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WEBマーケティング屋のブログ

WEBマーケティング屋ブログでは
・役に立つツールのご紹介
・業者任せにしない自社サイトの運営方法
などを中心にWEB担当者、中小企業様でWEBを活用したい
経営者、担当者の方々に向けて情報を発信していきたいと思います。

●日時:2018年5月30日(水曜日)18:30~20:30ごろ(開場18:15)
●会場:梅田生涯学習センター 第6研修室(3月と同じお部屋です)
住所 〒530-0001 大阪市北区梅田1-2-2-500 大阪駅前第2ビル5F
●会費:お1人1,000円(資料代)
●持参:筆記用具をご持参ください。

以前参加の大阪勉強会から

「いい会社」は売上高だけでは成立しない

一般的には、会社の豊かさが「売り上げ」で決まるとされるケースが多い
(金融機関の融資、上場の基準になるなど)

目標に売上高を設定している会社も多いが実際には、売上高があっても利益がないことも多々ある中で大切なのは

利益は、何によって(どんな行動によって)作られるのか?
という事を解説頂きました。

背景として

社長の中には、「○○さんには(報酬を)払いたくない」
と言う人が居る。理由は共通していて、「成果を出していないから」
「やることをやれば、ちゃんと払う」と説明される。

では、果たして何が成果なのかをしっかりと説明しているか、やる事をやればのやる事が何なのか?が浸透しているかがあってこそ初めて口にして発言出来る事であり、明確な提示が無い中成果を上げろ!やることをやれ!と言われても改善される事はなく、常に不平不満が生じる原因となってしまう。

まず、経営者の考え方として給与は、前月度の労働に対して払われるものだというのが定説だが、「来月の仕事への参加費」だと思えば見方が変わるだろう。

いい会社の社長に共通して考えているのは
この会社に参加して頂ける参加費として考えている。

そういう気持ちであれば参加費で参加してくれるのだから参加してくれてありがとう。その様な気持ちを持つ事が出来る社長だからこそいくら払ってこの位は働いてもらわないとという事にはならない。

見学先の会社においても

お金で返すのではなく、伊那食品さんであれば働きやすい環境と仲間で返す

未来工業さんであれば休日で返す

報酬以外に何をあげれるかを考えて働きやすい職場を提供するか考えているのがいい会社に共通する社長の考え方


「雇用継続への必要条件は時間管理である」

をテーマに社員の健康、家族への配慮(長時間労働により家庭生活に与える影響)を考慮しなければ長期的に見て社員さんが長く働ける職場にする為にも安心出来る職場を目指すには時間管理の意識が求められるという内容で解説いただきました。また、「いい会社」の経営者に共通して見られる時間の考え方として「時間は感覚的なもの」というのが挙げられます。

働きやすい職場を創る、理念を浸透する、社員教育を行って現場に活かすというプロセスに対して、いつまでにという視点よりも「この人ならこの位時間をかける必要があるのではないか」という決まった時間に対して決める事以上に、この人が育つまでには!浸透するまでには!という感覚の視点からどの位の時間をかけるべきかを見定めていく。


「幸せにする仕組みは、内なる変革」

不景気、地域(周囲の環境)、従業員への不満を嘆く中小企業がある中
何故過疎地と言われる場所で「いい会社」が存在し、衰退産業と言われる業界で黒字化を達成し続ける会社が存在するのか?

原因を周りのせいにせずに、自分、自社を変える事によって「いい会社」になっているケースが多い!

見学会で訪問する会社において、必ずしも最初から「いい会社」であるとは言い難い会社もあり、何かしらのきっかけがあって、その後「いい会社」になる要因が含まれています。
そこには
「人を土台に、人の幸せ、地域の幸せを考え、その為に事業化する」
という決断をされた経営者が多いのが共通して見られます。

問題は内側、とりわけ社長の心の内側にある「制約」が障壁になっている事が多い為、その制約を取り払う為に
いい会社にいしたいなら
・赤字だったらごめんなさい。
・社員には「ありがとう」
を社長が言える会社。

 

先日開催の猛獣塾入門講座

好評につき6月大阪開催決定しました。

 

