広島城

広島県広島市中区 広島城址公園

令和5(2023)年1月26日㈭ 撮影


広島城の内堀と太鼓櫓が見えてきました。
内堀の脇の道を歩き二の丸表御門へ

左から二の丸表御門、平櫓、多門櫓、太鼓櫓




天正期末(16世紀末)に建てられた二の丸表御門は昭和20(1945)年の原爆投下により消失、現在の建物は平成3(1991)年に復元建築
内堀に架かる御門橋を渡り城内へ
二の丸表御門を潜ると二の丸跡へ

多門櫓と太鼓櫓
平櫓、多門櫓、太鼓櫓は平成6(1994)年に復元建築

二の丸跡から見た太鼓櫓

二の丸馬屋跡

二の丸から本丸へ向かいます。

広島城址公園内、広島城本丸の南西部にある広島護国神社

広島護国神社の脇にある金網に閉ざされた場所、金網の前には説明板

*中国軍管区司令部跡

大日本帝国陸軍中国軍管区司令部防空作戦室の遺構。旧陸軍の防空作戦室は全国に6ヶ所あったことはわかっており、ここは現存唯一のものになる。広島市への原子爆弾投下の第一報を外電した場所であり、現存する被爆建物の一つ。国史跡広島城址公園内にあり本丸を囲む内堀の石垣付近に位置し、広島護国神社境内隣にある。半地下式鉄筋コンクリート平屋造。入り口には広島市により原爆被災説明板が設置されている。 
防空作戦室は広島城本丸の南端、内堀の石垣沿いに置かれた。敵航空機から発見されにくいように半地下構造とした。上に土が盛られ木々が数本植えてあり、上空から見るとそこに建物があるとわからなかった。これは現在でも同じ状況であり、広島護国神社側から見てもその全体像はわからない。 
2017年から安全性が確保できないという理由で内部見学禁止処置がとられている。

wikipediaより引用
金網の隙間から見た入口

広島大本営跡

*広島大本営

1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の戦争指揮のために広島城内に設置された大本営である。

元々この地には本丸御殿があったが火災により全焼、1877年(明治10年)跡地に広島鎮台司令部として建設されたものである。1888年(明治21年)第5師団発足以降はその司令部として使われていた。そして、大本営として用いられた。 洋風建築の木造2階建て、広島城本丸におかれた。
1896年(明治29年)大本営解散後は第5師団管理の下「大本営址」は文化財として保護され、史蹟名勝天然紀念物保存法施行により「史蹟明治二十七八年戦役広島大本営」として1926年(大正15年)に国の史跡(旧史跡)に指定された。1928年(昭和3年)から広島城天守の一般開放が始まり、あわせて名所として公開された。 1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下により建物は全て崩壊した。(爆心地から約900メートル)。1948年(昭和23年)、戦後の軍国主義排除の風潮の中で、史跡指定が解除され塗りつぶされた。現在では、建物の基礎および礎石と、一部文字が消された石碑が残っているのみとなっている。


広島大本営跡の説明板は簡素なものでした。


広島城天守へ向かいます。


観覧料 370円にて入館






天守閣内の展示室内は撮影禁止。 第二層の復元武家屋敷・商家、第五層展望室は撮影可能。 
第二層は撮影可能





第五層展示室




天守閣を出ました。