令和5年(2023年)5月18日㈭


「令和5年5月の旅・広島岡山編」2日目は岡山県岡山市に来ました。

岡山駅から歩くこと1.8km、岡山城へ行きました。

*コチラの記事の続きです。
*岡山城(鳥城公園)にて撮影した画像
岡山城を後にして旭川沿いを歩き

岡山電気軌道城下停留場近くにある岡山神社を参拝

*岡山神社

貞観年間の創建と伝えられ、当初は後に岡山城が築かれることになる岡山という丘の上に鎮座していた。天正元年(1573年)、宇喜多直家が岡山城を築くに当たって、当社を城の側の現在地に遷座、岡山城の守護神とし社領を寄進した。宇喜多秀家が本殿を造営し、次いで城主となった小早川秀秋が拝殿以下を造営した。江戸時代には藩主池田家により城内の鎮守として崇敬され、社領300石が寄進された。 それまでは酒折宮と呼ばれていたが、明治15年(1882年)に岡山神社に改称した。昭和16年(1941年)に社殿の改修、社務所の新築が行われたが、昭和20年(1945年)に戦災により随神門と末社数社だけを残して焼失した。昭和33年(1958年)に本殿が再建され、次いで昭和50年(1975年)に拝殿、幣殿が造営され、平成元年(1989年)に現在の社務所、参集所が完成した

wikipediaより引用

岡山市指定重要文化財の隋神門は保存修理工事中 
、囲いに覆われ見れず


昭和33年(1958年)再建の本殿
本殿脇にある社務所にて御朱印を頂きました。


岡山神社からは岡山駅へ歩きます。その途上にある史跡、旧岡山藩藩学校跡


岡山藩藩学

江戸時代前期に岡山藩によって他藩に先駆けて開かれた最古の藩校である。所在地は岡山県岡山市北区蕃山町。国学、岡山学校と呼ばれた。国の史跡。

岡山藩藩学は寛文9年(1669年)岡山藩主池田光政によって開設された。 廃藩置県となる明治4年(1871年)に廃止するまで存続した。閉校後の明治9年(1876年)に岡山県師範学校となり、明治44年(1911年)には岡山県女子師範学校となった。 藩学の建造物は次第に撤去され大正後期には南門、校門、講堂等が残されていた。大正11年(1922年)3月8日、国の史跡に指定された。しかし、昭和20年(1945年)6月29日の岡山空襲により、泮池とそこに架かる橋以外は全て焼失した。戦後まもなく校門・講堂の基礎は埋め立てられ現在の岡山市立岡山中央中学校となり、周囲の学舎跡地は市街地となった。
岡山藩藩学跡に残る溜池と橋





岡山駅西口へ

岡山空港リムジンバス岡山線にて岡山桃太郎空港へ向かいます。
岡山駅西口バスターミナルにて、岡山空港リムジンバスの乗車券

JR岡山駅→岡山桃太郎空港 780円

を購入

岡山駅から岡山桃太郎空港への距離は約17km
岡山空港リムジンバス岡山線は岡電バス(岡山電気軌道)と中鉄バスの共同運行は

乗車した

岡山駅1555発 岡山桃太郎空港行き

は中鉄バスの運行でした。


岡山桃太郎空港1625着
岡山桃太郎空港を訪れるのは初めて、搭乗予定の便出発まで2時間以上、ゆっくり空港を見ることがデキます。



ターミナルビルの前には庭園

岡山後楽園模式庭園


ターミナルビル前には桃太郎像


岡山空港の御翔印

ターミナルビル1Fの岡山特産館 桃太郎 にて購入
送迎デッキへ行きました。


搭乗するのは羽田行き のJAL

JAL242   岡山1900発 東京(羽田)2015着

機材はB737−800

出発は定時より10分遅れ

  
旅程1
2023年5月18日(木) JAL242便
岡山19:00発東京(羽田)20:15着















運賃情報
旅程1
〔内訳〕
プロモーション大人:1名×6,000円
国内線旅客施設使用料
大人:1名×370円
消費税600円
合計6,970円

 
羽田には定時2015着より10分ほど遅れて到着

羽田到着後は第1ターミナルの送迎デッキへ


羽田からの帰路は京急

羽田空港第1・第2ターミナル2132発 エアポート急行 逗子・葉山行き

車両は1000形4連✕2   8両編成
羽田方、後方の4連は1895編成「Le Ciel」


車内はデュアルシート
2218着の杉田まで乗車

京急の杉田から、JR根岸線の新杉田まで徒歩連絡、新杉田から根岸線に乗り帰途に