祖母が亡くなった。
103歳(享年105歳)。明治、大正、昭和を生き抜き、平成は20年目の大往生である。
1905年、なんと日露戦争の年の生まれだ。
祖母がすごかったのは、亡くなる数ヶ月前まで、ぼけていなかったこと。
10年ぐらい前から少々衰えは見えてはいたものの、若いときからの的確な判断力を維持していた。
ぼけてはなるまいというしゃんとした姿勢にまわりはいつも驚嘆し、常に尊敬を集めていた。
頭が良く、そして人望も厚い人だった。
わたしの母を含む三男二女に恵まれ、それぞれが家庭を持ち、孫ひ孫、そして2年前には玄孫も生まれ、
葬儀の親族席に座った者は会場全体の半分近くを占めた。
名実ともに一族の中心となる、太陽のような女性だった。
生前、折りにつけ、祖母はわたしにいろんなことを教えてくれたが、
なんといっても一番大きな祖母の教えは、
まさに葬儀のその場でのものであった。
祖母は、その生き様、死に様において、
「人としていかに生きるべきか」
という、人生で一番大事なことを教えてくれたのである。
弔辞の言葉。そして葬儀に参列した、たくさんの人々からの言葉。
それらの言葉の中の祖母は、
人とどうかかわって生きれば、自分も、人も幸せになれるのかのお手本であった。
それは時代や年齢や職業、,そして性別さえも関係ないこと。
普遍の真理として、これからもわたしの中で生き続けるだろう。
祖母の葬儀の参列者には涙がなかった。
むしろ会場のあちこちで再会の笑顔が見られた。
お別れの場であるのに、未来を感じさせてくれるものであった。
「死に花咲かす」
という言葉がある。
祖母の葬儀は大輪の花であった。
いつか必ずやってくる自分の葬儀の時には
たとえ小さくてもいい。きっと花を咲かせよう。
こんなに出来損ないの孫ではあるが、
少しでも祖母を見習って、もっともっと、しゃんと生きよう。
これからだって、きっと遅くはあるまい。