MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』33日目~34日目のまとめ。

 

【33日目】 2018年12月27日(木)放送 

 

旅の内容:●兵庫県市川町[水行]▲田んぼの中にド派手なカラオケ屋さん■白と黒の忠犬?!★真冬の水行で心の垢を落とす

 

スタートは兵庫県神崎郡神河町・扁妙の滝。目標地点は神崎郡市川町・延壽寺。約11キロのコース。

 

午前8:00、兵庫県神崎郡神河町にある、扁妙の滝の前からオープニング。 ロケ日の天気予報は、晴れ時々曇りで、河田アナの手元の温度計は5℃を示す。 

 

 記念すべき修行場めぐり第1回が京都・本昌寺(5月)での水行だったので、2018年の締めくくりも、水行でという趣旨。今回は真冬の水行なので、気温の低さ・水の冷たさがハンパないであろう。

 

 ロケ日は水量が少なかったけど、扁妙の滝は落差65メートルあり、1~2月の気温が最も下がる時期に滝が凍る、氷瀑の現象をよく観賞できる。兵庫県の内陸部では、冬の寒さがなかなか厳しいと分かり、水行の心の準備をして気を引き締める2人。

 

午前8:15、大きな岩がいっぱい転がっている険しい山道を、膝を踊らせながら下っていく。

 

スタートから1キロ、山道を下りきり、バーベキュー場に出る。『グリーンエコー笠形』という広大なレジャー施設の内で、宿泊施設・野球場・プール・天然温など、設備が充実。

 

 レジャー施設を抜け、田園風景が広がる道をひたすら西へ歩く。

 

スタートから4キロ、午前10:20、『カラオケ鈴蘭』と黒のマジックペンで書いたような看板がでている、見た目から個性的なお店が、田んぼに囲まれた道なりにポツンとある。

 

 お店の近くで立ち止まってしゃべっていると、ちょうどお店の入口からカラオケ仲間のお客さんが出てくる。

 2人は興味津々、人が出てきたので営業中と思い、とりあえず取材交渉に中へ入るくっすん。

 

 あっさり取材オーケーがもらえ、「凄い世界でした、中。」と期待させるくっすん。玄関口に、演歌歌手のポスターが壁一面に貼られ、天井からもいっぱいぶらさげられている。

 ポスターの間で、皮ジャンを着たきらびやかなマスターがお出迎え。相当派手な衣装に見えるが、まだやさしい方だという。

 

 カラオケ部屋に入ると、ド派手な装飾に度肝を抜かれる河田アナ。ステージには、ミラーボールが輝き、電飾でキラキラと彩られたマスター手作りの、大きめの五重塔の模型も左右に飾られている(姫路城の写真も飾られている・・・素晴らしい)。やり過ぎなところが、かえって清々しい。

 マスターはもともと建築関係の仕事をしていて、カラオケスタジオの内装を全部手掛けたとのこと。歌と踊りが大好きだったので、60歳を機に第2の人生として、念願だった手作りカラオケ店を始めた。

 

 お店は2018年に、オープンから15周年を迎える。いつもはお昼からの営業だけど、ロケ日にちょうどお祝いの会が開かれ、朝から常連さんたちが集まってお祝いしている。河田アナ・くっすんも15周年を祝福する。

 

 鈴蘭は、地域の人たちの憩いの場となっていて、マスターと奥さんも楽しんでやっている。若い人はカラオケボックスへ行き、お年を召した人はココへ通う。

 

カラオケ

1960年代は生バンドの演奏に合わせて客が歌う、歌声喫茶が若者に流行していた。1970年代に生バンドに代わり、歌の伴奏をおこなう機械・カラオケが日本で発明された。そこから、老若男女誰ものが気軽に楽しめる大衆娯楽になっていった。

 

 マスター夫妻のデュエットを聞いて、惜しみない拍手を送る2人。

 カラオケは、ご夫婦とお客さんにとって健康の秘訣で、歌の上手下手は関係なくとにかく声を出すことで健康になるという。ハツラツとしたご夫婦とイキイキしているおきゃくさんを見れば、うなずける。

 

スタートから6キロ、午前11:50、越知川に架かる、歩行者or自転車専用の赤い橋を渡る。橋の上で、河田アナがくっすんに2018年の干支を聞いてみると、ウサギ・サルと答えてすっかり忘れている。河田アナが『イヌ』だと思い出させる。

 

 251段の石段をちょっと?登り、播州犬寺[法楽寺]に到着。西暦600年代の大化年間に創建された。

 

 ご住職に本堂の内陣の外で、播州犬寺と呼ばれるようになった由緒をうかがう。

 

ご主人の命を救った2匹の忠犬

 皇極天皇の時代に、枚夫長者(まいふちょうじゃ)という豪族がいた。彼には子どもがなく、2匹の犬を我が子のように可愛がっていた。ある日、戦のために都の飛鳥から招集された。

 枚夫長者の留守中に、妻と家来が不倫した。家来は、戦から帰ってきた枚夫長者を狩りに誘い出し、暗殺しようと企てた。家来が矢をいつでも放てるようかまえているとき、2匹の犬が弓と家来ののどに噛みついて、身を挺して主人を守った。

 

 その後、2匹の犬が亡くなると、枚夫長者は菩提を弔うために法楽寺を建てた。ご主人思いの忠犬伝説から、いつしか犬寺と呼ばれるようになった。

 こうした由来から、愛犬を連れて訪れる人が後を絶たず、戌年だった2018年は、特に参拝者が多かった。お寺の入口では、矢を口にくわえた犬と、弓をかたわらに置く犬とで、向かい合った狛犬が参拝者を迎える。

 

 犬や猫とゆかりの歴史ポイントで、河田アナがだいたいする質問、「愛犬(愛猫)家ですか?」を、今回もする。ご住職は犬好きで、代々のご住職も飼っているとのこと。t

 ご住職の愛犬・かんたさんが、元気よく登場。ちょっと噛みますの注意喚起に、少し後ろに下がるくっすんと、遠くに逃亡する河田アナであった。

 

 越知川沿いに歩くこと1キロ、

スタートから7キロ、日本遺産の『銀の馬車道』に到着。朝来市にある生野銀山で採掘された銀を運ぶため、日本で初めて作られた産業専用道路。生野銀山の銀は、生野から現在の姫路港まで、49キロほど運ばれた。

 

 江戸時代まで、人と馬が担いで運んでいたが、明治時代に入ると、馬車を使って運搬されるようになった。しかし、既存の道路では、銀の重みで車輪が沈んでしまった。

 明治6年に、外国人技師・レオン・シスレーを招き、当時最先端の土木技術で、舗装道路が整備された。

 銀の馬車道の一部は、当時ままの状態で残されている。

 

午後0:50、かつて但馬街道の宿場町として栄えた、粟賀地区へ入る。

 

午後1:00、『オムライス専門店 BECAUSE』にて昼食。河田アナは『柚子自然薯のオムライス』を、くっすんは『ハンバーグシチューオムライス』を食べる。

 オムライスには、サラダとスープがセットで付く。くっすんのは濃厚デミグラスソース味、河田アナのは自然薯のトロッとした食感に柚子の香りが爽やか。水行に備えて、体を温める2人だった。

 

午後2:00、地元の方から応援をいただき、ゴールの修行場を目指す。

 兵庫県神崎郡神河町から神崎郡市川町へ入る。

 

スタートから約7時間

スタートから11キロ、午後3:00、目標地点の修行場・延壽寺(えんじゅじ)に到着。日蓮宗のお寺で、昭和17年に創建された。

 水行は、通常1月6日(寒の入り)~2月3日までの間、早朝5時から行っているが、今回は特別に体験させてもらう。

 

 本堂の前でご住職の堀さんに、水行についてうかがう。

 風呂に入って垢を流すように心の垢や、もって生まれた人の業を水に流し、本来の自分の姿になることが目的。自分のためだけでなく、家族や子どものために願いをもって水をかぶる。大切な人のためじゃないと、とても耐えられない。

 

 くっすんは「そういう気構えを・・・、もってくださいよ。」と、ご住職に胸をトントントンと叩かれる。さらに「嫌とは言わせませんよ。」と、退路を断たれる。

 だがしかし、それでも嫌と往生際の悪いくっすんに、「頭からかけてやります。」と、喝が入れられる。

 

 いざ、修行開始。2人は白いフンドシ一丁に着替え、お外に出ると気温11度の寒さに震える。お寺の井戸水で、水行を行う。

 

 水行歴30年のベテラン・金澤さんに、お手本をみせてもらう。まず、木桶に水を汲み、そんきょの姿勢で口をすすぐ。続いて、その姿勢のまま、桶から顔・両腕・両足・お腹・胸の順に水をかけ、最後に桶に残った水を下腹部にかける。

 

 桶に水を汲み、『南無妙法蓮華経×3回程度』を唱えながら、だいたい3回目のときに両手で持った桶を勢いよく振り上げ、首の後ろ辺りに水がかかるように下ろす。これを数回繰り返すが、慣れた人なら10回以上、中には30回以上水をかぶる猛者もいるとのこと。

 最後に、手を合わせて『南無妙法蓮華経×3』と唱え、終了する。

 

 豪快な金澤さんの水行を、すぐ後方で見ていた2人は、あまりの迫力に圧倒され、飛んでくる水飛沫にビビり、情けない声を出しながら縮こまっていた。

 真冬の水行のヤバさを知った2人。この期に及んで、水行を拒否るくっすんに、「大丈夫大丈夫。まだ気持ちがフラついているけど、真剣に水かぶったら全然寒くない。頑張れ。」と温かい言葉をいただく。

 

 まずは河田から挑戦。2人ともほぼ初心者なので、5回水をかぶれば修行達成という設定にする。

 河田アナの願い事ーーー今年一年間も、病気することなく仕事させてもらいましたが、来年はより皆さんに伝わる放送を心掛けたい。あと、『昔の人は偉かった』本がまだ残っておりますので、それをぜひ皆様の手元にお届けしたい

