道は星空へと続いているかのように、夜空に溶け込んでいる。夜間飛行のように雲の隙間から顔を覗かせる月と並びながらキャデラックは走り続ける。
葵は助手席から窓の外に浮かぶ月を身体で追いかけ、彰は無言のまま運転している。エンジンが突き上げている。しかし、そのエンジン音さえ二人の静寂に呑み込まれているように感じる。
葵は、彰の手を強く握り返し、何度も小さな手で彰の温もりを逃さないように。彰は、その細く柔らかな手を優しく包んだまま、葵の心の温もりを感じ取っている。
もう、解き放たれた心は互いを懐かしく思えるほどの今を感じさせているようだ。
言葉にできない。いや、言葉にすべきではないと彰は感じた。
幼い頃から、僕らは見よう見真似で“優しさ”や“思いやり”を学んできた。しかし、それが本当に相手を無条件に包み込むほどの“優しさ”や“思いやり”なのか。それは個々により受け取り方が異なる。
例えその場で、互いの心や身体が癒されたとしても、それが本当の優しさや思いやになっているかどうかは本人以外誰も知ることはできない。そこには、感情という非論理的なものが存在するからだ。思考や意識を無意味にしてしまうことさえある感情。まったくもって迷惑なもの。恋とは、そういうものかもしれないと、今、彰は思い始めた。
葵が見せた涙。その溢れ出す涙の意味とはどんなものだろう。彰が思い計る以上の重みや深さがあることだけは確かだ。彼女も、結婚もし思い描いた理想の家庭を守るため、母として、そして一人の女性として家族を、夫を、子を愛していたに違いない。
仕事をしながら家族の絆を保つための努力は傍からは想像できないほどのものがあっただろう。しかし、その夢も望みも手放し、今、子供の成長だけを願い仕事に打ち込んでいる。その彼女が心の箍を外す瞬間が訪れたのだろう。
しかし、今は彼女が流した涙の訳を思い計ることより、彰は感情に素直に従うことが唯一正しいと感じた。自分が今欲していること、それは間違いなく葵という女性の全てであると。
彰は正面を見ながら葵に言葉を掛けた。
「帰り、食事でもどうかな?まだ時間も早いし」
「はい♪」
「何かご希望は?」
「さっぱりしたものが食べたいのでずが。。。」
「あっ、はい。では私の知っている和食ダイニングへ行きましょう」
妙に二人の会話は少し距離を置いているように感じられるが、熱くなった二人の心を冷やすには他人行儀な会話が程よく似合う。
郊外の和食店へと彰はクルマを走らせた。ドライブの帰り、よく一人で立ち寄る店だった。20分ほどで着き、駐車場にクルマを止め彰の後ろを葵が少し離れて店に入った。
窓際の席に着くと、葵はおしぼりを使いながら店内を少し眺めた。彰は、メニューを見た。
「彰さん、タバコ吸われるでしょ。ここ禁煙席ですよ」
「あっ、いいの、いいの」
「いつも通りになさって下さい。でなきゃ。。。私、帰りますよ♪」
「いや、最近仕事中吸い過ぎなのが分かるから、少し控えているんだ。ドライブに出る時くらいは控えようと思って。これって、逆だよね♪」
「それならいいんですけど。。。本当に気を使わないで下さいね♪」
葵の言葉に彰は静かに頷いた。さほど明るい照明ではなく、むしろ室内の明かりは落としている。彰と葵の他は客は二組程度しか入っていない。
ピンク・アンダーウェアにレザーの赤いハイヒールを履いた女性に寝室で迫られるより、白のタンクトップに薄紫のカーディガンを羽織る葵の姿に勝るとは思えない。それほど、彰の心には葵の内面から美しく捉えられていた。
「彰さん。今日、私。。。賭けをしたんです」
「え?」
彰はおしぼりで手を拭くのを止めた。
「もし、今日、あの浜辺に彰さんがいなかったなら、もう会わないようにしようと」
「もしも、僕が浜辺にいたら?」
「それを私が答えるのですか?」
「あっ、いや。ごめん」
「どうして謝るのですか?変ですよ♪」
「う、うん。。。」
「答えて欲しいのですか?♪」
「いいんだ。答えならもう浜辺で確かめたから。。。」
「彰さん。。。」
二人が会話している間に、料理が運ばれてきた。葵は俯き顔を少し赤らめていた。二人はゆっくりと箸を取り食事を始めた。
つづく