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HPでお世話になったララカフェさんのイベント

佐藤初女先生追悼記念『おむすび講習会』

 

講師にヘルスフードマイスターのお二人食育指導士で宇都宮食育塾代表の大門佳代子先生とnatural cooking salon代表の篠原文恵先生
11月4日(土)
会場:ララカフェモール
宇都宮市下荒針3473-23
028-688-0558
参加費:3000円
定員:先着30名

大門先生の講習会は前回参加した際意外とおにぎり1つでも心をこめてが大切だなぁと。感じました。

 

 

ララカフェさんにおいては、初女先生の追悼記念講演会「自然の恵みから得られる食、健康、幸せ」

佐藤初女さんは、弱い人、病んでいる人、心に苦しみを抱えている人を無条件に受け入れて、寄り添って、おいしいものを食べさせて、癒しを祈り、共にあるというそういう奉仕を障害し続けた方です。 また、母のぬくもり倶楽部が発足した時に、記念講演をこころよく引き受けて下さったのも佐藤初女先生でした。以来3年連続で宇都宮にお越し下さいました。

母のぬくもり倶楽部

 

佐藤初女先生について

訪れた人とはまず手料理で食膳を共にします。春でしたら、ふきのとうやたらの芽、わらび、うどなどの山の幸、そして北国ならではの海の幸が食卓に賑わいをもたらします。岩木山の麓の澄んだ空気と豊かな緑に囲まれて、自然の恵みを与えてくださった神様に感謝しながら一緒に食事をいただくと、緊張もほぐれて、ゆったりした気持ちになっていきます。そんなところから、苦しみの中で閉ざされていた心の扉が少しずつ開きはじめることもあります。

訪れた方は、「心のふるさとにたどりついた気がする」「生きることの原点を教えてもらった」「人生の岐路を乗り越える勇気が湧いた」など様々な思いを抱くようです。共通するのは、皆、休息と安らぎを得て、元気を回復していくということです。

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。心に傷を負ったとき、すぐに家族や友人たちの中に支えてくれる人を見つけることができればいいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分ではわからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。

このように、人生に悩み、精神的に屈しかかった人たちを、自宅に受け入れ、共に歩みはじめてもう三十年以上になりますが、食事と生き方との間には神秘的なつながりを感じます。食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません。

なにも受けつけなかった人が、少しずつ食べられるようになるのを見ていると、やっと心が動きはじめたのだなあということがわかります。

「食べる/食べない」ということは、「生きる/生きない」ということと、相関にも似た、深い繋がりがあるようである。

森のイスキア

イスキアとは、イタリアの南西にある火山島の名前

 

ナポリの大富豪の子息で、教養もあり美しいナポリの大富豪の息子が、愛する女性とボートを漕ぎながら愛を打ち明けた。彼女がそれを受け入れた時、しかし、彼はなぜか虚脱感に襲われた。何かが足りない、虚しいと感じた彼は、少年時代に訪れたイスキアを思い出し、それ以後、何もかもが退屈で、何をする気にもなれなくなってしまった彼がふと思い出したのは、少年時代に父親に連れられて訪ねたイスキア島のことだった。

彼は「みずみずしい感性で、すべてのものに好奇心を持ち、生き生きとしていた自分をもう一度取り戻したい」と願い、一人イスキア島に出かけた。

地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、青年は自分自身を見つめ、新たな力を得て現実の生活に立ち戻ることができるようになった。

どうにもならない心の重荷を感じた時、そこへ行けば癒され、自分を見つめ直し、 新たなエネルギーを得ることができる・・・。そんな場になって欲しいという願いを込め、 このエピソードから「イスキア」という名が付けられた。

心に重荷を抱え、虚ろさに苦しむ人々の「駆け込み寺」として、イスキアは運営された。訪れる人が増え、1992年には、彼女によって助けられた人々の協力のもとに、岩木山の麓に「森のイスキア」が開設された。

龍村仁監督が制作した映画『地球交響曲 ガイアシンフォニー』は、人物に関する取材や対談などから成り、初めは配給会社が見向きもせず、やがて監督自身がチケットを引き受けることを条件に、短期間の上映が行われた。これを見て感動した人々が、自主上映会などを催すようになり、ファンが増えた。かつては各地で開かれる上演会を探さなければならなかったが、今では有限会社龍村仁事務所から、DVD も発売されている。その「第二番」に初女先生が登場する。その取材時の思い出を、龍村は次のように記す。

映画のファーストシーンで、先生がイスキアの裏の雪の中からふきのとうを掘り出されるシーンがあります。その日の夜の私達の食事に、ふきのとうの味噌和えをつくって下さるために始まったシーンでした。初女先生のふきのとうの採り方を見ていて、私は胸が熱くなるほどの感激を覚えました。スコップか何かを使ってサッと採られるのだろうと思って見ている

と、なんと先生は、小さな枯れ枝を使って、シャカシャカとさわやかな音を響かせながら、まだ雪の下にあるふきのとうの周りの雪をやさしく取り除き始めたのです。「なんと“めんどくさい”採り方をされるのだろうか」、そう思った私は、先生が作られた梅干し入りのおむすび一個が、なぜ自殺まで決意している人の心を癒し、生き続ける希望を与えるのか、の理由がわかったような気がしたのです。

大切なのは効率などではない。来訪者に向ける思いは、言葉を交わさないふきのとうにも向けられる。その下には地下茎があるのだから。そしてまた、そのひたすらな思いを来訪者に向ける。来訪者は、最後の支えを求めてすがる思いで訪れる。そして、ひたすらな思いで迎えられる。その「訪ね/迎えられる」ということが大切である。

イスキア

感性とは? 