 

 水行の前段階、水で体を慣らす段階で、冷たさで顔が険しくなる。意を決して、けっこうキレイなフォームで水をかぶり、割と平気に回数を重ねる。

 

 願いを成就させるという強い意志が重要。一心不乱に水をかぶることで、無我の境地に至る。

 

 ひるむことなく、最後まで自分のペースで水をかけることが出来た河田アナ、みごと水行達成。

 

 続いて、くっすんの番。くっすんの願い事ーーー今年はたくさんの方にささえていただき、なんとか無事、過ごすことができました。来年は、週に1回家族で、1人三千円ぐらいの外食ができるようにがんばります(稼ぎます)。

 

 水行の前段階、水で体を慣らす段階で、冷たさで「ああぁー。」と何度も悲鳴をあげながら苦悶する。特に、股間への掛け水で悶絶する。

 意を決して?、南無妙法蓮華経の言葉をつまらせつつ、最初の1回目。フォームが悪く、勢いもなく、水がほとんど首にかかってない。2回目から姿勢はちょっと良くなったものの、やはり勢いはなく、そして水がちょっと後方にいき過ぎている。

 

 だんだん吹っ切れたのか、南無妙法蓮華経の合間に絶叫しながら、だいぶ勢いがでてくる。そして、今までの水行・滝行に比べて、ヘタレ具合がましになり、7回の水行を達成。

 

  ふんどし一丁の上から白装束を着て、水行を終えての感想。河田アナは、皆さんがいろんな願いをもってココにきて、水をかぶり心の垢を落とす、それがちょっとわかったような気がする。

 くっすんは、やってる最中は冷たさと苦しさで逃げたいという気持ちがいっぱいあったけど、終わったあとにようたく体が温まってきて、なんとなく週に1回、家族4人で一人三千円ぐらいのお店に行けるような気がする

 

最後に33か所目の御朱印、延壽寺の御朱印をいただき、33日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:兵庫県神崎郡神河町・扁妙の滝 → 『カラオケ鈴蘭』 (4km) → 播州犬寺[法楽寺] →『銀の馬車道』 (7km) → 昼食:『オムライス専門店 BECAUSE』→ 目標地点:延壽寺 (11km)

 

 

 

【34日目】 2019年01月10日(木)放送 

 

旅の内容:●大阪市箕面市[護摩行]宝くじ発祥のお寺■修行の前にほっこりお茶会最大級の火炎で穢れを祓い道をひらく

 

スタートは大阪府箕面市・箕面滝。目標地点は大阪府箕面市・命教寺。約10キロのコース。

 

午前8:00、大阪府箕面市にある、箕面滝の前からオープニング。2019年1発目の放送なので、くっすんの目標はというと、イノシシ年なので”ちょもつとうちん”。微妙に惜しい気もするけど、河田アナが『猪突猛進』と訂正する。

 河田アナの目標は、8年以上続いているこのコーナーを、引き続き皆さんに楽しんでもらえるように、皆さんの代わりにいろんなところに行って、テレビをご覧の皆さんのために歩きたい。

 

 今回の修行は、箕面市内にある命教寺にて護摩行。すでに体験済みの修行だが、火力が高い。命救寺は、ご住職と同じ距離で護摩行を体験できる、全国でも珍しいお寺。

 

 箕面滝は落差約33メートル、修験者の祖・役行者が修行したと伝わる。滝から山を下っていくと、2018年の台風21号の影響で、倒木がいまだにあちらこちらに残っている。

 

 大小2匹のワンちゃんと、散歩中のおとうさんに出合う。黒くモコモコの毛むくじゃらの大型犬は、ブービエ・デ・フランスという犬種。おめめにも毛がかぶさっているが、前は見えているみたい。動物担当のくっすんは、頭なでなでして戯れ、動物苦手の河田アナは、距離を置く。

 

午前8:35、スタートから2キロ、瀧安寺に到着。658年に役行者が創建したと伝わる。約700年前、後醍醐天皇によって箕面寺から瀧安寺に改称された。

 

 瀧安寺は、宝くじ発祥のお寺とされる。平安時代に行われた富くじが、宝くじの原型となった。富くじは、奉納金を納めた人が、札に住所と名前を書いて箱に入れる。札が集まったときに槍で突いて、刺さっていた札の主に、お寺のお守りが授与された。

 

 副住職の山本さんに詳しいお話しをうかがう。

 お守りを授かった人は、福が逃げないように大事に抱きかかえて、どこにもよらず真っ直ぐ家に帰ったとのこと。富くじは各地に広がり、江戸時代以降に奉納金の一部が配当されるシステムになった。

 

 今日でも、毎年10月10日に富くじが開催され、約300人が参加し、くじに当たった3人にお守りが授与される。その名も大福御守で、家内安全・身体健勝・商売繁盛にご利益がある。

 しかし、2018年の台風21号でお堂は損壊して、富くじが中止になった。ぼちぼち復旧作業中を行い、2019年は富くじを再開したい。

 

午前9:10、もみじの天ぷらを製造・販売している『桃太郎』で、朝早くから店先で天ぷらを揚げている。くっすんがあつかましくも試食を催促。揚げたてのてんぷらをいただくと、かりんとうのようなカリカリの歯ごたえで、控えめの甘さ。

 

 もみじの天ぷらは、約1300年前に役行者が滝に映える紅葉の美しさを称え、天ぷらを作って旅人にふるまったのが始まりとされる。

 天ぷらには栽培している、黄色くて大ぶりな一行寺楓の葉を用いる。

 

スタートから2.4キロ、昔偉ファンのおとうさんに出合う。3月の行く1回だけのスキーだけのために、腰痛をかかえながら展望台の方へ歩いているとのこと。大学に入ってから50年スキーをやっていて、今回は会社の現役とOBでスキーに行く予定。

 

スタートから2.6キロ、山の麓へたどり着く。この辺りに昔は動物園があったと、河田アナのプチ情報。1910年に開園した箕面動物園で、日本最大級の動物園だった。甲子園球場2.5倍ほどの敷地に、ライオンやトラなどを飼育し、観覧車もあった。

 動物園は1916年に閉園し、現在は跡地に大江戸温泉物語がそびえ立っている。

 

 阪急『箕面駅』前を通り、

スタートから3.2キロ、みのお本通り商店街を抜けるところで、ミスタードーナツ1号店を見つける。

 看板に”0001”と書かれている1号店は、1971年にオープンした。オープン初日は、開店1時間で4,000個のドーナツがはけた。

 

 ちなみにくっすん家では、週一でミスドを買うとのこと。フレンチクルーラーを5つぐらい買って、それを手でギュ~と圧縮して食べるのがくっすん流。

 河田アナが、フレンチクルーラーの醍醐味はふわっとしてて、口の中でふんわりとした食感が楽しめる商品じゃないの?、とツッコむ。嫁とまったく同じツッコミらしく、誰にも理解してもらえない。

 

午前10:30、スタートから5キロ、住宅街にある、教学寺に到着。1532年に創建されたお寺で、とある有名な飲み物を発明した人物の生誕地である。

 

 河田アナがくっすんに何の飲み物かクイズを出す。コーヒー・紅茶・緑茶・麦茶・ほうじ茶・ドクダミ茶・ジャスミンティー次々に答えを繰り出すくっすん、ことごとく「違います。」と否定される(最後の方は被せて)。

 

 実は2人の立っている後ろの石碑に答えが書いてあり、カルピスの文字を発見するくっすん。そして、この一連のやりとりは数年前(2011年放送・西国三十三所 札所めぐり編)もあって、すっかり忘れていた。

 

 教学寺の住職の息子で日本語教師だった、三島海運がカルピスを発明した。日本語教師として中国へ渡った際、モンゴルに立ち寄って酸乳という乳酸菌飲料に出会った。酸乳を日本でも広めようと研究し、1919年にカルピスとして発売に漕ぎつけた。

 

 現ご住職の塚田さんに、カルピスについてお話しをうかがう。2019年はちょうどカルピス発売100周年の記念イヤー。今は『カラダにピース』というキャッチコピーが付いているが、昔は『初戀(はつこい)の味』と付いていた。

 海運の後輩教師・驪城卓爾が、甘酸っぱいカルピスの味のキャッチコピーに初恋の味はどうかと提案して、採用された。

 

 「ちなみに住職様の初恋はいつですか?」と攻めるくっすん。遠くで妻が見ているんで言いにくいというので、くっすんが耳をふさいどいてくださいとお願いする。

 小学2年生のとき、横に座っていた女の子を好きになり、手の甲が触れ合うだけでポッとなるような感じだった。その子が引っ越ししていったときに泣いたという甘酸っぱい初恋だったとのこと。

 

 教学寺を後にして歩いていると、秀逸なカルピスのキャッチコピーの話しから、くっすんにも自分で自分のウィキペディアに書いたキャッチコピーがあるという。その名も”涙のカリスマ”・・・。

 

スタートから6キロ、午前11:30、イオン箕面店の近くで、地元の方にオススメのランチのお店を聞く。

 

午前11:50、紹介された韓国料理のチゲ・スントゥブ専門店・『OKKII(オッキー)』にて昼食。河田アナは『牛とろとろスントゥブ』を、くっすんは『ミックススントゥブ』を食べる。まだグツグツ煮えていて、ぴりっとした辛さは、寒い冬にぴったり。

 牛とろとろスントゥブは、牛肉が口の中で溶けてなくなる感じ。ミックススントゥブは、魚介たっぷりで一口食べれば『口の中が竜宮城』になる。韓国のり・きゅうりのキムチ・もやしのナムルは、おかわり自由。

 

午後1:15、空が晴れてきて、暖かくなる。

 

スタートから9キロ、トイレ休憩にローソンに立ち寄ると、そばにある喫茶店・『ICHIRIN COFFEE[一凛珈琲]』の従業員さん2人に声をかけてもらい、お店に誘われる。せっかくだからと、お言葉に甘えるが、「おごってや。」とフランクなくっすん。

