広島城

広島県広島市中区 広島城址公園

令和5年(2023年)10月12日㈭ 撮影

*広島城は2023年1月以来、9ヶ月ぶりの訪問
 



新白島駅から700m、広島城天守が見えてきました。
*広島城

広島県広島市中区基町にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが、第二次大戦末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。
江戸時代初頭に入城した福島正則の増築以降に、城域となった外堀までの約90万平方メートルの範囲のうち、現在の史跡としての広島城は広島市中央公園内 の内堀を含む本丸跡と二の丸跡の範囲で、広さ約12万m2と三の丸跡の一部が残る。  江戸時代では西日本有数の所領となった広島藩42万6000石の浅野家12代の居城となり、江戸時代中期に書かれた『広島藩御覚書帖』によると、5重と3重の大小天守群以下、櫓88基が建てられていた。1592年に毛利輝元によって創建された大天守は、外壁仕上げの下見板張りや最上階に高欄を持つ外観仕様が国宝指定(1931年)の理由の一つとなった。近代は日清戦争時に、本丸に大本営が置かれるなど軍都広島の中心であった。1945年のアメリカ軍による広島市への原子爆弾投下により、現存していた天守は倒壊し、櫓や城門も失われた。現在の天守は鉄筋コンクリート構造による外観復元天守である。外観復元された大天守は歴史博物館「広島城」として利用されている。






広島護国神社の石鳥居を潜り広島城阯公園内へ
広島大本営跡
広島大本営跡の石碑と天守閣
広島大本営

1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の戦争指揮のために広島県広島市の広島城(現中区基町)内に設置された大本営である。
 元々この地には本丸御殿があったが火災により全焼、1877年(明治10年)跡地に広島鎮台司令部として建設されたものである。1888年(明治21年)第5師団発足以降はその司令部として使われていた。そして、大本営として用いられた。 洋風建築の木造2階建て、広島城本丸におかれた。
1896年(明治29年)大本営解散後は第5師団管理の下「大本営址」は文化財として保護され、史蹟名勝天然紀念物保存法施行により「史蹟明治二十七八年戦役広島大本営」として1926年(大正15年)に国の史跡(旧史跡)に指定された。1928年(昭和3年)から広島城天守の一般開放が始まり、あわせて名所として公開された。 1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下により建物は全て崩壊した。1948年(昭和23年)、戦後の軍国主義排除の風潮の中で、史跡指定が解除され塗りつぶされた。現在では、建物の基礎および礎石と、一部文字が消された石碑が残っているのみとなっている。


9ヶ月前にも訪れた天守へ


広島サミットの影響?欧米系の外国観光客の姿が目につきます。


博物館「広島城」

広島復興大博覧会開催に合わせ外観復元された天守を利用して1958年(昭和33年)に、前身となった「広島城郷土館」が設置された。郷土館は、広島城の他に広島の歴史、民俗、自然史などに関する資料を展示した博物館(博物館類似施設)であったが、1989年(平成元年)に改装と展示物の入れ替えを行い、現在は、博物館「広島城」として開館している。再建天守の老朽化が進んだため、現状からの耐震改修の他、木造再建も検討されており、2025年度後半に天守を閉館し、天守内の展示収蔵資料を三の丸に新設する代替施設に移して2026年度に開館させる方針である。 5層のうち1階から3階は常設展示、4階は企画展示、5階(最上階)は展望室となっている。 常設展示は、広島城の成立と役割、城下町広島のくらしと文化をテーマとしており、甲冑・刀剣等も展示されている。また、歴史と広島城に関する企画展示も実施されている。
広島城天主の開館時間は9:00〜18:00

天守閣観覧料は370円
入口前にありました

日本100名城スタンプ
2023年5月から(個人的に)集め始めた日本100名城スタンプ及び続日本100名城スタンプ

広島城を再訪したのはスタンプを押すためです。
日本100名城スタンプは入口前に設置、入館しなくても押せますが

せっかくここまで来たので9ヶ月ぶりに入館します。

天守内は撮影禁止が多い、撮影OKの展示のみ撮影








5階最上階の展望室



左に見えるのは広島中央公園内に建設中(当時)のサッカースタジアム

エディオンピースウイング広島(2024年2月開業)





広島城天守閣第一層ミュージアムショップにて、御城印を購入、前回とは異なるデザインを、ということで

洋金箔(真鍮製の箔)の御城印  1000円

 


広島城二の丸復元建物へ、画像右に見えるのは太鼓櫓

平櫓、多門櫓、太鼓櫓は平成6(1994)年に復元建築

左は多聞櫓、右は平櫓

平櫓

広島城跡   二ノ丸復元建物は無料公開 

開館時間は

4月1日〜9月30日  9:00〜17:30(入館は17:00まで)

10月1日〜3月31日 9:00〜16:30(入館は16:00まで) 

2023年1月は開館時間を過ぎてから二ノ丸復元建物の前に到着、見学はできませんでした。  
多聞櫓の石段から中へ



多聞櫓内
平櫓内


平櫓と多聞櫓から見た太鼓櫓
多聞櫓から太鼓櫓へ向かう廊下にはパネルや展示物


広島城再建天守閣の初代鯱瓦(しゃちかわら)。 
説明板によると

広島城再建天守閣の鯱瓦

 昭和33(1958)年、天守閣再建時に制作された再建天守閣の初代鯱瓦。 原爆で倒壊した広島城を再建する際には、過去の図面や外観写真などが参考にされたが、鯱瓦については細部が不明であったため、福山城の鉄筋御門の鯱瓦などを参考にして作成された。この鯱瓦は平成3(1991)年の台風19号により破損したため二代目に取り換えられた。その後二代目は芸予地震(平成13年・2001年)に破損し、現在天守閣の屋根にあるものは三代目。

廊下から外を見ます。

廊下から太鼓櫓へ
太鼓櫓の二階は立入禁止

太鼓櫓一階に展示されている太鼓
太鼓橋からの眺め



再び多聞櫓から外に出て


城外に出ました。











右奥に見えるのは広島中央公園内に建設中(当時)のサッカースタジアム

エディオンピースウイング広島(2024年2月開業)