アジサイが揺れる雨の日に、私は法務局へ向かった

今日は朝から雨でした。
梅雨らしいしとしととした雨が、窓の外のアジサイをしっとりと濡らしていました。
いつもなら、あの青紫の花を見るだけで気持ちが明るくなるのに、今日ばかりは違いました。胸の中が、なんとなくざわざわしていたのです。

今日はいよいよ、法務局に遺言書を預けに行く日でした。

私は法務局に預ける、自筆証書遺言書保管制度を選びました。

法務局に冊子や用紙等セットになったものが置いてあります。
誰でも手にすることができるラックに置いてあるので、気軽にいただけます。

冊子の中に遺言書の書き方の例も詳しく書かれていて、参考を見ながら書いていきました。
このセットがあるとほぼ準備ができます。
書くことは書きました。でも、書いて引き出しにしまっておくだけでは意味がありません。
ちゃんと法務局に預けて、はじめて安心が得られるのではないかと思っていました。
だから今日この日を、ずっと待っていたのです。心待ちにしていたというより、「早く終わらせてしまいたい」という方が正しいかもしれません。

アジサイをきれいだなと思う余裕もなく、私はバスに乗りました。

法務局に着いてまず「供託課」へ

法務局の建物に入ると、入口近くに案内板があります。

ネットで予約をする際に、供託課だと書かれてあったので、そのフロアへの階段を登りました。

供託課、という言葉は聞き慣れない言葉でした。
遺言書の保管は「遺言書保管所」として法務局が担っていて、その業務を担当しているのが供託課なのだそうです。知らなければわからないことですよね。

予約を入れていたので、受付で名前を告げるとすぐに担当の職員さんが出てきてくださいました。案内された窓口に座ると、持参した書類の確認が始まりました。

遺言書の本文、申請書の記載内容、住民票、本人確認書類。職員さんが丁寧に一つひとつ確認してくださいます。この確認作業は、おおよそ5分ほどで終わりました。

最初に「わからないところがあれば、ここで聞きながら書いていただいても構いませんよ」と職員さんが言ってくださいましたが、申請書は自宅で記入していったので確認だけ。
もし当日窓口で書く場合でも、職員さんが丁寧に教えてくれるそうです。焦らなくて大丈夫です。

書類の確認が終わると、「収入印紙を購入して、廊下の椅子でお待ちください」と案内されました。今回は庁舎内で購入できたので助かりました。金額は3,900円。
収入印紙を購入して廊下で待つことにしました。

1時間、廊下の椅子で待ちながら考えたこと

登録の処理には、およそ1時間かかりました。
予約を取る際に9時30分~10時50分という枠になっていたので、そんなに時間がかかるものかと大変心配して行ったのですが、こういうことだったのだなと納得しました。

廊下に並んだ椅子に腰かけて、窓の外を眺めていました。雨はまだ降り続いていました。

1時間というのは、長いようで、不思議と短く感じました。

ぼんやりと、これまでのことを振り返っていたからかもしれません。

遺言書を書こうと思い立ったのは、特に大きなきっかけがあったわけではありません。ただ、ふとした瞬間に「自分に何かあったとき、家族が困らないようにしたい」という気持ちが芽生えたのです。

財産といっても、大したものがあるわけではありません。でも、「誰が何を受け取るのか」が明確でないと、家族の間で思わぬ行き違いが生じることがあります。それは、財産の多い少ないに関係なく起こりうることだとよく耳にするからです。

だから自分の手で、自分の言葉で書いてみたのです。

そしてその遺言書が今、法務局の中で登録されようとしているのです。

なんだか不思議な気持ちでした。なんだか少し重い。でもどこか、肩の荷が下りていくような感覚もありました。

保管証を受け取ってすべて終了

1時間ほど経った頃、名前を呼ばれました。

窓口に戻り、先ほど購入した印紙を貼り、終了。

職員さんが一枚の紙を差し出してくださいました。

「保管証」です。

遺言書が法務局に保管されたことを証明する、大切な書類です。1枚の紙でしたが、その重さは想像以上でした。

「これが遺言書保管番号になります。大切に保管しておいてください」と職員さんが説明してくださいました。

この番号があれば、保管した遺言書の内容を後から確認したり、必要に応じて閲覧したりすることができます。なくさないように手元に置いておくことをおすすめします。

手続きはすべてで、1時間半ほど。思っていたより、ずっとスムーズでした。

法務局を出ると、雨が少し小降りになっていました。

そもそも、なぜ法務局に預けるのか

ここからは、同じように遺言書の保管を考えていらっしゃる方のために、この制度について詳しくご説明しますね。

遺言書を「書いて、引き出しの奥にしまっておく」という方は、実はとても多いそうです。書いた時点で、一安心してしまうのでしょう。でも実は、そこにこそ大きな落とし穴があります。

