
令和5年(2023 年)6月22日㈭
当ブログまいどおなじみ?木曜休みの平日お出かけです。
梅雨らしく朝から曇り空、午後からは雨の予報なので遠出はしません。
根岸線・横浜線直通に乗り小机で下車

聞こえるのは第三京浜を走るクルマの走行音


空堀と説明板


本丸広場入口の城門

本丸広場には「小机城址」の石碑
*小机城は、永享の乱(1438年 – 1439年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。 この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年(文明10年)に起きた攻守戦である。山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃をした。道灌は鶴見川対岸の亀の甲山に陣をとり、約2か月をかけて落城させたとされる。 その後は廃城となったが、この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織された。笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいた。その後、城主は北条氏堯、北条氏政の弟三郎(上杉景虎ではないらしい)、北条氏光と替わっている。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城した。その後、徳川家康の関東入府のときに廃城とされた。
wikipediaより引用

新横浜は今年3月以来、3ヶ月ぶりです。
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前回の新横浜訪問は、東急・相鉄新横浜線の「初乗車」