感情、感覚、センス、感受性などそれらは感性の一部であり 感性論哲学でいう感性は

「命の本質」「人間の本質」「宇宙の究極的本質」 

 

哲学は人間が幸せになりたいというのが根本にあり、時代時代に合わせて変わってきた。 現在は理性から感性の時代に原理的に変化しようとしている。 

 

つまり、現代においては心を求める時代になってきたという事。 心は理屈(理性)ではなく、気持ち、雰囲気、感情など様々な心の部分が求められる様になり 人間が幸せになる、幸せにする為に感性を取り入れる事でより日々の生活や仕事、人間関係において良好な関係を築くという心が求められる時代。 その様な心を基にした感性論哲学を分かりやすく解説しながら実生活に活かしていこうとするのが感性論哲学入門講座

 

「感性論哲学を使って人生を豊かにしてほしい。そのためには実践する事が大切」

体験を通じて身につく事、自分なりの気づきが出来ると人間的成長に変わっていく。

 

大切にしている事は知識として感性論哲学を知っている、言葉を覚えている事よりもやってみて、実践してみる事。それが哲学をするにつながる。 
 
感性論哲学では「問う」事が哲学をする事であり「問う」ことによって自分に葛藤が生じる。その葛藤(悩み、課題)は自分を成長させる為のもの。 葛藤を避ける、逃げるという事は感性が劣化してしまう。 何がしたいのか、何を行動に移して実践していくかについては自分自身に「問う」事で やってみよう、チャレンジしてみようというステージに自分を高めていく事が大切。 思風先生が説く 天分発見の5つのツボ やってみたら、好きになれるかどうか? やってみたら、興味関心が湧いてくるかどうか? やってみたら、得手・得意と思えるかどうか? やってみたら、他人よりうまくできるかどうか? 真剣に取り組んだら、問題意識が湧いてくるかかどうか? 5つに共通することは、「やってみること」、実践すること。  
 

「理性に従って生きて幸せになれるのか?」

中世の時代から近代の時代にかけてルネッサンス時代に近代科学文明が発達(宗教から理性の時代へ) その理性の時代において我々は科学技術の発展による恩恵を受けている。   たとえばスマホに例えるならば それがある、恩恵を受けている事によって幸せになるのか? すぐに調べて、何でもある状態は本当に幸せに歩む人生をリードしてくれる訳ではない 
↓ 
理性(科学の進歩)が行き着いた現状に「日本において自殺者が約3万人の時代」
 
心の問題が生じどんなに理性が進歩発展しても、心の問題を解決し幸せになれるかは疑問であり、本質的に幸せを求めるならば科学技術の進歩による発展の役割から心の豊かさによる幸せが求められる転換期に来ている。 理性の果たすべき役割は終了し次の時代に移り変わる時が来ており、幸せをもたらす役割を担うのが感性ではないかという事で時代の過渡期である今、感性論哲学を学ぶ事に意味と価値を感じて頂き、何か持ち帰って1つでも実行に移して頂ければという事でお話頂きました。
 
2017年10月4日(水)感性論哲学入門講座 2017年10月4日(水)感性論哲学入門講座 
 
次回は12月6日(水)の開催になります。
 開催日時:2017年12月6日(水)18時30分~20時30分
 開催場所:アイウィルビーセミナールーム 
東京都目黒区八雲2丁目15-16 
参加費:¥3000(当日現金でお支払いいただきます)  

参加者の感想文を紹介

感性論哲学入門講座感想文
感性論哲学入門講座感想文
感性論哲学入門講座感想文
感性論哲学入門講座感想文
感性論哲学入門講座感想文

年代別愛の子育て~感性論哲学教育論~「愛の子育て」5つのポイント

 

思風先生が提唱する

「愛の子育て」5つのポイント

~感性論哲学 年代別教育論~

 

1. 教が育を超えてはいけない

教育とは、「育」が主体で、「教」がその手段です。教えるという行為が、育てる、引っ張り出すという行為を阻害することになってはいけません。引っ張り出すために教えるのであり、能力を開発するために教えることが基本です。

その人間が持っている資質や素質を引っ張り出してあげるのです。子どもは、見たがり、聞きたがり、触りたがりで、知りたがり屋です。見たい、聞きたい、触りたい、知りたいという欲求を抑えてしまわないこと。現在の教育では、あまりにも教え込もうとするため、欲求が出てこない、何をしていいのかわからない、何がしたいのか解らない子どもが増えています。見たい、聞きたい、知りたいという欲求が自分から出てくるように育てる。自分の力で「やったぁ~」という感動と喜びを味あわせることです。

 

 

2.問う力を育てる

(欲望・欲求を引き出すために、理性を使う)
学校では、先生が問題を与えて、子どもが答える。子どもは、問題を与えられるのを待っているという待ちの姿勢です。問題は、子どもの心の中から出てこなければいけません。「問う」ということの中に、欲求や欲望が含まれています。

欲求や欲望が湧いてくる、問題意識が湧いてくることが大切なのです。子どもの中から問題意識が湧いてくる前に、親や先生が問題を与えてしまうと、子どもの自発的な能力が出てこない。人間的な理性を作るために、子どもの中から湧いてくる問題や興味・関心・欲求・欲望に対して、どうすればよいのかということを子ども自身に考えさせることが大切です。

