
6月14日㈬
東武東上線の武蔵嵐山駅から歩くこと約3km、埼玉県嵐山町の杉山城跡に来ました。

多くの城跡を訪れていながら語るほどの知識はないので画像だけ
小雨の降る平日昼過ぎ、城跡には誰もいません。

杉山城跡を後にして次に向かうのは4km近く先の菅谷館跡
歩くにはかなりキツイ距離

ようやく到着、と思ったら菅谷神社でした。

菅谷神社は菅谷館に居館した畠山重忠が「日吉山王権現」が起源、 明治以降に1『日枝神社』、『菅谷神社』と改称。

菅谷館跡に到着
*菅谷館
武蔵国男衾郡(現在の埼玉県比企郡嵐山町)にあった日本の城である。菅谷城(すがやじょう)とも呼ばれる。昭和48年(1973年)、国の史跡に指定された。館跡には埼玉県立嵐山史跡の博物館が設けられている。
鎌倉幕府の有力御家人として知られる畠山重忠の館跡である。畠山氏は、重忠の父畠山重能の代から大里郡畠山荘の荘司であり、重忠も当初は同荘内に館を置いていたが、やがて鎌倉街道の要衝にあたる菅谷の地に移って館を構えたのが始まりである。 元久2年(1205年)、畠山重忠が武蔵国二俣川(現・神奈川県横浜市旭区)で戦死したのちは畠山の名跡を継いだ足利義純の子孫に伝えられたというが、15世紀後半に至るまでの詳細は不明である。 長享2年(1488年)、菅谷館そばの菅谷原において山内上杉家と扇谷上杉家が激戦を繰り広げ(須賀谷原合戦)、その前後に山内上杉顕定の命を受けた太田資康が扇谷上杉方の拠点である河越城に対するおさえとして、菅谷の旧城を再興した。やがて、「長享の乱」と呼ばれた一連の戦乱は山内上杉方の勝利に終わり、敗れた扇谷上杉朝良が一時菅谷城に幽閉された。以後、16世紀前半まで山内上杉家の拠点として使われる。 その後は、天文15年(1546年)の河越夜戦以降にこの地域に進出した後北条氏によって戦国末期まで使われ、小泉掃部助が城代となって守備している。


再び武蔵嵐山駅へ、再び下り東上線に乗車
下りを待つ間に上りが到着、森林公園行き の8000系4連
使用する乗車券は
SAITAMAプラチナルート乗車券
*東武鉄道×秩父鉄道 SAITAMAプラチナルート乗車券
◆フリー区間;東武東上線・越生線全線、秩父鉄道
ふかや花園〜寄居〜三峰口
◆料金:大人1900円/小児950円(発売当日限り有効)
◆販売箇所
東武鉄道: 東上線/越生線の全駅(みなみ寄居駅を除く)
秩父鉄道: ふかや花園駅、寄居駅、長瀞駅、秩父駅、御花畑駅、影森駅、三峰口駅
◆フリー区間;東武東上線・越生線全線、秩父鉄道
ふかや花園〜寄居〜三峰口
◆料金:大人1900円/小児950円(発売当日限り有効)
◆販売箇所
東武鉄道: 東上線/越生線の全駅(みなみ寄居駅を除く)
秩父鉄道: ふかや花園駅、寄居駅、長瀞駅、秩父駅、御花畑駅、影森駅、三峰口駅
昨年11月もSAITAMAプラチナルート乗車券を使用

三の曲輪に復元された四脚門