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今年最後の東京思風塾では、思風先生にいのちの総括をテーマに語って頂きました。

 

12月7日東京思風塾『いのちの総括』

 

生きるということは、何かのために死ぬのであり、何かのために死ぬのは何かのために生きること

 

生死一如(しょうじいちにょ)
生と死は表裏一体で切り離せないもの

 

生き方の1つとして死というものを意識し
誰しも人生の締めくくりとして死に方を自ら選び取り、創り出して生きるという事が「自覚的存在」という人生を文化として考えた場合の死のあり方。

 

 

来年、2025年令和7年度
東京思風塾テーマは『在り方に生きる』

月別テーマ

1月 『問いに生きる』

2月 『直観に生きる』

3月 『異和感に生きる』

4月 『問題に生きる』

5月 『決断に生きる』

6月 『使命に生きる』

7月 『自覚的存在として生きる』

8月 『天分を生きる』

9月 『矛盾を生きる』

10月『理想を生きる』

11月 『愛を生きる』

12月『自由律を生きる』

昨日の思風塾において、思風先生がいみじくも最後に語られたのが自由律という言葉でした。

因果律に対する思風先生独特の言葉ですが、それをヒントとなって来年度のテーマを思風先生に提案させていただきました。

感性論哲学が説く生き方とは、どうあるのかという在り方を問いかけ、
その在り方による生き方を提唱されています。

いつもWEBでお世話になっている東京七戸会の年に1度の総会

 

 

 

 

人口1,5万人位の町になると
大体学校が2つ3つ程で狭い地域に行くお店が同じだったりするので
会話も共通項が多く
青森市の30万人と比べると
その辺りは全然違って、狭いなりの良さみたいなところを感じることが多かったりで
いつの間にか12年目に突入し
いつの間にか運営側になっていたりと
ゆるく、長く続く会を目指して活動しております。

現地だとわざわざ町長が迎えてくれるこんな感じのアットホームな雰囲気に

 

 

田んぼよりも、畑や牧場が多い地域でもあります。

 

 

あと麻布十番での販売(今年は完売!!)

 

 

 

 

 

11月は青森人の祭典も開催されます

 

 

 

 

2024年10月5日東京思風塾『授かるいのち育むいのち』

我々のいのちには、すでに人間として我々がいかに生きればいいのかという、生きる目標が与えられており、またその生きる目的、生きる目標というものを実現するために、 どのような力を発揮したらいいのか、ということも既にいのちに教えてもらっていて、その能力をも授かって我々はこの世に生まれてきました。 我々がこの時代に生まれて、いかなる能力を発揮していかなければならないかは、潜在能力という形でいのちに既に与えられておりますし、一人一人の人間には、その人独特の天分というものは、母なる宇宙から与えられている そういう自分に与えられている能力は、一体なんであるかということを我々はどのようにして、知ることができるのか。 そういうことを考えることによって、我々は自分に授かったいのちというものの果たすべき使命というものを、明確に掴むことができる そのいのちに与えられいる自分の使命というものを、我々に自覚させるために、母なる宇宙は我々にさまざまな苦難を与えてくれて、その苦難と我々が向かい合うことによって、その苦難によって問題によって、自分に与えられた潜在能力が姿を現し、 出てきて具体的な仕事をし、使命と志を持った生き方をする人間になれる 自分がこの時代に、何故に生まれてきたのかというのを教えてくれる

今回のテーマは「日本語と神道」

その中の「言霊信仰」についての解説を頂きました。

 

 

私たち日本人の言葉に対する特殊な信仰を言霊信仰という。「願望・祝福の言葉を述べれば幸運や祝福が実現し、その反対に、不吉・怨恨の言葉を述べれば、その語により禍難・凶事が実現するという考え方があった。つまり、言語には霊力こもっていて、その霊力が禍にも福にも働くと考えた。これが言霊信仰で、祝詞(のりと)・寿詞(よごと)・呪文・となえごと・諺・和歌・あいさつ語など言語の内面にも言霊がひそんでいており、また、そのために言語を発するには相当の準備必要とされたらしい。」(『小学館古語大辞典』)  「そらみつ倭の国は、皇神の厳しき国、言霊の幸はふ国」(空から見てよい国だと見える倭国は、皇神の守る厳格ですきのない国、言霊の力により幸ひがもたらされる国)(『万葉集』巻五・八九四)と考えられていた。  故に祝詞という神々に祈る独特な言葉を生み出し、となえこと、呪文はそれを称えることにより禍福を招来すると信じられた。和歌という独特の詩形式を生み出し「力をもいれずあめつちを動かす」(『古今和歌集』仮名序)ことも可能にした。言葉を大切にするところから忌詞と言い、使うことをはばかり、別の言葉で言い換えることも生まれた。死を「なおる」、病を「やすみ」といった。

