昨夜は書斎のソファーでそのまま眠りについた彰だった。タマはいつのまにか消えていた。彰の独り言に愛想をつかし近所の恋人。。。隣の家の“クロ”にでも逢いに出かけたのだろう。
ゆっくりと身体を起こしカーテンを開けた。
眩しい朝日に一瞬目を閉じ、手をかざした。昨夜降り出した雨も上り、木々の緑が朝日にキラキラと輝いていた。その隙間をスズメが、生き生きと飛び交っている。
時計は午前11時を過ぎていた。髪を掻き毟りながら窓の外を暫く眺めていると階下に見える玄関前の道に男性が一人立っていた。ん?
彰は目をこすりこすりしデスクの上にある眼鏡を掛け、もう一度玄関前に立つ男性を覗き込んだ。えっ?親父?
「おっ!彰!」
「おっ、おやじ!」
彰は階段を駆け下り玄関のドアを開けた。
「どうしたんだ急に?!いつ帰国したんだ?」
「いゃ、昨日だ」
「とにかく入れよ」
「おぅ」
彰の父は考古学者だった。まぁ、放浪者と言ってもいいだろう。年に一度?いや数年に一度、それも、なんの前触れも無く訪れ半日程度会うくらいのもの。
この数十年間はエジプトとインドの遺跡発掘に携わり、今は南米チリにいる。天蓋孤独?のような人間が唯一家族と呼べるのが彰だった。自分の存在を確認できる相手なのだろう。
彰の母は既に他界していた。こんな父の妻として私を育ててくれた母には感謝の言葉もないが、父に対しては親というより忘れかけた友と再会するような感じだ。
風来坊にお説教は似合わない。互いに顔を見て笑った。
「お前、老けたな」
「おやじに言われたくない」
「お前も50だっけ?」
「おやじも70過ぎただろう!」
「まぁな。72だっけ?彼女は元気か?」
「はぁ?彼女?いつの話しているんだよ俺はもう結婚してるんだぞ!子供も一人いるぞ。何年前の話をしているんだよ」
「わりぃ、わりぃ」
相変わらずの天然だ。おやじにとって仕事以外はどうでもいいのだろう。しかし、彰は怒る気にもなれなかった。自分も似たようなものだから。
「で、なんで帰ってきたの?」
「あぁ、俺。。。お母さんの墓参りでもしようかと思って」
「へーっ。おやじにしてはいいとこあるな」
「お前の方はどうだ?仕事は?」
「あぁ。まぁ。。。ボチボチだよ」
「それにしても、珈琲の一杯も出てこないのか?奥さんは?えーと。。。ほら。。。」
「あぁ↓ん。。。今別居中。近くのマンションに住んでいるよ」
「そうか。ん?お前、何か他のリアクション期待したてのか?俺は人の夫婦生活まで意見を言える人間じゃないからな」
「まぁ、それもそうだ。何か食べてきた?」
「いや。軽く何か作ってくれよ」
「ん。少し待って。何かリクエストある?」
「リクエストできるほど、お前に出来る料理の種類が豊富だとは思わんが」
「まったく。口の減らないおやじだよ」
彰は冷蔵庫を開いた。ベーコンとブロッコリー。ジャガイモ、人参、セロリ。パルメジャーチーズがあった。とくればパスタしかない。鍋に水を入れ、皮のままのジャガイモを水から茹でた。中まで火が通ったら手で皮をむき、不器用この上なく適当に切る。
ベーコンも細かく短冊切りに。。。なーんて出来ないので、まぁそこは愛嬌。ブロッコリーと共に適当に切った。水に塩を小さじで数杯入れ沸騰させパスタを入れた。
フライパンにオリーブオイルとベーコンを入れ、少しカリッとなるまで炒め、茹でジャガを加え、少し焦げ目が付くまで炒めた。
おやじが不思議そうな顔で背中から覗き込んで来た。
ブロッコリーを入れ、少し炒めてから別のコンロで茹でていたパスタの茹で汁を加えて混ぜた。塩、コショウは適当。
ブロッコリーが柔らかくなったら火を止めソースは完成。パスタは少し早く引き上げ、フライパンを再び温めパスタを加えてオリーブオイル少々。ソースを作ってからめて、おやじの目の前に皿を置いた。
「ほほう。彰、たいしたもんだ」
「どうだい」
「ん。美味いぞ」
食べ始めたおやじの横顔を見て、彼の白髪と日焼けした顔に刻まれる皺の深さに、重ねてきた年月を感じた。彼は真実を求め地球を駆け巡り、それ以外何も求めず生きて来た。
周囲にいる人間も含め、その犠牲は計り知れないが、彼を恨む人間は一人もいない。
昔、母は彰にこんな言葉をしたことがあった。
『彰。お父さんは頑固で自分の好きなことだけ、とことん追求する人なのよ。まったく困った人。いつかみんなの未来を見つけるんだって。過去を掘り起こしているのに、未来を見つけるんだって♪夢みたいな訳の解らない話しよね。殆どお家にいないお父さんだけど、お母さんもお父さんも大好きだから結婚して彰が生まれたの。どうして好きになったのってお父さんに聞いても“わからないって言うのは人間だから、俺はわからないって言い続ける”って言うの。変でしょ♪』
その時の母の穏やかな笑顔と言葉が、彰の心に残っていた。数少ない親子の会話だったが、母の想いを垣間見た言葉だったのかも知れない。母が、家族の絆に触れた唯一の会話かもしれない。
父と二人でパスタを食べ終わり、珈琲を静に飲み始めた。
「彰。お前、小さい頃、歴史なんて固有名詞ばっかりで嫌いだって言ってたよな」
「ああ」
「今でも嫌いか?」
「どうかな。好きとか嫌いとかは考えないけど、書き物してるから昔よりは色々調べ理解しているつもりだけど」
父は椅子から立ち上がった。
「よいしょっと。最近腰と膝が持たん。。。彰、歴史なんて今の世の中にしか存在しないもんだよ。過去にも未来にも歴史なんて言葉は存在しない。俺は、ただ真実が知りたいだけだ。まだ見えないがな。見えないから真実があるのかもしれない。そこに我々の未来があると信じているから。それだけのことだ。彰、お前も自分の信じる生き方をしろ」
父が語る言葉に、彰は吸い込まれていた。母が父を好きになった訳が少し見えた昼過ぎだった。
つづく