 

猛獣塾入門講座

現在、参加者及び卒業生の方々から卒業後のフォローや縦のつながりなど多数のご依頼を頂く中で

新たに猛獣塾WEBコミュニティを開設し、展開していく事になりました。

 

猛獣塾

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猛獣塾入門講座

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4月23日臨時で4月開催の3回目の猛獣塾入門講座

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多数の方にご参加いただき、大盛況な会となりました。

冒頭塾頭の紹介で、P&G時代に関わったプロジェクトについてお話いただきました。特にP&G社内でのP&G大学(P&Gマフィア)の話や買収した時のマックスファクターで取り組んだプロジェクト、フィリップモリスにおいてアイコスの販売をどう普及させて、展開したかについて

 

 

現場と本社の違い
よくあるケースとして
・現場ではお客さんと良好な関係で進めているが本社からの指示(マーケティング部署)と営業現場の相違
・逆に本社での指示はしっかりしていると思っているのに、現場は何故動いてくれないのか?
など


制度として教える事は出来ても現場が納得して動いてくれる様になるのがMBAでは教えない!
と強調している部分がここで

MBAでは教えない!それを過去に経験したP&G,マックスファクターで
どう女性社員数千名が意識高く動いてくれて実績を残す事が出来たのか?

そんな話を具体的に解説してくれます。

 

 

 

個人的には
今までの社会人経験(インターン含めて)
大体0から1になる仕事や組織(組織よりも個々人)が多い中

どう1になったものを3に4に5にしていくか?

そこには個人の頑張りや努力以上に
関わっている人が理解→納得→自分の役割とチームとしての役割を認識して
言わなくてもやるべき事が明確になっている

そこは凄く学びが高いなと。
いわゆる第2創業においての重要な要素が含まれていて
仕事上の組織やチーム以外でも複数人が関わるプロジェクトにおいては役立つ内容です。

 

受講後の感想

 

 

 

 

今回は、前回好評の佐藤一斎の言志四録に続き、佐藤一斎の「重職心得箇条」に学ぶ

「重職心得箇条」は幕末の天保・弘化の頃、幕府教学の大宗であった佐藤一斎が、その出身地である岩村藩(岐阜県恵那市)の為に作った重役の心構えを書き記したもの

佐藤一斎(さとう いっさい)は、安永元年(1772年)に江戸浜町に生まれました。安政六年(1859年)に、八十八歳の天寿を全うしますが、死の直前まで現役の教育者として大活躍しています。当時としては、驚異的な長命であったと言えます。
青年時代(今でいえば中高校生の頃)、江戸は下谷の柔術道場に親友の杉本仲温(後に医者となる)と一緒に入門し、熱心に稽古しました。やがて柔術に上達すると、自分の腕前を試そうということになり、江戸の人々が吉原に通う道である日本堤(つつみ)で、往来する人をとらえて無法に投げるという危険な遊びをしていたと伝わっています。相手は不意を突かれて手向かうほどのこともできずに投げられたので、それを喜んで何よりの娯楽にしていたというのですから、現代であれば暴走族にでもなりかねない元気すぎる気質の持ち主であったようです。

 


しかし、天明七年(1787年)から始まった松平定信の「寛政の改革」により、世の中の雰囲気が一変します。改革の本来の目的は、幕府財政の立て直しにあったと思いますが、生真面目な定信の性格もあり、社会の風俗や思想も厳しく統制されました。現代でいえば、バブル景気で世の中全体が浮かれていたのが、日銀の過度の引き締めでバブルが崩壊し、火が消えたように不景気になったようなものでしょうか。
純情多感な青年であった佐藤一斎は、世の中の変化を天の諌めと感じたのでしょう

 

これまでの奔放な生活を真剣に反省します。そして、親友の杉本仲温と、「男児たるもの、なんぞ天下第一等の事を為さずして、すなわちこの小勇をなさん」(男と生まれて、天下に第一等の価値あることをせずに、こんな小さな勇気(辻投げ)を誇っているようではいけない)と話し合い、それから学問に打ち込むようになったと伝わっています。