自由奔放に遊ばせること。ゲームなどではなく遊びを考えさせる。その遊びの中から、自分で創意工夫をしていくことができるようになってきます。遊びの中でいろいろな問題にぶつかったとき、どうしたらいいのかと考え、独自のルールを考えたり、失敗しながら、創意工夫することが知恵を作るのです。教えなければいけないのは知識ではありません。意味や価値や素晴しさ、楽しさです。何かをやらせようとするとき、どこに面白さがあるのか、どこが素晴しいのか、その能力を持てばどんなことができるのかを感じさせてあげる。

興味・関心、意味や価値や素晴しさを感じたら、あとは放っておいても自分で求めはじめます。

問題や悩みを持つ前に、知識を持ってしまうと、既に与えられた知識によってしか対応できない人間になってしまいます。

 

 

 

3.自分がその頃どうであったかを思い出しながら教育する

常に自分自身がその年代、どうしてもらったのか、その時どう感じたかということを思い出しながら教育することが大切です。ほとんどの場合、父親や母親の立場から、子どものことを心配して、言ってはならないことを言い、してはならないことをしています。自分が10歳の頃どのようにしてもらったか、15歳の頃どうであったか、どのように接して欲しかったかということを思い出しながら子どもに接することが大切です。自分が親からされていやだったことなど、反面教師的なこともあるかもしれません。

 

 

4.いつも目に愛の光を

子どもは空なる気を吸って育ちます。空気とは、空なる気です。目に見えないのです。気とは感性です。空気を吸うとは、まさに目に見えない感性を吸って生きているのです。

教育において一番大事なものは、言葉ではありません。空間が与える意味や価値や値打ちです。目つき・表情・態度です。子どもに対するとき、お父さんやお母さんが自分に対して、どういう目つき・表情・態度で接してくれているかが、最大の意味や価値を持つのです。目は口以上にものを言います。目は口ほどにものを言う」と言われますが、実際は口以上にものを言っています。眉間にしわを寄せて、怖い目で「楽しいね」
と言っても楽しさは伝わりません。

言葉は理性。

目つき・表情・態度は、感性です。

感性は、ウソを言えません。

理性はウソが言えます。

雰囲気は目つき・表情・態度が作るのです。

空間は感性の海です。

理屈を超えた雰囲気を作るのは、目つき・表情・態度です。

感性だから伝わるのです。

いつも目に愛の光を持って接してください。

 

 

5.親の生きる姿勢を見せる

生きる姿勢とは、その人がどういう問題意識を持って生きているかということです。父親とは何か、母親とは何か、どうあるべきかという自分の存在に対する問いかけを常に意識しながら生きることです。立ち居振る舞い・生きざまが、非常に強い教育力・感化力を持っているのです。

この5つが「愛の子育て」
人材(人財)教育ではない、人物教育のポイントです。

 

 

 

前回は会社経営における理念についてがテーマ

思風先生からは心を持った経営、つまり意味と価値を感じる感性が備わればやる気が出る、燃える!理想というものは、本当にて手に入れたいという想いについて命の根底からの欲求(燃える事)が出てくる事が大切であり理念というものも真っ赤に燃えていなければいけない。

我々は近代まで自由と平等を理念としてそれを実現する事を理念としてきた。中世の時代においては宗教的な側面に従っていた傾向が強かったが
理想が実現できる人生を考えた際、理念というものはただ目標として掲げられる観念的、概念的なものではなく欲求と結びついていなければ理想とはいいがたい。

 

 

理念がとことん追求されるが故に 平等、弱者救済、社会保障など福祉政策がなされる結果 国家財政が破綻される程の状況になっているのが今日の現状

 

つまり自由平等については国、社会、人間を成長させる役割を果たし終わった理念

 

という捉え方。 これから我々は新しい時代を創る為に自由平等という理念とは違うものを考えなければいけない。そこに新しく社会、国家、人間を成長させる理念が創られるのではないか。

出てくる問題を乗り越える、問題は成功への一里塚

理念と問題はかけ離れている様に見えて、一体のものと感性論哲学では捉えている。

問題がない、悩みがない
そこに命を燃やすものはない。

苦しさ、辛さがあって頑張る事で命を燃やすきっかけがある。

つまり理念は人間にとって苦しみ、辛さでもあり
苦しみ辛さがない理念は理念と言い難い。楽な理念は無い。

 

理念を立てて乗り越える事こそ本当に命が燃える所であり、そこに理念がある事の意味と価値がある。

 

思風会の全国大会

第12期日程

特別バージョン 全4回池川明先生と女神たちのコラボセミナー
第1講座:2018年2月13日(火)
第2講座:2018年3月22日(木)
第3講座:2018年4月12日(木)
第4講座:2018年5月31日(木)
第4講座は3人の女性講師による愛の子育て女神講座です。

受講料 37.000円(税込・全4回講座)
お振込み口座  みずほ銀行 高輪台支店
カ)アイウィルビ- 普通 1054215
お振込みの確認を持って正式なお申込みとさせて頂きます。

第13期日程

特別バージョン 全4回池川明先生と女神たちのコラボセミナー
第1講座:2018年8月23日(木)
第2講座:2018年10月03日(木)
第3講座:2018年11月15日(木)
第4講座:2018年12月13日(木)
第2講座は3人の女性講師による愛の子育て女神講座です。

 

 

宮崎さんからはお産のお話、子供の体内記憶、子供から受け取ったメッセージをお話頂きました。

この世に産まれてきたことについて みんな決めて産まれてきた(どんな困難があっても)

みんな産まれるときに決めてきているという事で、そこに辛い体験や親、環境、様々な出来事、挫折、孤独などいろんな事がある中で、それを選ばないという選択も出来たはずなのに、それでも選んでいるのはどれだけ勇敢な魂を持っているんだろうと。

