MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』39日目~40日目のまとめ。

 

【39日目】 2018年02月14日(木)放送 

 

旅の内容:●奈良市柳生町「剣禅」▲知られざるコウモリの生態■最先端の組み立て式カヌー御本尊の頭に乗れるお寺?!

 

スタートは京都府笠置町・JR『笠置駅』。目標地点は奈良市柳生町・芳徳寺。約10キロのコース。

 

午前8:30、京都府笠置町にある、JR『笠置駅』の駅舎前からオープニング。朝から雨降りで、ビニール傘を差す2人。尺八は濡らしてはいけないので、本日はお休み。ロケ日の天気予報は、雨のち曇り。

 

 今回の修行は剣禅。一般的に知られていない言葉だが、剣術を通して禅の境地を目指す。

 

午前8:45、2月の冷たい雨の中、京都のJR『笠置駅』から歩くこと0.5キロ、奈良県奈良市広岡町へ入る。

 

 歩くこと少々、『こうもり博物館』を見学する。

 開館前に特別入れてもらうと、ケースに収められている、コウモリの標本を見て悲鳴をあげる2人(BGM:バットマン)。スタッフの奥村さんは、「かわいいでしょ。」というが、そうとは断定できない河田アナ。

 

 こちらの博物館は、コウモリの標本や写真、世界各国のコウモリグッズ、生態の解説などを展示して、コウモリについてもっと知ってもらおうという趣旨。

 日本のコウモリ研究の第一人者・前田喜四雄先生が笠置町に住んでいるので、15年前に自宅近くに博物館を作った。

 

 動物全般を好きなくっすんが、コウモリは苦手な様子。それは血を吸ったり、噛んだりするというイメージがあるから。日本にいるコウモリは、蚊とかハエとか飛んでいる虫を食べるとのこと。それを聞いて、「良い子らやん、意外に。」とくっすん。

 ちなみに、血を吸うチスイコウモリは、中南米に生息している。

 

 コウモリ大好きの奥村さんから、さらにお話しをうかがう。世界にいる哺乳類約5,000種類のうち、約1,000種類はコウモリ。

 日本ではあまり良いイメージをもたれていないコウモリだけど、中国では蝙蝠[biānfú]と呼んで、变福[biànfú]=招福に発音が似ていることから、縁起の良い動物とされている。そこから、長寿・富裕・健康・善良な心・天寿全うの五福を、5匹のコウモリで表すようになった。

 日本でも江戸時代までは、縁起物として着物の柄などにコウモリが使われていた。

 

 日本でコウモリが良いイメージの動物になったらいいですね、と河田アナ。奥村さんも、コウモリのイメージ向上に努めたい。

 

午前9:30、雨がさらに激しさを増す。

 奈良県奈良市広岡町から、一旦京都府笠置町へもどる。

 

スタートから1キロ、フジタカヌー研究所を取材する。研究所では、カヌーの中でもコックピットの部分だけ開いた、カヤックを主に製造している。昭和51年創業で、社長の藤田さんにお話しをうかがう。

 先代社長がカヌーを普及させようと場所を探したところ、木津川の流れに惚れ込み、ほど近い笠置町に会社を設立した。

 

 せっかくだから、最新のカヤックを拝見。一見すれば、ただの大きな四角いバッグ、と空気入れ。バッグのファスナーを開けると、キャンプのときのテントのようなシルバー色の骨組みが出てくる。これがカヌーになるとは到底思えないと河田アナ。

 藤田さんは工具を使うことなく、手際よく骨組みを組み立てていく。骨組みを組み上げると、カヤックのフレーム部分が完成。そのフレーム部分を、防水シートでできた袋状の船体の、コックピットにある穴から突っこむ。

 仕上げに浮力をつけるため、空気入れで船体に空気を詰め込む。船体が膨らみ、12分でカヤック完成。

 

 そのカヤックに、くっすんが試乗体験。座り心地が良くて、目の前にテレビがあったら生活できる、と感想を述べる。

 組み立て式カヤックのお値段は30万円ほど。分解してバッグにしまえば、宅配便で送ったり、飛行機の手荷物にできたりと運搬が楽。

 

 関西にはアクセスの良い場所に、カヌーに適した海や川が多いので、ぜひ挑戦してほしいとのこと。

 

午前10:20、研究所を後にする。

 笠置山登山口からは、山登り。標高288メートルの笠置山は、奈良時代に僧侶の山岳修行の場であった。雨降りの急な坂道に、ヘトヘト。例によって、くっすんは弱音を吐きつつ登る。ついには、霧まで出る始末。

 

山を登ること1時間、スタートから3キロ、笠置寺に到着。飛鳥時代に創建された、真言宗のお寺。毘沙門堂から鎮守社へ移動し、ご住職の小林さんとおちあう。

 

 ご住職に案内され、お外にある御本尊の『弥勒磨崖仏』を拝観する。高さ約16メートル・幅約15メートルの巨石に彫られた弥勒菩薩で、今は輪郭だけしか残っていない。

 飛鳥時代(650年前後)に大友皇子の発願で、天人によって彫られたという伝説が残る。1331年に後醍醐天皇が笠置山にたてこもり鎌倉幕府と戦った際、弥勒磨崖仏も焼かれ、今の姿になった。

 

 奈良時代の僧侶は、笠置寺の岩の間を上り下りして修行した。修行の総仕上げは、磨崖仏の頭の上に登ることだった。

 スタッフさんがくっすんさんに、せっかくだからと磨崖仏の頭の上に行くことを提案する。河田アナも賛成で、ご住職も「なかなかお寺のご本尊様のおつむの上、頭の上に登ることはないですよ。ここぐらいしかないと思います。」と強く勧める。

 

 ご住職に同行してもらい、磨崖仏の上にあがらせてもらうくっすん。

 

 CM明け・・・午後1:30、京都府笠置町笠置寺。高さ16メートルの磨崖仏に登るくっすん。くっすんは岩場を登っていくかと思っていたら、整備された階段を登る。

 

 約3分で磨崖仏の上に到着。ビビりながら少しずつ前進するくっすん。

 くっすんの声は聞こえども、磨崖仏の下にいる河田アナから姿は確認できない。勇気を出して、磨崖仏の前方へいま1歩前進するくっすん、すると顔がひょっこり出て確認できた。

 ご本尊の上に立って、すごく失礼な気もするが、なんとなくご利益がありそうと、くっすん。そして、商売繁盛・無病息災・家内安全・昔偉高視聴率を願って手を合わせる。

 

 くっすんとご住職が、河田アナのいる磨崖仏の下まで戻ってくる。磨崖仏に上がったくっすんは、「なかなか、なかなか立派でしたよ。」とご住職にたいそう褒めてもらう。

 

午前11:55、柔和なご住職とお別れして、下山する。

午後0:00、正午を知らせるメロディが聞こえる。

 下界へ戻ってくると、ようやく雨があがり、ビニール傘をたたむ。

 