 

 河田アナとくっすんは、誘ってくれたお店の女性2人と向かい合ってテーブルを囲み、アフタヌーンティーをごちそうになる。実は、先に昔偉一行を見かけた、お店の社長さんから、喫茶店に入ってもらってと頼まれていた次第である。それを聞いて、「ナンパ大成功ですやん。」と茶化すくっすん。

 

世間話で盛り上がり、お茶をすること15分、2019年は彼氏を作りたいという年頃の佳穂さんに、河田アナが積極的に行動するように恋愛のアドバイスをする。

 くっすんが彼氏にちょうどいい人がいたと、照明機材を構えていた、スタッフの安田さんを紹介する。デートするならどこに連れていくのとくっすんが聞くと、「USAとかよう行ってる・・・。」と答える。河田アナが「アメリカやん。」とツッコみ、佳穂さんに大ウケで、皆で笑い場が和んだ。

 コーナーのテイストが変わり、よく分からない空気感に、河田アナは「なんなんよこれ・・・、っていうか。これ放送する気?」と失笑する。

 

午後2:20、お茶会を終え、ゴールまで残り1キロ。

 

スタートから約6時間30分

スタートから10キロ、午後2:40、目標地点の修行場・命教寺に到着。2008年に護摩行の専門道場として創建された、真言宗のお寺。

 

 護摩堂の前で、ご住職の植田さんに護摩行について話しをうかがう。自分自身と向き合って、生き方のヒントを見つける。2人が2019年をさらに前進するため、特に方向性がまったくないというくっすんにぴったりの修行。

 今のくっすんは、本人曰く目隠しされて歩いているような心地で、他の皆さんに手を引っ張ってもらって生きている人生。

 

 ご住職に「まったく自信を見つめておられない。一か八かみたいな人生を送っておられますけど・・・、そうじゃなくて自身の中に全部答えがあるですね・・・。」と諭される。

 

 いざ、護摩行の修行を開始。2人は作務衣に着替え、まずは護摩木に祈願内容を書く。1枚につき、1つの祈願を書く。河田アナは身体健全・開運招福・家庭円満を、くっすんは商売繁盛・技芸上達・立身出世・自立成就・身体健全・家内安全・夫婦円満を願う。

 

 次に護摩堂に移動し、不動明王真言を唱える。不動明王のことを思いながら唱えることで、自身の心と不動明王を一体にする。

 今回は特別にはじめから内陣で護摩行を行う。くっすんは、覚えることがいっぱいあり過ぎて、不安もいっぱいあるけど、とにかく一生懸命やる意気込み。

 

 護摩行は、およそ1時間をかけて行う。

 

 ①般若心経・十三仏真言などを唱える(20分)。

 護摩行は、弘法大師が中国から日本に伝えた密教の修行のひとつ。

 

 護摩壇に火を入れる。

 ②印を結び、不動明王真言を唱える(40分)。

 護摩の火は、不動明王を現している。火と向き合い不動明王と一体になることで、自身の悩みや不安を祓い、進むべき道を見つけることができる。

 

 火のすぐ真近いで護摩行が体験できるお寺は珍しく、火は高さ3メートルまで昇り、かなりの熱さになる。

 途中、願いを書いた護摩木を自身で火に入れ、不動明王の力を授かる。

 最後に、弘法大師の御宝号を唱え、1時間の護摩行を終える。

 

 命教寺の護摩行体験は、毎月21日に行われている。

 

 護摩行を終えての感想。くっすんは、家族のために自分が生きていったら、人生は開けるだろうなって、なんとなく思えた。子どもや妻の幸せのために生きようとするだけで、道が開けるかなと気付いた。

 河田アナは、想像していたよりも炎の勢いがすごくて、かなり苦しかった。熱がすごいので、息をするだけでノドが焼けそうだった。でも、悪いところを燃やし尽くしてくれるじゃないかと、途中から思えるようになって、あとは何も考えず一心腐乱だった。

 

おしまいに34か所目の御朱印、命教寺の御朱印をいただき、34日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:大阪府箕面市・箕面滝 → 瀧安寺 (2km) → 『桃太郎』 → 阪急『箕面駅』前 → ミスタードーナツ1号店 (3.2km) → 教学寺 (5km) → 昼食:『OKKII(オッキー)』→ 『ICHIRIN COFFEE[一凛珈琲]』(9km) → 目標地点:命教寺 (10km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』31日目~32日目のまとめ。

 

【31日目】 2018年12月13日(木)放送 

 

旅の内容:●三重県名張市[写仏]▲いきなり忍者修行■まんじゅうでヘタレるくっすん?!★世界に一つだけのお守り

 

スタートは三重県名張市赤目町・赤目四十八滝。目標地点は名張市・慈唱院。約10キロのコース。

 

午前7:30、三重県名張市赤目町にある、赤目四十八滝の前からオープニング。 


 三重県名張市は、大阪から電車で約1時間、車で約1時間30分。名張から大阪へ通勤している方も多い。

 

 今回の修行は、慈唱院で写仏の修行。2人は、すでに写仏の修行は経験ありだが、写仏した仏様をお守りにしてお持ち帰りできるところがミソ。

 

 赤目四十八滝は、約4キロの渓谷に23ある滝の総称。『四十八』は、数多くあることを表す。

 ここで、役行者が修行中に、不動明王が赤い目の牛に乗って現れたことから、『赤目』の地名がついたとされる。くっすんが「めばちこ(ものもらい)やったんですかねぇ。」とコメント。

 

 赤目四十八滝の入口の建物を抜け、

スタートから0.4キロ、延寿院の前を通る。平安時代から鎌倉時代にかけて、山岳仏教の道場として栄えた。

 

 延寿院の裏側にある、『忍者の森』にて、忍者修行を体験する。2010年にオープンし、伊賀忍者の歴史を学んだり、十数種類の忍術修行を体験したりできる。

 

 まずは、赤目四十八滝渓谷保勝会の増田さんにお話しをうかがう。戦国時代に、伊賀忍者がこの地で修行していた。修験者の中から、諜報活動をする忍者が生まれた。森の中で滝に打たれ、山で岩を登り、手裏剣投げの修行をしていたかもしれない。

 

 河田アナはイエロー、くっすんはピンク色の忍者服(レンタル)に着替える。スタッフさんも緑・青・赤・紫・柿渋色の忍者服に着替えている。実際の忍者の衣装は、農業・林業の仕事用の野良着で、黒色ではなかった。

 

 2人は忍者武器の代名詞、手裏剣術の修行を行う。木の板に貼った丸い的や人を模した木人めがけて、手裏剣を投げて刺す。増田さんがお手本に投げると、的確に的や木人のお腹部分に刺さる6発6中。

 

 河田アナが投げると、1発目・2発目は地面に落ちる。力を抜いて的の中心を狙って投げると、木の板に刺さるようになったが、的には当たらない。

 手裏剣は、諜報活動中の忍者が最後の手段として、自分の身を守るために1・2枚忍ばせていた。実際はほとんど使われることはなく、お守り的な存在であった。

 

 2人は忍術修行を次々とこなし、ダイジェストで紹介。

 河田アナは、ロープを使って壁を登る・のぼり術の修行。くっすんは、木を登って高い場所に隠れる、狸隠れの術の修行。続いて2人とも、高い壁を身1つで越える・壁のぼりの修行。くっすんは、体の何処かを痛がる。丸太渡りの修行では、揺れた丸太から転落するくっすん。レンジャー部隊のようにロープにまたがって進む・綱渡り修行で、バランスを崩し背中から地面に落っこちる河田アナ。

 

 さらに、2018年から導入され、最新技術を採りいれた忍術修行を、忍者の森から忍者服を着たまま100メートル移動し、赤目ビジターセンター(観光案内所)にておこなう。

 

 なんと仮想世界をリアルに体感できる、VRを使っての忍者修行。くっすんがゴーグルを装着すると、そこは忍者の跋扈する世界。次々と出現する敵忍者から放たれる手裏剣を、回避するか手甲で防がなければならない。

 ゲームがスタートし、飛んでくる手裏剣を華麗?に体全体を動かして回避する。途中、手首の手甲が取れて床に落ちるも、本人は気付かない。右へ左へ回避していたが、ついに手裏剣をくらって死亡。

 

 VRで忍者に興味をもってもらい、忍者の実像を伝えたいと増田さん。

 

 忍者修行を終え、赤目ビジターセンターを出ると、すぐ目の前にあるお店の看板、『たまきや へこきまんじゅう』なるユニークなネーミングに魅かれる2人。

 

 吸いこまれるように来店し、看板娘さんに看板商品の説明をしてもらう。生地にサツマイモを使用し、サツマイモを食べたらオナラが出るので『へこきまんじゅう』と命名された。

 創業50年ぐらいの『たまきや』で、15年ぐらい前から販売されている『へこきあんじゅう』。さつまいも生地のみを使ったプレーンをはじめ、粒あんや白あんなどを入れた7種類のラインナップ。

 

 まんじゅうの考案者は、店主さんの奥さん。赤目四十八滝に登って疲れて帰ってくる、お客さんのためにホッとできるものをと考案された。奥さんが試作品を作って、店主さんに試食してもらった際、たまたまオナラをプッとこいた。それが面白かったので、「へこきまんじゅうでいこう。」と家族で盛り上がったとの逸話が残る。

 

午前10:05、スタートから約2時間30分、お店を後にして、やさしいお味と雰囲気の余韻に浸っているくっすん。河田アナが、スタートしてまだ500メートルしか歩いてないという現実をアナウンスする。

 

