令和7年(2025年)5月15日㈭

旅の2日目、函館の朝

2日連続、道南いさりび鉄道直通列車に乗車

函館650発 木古内行き



函館〜五稜郭はJR北海道函館本線 乗車券270円を購入



五稜郭〜木古内の乗車にはコチラを使用

江差・松前周遊フリーパス~千年北海道手形~ 2日券
 6300円


※江差・松前周遊フリーパス~千年北海道手形


函館市と渡島西部・檜山南部9町内の路線バス(※一部路線を除く)、道南いさりび鉄道(木古内⇄五稜郭*)も使い放題、「五稜郭〜函館」間をご利用の際は、別途運賃・料金が必要


販売期間 2025年4月1日~2026年3月29日(3日券)、3月30日(2日券) 


有効期間 乗車日から2日間または3日間 


料金 (2日券)大人6300円、こども3150円 (3日券)大人8500円、小人4250円 


販売場所 函館駅前バス案内所(9~12時、13~18時)、いさりび鉄道五稜郭売店(五稜郭駅構内) そのほか、北斗市観光交流センター観光案内所(新函館北斗駅内)、道の駅みそぎの郷きこない(木古内駅前)、開陽丸青少年センター内「江差町観光情報総合案内所」など ウェブサービス「ドーナ」でも購入可能 


函館を発車後、いい天気でしたが

木古内に近づくと車窓は朝霧

終点の木古内754着

2日連続の木古内

木古内駅周辺は朝霧に包まれていました。

函館バス 632系統

木古内駅916発 江差病院前行き

に乗車 

2014年(平成26年)5月12日に廃止された、JR北海道江差線・木古内 - 江差の鉄道代替バス、函館バスの江差木古内線。


車窓には江差線の廃線跡

1029着の大留で下車。

函館バス 621系統 

松前町地域生活バス「大漁くんバス」

大留1039発 原口漁港前行き

に乗り換え
1049着の原歌で下車

ここは上ノ国町
原歌停留所から1.8km先は

続日本100名城に選定されている勝山館跡がある標高159mの夷王山
このような坂道を登ります。





勝山館

北海道檜山郡上ノ国町にあった中世の城(山城)「上之国館跡」のうちの一つ「勝山館跡」として国の史跡に指定されている。
築城年代は不明だが、館北端にある館神八幡宮(たてがみはちまんぐう)の創建が文明5年(1473年)と伝えられているため、この頃の築城と推定されている。蠣崎信広あるいはその子光広以降、蠣崎氏の本拠地とされていたが、光広の時代の永正11年(1514年)に松前の徳山館に本拠を移転して以降は、主要な副城として脇館転じて「和喜の館」と称され一族を配した。 夷王山の中腹、南から北へと伸びる斜面を利用して長さ270m、幅100mで総面積20.9haの規模を有する。さらに城の背後から山頂に向かって中世和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在する。 
 2017年、続日本100名城(102番)に選定された。

wikipediaより引用
上ノ国町では数日前にクマ目撃情報、用心のため熊鈴を持参しました。

幸いにもクマさんには出逢わず

勝山館ガイダンス施設に入館





勝山館ガイダンス施設にて御城印を購入

続日本100名城スタンプを押しました。

ここまでに押した続日本100名城スタンプは(62/100)


勝山館ガイダンス施設から見た夷王山山頂



夷王山山頂から見た日本海

山頂に鎮座する夷王山神社

クマにであいたくないので足早に坂道を下り



夷王山の麓にある  

道の駅 上ノ国 もんじゅ へ



道の駅 上ノ国 もんじゅ では上ノ国町のマンホールカードを配布

頂きました。

函館バス 621系統 

松前町地域生活バス「大漁くんバス」


原歌1229発 江差ターミナル行き

に乗り1239着の大留で下車
停留所の近くにはマンホールカードと同じデザインのマンホール




函館バス 632系統


大留1255発 木古内駅前行き

木古内駅前1413着 

道南いさりび鉄道

木古内1519発 函館行き

終点の函館1626着

函館駅からバスに乗り函館空港へ

日が暮れていきます。

JAL588   函館1930発   東京行き

は使用機材の到着遅れのため出発20分おくれ

1950発

機内はほぼ満席

羽田には定刻より19分遅れ。2119着



京急にて帰路に




令和7年(2025年)5月14 日㈬

羽田からAIR DO  函館行き

に当時

ちなみに先週はスカイマークに乗り鹿児島に行きます

函館空港に到着

御翔印を購入

バスに乗り函館駅へ。

函館駅前バス案内所にて









江差・松前周遊フリーパス~千年北海道手形~ 2日券
 6300円

を購入
 

※江差・松前周遊フリーパス~千年北海道手形


函館市と渡島西部・檜山南部9町内の路線バス(※一部路線を除く)、道南いさりび鉄道(木古内⇄五稜郭*)も使い放題、「五稜郭〜函館」間をご利用の際は、別途運賃・料金が必要


販売期間 2025年4月1日~2026年3月29日(3日券)、3月30日(2日券) 


