
令和6年(2024年)4月17日㈬
「令和6年4月中旬の旅」1日目は南宮崎からJR九州日南線に乗車。
1929D 南宮﨑915発 快速日南マリーン号 に乗り1022着の飫肥で下車。
*この記事の続きです。
*旅名人の九州満喫きっぷ
九州の全鉄道の快速・普通列車1日乗り放題が3回(人)分
利用期間 通年
発売期間 通年
価格 大人 11,000円 こども 11,000円
有効期間 3ヶ月
発売条件 発売日から3ヶ月以内に1人3回又は同一行程のグループ(3人まで)が利用する場合に発売。
発売箇所 JR九州の駅・九州内の主な旅行会社。
☆乗車可能鉄道・軌道
九州旅客鉄道(JR九州)、北九州高速鉄道(モノレール)、平成筑豊鉄道(門司港レトロ観光列車含む)、筑豊電気鉄道、福岡市地下鉄、西日本鉄道(西鉄電車)、甘木鉄道、松浦鉄道、長崎電気軌道(路面電車)、島原鉄道、熊本電気鉄道、熊本市電、南阿蘇鉄道、くま川鉄道、肥薩おれんじ鉄道、鹿児島市電
○新幹線、特急列車(西日本鉄道を除く。)、南阿蘇鉄道のトロッコ列車、路線バスには乗車不可(別に乗車券、特急券等が必要。)。 ※ただし、くま川鉄道のバス代行区間は「旅名人の九州満喫きっぷ」で利用可能。

飫肥城を模した駅舎を出て

1.5km先の飫肥城址へ向かいます。

飫肥駅から飫肥城址へ向かい途上、岩崎稲荷神社の鳥居

酒谷川に架かる稲荷下橋を渡り

稲荷下橋から見た酒谷川

稲荷下橋を渡ると

飫肥の中心らしき場所に

日南市指定文化財 商家資料館

明治3年(1870年)築の商家

外観だけ見学します。

飫肥城へ向かう道

石碑と案内板が

小村寿太郎誕生之地

小村 寿太郎(1855- 1911)
日向国飫肥藩の出身、明治時代の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復。治外法権は陸奥宗光が改正)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。



小村寿太郎誕生之地から先に進みます。

小村寿太郎生誕之地の隣、旧山本猪平家

旧山本猪平家
明治40年(1907年)頃に豪商山本猪平が、隣接する小村寿太郎生家が没落した際に、土地を買い取り新築したもの、 昭和4年(1929年)に増築した以外は、ほぼ建築当初のまま。 平成9年(1997年)に日南市により公有化された。
入館料 個人:大人300
こちらも外観のみ眺めます。

日南市飫肥伝統的建造物群保存地区
飫肥「九州の小京都」とも称され、多くの観光客が訪れている。江戸時代初期からの地割や歴史的風致のある町並みが多く残され重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。


飫肥城へ向かう前にちょっと寄り道、飫肥城観光駐車へ

飫肥城観光駐車場チケット販売所では

飫肥城御城印を販売

飫肥城大手門のすぐ近く
国際交流センター 小村記念館
明治時代の伊東家分家屋敷跡


小村記念館に残る古い建物 旧伊東祐正住宅


飫肥城大手門、左には豫章館(よしょうかん)

*豫章館(予章館、よしょうかん)
飫肥城址の大手門の前にあり、日南市飫肥伝統的建造物群保存地区内の内の伝統的建造物である。1869年(明治2年)に、飫肥藩第14代藩主・伊東祐帰が藩知事に任命されたのち、城内より移り住んだ屋敷である。 飫肥地区に現存する武家屋敷の中で、江戸時代の面影を残している建造物である。 1983年(昭和58年)に所有者の伊東家から日南市に寄贈された。
wikipediaより引用

大手門から飫肥城跡に入ります。
飫肥城跡にて撮影した画像はコチラ


日本100名城スタンプが設置されている飫肥城歴史資料館へ

飫肥城歴史資料館
入館料 1館単独券 大人300円・由緒施設共通券 大人800円
9:30~17:00 ※最終受付16:30 定休日 12/29 12/30 12/31

日本100名城スタンプ 飫肥城
を押しました。

飫肥城跡を出て再び飫肥駅へ向かいます。往路とは異なる道、武家屋敷通りを歩き

武家屋敷通りに建つ「小村寿太郎生家」
この建物は「小村寿太郎侯誕生之地」碑がある場所に建っていたが、明治時代後期に振徳堂裏手に移築され、1921(大正10)年に武家屋敷通りの現在地に再び移築された。 老朽化のため市が改修整備し、2004(平成16)年から外観を一般公開。

旧伊東伝佐衛門家
19世紀代に建てられた武家屋敷。石段中央には「宿泊者専用」と記された案内
旧伊東伝左衛門家は宿泊施設「茜さす 飫肥」として営業されていました。

古い洋館が見えました。周囲では解体工事中、この建物も解体されるのか?
1922年(大正11年)建、「旧飯田医院」。
洋館と和館がつながる建物でした。

旧飯田医院和館は解体工事中でした。洋館は残りそうです。

酒谷川に架かる稲荷下橋を渡り