 遅れを取り戻すため、休憩なしで名張市内をノンストップで歩き、

午前10:55、スタートから4キロ、さっきから屁が出ると、くっすんが報告する。音をさせないように、1回止めてゆっくり出すようにしていた。

 『オナラ』の話しから、河田アナはヘタレの語源がオナラにあると説明する。口から屁を垂れるように、「あ~。」とか「う~。」とか「しんど。」などネガティブな言葉を漏らすので、ヘタレと呼ばれるようになった。まさにくっすんを現す一言。

 

午前11:15、音楽を聞きながらウォーキング中の、キャップのおねえさんに出会う。7キロほど歩くとのことで、大好きな三代目J Soul BrothersなどをBGMにしている。

 河田アナが、「スタジオの南光さんがこの時間帯(午後5:00~5:40ごろ)になるとちょっと眠たくなってしまうんですけど、パァ~っとこう目が覚めるような1曲、なんかないですか?」と南光さんいじり。「ランニングマンの曲(R.Y.U.S.E.I)でどうでしょうか?」と勧められる。くっすんがランニングマンのダンスをできるかうかがうと、できないと言われ、かわりに自らランニングマンもどきを披露する。

 

スタートから6キロ、シクラメンの栽培・販売をしている、『ミハタ園芸』を取材する。1968年創業のお花の栽培農家さん。

 さっそく今が最盛期のシクラメンを、今西さんに案内してもらい、ビニールハウスの中で拝見する。いろとりどりのシクラメンがずらりと並び、出荷を待っている。約100種・10,000株のシクラメンを栽培している。

 

 ヨーロッパの地中海地方原産のシクラメンは、明治時代に日本へ伝わった。戦後に品種改良が進められ、たくさん品種の増えている冬の花。

 今年トレンドなシクラメン・希少種の『ウインク』を見せてもらう。八咲きで、他にないピンク色が特徴。

 

 シクラメンの栽培はほぼ1年がかりで、夏を越すから大変難しいとのこと。シクラメンの栽培は、年間を通じて15~20℃を保たなければならない。夏場は遮光をして、こまめな温度調節が必要。

 大きいサイズに育てるための鉢の植え替えは、さらに手間がかかる。11月に種をまき、翌年3月に3寸ポットに植え替え、6月に5寸鉢に植え替え、9月に6寸鉢に植え替える。ミハタ園芸さんでは家族3人だけで作業しているので、植え替えに1か月ほどかかり、最終の植え替えは2か月かかる。

 

 今西さんはクリスマスやお正月にシクラメンを飾ってもらうため、忙しい冬をがんばりますと笑顔を見せる。

 

 午後0:55、スタートから8キロ、近鉄『名張駅』方面に向かい、お昼ごはんを食べる店を探しに行く。途中で地元の方に名張の名物を聞いてみると、伊賀牛をつかった『牛汁(ぎゅうじる)』を教えてくれる。

 

午後1:25、駅前の『賛急屋』にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『特製牛汁定食』を食べる。牛汁は伊賀牛を使用した、和風しょうゆ出汁の汁物で、名張牛汁協会が認定した店舗ごとにオリジナリティがある。

 伊賀牛から良い出汁が出て、関西でいうところの肉吸い。お店のオススメにしたがい、牛汁におにぎりを入れて食べる。

 

 お店を出れば、今日の修行場はすぐ近く。

スタートから約7時間

スタートから10キロ、午後2:30、寺院らしからぬ人んちっぽいところに本堂のある、目標地点の修行場・慈唱院に到着。奈良県吉野にある金峯山寺を総本山として、2004年に修行道場として建てられた。

 

 本堂の中へご住職の小澤さんに入れてもらい、写仏についてうかがう。修行とは行いを修めると書くので、写仏に限らず、そのときそのときの体験で終わるのではなく、心の中や体にしっかり修めていくことが大事。写仏では、線を1本1本修めていくことで、修行になる。

 

 慈唱院では、自分が描いた写仏を御祈祷してもらい、お守りとして持ち帰ることができる。

 自分が心を込めて描いたものは、自分の心に焼きつく。それを自分の中にもち続け、生きる勇気にしてもらえれば、とご住職。

 

 いよいよ、写仏の修行開始。ご住職から、2人には慈唱院のご本尊・不動明王の写仏をお願いされる。8種類ある仏様の中で、最も難易度の高い部類に入る。

 描いた線を手で擦ってしまうので、右利きの人は左上から描き始めるのがよろしい。

 

 写仏は、平安時代に嵯峨天皇の行った写経の表紙に、壇林皇后が仏様を写したのが始まりとされる。

 

 写仏で大事なことは、仏様の姿を紙に表していくで、下絵にあまりとらわない方が、良い仏様を書けるとご住職のアドバイス。それを受けて、「僕の一番得意なやつです。」と豪語するくっすん。「いやいや、無茶苦茶やっていいってわけじゃないですよ、あなた・・・。」と、たしなめる河田アナ。

 

 下絵の線からずれないように、慎重に筆を進める河田アナに、「もう少し、自由に描いていただいても大丈夫ですよ。」とご住職。性格通りきっちりと下絵にとわられてしまう河田アナは、「だから伸び悩んでるでしょうね、僕はアナウンサーとして。」と自虐する。

 

 一方くっすんは、対照的に下絵にとらわれず、自由奔放に筆を進める。河田アナがくっすんの筆に意見をうかがうと、自由で感覚重視、勢いがあっていいと褒める。さらに、「ホントのことおっしゃっていいですよ、ご住職。」と誘うと、「あの、もう少し丁寧に描かれた方が・・・。」と、たいそうお笑いになる。

 

写仏開始から30分、くっすんが不動様の、身にまとっている火焔と台座を描きあげ、本体にとりかかる。本人曰く、火焔は炎感、台座は岩感を出し、ここから不動明王感を出すらしい。河田アナが「全体的に違和感しかないけど・・・。」とキツイギャグを放つ。

 

写仏開始から1時間15分、くっすんが不動様を描き終える。河田アナは「速いですね~。」とボソ。しかし、焦らずマイペースでとにかく集中。

 

写仏開始から2時間、河田アナも不動様を描き終える。河田のすばらしい集中力に、ご住職も脱帽。

 

 2人の完成した仏様を見ての、ご住職の感想。

 出来上がった不動様を見比べると、まったく違うタッチに仕上がっている。河田アナは、かっちりした線で、しっかりと物事を進めていかれる方だと伝わってくる。くっすんさんは、勢いがあって躍動感のあるお不動さん。

 上手下手はあまり関係なく、思いがこもっているので、これから御守として持っていただけたら幸い。

 

 描きあげた写仏は小さく折り畳み、3種類あるお守り袋から1つ選んで、封入する。最後は護摩祈祷してもらい、自らお守りを護摩の火にあてて、不動様のパワーを移す。こうして、世界に一つだけのお守りが完成。

 慈唱院の写仏体験は、年間を通して行われている。護摩祈祷を行わず、写仏とお守り作製のみの体験も可能。

 

 修行を終えての感想。ご住職は、写仏された仏様の力が、これからのお二人の人生に力になっていただければ幸い。

 くっすんは、たっぷりの時間、みんなで1つになってお守りに思いを入れていった気持ちなので、一生のお守りにできる。

 

おしまいに31か所目の御朱印、慈唱院の御朱印をいただき、31日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:三重県名張市赤目町・赤目四十八滝 → 『忍者の森』 (0.4km) → 赤目ビジターセンター (0.5km)  → 『たまきや』 (0.5km) → 『ミハタ園芸』(6km) → 昼食:『賛急屋』→ 目標地点:慈唱院 [本堂] (10km)

 

 

 

【32日目】 2018年12月20日(木)放送 

 

旅の内容:●兵庫県豊岡市[たくあん漬け]▲歴史あるカバンの街を歩く■歴史ある大食いグルメに挑戦?!★たくあんに人生を学ぶ

 

スタートは兵庫県豊岡市・JR『豊岡駅』。目標地点は豊岡市出石町・宗鏡町。約13キロのコース。

 

午前6:30、兵庫県豊岡市のJR『豊岡駅』前からオープニング。 いつもより早めのスタートで、雨降りで薄暗い。ロケ日の天気予報は、雨。駅にある電光掲示板は、気温6℃を示している。

 

 今回の修行は、出石町にある、宗鏡寺(すきょうじ)でのたくあん漬け。修行っぽくないが、禅寺では日常の全てが修行といえる。

 宗鏡寺は沢庵寺の名前で親しまれ、歴史的にたくあんと関わりの深いお寺。毎年冬の時期に、地元の小学生・高校生といっしょにたくあん漬けが行われる。集合時間が午後1:30なので、早めのスタート、旅路も急ぎ足。

 

スタートから1キロ、カバンストリート(宵田商店街)を通る。豊岡といえばカバン、国内生産量第1位を誇る。カバンストリートには13のカバン屋さんが軒を連ね、豊岡市内には約100軒ものカバンメーカーがある。

 

 カバンストリートを歩いていると、カバンの自動販売機を発見する。パッと見は、ワンカップ的な日本酒が売られているよう。カバン自販機は、ここと豊岡駅構内に設置されている。

 いろんな柄があり、試しにくっすんが購入。ワンカップ的な容器に、おしゃれな唐草模様のミニ手提げカバンが入っている。シャレオツなだけでなく、生地は丈夫で持ち手も皮製と、自販機だと妥協を許さない。

 

 豊岡のカバン作りの歴史は古く、その昔にカバンとしても使われた柳行李の生産が盛んだったことに由来する。豊岡で原材料の柳が多く採れ、衣類からお弁当まで様々なものを入れるのに重宝した。柳行李は時代とともに形を変えて、カバン生産の発展へつながった。

 

午前7:00、お店が閉まっているカバンストリートの中で、1軒だけ明かりのついているお店を発見し、お邪魔させてもらう。

 『植村美千男のかばん修理工房』で、店主さんはマスミ鞄囊(ほうのう)という豊岡のカバン屋さんの2代目。カバン屋さんは息子さんに引き継ぎ、14年前から修理専門の工房を営んでいる。

 

