赤穂城 

兵庫県赤穂市

令和6年(2024年)3月14日㈭ 撮影


赤穂城三之丸跡、二之丸庭園の次は本丸庭園に来ました。

*コチラの続きです。
赤穂城本丸庭園

入園時間  9:00~16:30(入園は16:00まで) 休園日 本丸、二之丸庭園以外は無休 

休園日 12月28日~1月4日(年末年始)


 本丸高麗門(こうらいもん) - 赤穂城本丸門の一部。城壁上の土塀に丸、三角、四角の穴(狭間)が開く。1996年(平成8年)復元。



*赤穂城

兵庫県赤穂市にある城。江戸時代は赤穂藩の藩主が暮らした城。城郭は国の史跡に、本丸庭園と二之丸庭園は名勝に指定されている。日本100名城、日本の歴史公園100選にも選定されている。
 正保2年(1645年)に浅野長直が赤穂へ入封すると、慶安元年(1648年)に築城願を幕府へ提出、同年に築城に着手した。これが現在の赤穂城であり、元和偃武の後に築城の始まった全国的にも珍しい城郭として著名である。現在では海岸線から離れているが、築城当時は赤穂城のすぐ南側まで海が入り込んでいたことから、海岸平城に分類される。
寛文元年(1661年)に着手から13年かかって完成し、10の隅櫓(すみやぐら)、門が12基、曲輪(くるわ)の延長は2847mに及んだ。本丸には築城時に設置された天守台が残存するが、江戸時代を通じて天守そのものは建築されなかった。 明治時代前期に廃城されると建物は破却、一部の石垣と堀のみを残し、土地の大部分は民間へ払い下げられて田畑や宅地に転用された。本丸跡は小学校ほか、公共施設の用地に当てられ。1981年(昭和56年)まで赤穂高の鉄筋コンクリート校舎が存在していた。 大手隅櫓、大手門(高麗門)は1955年(昭和30年)に古写真[を参考に再建築されている。1971年(昭和46年)に赤穂城跡が国史跡の指定を受ける[16]と、門・塀・庭園が徐々に再建され、1995年度以降は二之丸庭園の復元整備が段階的に継続している]。本丸には本丸門や本丸御殿の間取りを示し、発掘調査で確認された庭園などが復元整備されている。

wikipediaより引用




 本丸櫓門(やぐらもん) -

赤穂城本丸門の一部。石垣の上に一層櫓。1996年(平成8年)復元


本丸櫓門を潜りました。左下には

日本100名城スタンプラリースタンプが設置

押しました。




本丸庭園







本丸には築城時に設置された天守台が残存するが、江戸時代を通じて天守そのものは建築されなかった。



天守台を登ります。























天守台を下りました。

本丸厩口門(台所門)から本丸庭園を出ます。は2001年(平成13年)に復元され、2010年(平成22年)に

本丸厩口門は2001年(平成13年)に復元。







三之丸跡を歩き









米蔵跡休憩舎

米倉を模した休憩所


三之丸 水手門

船着場跡と四脚門の礎石がある。 




三之丸跡を歩き


西仕切門、二之丸庭園に入れます。、2009年(平成21年)に復元






二之丸庭園







大石頼母助屋敷門から二之丸庭園を出ました。

武家屋敷公園

三之丸清水門から入ると左手の建物。外観は勤番の侍が寝起きした屋敷に似せてあり、往時の城内を想像させる。


武家屋敷公園


大手隅櫓の横を通り過ぎ、播州赤穂駅へ向かいます。