佐賀城跡

佐賀県佐賀市 佐賀城公園

令和6年(2024年)11月21日㈭ 撮影



佐賀城

佐賀県佐賀市城内(肥前国佐賀郡)にあった城。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し以降、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。
 
鎌倉時代から戦国時代にかけて、肥前の戦国大名龍造寺氏によって築かれた村中城が、慶長期に鍋島氏による拡張・改修により、現在の佐賀城の姿になった。
 佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際には多布施川より送り込んだ大量の水によって本丸以外を水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とそれ以降描かれる現状を反映した城下絵図と比較すると、櫓数の削減や本丸及び二の丸の石垣の簡素化など異なる部分が多く、厳密には未完成の城である。
 江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用されていた。また、城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた。

 1871年(明治4年)廃城、1874年(明治7年)
佐賀の乱により鯱の門、鯱の門続櫓、本丸御殿以外の全ての建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが残っており国の重要文化財に指定されている。
城跡は佐賀城公園として整備され、2004年(平成16年)には本丸御殿が木造復元され佐賀県立佐賀城本丸歴史館として公開されている他、周辺は東堀や土塁が復元され往時の姿を取り戻しつつある。二の丸には佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県政治経済の中心地となっている。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(89番)に選定された。
向こうに見えるのは本丸・天守台跡の石垣



本丸天守台跡

本丸跡へ向かいます。右に見えるのは本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館



時刻は9時過ぎ、まだ開館時間前

2004年(平成16年)に木造復元された本丸御殿は佐賀県立佐賀城本丸歴史館として公開










鯱の門 重要文化財

1838年(天保9年)に建造された本丸の表門。屋根にのる青銅製の鯱にちなんでこの名前がある。









鯱の門と続櫓


続櫓も重要文化財











二の丸に建つ鍋島直政像

鍋島 直正(1815- 1871)

幕末の肥前佐賀藩10代藩主で、維新後に軍防事務局輔、開拓長官、大納言などを歴任。
2017年(平成29年)、佐賀城鯱の門北側の広場に鍋島直政の銅像が建立。
鍋島直政像と鯱の門・続櫓





天守台へ向かいます。







天守台へ登る石段



天守台

1726年(享保11年)に焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されている。
























天守台を下り

鯱の門を潜り、本丸御殿・佐賀県立佐賀城本丸歴史館へ向かいます。