 今は数が少なくなっている、柳行李の修理も行っていて、手縫いで修理するところを拝見する。機械で縫うと、柳が割れてしまうそう。

 

 70年近くカバンを製作してきた美千男さんは、女性に人気のブランド・『ヴィヴィアン・ウエストウッド』の、カバン作りに携わったこともある。さらに、1964年の東京オリンピックの際、聖火を運ぶ専用のカバンを製作した。

 

 河田アナが、美千男さんにプライベートで使っているカバンをうかがうと、良いのを持たずに封筒ばっかり使っているとのこと。

 

午前8:10、丸山川に架かる、丸山大橋を渡る。

 

 雨の日で地元の人との出会いはなく、道中、くっすんがカレーにはちみつを入れると美味しくなったという話しを聞かされる河田アナ。トークが盛り上がらず面白いオチもないので、「使えるもんなら、使ってみろ。使いもんにならん。」と吠える河田アナであった(それを使ったスタッフさん・・・)。

 

午前9:20、豊岡市出石町に入る。

 

スタートから7.5キロ、道の左右にある建物の入口で、それぞれ別れてしゃべっている、おかあさんたちに出会う。皆さんは85歳過ぎで、これから老人ホームにバスで行って福祉サービスを受ける、と公民館の入口に座っているおかあさん。

 「あっちいって、はよぉ仕事してきて。」と送り出される。

 

午前10:40、スタートから10キロ、『法善寺あられ 出石工場』を見学する。大正9年創業の法善寺あられは、大阪ミナミの水掛不動尊で知られる、法善寺の近くで販売されている。

 

 工場の所長さんに案内してもらう。雛祭りに向けて、1個1個子供の絵が描かれたセロハンでラッピングされたあられを、従業員さんたちが手で袋詰めしている。

 

 大阪で売るあられを、わざわざ豊岡の工場で作っている理由をうかがうと、水がきれいで空気が良いからとのこと。大阪の豊中にあった工場を、平成8年に移転した。

 工場近くには、お菓子の神様・『田道間守命(たじまもりのみこと)』を祀る神社がある。

 

 むかしながらの製法ながら、機械で餅つきをしている(人間が手で餅を返す)。国産のもち米を原料に、精米から全ての作業を行っている。

 焼き上げの作業では、上火と下火を使って少しずつじんわり焼き上げ、コンベアで焼き機の中を循環させる。循環させない一方通行の焼き機もあり、焼く機械によって食感が変わる。

 乾燥の校庭だけでも2~3日かかり、あられの完成に1週間以上かかる。

 

 法善寺あられで一番人気の『鬼サラダ七味・(さらだ味)』を、できあがったばかりで試食させてもうらう。熱い熱いと手でお手玉しながら、口に放り込めば、やっぱり美味い。

 

 あられは、奈良~平安時代に神前に供える鏡餅を、鏡開きして焼いて食べたのが始まりとされる。

 

 法善寺あられでは、お客さんの要望に合わせていたら、あられの種類が100種類を越えていた。一人のお客さんからの要望でも、試作をすることもある。

 くっすんが「オムライス味、作ってほしいです。」と好物を挙げてみたら、作るかどうかは別として、可能とのこと。所長さんは、何か作ってほしいと言われたとき、もうすでにありますと答える気でいたが、オムライス味はまだ作ってないし、想定外の味だった。

 

午前11:50、雨があがった・・・と思いきや、すぐに降りだす。

さらに歩くこと2キロばかり、出石の城下町に入る。

 

 城下町として栄えた出石は、京都のように碁盤目の街並みになっていることから、但馬の小京都とも呼ばれる。

 出石城は1604年に、出石藩主・小出吉英が山頂から山裾に移した。

 

スタートから12キロ、出石のシンボル・辰鼓楼の前を通る。明治4年に建てられ、1時間ごとに太鼓で時(辰)を告げた。明治14年に時計が付けられた。辰鼓楼の時計の針は、午後0:20を指している。

 

 辰鼓楼のすぐ近くにある『出石手打皿そば 左京』にて昼食。

 出石そばは、1706年に信州の藩主が国替えで出石に来た際、同行していた蕎麦職人が伝えた技術から始まったとされる。

 

 出石そばは、小さな皿に載せて出てくるのが基本。このお店では、男性50皿・女性40皿・小学生30皿を1時間以内に完食で、1年間無料でそばが食べられる。さらに、男性50皿・女性40皿・小学生30皿を10分以内に完食で、永久無料でそばが食べられる設定。

 ちなみに開店22年ほどで、男性は40人ぐらい永久無料を獲得している。河田アナがお店の台所事情を心配するが、なんとか大丈夫とのこと。

 

 くっすんは、男性50皿10分以内完食に挑戦する。1皿を1口で食べて、それを50回やればいいだけだと、たかをくくる。50皿10人前の皿そばがテーブルに運ばれ、挑戦開始。

 

開始1分30秒で、10皿を食べるハイペース。河田アナも、これならいけるかもと、かすかな希望をもち、皿からそばをそばつゆに入れる係を務める。大食いグルメ番組のコーナーに変わってきた。

2分経過で13皿を完食。だがしかし、くっすんの様子がおかしい。そばがノドを通らない。

3分40秒、18皿に突入し、顔がグロッキーでペースも大幅ダウン。

 

 19皿目で、苦悶の表情の後「あの、美味し過ぎて、ビックリしてます。」と今頃コメント。セコンドの河田アナが、「長いんですか・こちらのお店は・・・。」と店主さんに効き、諦めムード漂う。

 

 結局10分間で21皿完食で、永久無料には程遠い、大方の予想通りの結果。この記録は、ちょっと少ないと店主さん。50皿注文した皿そばの残りは、河田アナとスタッフさんが美味しく召し上がりました。

 

スタートから13キロ、午後1:20、目標地点の修行場・『宗鏡寺』に到着。1392年に出石城主・山名氏清よって創建されたお寺で、通称沢庵寺。出石出身の沢庵和尚によって、江戸時代に再興された。

 

 ご住職の小原さんにお寺の軒下にて、大根の漬けものを沢庵と呼ぶようになった歴史を教えてもらう。

 

空腹は最大のスパイス

沢庵和尚は三代将軍・徳川家光に厚遇され、相談役として家光の話しを度々聞いていた。ある日の相談が、「最近何を食べても、うま味を感じない。」という贅沢な話しだった。

 沢庵和尚は「でしたら、ご馳走をお出しいたしましょう。」と言って、朝早くに家光をお寺に呼び出し、「少々お待ちください。」とすぐに料理を持ってこなかった。

 

 あろうことか、家光は夕方まで待たされて、挙句に出されたものは、お茶漬けと大根のぬか漬けだった。しかし、とてもひもじい思いをした家光にとって、それらはどんなご馳走より美味しく感じられた。

 沢庵和尚は「農民たちは朝から晩まで働いて、粗末なものを食べている。町民の汗・涙を忘れないでほしい。」と諭した。将軍として度量があったのであろう、家光は納得して、名もなかった大根の漬けものに沢庵と名前をつけた。

 

 禅寺では、生活全般が修行であり、宗鏡寺では、たくあん漬けを重要視しているとのこと。こどもたちが主体で行うたくあん漬けで、河田アナとくっすんはお手伝いをする。

 

 いざ、たくあん漬けのお手伝いの修行開始。まずは、豊岡市立弘道小学校の3年生の子供たちと、但馬農業高校の皆さんの前で、自己紹介する2人。

 使うのは、但馬農業高校の生徒さんが、種まきから手塩にかけて育てた大根。雨が降っているので、今年は室内で作業を行う。

 

 グループに分かれて、大根をキレイに拭いて、樽に詰めていく。大根と大根の隙間に、ぬかと塩を混ぜたものを、空気が入らないように埋めていく。2人は温かく子供たちをそばで見守りながら、アドバイスする。

 作業の合間、くっすんが「おっちゃん見て、どんな人やと思う?」と聞いてみると、「売れてない。」と正直にホントのことを言われる。

 

 大根と塩入りのぬかを樽いっぱいに詰め、香り付けにミカンの皮・柿の皮をのせる。あとは、虫よけに唐辛子もぱらりと散らす。昔の人が考案した工夫は、今も変わらない。

 

 仕上げに、たるにふたをして、重石をのせる。ここで子供たちは、ご住職から人生で大切なことを教わる。

 「この石をのせなかったら、この大根たちみんな腐っちゃうや。ーーーみんなも一人一人、どんなけ探しても、一人しかいない。これは、命や。その命に何が必要っかていうと、重石なんよ。これはお寺でいうと、規則です。そこから逃げ出してしまう・・・と、これは(大根のように)ほっとくと腐ります、すぐに。けど、そのルールを乗り越えて・・・耐えていくと、長持ちする大根になったり、美味しい沢庵になるんよ。」と。

 

 必要不可欠の重石をのせると、この日の作業は終了。くっすんが、「できた~。」とガッツポーズで雄たけぶ。小3の女の子に、「すごい。できなかったと思ったけど、できたね。」とねぎらってもらうくっすん。

 

 食べ物の大切さを学んだ子供たちとは、お別れ。2か月後、自分たちが漬けた沢庵をいただく予定。

 

 河田アナとくっすんは、ご住職に用意してもらい、特別に去年漬けたたくあんを、湯漬けといっしょにいただく。ちなみに、宗鏡寺では沢庵のことを、本来は器の名前・”菜器”と呼んでいる。沢庵和尚が由来になっていることもあり、呼び捨てにすることを遠慮しているとのこと。

 

 禅宗では、食事中音をたててはならないが、汁をすする際、くっすんがズズズと音を立ててしまう。音をたてないことで自然とゆっくり食事ができ、食材の命を頂いていることや、作ってきれた人たちへの感謝の念をより実感できる。

 菜器を音をたてずに食べるのは、少々難しい。

 

 家光はお腹ペコペコでこれらを食したのに対し、くっすんは出石そばでお腹パンパンの状態で食べたので、残念。

 

