、寝てしまったという、1回目の座禅の自己分析。現代人は忙しい生活に追われ、得てして心のコントロールが難しくなってきている。

 

2回目の座禅の前に茶礼。一つの釜で沸かしたお湯を使って、お茶を入れることにより、和合をはかる。お茶を飲んでいる間に、お茶と自分に向き合う。修行として、おしゃべりをせず、静かにスッと飲む。

 1つの土瓶から湯呑みに全員のお茶を入れる。修行のために飲むお茶なので、注ぐ量はちょっと少なめ。臨済宗では、修行の合間や行事が始まる前に全員が集まり、茶礼を行うことで心を一つにし、和合をはかる。

 

 河田アナ・くっすん・ご住職はお茶を静かにスッと飲んで、心を落ち着かせ自分と向き合う。仕事の合間に飲むお茶にも、心を落ち着かせ整理させる効果があり、次の仕事に打ちこむことができる。

 

座禅2回目(15分)開始。2人は茶礼を行ったことで、リラックスした状態になる。すると、自然を感じやすくなり、自分を見つめ直すことが出来る。

 修行僧にとって一番の敵は欲。修行のため、普段からあまり寝ないという修行僧は、座禅の際に特に強くなる睡眠欲を克服するため(カフェイン?)、眠気覚ましにも良いとされるお茶を飲んで修行に励む。

 茶礼で落ち着いたくっすんも、2回目は警策も1回で済む。

 

座禅2回目終了。河田アナは、1杯のお茶を飲んだだけで気持ちが落ち着き、準備が整う気がした。くっすんも、まだまだ精進が足りないが、1回目よりだいぶ集中できた。2人とも、ほんの少しのお茶のパワーを実感した。

 

最後に25か所目の御朱印、勝林寺の御朱印をいただき、25日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市北区・総見院 [大徳寺境内] → 称念寺 (1.5km) → 『京都府庁旧本館』 (4km) → 昼食:『志津屋 祇園店』→ 戒光寺 [泉涌寺境内] (10.5km) → 目標地点:勝林寺  [東福寺境内] (11km) 

 

 

 

【26日目】 2018年11月08日(木)放送 

 

旅の内容:●四国・香川[少林寺拳法]▲日本一の石垣の名城■お寺はゆったり捕虜収容所?!★相手を思いやる拳法

 

スタートは香川県丸亀市・丸亀港。目標地点は香川県多度津町・金剛禅総本山少林寺。約10キロのコース。

 

午前7:30、香川県丸亀市・丸亀港にある、太助灯籠の前からオープニング。颯爽と登場したくっすん、一礼して、「やあー。」の掛け声とともに右の掌と左の拳で2連撃を放ってから、あいさつする。

 

 今回の修行は少林寺拳法で、小学生の頃3年習ったくっすんは6級とのこと。河田アナに「今回は自信あるね。」と聞かれると、「やあー。」と掌を振り下ろすくっすん。掛け声が大きいので、近所迷惑になるからやめてと注意される。

 少林寺と聞くと、中国の拳法というイメージをもつ人が多いが、実は日本発祥で、その歴史やルーツも取材する予定。

 

 太助灯籠(江戸講中灯籠)は1838年に、江戸や大阪から船で海を渡って、讃岐国を訪れる旅人の目印として建てられた。灯籠を建てる寄進者の中で、江戸の商人・塩原太助が最高額となる80両(現在の貨幣価値で400万円)を寄進したことから、この愛称で親しまれている。

 

午前7:50、気温15℃と肌寒い。通町商店街を歩いていると、青のキャップをかぶった、自転車に乗ったおとうさんとすれ違う。自転車のハンドルの真ん中にとり付けた、カラフルな風車が回っていたので、「風を感じてらっしゃる。」とくっすん。

 

 商店街を抜け、

スタートから1.5キロ、高い石垣の上に建つ、丸亀城の天守が正面に姿を現す。立派で絵になるお城に見とれながら歩き、丸亀城に到着。1597年に、生駒親正一正によって5年がかりで築城された。1660年頃、丸亀藩主・京極高和が高さ約60メートルの石垣を整備して、日本一高い石垣を誇る天守を完成させた。