 

寛政四年(1792年)、二十一歳のとき、林述斎の勧めで大阪に学問修行に行きます。そのきっかけとなったと思われるエピソードがあります。勤めを辞めて浪人中だった一斎は、ある日、江戸藩邸で親しく付き合っていた岩村藩の友人と隅田川で舟遊びをしました。ところが、

 

友人が誤って水に落ち、そのまま水死するという不幸な事件が起こりました。友人の死に心をひどく痛めた一斎は、安閑と江戸にいることができず、ひとかどの学者になるまでは江戸に帰らないという悲壮な覚悟で、大阪に旅立ったと伝わっています。
(友人の水死事件がきっかけで、近侍の勤めを免ぜられたという説もあります。)

 

幕府の官学は、朱子学ですが朱子学だけではなく、陽明学も学ぶことができ、佐藤一斎の学風は、「陽朱陰王(ようしゅいんおう)」と言われるようになります。「表向きは朱子学を教えるが、内実は、陽明学も教えている」という意味です。

特定の学派にこだわらずに、それぞれの教えの長所を取り入れ、儒学の教えを総合していったという点で、今日では、むしろ誉め言葉に感じます。そのような一斎の幅の広い学風は、若き日に大阪の懐徳堂に学んだことが大きく影響しているといわれています。その後一斎は、昌平坂学問所の大学頭(だいがくのかみ)であった林簡順の門下生となり林家の私物であった昌平坂学問所を幕府に公納し、正式に幕府の直轄機関となります。現代風に言えば、国立大学になったと。それと同時に、学校規則なども整備し、武士に限らず、町人や百姓であっても、真面目に学問に打ち込む者は学生として受け入れることにしました。身分制度の厳しい江戸時代において、やる気のある者は身分にかかわらず、幕府の学校で講義を聴けるというのですから、大変開明的な方針であったと思われます。

 

陽明学とは?朱子学とは?簡単に。

朱子学
身分秩序が大切【礼をわきまえ主君に従うこと】
自然や万物に上下関係・尊卑があるように人間社会にもそのような差別があって然るべき

陽明学
朱子学を否定して生まれた思想
周囲の人間との関係性を重視し誰とでも懇ろに親しみ、上の者を敬い、下の者を軽んじ侮らないこと即ち「愛敬」を具体的な実践

ただ、当時の幕府にとっては危険思想で、陽明学に通じる学者などを島流しにしたり。。

その後

一斎の晩年である嘉永六年(1853年)に、ペリーが率いるアメリカの艦船(黒船)が、日本に来航します。幕府はペリー艦隊を江戸湾浦賀沖に誘導し、アメリカ合衆国大統領の国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約の締結に至ります。この事件から明治維新までが「幕末」の動乱の時代になるわけですが、一斎は八十代の高齢でもあり、また、学問一筋の学者・教育者であったこともあって、政治活動を直接行うことはありませんでした。

それでも、ペリーが持ってきた国書に対して、幕府当局から諮問を受けて、たびたび意見を奏上しています。ちなみに、ペリーの持ってきたアメリカの国書は、英語版の原本だけではなく、漢文訳とオランダ語訳もセットになっていました。アメリカにすれば、英語版がメインのものですが、当時、英語を解する者がほとんどいなかった日本人にとっては、漢文版をメインに、オランダ語訳を適宜参照して、内容を理解しました。そのため、漢文の専門家である佐藤一斎とその門下生は、ペリーとの交渉において通訳の役割を果たしたともいえるでしょう。現代では想像もできない話です。
 

 

佐藤一斎のエピソードとその門人
一斎は、一流の学者でしたが、文弱の人ではありません。若い頃から武芸に親しみ、門下生にも、武芸を奨励しました。一斎が、武芸についても達人のような眼力を持っていたことを伺わせるエピソードをご紹介

一斎が、水道橋にある弟子の牧野黙庵の寓居を訪問した時のことです。たまたま、一人の武士が馬に乗って門前を過ぎるところでした。馬術を得意としていた一斎がその姿を見て、黙庵の子供達に向かって言いました。「あそこで馬に乗っている者は、人が馬に乗っているのではなく、馬が人を乗せているだけだ。主導権が馬にある。危ないものだ。」