 再び人気のない峠道に入り、まったく出会いもないまま歩くこと1時間、

午後1:00、京都府笠置町から奈良県奈良市へ再度入る。

 奈良市の道路標識のすぐ先に、『歓迎 剣聖の里 柳生』看板がある。

 曇り空から太陽が顔を出す。

 

スタートから7.5キロ、丸裸の杉の木・『十兵衛杉』が、木々の間から見える。柳生十兵衛が柳生の里を離れるときに植えたとされる。昭和48年の2度落雷によって枯れてしまった。

 ここで剣聖・柳生十兵衛について、河田アナがさらっと解説する。通称十兵衛で知られている、柳生三厳(みつよし)は、生涯で13,500人の弟子を育てたといわれる。剣術の柳生新陰流という流派を、多くの人に広めた。

 

スタートから8キロ、予約していた『十兵衛食堂』にて昼食。河田アナ・くっすんともに、名物の『十兵衛うどん とろろめし』を食べる。うどんにまるまるのっている2つのしいたけは、柳生家の家紋・二蓋笠を表している。しいたけ味の出汁が利いているうどんで、体を温める。

 素朴だけど落ち着く味だと河田アナ。

 

 お店を出たら、あとは修行場を目指すのみ。あいかわらず、道中誰とも出会うことなく歩き、登り階段に突入する。今日はアップダウンが多かったので、しんどい。「あかん。乳酸菌がいっぱい出ている。」とぼやくくっすん、「乳酸ね。」と訂正する河田アナ。

 

午後2:45、スタートから10キロ、目標地点の修行場・芳徳寺に到着(雨が止んだので、くっすんが尺八の効果音を吹く)。十兵衛の父親である初代柳生藩主・柳生宗矩(むねのり)の時代、1638年に柳生家の菩提寺として、沢庵和尚によって創建された。

 

 本堂にて、ご住職の橋本さんに剣禅についてお話しをうかがう。剣術と禅はかけ離れているように思われるが、刀や槍など武器自体は心もなく、それを扱う人間の心の持ちようが大事。柳生新陰流では人を斬らずに活かす剣を目指し、剣術を通して心を鍛える。宗矩は沢庵和尚から禅の教えを受け、剣禅一致の柳生新陰流を完成させた。

 

 ご住職は若い頃から修行のため、柳生新陰流に励んできた。剣禅で使用する武器は、割った竹を袋で包んだ『袋竹刀』。木刀や竹刀と違い、少々体に当たってもケガをしない、人を思いやる工夫がしてある。

 くっすんを相手に、ご住職の剣術の腕前を拝見する。くっすんの打ちこみに、素早く反応し、返しの剣で動きを制する。

 

 芳徳寺境内にある、柳生正木坂剣禅道場に移動し、剣道着に着替えて、いざ修行開始。柳生新陰流の剣禅修行を行っている、畑峰さんと池之側さんに指導していただく。

 

 今回は初心者2人のための特別メニュー。

 最初に座禅を行い、無我の境地を目指す。

 

 座禅の修行の後は、剣術修行。教わるのは、柳生新陰流の基本にして全ての技に通じる『輪之太刀(わのたち)』。無我の境地で相手の打ちこみを防ぐと同時に、相手の剣を払う、攻防一体の技。

 

 それぞれ先生から、ワンツーマンで技の型を教わる。見よう見まね、手取り足取りで、体で型を覚えていく。「出来ました。完璧です。」と豪語するくっすん。

 傍らで温かく見守っていたご住職から、上達してきているとお言葉をもらう。くっすんが「筋はいいですか、我々。」と聞いてみると、「悪いです。」と即答。

 

 続いて、先生を相手に実践的な打ちこみの修行。河田アナは、なんとか腕の動き、足の運びがスムーズにできている。しかし、腕の筋肉が痛くなってくる。

 自信満々だったくっすんは、一発目から構えを間違える。腕の動きがぎこちなく、足も止まっている。そして、相手の袋竹刀が怖くて仕方ないから、ビビりの表情が出過ぎ。恐怖を克服するには、心を無にしないといけない。

 

 2人は、先生相手に輪之太刀の型をひたすら繰り返す。

 修行の仕上げに、河田アナ対くっすんの打ちこみ稽古。軽く打ち合わせをしてから臨んだら、河田アナの最初の打ちこみがくっすんのおつむを直撃。ちゃんとやってと駄目出しする河田アナ、痛くて泣きべそになるくっすん。さらに、河田アナの打ちこみを受け流せず、もう1発もらう。

 

 気を取り直して再挑戦。河田アナの容赦ない真剣な太刀を、必死に受け流すくっすん。その最中、先生に「曲りなりにもできてるよ。」と認めてもらう。河田アナとくっすんは阿吽の呼吸?で輪之太刀を出し合い、修める。

 

 最後に39か所目の御朱印、芳徳寺の御朱印をいただき、39日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府笠置町・JR『笠置駅』 → 『こうもり博物館』 → フジタカヌー研究所 (1km) → 笠置寺 (3km) → 『十兵衛杉』(7.5km) → 昼食:『十兵衛食堂』(8km)→ 目標地点:芳徳寺 (10km)

 

 

 

【40日目】 2018年02月21日(木)放送 

 

旅の内容:●金剛山「山岳修行」入れ食いでニジマスゲット■凍り豆腐の歴史を知り 豆腐を食す★金剛山の十三仏参り

 

スタートは大阪府千早赤坂村・金剛山ロープウェイ『千早駅』。山岳修行のスタート地点は地蔵堂。目標地点は奈良県御所市・転法輪寺。約7キロのコース。※ナレーションの桂南天さんがインフルエンザになったため、桂紅雀さんが代理を務める。

 

午前8:00、大阪府千早赤坂村にある、金剛山ロープウェイ『千早駅』の乗り場へ続く、階段の下からオープニング。朝の気温は1℃で、冬の山の寒さが身にしみる。

 大阪府の南東部に位置する千早赤坂村は、府内で唯一の村で、奈良県に隣接している。

 

 今回の修行は山岳修行。役行者が修行したとされる、金剛山(標高1125メートル)にアタックする。出発地点から、高さ約650メートルを登る。

 

 1966年に開通した金剛山ロープウェイは、千早駅(標高708メートル)~金剛山駅間を6分で結ぶ。千早駅を出立した矢先、ロープウェイの駅がたいそう古そうなので、「乗りましょうよ、歴史を感じましょうよ。」と提案するくっすん。乗り物禁止の昔偉ルールをほっておいて、「じゃあ、乗ろうか。」と制止するどころかのっかる河田アナ

 代わりにスタッフさんが「駄目です。」と制止。昔の人が苦労してロープウェイを作ったからと、さらに駅へ引き返そうとするものの、駄目です・・・という小芝居?が演じられる。

 

 まずは、歩きながら河田アナの千早歴史講座。千早赤坂村出身の楠木正成は、後醍醐天皇について、鎌倉幕府の倒幕に活躍した。1333年の『千早城の戦い』では、20万の幕府軍相手に1,000人の兵で戦い、籠城して3ヶ月間城を守り抜いたとされる。幕府軍が正成らにてこずっているうちに、反幕府の勢力は挙兵できた。

