
令和5年(2023年)10月26日㈭
「令和5年10月下旬の旅」2日目の朝は群馬県伊勢崎市から
宿泊したホテル伊勢崎イーストの部屋から見た眺め
*この記事の続きです。

ホテル伊勢崎イーストをチェックアウト、秋晴れの空



約400m先の東武伊勢崎線新伊勢崎駅へ向かいます。平日の通勤時間体、行き交うクルマは多い

東武伊勢崎線の高架が見えてきて


新伊勢崎駅に到着

新伊勢崎からは使用2日目、ふらっと両毛 東武フリーパス を使用
*ふらっと両毛 東武フリーパス 2440円(浅草駅発)
東武鉄道から発売
有効期限 3日間
発駅~茂林寺前間往復乗車券
フリー区間乗車券 茂林寺前~伊勢崎、太田~赤城、館林~葛生、館林~西小泉、東小泉~太田
バス フリー区間乗車券
館林エリア(運行:つゝじ観光バス)館林・板倉線、多々良巡回線 佐野エリア(運行:関東自動車)佐野新都市線、(運行:ジェイアールバス関東)佐野市生活路線バス 足利エリア(運行:関東自動車、足利中央観光バス、足利タクシー)足利市生活路線バス 太田エリア(運行:矢島タクシー)シティライナーおおた 桐生エリア(運行:桐生朝日自動車)おりひめバス 伊勢崎エリア(運行:伊勢崎市)いせさきしコミュニティバス「あおぞら」


駅前には「徳川氏発祥の地」

観光案内図にも「徳川氏発祥の地」

「徳川氏発祥の地」と伝わる歴史公園周辺は1.5km先

世良田駅前の様子、まさかの砂利道

田畑の広がる道を歩き

1kmほど歩くと世良田の中心地らしき場所に到着

寺の門と広い境内、長楽寺
*長楽寺
群馬県太田市世良田町にある天台宗の寺院である。山号は世良田山。本尊は釈迦如来。隣接して世良田東照宮がある。境内は「新田荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。
1221年(承久3年)世良田義季の開山、臨済宗の僧釈円栄朝を開山として創建されたという。早い時期から官寺として扱われていた。室町時代初期(南北朝時代)には室町幕府から関東十刹のひとつに列せられた。 鎌倉時代の開基~江戸時代までは新田家および足利家(鎌倉公方)の帰依を得、臨済宗関東十刹中でも大寺院であった。 徳川家の祖とされる世良田義季(得川義季)が創建したとされることから徳川家の帰依を得、江戸時代江戸幕府に起用された天台宗の僧天海により天台宗に改宗となった。
wikipediaより引用


世良田東照宮は長楽寺からやや奥まった場所にありました。


*世良田東照宮
群馬県太田市世良田町にある神社である。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。
この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。 寛永21年(1644年)、3代将軍・徳川家光の命により、徳川氏の遠祖の世良田義季の墓があり、天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建された。歴代徳川将軍から信仰され、江戸時代は大いに栄えた。明治8年(1875年)、神仏分離によって長楽寺から分離し、明治12年(1879年)に郷社に列格した。 社殿は、創建の際に日光東照宮の古社殿を移築したもので、一間社流造の本殿、入母屋造の拝殿、唐門は国の重要文化財に指定されている。他に、元和4年作の大鉄燈籠等が重要文化財の附(つけたり)指定となっている。
wikipediaより引用

拝殿前に建つ重要文化財 鉄燈籠

公共放送の大河ドラマ「太平記」の撮影で使用された鎧、新田義貞役の根津甚八氏が着用
再び訪れることはあるのであろうか?