もし、皆さんが辛い体験や超えられない思いをしているのであれば
それだけ大変なことを選んだという自分自身を認めて欲しい、褒めてほしいと思います。

池川先生と出会い体内記憶について

池川先生とお会いした頃、お子さんはまだ2歳だったが子供に話を聞く中で「地球は壊れちゃう、僕は地球を助けるために生まれてきた。お母さんが地球を助けるんだよ」と子供が喋ったことが体験した体内記憶のきっかけ。

地球を助けるには?どうすればいいのか?を子供に聞いた時
「お外に出ればいいんだよ」
「お母さんは外が大好きだから外にいるだけでいんだよ」

つまり自分の好きな事、嬉しい事を行う事で地球を助けている。
その幸せな気持ちが広がっていくことが地球を助けることにつながる。

 

子供との会話において教えてもらったのはその人その人の役割があり、それは必ずしも壮大なものではなく日ごろの生活で身近にあるものかもしれない。
そして、産まれる時に何万という光のシャワーを感じて子供が産まれてくるのを祝福された様に、みなさんも祝福されて産まれてきている。それはきっと幸せになってほしいという願いがこめられていて、その幸せも何かを達成した、何かを得たよりも純粋に笑顔を見たい。
楽しい、そんな気持ちが広がる事が子供の体内記憶を通じて教えてもらった自分の役割なのではないかということでした。

宮崎さんのブログで当日の様子をご紹介頂きました。

土橋優子さん

ご自身の記憶を辿って女神を感じた事、自分はどんな風に産まれてきたいか?をお話頂きました。

最初に生きるテーマを子供たちは選ぶどんな経験をしたいか、天命や使命を決めたのか?

振り返ると、多くのこれから来る子供たちが地球を救うというテーマを持っている中で住みにくい、行きづらいを感じる事が多く、先に自分は癒しと楽しさを得られるスパリゾートの様な場を創りたいと。

どんな経験をしないといけないかは子供たちの中で子供の感覚を持ったままが大切。それは子供たちの場に身を置くこと。
そんな親を選んで自分が産まれてきたと思います。

その時に選んだのは父親。
この人のところにいったら自分の環境を用意してくれるのではないか。そして父親の成し遂げたい事は何なのか?

とにかくこの人の為に生きたいという思いがあり、父親は社会に育てられた意識が強い方で社会に還元するという事を常に実践されてきたので今の自分があるのはそんな父親のやりたい事に対してその人と共に、その人が成し遂げたい事を自分もというそんな想いがあったからこそ、今の自分があり、今の仕事につながっているのではないか。

リラさん

リラさんからは男性性、女性性、女神性とは何か?を中心にそれぞれの魅力を伸ばしてパートナーシップ(夫婦関係)、子供とのいい関係を築いていくにはをお話頂きました。

女性性、母性について(すでにそれは私たちの中にあるもの)

女性性には男性性もあり、それは、女性と男性という性別の分け方ではなく1人の人間の中に両方存在しそのバランスを保つ事が大切。

女性的とは
優しい、しなやか、包み込む

男性性(男性的)とは
突き進む瞬発力や開拓していく力

でも、男性がそれが出来ない時に心が折れてしまうから女性にはそのまっすぐ進む男性が途中で折れた時にしなやかさでカバーしてくれる。
(しなやかさには芯があり戻ってこれる強さがある)

女性が喜びを感じるとき

女性は守られる、守られることを感じたとき、女性として喜び、幸せを感じる。

つまり男性性を育てる時は愛されるときで、最初から男性に尽くす事よりも受け入れる事が大切。男性性と女性性はそんなバランスの中で成り立っているので、相手が嫌だ、ダメだと感じているのであれば男性性と女性性をうまく使ってバランスをとることが夫婦間の愛情が深まるきっかけになれるのではないか。

女神性について

自分自身が女神性を感じるきっかけになった経緯として
こうしなければいけないなどの周りの期待に対して応えようとした自分がいた。そこに周りの期待する自分と行きたい自分との違いを感じ自分が行動してきたことや努力してきたことは周りの期待に応えたいという想いで頑張ってきた事が殆どだった。でもパートナーが見つかった時に無条件で自分を認めてくれる方がいて、無条件に相手の幸せを願ってくれる人がいる事を感じ、そこには自分の心の状態が幸せになっている事こそが大切なのではないかという事です。

既に自分自身には女神性があり、何かをしたから出来るものではなく

自分の心の深いところ(愛情)がどういう気持ちになっているかが大切。信じる、愛する力。

そして、パートナーシップを深める方法でオススメしているのがパートナーの幸せを夜寝る前に祈ってください。とお願いしています。どんなに今憎くてもパートナーの命が明日キラキラ輝いてる様に言葉に出して寝る前にお祈りしてみてください。
その時点で自分の心が温かくなり、無条件に相手の幸せを願っている。そんな心から思えることが大切。

 

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾第11期第2講座

愛の子育て塾

愛の子育て塾

愛の子育て塾

愛の子育て塾

愛の子育て塾

<全体の流れ> 禅は、2500年前のお釈迦さまの時代から、仏教の大事な瞑想修行の方法として受け継がれてきました。しかし、本格的に坐禅をするには、指導してくれる道場が少ない、初心者にとってかなり足が痛くて苦痛であるなどの問題があります。 そこで、この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習します。その後、『無門関』(むもんかん)、『碧巌録』(へきがんろく)など禅の古典から、現代に生きる私たちにも役立つ禅の話をご紹介いたします。

禅では、誰もが持っている心の中に「仏さま」がいると教えています。禅の眼、瞑想の智慧によって、自分のことを深く見つめれば、「この心こそ仏さまである」であるという大真実に気がつくというのです。

