熊本城 熊本県熊本市中央区 熊本城公園

令和4(2022)年11月4日㈮ 撮影

コチラの記事の続きです。 



画像は未申櫓、平成15(2003)年に木造にて復元、

平成28(2016)年の熊本地震では塀や石垣に被害を受けました。


熊本城公園二の丸広場

「神風連    加屋霽堅   斎藤求三郎 等戦死之跡」の石碑
*神風連の乱

1876年(明治9年)に熊本区(現在の熊本市)で起こった、明治政府に対する士族反乱。敬神党の乱ともいう。
1876年10月24日に旧肥後藩の士族太田黒伴雄、加屋霽堅、斎藤求三郎ら約170名によって結成された「敬神党」により、廃刀令への反対運動として起こされた。この敬神党が反対派から「神風連」と戯称されていたため、神風連の乱の名がある。 

政府軍の熊本鎮台(熊本城内)を襲撃し、城内にいた兵士らを次々と殺害し、砲兵営を制圧した。 しかし翌朝になると、政府軍側では児玉源太郎ら将校が駆けつけ、その指揮下で態勢を立て直し、本格的な反撃を開始。加屋・斎藤らは銃撃を受け死亡。



二の丸広場から見た、宇土櫓と天守閣
奥に見える戌亥櫓は修復工事中
元太鼓櫓の跡

平成15(2003)年に復元された元太鼓櫓は平成27(2017)年4月の熊本地震で被災、その2年後の平成29(2018)年6月の大雨により倒壊しました。


西大手門櫓の跡

西大手門櫓は熊本地震で被災し解体されました。



西大手門櫓の先は
加藤神社


加藤神社から見た宇土櫓



加藤神社から見た天守閣


当ブログでの熊本城訪問

2021年7月8日㈭


2019年1月16日㈬