すると、乗馬の武士が門前を十歩も行くか行かないかのないうちに、突然、馬が躍り上がって、武士は馬から振り落とされました。一斎は笑いながら、「すべてはこれと同じだ。学問にも、学びの正しい術(技術や方法)がある。それを理解せずに、闇雲にたくさんの本を読んでも、人が本を読むのではなく、本が人を読んでいるだけになる。子供らよ、馬から落ちた人を真似することなく、立派な師匠について、正しい方法で学問をしなさい。」正しい方法での学びを重視した一斎ですが、そうかといって、門下生を型にはめるような窮屈な教育はしませんでした。
幕末の騒然とした時期に、一斎の家塾に佐久間象山、山田方谷など経世の才にあふれた優れた若者が下宿して学んでいた時のことです。象山や方谷は、国の政治や経済のことで盛んに議論していました。興奮して大声になることも、しばしばだったようです。


有名な人物は、山田方谷(ほうこく)、佐久間象山(しょうざん)、安積艮斎(あさかごんさい)、大橋訥庵(とつあん)、横井小楠(しょうなん)などです。いずれも、幕末を代表する学者や思想家です。
このうち、幕末日本の先覚者といわれる

佐久間象山の門下から、勝海舟(かつ-かいしゅう)、坂本竜馬、吉田松陰(しょういん)、小林虎三郎などの幕末の日本を動かした志士が輩出しました。
吉田松陰の門下からは高杉晋作、久坂玄瑞(くさかげんずい)、木戸孝允(きどたかよし)、伊藤博文、山県有朋(やまがたありとも)などが輩出して、輝かしい明治維新を形成することとなります。

 

 

 

 

 

「重職心得箇条」について

リーダーのあり方の教えを17条に分けて簡潔に説いた『重職心得箇条(じゅうしょく-こころえ-かじょう)』

藩主不在のときは、藩の武士団のリーダーとして藩全体を切り盛りする必要がありますから、支店長や部長の役割も兼ねています。非常勤役員ではなく、常勤で従業員兼務役員(たとえば、取締役総務部長、取締役工場長など)に相当すると理解した方がよいかもしれません。武士団のリーダーに対する心得ですが、その内容は、現代の企業人にとっても、とても参考になるものを含んでいます。明治以降は、長く忘れられていたのですが、それが大正時代に再評価され、内容の素晴らしさから、安岡正篤先生が各地で講義され、安岡先生の高弟であった住友生命の社長・会長を歴任された新井正明氏は、社内の管理職研修で、自ら「重職心得箇条」を講義されたそうです。

 

 

今回は青森市南中学校の生徒さん約250名に対して開催。冒頭会長から会の紹介とスピーカーの紹介を頂きました。

一戸さん(現在東京の銀座と上野で美容室を経営されています)
元々ご実家で美容室を経営されているのを見て朝早く夜遅くを身近に見ていて凄く大変そうに見えていたが、現在は誇りに思える仕事!それは世界中で仕事が出来て、東日本大震災の時もすぐ現場に向かって被災地の方で困っている方の美容に関する(ヘアカットはじめ美容に関する事全般を)お手伝いをする事が出来た。

美容に関する事は、今無くなる仕事無くならない仕事が騒がれている中で手に職を持つというのはきっと無くならない仕事で世界のどこでも出来る魅力的な仕事!皆さんもこれからは「世界を見て自分に出来る仕事」というのを是非考えてみてほしいとの事でした。

そしてどういう人と付き合うかが大切で
親に感謝する事も大切
今自分が頑張っていられるのも親のおかげ
社会の荒波に揉まれても頑張る自分になれたのが親のおかげだった。

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

 


工藤さん

工藤さんは現在出版及びプロダクション関係の仕事をされている中で、いろんな有名な方とお会いする機会が多く、その中でも、元々自分がファンだった人が仕事でつながった時にその人の後ろには何千、何万人とファンの人達がたくさんいらっしゃる中で
自分が一番ファンになってその人、その仕事を好きになろう!という事で、興味を持つ、好きになる事の大切さをお話頂きました。