坐禅をしたり、瞑想をしたり、神仏に祈ったりすることは、「サムシング・グレート」と親しむための方法といえるでしょう。坐禅によって、誰もが「サムシング・グレート」に親しむことができ、心豊かになれると教えるところが、禅の現代的な意義であろうと思います。
 

 

今回は曹洞宗の沢木興道老師

<沢木興道老師の生涯>
三重県津市に生まれる。幼少に両親を失い、一家離散して沢木家の養子となるも、すこぶる悲惨の幼少時を送る。18歳で出家。日露戦争に二度従軍、重傷を受けた。
法隆寺(ほうりゅうじ)の佐伯定胤(さえき-じょういん)に唯識(ゆいしき)学を、また笛岡凌雲(ふえおか-りょううん)・丘宗潭(おか-そうたん)らに道元禅師(どうげんぜんじ)の宗風を学ぶ。
1935年に、大本山の總持寺(そうじじ)の役僧となり、駒澤大学特任教授も兼任して、学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。
生涯、結婚せず、大きな寺の住職にもならず、無所得(むしょとく:何もえることがない)の生涯を徹底的に貫き、道元(どうげん)の教えである只管打坐(しかん-たざ:ただ坐禅する)に全生命を燃焼した。
人よんで「宿なし興道」といい、その道場を「移動叢林(そうりん)」と称し、純粋高潔な道風は、多くのファンを産み、多くの人を徳化した。
『澤木興道全集』(全19巻)など多数の著書がある。

 

 

沢木興道老師は、「何にもならんもののために、ただ坐る」という、只管打坐(しかんたざ)を貫き、その一生を通じて、自ら実践して見せました。
現在、その思想、指導方法は、アメリカ各地に250以上もある曹洞禅センターにも受け継がれ、スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)などにも間接的に影響を与えています。

アップル社の社是
「フォーカス&シンプル」
フォーカスというのは焦点を絞る、余計なものを絞って何が大事かを見極める。迷っていたらフォーカスが出来ない。
アイフォンの本質、既にアイフォンが出る前にスマートフォンは存在していたが、全てのスマホはキーが付いていたが
ジョブズが考えたのが画面にフォーカスしようという事、そしてフォーカスしたという事。
シンプルな美しさがアップルの精神

アップルの精神を支えているのは実は日本の精神であった。

 

沢木興道老師は、講話の名手でもありました。短い言葉の中に、鋭く深い教えを示した名言がたくさんあります。
ここでは、沢木老師の名言に、一番弟子であった内山興正老師が解説した本(『宿なし興道 法句参』大法輪閣)から、興道老師の教えをご紹介

①坐禅とは、自分が自分を自分すること

<法句(沢木老師の言葉)>
「屁一つだって、他人と貸し借りでけんやないか。人はみな『自己』を生きねばならない。お前とわしと、どちらが器量がいいか悪いか、頭がいいか悪いか――比べてみんかて、ええ」
「人間のエライもエラクナイも問題でないところに、しっかり坐るこっちゃ」

<参(内山老師の解説)>
沢木老師の初期の説法では、よく「坐禅とは自分が自分を自分することだ」とか、「坐禅は自己に親しむことである」とかいわれています。
つまり、ふだんわれわれは、いつでも他とのカネアイばかりを気にし、ただそのことだけに浮き身をやつしているわけですが、これら一切のことを放下して「自分ギリの自分」になって坐るのが坐禅というものです。

他人(ひと)を蹴落とそうが、他人(ひと)から蹴落とされようが、じつは見わたすかぎり「自分ギリの自分」として生きているのであって、決して自分でないものになってしまうことはないのですから、安心して「自己に帰っていい」のであり、これを実行するのが「諸縁を放捨し、万事を休息して坐る坐禅」です。

 

お釈迦様は「自己をよりどころとして世間を歩み、無一物(むいちもつ)であらゆるツナガリから解脱せよ」(スッタニパータ)といわれましたし、道元禅師は「仏道をならふといふは、自己をならふ也」(正法眼蔵(しょうぼうげんぞう))といわれました。
つまり他とのカネアイに引っ張りまわされず、真実の自己にオチツクこと――これが仏法本来の安心のキメ所であり、もっとも純粋な坐禅というものです。

 

坐禅しても、何にもならぬ-スミレはスミレの花が咲けばよし

<法句(沢木老師の言葉)>
「坐禅して何になるか?――ナンニモナラヌ。――このナンニモナラヌことが耳にタコができて、本当にナンニモナラヌことをタダするようにならねば、本当にナンニモナラヌ」
「みんな違った業(ごう、カルマ)をもっているのだが、みんなが同じく仏さんに引っぱられてゆくことが大切だ。
心身脱落(しんじんだつらく)とは我のツッパリを捨てて、仏の教えを信じ、仏さまに引っぱられてゆくことである」

<参(内山老師の解説)>
「坐禅してもナンニモナラヌ」ということは、沢木老師の一生いわれつづけたことでありました。
私は昭和16年に老師の弟子にしていただいたわけですが、そのまもなくのころ、老子に随侍(ずいじ)して歩いていたとき、「私はごらんの通り意気地(いくじ)なしですが、これから何十年でも老師の死なれるまで、老師に随侍して坐禅していれば、ちっとはマシな人間になれましょうか」とお聞きしました。
そしたら本師老師は即座に「いや、いくら坐禅しても、なんにもならぬ。わしだって坐禅したから、こんな人間になったのではない。もともとこんな人間なので、昔も今もちっとも変ってはいない」といわれました。