 

 お城の敷地内では『丸亀城菊花展』を開催中で、シーズン真っ盛りの菊がズラリと展示されている。薄いブルーの作業着を着た、菊に水やりしているおとうさんは、菊栽培歴11年で道楽の域に達している。今日の午前9:00から菊の審査が始まるので、まな板の鯉のような心境とのこと。

 

午前8:20、500メートルの急な坂道を登り、天守を目指す。坂を後ろ向きに歩くおねえさんを見て、くっすんもまねてみる。

 

 天守まで4段の石垣で構成され、4段合わせると高さ約60メートルある。しかし、2018年7月~10月の台風で石垣の一部が崩落した。正面から登るルートと反対側のため、観光客には影響ないけど、どうように修復するか検討中。

 石垣のスケールに圧倒されながら、約360年前の技術力の高さに驚かされながら、上へ上へ登る。今度は、階段を後ろ向きに歩くおとうさんとすれ違う。御年87歳には見えない元気な方で、20年ほど前から毎朝上り下りしていて、5年前に後ろ向きに歩く楽さに気付いた(膝への負担が少ない?)。

 

 ようやく、コンパクトな天守にたどり着く。丸亀城天守(国の重文)は1660年に完成し、姫路城や彦根城とともに『現存天守12城』のひとつ。

 

 天守の建つ本丸からの眺望は、丸亀の市街~海に瀬戸内海の島々が見渡せる絶景で、スタート地点のすぐ後ろにあった青い橋も小さく見える。丸亀城は瀬戸内海の海上交通を監視する拠点だった。

 また、今回の目標地点で修行場の金剛禅総本山少林寺の施設群も、以外と遠くの山の裾野に見える。「梅田~難波間(約4キロ)よりも遠いですよ。」とくっすん。

 

 休憩をとり、丸亀城を下りると、

午前9:40、菊の審査が行われている最中。最前のおとうさんの菊が、丸亀地域で1等の農林水産大臣賞に内定していた。去年と一昨年の入賞者が審査対象外だからと謙遜されるが、何回も賞をもらっている実力の持ち主である。もらう賞金は、菊の材料や薬に充てるそう。

 

午前10:20、再び、丸亀市内を西へ歩く。丸亀城の天守のように、コンパクトな三越丸亀店の横を通る。

 

スタートから5キロ、塩屋別院に到着。1615年に、播州赤穂の浄土真宗本願寺派の信者が、塩田開拓のために移住して建立した。とりあえず本堂を参拝した後、河田アナがお寺の変わった使われ方をされた経緯を解説する。

 

 大正時代には、捕虜を収容する施設として使われた。本堂前にある由緒書の看板を見ると、その頃の捕虜のドイツ兵が境内で撮った集合写真が載っている。

 日本軍はドイツ軍と第一次世界大戦でチンタオ(中国)で交戦した。大正3年に、4,627人のドイツ兵が捕虜として日本へ連れてこられた。当時、日本には12の捕虜収容施設があり、その一つが塩屋別院であった。

 

 塩屋別院では、324人のドイツ兵が2年5ヶ月生活し、地元の人と交流もあった。そのなかで、木工の技術やお菓子の製法も教わったという。

 

 塩屋別院の木下さんに、本堂の前で詳しいお話しをうかがう。当時の捕虜の姿を撮った、数々の貴重な写真も拝見する。捕虜といっても、ビールを飲んだりソーセージを食べたり、ある程度自由な生活を送っていた。

 レオタード姿の男性の写真では、体操をしているところなのだが、「女装?」とツッコむくっすん。他にも運動会で二人三脚をしている写真、門の前で4段の人間タワーを完成させた写真など、捕虜の皆さんは地域住民と解け込んでいたみたい。

 

