ー60代、おひとりさまの私が向き合った、リアルなお金の不安ー

契約期間満了で退職が決まった日

その日も特に変わったことのない、いつも通りの一日になるはずでした。

朝起きて、いつもの時間に家を出て、いつものデスクに座って仕事をしていました。

ところが、午後になって上司から呼ばれました。「ちょっといいですか」という、いつもより少し硬い声でした。

話の内容は、契約更新と他部署への異動でした。

近いうちに、社内の人員配置が見直されること。そして私は、別の部署に異動になる予定だということ。その異動先は、休職する職員の代替で、正直に言うと、今よりもずっと仕事が少ないらしいということでした。

実はその数日前に他の派遣さんから、その部署の派遣さんが辞めるという話を聞いていたのです。理由は仕事がないということ。仕事がないので、ゴミ捨てや掃除をしていて、それでも時間があるので、何かお手伝いができないか尋ねたところ、嫌な顔をされる、その繰り返しで心病みそうになり、辞めるとのこと。
でも、その代わりの人が見つからなくて困っているらしく、「ここ数か月で3人辞めてる。誰だってそんなところ行きたくないよね。そこ、有名なんだよ、派遣泣かせだって。」と。

どうやらその代わりらしい、ということはすぐに理解しました。

「そこに行ったら、自分は毎日何をして過ごすのだろう」

そう思うと、なんとも言えない気持ちになりました。やることのない一日を、ただ机の前で過ごす自分の姿が、頭に浮かんでしまったのです。

悩みました。
「行ってみないとわからないじゃない。」
「でも、行ってダメだったら4人目の退職者?」
「だから、派遣は使えないんだとか言われるのかな。申し訳ない。」

考えに考え、出した答えは「更新せずに期間満了で辞める」ということでした。
なんだか、最後に宙ぶらりんのまま終わってしまったような、そんな後味の悪さが残りました。

年齢を考えれば、契約があるだけありがたいことだったのかもしれません。
それでも、どうしてもそれは受け入れることができませんでした。
自分で決めたものの、もやもやした気持ちがずっと胸の中に残っていました。

帰りのバスの中、窓の外を眺めながら、何度も同じことを考えていました。「これから、どうしよう」と。

誰もいない部屋で、一人で通帳を開いた夜

家に帰っても、出迎えてくれる人はいません。

私は今、一人暮らしをしています。

「お疲れさま」と声をかけてくれる相手もいないまま、いつものように一人分の夕食を用意して、いつものように一人で食べました。テレビをつけていましたが、内容はほとんど頭に入ってきませんでした。テレビの音だけが、やけに大きく、部屋に響いていた気がします。

食器を洗って片付けたあと、私は引き出しの奥から通帳を取り出しました。

普段は、記帳のために銀行に行ったときくらいしか開かないのですが、その夜は、なぜか妙に気になり、手に取ったものの、開くのに少し勇気が要りました。

ページを開いて残高を見つめます。

数字自体は、見慣れたもののはずでした。でも、いつもとはまったく違う感覚で目に飛び込んできました。

そしてここから私は、ぼんやりとした不安ではなく、もっと具体的で、生々しい不安と向き合うことになりました。

「この貯金で、何ヶ月もつのか」を本気で計算した夜

その夜考えたことを、ひとつずつ書いてみます。

まず最初に頭に浮かんだのは、家賃のことでした。

毎月決まった日に、口座から自動的に引き落とされる家賃。一人暮らしなので、これは当然、すべて自分一人の負担です。誰かと折半することはできません。

「収入がなくなっても、家賃だけは待ってくれない」

このことが、ものすごく重く、のしかかってきました。今までは、毎月給料が入ってきて、その中から自動的に引き落とされていたので、特に意識することもありませんでした。でも、収入が止まると考えた瞬間、家賃という存在の重さが、まったく違って見えてきたのです。