 菜器を1切れだけ残し、茶碗についた米粒などをキレイにぬぐいとり、食材を余すことなくいただく。食後は、お箸と食器の汚れもぬぐいとる。食材への感謝と、道具を大切に扱うことを学び、修行は終了。

 

最後に32か所目の御朱印、宗鏡寺の御朱印をいただき、32日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:兵庫県豊岡市・JR『豊岡駅』 → カバンストリート(宵田商店街) (1km) → 『植村美千男のかばん修理工房』→ 丸山大橋 → 『法善寺あられ 出石工場』 (10km) → 辰鼓楼 (12km) → 昼食:『出石手打皿そば 左京』→ 目標地点:宗鏡寺 (13km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』29日目~30日目のまとめ。

 

【29日目】 2018年11月29日(木)放送 

 

旅の内容:●和歌山県・高野山[阿字観]弘法大師の足跡を辿る■高野山の聖地へカウントダウン肉体的な修行から心の修行まで

 

スタートは和歌山県かつらぎ町・丹生都比売神社(標高450m)。目標地点は和歌山県高野町・金剛峯寺。約15キロの山道コース。

 

午前8:30、和歌山県かつらぎ町にある、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の鳥居前からオープニング。朝からロケ日和の快晴で、天気予報は晴れのち曇り。

 

 今回は、高野山の麓から世界遺産の道を登って、金剛峯寺を目指す。そこで『阿字観(あじかん)』の修行をする。『あじかん』と聞いて、アジ缶と勘違いするくっすん。

 阿字観は、真言宗で『心の修行』とされる瞑想。河田アナの説明を聞いても、全くピンとこないくっすん。缶詰とは関係ない。

 

 高野山は平安時代に弘法大師が開いた真言密教の聖地で、2004年に世界遺産に登録された。金剛峯寺を総本山として、117の寺院を有する。

 平安時代に修行する土地を探していた弘法大師は、奈良の山奥で白い犬・黒い犬を連れた狩人に出会い、導かれるように高野山へやってきた。

 

 その道中、丹生都比売神社に立ち寄り、狩人から神社の領地だった高野山を譲り受けた。なんと狩人の正体は、丹生都比売神社の神である高野御子大神(たかのみこのおおかみ)だった。

 

 2人は金剛峯寺までの道中の無事と、修行の達成を祈願し、神社を出発する。

 

 スタート早々、ロケ前に遭遇した幸運を河田アナが語る。スタート地点までいく車の中から、めちゃくちゃ綺麗な雲海が見えた。河田アナやスタッフさんたちは車から降りて、しっかり・はっきりと見える雲海が右から左へ流れていく様を堪能した。一方、風情のないくっすんは、車の中から雲海を見ては、『ZIP!』に夢中になっていた。

 

午前8:50、スタートから0.6キロ、山道に入り、八町坂を登る。1町=約109メートルなので、約872メートル坂。ここから金剛峯寺まで、ずっと山道が続く。

 その昔、高野山の修行僧は、節目節目に丹生都比売神社を参拝した。昔の人の上り下りしていた山道は険しく、最近は町歩きばかりだったので、早くもくっすんの腰が痛みだす。

 

 河田アナがくっすんの弱音を受け流しつつ歩き、

午前9:25、スタートから1.5キロ、八町坂を登りきり、世界遺産の町石道(ちょういしみち)へ合流する。町石道は全長約22キロ、慈尊院(180町)~壇上伽藍(1町)まで続く高野山の表参道。1町ごとに町石が建てられ、計180基ある。

 

 2人は120町から歩き、あと高野山まで約13キロ。120町には、2つの鳥居・『二ツ鳥居』が丹生都比売神社の方に向いて建っている。昔から神社に参拝してから高野山へ向かう習慣があったが、神社に寄るのは一苦労なので、二ツ鳥居から神社に向かってお参りした。

 鳥居は819年に弘法大師によって建てられ、元々は木造だったが、江戸時代に石造に建て替えられた。鳥居から丹生都比売神社に向かって祈願し、先へ進む。

 

 120町から約109メートル歩き、119町の町石がある。118町・117町とカウントダウンされ、1町で目指す壇上伽藍に着く。100を越えるカウントダウンに、「まだまだですやん・・・。百越えてますよ。だってお風呂入ったときでも、僕は百までって決めてるんです。119って、完全にのぼせてますよ。」とお風呂に例えるくっすん。

 

 町石は弘法大師が高野山を開山した際に、木製の道しるべを建てたのが始まり。鎌倉時代に石柱に建て替えられ、それが今もほとんど残っている。

 

 ベンチに腰掛けて休憩している、おにいさんと出会う。東京からお越しで、慈尊院から歩いてきて、壇上伽藍の方へ向っている。以前にお遍路を一週巡って、最後は一番札所から高野山まで歩く。こういった行脚で東京の喧騒を忘れて、気分転換できる。

 高野山の次の目標をうかがうと、来年は世界を旅したいと充実。

 

午前10:45、だいぶ進んだかなと町石を見れば、まだ92町とあまり減っていないので、へこむ2人。

 さらに先へ進むが、ただただ山道が続く。河田アナがさっきからず~っと同じ景色やからと言えば、『南天さんが「歩くこと4時間・・・。」とかいう一言で終わるんでしょうね』と応ずるくっすん。同じ景色で、おいしいシーンもない映像をどうにか使ってもらう方法はないか、河田アナがくっすんに聞いてみるが、ちょっと考えてみて「ないです。」ときっぱり答える(あれば、実践しているだろう)。

 

(くっすんの期待?に応えて)歩くこと1時間(と南天さんのナレーション)

スタートから8キロ、山道を抜け、車道に出る。道路沿いに60町の町石があり、ちょうど中間の町石。

 

午後0:20、町石道から少し離れたところにある、『はなさかドライブイン』の隣りにある、『讃岐うどん 空海』にて昼食。河田アナは『てんぷらうどん(肉・温泉たまご)』+『柿の葉寿司(2個)』を、くっすんは『カレーそば』+『揚げ餅』を食べる。

 カレーそばのお味は、「カレーうどんのそばですね。」と残念な食レポ。後半の60町に備えて、栄養をつける。

 

午後1:05、再び町石道へ戻る。『高野山町石道→大門5.8Km』の案内板の上に、ツキノワグマ出没の注意書きがある。

 河田アナがスタッフさんに大丈夫か確認をとると、ダウンジャケットのポケットから取り出されたクマ除けの鈴を渡される。「小さいやろ、いくらなんでもこれ。」とツッコむ河田アナ。一応クマに用心しながら進む。

 

 後半60町は、前半より傾斜がきつい。しばらく歩くと、弘法大師ゆかりの苔むした『袈裟掛石』がある。

 その昔高野山は女人禁制だったが、この石のとこら辺まで弘法大師の母親が会いにきた。弘法大師は帰るように言ったが、聞く耳を持たなかった。

 

 弘法大師は袈裟を石に掛けて、「この袈裟を跳び越えてでも、山に入るのですか?」と思いとどまらせようとしたが、母親はかまわず跳び越えようとした。

 まさにそのとき、雷鳴轟き、火の雨が降り始めた。弘法大師は大きな石『押上石』を押し上げて、石の下へ母親を入れて守ったと伝わる。

 

 スタッフさんから耳寄りな情報がもたらされる。『腰掛石』にある小さな穴を潜ると、長生きするといわれているとか。成人男性が通るか、ギリギリの穴のサイズで、こういうこと?担当のくっすんが、果敢に穴潜りに挑戦する。

 

 かなり穴が狭いけど、どういう体勢で突破するかあまり考えず、場当たりで頭からツッコむくっすん。河田アナの指示にしたがい、体の正面を横に向けた状態で穴を潜り、体力を消耗したのか、そのまま仰向けに地面に寝転ぶくっすん。それを見て、「なんかこう、生まれてきたような感じになってるよ、いま。」と河田アナ。

 

【CM明け】

午後1:35、スタートから9キロ(50町)、つらい山道でのお約束、くっすんのガラスの付け根が悲鳴をあげる。

 

午後2:05、車道に出ると、金剛峯寺から下りてくる観光バスが通過する。参拝をすでに終えた方々と手を振ったり振られたり。でも、むかえら一行は落ち葉踏み分け、山道を進む。

 

スタートから10キロ、40町の町石を発見。やっと40町、まだまだ上りが続く。

 そして、くっすんの付け根にダメージが蓄積し、爆発寸前。河田アナが「ストレッチしたら?」と提案すれば、「お願いしていいですか?」と応えるくっすん。

 定番の荒療法・河田式ストレッチで付け根周辺に刺激を与え、「腰がはまった。」と勢いを取り戻すくっすん。

 

午後3:45、『大門』に到着。高野山の上に、よくこんな立派な門を造ったもんだと感心する2人。

 大門は山火事や落雷などで焼失したが、1705年に再建された。高さ約25メートルで、国重文。

 

 大門をくぐると、

スタートから14キロ、6町の町石がある。山上のヒンヤリした空気を感じながら、民家やお店の普通に建つ通りを歩き、ついに1町の町石を発見し、やっとこさカウントダウンは終了。昔の人と同様、町石を目安にして高野山を歩くことが出来た。

 

 町石の起点が『壇上伽藍』。奥之院と並び、高野山の二大聖地のひとつ。弘法大師が高野山を開いた際、最初に整備した。壇上伽藍の中核は、金堂根本大塔で、全部で19の建造物がある。

 

 

 

スタートから約8時間

スタートから15キロ、午後4:20、金剛峯寺に到着。平安時代に弘法大師によって創建された、高野山真言宗の総本山

 

 早速、金剛峯寺のお坊さんである倉本さんに、お寺の奥にある一般の参拝者は入れない道場に案内していただく。道場は、国内最大級の石庭の中にある。

 阿字観道場は阿字観を行う専門の道場で、阿字観体験者のみ入ることができる。

 