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

 


 

美上さん

美上さんは、公務員(医療、医薬品関係)のお仕事をされている中、ご自信が関わったプロジェクトが薬の認可を行う際に今まで治らないと思われていた病気に対して自分が関わった医薬品の認可によって治る病気になった事による患者さんの前向きな姿を見る事が出来て仕事をしていて良かった。
自分が関わる事が国を動かす程影響がある!そんなやりがいを感じた事をお話頂きました。

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)


 

後藤さん

後藤さんは元々は東京出身であったが、アナウンサーとして青森で就職をして、青森のことをたくさん知ろうと思って青森全ての市町村を回って現地の人と話をした事、現地をたくさん知る為に勉強した事から青森から様々な分野で活躍されている(これからしたい)方に対してラブ青森プロジェクトというNPOを立ち上げ人とつながる事でいろんな可能性が広がる!
皆さんもそんな素敵な人が青森にも東京にもたくさんいるので、素敵な人とつながりを持つ大切さをお話頂きました。2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

 

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

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2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

2018年4月20日青森市南中学校AFS(アオスキフューチャーズゼミ)

 

 

 

 

2018年AOsukiではAFS(AOsukiフューチャーズゼミ)を3回開催を予定しており
今回1回目の青森市立戸山中学校の生徒さんに対して開催致しました。

 

 「出会い」の大切さ「夢」「目標」を持って頑張る事の大切さを中心にお話頂き、生徒さんからもたくさんの質問を頂き、大盛況なAOsukiフューチャーズゼミとなりました。 

 

副会長の西村さんからは 私たちの様に東京にいる人達だけではなく 身近にいる先生も沢山の経験をしていて、身近にいる大人の話を聞くのも凄く大切な経験になると思います。 いろんな人達のドラマを聞きながら、自分にプラスになる事があればどんどん吸収して下さい。 最後に生徒さんから御礼の言葉を頂きました。 「仕事での詳しい内容や道のりを教えて頂き、夢に向かって必死に頑張る姿、目標を持つ事の大切さを感じました」 今回学んだ事を今後の生活に役立てていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校 青森市戸山中学校

我らがAOsukiにおいて
AOsukiフューチャーズゼミ

4月18,4月20日にAFS開催

アオスキフュチャーズゼミとは中学校の生徒さんの修学旅行応援企画。

修学旅行で上京する青森の中高生に向け、青森県出身者(経営者。社会人・学生)の自らの体験談・今頑張っている事、社会に出るために大事なことを座談会形式で伝える講座。青森県出身者が都市部で意欲的に頑張っていることを感じてもらうことで、未来に向けたモチベーションの醸成、職業理解、職業観の育成(キャリア教育)を狙いとしています。

18日は青森市戸山中学校

20日は青森市立南中学校

 

 

 

 

 

AOsukiフューチャーズゼミ

 

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第1期として参加させて頂いた武士道経営塾

 

価値共有(理念)を大切な経営の中心におきながらその価値共有(理念)の質や周りを引き寄せる手法に、リーダーの人間力を磨く為に様々な講師の先生をお呼びしての勉強会を開催

人を惹きつけ、人を動かす、人の道を知るリーダーの心得と実践スキルを強化する学び場として、テクニカル的な事よりもリーダーとして人としてどういう人間になりたいかあるべきかなどを考えさせられます。

なによりも参加する事以上にその後のつながりが持てる事により学びをその後も活かし続けていくというのが大切なのではないかと感じるところです。

 

今月10期生の卒業。

卒業後も縦のつながりを大切に!という思いで年に何度か集まりも開催

 

そして、八坂講師の甥御さんであられる山岳写真家の廣田勇介さん

「幕末の志士が愛する楠木正成の写真展」を大阪の観心寺で開催するにあたり
ネット上で少額の支援を募るクラウドファンディングをスタートされています。

写真展『嗚呼版太平記』の詳細につきまして

 

・写真展『嗚呼版太平記』

・開催日:平成30年5月20日〜5月27日

・入場料:無料(※境内の拝見には拝観料300円がかかります)