 その功績が認められて、正成は明治時代以降に大楠公(だいなんこう)と称され、今も楠公さんの愛称で慕われている。

 

午前8:35、スタートから1.6キロ、自然の川を利用した、『千早川マス釣り場』に立ち寄る。カップルや親子連れなど、若いお客さんが多いとのこと。

 まず釣りざお・エサ代を払い、釣った魚の重さの分だけ料金がかかるシステム。時間制限はなし。

 

 2人は釣りに挑戦。釣り堀の川には、放流された養殖のニジマスがようさんいる。釣り開始から1分、河田アナの釣りざおに反応があり、あげてみるとゲットできた。くっすんのさおにもすぐに反応があり、「獲ったど~。」と雄たけびながら釣り上げる。

 

 その後も次から次へニジマスが釣れ、入れ食い状態ではしゃぐ2人。

開始から10分、魚入れには8匹のニジマスがぴちぴちしている。くっすんは釣り名人になった気分だけど、小さいお子さんでも簡単に釣れる。

 

 釣れたニジマスは持ち帰るか、併設の食堂で調理してもらってすぐに食べられる。2人は食堂にて朝食。くっすんは『ニジマスの塩焼き』を、河田アナは『ニジマスのから揚げ』を食べる。くっすんは「おいし~。」とのけ反って雄たけび、河田アナは『皮ぱりっぱり、中はふんわり。』と食レポ。心も胃袋も満たされ、釣りを大満喫した2人であった。

 

午前9:50、スタートから2.7キロ、フォルクスワーゲンの自動車が、いっぱい駐車されているガレージを発見する。くっすんは大金持ちのクラシックカー集めだとにらむ。駐車スペースの奥へ行くと、主を発見しお話しをうかがう。

 

 中古のフォルクスワーゲンを専門に修理・販売している『ガレージ辻本』さん。

 フォルクスワーゲンは、1937年創業のドイツの自動車メーカー。1938年に生産を開始したフォルクスワーゲン・タイプ1は、ビートルの愛称で親しまれ、2003年の生産終了までに2,100万台以上生産された。

 

 お店にあるビートルの運転席に河田アナ、助手席にくっすんが座らせてもらう。くっすんの子どもの頃、お父さんがビートルに乗っていたので、久しぶりにビートルに座ったら、昔のことをちょっと思い出した。車から降りて、オーナーの辻本さんに、ビートルについてうかがう。

 ビートルはものすごいシンプルやねんけど、よーできてるとのこと。愛好家も多く、イベントや趣味のドライブに使われるが、中には毎日乗っている人もいる。

 

午前10:45、スタートから3.4キロ、昔は凍り豆腐を作っていた、『山の豆腐』を取材する(坂道を登ってきたため、くっすんは息切れで効果音の尺八が吹きづらい)。1777年に創業した豆腐屋さんで、店先にて、店主の松本さんに凍り豆腐についてうかがう。

 凍り豆腐は高野豆腐と同じものだが、この辺の人は高野山にライバル心があるため、高野豆腐と言うのを嫌うとのこと。

 

 千早赤坂村では、寒冷な気候を利用して、江戸時代には凍り豆腐が作られていた。

 凍り豆腐は、冬期の数日間に豆腐を冷たい空気にさらし、凍結と乾燥を繰り返して作る保存食。戦国時代、武田信玄が兵糧として用いたとされる。

 千早赤坂村に、昔は何十軒も凍り豆腐屋さんがあった。しかし、機械化が進み工場で作るようになったので、どんどん減って、1970年には凍り豆腐の生産が終了した。

 

 『山の豆腐』でも、凍り豆腐は作っておらず、普通の豆腐を作っている。国産大豆と金剛山の伏流水を使い、昔ながらの手作り。

 機械化の波で凍り豆腐が無くなった半面、冷蔵技術の発展や車の普及で、より多くの人に豆腐を食べてもらえるようになった。

 

 午前11:00、山の豆腐の向かいにある、『まつまさ』にて早めの昼食。『山の湯豆腐』を2人でシェアし、河田アナは『しいたけうどん』を、くっすんは『金剛山かつカレー(辛口)』を食べる。

 『山の豆腐』の豆腐を使ったアツアツの湯豆腐で、豆腐本来の味を楽しむ。うどんは、ドでかいシイタケてんぷらが2つ入っている。カツカレーは、カツがサクッとしたお母さんの味で、くっすん理想のカレー。ストロングなカレーの匂いがシイタケの香りを消して、「カレーうどん食べてる気分になってきた。」と河田アナ。

 

 CM明け・・・午後0:05、大阪府千早赤坂村、登ってきた坂を下る。

 

スタートから4キロ、金剛山の山岳修行の起点、『地蔵堂』に到着。標高470メートルにある地蔵堂から3キロ歩き、標高1125メートルの転法輪寺を目指す。

 

 待ち合わせていた、転法輪寺のご住職の葛城さんと修験者の皆さんに、地蔵堂の前で合流する。金剛山にある登山道の中で、最も多くの人がお参りした道を登る。昔は行場として盛んだった金剛山、昭和に入ってから一般の登山者も登れるようになった。

 

午後0:30、いよいよ山岳修行開始。今回は金剛山の各所にある、13体の石仏をお参りして真言を唱える。江戸時代より多くの参拝者が十三仏を参ることで、極楽浄土を願った。13番目の石仏は山頂にあり、何番目の石仏をお参りしているかで、昔からおよその自分の位置を知ることができた。

 地蔵堂の前にある1つ目の石仏・不動明王にお参りして先へ進む。

 

修行開始から0.3キロ、町の中を5分歩き、2つ目の石仏・釈迦如来にお参りする。

 

修行開始から0.6キロ、ふもとの集落を抜けて、本格的な山道に入る。山道の入口で3つ目の石仏・文殊菩薩にお参りする。

 

修行開始から1キロ、木でできた階段が現れ、ここから山頂まで全部階段とのこと。その数、およそ3,000段。くっすんは、「僕が大金持ちになったら、これ全部エスカレーターにします。」とコメント。

 昔は階段もなく、登頂者は急で滑りやすい山道を登った。

 

 下山途中の団体の登山者さんに出会い、「ハイ、くっすん頑張れよ~。」と声をかけてもらう。上で宴会をしてきたとのこと。『山なめんなよ』と書いてある服の女性は、アルプス・北アルプスの山登りに備えて、金剛山を50回ほど登っている。

 くっすんは山頂までどれくらいか聞いて、3合目と知れされガックリ。

 

 金剛山では、登山回数を記録するシステムがあり、回数カードを購入すれば、登山ごとに山頂でスタンプを押してもらえる。スタンプの最高回数を記録している平野さんは、オーバー15,000回のつわもの。

 

引き続き石仏にお参りしながら登ること20分、

修行開始から1.5キロ、午後1:30、標高700メートル付近の5合目で休憩。5合目に着くや否や、寝転がるくっすん。10分ほど休憩して、先へ進む。

 