昨年(昭和40年)12月21日老師遷化(せんげ)以来、私も過去をふりかえって、坐禅して何かになったかを考えてみましたら、はじめに老師がいわれたように「本当になんにもなっていなかった」ことだけがよくわかりました。
私は依然として意気地なしであり、少しも老師みたいな人間にはなっていませんでしたから。
それで私は結論を下しました。「スミレはスミレの花が咲けばよし。バラはバラの花が咲けばよし。スミレがぜひともバラの花を咲かせねばならぬと思わなくてもいいんだ」と。

 

自分というものは、自分をもちこたえてゆくことはできない

<法句(沢木老師の言葉)>
「自分というものは、自分をもちこたえてゆくことはできない。
自分が自分を断念したとき、かえって宇宙と続きの自分のみとなる」

<参(内山老師の解説)>
われわれふつう日常生活で、しゃべろうと思うときに自由にしゃべっており、あちらへゆこうと思うとき、もはやそちらへ向かって歩いており、何か取ろうと思ったとき、もはや手がそれを握っており――その点あまりにも思いのまま自由自在に手足や舌が働いてくれるので、思いこそがこの肉体の主人公であり、思いこそが自分そのものだと思いこんでしまっております。
それでこの思いによってすべてをはからい、すべてを処理するつもりになってみると、どっこい、そうはゆかないので、思いは悩むことになります。

それで、どうせすべてのことは自分の思い通りになるものではないと、すべて放棄してみると、ああら有難や思っても思わなくても、重かった胃袋の食物はきれいに消化されており、眠っているときさえ一分間に幾つの割合で呼吸がつづけられていて、この自分は生きている。――さてこの自分は、いったい何なのか。――たしかに宇宙とつづきの自己なのだと思わないではいられません。

 

自分を投げ出してみる

<法句(沢木老師の言葉)>
「人間、金をもっていなけりゃ生きてゆかれんような甲斐性なしじゃ困るね」

<参(内山老師の解説)>
だいたいわれわれ自分のことを大事に思って、自分、自分と、自分のことばかり考えて生きている人は、どんなに結構な自分で、どんなに満足して生きているかと思うと、さにあらず、かえってそういう人にかぎって、みんな思うようにゆかないと、悩みに悩んでいるから、これまた奇妙なものです。
その点、自分をいとしむ心に比例して、『世の中は自分の思うようにならぬ』という面が大きく伸し上がり、追ってきて、かえって不安となり悩みも大きくなってくるのでしょう。

 

それに反し、世の中はどうせ自分のためにできているのじゃないと、自分を投げ出してみると、けっきょく托鉢と同じで、自分に授かっただけが授かったのであって、有難いと思わずにはいられない面も出てくるものですよ。

 

坐禅は宇宙一杯とスイッチのつく法

<法句(沢木老師の言葉)>
「坐禅は宇宙一杯とスイッチのつく法である。
宇宙一杯のものを即今、即今、一切に尽くして行じてゆくことが三昧である」
「さとりとはけっして面倒なところへゆくことではない。アタリマエになることである」

<参(内山老師の解説)>
沢木老師は「宇宙とぶっつづきの自己」とか「宇宙一杯の自己」とかと、よくいわれました。この言葉を聞いて、坐禅することによってムクムクッと自分の身心が大きくなって宇宙大になることかと思う人があるかもしれませんが、決してそういうことではありません。
坐禅しながら、もしそのような気分になったとしたら、それは妄想であり、魔境です。仏教の話は決して空間的大きさの話ではありません。空間的大小の比較をいうかぎり、どこまでも話は中途半端でしかないからです。
そうではなく、小さな自分、自分という自分中心の思いを投げ出すことが、宇宙とぶっつづきの生命を今、ここで生きるということです。

 

沢木興道老師の坐禅とは

<法句(沢木老師の言葉)>
第一、仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるものである。
第二、坐禅は、透明なる自己になることである。
第三、坐禅は、自分が自分を自分することである。
第四、坐禅は、宇宙とぶっつづきの自己になることである。
第五、坐禅してもなんにもならぬ。

 

古典に学ぶ人間学勉強会

古典に学ぶ人間学勉強会

古典に学ぶ人間学勉強会

 

透明な在り方フォーラム

2010年11月 森のイスキアの佐藤初女先生の在り方にヒントを得て名付 けられ、新しい時代を生きる人間の在り方として「透明な在り方」を模索する勉強会として発足。

これまで映画 「生まれる」上映を始め池川明先生講演会や佐藤初女先生 のお料理講習会などを開催してきた。今春、佐藤初女先生 の新刊「限りなく透明に凜として生きる」出版記念講演会 を共催するなど、ささやかだけれど、ぬくもりのある活動 を続けています。

 

今回は、今野華都子先生を迎えて開催

今野華都子先生

今野華都子先生は、ご存知の通り世界一のエステシャンとして知られ、洗顔洗心塾を通して10年間で10万人の方が彼女の講義を受けていますが、美容界だけでなく、ホテルの再建を依頼されたり、「古事記を学ぶ華都子塾」を通してやまとごころのしなやかな復活を願う活動をされています。

新刊『いま、大和の人として美しく生きる』が好評です。
いま、大和の人として美しく生きる

 

佐藤初女先生を偲ぶ会以来の開催になります。

懐かしいメンバーとの再会、新しいメンバーとの交流。

「透明な在り方」とは

「透明な在り方」とは、「透明感のある在り方」と「存在感のある在り方」を併せ持つ在り方のことを言います。
すなわち、佐藤初女先生は、限りなく透明感を持ちながら凛とした存在感をもっていらっしゃる。その在り方こそ「透明な在り方」を体現されているお姿