次に頭に浮かんだのは、健康保険と住民税のことでした。

会社員として働いている間は、こうしたお金は給料から自動的に天引きされていました。だから、自分で何かを「払う」という感覚は、あまりありませんでした。

でも仕事を辞めると、状況は変わります。国民健康保険税や住民税を自分で振り込まなければならないのです。

「収入がないのに、払うべきものは、変わらずに発生し続ける」

その夜、初めて、その現実の重さに本当の意味で気づかされました。今まで会社が、知らないうちに自分を支えてくれていたのだと、遅まきながら実感したのです。

通帳の残高を見ながら、家賃、保険料、光熱費、食費。毎月、絶対に出ていくお金を、ひとつずつ電卓に打ち込んでいきました。

「この調子でいくと、貯金が底をつくまで、だいたい〇ヶ月」

その数字を目にした瞬間、背筋がすっと冷たくなったのを今でもはっきりと覚えています。

一人暮らしだからこそ怖かったこと、3つ

具体的に、何が一番怖かったのか。

一つ目は、「もし今、急に倒れたらどうしよう」という恐怖です。

一人暮らしだと、体調を崩しても、すぐには誰も気づいてくれません。会社にいた頃は、「顔色悪いね、大丈夫?」と声をかけてくれる同僚がいました。誰かが必ず、自分の様子を見てくれていたのです。

でも今は、毎日の私の様子に気づく人が誰もいません。

もし夜中に急に具合が悪くなったら。もし家の中で転んで、動けなくなってしまったら。

そんなことを考え始めると、なかなか止まりません。
一人暮らしの不安というのは、お金の不安と、健康の不安が、いつもセットになって押し寄せてくるものなのだと、その夜思い知りました。

二つ目は、「孤独死」という言葉が、一瞬、頭をかすめたことです。

少し大げさに聞こえるかもしれません。自分でも、ちょっと考えすぎだと思いました。でも実際に、その言葉が頭の片隅をよぎったのは事実です。

誰にも看取られず、誰にも気づかれないまま。そんな最期を、ほんの一瞬でも想像してしまった自分に、少し驚き、そして少し悲しくなりました。

三つ目は、「保証人」や「緊急連絡先」の欄を、うまく埋められないという、地味だけれどとても切実な悩みです。

仕事を探すときも、新しい部屋を借りるときも、病院の手続きをするときも、必ずといっていいほど「緊急連絡先」を記入する欄があります。

一人暮らしで、近くに頼れる身内もいない私は、その欄を見るたびに、小さく心が痛みます。「いったい、誰の名前を書けばいいんだろう」と。

きょうだいや親戚はいても、それぞれに事情があり、気軽に「何かあったら連絡してね」とお願いしづらい関係だったりもします。こういう悩みは、家族と一緒に暮らしている方には、なかなか伝わりにくいかもしれません。でも一人暮らしの60代にとっては、これがとてもリアルな、日々の小さな不安なのです。

「あと何年働けるか」という、終わりの見えない計算

そしてもうひとつ、頭から離れなかったのが、「この先、自分はあと何年働けるのだろう」ということでした。

求人サイトを開くと、年齢を入力する欄があります。「60歳以上歓迎」と書かれた求人もたくさん見つかります。でも実際に応募してみると、なかなか面接にすら進めません。

「65歳まで」「70歳まで」と、働ける年齢の上限が決まっている求人も多く、自分がいったいあと何年、収入を得る手段を持てるのか、まったく見当がつきません。

年金をもらい始めるまでの、空白の期間。年金をもらい始めてからも、それだけで本当に暮らしていけるのかという不安。体力が今よりも落ちて、思うように動けなくなったときのこと。

考え始めると、本当に終わりがありませんでした。一つ不安を解消したと思っても、すぐに次の不安が顔を出す。そんな夜が、何度も続きました。

不安の正体は、「わからないこと」の多さだった

何度も通帳を見返しながら、ふと、あることに気づきました。

それは、私が抱えていた不安のほとんどが、「具体的な答えのない、ぼんやりとしたこと」だったということです。

・このお金で、あと何ヶ月、今の暮らしを続けられるのか
・毎月、実際にいくら必要なのか
・健康保険の支払いは、具体的にいくらになるのか
・何歳まで働き続けなければいけないのか

そのどれも、私はきちんと数字にして考えたことが、一度もありませんでした。

なんとなく心配。なんとなく不安。そんな「なんとなく」が、誰にも相談できないまま、どんどん大きく膨らみ続けていたのです。

人は、わからないものほど、怖く感じるものなのだと思います。
真っ暗な部屋に入るとき、何があるかわからないから怖い。でも電気をつけて、何があるのか見えてしまえば、案外なんでもないことも多いものです。