 さらに、捕虜の楽団員たちの写真もあり、彼らは音楽を演奏していた。塩屋別院で2年5ヶ月生活したドイツ兵たちは、その後板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)で終戦まで暮らした。

 そして、改めて楽団を結成して、大正7年に日本初の第九(ベートーヴェン)を演奏したといわれる。そんな歴史から、塩屋別院の本堂で毎年12月、地元のオーケストラによって第九が演奏されている。

 

午前11:40、そろそろお昼どき。うどんの生産量・消費量ともに日本一のうどん県に来たら・・・。

 『釜あげうどん 岡じま』にて昼食。河田アナは『肉うどん』+『天ぷら(穴子・半熟玉子)』を、くっすんは『かけうどん』+『天ぷら(ゲソ・茄子)』を食べる。歯ごたえ十分で、くっすんは「トランポリンみたい。」と表現する。

 実は、2人は朝食もうどん。香川県では、モーニングうどんがポピュラー。

 

スタートから7キロ、午後1:10、香川県丸亀市から多度津町へ入る。

 

 歩いていると、四国八十八ヶ所霊場七十七番札所の、道隆寺の前を通る。お寺の駐車場に止まっている観光バスから、お遍路姿で金剛杖を手にもった、中国人観光客の皆さんが降りてくる。

 せっかくだから、いってらっしゃいと手を振ってお見送りする2人。そこで「アイム ジャパニーズ ジャッキー・チェン。」といらぬウソをつくくっすんは、「今から少林寺拳法もしますし・・・。」と言い訳をする。

 

 さらに道隆寺の駐車場で、滋賀県からお遍路に来ている女性から、ポケットティッシュ入れをスタッフさんの分も含めてプレゼントしてもらう。

 四国では地元の人がお遍路さんをもてなすことをお接待と呼び、お接待のお返しに手作りのティッシュ入れを持参している。

 

 女性といっしょにお遍路しているおかあさんは、御年88歳でお遍路歴45年の大ベテラン。今でも1年に2回はお遍路されていて、実はお坊さん。若い頃は、1

日に40~50キロ歩いたそうで、河田アナとくっすんはまだまだ歩きが足りないなと驚かされる。河田アナはティッシュ入れのお返しに、ちちんぷいぷいのステッカーを渡す。

 

午後1:40、JR四国・土讃線を走る、アンパンマン列車(オレンジ)を見かける。

 

スタートから9キロ、アンパンマン列車も止まる、JR四国『多度津駅』前を通りかかる。本日の修行場・総本山少林寺の最寄り駅で、『少林寺拳法発祥の地のまち』と書いてあるオブジェを発見する。

 

 総本山少林寺が近づき、中国っぽい塔や多角形の建物が見える。少林寺拳法は日本発祥なのに・・・と疑問をもちつつ歩き、本堂を越え、待ち合わせをしている道場へ直接向かう。

 

午後2:20、スタートから10キロ、目標地点の金剛禅総本山少林寺、の道場に到着。少林寺6級をもつ、くっすんの血が騒ぐ。

 

 道場から颯爽と、少林寺7段の中川さんと5段の冨田さんが登場。僧侶の資格を持ちこちらの事務局で働いている、お2人に今回指導していただく。

 

 少林寺拳法をやっている人のことを拳士と呼び、拳士の端くれ?6級のくっすんが腕前を披露。気合の入った掛け声とともに、型らしきもので拳を繰り出し、最後は中川さんに手首を掴んでもらって、小手返しを決めた呈で転んでもらって、そこへトドメの一撃でフィニッシュ。

 河田アナがくっすんの技は合っているのかうかがうと、「え~なんかずいぶん忘れられているみたいな・・・。」と中川さん。

 

 道場の前庭には、少林寺拳法の創始者・宗道臣の銅像が建つ。岡山県出身で、17歳で満州へ渡り、様々な拳法を習得した。帰国後は多度津町を活動拠点とし、日本の武道や中国各地の武術を独自に研究し、昭和22年に”人づくり”の修行法として少林寺拳法を考案した。

 