・会場:観心寺

    〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475

兼ちゃん先生の しあわせ講座とは

「これまで歩んできた道のりは、失敗したり、挫折したり、さまざまな体験経験出逢いをたっぷり味わってきた日々でした。一番の誇りは「出逢い」

両親、家族、パートナー、師、友人、ライバル、マスターこんなにも素晴らしい方々と出逢えたことを、神に感謝したいと思います。その出逢いによって気づかされてきた「しあわせ」への道。

新しい幕開けを感じさせる本年から「しあわせ講座」をスタートさせたいと思いました。

最終回を迎える時、しあわせな人生を歩み始めた実感を感じとっていただけるよう、ご縁ある皆さまの背中をそっと押すことができればと願っています。」

兼ちゃん先生の しあわせ講座

兼ちゃん先生の しあわせ講座

初女先生と思風先生が教えてくれた透明な在り方

佐藤初女先生

「今を生きる」

初女先生は「言葉を超えた行動が魂に響く」をモットーにされていらっしゃいます。

今を生きるで生きていて、そこで何があってもまた切り替えていくから、後悔はない

との事で、まずは目の前のことを精一杯やって生きていきましょう。希望や夢などいいことを考えてまっぐに進まないよりも、もっと心を向けて生きたい。今、このときを感謝しながら真実に生きていると、必ず目的に通じます。

初女先生と森のイスキアについて

イスキアとは、イタリアの南西にある火山島の名前

 

ナポリの大富豪の子息で、教養もあり美しいナポリの大富豪の息子が、愛する女性とボートを漕ぎながら愛を打ち明けた。彼女がそれを受け入れた時、しかし、彼はなぜか虚脱感に襲われた。何かが足りない、虚しいと感じた彼は、少年時代に訪れたイスキアを思い出し、それ以後、何もかもが退屈で、何をする気にもなれなくなってしまった彼がふと思い出したのは、少年時代に父親に連れられて訪ねたイスキア島のことだった。

 

彼は「みずみずしい感性で、すべてのものに好奇心を持ち、生き生きとしていた自分をもう一度取り戻したい」と願い、一人イスキア島に出かけた。

 

地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、青年は自分自身を見つめ、新たな力を得て現実の生活に立ち戻ることができるようになった。

どうにもならない心の重荷を感じた時、そこへ行けば癒され、自分を見つめ直し、 新たなエネルギーを得ることができる・・・。そんな場になって欲しいという願いを込め、 このエピソードから「イスキア」という名が付けられた。

心に重荷を抱え、虚ろさに苦しむ人々の「駆け込み寺」として、イスキアは運営された。訪れる人が増え、1992年には、彼女によって助けられた人々の協力のもとに、岩木山の麓に「森のイスキア」が開設された。

龍村仁監督が制作した映画『地球交響曲 ガイアシンフォニー』は、人物に関する取材や対談などから成り、初めは配給会社が見向きもせず、やがて監督自身がチケットを引き受けることを条件に、短期間の上映が行われた。これを見て感動した人々が、自主上映会などを催すようになり、ファンが増えた。かつては各地で開かれる上演会を探さなければならなかったが、今では有限会社龍村仁事務所から、DVD も発売されている。その「第二番」に初女先生が登場する。その取材時の思い出を、龍村監督は次のように記す。

映画のファーストシーンで、先生がイスキアの裏の雪の中からふきのとうを掘り出されるシーンがあります。その日の夜の私達の食事に、ふきのとうの味噌和えをつくって下さるために始まったシーンでした。初女先生のふきのとうの採り方を見ていて、私は胸が熱くなるほどの感激を覚えました。スコップか何かを使ってサッと採られるのだろうと思って見ていると、なんと先生は、小さな枯れ枝を使って、シャカシャカとさわやかな音を響かせながら、まだ雪の下にあるふきのとうの周りの雪をやさしく取り除き始めたのです。「なんと“めんどくさい”採り方をされるのだろうか」、そう思った私は、先生が作られた梅干し入りのおむすび一個が、なぜ自殺まで決意している人の心を癒し、生き続ける希望を与えるのか、の理由がわかったような気がしたのです。

