MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』29日目~30日目のまとめ。

 

【29日目】 2018年11月29日(木)放送 

 

旅の内容:●和歌山県・高野山[阿字観]弘法大師の足跡を辿る■高野山の聖地へカウントダウン肉体的な修行から心の修行まで

 

スタートは和歌山県かつらぎ町・丹生都比売神社(標高450m)。目標地点は和歌山県高野町・金剛峯寺。約15キロの山道コース。

 

午前8:30、和歌山県かつらぎ町にある、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の鳥居前からオープニング。朝からロケ日和の快晴で、天気予報は晴れのち曇り。

 

 今回は、高野山の麓から世界遺産の道を登って、金剛峯寺を目指す。そこで『阿字観(あじかん)』の修行をする。『あじかん』と聞いて、アジ缶と勘違いするくっすん。

 阿字観は、真言宗で『心の修行』とされる瞑想。河田アナの説明を聞いても、全くピンとこないくっすん。缶詰とは関係ない。

 

 高野山は平安時代に弘法大師が開いた真言密教の聖地で、2004年に世界遺産に登録された。金剛峯寺を総本山として、117の寺院を有する。

 平安時代に修行する土地を探していた弘法大師は、奈良の山奥で白い犬・黒い犬を連れた狩人に出会い、導かれるように高野山へやってきた。

 

 その道中、丹生都比売神社に立ち寄り、狩人から神社の領地だった高野山を譲り受けた。なんと狩人の正体は、丹生都比売神社の神である高野御子大神(たかのみこのおおかみ)だった。

 

 2人は金剛峯寺までの道中の無事と、修行の達成を祈願し、神社を出発する。

 

 スタート早々、ロケ前に遭遇した幸運を河田アナが語る。スタート地点までいく車の中から、めちゃくちゃ綺麗な雲海が見えた。河田アナやスタッフさんたちは車から降りて、しっかり・はっきりと見える雲海が右から左へ流れていく様を堪能した。一方、風情のないくっすんは、車の中から雲海を見ては、『ZIP!』に夢中になっていた。

 

午前8:50、スタートから0.6キロ、山道に入り、八町坂を登る。1町=約109メートルなので、約872メートル坂。ここから金剛峯寺まで、ずっと山道が続く。

 その昔、高野山の修行僧は、節目節目に丹生都比売神社を参拝した。昔の人の上り下りしていた山道は険しく、最近は町歩きばかりだったので、早くもくっすんの腰が痛みだす。

 

 河田アナがくっすんの弱音を受け流しつつ歩き、

午前9:25、スタートから1.5キロ、八町坂を登りきり、世界遺産の町石道(ちょういしみち)へ合流する。町石道は全長約22キロ、慈尊院(180町)~壇上伽藍(1町)まで続く高野山の表参道。1町ごとに町石が建てられ、計180基ある。

 

 2人は120町から歩き、あと高野山まで約13キロ。120町には、2つの鳥居・『二ツ鳥居』が丹生都比売神社の方に向いて建っている。昔から神社に参拝してから高野山へ向かう習慣があったが、神社に寄るのは一苦労なので、二ツ鳥居から神社に向かってお参りした。

 鳥居は819年に弘法大師によって建てられ、元々は木造だったが、江戸時代に石造に建て替えられた。鳥居から丹生都比売神社に向かって祈願し、先へ進む。

 

 120町から約109メートル歩き、119町の町石がある。118町・117町とカウントダウンされ、1町で目指す壇上伽藍に着く。100を越えるカウントダウンに、「まだまだですやん・・・。百越えてますよ。だってお風呂入ったときでも、僕は百までって決めてるんです。119って、完全にのぼせてますよ。」とお風呂に例えるくっすん。

 

 町石は弘法大師が高野山を開山した際に、木製の道しるべを建てたのが始まり。鎌倉時代に石柱に建て替えられ、それが今もほとんど残っている。

 

 ベンチに腰掛けて休憩している、おにいさんと出会う。東京からお越しで、慈尊院から歩いてきて、壇上伽藍の方へ向っている。以前にお遍路を一週巡って、最後は一番札所から高野山まで歩く。こういった行脚で東京の喧騒を忘れて、気分転換できる。