 ここから、山岳修行恒例の掛け念仏を行う。『慚愧 懺悔 六根清浄』のフレーズを、ご住職と行者の皆さんといっしょに唱えて、穢れを清める。

 

掛け念仏を唱えながら歩くこと20分、

午後2:05、10番目の石仏・阿弥陀如来にお参りする。掛け念仏をずっと唱えていると、6本の大根が頭に浮かんでくる、とくっすん。六根は眼・耳・鼻・口・身・意のことで、くっすん以外の人には6本の大根のイメージはつゆとも浮かばない。

 

 標高900メートル付近、階段に雪が、しっかり残っていている。木を見上げて、樹氷を発見する河田アナ。樹氷は、氷点下の環境で、樹木に付着した氷の結晶。大阪では、樹氷が見られるのは金剛山だけともいわれる。

 

 落ちたばかりの樹氷を踏み歩き、

修行開始から2.6キロ、9合目に到達。山頂へ通じる近道と楽な道の分岐点で、ご住職は厳しいが近道を選ぶ。くっすんは一人で楽な道を歩くと提案するが、ご住職に却下される。

 

 山頂まで残り300メートル、再び掛け念仏を唱えながら進む。

午後2:30、修行開始から3キロ、階段を上りきる。

 

午後2:40、金剛山頂に到着。山頂から見下ろす景色が、最高のご褒美。

 

 そして、雪景色の目標地点・転法輪寺に到着。665年に役行者によって創建されたお寺で、山号の『金剛山』が山の名前になったとされる。

 境内には、12番目の石仏・大日如来があったが、明治時代の廃仏毀釈により別の場所に移された。石仏の代わりに塔をお参りする。

 

 本堂の裏を進み、13番目の石仏・虚空蔵菩薩にお参りして、十三仏参りを制覇。仕上げに本堂でお参りをして、転法輪寺の山岳修行を終了する。

 

 本堂へ続く階段の下で、修行を終えての感想会。河田アナは、六根清浄を唱えると不思議と余計なことを考えずにいられた。くっすんは、昔から伝わっていることの大切さを実感できた。

 ご住職は、1000年以上たくさんの方がお参りしている、転法輪寺で精霊たちに後押ししてくれるきっかけを、『六根清浄』が与えてくれるかもしれない。四季折々の転法輪寺の姿を、見に来てもらえば幸い。

 

 最後に40か所目の御朱印、転法輪寺の御朱印をいただき、40日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:大阪府千早赤坂村・金剛山ロープウェイ『千早駅』 → 『千早川マス釣り場』(1.6km) → 『ガレージ辻本』(2.7km) → 『山の豆腐 (3.4km) → 昼食:『まつまさ』→ 『地蔵堂』(4km) → 目標地点:転法輪寺 (7km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』37日目~38日目のまとめ。

 

【37日目】 2018年01月31日(木)放送 

 

旅の内容:●滋賀県高島市「写経×木魚」近江の厳島?!■扇子のルーツを探る★木魚でビートを刻め

 

スタートは滋賀県高島市・白髭神社。目標地点は滋賀県高島市・西音寺。約11キロのコース。

 

午前7:00、滋賀県高島市にある、白髭神社の鳥居をくぐった、拝殿前からオープニング。琵琶湖のほとりにある神社で、約2000年前には存在していたと伝わり、近江最古の神社とされる。主祭神として祀る猿田彦命(さるたひこのみこと)が、白髪で白いヒゲを生やしていたから名付けられた。

 

 白髭神社を参拝した後は、鳥居を出て向かい側にある、琵琶湖で日の出を拝む。朝焼けに照らされる、湖面と水中に建つ鳥居が、神秘的でフォトジェニック。くっすんが「宮島みたいですね。」と言う通り、世界遺産・厳島神社の風景に似ていることから、『近江の厳島』と称される。

 

 湖中大鳥居は、舟で神社を参拝する者の目印として、古くから湖の中に建っていた。現在の鳥居は、昭和56年に再建された。

 

 神社の前の道路と琵琶湖の間にある石階段に座っている、女性4人組にお話しをうかがう。愛知県から朝日を見るための参拝で、4人は職場の同僚とのこと。

 くっすんが「この最高の景色とともに、皆さん最高のBGM、ほしくないですか?」と聞いて、「ほしいですね。」とノッてもらう。琵琶湖のほとりで尺八を披露するくっすん、スマホで朝日と大鳥居を撮りつつ、耳を傾ける女性の方々。

 

午前7:50、スタートから2キロ、橋を歩き、『乙女ヶ池』の上に到着。元は、織田信長の甥・織田信澄が築城した、大溝城の外濠であった。

 

 乙女ヶ池から北へ歩き、

スタートから3キロ、大溝城の城下町だった地域を進む。くっすんが、とあるお店の入口脇に、『ビワイチ発酵ゼリー販売中』と見出しのついた貼り紙を発見する。貼り紙を読むと、鮒寿司の飯(いい)や酒粕など、変わった原料が含まれているので、気になってアポなし取材。

 ビワイチ発酵ゼリーが気になったので、応対に出た社長さんに「試飲ってありますか?」と聞く、いつものくっすん。

 

 江戸時代創業の酢の製造販売会社・『淡海酢』さんで、近江米から作る米酢をはじめ、黒酢や果実酢を取り扱っている。

 ビワイチ発酵ゼリーを購入し、2人はさっそくお店の中で飲んでみる。クセがあるかと思いきや、飲みやすい。飲む前に、鮒寿司の飯を使っているからと警戒するお客さんが多いことを、面白がっていると社長さん。滋賀県の特産品を使いつつ、酢に日常的に親しんでもらえる商品開発を目指している。

 

 ビワイチ発酵ゼリーは、琵琶湖を一周するサイクリング用の、栄養補給品として2018年3月に発売された。自転車で琵琶湖を一周する人が、各所休憩所で飲んだり、案外と観光客がまとめ買いしていくそう。

 

 お酢屋さんを出て歩いていると、道路の真ん中に水路がある。大溝城下町の町割り整備によって作られた、飲用・防火用の水路が今に残っている。鮒寿司を作るときに使った桶を、この水路で洗っていた。白鬚神社と町割り水路など大溝の水辺景観などが、2015年に日本遺産に認定された。

 

午前9:45、スタートから5キロ、高島市を更に北上していく。歩いている間に、隙あらば尺八修行をこなすくっすん。

 

スタートから7キロ、『大井子の力石』に到着。人間の身の丈ほどある大きな石で、この石を持ち上げた、怪力の美女の伝説が残る。平安時代、田畑の水争いに終始符を打った、ステキな女性。

 

百人力の剛腕を持つ大井子

 とある村で水争いが起こり、大井子(おおいこ)は村人に自分の田畑へ通じる水路を止められた。そこで、夜中にこっそり大きな石を持ち運び、水路をせき止めて、自分のところへ水がくるように直した。

