令和6年(2024年)11月21日㈭


「令和6年11月中旬の旅」2日目の朝は佐賀県佐賀市から。


宿泊したビジネスホテルサンシティ1号館の部屋からの眺め、左に見える高架はJR佐賀駅北口。

※この記事の続きです。

8時30分過ぎにビジネスホテルサンシティ1号館をチェックアウト

天気は曇り空

JR佐賀駅北口へ、駅構内を通り抜け


南口へ、駅前に建つ像は


「面浮立」
1980年に寄贈された佐賀県を代表する民俗芸能の「面浮立」の銅像。合戦・豊作や神事的な踊りを伝承する。

これから向かう佐賀城跡は佐賀駅から約2km先。

アクセス案内ではバス利用を進めていますが
歩いて向かいます。

佐賀駅南口に建つ像

名将・鍋島直政と直政を支えた賢人たち

左から、古賀穀堂・鍋島直政・鍋島茂義像 
古賀 穀堂(1778- 1836) 朱子学者・(1830年)、直正が藩主在任中の年寄相談役に任じられ、佐賀藩内の教育改革が実施。

鍋島 直正(1815- 1871) 幕末の肥前佐賀藩10代藩主で、維新後に軍防事務局輔、開拓長官、大納言などを歴任。

鍋島 茂義(1800‐1863)  武雄鍋島家9代当主。28代佐賀藩自治領武雄領主。高島秋帆に弟子入りして西洋式砲術や科学技術を究め、幕末期の佐賀藩の高度な軍事力・技術力開発のさきがけとなった。
オフィスビルが立ち並ぶ「中央大通り」を歩きます。佐賀は車社会なのか通勤通学時間帯でも歩いている人は少ない。

その途中の広場にも多くの像が

弘道館で学んだ若き日の賢人たち




大隈重信(左)、副島種臣(右)


大隈 重信(1838- 1922) 幕末佐賀藩の上士の家に生まれて志士として活躍し、明治維新期に外交などで手腕をふるったことで中央政府の首脳となり、参議兼大蔵卿を勤めるなど明治政府の最高首脳の一人にのぼり、明治初期の外交・財政・経済に大きな影響を及ぼした。

副島 種臣(1828- 1905) ・弘道館教諭を経て、尊王攘夷運動に奔走。明治維新後に参与・制度事務局判事となり、福岡孝弟と共に「政体書」を起草。
江藤新平(左)、大木喬任(右)

江藤新平 (1834 - 1874) 佐賀藩士、東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議を歴任したが、明治六年の政変で下野。佐賀の乱の首謀者として処刑された。 立法・行政・司法がそれぞれ独立する「三権分立」を推進し、日本近代司法体制の生みの親として「近代日本司法制度の父」と称される。また、司法制度・学制・警察制度の推進と共に「四民平等」を説き浸透させた。

大木 喬任(1832- 1899)  佐賀藩士、維新後徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などを務めた。江戸を東京とすること(東京奠都)に尽力した。1871年(明治4年)に民部卿、文部卿として学制を制定。1872年(明治5年)に教部卿を兼任。
枝吉神陽(左)、島義勇(中央)、佐野常民(右)

枝吉 神陽(1822 - 1862) 佐賀藩の思想家、教育者、国学者。藩校弘道館の教諭。外務卿、内務大臣を務めた副島種臣は実弟。佐賀の尊皇派の中心的存在。 

島義勇島(1822 - 1874) 佐賀藩士、明治政府官吏。札幌市の建設に着手し、「北海道開拓の父」と呼ばれる。佐賀の七賢人の一人。江藤新平と共に佐賀の乱を起こし刑死した。

佐野 常民(1823- 1902)

佐賀藩士、維新後は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。日本赤十字社の創始者。「佐賀の七賢人」の1人。

ひたすら平坦な道を歩きます。

「中央通り」沿いにも2体の像

日本の工学・科学分野の先駆者

志田林三郎(右)、黒田チカ(左)

志田 林三郎(1856 - 1892年) 物理学者・電気工学者。佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市、当時佐賀藩)生まれ。工学博士、電気学会創設者。

黒田 チカ(1884- 1968) 化学者。理学博士(1929年)(保井コノに続く女性理学博士第2号)。お茶の水女子大学名誉教授。佐賀県佐賀郡松原町(現・佐賀市松原)生まれ。植物色素の構造決定を行ったことで知られる。天然色素に関する黒田の研究は、2013年3月に日本化学会がその関連資料を化学遺産に認定。 日本初の女子帝国大学生の1人としても知られる。
アーケードの商店街は白山名店街

残念ながらシャッター通りでした。



佐賀駅から1.4km

佐賀バルーンミュージアム

佐賀県佐賀市松原にある熱気球をテーマにした日本国内初の常設博物館、2016年開館。

開館時間    午前10時00分から午後5時

休館日   毎週月曜日

 観覧料 編集 大人:500円
まだ開館時間前です。入口前にはデザインマンホールが展示



バルーンミュージアム内にある佐賀工房バルーンミュージアム店ではマンホールカードを配布、佐賀城を見た後に頂きました。

佐賀城の北堀が見えてきました。


佐賀市の県庁前佐賀城跡北堀に架かる「くすの栄橋」を渡ります。










佐賀県立図書館の前を通り過ぎます。このあたりは佐賀城二の丸跡、佐賀城本丸跡は600m先。

このような道を歩き



ようやく佐賀城本丸跡が見えてきました。



佐賀城本丸跡の向かいにはある佐賀県立美術館には小さな洋館が設置

岡田三郎アトリエの文字

※岡田三郎助アトリエ

岡田 三郎助(1869 - 1939)は明治から昭和にかけて活躍した近代洋画家、版画家である。現在の佐賀県佐賀市八幡小路生まれ。佐賀県立美術館に常設展示室がある。
建物は岡田三郎助が設けたアトリエ・応接室と「女子洋画研究所」を2018年に移築したもの。明治終わりから大正に建てられた木造洋風建築。アトリエと女子洋画研究所は撮影やイベント等での貸し出しを行っている。


佐賀城本丸歴史館へ向かいます。







佐賀城跡で撮影した画像はコチラ