 高野山の次の目標をうかがうと、来年は世界を旅したいと充実。

 

午前10:45、だいぶ進んだかなと町石を見れば、まだ92町とあまり減っていないので、へこむ2人。

 さらに先へ進むが、ただただ山道が続く。河田アナがさっきからず~っと同じ景色やからと言えば、『南天さんが「歩くこと4時間・・・。」とかいう一言で終わるんでしょうね』と応ずるくっすん。同じ景色で、おいしいシーンもない映像をどうにか使ってもらう方法はないか、河田アナがくっすんに聞いてみるが、ちょっと考えてみて「ないです。」ときっぱり答える(あれば、実践しているだろう)。

 

(くっすんの期待?に応えて)歩くこと1時間(と南天さんのナレーション)

スタートから8キロ、山道を抜け、車道に出る。道路沿いに60町の町石があり、ちょうど中間の町石。

 

午後0:20、町石道から少し離れたところにある、『はなさかドライブイン』の隣りにある、『讃岐うどん 空海』にて昼食。河田アナは『てんぷらうどん(肉・温泉たまご)』+『柿の葉寿司(2個)』を、くっすんは『カレーそば』+『揚げ餅』を食べる。

 カレーそばのお味は、「カレーうどんのそばですね。」と残念な食レポ。後半の60町に備えて、栄養をつける。

 

午後1:05、再び町石道へ戻る。『高野山町石道→大門5.8Km』の案内板の上に、ツキノワグマ出没の注意書きがある。

 河田アナがスタッフさんに大丈夫か確認をとると、ダウンジャケットのポケットから取り出されたクマ除けの鈴を渡される。「小さいやろ、いくらなんでもこれ。」とツッコむ河田アナ。一応クマに用心しながら進む。

 

 後半60町は、前半より傾斜がきつい。しばらく歩くと、弘法大師ゆかりの苔むした『袈裟掛石』がある。

 その昔高野山は女人禁制だったが、この石のとこら辺まで弘法大師の母親が会いにきた。弘法大師は帰るように言ったが、聞く耳を持たなかった。

 

 弘法大師は袈裟を石に掛けて、「この袈裟を跳び越えてでも、山に入るのですか?」と思いとどまらせようとしたが、母親はかまわず跳び越えようとした。

 まさにそのとき、雷鳴轟き、火の雨が降り始めた。弘法大師は大きな石『押上石』を押し上げて、石の下へ母親を入れて守ったと伝わる。

 

 スタッフさんから耳寄りな情報がもたらされる。『腰掛石』にある小さな穴を潜ると、長生きするといわれているとか。成人男性が通るか、ギリギリの穴のサイズで、こういうこと?担当のくっすんが、果敢に穴潜りに挑戦する。

 

 かなり穴が狭いけど、どういう体勢で突破するかあまり考えず、場当たりで頭からツッコむくっすん。河田アナの指示にしたがい、体の正面を横に向けた状態で穴を潜り、体力を消耗したのか、そのまま仰向けに地面に寝転ぶくっすん。それを見て、「なんかこう、生まれてきたような感じになってるよ、いま。」と河田アナ。

 

【CM明け】

午後1:35、スタートから9キロ(50町)、つらい山道でのお約束、くっすんのガラスの付け根が悲鳴をあげる。

 

午後2:05、車道に出ると、金剛峯寺から下りてくる観光バスが通過する。参拝をすでに終えた方々と手を振ったり振られたり。でも、むかえら一行は落ち葉踏み分け、山道を進む。

 

スタートから10キロ、40町の町石を発見。やっと40町、まだまだ上りが続く。

 そして、くっすんの付け根にダメージが蓄積し、爆発寸前。河田アナが「ストレッチしたら?」と提案すれば、「お願いしていいですか?」と応えるくっすん。

 定番の荒療法・河田式ストレッチで付け根周辺に刺激を与え、「腰がはまった。」と勢いを取り戻すくっすん。

 

午後3:45、『大門』に到着。高野山の上に、よくこんな立派な門を造ったもんだと感心する2人。

 大門は山火事や落雷などで焼失したが、1705年に再建された。高さ約25メートルで、国重文。

 