『 SQメンター』とは

教え手として
助け手として
支え手として
任せ手として
あの手この手を使って
時には奥の手を使って

人の成功や人としての成長を指導支援していき、世のため人のために尽くしていく“ As If “ あたかも千手観音のごとくふるまえる全人的支援者であると定義づけます。

Dr. Mu∽はSQメンターとして、
皆さん一人一人が
“As If”千手千眼観音SQメンター に成れるよう
お手伝いさせていただきたいと思ってます。

しかし必ずしもSQメンターに成る必要はありません。
SQメンターとは一体どんなメンターだろうと興味本位で講座を受けてみるということであれば、もちろんそれでも構いません。

講座は次のような対象者に役に立つかもしれません。

⚪︎諸々の職業において、人の成功や成長を指導支援している指導者の方

⚪︎会社やお店などで、成果を上げるためだけでなく、働く人たちの意欲ややる気をあげたいと思っている経営者やリーダー

⚪︎子育てや子供の成長に高い関心をもつ親御さん

⚪︎心や身体の癒しに関係する職業の方
また患者にかかわる医師や看護師の皆さん

⚪︎いろいろな分野で人を助け支援することに携わっている方

⚪︎悩める人たちや問題を抱えている人たちを助けたい、支援したいという人

⚪︎人を元気づけ勇気づけていきたい方

⚪︎他者だけでなく自助(セルフマネジメント)できる人になりたいという人

⚪︎人間力や人間性(人間らしさ)を高めていきたいという人

⚪︎自分の人生のみならず、人の人生が豊かになるよう支援していきたい人

⚪︎人と揺るぎない信頼関係を築いていきたいという人

この講座は、以上述べてきたことなどに関心あり、チャレンジしてみたいという人たちのためにデザインされた講座です。

千手観音SQメンター支援学(サポートロジー)入門講座

今回は、「ニーズを知ってそのニーズを満たすのがメンター」
方向性を教える、やり方を教える
それを段階を通じて様々なニーズに応える内容を解説頂きました。

 

 

 

初女先生から学ばせて頂いたのは「身近なもの、身近な人を大切にする事!」

 

そして、「今を生きる」

 

初女先生は「言葉を超えた行動が魂に響く」をモットーにされていらっしゃいます。

 

今を生きるで生きていて、そこで何があってもまた切り替えていくから、後悔はない

 

との事で、まずは目の前のことを精一杯やって生きていきましょう。希望や夢などいいことを考えてまっぐに進まないよりも、もっと心を向けて生きたい。今、このときを感謝しながら真実に生きていると、必ず目的に通じます。

 

芯の通った言葉であり、且つその中でも優しさ溢れるお方でもあります。

 

 

自分には待つことの大切さの言葉を頂きました!

 

佐藤初女先生について
訪れた人とはまず手料理で食膳を共にします。春でしたら、ふきのとうやたらの芽、わらび、うどなどの山の幸、そして北国ならではの海の幸が食卓に賑わいをもたらします。岩木山の麓の澄んだ空気と豊かな緑に囲まれて、自然の恵みを与えてくださった神様に感謝しながら一緒に食事をいただくと、緊張もほぐれて、ゆったりした気持ちになっていきます。そんなところから、苦しみの中で閉ざされていた心の扉が少しずつ開きはじめることもあります。

訪れた方は、「心のふるさとにたどりついた気がする」「生きることの原点を教えてもらった」「人生の岐路を乗り越える勇気が湧いた」など様々な思いを抱くようです。共通するのは、皆、休息と安らぎを得て、元気を回復していくということです。

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。心に傷を負ったとき、すぐに家族や友人たちの中に支えてくれる人を見つけることができればいいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分ではわからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。

このように、人生に悩み、精神的に屈しかかった人たちを、自宅に受け入れ、食事と生き方との間には神秘的なつながりを感じます。食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません。

なにも受けつけなかった人が、少しずつ食べられるようになるのを見ていると、やっと心が動きはじめたのだなあということがわかります。

「食べる/食べない」ということは、「生きる/生きない」ということと、相関にも似た、深い繋がりがあるようである。

 