 2人は真っ白な道着に着替えて、いざ少林寺拳法の修行開始。少林寺拳法初めての河田アナは白帯、くっすんは6級の緑帯。

 まずは型の練習・・・ではなく、道場の雑巾がけからスタート。毎回の修練開始前後、経験や年齢に関係なくおこなう。道場を掃除することで、心も磨く。33メートルある道場を行ったり来たり、ワックスピカピカの床での裸足の雑巾がけは、よく滑る。約15分のぞうきんがけで、息をゼイゼイ切らす2人。くっすんはこむら返りもおこすし、明日の筋肉痛が心配される。

 

 続いて、少林寺拳法の教えを声に出して唱える『鎮魂行』。そして座禅をして呼吸を整える。

 2人の座禅中、冨田さんが木の棒で床をぶったたき、大きな音を鳴らす。目をつぶっていた2人は体をビクッとさせビックリ、意味が分からない。床を叩くのは、静から動へスムーズに心と体を移し変えていく合図。

 

 準備は万端、いよいよ技の練習。最終的に、河田アナとくっすんには3つの技を披露してもらう。

 中川さんと冨田さんが1組となって、技をかけ合うお手本を披露。少林寺拳法は基本守りで、カウンターの技を繰り出す拳法。

[1.内受突(うちうけづき)] 攻撃の腕を払い、反撃。

[2.上膊抜(じょうはくぬき)] 掴まれた腕を払い、反撃。

[3.逆小手(ぎゃくごて)] 掴まれた手を関節技で返し、倒れた相手に追撃。

 

 お二人の技を見て、6級を持っているのに「ちんぷんかんぷんです。」とくっすん。「緑帯はあんなレベルできないです。」とおっしゃるが、内受突は初心者の白帯で習う。

 

 とりあえず体を動かさないと覚えられないので、河田アナとくっすんがお互いに技の練習相手になる。

 くっすんは内受突を見よう見まねで繰り出すが、グニュグニュとした拳は脇腹をかすめてくすぐったい。初体験の河田アナが内受突をすると、くっすんより様になっている。寸止めしたはずの河田アナの拳で、痛がるくっすん。

 

 続いて、上膊抜。手本の技を見ても、全然分からない・覚えられないとおっしゃるくっすん。河田アナが「覚えられなさそうやな。覚える気もなさそうやな。」と指さす。

 

 3つ目は、逆小手。技をかけた河田アナの方も、足を押さえて跳びはね、痛がる。

 

 河田アナが技を上達するには、くっすんの協力が必要不可欠。逆もしかり。少林寺拳法では、2人1組お互いのことを思いやって、練習する。社会に出ても、他人と助け合うことを説いている。

 

修行開始から2時間30分。総仕上げとして、習得した技の披露。3つの技を1つずつ交互にかけ合う。少林寺っぽいBGMの中、カンフー映画のようなカメラ演出。2人とも、何となくそっれぽい技ができた。

 

 中川さんに「初めてにしては、よくできてらっしゃる。」と褒めていただく。くっすんは、「言葉を返すようですが、僕6級です。」と異議を唱える。さらに、「我々の指導がよかったから・・・。」と言葉を返される。

 

 河田アナは格闘技との違いを実感した。

 相手に上手くなってもらうためには、適切な攻撃をしてあげて、自分が上手くなるために相手のアドバイスを聞き入れる。また、聞き入れるだけの人間関係をお互いにつくることが大事。少林寺拳法で身につけた人間関係の在り方は、社会でも活用できるはず。

 

 最後に、教える方教わる方、お互いに感謝の合掌をして、26日目の旅を無事終えた(今回は御朱印なし)。

 

■簡易チャート

スタート:川県丸亀市・丸亀港 [太助灯籠前] → 丸亀城 (1.5km) → 丸亀城天守 (2km) → 塩屋別院 (5km) → 昼食:『釜あげうどん 岡じま』→ 道隆寺前 → JR『多度津駅』前 (9km) → 目標地点:金剛禅総本山少林寺 [道場] (10km)