令和5年(2023 年)6月22日㈭

当ブログまいどおなじみ?木曜休みの平日お出かけです。

梅雨らしく朝から曇り空、午後からは雨の予報なので遠出はしません。

根岸線・横浜線直通に乗り小机で下車
ここは横浜市港北区、長年横浜に住んでいますが小机で下車するのは初めて

改札前にある「小机城趾までの案内」

小机は横浜国際競技場(日産スタジアム)の最寄り駅、サッカーの試合やコンサート開催時の多客時を想定して駅構内の改札口周辺や階段は広い造り

横浜国際競技場最寄りの北口

駅前商店街に面した西口

小机駅西口のすぐ近くにある

城郷小机地区センター

城郷小机地区センター入口に設置されている

続日本100名城スタンプラリースタンプ 小机城

こちらを押しに来ました。

今回はうまく押せました。

小机城址のある「小机城市民の森」は駅から徒歩10分とのこと

続日本100名城スタンプ(11/100)


横浜線・小机〜鴨居の踏切を渡ります。右に見える丘が小机城址

住宅地の中を進みます。電柱にはこのような親切な案内、迷うことなく行けました。

高速道路・第三京浜道路の脇にある「小机市民の森」入口

階段を登ると竹藪、脇からサムライが出てきそうな怖い雰囲気……

のようですが

すぐ脇は第三京浜道路、クルマが絶え間なく通り過ぎていきます。

途切れることのない走行音、これでは怖くない
さらに進むと森の中、曇り空の平日午前中、誰もいません。

聞こえるのは第三京浜を走るクルマの走行音


空堀と説明板


本丸広場入口の城門
本丸広場には「小机城址」の石碑

*小机城は、永享の乱(1438年 – 1439年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。 この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年(文明10年)に起きた攻守戦である。山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃をした。道灌は鶴見川対岸の亀の甲山に陣をとり、約2か月をかけて落城させたとされる。 その後は廃城となったが、この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織された。笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいた。その後、城主は北条氏堯、北条氏政の弟三郎(上杉景虎ではないらしい)、北条氏光と替わっている。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城した。その後、徳川家康の関東入府のときに廃城とされた。

wikipediaより引用
本丸広場内には説明板、「小机城について」、「小机城想定図」


本丸広場から二の丸広場へ

道の脇にある土塁と説明板


物見櫓があったと伝わる櫓台、


櫓台から見た二の丸広場
二の丸広場から見た櫓台

「小机市民の森」をあとにして日産スタジアム方面へ向かいます。

画像の山が小机城址
日産スタジアムの脇を通り過ぎ

1kmほど歩いて新横浜へ、地下鉄ブルーラインに乗ります。

新横浜は今年3月以来、3ヶ月ぶりです。

前回の新横浜訪問は、東急・相鉄新横浜線の「初乗車」