有効期間 乗車日から2日間または3日間 


料金 (2日券)大人6300円、こども3150円 (3日券)大人8500円、小人4250円 


販売場所 函館駅前バス案内所(9~12時、13~18時)、いさりび鉄道五稜郭売店(五稜郭駅構内) そのほか、北斗市観光交流センター観光案内所(新函館北斗駅内)、道の駅みそぎの郷きこない(木古内駅前)、開陽丸青少年センター内「江差町観光情報総合案内所」など ウェブサービス「ドーナ」でも購入可能 


函館から道南いさりび鉄道直通に乗車

函館→五稜郭の乗車券は別途購入



終点の木古内へ

道の駅みそぎの郷 きこない

にて

木古内町のマンホールカードを頂きました

道南いさりび鉄道の鉄印を購入

デザインマンホールはすぐ近くに設置

みそぎ浜へ

木古内駅前から函館バスに乗り松城へ

松前城は近く

日本100名城に選定されている松前城

日本100名城スタンプを押して

御城印と

城カードを購入

再び函館バスに乗り木古内駅へ

道南いさりび鉄道に乗り函館へ

今日は函館駅近くに宿泊







※高遠城

長野県伊那市高遠町(旧・信濃国伊那郡(のち上伊那郡]高遠)にあった城。別名兜山城。サクラの名所としても有名であり、特に珍しい品種であるタカトオコヒガン1,500本の樹林が名高い。国の史跡に指定されている。

築城年は不明。戦国時代の高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継が居城としていた。1545年(天文14年)、諏訪の領有を巡りしていた。頼継は1541年(天文10年)に甲斐守護武田晴信(信玄)と頼継は対立し、高遠城は落城(高遠合戦)。高遠城はその後武田氏により改修され、信濃支配における拠点となる。
武田信玄から武田勝頼にかけて武田氏は領国を接する織田・徳川氏と対立するようになり、高遠城は対織田・徳川勢力の重要な軍事拠点となる。
1582年(天正10年)、織田信長は本格的な武田攻め(甲州征伐)を開始し、長男の織田信忠に3万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる守備兵の数は3千で、盛信は信忠の降伏勧告を退けて抗戦するが、守備隊は玉砕し、盛信や昌成・大学助兄弟らは戦死し、城は落城した。高遠城の落城により織田勢は伊那方面からも甲斐へ侵攻し、武田氏は滅亡した。 高遠城の西では、織田軍が攻城拠点として使ったとみられる「一夜の城」と推定される遺構が発掘されている。
武田氏の滅亡後、信濃伊那郡は織田家臣・毛利長秀が支配する。織田氏の伊那郡支配の実態は不明であるが、毛利長秀は坂西氏の居城であった下伊那郡の飯田城(長野県飯田市)に在城していることが確認される。高遠城は甲州征伐により壊滅しており織田氏時代の城主も不明で、伊那郡支配の拠点として機能していたかは疑問視されている。 同年6月に本能寺の変が起こると、甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生する。上伊那郡では諏訪氏の一族で上伊那郡福与城(長野県上伊那郡箕輪町)を拠点としていた藤沢頼親が復帰した。藤沢頼親は保科正直に攻められ、田中城で子・頼広と共に自害した。徳川家康が下条頼安・小笠原貞慶ら信濃国衆を送り込み、同年7月15日までに高遠城を奪還した。 その後は家康方の保科正直が高遠城に入った。
江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏・保科氏・鳥居氏と城主が交代した。1691年(元禄4年)に内藤清枚が3万3千石で入封。以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。 

1872年(明治5年)廃城。廃藩置県によって高遠城は取り壊しとなり、城内の樹木は競売にかけられ売り払われたため、この場所は荒地となっていた。1876年(明治9年)、これを見かねた旧藩士たちは城跡に桜を植樹し、城下町にあった門を移すなどして公園として整備した。1936年(昭和11年)、高遠閣が完成。現在、高遠閣は観光客の休憩所、案内所として使用されているが、元々は地域の集会所として作られたものであった。


入口には料金所がありますが閉まっています。


高遠城址公園は花見シーズンのみ入場有利。

毎年4月上旬から5月上旬にかけての観桜シーズンには「高遠城址公園さくら祭り」が催され、夜間のライトアップも行われ全国から花見客が訪れる[。







法憧院曲輪





白土橋









白兎橋を渡りました。

石碑は忠骨蔵






本丸へ向います。



桜雲橋、その先に見えるのは問屋門

問屋門



問屋門を潜り

本丸跡へ



本丸跡





本丸跡に建つ太鼓櫓





本丸跡に鎮座する新城(盛信)神社











高遠公園碑



本丸跡をあとにして

再び桜雲橋を渡り

登録有形文化財 高遠閣

1936年(昭和11年)築、地域の集会所として作られたが、現在は観光客の休憩所、案内所として使用









二ノ丸跡



高遠城址公園を出て





進徳館



進徳館

高遠城内に設けられた高遠藩の藩校である。城址敷地内に現存する藩校建造物は珍しく、1973年(昭和48年)国の史跡に指定された(史跡「高遠城跡」の一部として指定)

































進徳館から坂道を下り



勘助曲輪

痛みの激しい門が





大手門跡









大手門石垣

大手門跡からの眺め

石段を下り








高遠駅へ向かいます