自宅に保管した遺言書には、こんなリスクがあります。

まず、紛失のリスクです。引越しや片付けの際に、うっかり捨ててしまうことがあります。

次に、改ざんのリスクです。「これは本当に本人が書いたのか」「後から誰かが書き換えたのではないか」という疑いが生じることがあります。

そして最も困るのが、誰にも見つけてもらえないというケースです。遺言書があることを知らずに相続手続きが進んでしまい、後から出てきてトラブルになることもあります。

せっかく家族のために書いた遺言書が、かえって家族を混乱させてしまう。そんな悲しいことが、実際に起きているのです。

そのリスクを解消するために設けられたのが、2020年にスタートした「自筆証書遺言書保管制度」です。

3,900円で得られる、国のセキュリティ

この制度の最大の魅力は、なんといってもそのコストパフォーマンスです。

遺言書1通につき、3,900円。一度支払えば、それ以降の保管料は一切かかりません。月々の費用も、更新料も不要です。

たとえば、銀行の貸金庫を借りると、年間で数万円の維持費がかかります。弁護士などの専門家に預けると、月々の報酬が発生します。それらと比べると、法務局の制度は驚くほどリーズナブルです。

「国が、一生涯守り続けてくれる」。それが3,900円でできるのです。

「検認」が不要になる、大きなメリット

もう一つ、ぜひ知っておいていただきたいのが、「検認(けんにん)が不要になる」というメリットです。

検認とは何か、ご存知でしょうか。

自宅で保管していた遺言書が見つかった場合、その遺言書をそのまま使うことはできません。まず家庭裁判所に申し立てをして、相続人全員が立ち会う中で内容を確認する「検認」という手続きを経なければならないのです。

この手続きには、1〜2ヶ月ほどの時間がかかることもあります。その間、銀行口座の解約も、不動産の名義変更も、すべてストップしてしまいます。残された家族にとって、これは大変な負担です。

法務局に遺言書を預けておくと、この検認が不要になります。

ただし一点、お伝えしておきたいことがあります。
「検認が不要=手続きがすべてゼロになる」わけではありません。
相続が発生した後に「遺言書情報証明書」を取得する際には、亡くなった方の出生から死亡までの戸籍謄本などを揃える必要があります。
裁判所へ行く手間は省けますが、役所での書類集めという作業は残ります。
それでも、検認の手続きがなくなるだけで、家族の負担はずいぶん軽くなると思います。

法務局が確認するのは「形式」だけ、中身は自分で

ここで一つ、大切なことをお伝えします。

法務局に預ければ、遺言書の内容が「法的に完璧だ」と思っていらっしゃる方がいますが、それは違います。

法務局が確認するのは、あくまで外側の形式だけです。

たとえば、用紙はA4サイズか。余白は正しく確保されているか(上5mm、下10mm、左20mm、右5mm以上)。全文が自筆で書かれているか。日付・署名・押印があるか。こういったチェックリストに沿って確認が行われます。

しかし「誰に何を渡すのか」という中身については、法務局は一切審査も、アドバイスもしてくれません。

たとえば、特定の相続人を書き忘れていたとしても。遺留分(法律で定められた最低限の取り分)を侵害していたとしても。表現が曖昧で不動産登記に使えない内容だったとしても。形式が整っていれば、そのまま預かってもらえてしまうのです。

形は国が守ってくれますが、中身の「質」は、自分で慎重に考えるか、専門家に相談する必要があります。内容に不安がある方は、司法書士や弁護士に一度相談されることをおすすめします。