 

 

佐藤初女先生の紹介

佐藤初女さんは1921年、青森市生まれ。カトリック系の青森技芸学院(現・青森明の星高校)を卒業後、小学校の教員に。小学校の校長だった夫と結婚。1945年、青森市の空襲で焼け出され、弘前市へ転居した。54年に教会で洗礼を受けた。

1983年から悩みを抱えた人々を自宅「弘前イスキア」に受け入れ、92年岩木山麓に「森のイスキア」を開設。来訪者の悩みに耳を傾け、食でもてなし癒やすことで再出発を支えてきた。施設名は、生きる意欲を失った青年が自然の中で自分を取り戻したと伝えられるイタリア・イスキア島にちなんだ。国際ソロプチミスト女性ボランティア賞受賞。

 

 

 

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

佐藤初女先生

 

 

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

今野華都子先生

HPでお世話になったハッピーチョイスさんの新規事業展開
石臼挽きそば幸OPEN

理念は「活躍と幸せ」。

障害を持っている方の「働きたい、社会で活躍したい、自分の障害特性を生かしたい」という思いを飲食を通じ一緒に実現

社会で障害者がもっと活躍することができたら…>

 社会で障害者がもっと活躍することができたら…明確な方法がわからずモヤモヤした気持ちで「社会企業、政治政策を学ぶ一新塾」へ入塾しました。

漠然とやりたいこと、解決したい社会の課題を話すと、それに賛同して「一緒にやろう!」と言ってくれた4人のメンバーとの出会いがありました。そしてこのメンバーと共に、自分が本当にやりたいこと、やるべきこと、自分しかできないことを、掘り下げ志を確信していきました。

そして、「しあわせ」は自分で「選ぶ」との思いを込めて、一般社団法人happy choiceを設立しました。

 

 

石臼挽きそば幸 石臼挽きそば幸

自然派日本酒 幸SACHI

自然派日本酒 幸SACHI

 
 
 
 

久しぶりに若獅子の会に参加

ふとたまに考えるのが、なぜ自分はここに参加したい?する様になったのか?という事。


正直、精神的に心情的にいろいろある時に参加したいと思うときがあり
みんな前向きに頑張っているなぁと。思いながら


稲盛さんや松下幸之助の話が出てくると、雲の上すぎて今の自分はどうなのか?と思ってしまったり
でも1人1人と話をしていると、みんな何かしらの問題、悩みを持ちながらもこの場は明るくいこうと。
そんな前向きな姿勢を常に持ちたいと改めて実感。

 

 

関東若獅子の会 

関東若獅子の会 

 

関東若獅子の会

 

 

先日もとある方から呼ばれて、お会いした際に
「誰にも、何とも言えない苦しみ悩みはあるよ」
俺もそうだったから。

 

でも復帰出来たのは、家族、子供がいつも周りにいてこの人の為にもがんばらねばという気持ちが上回っていたかな。との事で


それが無い分もう少し気軽になってもいいんじゃないか?


自分にだったら愚痴はいても何でもいいよと。

 

壊れてしまうのが心であれば、そのうち体も壊れる。


体だけであれば眠れば、休めばOKでも心は復活するまでには時間が必要で、落ちてしまうとなかなか元に戻るのが厳しいから心を休める事を自分にしないと、常にプレッシャーと落ち着かない日々と仕事をパソコンの前で孤独にやってると
必ずマイナスな方向に行ってしまう。
だからこそ心の急速が必要で、何も考えれなければ1日15分でも外で歩いてみる事、
朝起きて夜寝る事。

 

といわれました。.


アジア、南米などの貧しい国の人たちは、生きていくために朝から晩まで、からだを使って働き続けます。当然からだは疲れ、夜は休むしかありません。生きていくために、悩んでいる暇もない
それに対して、先進国の多くの人の場合、からだをそんなに使わず、移動はバスや電車、ラインや携帯電話で人と会うことなくコミュニケーションを取ることも可能。また、テレビやネット、ゲームで、外に出かけることなく楽しむこともできる。その一方で、どこにいても人の眼を気にし、耳を澄まし、人間関係に疲れこころは日々疲れ続けていく。
だから

荒療治 として、悩む暇を自分に与えないっていうのもあるよ!との事で


なるほど何かの1つのきっかけで環境、意識、時間の何かしらを工夫して精神を正常に保つ事を教えてもらいました。

 

開催日時:2017年10月4日(水)18時30分~20時30分
開催場所:アイウィルビーセミナールーム
東京都目黒区八雲2丁目15-16
参加費:¥3000(当日現金でお支払いいただきます)

感性論哲学入門講座

 

感性論哲学とは

人間の本質は感性で命の本質も感性 それを基準にしているのが感性論哲学
多くの人達は問題があってから考える。
それは哲学なき生き方であり、哲学を持って生きるという事が大切。
哲学は人間が幸せになりたいというのが根本にあり、時代時代に合わせて変わってきた。
現在は理性から感性の時代に原理的に変化しようとしている。

つまり、現代においては心を求める時代になってきたという事。それが今まで理性的な考えで日々の生活や世の中が動いてきたことがこれからは感性を大切にする時代への過渡期になろうとしている。人間が幸せになる、幸せにする為には理性だけでは難しく感性を取り入れる事でより日々の生活や仕事、人間関係において良好な関係を築くという心が求められる時代。

その様な心を基にした感性論哲学を分かりやすく解説しながら実生活に活かしていこうとする講座になります。

 

 

参加者の感想文を紹介

 