 阿字観は座禅に似た瞑想法で、『心の修行』とされる。梵字の『阿』は、真言宗のトップに君臨する大日如来を表している。如来様と向かい合って、自分の心の中にいらっしゃる仏様を探しにいく修行。

 阿字観の概要を聞いた後、今日は肉体的な修行をしてきたけど、ここからは心の修行と河田アナのコメント。

 

いよいよ、阿字観の修行開始。

 座禅と同じように足を組み、手は印を結ぶ。

 一番の特徴は、瞑想中に仏様を表す『阿』の字を声に出し、「あーーーー。」とずっと唱え続けること。自分の口から発せられた『阿』の音が、自分の耳から戻ってくることで、体から出入りしている仏様を体感しやすくする。体の内外で、『阿』の出し入れを繰り返すことで、仏様に近づく。それを受けて、「仏様のメリーゴーランドですね。」と例えるくっすん。独特な言い回しに、「私もどこかで使わせていただきます。」と倉本さん。

 

 倉本さんの発声する「あーーーー。」の声に続き、2人も発声する。今回は、3分と5分の阿字観を行う。

 

 阿字観は、弘法大師が中国で学んだ瞑想法をベースにしている。瞑想中は心を無にする必要はなく、心に浮かんだことはそのままにする。

 

阿字観1回目(3分)終了。1回目を終えての感想。河田アナは3分を短いと感じた。人間は、人の声は聴こうとするが、自分の声はあんまり聴こうとしない。

 

 阿字観では、普段の忙しい生活の中で見失われている自分を、もう一度確認するために、自分の声を聴いたりして仏様で一杯になるように目指して修行する。

 

2回目は、2人の前にそれぞれ『阿』の文字が書かれた掛け軸を置いて、行う。

 

阿字観2回目(5分)終了。2回目を終えての感想。河田アナは自分の声ってこんな声やったんやと気付き、声をゆっくりと出すことで体全体が響いてる感じがした。自分を見つめる時間を過ごしていた気がする。

 

 くっすんは仏様を見ていると、母親の姿が浮かんで、その後に妻の姿が浮かんだ。くっすんを一番そばで守ってくれていた母と、妻の世代交代が行われたと思った。母はそばにもういないので、今は妻がくっすんの守り神的存在。

 くっすんの話しを聞いて、倉本さんは一番素晴らしい結果が出ているのではないかとおっしゃる。一番そばにいる人のことを、思い浮かぶことが出来たのは、心の中の瞑想が出来た結果でなはいか。

 

最後に29か所目の御朱印、金剛峯寺の御朱印をいただき、29日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:和歌山県かつらぎ町・丹生都比売神社 → 八町坂 (0.6km) → 町石道[120町] (1.5km)  → 『二ツ鳥居』→ 町石[60町] (8km) → 昼食:『讃岐うどん 空海』→ 『袈裟掛石』 → 『大門』 → 『壇上伽藍』→ 目標地点:金剛峯寺 [阿字観道場] (15km)

 

 

 

【30日目】 2018年12月06日(木)放送 

 

旅の内容:●奈良・春日大社[書写]死後に天皇になった皇太子のお墓■商店街で鷹匠気分?!★神様に願いを込めて捧げる祝詞

 

スタートは奈良県奈良市菩提町・正暦寺。目標地点は奈良市春日野町・春日大社。約10キロのコース。

 

午前8:00、奈良市菩提山町にある、正暦寺(しょうりゃくじ)の境内からオープニング。2人の頭上では、紅葉が鮮やかに色づいている。

 

 今回の修行は書写。お寺でお経を写す修行はこなしてきたが、今日は神社で祝詞を写す修行。お寺と神社のスタイルの違いも教えてもらう。

 

 正暦寺は一条天皇の発願により、992年(正暦3年)に創建された。御本尊は、秘仏の薬師如来倚像(やくしにょらいきぞう)。

 

 奈良では紅葉の名所として有名で、境内の特に眺めが素晴らしい福寿院客殿へ、拝観時間前に特別上がらせてもらう。客殿から庭(借景庭園)を眺めれば、紅葉の美しさに感動。赤・黄・橙の紅葉が庭園の壁の内外に咲き乱れ、奥の山の緑を背景に映える。

 古くから錦の里と称される正暦寺の紅葉について、ご住職の大原さんに客殿でうかがう。ロケ日が紅葉のピークに入っていて、良いときに来られたとのこと。

 

午前8:20、お寺を出て、しばらく紅葉で目の保養をするも、

スタートから0.5キロ、のっけから山道へ入る。朝からの峠に、文句を垂れるくっすん。

 

山道を歩くこと30分、

午前9:00、峠を越え、下り道になる。

スタートから2.5キロ、山道を抜けて道路に出ると、すぐに道のど真ん中に大きな石がいくつか鎮座している。囲いがしてあり窪まった場所にある、その名も『八つ石』。

 

早良親王の祟り

 桓武天皇の弟で皇太子であった早良親王は、桓武天皇の側近である藤原種継暗殺の首謀者として、淡路島へ流罪と決まった。早良親王は暗殺の無実を訴えるため、淡路島へ送られる途中にハンストして亡くなった。

 早良親王の死後、桓武天皇の身辺の人が相次いで亡くなったり、巷で疫病が流行したり洪水が起こったりしたので、これは親王の祟りだと恐れられた。祟りを鎮めるため、親王の死後に祟道天皇の称号が贈られ、八つ石のそばにある御墓(祟道天皇陵)に葬られた。

 

 相良親王は、9つの石を投げ「落ちた所に葬ってほしい。」と言い残していたため、その中の8つの石が見つかったこの地に葬られた。

 

 八つ石の前で、先祖代々八つ石の周辺に住んでいる、3人の今里さんにお話しをうかがう。今はご年配の御3方が幼少の頃は、八つ石の周りは全部池で、いい遊び場だったとのこと。池の水に飛び込み、水で冷えた体を八つ石の上で体を温め、日光浴を楽しんだ。

 道路にほとんど埋まってちょっこと出た石が見えるが、車が通るのに邪魔だというのでどけようとした人がいて、その祟りで亡くなった・・・という伝説も残る。そんな怪談話を聞いて、「よう皆さん、ここで遊んでましたね。」とツッコむ河田アナ。

 

 現代人も祟道天皇の祟りを恐れ、八つ石を動かさず、囲むように道路を広げた(大きな車は通れない)。

 今里さん曰く、「我々が遊んでいるのをよく見て、守ってくれはったなぁっと・・・。」。くっすんも、ある意味墓石の上で寝転がっていたとツッコみ、八つ石に寝転んでみたらと誘われるが、大人だからと断る。

 

 今里さんたちと八つ石で別れ、

午前9:30、再び歩き出す。しばらくすると、家の前から「くっすんさんがんばってね。」との声がかかり、おかあさんと家族方に出会う。たった今、庭先の家庭菜園から抜いたばかりの立派な大根を見せてもらう。ご主人が栽培しているのは、大根の他に白菜・水菜・ニンジン・ホウレンソウ・ブロッコリー・玉ねぎなどで、野菜は買ったことがないとのこと。

 

 せっかくだから、ご主人自慢の菜園を見せてもらう。仕事をリタイヤしてから趣味で始めた菜園は、かなり本格的。

 今がホウレンソウの旬だと聞いて、くっすんが試食させてもらう。畑に生えているホウレンソウを素手でブチッと引き抜き、新鮮なホウレンソウを両手に持つくっすん。草食動物が草を食べるようにそのまま、生でムシャムシャパクつく。甘みが口の中に広まり、めちゃめちゃ美味しいとの感想。

 

 くっすんのホウレンソウをむさぼる様子を見て、「かわいいですね。」とおかあさん。河田アナは「気持ち悪いですよ。こんな息子は嫌でしょ?」と誘導し、「まあね。」と言葉を引き出す。裏切ったなと憤慨するかわいいくっすんさん。お土産にホウレンソウをいただき、分かれを告げる。

 

 奈良市内を北に向かって進み、

スタートから7キロ、奈良で一番の繁華街・ならまちにある、『もちいどのセンター街』を通る。美味しそうなカレー屋さんを見かけるも、午前11:18と時間がちょっと早くてとりあえずスルー。

 

 しばらく商店街を歩くと、動物の絵をあしらった『ならまち保護どうぶつ園』の看板が目に飛び込んでくる。通りがかりのおかあさんに、いろんなフクロウがいるとの情報をいただき、とりあえずお邪魔させてもらう。園長の佐藤さんに園内を案内してもらう。

 

 受付からちょっと進むと、大きなフクロウさん3匹がさっそくお出迎え。鳥かごには入ってなくて、机に置いてある止まり木に座っている。至近距離で観察する機会などなかなかないフクロウさんに、ビビってちょっと距離をとる2人。

 「カラフトフクロウのピカソ。」と河田アナが説明書きを読むと、名前を呼ばれたと理解したのか、両の翼を力強くバタつかせるピカソさん。恐いとビビるくっすんと、御免と謝る河田アナ。

 

 おとなしい性格のピカソさんは、手の甲でなでられるので、動物担当のくっすんがおそるおそる、後ろを向いている隙に後頭部をもふもふする。触り心地は、低反発のクッションみたいでふわふわ。ぜひふわふわを味わってもらいたいというくっすんの気持ちだけいただき、河田アナは一定の距離をあけてフクロウを楽しんで観察している。

 

 『ならまち保護どうぶつ園』は、2018年2月に開園した(ふくろうカフェならまちから改装して店名を変更)。元々他で飼育されていたものの、事情があって引き取り手がいなくなった猛禽類たちを保護して、触れ合えるようにした。

 

 どうぶつ園の奥には、『ハリスホーク』というアメリカに生息する鷹が止まり木にいる。「ハリソン・フォード?」と間違えるくっすんに、アメリカの俳優さんでしょうとツッコむ河田アナ。