 大門をくぐると、

スタートから14キロ、6町の町石がある。山上のヒンヤリした空気を感じながら、民家やお店の普通に建つ通りを歩き、ついに1町の町石を発見し、やっとこさカウントダウンは終了。昔の人と同様、町石を目安にして高野山を歩くことが出来た。

 

 町石の起点が『壇上伽藍』。奥之院と並び、高野山の二大聖地のひとつ。弘法大師が高野山を開いた際、最初に整備した。壇上伽藍の中核は、金堂根本大塔で、全部で19の建造物がある。

 

 

 

スタートから約8時間

スタートから15キロ、午後4:20、金剛峯寺に到着。平安時代に弘法大師によって創建された、高野山真言宗の総本山

 

 早速、金剛峯寺のお坊さんである倉本さんに、お寺の奥にある一般の参拝者は入れない道場に案内していただく。道場は、国内最大級の石庭の中にある。

 阿字観道場は阿字観を行う専門の道場で、阿字観体験者のみ入ることができる。

 

 阿字観は座禅に似た瞑想法で、『心の修行』とされる。梵字の『阿』は、真言宗のトップに君臨する大日如来を表している。如来様と向かい合って、自分の心の中にいらっしゃる仏様を探しにいく修行。

 阿字観の概要を聞いた後、今日は肉体的な修行をしてきたけど、ここからは心の修行と河田アナのコメント。

 

いよいよ、阿字観の修行開始。

 座禅と同じように足を組み、手は印を結ぶ。

 一番の特徴は、瞑想中に仏様を表す『阿』の字を声に出し、「あーーーー。」とずっと唱え続けること。自分の口から発せられた『阿』の音が、自分の耳から戻ってくることで、体から出入りしている仏様を体感しやすくする。体の内外で、『阿』の出し入れを繰り返すことで、仏様に近づく。それを受けて、「仏様のメリーゴーランドですね。」と例えるくっすん。独特な言い回しに、「私もどこかで使わせていただきます。」と倉本さん。

 

 倉本さんの発声する「あーーーー。」の声に続き、2人も発声する。今回は、3分と5分の阿字観を行う。

 

 阿字観は、弘法大師が中国で学んだ瞑想法をベースにしている。瞑想中は心を無にする必要はなく、心に浮かんだことはそのままにする。

 

阿字観1回目(3分)終了。1回目を終えての感想。河田アナは3分を短いと感じた。人間は、人の声は聴こうとするが、自分の声はあんまり聴こうとしない。

 

 阿字観では、普段の忙しい生活の中で見失われている自分を、もう一度確認するために、自分の声を聴いたりして仏様で一杯になるように目指して修行する。

 

2回目は、2人の前にそれぞれ『阿』の文字が書かれた掛け軸を置いて、行う。

 

阿字観2回目(5分)終了。2回目を終えての感想。河田アナは自分の声ってこんな声やったんやと気付き、声をゆっくりと出すことで体全体が響いてる感じがした。自分を見つめる時間を過ごしていた気がする。

 

 くっすんは仏様を見ていると、母親の姿が浮かんで、その後に妻の姿が浮かんだ。くっすんを一番そばで守ってくれていた母と、妻の世代交代が行われたと思った。母はそばにもういないので、今は妻がくっすんの守り神的存在。

 くっすんの話しを聞いて、倉本さんは一番素晴らしい結果が出ているのではないかとおっしゃる。一番そばにいる人のことを、思い浮かぶことが出来たのは、心の中の瞑想が出来た結果でなはいか。

 

最後に29か所目の御朱印、金剛峯寺の御朱印をいただき、29日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:和歌山県かつらぎ町・丹生都比売神社 → 八町坂 (0.6km) → 町石道[120町] (1.5km)  → 『二ツ鳥居』→ 町石[60町] (8km) → 昼食:『讃岐うどん 空海』→ 『袈裟掛石』 → 『大門』 → 『壇上伽藍』→ 目標地点:金剛峯寺 [阿字観道場] (15km)

 

 

 

【30日目】 2018年12月06日(木)放送 

 

旅の内容:●奈良・春日大社[書写]死後に天皇になった皇太子のお墓■商店街で鷹匠気分?!★神様に願いを込めて捧げる祝詞

 

