入院・手術の闘病日記(11)~再手術~ | 潰瘍性大腸炎を抱えながらもウルトラマラソンに挑戦し続ける普通のサラリーマンのブログ

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潰瘍性大腸炎になり10数年。”病に負けず努力すれば何事も達成できる!”とサロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦・完走!病と闘いながら自らの夢を追い続け、病で苦しんでいる人に勇気を与えて行けるように日々精進しています。

8月28日
再手術の朝を迎えました。


前回の手術とは違い、今回はあらかじめ説明もあり準備もあり覚悟をする時間もありました。
前日夜に錠剤の下剤を飲んだおかげで、入院中ずっと不調であった便通が朝にありました。

これでひとまず安心。
手術をした後では終日ベットを起きることもできず、それこそ”スギちゃん”のように下のお世話をお願いしないとならなくなります。


”片平なぎさ似の美人ベテラン看護師さん”に付き添われて「手術室」入ります。
今回は並列に並んだ奥の手術室ではなく、手前の手術室で行われました。
当然、歩くことができるので手術台までは自らの足で参りました。
(当然、帰りはベッドで病室へ帰っていくのですが。)


若手の先生(若手でないかもしれませんが、見た目は若そうに見えました。)二人が手術前の準備を進めてくれていきます。
点滴の用意、下半身麻酔の準備、等々・・・てきぱきと進められていきます。
そうこうするうちに執刀医のY先生が来ました。
「それでは、○○さん。麻酔の方をしていきますね。」
横向きになり脊髄の部位を念入りに探っていき麻酔薬を打っていきます。針で突く痛みです。
麻酔を打つ前には、「痛いことをするときは、必ず”痛いことをしますよ”と言いますので安心してください」と言ってくれました。
手術を前にした患者さんを安心させる適切な配慮だと思います。


うつ伏せ姿勢になって、徐々に下半身の間隔が無くなっていきます。
今回は「それでは、○○○・・・・・・」と言った「白い巨塔」のようなセリフがありませんでした。
(単に聞き逃しただけで、言ったのかもしれませんが。)


相変わらず、前回同様に手術中のBGMは80年代の日本の歌謡曲です。
(前回がこのUSENだったので気を使ってそのようにしたのかもしれません。)
淡々と手術が進められていくのですが、Y先生以外に話し声が増えていつ来たのかI先生も手術に参加していました。
下半身麻酔をしているのですが、患部のところでもぞもぞ何かしている感じはわかります。(大変気持ち悪い感じです。)
9時から始まった手術は、大方1時間くらい経った頃でしょうか?消化器内科の先生を呼んで手術中に何やら意見を求めているようなこともしています。
話の中に”尿道”とか”ドレーン”とか何か他にいっぱい医学用語を言ってたように思います。


最終、手術は11時30分頃に終わり執刀医のY先生が
「○○さん、終わりました。」と声をかけてくれました。
Y先生から手術の簡単な概要の説明があり、所在のわからなかった原発口は手術中に解明ができ、くりぬき法で除いた瘻管が2か所、シートン法でゴムを通した瘻管が2か所あるという事でした。
このシートン法で取り付けたゴムがどれほどで取れるのかを聞いてみたところ
「2,3ヶ月くらい」との答えで、瞬時に今年の”ホノルルマラソン”が行けるのか? 

また、走ることができるのか?を聞いたらY先生曰く
「そうですね、多分大丈夫ですよ!走ることもできると思います。」

と言ってもらえました。ひとまず安心です。



2012サロマ湖100kmウルトラマラソン完走から一転!          手術、入院、通院治療から復活を綴るブログ-ワイキキビーチ

※再びこの景色が見られます。(昨年のハワイ ホノルル)


手術室から出るときにはBGMに浜田省吾の「もうひとつの土曜日」が流れてました。

私は「前回も手術室から出るときに”浜田省吾”が流れてました。」ことを若い先生に言うと、

「それじゃ、〇〇さんの決まりのエンディング・テーマですね」と言ってくれました。


病棟からは再び”片平なぎさ似の美人ベテラン看護師さん”が迎えに来ており、私は、手術台から病室ベットに移りました。
(この移動の為の機械がまるで”築地のマグロ”が台に乗せられるような感じでした。)
手術部のみなさんに心から


「本当にありがとうございました。」


とベットの上からお礼を言って運ばれて行きました。





続く



【参考】
下半身麻酔