*北海道&東日本パス


JR北海道線、JR東日本線、青い森鉄道線、いわて銀河鉄道線及び北越急行線の普通列車(快速含む)普通車自由席及びJR東日本のBRTが乗り降り、新函館北斗~新青森間内相互発着の場合に限り、別に特定特急券購入により北海道新幹線の普通車の立席(空いてる席が)が利用可能


発売箇所 :JR北海道・JR東日本の主な駅の指定席券売機・みどりの窓口及び主な旅行会社


利用期間 【春季】2023年 3月 1日~2023年 4月22日 【夏季】2023年 7月 1日~2023年 9月30日 【冬季】2023年12月10日~2024年 1月10日 


 発売期間 【春季】2023年 2月20日~2023年 4月16日 【夏季】2023年 6月20日~2023年 9月24日  【冬季】2023年12月 1日~2024年 1月 4日 

駅周辺は古代に陸奥国府と鎮守府が置かれていた多賀城跡。

すでに18時すぎ、日照時間の長い七月でも暗くなってきました。日没までに多賀城跡を歩きます。

すでに18時すぎ、日照時間の長い7月でも暗くなってきました。

国府多賀城駅前にある丘、館前遺跡

説明板によると

台地上に位置する本遺跡は、多賀城跡の南東隅から200mほどの距離にあり、さらに政庁跡との距離は600mになります。またここから南東方向500mの高崎丘陵上には多賀城廃寺があり、本遺跡は政庁と廃寺を結ぶ線のほぼ中間に位置しています。
この遺跡からは掘立柱建物跡六棟、溝跡、整地層などが発見されており、六棟の建物跡は9世紀前半に存在していたものと考えられます。
さらに、六棟の中でも中心に位置するものは、四面に庇の付く格の高い建物です。このような建物は県内では「陸奥国府」が置かれた多賀城跡などで数例確認されているのみであり、しかもそのうちの一例は多賀城の政庁正殿であることから、四面庇付建物の持つ意味は本遺跡の性格を考える上で極めて重要です。
本遺跡は、多賀城に赴任した国司の館跡と考えられ、その重要性から昭和55年3月に特別史跡多賀城跡附寺跡の一部として追加指定されました。

駅から歩くこと500m、広い公園と池が見えてきました。ここが多賀城跡らしい。

この日は秋田県内の大雨の影響で乗車予定だった北上線が運休により旅の行程を変更、多賀城跡を訪れました。

急遽訪れたので多賀城跡がどのような場所であるか「予習」せず、行き当たりばったりで訪れました。

*多賀城 

現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった。
奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため、軍事拠点として松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能した。
 創建は神亀元年(724)、按察使大野東人が築城したとされる。8世紀初めから11世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われた。第1期は724年 - 762年、第2期は762年 - 780年で天平宝字6年(762)藤原恵美朝狩が改修してから宝亀11年(780)伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで、第3期は780年 - 869年で焼失の復興から貞観11年(869年)の大地震(貞観地震)による倒壊[7][注 1]および溺死者千人ばかりを出した城下に及ぶ津波[8]被災[注 2]まで、第4期は869年 - 11世紀半ばで地震及び津波被災からの復興から廃絶までに分けられる。
の新政府、陸奥将軍府が誕生。 
昭和36年(1961年)- 多賀城跡とその周辺の調査が始まる。 昭和41年(1966年) 遺跡は国の特別史跡に指定される。 平成18(2006)年 日本100名城に認定される。

wikipediaより引用

公園内を歩きます。城趾らしい風景

雨上がりの夕暮れ、ほとんど人影はなく

丘に向かう細い道
丘の上に来ました。
朱塗りの門が見えてきました。今年3月に完成した南門、2024年には公開予定。

工事用の塀に囲まれて南門には近づけません。



南門の近くに建つ石碑、覆堂(ふくどう)に覆われています。
重要文化財 多賀城碑。奈良時代(8世紀頃)に建てられた古碑

覆堂に覆われた多賀城碑


多賀城跡に来たのは日本100名城スタンプを押すため

スタンプの設置場所派多賀城跡管理事務所(多賀城政庁跡北側) 24時間押印可能とのことですが
それらしき場所は見当たらず、周囲はかなり暗くなってきました。ちょっと焦ります。

やむを得ず?地図ナビで検索すると


このような道がルートで示されました。日が暮れる前にはスタンプ設置場所に辿り着きたい

多賀城跡管理事務所の前に到着、建物の前には説明板が設置、多賀城跡附寺跡
周囲は多賀城政庁跡らしいですが日没ギリギリなので歩かず


多賀城跡管理事務所は閉まっていましたが
入口前には日本100名城スタンプが設置されていました。

スタンプを押しました。

国府多賀城駅に戻ってきた頃にはすっかり日が暮れていました。

国府多賀城駅前の観光案内所には日本100名城スタンプ設置場所が表示

観光案内所は既に閉まっています。


国府多賀城駅もこの時間帯は駅員不在

2557M  国府多賀城1932発 小牛田行き

に乗車


乗車する電車が到着、車内は空いていました。

終点の小牛田2003着



E721系2連+4連の6両編成

小牛田行では改札を出て駅舎を撮影

この日最期の乗車列車

1743D   小牛田2020発 鳴子温泉行き

車両は

←小牛田 キハ112 217+キハ111−217 鳴子温泉→

の2両編成


ガラガラの車内

2032着の古川で下車

古川で下車するのは6年ぶり
 


この日は古川に宿泊

仙台に泊まりたかったが宿泊費が高く泊まれず、仙台市内の多くのビジネスホテルは1万円超!

宿泊費が比較して安い大崎市に来ました。

駅から約600m、この日の宿が見えてきました。
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