スタートは奈良県奈良市菩提町・正暦寺。目標地点は奈良市春日野町・春日大社。約10キロのコース。

 

午前8:00、奈良市菩提山町にある、正暦寺(しょうりゃくじ)の境内からオープニング。2人の頭上では、紅葉が鮮やかに色づいている。

 

 今回の修行は書写。お寺でお経を写す修行はこなしてきたが、今日は神社で祝詞を写す修行。お寺と神社のスタイルの違いも教えてもらう。

 

 正暦寺は一条天皇の発願により、992年(正暦3年)に創建された。御本尊は、秘仏の薬師如来倚像(やくしにょらいきぞう)。

 

 奈良では紅葉の名所として有名で、境内の特に眺めが素晴らしい福寿院客殿へ、拝観時間前に特別上がらせてもらう。客殿から庭(借景庭園)を眺めれば、紅葉の美しさに感動。赤・黄・橙の紅葉が庭園の壁の内外に咲き乱れ、奥の山の緑を背景に映える。

 古くから錦の里と称される正暦寺の紅葉について、ご住職の大原さんに客殿でうかがう。ロケ日が紅葉のピークに入っていて、良いときに来られたとのこと。

 

午前8:20、お寺を出て、しばらく紅葉で目の保養をするも、

スタートから0.5キロ、のっけから山道へ入る。朝からの峠に、文句を垂れるくっすん。

 

山道を歩くこと30分、

午前9:00、峠を越え、下り道になる。

スタートから2.5キロ、山道を抜けて道路に出ると、すぐに道のど真ん中に大きな石がいくつか鎮座している。囲いがしてあり窪まった場所にある、その名も『八つ石』。

 

早良親王の祟り

 桓武天皇の弟で皇太子であった早良親王は、桓武天皇の側近である藤原種継暗殺の首謀者として、淡路島へ流罪と決まった。早良親王は暗殺の無実を訴えるため、淡路島へ送られる途中にハンストして亡くなった。

 早良親王の死後、桓武天皇の身辺の人が相次いで亡くなったり、巷で疫病が流行したり洪水が起こったりしたので、これは親王の祟りだと恐れられた。祟りを鎮めるため、親王の死後に祟道天皇の称号が贈られ、八つ石のそばにある御墓(祟道天皇陵)に葬られた。

 

 相良親王は、9つの石を投げ「落ちた所に葬ってほしい。」と言い残していたため、その中の8つの石が見つかったこの地に葬られた。

 

 八つ石の前で、先祖代々八つ石の周辺に住んでいる、3人の今里さんにお話しをうかがう。今はご年配の御3方が幼少の頃は、八つ石の周りは全部池で、いい遊び場だったとのこと。池の水に飛び込み、水で冷えた体を八つ石の上で体を温め、日光浴を楽しんだ。

 道路にほとんど埋まってちょっこと出た石が見えるが、車が通るのに邪魔だというのでどけようとした人がいて、その祟りで亡くなった・・・という伝説も残る。そんな怪談話を聞いて、「よう皆さん、ここで遊んでましたね。」とツッコむ河田アナ。

 

 現代人も祟道天皇の祟りを恐れ、八つ石を動かさず、囲むように道路を広げた(大きな車は通れない)。

 今里さん曰く、「我々が遊んでいるのをよく見て、守ってくれはったなぁっと・・・。」。くっすんも、ある意味墓石の上で寝転がっていたとツッコみ、八つ石に寝転んでみたらと誘われるが、大人だからと断る。

 

 今里さんたちと八つ石で別れ、

午前9:30、再び歩き出す。しばらくすると、家の前から「くっすんさんがんばってね。」との声がかかり、おかあさんと家族方に出会う。たった今、庭先の家庭菜園から抜いたばかりの立派な大根を見せてもらう。ご主人が栽培しているのは、大根の他に白菜・水菜・ニンジン・ホウレンソウ・ブロッコリー・玉ねぎなどで、野菜は買ったことがないとのこと。

 

 せっかくだから、ご主人自慢の菜園を見せてもらう。仕事をリタイヤしてから趣味で始めた菜園は、かなり本格的。

 今がホウレンソウの旬だと聞いて、くっすんが試食させてもらう。畑に生えているホウレンソウを素手でブチッと引き抜き、新鮮なホウレンソウを両手に持つくっすん。草食動物が草を食べるようにそのまま、生でムシャムシャパクつく。甘みが口の中に広まり、めちゃめちゃ美味しいとの感想。

