社長の話〇 イセシマパール物語 〇 80年代にアジアで真珠を売っていた時の話 | 還暦からの人生革命!100まで現役で走るために!瞑想と催眠で心を過去から未来へ繋げるお志事クリエイター

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初めて読まれる方に
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〇 イセシマパール物語 〇

このお話はわたしが1983-6年ころに
東南アジアで真珠を売っていたころの話です。

おねえ言葉の社長の元に
寄せ集められたアルバイター日本人とともに
アジアのあちこちの街のデパートで
真珠を売りながらドサ周りしていました。
シンガポールを拠点に、
バンコク、クアラルンプール、ペナン 香港と
いろいろな所で真珠を売りました。

現地のデパートのスタッフとの交流や
ホテル暮らし 社長のこと
当時の生活などを書いています。
かなり特殊でハチャメチャな仕事でした。
いろいろなハプニングやドラマがあったのですが
ずいぶん忘れてしまいました。
記憶をたどって思い出を絞り出しながら書いています。

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前にもなんども書きましたが
社長はかなり変わった人で、オネエです。
でもちゃんと結婚もして娘もいました。
奥さんは一度だけ会ったことがありますが、
普通の人でした。

社長自身の見た目は
ちょっと普通じゃない感じでした。
おでこにでっかいこぶがあり、
胸の中心の胸骨の下くらいが
ぼこんと陥没していました。

得意のネタは
「ぼくはねえ、ここで金魚が飼えるのよ、ホホホホ」
と誰も笑えない自虐ネタでした。

性分なのかチックなのか
ひとときもじっとしていることがなく
いつも首を横にふったり
貧乏ゆすりをしたり
落ち着かないったらありゃしない。
いつも
身体のあちこちをボリボリ掻きむしっています。
「このあいだねえ、体の中からガラスがでてきたのよ。ホホホホ」
なんで身体からガラスが出て来るのかと思ったら
昔、東名高速で事故にあったらしく
胸の陥没はその事故のせいだそうです。
体中にガラスが刺さったらしく

まだ多数のガラスが身体に埋まっているのだそうです。

ほんとかよ。
なんて思いますが。真実は定かではありません。

背は低くて160cmくらい
歩き方は極端ながに股で
せわしなくキョロキョロしながら
小脇に小さなセカンドバッグを小脇に抱えていて
その中に常に札束が入っていました。
傍から見たらまるで挙動不審たらありゃしない。
まるでチャップリンのように歩くのです。
本当にコメディみたいないるんだ。なんて思いました。

税関を通るときはもちろん怪しまれていました。
一度タイから出国の時に税関で大量の現金が見つかり
いくらかは不明ですがたんまりと罰金を取られたようで
シンガポールに戻るなり
はあはあ、と過呼吸気味に鼻息を吹き出しながら
ホテルの部屋に戻ってきて
「ちょっと、ビール頂戴!飲まなきゃやってられないわよ」
と飲めないお酒をぐびぐびあおっていたことがありました。

性格も謎でした。
何を考えているのかまるでわからない人で
これからの予定なども一切教えてくれませんでした。

ぼくらは2-3ヶ月のプロモーションが終わると
次のプロモーションまで仕事がなくなるのです。
その間、数か月間
ぼくらは よその国に行ったり、日本に帰ったり、と
きままに過ごしていましたが
次の仕事にありつきたいので
それまでに日本に戻ってなければなりません。
ところがなかなか次の予定を教えてくれないのです。

「社長、次はぼく、いつくらいに働けますかね?」って聞くと
「そうねえ、桜の花が散るころかしらねえ・・・」
「梅雨があけるころかしら」「落ち葉が舞い散る季節には」
ポエムかい?ノストラダムスの予言詩かい?

そのくせ、妙に憎めないところもあって
スタッフ全員、社長のことを疎ましくおもっていましたが(笑)
心底、嫌悪していたわけでもありませんでした。

まあ秘密主義な人なので、
何考えているのかよくわかりませんでしたけれども。
グルメだったのでよく高級レストランに連れて行ってもらいました。

いつも若い、かわいい男の子の日本人スタッフを
秘書がわりにはべらせて
ホテルの部屋も同じで24時間同伴させられていました。
かわいそうに・・・。

バンコクのパッポン通りで
恋人らしき?オカマに抱きつかれたという
目撃談もありました。
夜は時々どこかに消えていました。

運と欲と勘が人一倍強い人でした。
シンガポールで大成功を収めたのも
その3つが上手く機能していたせいでした。
ところがある時から
運に見放され、勘も衰えてゆくのですが。

そんな社長の元で
結局3-4年働いておりました。

今は社長はどうしているのか
誰も知りません。
生きていたら80を過ぎていることでしょう。

元気にしていらっしゃるといいのですが。