 

 

 

 

 

森のイスキア

イスキアとは、イタリアの南西にある火山島の名前

 

ナポリの大富豪の子息で、教養もあり美しいナポリの大富豪の息子が、愛する女性とボートを漕ぎながら愛を打ち明けた。彼女がそれを受け入れた時、しかし、彼はなぜか虚脱感に襲われた。何かが足りない、虚しいと感じた彼は、少年時代に訪れたイスキアを思い出し、それ以後、何もかもが退屈で、何をする気にもなれなくなってしまった彼がふと思い出したのは、少年時代に父親に連れられて訪ねたイスキア島のことだった。

彼は「みずみずしい感性で、すべてのものに好奇心を持ち、生き生きとしていた自分をもう一度取り戻したい」と願い、一人イスキア島に出かけた。

地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、青年は自分自身を見つめ、新たな力を得て現実の生活に立ち戻ることができるようになった。

どうにもならない心の重荷を感じた時、そこへ行けば癒され、自分を見つめ直し、 新たなエネルギーを得ることができる・・・。そんな場になって欲しいという願いを込め、 このエピソードから「イスキア」という名が付けられた。

心に重荷を抱え、虚ろさに苦しむ人々の「駆け込み寺」として、イスキアは運営された。訪れる人が増え、1992年には、彼女によって助けられた人々の協力のもとに、岩木山の麓に「森のイスキア」が開設された。

 

龍村仁監督が制作した映画『地球交響曲 ガイアシンフォニー』は、人物に関する取材や対談などから成り、初めは配給会社が見向きもせず、やがて監督自身がチケットを引き受けることを条件に、短期間の上映が行われた。これを見て感動した人々が、自主上映会などを催すようになり、ファンが増えた。かつては各地で開かれる上演会を探さなければならなかったが、今では有限会社龍村仁事務所から、DVD も発売されている。その「第二番」に初女先生が登場する。その取材時の思い出を、龍村は次のように記す。

 

映画のファーストシーンで、先生がイスキアの裏の雪の中からふきのとうを掘り出されるシーンがあります。その日の夜の私達の食事に、ふきのとうの味噌和えをつくって下さるために始まったシーンでした。初女先生のふきのとうの採り方を見ていて、私は胸が熱くなるほどの感激を覚えました。スコップか何かを使ってサッと採られるのだろうと思って見ている

と、なんと先生は、小さな枯れ枝を使って、シャカシャカとさわやかな音を響かせながら、まだ雪の下にあるふきのとうの周りの雪をやさしく取り除き始めたのです。「なんと“めんどくさい”採り方をされるのだろうか」、そう思った私は、先生が作られた梅干し入りのおむすび一個が、なぜ自殺まで決意している人の心を癒し、生き続ける希望を与えるのか、の理由がわかったような気がしたのです。

大切なのは効率などではない。来訪者に向ける思いは、言葉を交わさないふきのとうにも向けられる。その下には地下茎があるのだから。そしてまた、そのひたすらな思いを来訪者に向ける。来訪者は、最後の支えを求めてすがる思いで訪れる。そして、ひたすらな思いで迎えられる。その「訪ね/迎えられる」ということが大切である。

 

 

日時:
2024.10.7(月)〜9(水)

集合:新幹線新青森駅11:00
*航空便でお越しの方青森空港へお迎えします。

訪問:
🟢森のイスキア
🟢弘前カトリック教会
🟢初女先生墓地
🟢岩木山
🟢岩木山神社
🟢弘前公園
🟢ねぶたの家ワラッセ

食事:
🟢津軽三味線ライブ杏
🟢フレンチ山崎
🟢ラーメン田沢食堂
🟢弘前郷土料理菊富士
🟢のっけ丼魚菜センタ

宿舎:弘前市内のホテルを各自手配いただきます。
*お勧め弘前パークホテル
*絶景の朝食が格別

会費:38.500円
(税込・レンタカー代・森のイスキア謝礼・カトリック教会寄付・ワラッセ入場料・岩木山スカイライン含む)

 

 

2024年9月7日東京思風塾『燃えるいのち枯れるいのち』

今回のテーマは『燃えるいのち枯れるいのち』

思風先生からは

理性を使って考えている間は、人間は行動することは出来ない
実際、考えて、考えて、そしてある結論に到達して、考えることをやめて決断し、思考する、考えることを断ち切ったとき、はじめて人間は
行動するという、そういう生き方をすることが出来るようになるわけであります
思考を断ち切らなければ、決断しなければ、
あるいは腹を決めなければ、人間は行動という実践的な生き方に入って行くことは出来ない