 

 くっすんのホウレンソウをむさぼる様子を見て、「かわいいですね。」とおかあさん。河田アナは「気持ち悪いですよ。こんな息子は嫌でしょ?」と誘導し、「まあね。」と言葉を引き出す。裏切ったなと憤慨するかわいいくっすんさん。お土産にホウレンソウをいただき、分かれを告げる。

 

 奈良市内を北に向かって進み、

スタートから7キロ、奈良で一番の繁華街・ならまちにある、『もちいどのセンター街』を通る。美味しそうなカレー屋さんを見かけるも、午前11:18と時間がちょっと早くてとりあえずスルー。

 

 しばらく商店街を歩くと、動物の絵をあしらった『ならまち保護どうぶつ園』の看板が目に飛び込んでくる。通りがかりのおかあさんに、いろんなフクロウがいるとの情報をいただき、とりあえずお邪魔させてもらう。園長の佐藤さんに園内を案内してもらう。

 

 受付からちょっと進むと、大きなフクロウさん3匹がさっそくお出迎え。鳥かごには入ってなくて、机に置いてある止まり木に座っている。至近距離で観察する機会などなかなかないフクロウさんに、ビビってちょっと距離をとる2人。

 「カラフトフクロウのピカソ。」と河田アナが説明書きを読むと、名前を呼ばれたと理解したのか、両の翼を力強くバタつかせるピカソさん。恐いとビビるくっすんと、御免と謝る河田アナ。

 

 おとなしい性格のピカソさんは、手の甲でなでられるので、動物担当のくっすんがおそるおそる、後ろを向いている隙に後頭部をもふもふする。触り心地は、低反発のクッションみたいでふわふわ。ぜひふわふわを味わってもらいたいというくっすんの気持ちだけいただき、河田アナは一定の距離をあけてフクロウを楽しんで観察している。

 

 『ならまち保護どうぶつ園』は、2018年2月に開園した(ふくろうカフェならまちから改装して店名を変更)。元々他で飼育されていたものの、事情があって引き取り手がいなくなった猛禽類たちを保護して、触れ合えるようにした。

 

 どうぶつ園の奥には、『ハリスホーク』というアメリカに生息する鷹が止まり木にいる。「ハリソン・フォード?」と間違えるくっすんに、アメリカの俳優さんでしょうとツッコむ河田アナ。

 迷子か捨てられたかして、警察に保護された鷹を引き取ったとのこと。

 

 くっすんが鷹の住み家に、『フライト体験中』のポップを見つける。なんと、鷹を腕に止まらせたり飛ばしたりして、鷹匠気分が味わえるフライト体験を行っている。せっかくやったらと、くっすんに勧める河田アナ。「あんたの出しろ、取りたくないです、僕は・・・。」と相変わらず生き物全般が苦手。

 

 鷹と人間の関わりは古くからあり、355年には鷹狩りの記録が残る。戦国時代に織田信長徳川家康も鷹を愛でたと知られている。

 

 壁一面にお空が描かれた部屋で、どきどきのフライト体験。ハリスホークの女の子・嵐さんに、優雅な飛行を披露してもらう。

 くっすんは左腕にアームカバー?を装備し、園長さんに簡単なレクチャーを受ける。

 

 園長さんはくっすんから8メートルほど距離をとる。園長さんの左腕に止まった嵐さんが、くっすんの「あらしー。」の呼びかけに反応し、飛んできてくっすんの左腕にソフトに着地する。30センチの至近距離でみる嵐さんの姿に、「きれえぇ(綺麗)~~。」と見惚れる。

 そして、くっすんの腕の回転に合わせて、園長さんの左腕に戻っていった。園長さんがヒナから手塩にかけて育てて訓練したので、素人のくっすん相手でもちゃんと飛んでくれる。

 

