44. | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。



 親子は久しぶりに会話をしながら穏やかに時を過ごしていた。





「彰、お前毎日こうやって食事は自分で作っているのか?」

「いや。晩飯はほとんど近くの居酒屋で食べてる。“裏木戸”っていう居酒屋だよ」

「あぁ、そこなら俺一度行ったことがあるぞ」

「ん?いつ?」

「何言ってんだよ。お前が結婚した女性がいるから会ってくれって。32歳の時だろう。俺も調度帰国していたから、駅前のグランドホテルで食事しようってことになって。その時、お前が32歳、彼女が24歳で足すと調度俺の歳になるなって皆で笑ったの覚えてるよ。そんとき、帰りに一人でその店に寄って一杯飲んだ」



 ん?




「お前、結局、あの時の彼女とは結婚できなかったもんな。あっ、それは言わない方が良かったな。すまん」

「いや、いいんだ。それよりどうだい?今夜泊まっていくなら、夕飯、居酒屋に食べに行く?」

「おぉ、いいな」





 ほとんど友人のような会話が続いていた。




 夕方6時半を過ぎた頃、二人は裏木戸へ向かった。日中の気温は大分高くなり始め、夕方も気温は下がらない。じっとしていても少し汗ばむくらいになっていたためシャワーを浴びてから二人は出かけた。


 親父と夕方二人で街を歩くなんて一度も無かった。50年間生きて来て初めてだった。特に会話は無かったが、時折見せる父の笑顔は彰に新鮮な印象を与えていた。


 居酒屋の前に着いたとき女将が店の前に水を撒いていた。女将の着物も夏物になっていた。しかし、いつ見ても“女性”ではなく“女”を感じさせる“艶”が漂っていた。


夏の着物は、着手にも見た目にも涼しく工夫されている。夏に涼しく肌触りの良い麻や、絹・紬でも織り方を工夫し夏用に作られた着物地など様々ある。絽(ろ)は、夏の生地としてもっとも人気がある。平織りにすきまをつくった、もじり織りの一種と言われる。


 彰は、母がいつも着物姿だったことも影響し、着物に対する愛着が強かった。

 薄地で軽量、すきまが多く通気性が良い生地で、絽の目によって経絽(たてろ)と緯絽(よころ)がある。紗(しゃ)は、経糸と緯糸がシンプルに交差したもじり織りだ。

 網の目のようで、地模様を表現している紋紗(もんしゃ)、二重織りの風通紗(ふうつうしゃ)、節があり紬風の粋紗(きっしゃ)等と種類も結構あるのだ。

 羅(ら)は、紗を複雑にしたもじり織りだ。紗より目が荒い織物で、手編みのような感覚になっている。着物地でなく、帯やコート時に使われていることが殆どだ。

 女将は薄紫色の絽(ろ)を纏っていた。季節ごとに“女”を見せてくれるので、彰の一つの楽しみだった。女将の左手に立ち止まった彰と父の二人を見て、





「あらっ、いらっ。。。しゃい」



 ん?




「今日はおやじを連れてきたよ」

「そうですの。ど、どうぞ中へお入り下さい」




 女将は彰の父を見て少し顔を紅潮させていたように思えた。

 互いに軽く会釈をした。女将の言葉には少し間があった。

 彰は女将の様子を見て少し首を傾げながら店に入った。父も何も言わず彰の後をついて暖簾をくぐった。


 女将は様子が少し違っていた。落ち着きが無い。いつもは、彰を少しからかいながらビールを出すが、今夜は無言でカウンターを何度も拭いている。二人へ目を向けることもせず背中を向け一言、




「ご注文は?♪」




 ん?なんだ?


 女将はお絞りを父に手渡そうした。その時、女将の指先が父の指と一瞬触れた。

 あれっ?また、女将の顔が紅潮している。

 変だ?女将は60になるが、その艶は人を惹きつける。物腰も美人の基準だが、今夜はとびっきり”女”だった。父はというと、別段変わった様子もなくお絞りを受け取り手を拭いていた。



 やはり?


 彰の胸は、少なからず躍っていた。



つづく