 あくる朝、村人が総がかりで石を動かそうとしたが、ビクともしなかった。村人に許しを請われた大井子は、石をどけて、その後水争いはなくなったとさ、めでたし、めでたし。

 

 力石の前で、高島歴史民俗資料館学芸員の白井さんにお話しをうかがう。昔は農業で、力持ちが家族にいると、重宝がられた。力持ちは活躍するので、こういう伝説が生まれたのかもしれない。

 

 さらに大井子は、相撲大会に出るため都に向かっていた武士を、家に連れ帰って鍛え上げ、優勝させたとか。自分が強いだけでなく、お師匠さんとしても一流だと、感心する河田アナ。

 くっすんが白井さんに、どんな女性が力強いが聞いてみると、吉田沙保里とのこと。今の世の中にも、強い女性が大勢いると納得する2人であった。

 

スタートから8キロ、JR『安曇川駅』を越え、北東へ歩く。

 

 6ヶ月の女の子をだっこしている、お母さんに出会う。お母さんに話しかけると、人見知りの女の子は泣きはじめる。そこで、くっすんが子守唄代わりにと尺八の演奏を提案する。河田アナは絶対泣くから止めてと忠告するも、やる気満々のくっすんは癒しの音だからと決行する。

 意外にも、女の子は泣き止んで聞き入ったようにみえたが、途中やっぱり泣きだし(2人が近づいたからかも?)、河田アナが代わりに謝る。

 将来は思いやりのある、誰とでも仲良くできるように成長してほしいとのこと。

 

 お母さんと別れ、子どもの成長はあっという間だと共感する2人。子どもの小さかった頃を思い出し、懐かしむ。「次は孫ですね。」と気の早いくっすん(そのときがきても、昔偉は続いているのか?)。

 

スタートから8.7キロ、安曇川町にあり、扇子の骨・扇骨(せんこつ)を作っている、『すいた扇子』を取材する。国内扇子の9割に、安曇川町産の扇骨が使われている。

 

 扇子職人歴55年の吹田さんに、扇子の売り場でお話しをうかがう。カラフルなセンスが、ずらりとディスプレイされてる。

 江戸時代、安曇川の氾濫を防ぐために堤防の代わりに竹を植えた。その良質な竹を加工し、農家の副業とする扇骨産業が生まれた。作られた高島扇骨は、京都へ行けば京扇子、江戸へ行けば江戸扇子となり、全国に広まった。

 

 落語家の桂南天さんが襲名披露のときに作った、シンプルなデザインの扇を見せてもらう。昔偉のコーナーを借りて、「その節は、お世話になりました。また機会があれば、よろしくお願いします。」と伝言する南天さん。

 

 高島扇骨作りで一人前の職人になるには、10~20年はかかるとのこと。扇骨の製造は、親骨(両端に1本づつある太い骨)に18工程、仲骨(親骨の間にたくさんある骨)に16工程をかける。工程ごとに分業制で、機械に頼らずほぼ手作業で作っていく。1つを仕上げるのに、1か月を要する。

 

 作業場で、吹田さんが行う、締直し(しめなおし)の工程を見学する。白干しされた竹を並べ、専用の道具で細かく繊細に削り、形を均一にして表面を滑らかにする。削った後の竹を指先で触ってみると、つるんつるんになっているのが分かる。

 手作業の方が機械より早くきれいに仕上がるので、昔ながらの技術が引き継がれている。

 

 扇風機やエアコンが普及する前・昭和30年代には、年間1,500万本を生産していた。しかしここ10年は、年間100~200万本に落ちこんでいる。

 需要の減少に加え、職人育成に10年以上かかるので、後継者不足に悩まされている。扇骨作りのような伝統的な手仕事が、無くならない日本でありたいと望む吹田さん。

 

 高島市では、扇骨を多くの人に知ってもらうため、地元で『近江扇子』として販売している。

 

午後0:05、お昼ご飯を食べるお店に向かう。

午後0:15、『道の駅 藤樹の里あどがわ』内にある、『農家レストラン 大吉Grill牧場』にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『とんちゃん重』を食べる。とんちゃんは、かしわを味噌ダレで味付けしたご当地料理。とんちゃんの名の由来は定かでないが、お客さんがいつしか呼びだした愛称である。

 鶏肉の歯ごたえの弾力に、甘辛い味噌ダレが絶品。くっすんはお盆に載っていたビン入りの一味唐辛子を鶏肉に振りかけ、味にパンチを効かせる。

 

 CM明け・・・午後1:30、滋賀県高島市。スタートから9キロ、テスト終わりの高校3年生カップルに声をかける。男の子は専門学校、女の子は保育士を目指し、短大に進学するとのこと。

 学校は両方とも京都にあって、京都の都会に毎日行けるという男の子に、河田アナからアドバイス。京都の立命館大学に通っていた時分、誘惑されまくってフラフラしていた時期があったので、「都会の誘惑に負けたらあかんよ。」と。都会の誘惑とは具体的に挙げると、時給の良かった、祇園の『スナックいく子』の夜のバイトに精を出し、学業をおろそかにしていたこと。

 

スタートから約7時間

スタートから11キロ、午後2:05、目標地点の修行場・西音寺に到着(くっすんの尺八の効果音が、イマイチ)。1560年ごろに建立された、天台真盛宗のお寺。

 

 お庭で、お世話になる副住職の川口さんに、写経と木魚についてお話しをうかがう。お経を唱えながら木魚を叩くことで、煩悩を祓う。写経を書いた後に、書いたお経を読むことで、お経をより深く理解できる。

 

 2人は作務衣に着替え、本堂の中へ移動し、まずは写経から。2人が書くのは、最もポピュラーなお経である『般若心経』。書いているときは、ひたすら文字と向き合い、どんな内容かを考える。

 般若=知恵のことで、偉大な心の知恵が書かれているお経、と川口さんの解説。概要は、観自在菩薩が釈迦の弟子・『舎利弗』に、『あらえるものは消えたり生まれたりを繰り返している』、という教えを説くもの。そこから得られる教訓は、『小さいことは気にせず、これからの未来を前向きに生きなさい』。

 

 写経の始まりは、印刷技術がなかった時代に、お経を書き写すことを目的に始まったとされる。修行僧は、書き写すと同時に、お経の意味を考える修行につなげていった。

 

写経開始から55分、くっすんが写経を終える。河田アナに「はやくない?」といつも通りツッコまれるが、本人はゆっくり書いたという。

 

 河田アナは、自分のペースで黙々と書き続ける。待ち時間を利用して、尺八の修行もするくっすん。

 

写経開始から1時間35分、河田アナも写経を終える。ぐっと集中していたので、目や頭などに疲労がたっぷり。写経中、集中力が落ちることがあったのは、くっすんの尺八の音のせいだと、終わってから気づく。

 

 その渾身の般若心経は、写経を書いた人のモノを、川口さんが今まで見てきた中で、一番キレイだと最高の評価をいただく。

 くっすんさんの般若心経は、尺八のリズム?にのって書かれたのが分かる。後半から、集中力が途切れだしたのか、墨の量が多かったのか、文字が乱れている。

 