 スタッフさんの「河田さんはやらなくていいんですか?」の一言に、嵐さんの優雅さに感化されたのか、「やりましょうか?」とフライト体験に挑戦する河田アナ。くっすんとフライトと同じ感じで、河田アナの「あらしぃー。」の呼びかけに反応し、飛んできて河田アナの左腕にソフトに着地する。30センチの至近距離でみる嵐さんの姿に、「もう、この距離で見ると、この爪の鋭さと、そして嘴。すごいね。・・・こんな近くで鷹見ることなんて、まあないもんなぁ。」と笑顔も見せて、いろんな意味でドキドキが止まらない。

 そして、河田アナの腕の回転に合わせて、園長さんの左腕に戻っていった。嵐さんのスッと乗ってサッと飛んでいく感じが、気持ちいいとニッコリスッキリする河田アナ。

 

午後0:10、商店街で鷹匠の気持ちを味わい、2人は大満足のうちにお店を後にする。お昼どきなので、食に関して貪欲なくっすんが、先ほど店頭のメニュー写真を見て目をつけていたが、時間が早いとからとスルーしたカレー屋さんにもどる。

 

午後0:15、日祝日は行列のできる、『若草カレー本舗』にて昼食。河田アナは『スペシャルあいがけカレー (チーズ・半熟玉子トッピング)』、くっすんはひとめぼれした『オム若草カレー (チーズ・エビフライトッピング)』を食べる。

 河田アナのカレーは、4種類のカレーをお好みに混ぜて、味の変化を楽しめ、ゴロッと丸ごと野菜入り。くっすんのカレーは、スパイシーな緑色のカレーを、やさしくやさしく口の中で溶けていく卵がマイルドにして、ちょうどいい感じ。

 

午後1:00、カレー屋さんを後にする。商店街を抜け、三条通りを歩く。

 

スタートから8キロ、江戸時代末期から5代続く奈良漬の老舗・『今西本店』を取材する。5代目に、あれこれ奈良漬についてうかがう。

 

 店頭のショーケースに入っている丸のままの奈良漬を見ると、色がかなり黒い。昔の製法を守り、長期間酒粕に漬ける。一般的な奈良漬は3ヶ月から1年半漬けこみ、塩分が強いので甘味料や調味料で味を調えているとのこと。

 今西本店では、4年漬けのウリ・5年漬けのスイカ・7年漬けのキュウリなど熟成させてある。

 

 7年物のキュウリを試食させてもらう。くっすんが匂いを嗅ぐと、酒の香りが鼻を刺激する。しかし、食べてみると酒の苦手なくっすんでも、全然イケる。

 さらに、スイカも試食させてもらう。スイカは漬物専用の小さな品種を使用し、通も好む。噛むと、コクの深いエキスがにじみ出る。

 

 奈良漬は冷蔵庫に入れず、賞味期限が2年。冷蔵庫のない江戸時代の保存食で、2年もって当たり前。「昔の人は偉かった・・・。」と5代目の奈良漬についての巧みなトークに、「通販の番組みたい。」とツッコむくっすん。

 

 せっかくだから、お店の裏側にある工場を見学させてもらう。従業員さんたちが行っているのは、塩漬けした野菜を水で洗う作業。

 5代目自ら、洗った野菜を手に持ち、見た目が赤みそっぽい酒かすの入った樽に入れて、酒かすを被せる。酒かすは6回以上入れ替えるため、その度ごとに掘っては埋めての繰り返し。漬けこむ酒かすは、一切他の調味料を加えない。

 「うちがやめたら、これなくなります。日本から・・・。」と語る5代目に、伝統を守り続けていく覚悟がうかがえた。

 

午後2:00、工場を後にし、再び三条通りを東へ歩く。春日大社の玄関口・『一之鳥居』をくぐり、本殿を目指す。鹿がチラホラ現れ、いっしょに戯れるくっすん。

 

 すると、中学生一行に写真を撮ってとお願いされる。西宮の浜甲子園中学校の学生さんで、郊外学習で奈良を学習しにきたとのこと。郊外学習用に学校で支給された使い捨てカメラ『写るんです』で、いっしょに記念撮影。学校への報告に、ちちんぷいぷいのロケに出会ったことを書いてとお願いして、お別れする。

 