 

大切なのは効率などではない。来訪者に向ける思いは、言葉を交わさないふきのとうにも向けられる。その下には地下茎があるのだから。そしてまた、そのひたすらな思いを来訪者に向ける。来訪者は、最後の支えを求めてすがる思いで訪れる。そして、ひたすらな思いで迎えられる。その「訪ね/迎えられる」ということが大切である。

 

訪れた人とはまず手料理で食膳を共にします。春でしたら、ふきのとうやたらの芽、わらび、うどなどの山の幸、そして北国ならではの海の幸が食卓に賑わいをもたらします。岩木山の麓の澄んだ空気と豊かな緑に囲まれて、自然の恵みを与えてくださった神様に感謝しながら一緒に食事をいただくと、緊張もほぐれて、ゆったりした気持ちになっていきます。そんなところから、苦しみの中で閉ざされていた心の扉が少しずつ開きはじめることもあります。

訪れた方は、「心のふるさとにたどりついた気がする」「生きることの原点を教えてもらった」「人生の岐路を乗り越える勇気が湧いた」など様々な思いを抱くようです。共通するのは、皆、休息と安らぎを得て、元気を回復していくということです。

 

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。心に傷を負ったとき、すぐに家族や友人たちの中に支えてくれる人を見つけることができればいいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分ではわからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。

 

このように、人生に悩み、精神的に屈しかかった人たちを、自宅に受け入れ、共に歩みはじめてもう三十年以上になりますが、食事と生き方との間には神秘的なつながりを感じます。食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません。

なにも受けつけなかった人が、少しずつ食べられるようになるのを見ていると、やっと心が動きはじめたのだなあということがわかります。

 

「食べる/食べない」ということは、「生きる/生きない」ということと、相関にも似た、深い繋がりがあるようである。

アドバンスコースメンバー第1期生と事務所前の桜の下にて

兼ちゃん先生の しあわせ講座 アドバンス

兼ちゃん先生の しあわせ講座 アドバンス

 

ふとしたご縁から
久方ぶりにドリプラ支援者になりました。

また、この方と再会して元気を貰おうかなと。。

そういえば、、会員だった国際救助隊

  • 国際救助隊隊員は、日々の救助活動において名前を聞かれた際には「ただの通りすがりの者です」と、答えなければならない。
    国際救助隊隊員は、町で歩いているときなどに、その存在を知られた場合でも、「国際救助隊の方ですか?」という問いに対しては、次のように答える。
    「ただの通りすがりの者です」
    自分が国際救助隊隊員であることを、なるべく明かさないように努めなければならない。
  • 問題が起きたとき、「この日が来るのを待っていた!」と言いながら先頭に立って行動する
  • 見て見ぬふり、をするのではなく、見たら助けて助けなかったふり、をする
  • 怪獣が現れたとき、一般市民を逃げ道に誘導する一方で、怪獣に立ち向かい、夢を語りあう
  • 自販機のお釣り受けに100円玉を入れて、次の人を感動に導く

こんな会です(笑)

と冗談はおいといて

 

打ち合わせ段階で号泣。

まだあまり詳細はお伝えできないのですが、とある会社において大変心痛ましい横領事件が発生し信じていた人が実は、、という状況になってしまった後、その方は自分を問い詰めて追い詰めて自死に至ってしまった。

そんな人ではなく、そんな状況を二度と作らず苦しさも楽しさも分かち合いながら共に進んでいこうという想いで今回のドリプラを決意!

さらに、障害を抱えている家族を持ちながら、その子が前向きに自立して進んでいく過程を聞き、現在音楽活動に従事し頑張っている。

そこに至るまでのお母様のご苦労、ご本人とご兄弟のお話を聞いて涙涙。そして実際の音楽も聴いてまた涙

そこに自分の様な人間が関わるのはどうだろうかと。思いながら振り返るとティードリ、地域、世界と何だかんだいろいろ関わってきたなぁと。きっと必然の出会いとご縁だろうと信じてまた昔を思い出していきたいと思います。