感性論哲学入門講座感想文

感性論哲学入門講座感想文

感性論哲学入門講座感想文

感性論哲学入門講座感想文

感性論哲学入門講座感想文

過去開催時の内容を抜粋

人生は愛と意志のドラマ

愛と意志の両方とも力をつけていく事が大切で、どちらか一方ではなく両方とも大切である。
理性能力が知識、技術であるとするなら
愛も能力として育てていくべきものであり、
愛がついていかずに意志だけだと、希薄な人間関係や正しい事は言ってても心では伝わらない、そんな人間関係を作ってしまうかもしれない。

だからこそ、愛について学び、育てていく事が人間関係を解決するきっかけになるかもしれない。

その愛の延長線上において、円滑な人間関係と意志である能力を兼ね備える事が出来れば仕事においても人に喜んでいただける能力と人間性を高めて本物の人間になる事を目的としています。日々の行動に置き換えた際に感性論哲学があなたの行動に活きる哲学として共に学んでいきましょう

 

 

本物の人間になるために

本物の人間とは「不完全性からにじみ出る謙虚さ」と感性論哲学では説いています。

人は不完全であり、長所半分短所半分。だからこそ傲慢になってはいけないし、自分が不完全な存在であるにも関わらず相手に対して完全性を求めてはいけない。相手に対して完全性を求めるのは相手を責める事と同じでそれは自分しか愛せない人。責める心があるのは傲慢なこと。

人間性が高いというのは価値への情熱を持っている人!

どれだけの価値を持っているか?
価値を素晴らしいというのを見出していく事が出来る人

今使っている商品やプロジェクトに
意味と価値を分かっている人にとって、そして伝えれる事の情熱を持っているか

それを持っている人が人間性の高い人と感性論哲学では定義している。

表面的に振り回されるのは浅い、
本質を見る人は深い

本質というのは時代の流れも踏まえてみる事も重要

感性論哲学入門講座

 

 

感性論哲学入門講座

 

感性論哲学入門講座

感性論哲学入門講座

感性論哲学入門講座

2016年10月5日(水)感性論哲学入門講座第5回開催

2016年10月5日(水)感性論哲学入門講座第5回開催

2016年10月5日(水)感性論哲学入門講座第5回開催

2016年8月3日感性論哲学入門講座

感性論哲学入門講座

感性論哲学入門講座

感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座 感性論哲学入門講座

創業前からHPはじめいろいろとお世話になっているSCアンドパートナーズ
内々での2周年お疲れ様会+3期目の豊富!

SC&パートナーズという社名には

&がついているのが皆さんのいいパートナーでありたい。
ショッピングセンターとショッピングセンターに携わる皆さんと一緒に勉強し役に立ちたいという想いを社名に込めました。

 

現在はセミナーを中心に全国展開されていますが、どこの会場でも大盛況の様子

お互いの状況を話ししながら

 

現在9期目に入った弊社も2年目を振り返ると
売上げが倍々で進んでいた頃に、事務所、人、その他いろんな投資をしながら家も立派な所を借りてと、今思うと恥ずかしい思い出なのですが振り返ると、ずっとお金がなくて厳しいなぁと思いながら過ごしていたのが突如、売上げが伸びて個人で使えるお金が増えた時にこそ注意が必要だったなと思い出します。

 

そもそも持った事がないから何にどう使えばいいか分からず、、
そうなると目の前の事から電車じゃなくてタクシーに乗る、毎日外食するetc
その他本来必要ないのに将来の投資だ!という事でいろいろ手を出してしまう等々

 

 

自分の場合はお金が無い以上にお金がある時の使い方をしっかり決めておかないとと反省した日々で
売上げが伸び伸びの頃に東日本大震災が起きて、その後は大変だった2年目でした。

 

 

いいと思っていた頃の後にピンチあり。でもピンチだけでなくピンチの後にチャンスあり。
捨てる神あり拾って頂ける神ありと

 

 

当時社会人経験も組織というのも殆ど経験せず、分からずながらも日々忙しく楽しく出来た事は年齢関係なく苦楽を共に旅行を共に過ごしてくれた若きメンバーの皆さんがいた事が一番がんばれるきっかけだったかもしれません。

 

+台湾の子、中国の子、タイの子の感覚や文化の違いを教えてもらったり、仕事の事から将来の事はじめ、その時の出会いというのが今の財産になっていると信じています。と共に当時のメンバーが30を迎える今、今度は人生の先輩として当時のメンバーがお兄さんお姉さんとなって活躍しているだろうと。

 

 

そんなヒューマン的な事で手法や戦略ではなかなか説明しづらい
経験、出会い、苦楽が含まれているから自分で独立してみよう、会社をやってみようのが、特に人を大切にするという方にとっては強烈なモチベーションになっている様な気がします。

 

そして苦しくてもあの人の為に頑張ろう!というマインドも以外と経営者がモチベーションを保ち続けている要素かもしれません。

 

 

そういう自分もぜんぜん偉そうに言える立場ではないですが、必ずしも社員さんでなくてもアルバイトさんインターンシップ、仕事仲間でも上の立場にある以上は目線を同じくして物事を見れる人間になりたいなと。仕事の前に1人の人間だというのを皆さんから教えてもらい、それが教訓になり今に活きています。
※そこは、当時の年齢で周りの人たちも全員年下で10人以下だから出来たんじゃないの?と言われるのですが、規模関係なく年齢関係なく本来仕事は楽しいものだ!と思える環境作りをしようと決心したのもこの頃で、なかなか8年経って出来ているのか分かりませんが、その視点だけは忘れずに行こうと。