スタートから約6時間30分

スタートから10キロ、午後2:30、目標地点の春日大社[本殿]に到着。768年に創建され、全国に約3,000写ある春日大社の総本社。

 本殿を参拝してから、書写について権禰宜の岡さんにお話しをうかがう。大祓詞(おおはらえことば)という祝詞を唱えてから、大祓詞を要約したものを書き写す修行。心を落ち着けて書くのは写経といっしょだが、書写は神様に書いた祝詞を捧げる。

 「適当にやってしまったら、(神様が)絶対怒りますよね。」とくっすん。

 

 徳川綱吉の母が寄進した祈祷所・桂昌殿にて、書写の修行を開始。畳の間で長机が置いてあり、神前に座して岡さんに手ほどきを受ける。

 

 神前に向かって2拝する。座って拝む場合に、背筋を伸ばし地面と体が平行にもっていく。続いて2拍手する。

 

 そして、大祓詞を奏上する。大祓詞は、天から地上に降り立ち国を治めた神に、罪や穢れを祓ってもらい、厄災を取り除く。

 岡さんのリードに続いて、2人も読み上げる。「たかあまはらにかむづまります。すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちてやほよろづのかみたちを。かむつどへにつどへたまひ・・・。」と、大祓詞を声に出すことで心身を清める。

 

 その文字数は約900で、全て唱えるのに5分以上要する。読み終わったら、再び2拍手し、2礼する。

 

 神に感謝を込めて墨をすり、いよいよ祝詞を書き写す。大祓詞の最も重要な部分を抜き出した、最要祓(さいようはらえ)を書き写す。岡さんに、「心を込めて書いてください。」と念を押される。

 

 最初の一文字を書くや否や、「めっちゃ、字ぃ汚い、僕。」とくっすん。二文字目で、「太くなったり細くなったりして、難しいですね、筆って。」と、こだわりの強いいつもの几帳面な河田アナ。

 くっすんが岡さんに意見を求めると、「同じのを写しているはずなんですけどね・・・。」と、ぼかして答える。

 

書き始めて10分、河田アナが1行目の途中なのに、くっすんは3行目が終わりかけのペース。「早いなぁ・・・。」とチラ見する河田アナに、「集中してください。」とくっすんがツッコむ。

 

 小さい文字も、丁寧に書き写していく河田アナ。筆に墨に多くつけ過ぎると、にじむ。コツコツの河田アナに対して、迷いなく筆を進めるくっすん。

 

書き始めて20分、くっすんが書き終わる。「早ぁ。」と耳を疑う河田アナ。くっすんは、自分の中では丁寧にやったつもりで、指をパチパチはじきながら、そんな自分のリズムで書いていたいう。

 軟いノリに、「ほんまに罰当たると思うわ。」と河田アナの意見。「ご自身が100パーセント、心を込められたと思われるんでしたらね、それでいいと思います。」と寛大な岡さんのお言葉。

 

 大祓詞を唱え、最要祓を書き写すことで、神に強く思いを伝える。

 

書き始めて40分、河田アナも書き終わる。

 

 書写を終えての感想。くっすんは最初はとにかく丁寧書こうと思ったが、途中で自分のリズムで書いた方が書きやすいと気づいた。一気にいった方が集中できた。

 鬼の形相で文字と睨めっこした河田アナは、目が真っ赤。だいぶ力を入れたので、疲れたの一言に尽きる。

 

 河田アナの願い事は、『みなさんが健康でいられますように』。くっすんの願い事は、『子供たちが里芋を食べれるようになりますように。』。おせち料理などで出される里芋を、子供たちが除けることがずっと気になっていて、里芋の美味しさを分かってほしいと神様にお願いした。

 岡さんは、ホントに心を込めてそれぞれが書かれたということであれば、一番なによりのことであり、自分がこれだけ心を込めたと胸を張って言えるのであれば、2人の願いが少しでも神様に届くことになると思う。

 

 最後に、書き写した最要祓を神前に奉納。30か所目の御朱印、春日大社の御朱印をいただき、30日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:奈良県奈良市菩提町・正暦寺 [福寿院客殿]→ 『八つ石』 (2.5km) → 『もちいどのセンター街』 (7km)  → 『ならまち保護どうぶつ園』→ 昼食:『若草カレー本舗』→ 『今西本店』 (8km) → 目標地点:春日大社 [本殿] (10km) → [桂昌殿]