 

人間としての基本的な生き方においても、問題はない方がいい。悩みがない方がいい、そういう理性的な完全主義的な人間観を持ってしまって、問題と悩みがなくならない人生を嘆き、それを不幸な人生だと錯覚している、そういう人々が大半でそういう人々が
命が燃えることのない平凡な人生を歩んでしまっているのであり、

だけど、明らかに時代は大転換機を迎えていて、人間の本質も理性ではない。心だ、感性だと言われる時代になってきているし、また画一性を追求する人生から、個性を尊ぶ人生へと人生観も変わりつつあるそういう意味では、我々はこれから誰でもいのちを輝かせて生きることが出来る、燃える人生、燃えるいのちというものを、生きることが出来るんだという信念、人間観の元に、どうすれば完全燃焼の自分らしい、人生に華を咲かせる個性あるぶっちぎりの人生を歩むことが出来るのか
その方法を我々は知らなければならない。

 

その為にも、自分を知るという点において

欲求、欲望、興味、関心、好奇心

こういう感性の現象と言われるような、そういうものが理屈抜きにいのちから湧いてくるものを大切にする。

理想のない人間は、今日を迷う

今日が定まらない

夢のない人も今日の生き様が決まらない

本当に我々は今この一瞬をいのちを燃やして生きるということをするためには、

どうしても今の自分の生き方から迷いを断ち切るために人生には理想や目標や夢や希望というものが求められる

理想や夢や希望や目標というものは、真実の意味では今を生きる力

 

 

 

2024年8月3日東京思風塾「永遠のいのち個体的いのちPart II」


感性論哲学伝承館がある名古屋での開催
思風先生からは今日1日を大切に生きる事、「今日1日を鮮やかに鮮烈に生きた自分というのを誇る事が出来る様な1日に」
というメッセージを頂きました。

今日1日、生きた意味は何だったのか?
今日1日行ききった意味を感じる事が出来たか?

千手観音SQメンター支援学(サポートロジー)入門講座

SQメンターとは一体どんなメンターなのか?

SQメンターとは
・教えてとして
・助け手として
・支え手として
・任せ手として
あの手この手を使って、人の成功や成長を指導支援していき、人のため、世のために尽くしていく
AS IFあたかも千手観音菩薩のように振るまえる全人的支援者である

観音力とは
私たちの中に眠っている力です。どんな状況の変化にも対応できる力です。
時と状況が変わり、相手が変われば、その状況に応じて自分も自由自在に変わることができる力。
変幻自在に変われる力。

 

講師の吉川宗男先生

✨吉川宗男先生✨
(ハワイ大学名誉教授)

ご専門は人間学(統合哲学)、異文化ビジネスコミュニケーション論、リーダーシップ論メンター学で、35年間ハワイ大学で教えられました。
先生は歴史上の偉人となられた存在とも数多く出会っています。
・ピータードラッガー
・賀川豊彦
・鈴木大拙
・キュープラロス etc

「人生は出会い 出会いこそ人生」と語り
その著書「出会いを哲学する」に詳しく紹介されています。

 

前回第1回の様子

 

千手観音SQメンター支援学(サポートロジー)入門講座

第1講座では、SQメンターについて Mu∽先生から解説頂きました。

 

 


SQメンターは、コアな哲学を持って、あの手この手を使って、人助けをしていく
これがメビウスなので、全てのものを生かしていく
マイナスもピンチも
私たちが学んだものを一括りした時にどう見えるのかが、私の試みです。

SQメンターは、コアな哲学を持って、あの手この手を使って、人助けをしていく
これがメビウスなので、全てのものを生かしていく
マイナスもピンチも
私たちが学んだものを一括りした時にどう見えるのかが、私の試みです。

メビウスは統合、生命そのもの。この生命がなくなると、全てがなくなる
これは結びの思想でもある
日本の文化は結びの文化
すべては繋がっている、繋がりの思想、または中庸
慈愛の思想、愛、

キリスト教は自分を愛するが如く、他者を愛する
矛盾しているもの、全く違うアイディアの人とも響かせていく
それが愛だよ、と思風先生は言う

仏教は慈しみも入ってくるから慈愛
これはまた揺らぎともいう

揺らぐ、宇宙、粒子、波動のダンスしていることは粒子のダンスと言われている
バランスをとっている