「死後に届く通知」という、画期的な仕組み

この制度には、もう一つ素晴らしい機能があります。

「遺言書を書いたことを誰にも話さずに亡くなったら、結局見つからないのでは?」

そんな不安を抱えていらっしゃる方もいるかもしれません。その心配を解消してくれるのが、「死亡時通知」という仕組みです。

法務局は、戸籍を管理する部署から遺言者の死亡情報を受け取った際に、あらかじめ指定しておいた方(1名)に「遺言書が法務局に保管されています」とお知らせしてくれます。

家族が知らなくても、国が橋渡しをしてくれる。なんとも心強い仕組みです。

ただし、ここにも一つ注意点があります。引越しや結婚などで、ご自身や通知対象者の住所・氏名が変わった場合は、法務局に「変更届」を提出しておかなければなりません。一度預けたら終わり、ではなく、ライフイベントごとに登録情報を更新することが、確実な通知のために必要です。

持ち物と手続きの流れをわかりやすく整理

実際に法務局へ行く前に、何を準備すればよいかをまとめておきますね。

【持ち物リスト】

①遺言書本文
民法のルールに従って作成した自筆証書遺言書。封をせず、ホチキス止めもしない状態で持参してください。

②遺言書保管申請書
法務省のホームページからダウンロードするか、窓口でもらって記入します。自宅で記入していくとスムーズです。わからない箇所は窓口で職員さんに聞きながら書いてもよいそうです。

③住民票の写し
発行後3ヶ月以内のもの。マイナンバー(個人番号)の記載がないもので、本籍と筆頭者の記載があるものが必要です。

④本人確認書類
顔写真付きの官公署発行のものが必要です。マイナンバーカード、運転免許証、パスポートなどが使えます。

⑤手数料 3,900円分の収入印紙
法務局の庁舎内や近くの郵便局で購入できます。

【手続きの流れ】

ステップ① 予約を入れる
「法務局手続き案内予約サービス」からインターネットで予約できます。電話での予約も可能です。予約なしでも受け付けてもらえますが、待ち時間が長くなる場合があるため、事前予約をおすすめします。

ステップ② 法務局の窓口へ(供託課)
予約日時に、遺言者本人が必要書類を持参して窓口へ。代理人や郵送、オンラインでの申請は一切認められていません。必ず本人が出向く必要があります。

ステップ③ 書類の確認
職員さんが遺言書と申請書の形式を確認します。

ステップ④ 収入印紙の購入と提出
庁舎内または近くで3,900円分の収入印紙を購入し、窓口へ提出します。

ステップ⑤ 登録処理を待つ
廊下の椅子などで待ちます。私の場合は約1時間ほどでした。

ステップ⑥ 保管証の受け取り
手続き完了後、「保管証」が交付されます。遺言書保管番号が記載された大切な書類ですので、安全な場所に保管しておいてください。

元気なうちに、が鉄則です

この制度には、一つ忘れてはならない条件があります。

申請は、遺言者本人が必ず法務局の窓口へ出向かなければならないということです。

本人確認を厳密に行うため、代理人や郵送での申請は認められていません。本人確認書類も、顔写真付きのものが必要です。

ということは、病気や高齢で外出が難しくなってしまった後では、この制度を利用したくてもできない可能性があるのです。

「いつかやろう」ではなく、元気に動けるうちに行動すること。それがこの制度を活かすための、最も大切な条件かもしれません。

手続きを終えて、思うこと

法務局を出て、帰り道を歩きながら、不思議と気持ちが軽くなっていることに気づきました。

遺言書を書いたとき、「こんなことを考えなければならない年齢になったのか」と少し寂しく思ったのは事実です。でも今は、それよりも「ちゃんとできた」という満足感の方が勝っています。

遺言書は、死を準備するためのものではないと、今は思っています。

それは、残してくれる人への「最後の手紙」です。ありがとう、という気持ちの表れです。あなたたちに、できるだけ穏やかに次の日々を歩んでほしいという、願いの形です。

3,900円と、半日の時間。それで守られるものが、こんなにも大きいのだということを、ぜひ多くの方に知っていただけたらと思います。

まだ遺言書を書いていない方は、まず書くことから。すでに書いている方は、引き出しの中に眠らせていないで、法務局に預けることを考えてみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。
同じように遺言書の保管を考えていらっしゃる方の、小さな参考になれたら嬉しいです。