 迷子か捨てられたかして、警察に保護された鷹を引き取ったとのこと。

 

 くっすんが鷹の住み家に、『フライト体験中』のポップを見つける。なんと、鷹を腕に止まらせたり飛ばしたりして、鷹匠気分が味わえるフライト体験を行っている。せっかくやったらと、くっすんに勧める河田アナ。「あんたの出しろ、取りたくないです、僕は・・・。」と相変わらず生き物全般が苦手。

 

 鷹と人間の関わりは古くからあり、355年には鷹狩りの記録が残る。戦国時代に織田信長徳川家康も鷹を愛でたと知られている。

 

 壁一面にお空が描かれた部屋で、どきどきのフライト体験。ハリスホークの女の子・嵐さんに、優雅な飛行を披露してもらう。

 くっすんは左腕にアームカバー?を装備し、園長さんに簡単なレクチャーを受ける。

 

 園長さんはくっすんから8メートルほど距離をとる。園長さんの左腕に止まった嵐さんが、くっすんの「あらしー。」の呼びかけに反応し、飛んできてくっすんの左腕にソフトに着地する。30センチの至近距離でみる嵐さんの姿に、「きれえぇ(綺麗)~~。」と見惚れる。

 そして、くっすんの腕の回転に合わせて、園長さんの左腕に戻っていった。園長さんがヒナから手塩にかけて育てて訓練したので、素人のくっすん相手でもちゃんと飛んでくれる。

 

 スタッフさんの「河田さんはやらなくていいんですか?」の一言に、嵐さんの優雅さに感化されたのか、「やりましょうか?」とフライト体験に挑戦する河田アナ。くっすんとフライトと同じ感じで、河田アナの「あらしぃー。」の呼びかけに反応し、飛んできて河田アナの左腕にソフトに着地する。30センチの至近距離でみる嵐さんの姿に、「もう、この距離で見ると、この爪の鋭さと、そして嘴。すごいね。・・・こんな近くで鷹見ることなんて、まあないもんなぁ。」と笑顔も見せて、いろんな意味でドキドキが止まらない。

 そして、河田アナの腕の回転に合わせて、園長さんの左腕に戻っていった。嵐さんのスッと乗ってサッと飛んでいく感じが、気持ちいいとニッコリスッキリする河田アナ。

 

午後0:10、商店街で鷹匠の気持ちを味わい、2人は大満足のうちにお店を後にする。お昼どきなので、食に関して貪欲なくっすんが、先ほど店頭のメニュー写真を見て目をつけていたが、時間が早いとからとスルーしたカレー屋さんにもどる。

 

午後0:15、日祝日は行列のできる、『若草カレー本舗』にて昼食。河田アナは『スペシャルあいがけカレー (チーズ・半熟玉子トッピング)』、くっすんはひとめぼれした『オム若草カレー (チーズ・エビフライトッピング)』を食べる。

 河田アナのカレーは、4種類のカレーをお好みに混ぜて、味の変化を楽しめ、ゴロッと丸ごと野菜入り。くっすんのカレーは、スパイシーな緑色のカレーを、やさしくやさしく口の中で溶けていく卵がマイルドにして、ちょうどいい感じ。

 

午後1:00、カレー屋さんを後にする。商店街を抜け、三条通りを歩く。

 

スタートから8キロ、江戸時代末期から5代続く奈良漬の老舗・『今西本店』を取材する。5代目に、あれこれ奈良漬についてうかがう。

 

 店頭のショーケースに入っている丸のままの奈良漬を見ると、色がかなり黒い。昔の製法を守り、長期間酒粕に漬ける。一般的な奈良漬は3ヶ月から1年半漬けこみ、塩分が強いので甘味料や調味料で味を調えているとのこと。

 今西本店では、4年漬けのウリ・5年漬けのスイカ・7年漬けのキュウリなど熟成させてある。

 

 7年物のキュウリを試食させてもらう。くっすんが匂いを嗅ぐと、酒の香りが鼻を刺激する。しかし、食べてみると酒の苦手なくっすんでも、全然イケる。

 さらに、スイカも試食させてもらう。スイカは漬物専用の小さな品種を使用し、通も好む。噛むと、コクの深いエキスがにじみ出る。

 

 奈良漬は冷蔵庫に入れず、賞味期限が2年。冷蔵庫のない江戸時代の保存食で、2年もって当たり前。「昔の人は偉かった・・・。」と5代目の奈良漬についての巧みなトークに、「通販の番組みたい。」とツッコむくっすん。

 

 せっかくだから、お店の裏側にある工場を見学させてもらう。従業員さんたちが行っているのは、塩漬けした野菜を水で洗う作業。

 5代目自ら、洗った野菜を手に持ち、見た目が赤みそっぽい酒かすの入った樽に入れて、酒かすを被せる。酒かすは6回以上入れ替えるため、その度ごとに掘っては埋めての繰り返し。漬けこむ酒かすは、一切他の調味料を加えない。

 「うちがやめたら、これなくなります。日本から・・・。」と語る5代目に、伝統を守り続けていく覚悟がうかがえた。

 

午後2:00、工場を後にし、再び三条通りを東へ歩く。春日大社の玄関口・『一之鳥居』をくぐり、本殿を目指す。鹿がチラホラ現れ、いっしょに戯れるくっすん。

 

 すると、中学生一行に写真を撮ってとお願いされる。西宮の浜甲子園中学校の学生さんで、郊外学習で奈良を学習しにきたとのこと。郊外学習用に学校で支給された使い捨てカメラ『写るんです』で、いっしょに記念撮影。学校への報告に、ちちんぷいぷいのロケに出会ったことを書いてとお願いして、お別れする。

 

スタートから約6時間30分

スタートから10キロ、午後2:30、目標地点の春日大社[本殿]に到着。768年に創建され、全国に約3,000写ある春日大社の総本社。

 本殿を参拝してから、書写について権禰宜の岡さんにお話しをうかがう。大祓詞(おおはらえことば)という祝詞を唱えてから、大祓詞を要約したものを書き写す修行。心を落ち着けて書くのは写経といっしょだが、書写は神様に書いた祝詞を捧げる。

 「適当にやってしまったら、(神様が)絶対怒りますよね。」とくっすん。

 

 徳川綱吉の母が寄進した祈祷所・桂昌殿にて、書写の修行を開始。畳の間で長机が置いてあり、神前に座して岡さんに手ほどきを受ける。

 

 神前に向かって2拝する。座って拝む場合に、背筋を伸ばし地面と体が平行にもっていく。続いて2拍手する。

 

 そして、大祓詞を奏上する。大祓詞は、天から地上に降り立ち国を治めた神に、罪や穢れを祓ってもらい、厄災を取り除く。

 岡さんのリードに続いて、2人も読み上げる。「たかあまはらにかむづまります。すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちてやほよろづのかみたちを。かむつどへにつどへたまひ・・・。」と、大祓詞を声に出すことで心身を清める。

 

 その文字数は約900で、全て唱えるのに5分以上要する。読み終わったら、再び2拍手し、2礼する。

 

 神に感謝を込めて墨をすり、いよいよ祝詞を書き写す。大祓詞の最も重要な部分を抜き出した、最要祓(さいようはらえ)を書き写す。岡さんに、「心を込めて書いてください。」と念を押される。

 

 最初の一文字を書くや否や、「めっちゃ、字ぃ汚い、僕。」とくっすん。二文字目で、「太くなったり細くなったりして、難しいですね、筆って。」と、こだわりの強いいつもの几帳面な河田アナ。

 くっすんが岡さんに意見を求めると、「同じのを写しているはずなんですけどね・・・。」と、ぼかして答える。

 

書き始めて10分、河田アナが1行目の途中なのに、くっすんは3行目が終わりかけのペース。「早いなぁ・・・。」とチラ見する河田アナに、「集中してください。」とくっすんがツッコむ。

 

 小さい文字も、丁寧に書き写していく河田アナ。筆に墨に多くつけ過ぎると、にじむ。コツコツの河田アナに対して、迷いなく筆を進めるくっすん。

 

書き始めて20分、くっすんが書き終わる。「早ぁ。」と耳を疑う河田アナ。くっすんは、自分の中では丁寧にやったつもりで、指をパチパチはじきながら、そんな自分のリズムで書いていたいう。

 軟いノリに、「ほんまに罰当たると思うわ。」と河田アナの意見。「ご自身が100パーセント、心を込められたと思われるんでしたらね、それでいいと思います。」と寛大な岡さんのお言葉。

 

 大祓詞を唱え、最要祓を書き写すことで、神に強く思いを伝える。

 

書き始めて40分、河田アナも書き終わる。

 

 書写を終えての感想。くっすんは最初はとにかく丁寧書こうと思ったが、途中で自分のリズムで書いた方が書きやすいと気づいた。一気にいった方が集中できた。

 鬼の形相で文字と睨めっこした河田アナは、目が真っ赤。だいぶ力を入れたので、疲れたの一言に尽きる。

 

 河田アナの願い事は、『みなさんが健康でいられますように』。くっすんの願い事は、『子供たちが里芋を食べれるようになりますように。』。おせち料理などで出される里芋を、子供たちが除けることがずっと気になっていて、里芋の美味しさを分かってほしいと神様にお願いした。

 岡さんは、ホントに心を込めてそれぞれが書かれたということであれば、一番なによりのことであり、自分がこれだけ心を込めたと胸を張って言えるのであれば、2人の願いが少しでも神様に届くことになると思う。

 

 最後に、書き写した最要祓を神前に奉納。30か所目の御朱印、春日大社の御朱印をいただき、30日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:奈良県奈良市菩提町・正暦寺 [福寿院客殿]→ 『八つ石』 (2.5km) → 『もちいどのセンター街』 (7km)  → 『ならまち保護どうぶつ園』→ 昼食:『若草カレー本舗』→ 『今西本店』 (8km) → 目標地点:春日大社 [本殿] (10km) → [桂昌殿]