令和7年(2025年)1月10日㈮

 「令和7年1月上旬の旅」は、青春18きっぷ3日間用の使用3日目、大和路線(関西本線)のJR難波に来ました。

※この記事の続きです。




乗車するのは


308K  JR難波736発 快速 奈良行き




車両は221系4連×2の8両編成

大阪←   221系 NA402編成 4連+221系 NA428編成4連→奈良


先頭車両はホーム先端ギリギリに停車

終点の奈良820着







奈良駅から徒歩数分

松屋奈良駅前店へ





奈良の町を歩きます。あまり観光客が訪れない路地を歩き






奈良駅から1km以上歩きな奈良町へ

*ならまち

奈良県奈良市の中心市街地南東部に位置する、歴史的町並みを有する地域。狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。 なお、奈良町(ならまち)とは、江戸時代中期の『奈良町絵図』に描かれた奈良町の区域を指す現在の地名で、「ならまち」「きたまち」「京終(きょうばて)」のエリアからなる。奈良市では、「奈良町」と「ならまち」とを使い分けている。「ならまち」は、「奈良町」のうち国道369号よりも南の区域を指す。 このうち、元興寺の旧境内を中心とする49.3ヘクタールが、奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されている。

wikipediaより引用










奈良駅から歩くこと1.8km

奈良町南観光案内所「 鹿の舟」


観光案内所(繭)

午前9時~午後5時(年中無休) 






奈良町南観光案内所「 鹿の舟」

では奈良市のマンホールカードを配布
頂きました。


歴まちカードも頂きました。





近鉄奈良駅の方へ歩きます。

藤岡家住宅

奈良県奈良市元興寺町にある古民家。町家。重要文化財。

17世紀末から18世紀初期のものとみられる商家。奈良市内に残る町屋の中でも、特に建立年代も古い。 桁行13.3メートル、梁間14.7メートルで全面に庇がつく[。一部に2階を持つ、切妻造段違・桟瓦葺。通り土間と2列の居室からなるが、奥の列は座敷・次の間・茶室となっている。 




御霊神社にお参り

御霊神社(ごりょうじんじゃ)

奈良県奈良市薬師堂町にある神社。旧社格は村社。南都御霊神社・木比御霊とも呼ばれる。

延暦19年(800年)に桓武天皇の命令で創建された。元興寺五重塔跡の南西に鎮座し、井上皇后・他戸親王等八所大神を祀っている。西紀寺町の崇道天皇社とともに南都二大御霊社とされる。 





※元興寺塔跡


元興寺は、奈良県奈良市芝新屋町にある華厳宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音(中門観音)。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引くため、元興寺塔跡と通称される。 
宝徳3年(1451年)の土一揆による焼き討ち以後、寺は智光曼荼羅を奉安する「極楽院」(極楽坊)、五重塔を中心とする「観音堂」(現・塔跡)、それに「小塔院」の3つの寺院に分裂していった。観音堂はやがて東大寺の末寺となり、五重塔を中心とする寺院として維持されていた。 五重塔は奈良時代に建立された高さ72メートルとも57メートルともいわれる巨大なもので、奈良の名物として有名であった。しかし、宝徳3年(1451年)の火災にも焼け残った創建遺構の五重塔及び観音堂は、江戸時代末期の安政6年(1859年)に観音堂の東側の町屋から出た火災に巻き込まれて焼失した。以後五重塔は再建されることはなかった。以降は「元興寺」の寺号は継ぐものの衰微している。 1930年(昭和5年)に現在の本堂である観音堂が再興されている。 2023年7月以降、管理人の転居に伴い拝観ができなくなっていたが、地元自治会や市民ら多くのボランティアが整備に協力し、2024年以降は春・秋の観光シーズンなどに期間限定で特別拝観を行うようになった。






登録有形文化財 吉田家住宅主屋

登録有形文化財 吉田蚊帳店舗

猿沢池へ

猿沢池から見える興福寺五重塔




興福寺五重塔は令和4年(2022)6 月~令和13年(2031)3月 にかけて修理期間



修理の際の足場である「素屋根」に塔が覆われていました。

※昨年訪れた興福寺、まだ五重塔は見ることができました。



南円堂



近鉄奈良駅近くのアーケード商店街

餅飯殿センター街



餅飯殿センター街には先ほど奈良町南観光案内所「 鹿の舟」で頂いたマンホールカードのデザインのマンホールが設置










再びJRの奈良駅へ