令和5年(2023年)11月30日㈭

「令和5年11月下旬の旅」2日目は近鉄吉野線壺阪山駅に来ました。駅周辺を歩いた後、再び戻ってきました。

*この記事の続きです。

*壺阪山駅

奈良県高市郡高取町観覚寺にある、近畿日本鉄道吉野線の駅。単式・島式の複合型2面3線の行違・折返可能な地平駅。ホーム有効長は4両分。上りホーム(2・3番線)が島式で、その片方の3番線は吉野方で行き止まりになっており、橿原神宮前行きの折返し列車用になっている。残りの2線のみが吉野方面に通じている。駅舎は下り(東)側にあり、島式ホームとは構内踏切で連絡している。 橿原神宮前駅管理の無人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。 特急券および定期券は専用の自動券売機で購入できるようになっている。

2番線にて橿原神宮前方面の上り列車を待ちます。

向いの下りホームには

1053発 観光特急 青の協奏曲 吉野行き

が到着、当ブログではあまり縁のない観光列車。車両は一般車両6200系を改造した16200系

* 6200系の内、2016年に6221Fが観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」に改造され、形式も16200系に変更された。運転日は毎週水曜日以外の週6日(水曜日はこの編成以外の特急車両で運用)で1日2往復運転される。編成は3両編成で、1・3号車にサロン席(3・4人用)とツイン席(2人用)、2号車にラウンジスペースとバーカウンターを設ける。

そして上りホームには乗車する

壺阪山1053発 橿原神宮前行き

が到着。

車両は6407系6407F2連
1100着の橿原神宮前で下車、橿原線に乗換え

橿原線乗り場には特急車両が停車中ですが
普通列車に乗ります。

上り橿原線

橿原神宮前1107発 普通 大和西大寺行き

車両は8400系8402F4連、画像は橿原神宮方の進行方向最後部の8302

この編成は1969年(昭和44年)製、車齢54年
1135着の近鉄郡山で下車。

壺阪山〜橿原神宮前〜近鉄郡山 22.2km   運賃550円
橿原神宮方のホームに面する駅舎

*近鉄郡山駅

奈良県大和郡山市南郡山町にある、近畿日本鉄道橿原線の駅。

相対式2面2線のホームを持つ地上駅。ホーム有効長は6両分。駅舎は1番線側にあり、2番線側には無人の自動改札口があるが、上下ホームは構内踏切で連絡しているため、どちらの改札口からでも双方のホームに入ることができる。特急以外の全定期旅客列車が停車する。 天理駅管理の有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。 

wikipediaより引用
駅を出て0.8km先、続日本100名城に選定されている郡山城跡へ向かいます。
地図ナビに頼らず郡山城跡に向かうと迷っていしまいました。結果的に遠回りに

城跡の濠と思いましたが


濠ではなく池でした。鰻堀池

名称に「堀」が着いているので堀の役割も果たしていたようです。



郡山城跡公園に入ります。

*郡山城跡にて撮影した画像はこちら
郡山城公園内の柳沢文庫にて

入口の設置されている 続日本100名城スタンプ    郡山城
うまく押せました。柳沢文庫にて郡山城の御城印を購入


郡山城跡からJR西日本大和路線の郡山駅は1.4km先

昔ながらの商店街を歩いていきます、
郡山駅に向かう途上で目にした3階建ての木造建築「旧川本家住宅」

*平成30年1月10日から、登録有形文化財「旧川本家住宅」は2018年(平成30年)から「町家物語館」として一般公開を開始。

大和郡山市内の中心市街地の南東部にある洞泉寺町(とうせんじちょう)に位置する町家建築です。1921年(大正11年)に納屋と蔵が、1923年(大正13年)に本館と座敷棟が建てられました。この当時では珍しい木造三階建て遊郭建築で、遊郭として一世を風靡しますが、1958年(昭和33年)に廃業。その後下宿として客間は貸間として利用された。今も尚、当時の上流花街の繁栄を偲ばせている。堅固な構造の下、良好な保存状態で現在に至っており、内部には意匠を凝らした欄間や上質な数寄屋造りの小部屋など特殊な建築技法を各所に取り入れた遊郭建築ならではの造形美を創出している。2014年(平成26)年に登録有形文化財。 

大和郡山市HPより
なんとなく入りづらい?外観のみの見ることにしました。


再び郡山駅へ向かいます。その途上にはこのような案内

「日本三大お稲荷さん 義経ゆかりの源九郎稲荷神社」


源九郎稲荷神社

奈良県大和郡山市洞泉寺町にある神社。源九郎狐や綿帽子を買った狐の伝説で有名である。童謡『やまとの源九郎さん』に歌われている場所であり、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。北向きの本殿に宇迦之御魂大神、源九郎稲荷大明神(源九郎狐)が祀られている。小さな稲荷であるが日本三大稲荷の一つに数えられ、また近畿二大稲荷や関西三大稲荷に数えられることもある。

源義経が兄頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられたことから、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっている。 天正13年(1585年)9月、翁の姿をした源九郎と名乗る白狐が大和国の長安寺村の宝譽という僧の前に現れ、茶枳尼天(稲荷)を郡山城の南に祀れば城の守護神になろうと告げた。宝譽は郡山城主の豊臣秀長にこのことを告げると、秀長は城の南に洞泉寺を建立して宝譽を住持とし茶枳尼天を祀らせ、自らも洞泉寺の境内に源九郎稲荷大明神を祀らせ、城の鎮守としたと伝えられている。また、遠く吉野川のほとりにあった源九郎狐の社をこの地に移したともいう。 享保4年(1719年)に現在地に遷座。1925年(大正14年)に現社殿が完成している。

wikipediaより引用






御朱印を頂きました。
紺屋町、道の中央を流れる幅1mの紺屋川

箱工房「紺屋」

江戸時代の町家を再生した藍染体験施設

こちらも外観を眺めるだけ


紺屋町から見た郡山駅方面
郡山駅近く、薬園八幡神社

郡山駅に到着