 書いた写経は、お寺に奉納するか、持ち帰るか選ぶことができる。

 

 写経の後は、木魚の修行。木魚は、中国から日本へ伝わった。

 開椰(かいぱん)が木魚の原型とされ、叩いて時刻を知らせた。やがて、お経を唱える際に楽器として使われるようになり、現在の形になってきた。

 木魚の上に付いている丸いぽっちが煩悩を表し、叩いて煩悩を出す。

 

 内陣へ移動し、般若心経を唱えながら木魚を叩く。叩き方が宗派によって異なり、西音寺ではお経1文字ごとに1回木魚を叩く、『字打ち』方式をとる。他には、変則的なリズムで木魚を叩く、『曲打ち』などがある。

 

 まずは、河田アナが木魚を叩く。木魚を叩く人が中心になって、他の読経者のために、読経(木魚)のリズムを決めて音頭をとる。河田の木魚のビートに合わせ、くっすんと川口さんも読経する。最後にちょっと木魚を叩くタイミングが乱れたものの、ゆっくりと安定した木魚叩きができた。

 木魚を叩くのもほぼ初体験なのに、木魚を叩きながらお経を読むのは、やはり難しい。普通にお経が読めてから、始めてスタートに立てる感じ。

 

 続いてくっすんの番。左利きなので、左手で木魚を叩く。木魚を叩くスピードが出だしはゆっくりだったが、20字あたりから急に速くなり、そのまま続く。高速の木魚に合わせて、3人の読経も速くなる。河田アナと川口さんが、なんとかお経が1つになるよう、よせていく。

 

 西音寺では、修行体験を一年を通して行っており、写経や木魚に加え、座禅や法話などもセットになっている。

 

 読経が終わり、すごく気持ちよかったとくっすん。なぜかというと、ロックスターになったような気分になって、「みんなついてこいよー。」→「ウォー。」と、オーディエンスが無理してもギリギリのところでついてきてくれてる感じ・・・カリスマになれた。般若心経ワールド?に入り込んでたらしい・・・。

 河田アナは、お坊さんが当たり前のように叩いている木魚が、実際やってみてリズムをとるのが難しく感じた。

 川口さんは、木魚を体験して、身近に感じてほしい。そして、『木魚を買って、ちょっと叩いてみようかな』と言う人がいれば、一番うれしいとのこと。

 

おしまいに37か所目の御朱印、西音寺の御朱印をいただき、37日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:滋賀県高島市・白髭神社 → 乙女ヶ池 (2km) → 『淡海酢』(3km) →『大井子の力石』 (7km) → 『すいた扇子』(8.7km) → 昼食:『道の駅 藤樹の里あどがわ』内『農家レストラン 大吉Grill牧場』→ 目標地点:西音寺 (11km)

 

 

 

【38日目】 2018年02月07日(木)放送 

 

旅の内容:●京都・綾部市[竹林座禅]丹波のカラス寺激レアピアノを日常的に使う高校★たまにはゆる~い座禅もね

 

スタートは京都府綾部市・楞厳寺。目標地点は京都府綾部市・正暦寺。約8キロのショートコース。

 

午前8:00、京都府綾部市にある、楞厳寺(りょうごんじ)の前からオープニング。朝は気温3℃と寒く、首元あったかで手袋はめて防寒ばっちり。背後にある池から、蒸気霧がのぼっている。

 

 『丹波のカラス寺』と呼ばれている、楞厳寺に到着。くっすんの尺八による効果音が、3回ほど吹いてもうまく鳴らない。732年に創建された、高野山真言宗のお寺。春にお寺の前でミツバツツジが咲き乱れることから、関西花の寺・二十五ヶ所の第2番に選ばれている。

 

 ご住職の爲廣さんに、カラスの襖絵に囲まれている部屋に案内していただく。部屋の1方に4枚の襖絵があり、1部屋は16枚の襖絵で構成されている。1方の襖には、真っ黒なカラスが2~5匹ほど描かれ、木々を同時に描くことで季節を表している。

 春・夏・秋・冬、4つの部屋があり、春の間は『育雛の間』、夏の間は『高野杉に鴉』、秋の間は『湖畔の鴉』、冬の間は『雪中反哺の孝』と題が付けられている。

 

 カラスの襖絵は、浮世絵師・長井一禾(ながいいっか)によって昭和12・13年に描かれた。新潟県出身の一禾は、新潟の家でカラスを飼っていて、共に生活していたとのこと。カラスを研究し、カラスの絵を描き続けたことから、大隈重信からカラス博士の称号を送られた。

 

 楞厳寺の参拝客に人気のあるカラス説法は、ご住職が一禾の襖絵を解説する。

 2人も、篤と解説していただく。『夏の間』から『春の間』へ移動すると、情景がはっきりちがう。巣の上にいる仲の良い三羽烏(さんばがらす)の雛たち、その前にいるお母さんカラス、少し離れたところにお父さんカラスを描いている。

 カラスの性別の違いはクチバシで判り、メスは丸っぽくオスはフラットな感じ。3羽の雛カラスたちは、1羽が丸っぽく2羽がフラットなクチバシなので、一姫二太郎というワケ。そして女の子カラスは、お母さんカラスからもらったエサを飲みこんでいるようす。一禾はアメリカに住んでいたことがあり、『Ladies first』を表現している。ご住職の軽妙なトークに惹きこまれる。

 

 『春の間』から親子カラスの描かれた襖を開けて、『冬の間』へ移動する。春から冬に季節が移ろい、3羽の雛カラスは成長して大人になった。成長した子カラスは、エビをクチバシで捕らえ、親カラスに渡そうとしている。

 『冬の間』では、土色の襖絵に白色を使って、木や枝が雪化粧している様を表現している。実は、絵の描かれた昭和12年には、襖の紙がまだ白かったため、雪景色は同化してほとんど見えなかった。絵を見て色が薄いと心配した人に、「心配するな。先ではっきり分かるよ。」と一禾は言ったという。その言葉通り、幾年の歳月を経て、襖紙の色が白色から土色に変わり、はっきり雪景色が見えるようになった。

 

 時限式襖絵の話しを聞いて、「鳥肌たってきた。」と感動するくっすん。うまいこと言うなあという感じで、河田アナが「カラスだけに?」とツッコむ。しかし、本人はカラスを鳥肌とかけたダジャレを言ったつもりはなく、偶然発生したダジャレだった。何か嫌なパターンやとぼやく河田アナ。

 

 カラスは嫌いだという人が多いけれど、この襖絵を見て印象が変わる。ちなみにご住職はカラスが好き・・とは言えんとのこと。でも、『カラス寺の和尚』さんなので、嫌いとも言えない。カラスに教えられる面がけっこうあるので、なんとか好きになろうとしている。

 

午前8:50、気温は5℃で、お外の水が『アイススケートができそうなくらい』に凍っている。

 