ノートと電卓で、ひとつずつ正体を暴いていった

そこで私は、難しいことを考えるのをやめて、ひとつだけ、簡単なことから始めることにしました。

近所の文房具店で、小さなノートを一冊買ったのです。

そして、毎月の収入と支出をひとつずつ丁寧に書き出していきました。

支出として、実際に書き出したもの

家賃、国民健康保険料、住民税、電気代、ガス代、水道代、スマートフォンの料金、食費、日用品費。それから、持病があるので、毎月の通院や薬代も。
さらに、急な出費に備えるための予備費も、少しだけ確保しておくことにしました。

ひとつずつ金額を書き入れていくと、毎月、最低限必要な金額が、はっきりとした数字として、目の前に浮かび上がってきました。

そしてその数字と、今の貯蓄額を照らし合わせてみました。

すると、「このペースで暮らしていけば、貯金は、だいたい〇ヶ月はもつ」という、具体的な見通しが立ったのです。

「いつかお金が尽きてしまう」という、終わりの見えないぼんやりとした恐怖から、「あと〇ヶ月は猶予がある。その間に、これとこれをやろう」という、具体的な行動の計画へと変わった瞬間でした。

これは、本当に大きな変化でした。不安の内容がぼんやりしているのと、はっきりしているのでは、心への重さがまったく違うのです。

緊急連絡先の悩みも、放置せず少しだけ動いてみた

「緊急連絡先」の悩みについても、そのままにせず、少しだけ調べてみることにしました。

調べてみると、今は、身寄りのない方や一人暮らしの高齢者を支援する制度や、民間の見守りサービスといったものも、いくつか存在することがわかりました。

まだ契約をしたわけではありませんし、具体的にいつというわけでもないのですが、でも、「自分には頼れる選択肢が、まったく何もないわけではない」と知れただけで、ほんの少し、心が軽くなりました。

知らないことは、本当に怖いものです。でも、少しでも調べてみると、思っていたよりも、道は用意されているのだと、この経験で学びました。

不安は消えていません。それでも

正直に言うと、今でも不安はあります。

家賃の引き落とし日が近づくと、やはり少し緊張します。
一人で体調を崩したときのことを考えて、不安になる夜もあります。
求人サイトを眺めながら、ため息をつくこともあります。

でも、あの最初の夜のような「何もわからないまま、ただひたすら怖い」という状態では、もうなくなりました。

数字を知っているから、今、自分がどこまでなら大丈夫なのか、何をいつまでにすればいいのか、それが見えるようになったのです。

見えるということは、それだけで、心をずいぶん軽くしてくれるものなのだと、つくづく感じています。

同じ気持ちで過ごしている、あなたへ

もし今、一人暮らしをしながら、お金のことや、これからのことで、眠れない夜を過ごしている方がいたら。
本当に不安ですよね、とぎゅっとしたくなります。

家賃は待ってくれないこと。
緊急連絡先の欄に困ること。
体調を崩したときの心細さ。
これらはすべて、一人暮らしの60代だからこそ感じる、とてもリアルな悩みです。誰かに話しても、「考えすぎだよ」と軽く流されてしまいそうな悩みかもしれません。でも、決して考えすぎなどではないと、私は思っています。

私もまだ、その中にいます。仕事も探している最中ですし、不安が完全になくなったわけでもありません。

でも、漠然とした恐怖のまま、ただ立ち尽くすのではなく、ひとつずつ数字にして、ひとつずつ調べて、ひとつずつ向き合っていくことは、誰にでもできることだと思います。

もし、あなたが今夜、「これからの生活、どうしよう」とながめているとしたら。その数字と、どうか一度、しっかり向き合ってみてください。

そして、これだけはお伝えしたいです。一人暮らしで、頼れる人が近くにいなくても、あなたと同じように悩み、同じような日々を過ごしている人は、必ずどこかにいます。

あなたは、一人ではありません。共に道を切り開いていきましょう。
道は開けると信じて歩んでいます。