 綾部市を南へ歩く。

 お子さん一人を抱っこして、もう一人のお子さんの乗っている三輪車を押している、お母さんとすれ違う。三輪車に乗って登園中とのことで、珍しがる河田アナとくっすん。

 

 最近の道中の話題は、健康の話し。くっすんは最低限の健康診断しかしていないので、年に1回は人間ドックを受けたい。

 

 由良川を渡り、

午前9:50、綾部市の市街地へ入っていく。

 カメラが回ると、不思議と尺八の音が出なくなるくっすん。

 

スタートから4キロ、京都府立綾部高等学校に到着。くっすんは効果音の尺八を手探りで吹いた後、満足がいかないのか、首を傾げる。学校は試験中だったが、貴重なピアノのある音楽室へ、副校長の湯川先生に案内してもらう。

 

 2人が見るに、普通の立派なグランドピアノにしか見えない。1908年創業のスタインベルク・ベルリン製。この会社は創業から32年間ピアノを製造した。

 日本で現存が確認されている、スタインベルク・ベルリンのグランドピアノは、綾部高校のものを含めて、たった5台

 綾部高校では、昭和4年に天皇の即位を祈念し、同窓会から寄贈され、大切に弾き継がれている。

 

 一般的なグランドピアノとスタインベルク・ベルリンのものを、音楽の田中先生に弾いてもらい、聴き比べる2人。両方の音色を聞いた後、開口一番「全然違いますね。」と言い切るくっすん。河田アナにはそこまで明確に音の違いが判らなかったのだが、くっすんはスタインベルクに力強さっぽさを感じたという。だがしかし、田中先生曰く、柔らかい音はスタインベルク、と真逆

 

 田中先生が調律師の方から聞いた話しでは・・・スタインベルク製は昔ながらの素材、ハンマー部分に羊の毛のフェルト、弦に鋼を使っている。ボディは木製で木目が出るので、ごまかしがきかない。最近の楽器は最近の素材を使っているので、スタインベルクの方が純粋な音がする・・・らしい。

 

 綾部高校の生徒さんは、激レアピアノが学校にあることに初めはビックリするが、音楽の授業で音を聞いているうちに、ピアノに慣れる。休み時間に普通の曲を演奏する生徒さんもいて、楽器にとっては大事にしまっておくより、弾いてナンボ。日常的に使っているのは、綾部高校だけと思われる。

 

 最後に、くっすんが尺八とスタインベルクとのセッションを提案する。取材先に楽器が有らば、とにかくセッションに挑戦する姿勢。また余計なことを、と顔に出ている河田アナ。

 

 田中先生の弾く『オー・ソレ・ミオ』に合わせて、尺八をぶっこもうとするくっすん。でも、スースー吹いてうまく音が出なくいまま、ピアノの演奏は終わり、スタインベルクの独奏となった。「音が、君の尺八がなくて、ホントに良かったですよ。」と心から言う河田アナ。

 

午前11:10、JR『綾部駅』の前を通り、歩くこと1キロ、

スタートから6キロ、『グンゼ綾部本社』を取材する。グンゼは波多野鶴吉によって明治29年に設立された。

 

 総務課長の川本さんに案内してもらい、まずは、本社のとなりにある『グンゼ記念館』を見学する。

 大きくて存在感のある木製の機械は、明治時代の座操機を復元したもの。鍋で繭を煮て、糸をたぐって巻き取る機械で、当時は、主に養蚕農家生まれの15歳前後の女性たちが、日の出から日の入りまでこの機械で仕事をしていたとのこと。

 

 グンゼの創業当時、綾部にはたくさんの養蚕農家があって、糸を作る製糸業から始まった。社名の由来は、綾部市の昔の呼び名・何鹿郡(いかるがぐん)の『郡』、プラス国是や社是の『是(ぜ)』で、郡是=何鹿郡の進むべき道という創業者の思いが込められている。鶴吉は地元の養蚕農家たちに出資を募り、会社と地元何鹿郡の共存共栄を目指した。

 

 昭和に入ると、たくさんの工場や関連施設が建ち並んだ。昭和8年ごろのグンゼ本社の模型を見ると、誠修学院と呼ばれる施設がある。働き手の中心である若い女性たちが、教育を受ける学校であった。

 また、勤続表彰が度々あり、4年働くと鏡台、8年働くとタンスと支給されていったので、昔はグンゼで8年働けば嫁入り道具はそろったといわれる。

 

 次に、グンゼ博物苑『未来蔵』を見学する。

 グンゼでは最近になって、縫い目に特殊な貼りつけをしたシームレスのインナー、男性用下着ではウエストにゴムのないパンツを開発した。

 

 それらの新製品を見学して、グンゼの事業展開をうかがう。

 グンゼのアパレル事業は、全事業の半分ぐらいしか占めてない。残りの半分の事業は、ペットボトルに使われるプラスチックフィルム事業、コンピュータの電子部品に関する事業など多岐におよぶ。

 綾部工場では、メディカル事業で医療器具を作っている。例えば、手術の後に生体吸収される縫合糸を、日本で初めて開発販売した。グンゼの繊維技術を利用した幅広い事業展開を知って、驚かされた2人であった。

 

 グンゼ本社を後にし、

午後0:40、お昼ご飯を食べる店を探す。

スタートから6.5キロ、綾部駅近くの商店街『アイタウン』で、地元の方にオススメのお店を聞き込む。すぐ近くにある、紹介されたお店・『万理也』に行ってみると、残念ながら、当面の間ランチ営業は休業と貼り紙がしてある。

 

 致し方ないので、再び地元の方に聞き込む。果物屋さんからご近所のお店を紹介してもらい、

午後1:00、『町家ダイニング ゆらり広小路』に着く。お店の外観から、料理が高級っぽいと警戒する。お店の外に貼り出されている、メニューを確認すると、昔偉お昼ご飯の予算内になんとか収まる値段だったので、安心する2人。

 だがしかし、安心したのも束の間、『定休日』の掛け札に気付きオーマイゴッド。

 

 CM明け・・・2軒連続の休業に呆然とする2人。お店の前でぐだぐだ嘆いていると、お店の方が引き戸を開けて登場。せっかくなのでオススメの店をうかがう。すると、姉妹店を紹介してしていただき、修行場のすぐ近くにあることが判明し、人心地がついた。

 

 腹ペッコペコで由良川沿いを歩いていると、

スタートから8キロ、午後1:30、『丹波茶屋 ゆらり由良川』にたどり着く。入店の際、河田アナの背負う菅笠が暖簾にひっかり、くっすんを直撃する暖簾の心棒。

 河田アナ・くっすんともに『ゆらり弁当』を食べる。窓から由良川を眺めつつ、京都っぽいおしゃれな料理に大満足の2人。あとは露天風呂がついてれば最高、とくっすん。

 

 お店を出ると、2匹のジャーマン・シェパードと、散歩中の飼い主さん2人に出会う。動物担当のくっすん、人間並みの大きさである大型犬にも恐れず、ノドをなでなで。河田アナはシェパードさんに近づけず、かなりの距離を保つ。

 遠くから、飼い主さんにインタビューする河田アナ。ジャーマン・シェパードさんは、育てるのはすごく楽で、もうギリギリしゃべるんじゃないかなと思うくらい賢いとのこと。

 

 お店から50メートルほど先にある、JR山陰本線の踏切を渡って、石段を登る。

スタートから約6時間30分

スタートから8キロ、午後2:20、目標地点の修行場・正暦寺に到着。942年に創建された、高野山真言宗のお寺。

 

 本堂の前で、ご住職の玉川さんに竹林座禅についてお話しをうかがう。20年前ぐらいは、普通に本堂で座禅していたが、気分を変えたいと思って竹林のあちこちでやってみたら、意外とすごく気持ちいいことに気付いた。竹林座禅の良さを知ってもらおうと、続けている。

 室内での座禅とは全く違うし、冬場行っても気持ちがピシッとしてよろしい。

 

 作務衣に着替えてから、お寺の隣りにある竹林へ移動し、正暦寺の竹林座禅、開始。竹林の平らになった場所に、ゴザを敷いて座る3人。河田アナとくっすんも正座するが、足が痛かったらあぐらにしてしまったらいい、とご住職。

 ご住職は座り方よりも、呼吸の仕方に重きを置いている。大きくゆっくりとした呼吸を繰り返すことで、心が落ち着いていく。呼吸がしっかりとできていれば、心配事を考えたり、やりたいことを考えてもかまわない。

 河田アナが警策はないのか聞いてみると、痛いん嫌ですし、ないとのこと。

 

 息をゆっくりと鼻から吸って、ゆっくりと口から吐く。それを繰り返す。自然の中で座禅をすることで、キレイな空気が自分の中に入ってくるイメージをもてる。自然の一員として、世の中にいるということを感じとる。

 

 いったん手足を崩して休憩。河田アナは、自分が自然の小さな一部だと感じた。くっすんは、素直に寒いと感じた。

 座禅中に落ち着いた状態で考え事をすれば、自分は小さなことで悩んでいたんだと気付かせてくれたり、違う答えが見つかったりする。

 河田アナが座禅の時間は決まってないのかうかがうと、「適当なんですよね。」とご住職。幾度も座禅を体験してきた2人も、座禅にもいろいろなスタイルがあるなあと改めて思う。

 

 座禅の後は、竹林の中でご住職のお気に入りの場所へ案内してもらう。推定樹齢600年のケヤキの木の下で、ゴザを敷き、根の辺りを枕にして仰向けに寝るご住職。ご住職はこれを『寝禅』と名付けた。

 3人でいっしょに寝禅をすると、見上げた青空に雄大なケヤキの枝が広がっている。ゆっくりとした呼吸法で、ケヤキの木と根元でつながる。

 スタッフさんが寝禅は修行なのかうかがうと、心のケアとのこと。

 

 ご住職は、カチッとした座禅が苦手な人に、ゆる~い座禅をしてもらい、またカチッとした座禅をしていただけたら嬉しい。

 

 

最後に38か所目の御朱印、正暦寺の御朱印をいただき、38日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府綾部市・楞厳寺 → 京都府立綾部高等学校 (4km) → JR『綾部駅』前 (5km) →『グンゼ綾部本社』(6km) → 『すいた扇子』(8.7km) → 『万理也』→『町家ダイニング ゆらり広小路』→ 昼食:『丹波茶屋 ゆらり由良川』→ 目標地点:正暦寺 (8km)

 

平成30(2018)年12月09日(日)に行われた第15回姫路検定試験(旧姫路観光文化検定試験)の2級に合格していた。先日、合格証書を受け取った。第13回姫路検定試験で3級に合格してから、第14回はスルーして、2年の歳月が経ってしまった。

 

 2018年某日ーーー。姫路商工会議所さんから、受験の案内の申込書がまた郵送されてきた。検定の申込期間が10月31日(水)までで、貧乏暇なしで勉強する時間がないので、去年は見送ったが、受けようか受けまいか迷った挙句、締め切り10日前の10月22日(月)に、商工会議所で直接申しこんだ。と同時に、2級の過去問題を5年分と参考テキスト『姫路のあゆみ』を買い、『数字で見る姫路経済2018』をもらった。

 

 試験日まで50日ほどあるので、勉強する日数はあったが、本格的に勉強し始めたのは、3週間前から。といっても勉強するのは、ほぼ休みの日だけで、まずは過去問をとにかく解きまくった。3級のときは、過去問さえ押さえていれば楽勝だったので・・・。過去問を古い順からやっていって、出題の傾向とパターンを探る。平成29年(第14回)は最後の方までとっておいたが、これが後に惨事を招きかねない結果に・・・。

 

 過去問から入って、次に何度も出る問題を中心に覚え、その辺りの公式テキストや参考テキストを読む。たまに、想定外な問題も出るので、全体的にも浅く広く読んでおく。そして、過去問は試験日まで何度でも繰り返す。これが姫路検定の攻略法なり(※ただし、1級には通用しない)。

 

 ところがどっこい、試験1週間前に平成29年(第14回)の過去問を初めてやってみて愕然となった。なんか出題内容がそれまでの過去問と全然違う。「なんじゃこりゃ~。」と思わず叫んでしまうほど。

 やり比べたら違いが分かるが、おそらく問題作成の担当者が変わったにちがいない(一応、筆者の個人的見解)。それまでの模範回答用紙と第14回の模範解答用紙を見たら、違いは一目瞭然。新しい担当者は几帳面な性格で、合理主義かなと思われる。

 

 平成29年(第14回)に担当者が変わって、問題の出題形式とパターンが変わったので、第13回で2級の合格率は72.8%だったが、なんと第14回に43.6%まで下がった。なので、わたくしも2017年に2級を受けていたら、落ちていたかもしれない。どうやら、さらに過去にさかのぼると、合格率がすごく高かったり低かったりと変動があったらしいが、過去問や詳しい資料がないのでよく分からない。

 

 ともあれ、平成29年(第14回)をやってあわてて、その過去問を分析して、対策を講じ、試験開始前も第14回の問題や答えを見直し、本番試験の臨んだ。

 結果、第14回と第15回の問題は同じパターンの問題だったので、胸を撫で下ろした。しかし、また担当者が変わったときは、たぶん過去問が通じないので、注意されたし。しばらくは変わらないと思うけど・・・。

 パターンがいっしょだったのに、第15回の合格率がちょっとしか上がらなかったのは、どうしてだろう。それは、問題自体のレベルが、14回から難しくなっているからであろう。

 

 最後に、姫路検定にもの申す(聞いてはくれまいか、担当者様)。最近『軍師官兵衛』さんの問題がほとんど出てませんけど、大問1つぐらい出しては如何?赤松さん推しもいいですが、もうちょっと官兵衛推しでいきましょうよ。

 それと、2級で筆記の問題がゼロになってしまったが、筆記の問題の方が好きですね、わたしは。そもそも、マークシートでテストやった感を感じませんが・・・。